THE LAST PHANTASM -OBITO- 作:大兄貴
地上と月を繋ぐために必要なチャクラの量に比べたら、穢土転生体との戦闘で消費した分など微々たるものだった。僅か五秒間に亘る空間の維持ですら底を尽きかけたことで、全身の細胞に著しい負担と消耗を強いられた。カグヤの異空間で両眼を行使した時のように。今は右半身の恩恵で徐々に回復しつつあるが、瞳力が十二分に戻るまでは多少時間がかかるだろう。
空間の穴を展開し、無事に月の都へ侵入できたのは、幻想郷の住民達の支えが大きかった。当初は独りの力で道を開こうと図