THE LAST PHANTASM -OBITO- 作:大兄貴
薄明るい月夜の森。緑髪に黒い触角を生やし、漆黒のマントを羽織る小さな姿が獣道を歩く。
丑三つ時は妖怪が活発に動く時間帯。蛍の妖怪・リグル・ナイトバグは、人気のない深い森の中を一人鼻歌を交えながら散歩中。森に迷い込んだ外来人を探して狩る目的もあるが、最たる理由は月光浴。月の光は体に心地よさをもたらすと同時に、妖気を強めて妖の力を増幅させる効果がある。最も強くなる日は満月の夜だが、月がよく見える真夜中なら都合のいい時間帯である。
森の中を歩くうちに、月光浴に最適な開けた場所に着いた。人妖っこ一人いない静寂の中、仰向けに寝転んで体の力を抜き、月光を浴びるのが楽しみだった。しかし今夜は先客がいたようで。
(なにしてんだろ、アイツ……?)
近くの茂みに身を隠すと、リグルは息を殺して様子を窺う。
発見したのは獣ではない人型の影。同じ目的で姿を現した人妖とも思ったが、人影からは妖気を感じない。リグルはすぐに正体が『人間』であると直感した。人里と博麗神社を結ぶ妖怪山道からも遠く離れた、人食い妖怪だらけの森の奥地に独り佇んでいるなど、普通なら考えられない話だが、絶好の機会を逃がすほど詰めは甘くない。
リグルは人妖なので人間と同等かそれ以上の知性を有する。狩人として慎重で用心深くもなれた。獲物を捕捉しても決して驕らず逸らず、捕食者はじっと息を潜めたまま指を動かす。周辺に生息する適当なツツガムシを能力で強化して使役し、獲物が蟲を媒介とした致死的な感染症に侵され弱るのを、森に紛れつつ虎視眈々と待ち続け、人影が倒れて動かなくなるまで静かに見ていた。
ところがその人影は、これまでの外来人達の例に漏れた。苦しみのた打ち回るどころか、いつまで経っても身動き一つしないのだ。広場の中心に黙して佇んだまま。
「――?」
リグルが不可解な表情のまま、別の蟲を呼び寄せようと指先を曲げた時、真っ赤に輝く眼が目の前に現れていた。広場に見えたはずの人影はすでに消えている。
状況が呑み込めず思考が止まりかけるも、反射的に弾幕を撒いて視界と聴覚を潰そうと動いた瞬間。視線を合わせたリグルは硬直し、体内を形容しがたい悪寒が駆け巡る。黒い外套をまとう姿が見下ろした。
種族としては『独立体』に類する、特定の仲間を持たず単独行動を好む妖怪であるリグル。危険感知は人妖の中でも高い方で、生物の動きや気配を敏感に感じ取り、身のこなしも並の妖怪を凌ぐ。自分より格上の人妖ならともかく、人間風情に反応速度で劣るなどあり得ない話だった。だが人影が感知をすり抜けて接近したのは事実だ。
――バケモノ。本能的な危機を即座に察知し、その場を退こうと地面を蹴りかけた。リグルが動きを止めたのは、眩暈と共に意識が混濁し始め、脚がふらつき体を上手く支えられないからだった。
ごっこ遊びの雰囲気とはまるで違う。博麗の巫女と対峙した時とは性質を異にする、精神を逆撫でされるような、本能的な恐怖と重圧が襲った。人影の赤黒い目が渦巻き、薄紫色の波紋模様が眼球に浮かび上がる。
「このッ……なんなの、あんた。意味わかんないんだけど――」
人影は道を塞いでリグルの首を掴み、自分と同じ目線の高さまで体を持ち上げた。人形のように無感情で虚ろな表情には、捕食者に対する恐怖の色が微塵も浮かんでいない。
背丈とがっしりした体格から男なのは判別できた。男でも人間相手なら容易く振り解けるが、人並外れた腕力で逆に抑え込まれる。体中を冷たい感覚が巡り、強烈な脱力感で四肢に力が入らなくなった。抵抗する気力すら失いつつあるリグルは、されるがままに『チャクラ』を奪われていく――。
不意に人影の腕が肩ごと千切れ飛ぶと、リグルの体がふわりと浮き上がった。間髪容れず飛来した四方手裏剣がもう片方を切断し、細長い杭が男の腹部に突き刺さる。ここまでものの一秒もかからなかった。
咄嗟に距離を取り、膝を着いてむせ返る。傍を通りすぎたのは赤い瞳を宿す別の人物で、同じく膝を着いた男の前で立ち止まるのを、リグルは霞んだ視界に映していた。
「貸シテオクニハ惜シイ眼ダ……オ前カラ逃ゲルノハ骨ダナ」
「お前の力ではない」見据えるオビト。「『穢土転生』越しに語るとはな……陰気な奴だ」
穢土転生は自我を奪うと物言わぬ殺戮人形と化す一方、術者の腹話術人形としても機能する。遠隔操作を行える術の性質上、術者本人は手傷を負うことなく敵と戦える上、安全な場所から一方的に話ができる。情報を集める手段としても有用で、人目を忍んで暗躍する場合は影分身以上の性能を発揮する。
「オレニ悟ラセズニオイ付ケヲ……今ノチャクラヲヨク理解シタナ」
「そいつもお前のじゃない。マダラの物だ」
「ホウ?」
「奴と輪廻眼のチャクラを併せ持つのは本人……その眼を宿すお前もだ」
いまだに理解の外にあるカグヤの力、つまり黒ゼツ自身に宿るチャクラは、時空間移動用の印としては機能しない。だがマダラのチャクラなら、昔から直に触れて知り理解している。血筋や外道魔像、柱間細胞など要因は数知れず。安全な場所に潜伏して遠隔操作する、黒ゼツの居場所までは判らないが、制御を受ける転生体の方なら容易に特定できる。
転生体はチャクラによる干渉を外部から受け続ける関係で、その存在を隠蔽できないため、本人のチャクラさえあればどこに居ても探し当てられる。純狐を追う前に紫の境界操作に触れ、体内に名残として流れる六道の力が影響を受けたからか、転生体から感じるマダラのチャクラの中に、黒ゼツの物らしき見通せない力を違和感という形で覚えた。
「オレノ本体ヲ取リ込ンデ便利ナ体ニナッタナ。ナラオレノ居場所モ判ルノカ?」
「まだだ。目星はついてるがな……この場で掴むのも手だが、もういい」
輪廻眼に宿る七つ目の基本瞳術・外道。この術により生成される黒い棒は、チャクラの送受信機としての機能を持つ。棒を刺した対象に術者のチャクラを送り込み遠隔で操ったり、体内で行われるチャクラの練成を阻害させて循環を乱すこともできる。
遠隔操作が可能な転生体は、それ自体が似たような送受信機であり、術者との間でチャクラを常にやり取りし続けている。術者が転生体越しに口を利けるのも同じ理屈だ。転生体が輪廻眼を持つ場合、チャクラを通じた繋がりを利用して、転生体の側から逆探知という形で術者の位置を特定できる。
穢土転生でなくとも輪廻眼を扱える者、扱えずとも超自然的な感知能力を持つ『仙術』の使い手などは、外道の棒を用いて同じことができる。それを知っていたオビトは、僅かな六道の力と、輪廻眼を持つマダラの転生体を利用して、カグヤのチャクラを宿す黒ゼツの居場所を突き止めようとした。時空間移動ができたら後はどうとでもなる。
然るに手間暇を思うと必要性は薄い。その段階は過ぎ去った。厄介な転生体との避けられない衝突、万華鏡の瞳力を限度一杯まで使い尽くすことを考慮すれば、今ここでやれることに注力するのが最善だ。
「あんた――?」
「下がっていろ」
背後で体勢を立て直すリグルを余所に、片手で印を結んだオビト。本人のチャクラと呼応し、転生体に刺さった杭から黒い帯状の模様が腹部を中心に広がっていく。チャクラをさらに込めると動きを止め、黒かった帯が燃えるような赤に染まる。帯は蜘蛛の巣状に散り、胸部に刺々しい『封』の文字が刻印されると力なく頭を垂れた。
呆気ない終わりを迎えた転生体から顔を背けるオビト。一部始終を見ていたリグルが近寄る。
「いやー、助かったよほんと」
「……人妖か?」
「分かってるじゃん」リグルは軽く自己紹介してから、ちらっと背後を振り返った。「なんかごちゃごちゃしてたけど……アレは誰? さっきのは何? ていうかあんた、噂の外来人じゃない? 天狗の新聞で読んだわよ。本人でしょ? こんなとこで何してるの? 趣味とかある?」
「質問の多い奴だ」
里の和菓子屋でレミリアと初めて遭った時を思い返す。歩き出したオビトに小走りで追いつきながら、リグルは爽やかな笑顔を向けている。
「じゃあ一つだけ。蟲たちが噂してるんだけど、ヘンな奴が幻想郷でコソコソしてるって本当? さっき私を襲った奴だったり?」
「何のために襲ったかは判らんがな。お前こそ何をしていた?」
「月光浴。あんたは人間だから知らないかもだけど、月の光は妖怪の力を高めてくれるのよ。すごいでしょ?」
月光と言えばマダラが好む物の一つ。幼少期からの友だった柱間と袂を別ち、大幻術・無限月読による全人類の統一を考えるようになってからは特に、毎晩のように月を仰ぎ見て夢に思いを馳せていたらしい。
この空の下では皮肉なものとしか映らない。うちはと千手が争い合う原因を作り出した張本人、黒ゼツの手により操られていたなど。
「リグルと言ったか……奴に触れた時、何か嫌なものを感じたか?」
「あー、感じた感じた。なんなのアレ? 体の力が抜けてきて、意識が遠くなって……あのままだったら私、どうなってたんだろ」
「死んでいた」
「え?」
陽気に笑っていたリグルの顔が、冷静なオビトの言葉を聞いて凍りついた。
チャクラは生命の源である。人間に限らず全ての生物は、体内のチャクラを一滴も残さず失った場合、体細胞や主要な臓器、脳の機能が完全に停止する。つまり死に至る。先のリグルは生命の理に従い命を落としかけたわけだ。しかし、チャクラを吸い取られるだけならまだしも、死に直結する危険まで生ずるなど、普通に生きていたらあり得ない話だ。
例外の一つが輪廻眼――六道という名の神の力。輪廻眼の行使者にのみ許された六道の術、うち一つである餓鬼道の封術吸引。相手のチャクラを吸い取り我が物とする力だ。チャクラそのものが対象であるため、それを基にする忍術はもちろん、生物の体内に流れるものまで吸い尽くす。前に神威空間で黒ゼツが披露した術だ。ただし、六道の特別な陽の力を用いる、木遁のチャクラだけは吸収できない。それどころか木遁の一つ、木龍の術は餓鬼道以上の吸引力を持つため、押し負けて逆にチャクラを吸い尽くされる。
あの時は弱り切っていた黒ゼツだったが、今や純狐と手を組んで厄介な輩に成り果てている。輪廻眼を完璧に扱えるほど力を高めていても不思議ではない。
「とにかくお前は去れ。危険な輩が他にうろつかないとも限らん」
「人間が命令するなっ」頭を掻くリグル。「……って、いつもなら言いたいとこだけど。そうせざるを得ないかなあ。実際に死にかけた身としちゃ」
普段は夜雀のミスティアと同様、森や山に迷い込んだ外来人を嬉々として狩る側のリグルも、助けてくれた者にまで危害を加えるほど冷血ではない。突然の出来事が重なり混乱した理由もあった。
「いい月夜だったんだけどねえ……んで、あんたは?」
「月へ向かう」
「……は?」
脈絡もなくさも当然のように言ったオビトだが、リグルには戯言にしか聞こえない。目的の輩へ着実に近づいているためか、オビトは動悸が高まっているのを感じた。
輪廻眼の現保有者は黒ゼツと転生体の二人。幻想郷にて感じ取った六道のチャクラは、南東の森の奥地からの一箇所のみだった。通常の感知ならまだしも、今や六道の力で変容した『神威』を併用しても特定できないのなら、現在の黒ゼツは別空間に居るか、あるいは途方もなく遠い場所に隠れているか。黒ゼツや純狐の言葉を考慮した上で思い浮かぶ場所は――。
「……!」
不意に背後から爆発音が鳴り響き、樹々の間を激しい突風が吹き抜けた。
覚えのあるチャクラの接近を感じて振り返ると、先ほど確実に封印を施したはずの転生体が立っていた。腹部に杭が刺さっている。驚いたリグルは跳び上がり、慌ててオビトの陰に隠れた。
(どういうことだ? 何故――)
決して無敵の力ではない神威も含め、全ての忍術には弱点となる穴が必ず存在するもの。穢土転生とて例外ではない。転生体の魂が縛りを解かれ昇天するか、封印するかの二つ。実行したのは後者である。あの杭は相手の動きを止める呪印と封印術式が組み込まれた、対穢土転生用に用意した特別な封印術だ。忍界大戦では実際に試して効力は実証済みだった。しかしマダラの転生体は健在。
封印術を強制的に解除するデタラメな異能の類を、黒ゼツは新たに身につけたとでも、与えられたとでも言うのか。忍界や幻想郷の常識すら悉く破り捨てる輩と、純狐と接触して――。
「キサマ……」
「呑ミ込メタヨウダナ」黒ゼツが笑う。「コノ穢土転生ハ八雲紫ノ境界操作スラ通サナイヨウ性能ヲ弄ッテアル……オレノチャクラモ加エテナ……今ヤ以前ノマダラガゴミト思エルホドダ。コレコソ最高傑作……アノ程度ノチャクラデ止マルトデモ思ッタカ!」
穢土転生には『調整』を施すことができる。あらかじめ術式に細工しておけば、蘇らせる者の年齢や時期を選べたり、蘇らせた後に術や体細胞を後づけして肉体を強化したり、頭部に埋め込んで生前の能力や一定の命令を与える呪印札もその一つ。神威を無力化させた純化の力が想像の通りなら、他の厄介な効果も使いようでは付与できるだろう。
時空間から取り出した四方手裏剣を手に身構える。転生体は虚ろな目で見返した後、印を組み息を大きく吸い込む。
「――舐めるなハリネズミッ! 滲み出す苦にもがき狂えッ!」
「待て!」
咄嗟に背後を振り返るオビト。叫んだのは刺々しい長髪の転生体ではなく、怒声と共に地面を踏み鳴らし妖力を解放した少女。可視化した緑色の妖気を体にまとい、爆発的に膨れ上がった余波が周辺一帯に吹き荒れると、滾った全身を使い飛び込むような勢いで足元に拳を打ちつけた。
隆起した地面が大量の砂利や土煙と共に吹き飛ばされ、地中から現れたのは巨大な百足。砂塵と地響きで足を止めざるを得ないオビトを余所に、生々しく毒々しい色彩の体と無数の足を伸ばして直立し、凄まじい咆哮と共に衝撃波が辺りを駆け巡る。百足は操り手であるリグルの怒号に従い大顎をこじ開け、突っ込んでくる転生体目掛けて溶解液を吐き出した。黄褐色の激流は周りの樹々を腐食させ、疾走しながら術を発動しかけていた転生体を丸呑みにする。
数多の生物を一瞬で溶かし崩す酸と猛毒の波。百足の体躯もあり、溶解液を吐いたという程度では収まらない。
――刹那、察知したリグルが再度叫ぶと、地面を削りながら主の元に移動した百足がとぐろを巻いて壁を作る。原形を保つどころか傷一つ負っていない転生体が、強酸性の霧を突き抜け飛び出してきた。龍の頭部を模った炎が口内より射出され、渦巻く紅蓮が壁となった百足を焼き尽くし、後ろのリグルをも呑み込まんと牙を剥く。
「お前みたいなのに――!」
なおも食らいつかんと掌に黄緑色の閃光を集束させ、迫りくる火竜を前に歯を食いしばるリグルだが、直前に割って入ったオビトの赤眼を直視した瞬間に意識を失い、引っ掴まれると同時に瞬身の術で姿を消した。標的を見失った豪龍火は空中で爆発四散する。
「オレとの因縁だ。手出しはさせん」
視界が晴れた時にはリグルの姿が消え、残ったオビトのみが佇んでいた。動きを止めた転生体の口元が愉快げに歪む。
「安心シロ……カ弱イ有象無象ニナド興味ハナイ」
リグルは写輪眼による幻術で催眠をかけた後、両眼神威による時空間を介さない転移で遥か遠方、霧の湖周辺の森へ直接飛ばして遠ざけた。この場所までは距離がある上、数時間は眠り続けることになる。戻ってくる心配はない。
口寄せされた大百足は樹々ごと消し炭となり跡形もない。写輪眼で見るに妖怪とは違う個体で、術者であるリグルのチャクラで操っていたようだ。それをもとに生成された術なら六道の封術吸引で無効化される。生物の肉や骨を溶かし尽くす溶解液は、塵芥で形成された命なき傀儡には通らない。だが黒ゼツの意識がリグルに集中したおかげでチャクラを練り終えた。
「使イ勝手ヲ試シテイテナ……オレヲ嗅ギツケタノハ褒メテヤル。ダガコイツヲ前ニ今度ハドウ戦ウ?」
「気になるか」オビトが睨む。「前に奴も言ったはずだ。いかなる力も使わせなければ無意味だと。封印術が通るのは判った……輪廻眼さえ封じればどうとでもなる。今回は条件が同じだ」
幸いにも輪廻眼の能力である、六道の基本七通りの術は知り尽くしている。餓鬼道の封術吸引、天道の引力と斥力、畜生道の口寄せ輪廻眼、修羅道の修羅の攻、人間道の吸魂の術、地獄道の獄閻王、そして外道の棒。いずれも対処方法は頭に入っている。問題はこれに加え、純狐が持つ純化の力が作用している可能性。異界の概念に対して、忍界の常識は通らない場合の方が多い。
少なくとも言葉通りの純化なら、転生体が特定の性能を飛躍的に伸ばす分、他の要素は純化し広げた分だけ逆に狭まり、それに伴う弱体化が発生することになる。どの部分をどの程度まで強化したかは不明ながら、純化といえど制限もなしに高められはしないはず。全能でもない限りは勝ちの目も望める。何より黒ゼツが純狐の能力を受けているように、此方も紫の助けを受けている。
「ココデ止メタイノダロウ……ナラ遠慮ナク潰シテシマエバイイ」
生気のない薄紫色の眼光が走る。轟音と共に土埃が舞い上がり、転生体の周囲に生えていた大木が根こそぎ引き抜かれた。術者の意で宙に揺られ、転生体が手をかざすのを合図に、束になった樹々がオビトを狙って一斉に飛んだ。かつて木ノ葉の里に壊滅的な被害をもたらした天道の『神羅天征』を、前方収束型に変換して物体を巻き込んだのだ。
しかしペインの真似事にしか映らない。この威力に加え、物を斥力で飛ばすに止まる生ぬるい攻撃を前に、神威によるすり抜けを行使するまでもない。オビトは飛来する大木を足場にして走り、九本目を躱して両眼分の神威を行使する。
術のインターバルは五秒程度――転生体が最後の大木を飛ばした瞬間、ひずみに巻かれ死角に転移したオビトが、四方手裏剣で転生体の胴体を斬り飛ばした。一秒もかからず攻撃を加えたオビトを前に、転生体は体勢を崩して地に倒れた。
止めの一閃を与える前に、オビトに向けられた転生体の右腕。鋼鉄製の傀儡の腕が形状を変えて回転し、甲高い金属音が響いた。大筒木の支配域より召喚した近代兵器が生身のオビトを狙い、砲筒の発射口が眩い光を集束させる――。
オビトが足裏を蹴る前に目も眩む閃光を撒き散らし、解き放たれた光線がその体を呑み込む。巨大な金色の熱線が一帯の樹々を消し飛ばし、静かな夜空を流星のごとく走る。森は甚大な被害を受け、荒涼とした跡を熱風が吹き抜けた。
丈夫な肉体を有する妖怪でも、所詮は生身。鋼鉄をも溶かす絶大な火力を秘めた兵器の前では忽ち塵と化すだろう。人の身であるオビトなら直撃して命があるはずもない。
――輪廻眼を御する黒ゼツでさえ、オビトの瞳力を危険視している。これで終息するとは思っていなかった。砂煙を両断して現れたオビトが手裏剣を投擲し、再度構えられた砲筒ごと体を地面に縫いつけると、発動した左眼神威が右半身ごと砲筒を削り飛ばした。僅かに逸れて千切れ飛んだ右手首から上が宙を舞い、爆発して細やかな金属片が降り注ぐ。
隙を突いて封印の杭が今一度、転生体の胸部に打ち込まれた。再び浮かび上がる『封』の焼印。
「やはり……」
二度目も無駄だった。杭を制御するチャクラの流れに乱れが生じた。封印を押し退けた転生体は胸部の杭を引き抜いて立ち上がり、次の手を思案するオビトに向き直る。
効力が実証された対穢土転生用の術が通用しない。マダラの転生体は純化の力で改造され、封印術すら弾き返す特別仕様に変えられているのか。今の状態ではどう手を尽くしても止まらない。
(奴が手助けする分……厄介さはカブト以上か)
術の特性上、チャクラで動かす仕組みは変わらない。チャクラを送信し操っている術者を抑え込み、受信体を不安定な状態に陥らせた上で、あらためて封印を施す。そのためには転生体ではなく、黒ゼツ自体を何とかしなければ駄目だ。マダラの輪廻眼とチャクラを持つ以上、幻術で操り解術させる手は使えない。
「コンナモノカ」黒ゼツの声が響いた。「サテ……次ハドウスル? トビ」
思わずオビトは目を疑った。あれほど派手な力を振るった直後なのに、転生体は術の印も結ばず真正面から突っ込んでくる。背中の団扇を抜きもしない。四方手裏剣を手にしたオビトは、両眼にチャクラを込めつつ地面を蹴った。
六道の術など今さら通用しない。振るった刃が転生体の首に触れた、ちょうどその瞬間だった。脇腹に不可解な衝撃を感じ取ったのは。
(なッ……!)
何が起きたかも理解できないまま、オビトの体は真横に吹き飛ばされた。樹木の幹に全身を強打し、激痛のあまり呼吸が止まる。
湧き上がる吐き気に耐え、体勢を立て直すも視界がぼやけている。先ほどの力は並大抵のものではない。咄嗟に身を翻さなければ衝撃が深々と入り込んでいただろう。純狐との戦闘で負った傷は完治したが、純化の影響は拭い切れていない。
呼吸を乱すオビトを見ながら、転生体は不気味に揺れている。
「何だ、今のは……?」
「ソノ眼ハ節穴トイウコトサ」術者を代弁する転生体。「……忘レモシナイ。オ前ハ自ラノ意思デ相手ト物理的接触ヲ持ツ時ハ体ガ実体化スル……攻撃ノ瞬間ヲ見計ライ……オ前ノ意識ノ外ヲ狙ッタダケダ」
此方の攻撃に合わせた反撃。木ノ葉のダンゾウの部下であるフーとトルネの二人組と一戦を交えた、かつての記憶を思い起こす。あの時と異なるのは、両眼が揃い神威も基本瞳術も十二分に扱えること。瞳術の使用に抜かりはなかった。
「……姿は『洞察眼』で捉えていた。動作は完全に……」
「無理モナイ」転生体はにやりと笑む。「コノ眼ノ本来ノ持チ主デハナイノダ……オ前ハ。トハイエオレモ……試スマデハ半信半疑ダッタガナ」
「その眼――」オビトはすぐに気づいた。「万華鏡と同じものを……固有の瞳術を」
写輪眼を持つ者は、最も親しい者の死を体感することで、脳内のチャクラが変異を起こす。それが視神経に反応して生まれる力が――否、変容した力が万華鏡写輪眼。開眼者は天照や月読、神威などの名を持つ固有の能力を使えるようになる。この過程はオビトとカカシも共に踏んでいる。しかし、写輪眼にはさらに先の段階が存在する。
永遠の万華鏡写輪眼――通常の万華鏡は酷使するほど眼に負担がかかり、最後には失明をもたらすが、この眼はどれだけ酷使しても永遠に光を失うことはない。開眼者は戦乱の世ですら稀有で、忍の歴史上でもマダラやサスケなど数人しか確認されていない。
――そしてさらなる先に輪廻眼がある。写輪眼が行き着く至高の瞳力だ。六道仙人の息子である大筒木アシュラの陽、インドラの陰のチャクラを宿したうちは一族の者のみが、死への恐怖を乗り越えて初めて開眼する。開眼者の数は言わずもがな。ちなみにカグヤとサスケが持つ『輪廻写輪眼』は輪廻眼の本来の姿である。
この眼も万華鏡と同様、開眼した者は固有の瞳術を得るのだが。
「だがそいつは……」
痛みに表情を歪めるオビトを黒ゼツは鼻で笑い、暗い薄紫色の眼に夜空を映した。
「利ヲ得ラレナケレバ……誰ガアンナ輩ト組ムモノカ。トビ……オ前トテ己ノ利ニナルト考エタカラ……アノ戦争デ薬師カブトト組ンダノダロウ」
輪廻眼は十尾を復活させて無限月読を完成させるために必要だった。故に偽物マダラとして暗躍を始める前、本人から輪廻眼について事細かに聞かされていた。マダラの固有瞳術が具体的にどのような力かは教えられなかったが、行使するための条件は知っている。それは行使者が「生きていること」。現状に疑問を抱かざるを得ない理由だ。
穢土転生は生前の能力を再現できるが、輪廻眼には例外として、使用不可の制限がかかる瞳術がある。輪廻眼の固有瞳術である。全ての忍術の始祖である六道仙人の力は、穢土転生を含め忍界に現存する、あらゆる忍術の上位に君臨する唯一無二。下位に位置する術でその力を再現し切れないのは自明の理だろう。それを死人の体で使用できるのなら、純化の力はその制限を解除したことになる。
「コノ地ノ連中トオ前ガ束ニナッテカカロウガ……オレニ比ベレバ天地ノ差ダ」
再び迫った転生体を前に、ふらつく体で構えを取るオビト。
左眼が相手を捕捉し空間に渦を形成する。動きを奪わんと発動した神威は逸れ、渦の端に捉えた左腕を千切り飛ばした。痛みも意識もない傀儡は顔色一つ変えず、残った右腕でオビトの首筋に攻撃を仕掛ける。反射的に四方手裏剣で受けようとするも、黒ゼツの狙いに気づいた時には遅く、今度は背中に強烈な衝撃を受け、口内にさび臭い液体が逆流した。
「諦メロ……オ前ヲ照ラス希望ナド何処ニモ存在シナイ……全テヲ投ゲ出シテ楽ニナレ」
息苦しさと共に片膝を着き、地面に大量の血が吐き出される。勝ち誇ったような冷たい声が、むせ返ったオビトの耳元に入る。
かつて敵対した数多の忍の姿が、くぐもった声を聞いたオビトの脳裏によぎった。
――心底くだらないと思った。大切なものの亡い世界でのうのうと生きることに、何の意味があるのか。何を得られるというのか。
失われたものにこそ意味があった。それを奪う世界など偽物でしかない。偽物の世界で生き延びることに意味はない。友も、家族も、恋人も、現実で生きている限り、全てが偽物でしかない。
「……笑わせるな」
そんな中でも、誰もかれもが希望という言葉を一心に口にし、『ホンモノ』の世界を拒絶し抗い続け、最後までこの現実を信じて死んでいった者がいた。生き延びて現実を掴み取った者がいた。かけがえのない友の力――彼らの手をしっかりと握り返した今なら、それがはっきりとわかる。
終わりなき無限に心の穴を満たせるものなど、何一つ存在しないことを。オビトは口元の血を拭う。
「無限の夢など現実には勝らん……誰一人として諦めを口にせず……このオレが立ち塞がる限り……キサマが見たがる世界なんぞ生まれやしない……忍界にも……この世界にも」
「ナラ望ミ通リ幕引キダ。オ前ノ無価値デクダラナイ幻想ニ」
「オビトッ!」
どこか聞き覚えのある、しかし忘れかけていた声が、黒ゼツの言葉を押し退けて入り込んできた。風を切る羽、月夜に別の輝きが交ざり、迫り来る転生体との間を隔てるように小さな姿が飛び出す。
金色の瞳を燃やす少女を凶刃が狙うも、地面を蹴ったオビトが前に立ち塞がり、転生体の猛攻を真正面から浴びた。オビトは凛とした眼で転生体を睨んでいる。
「誰の死体も跨ぎやしない。オレはトビでもマダラでもない……ただ一人の木ノ葉の忍、うちはオビトだ」
炎のように揺らめく壁が、体を貫かんとした凶刃の侵入を防いでいる。
両眼が時空間のひずみを形成し、再度攻撃を仕掛けようとした転生体の胴体が真っ二つに裂かれた。腕をもぎ取られ、上半身まで切断された転生体は、やむなく攻撃を中止する。
黒ゼツは呆気なく引きを決めた様子だった。転生体は土を突き破り現れた木棺に呑み込まれ、ゆっくりと地面に沈んでいくと、やがて跡形もなく消えた。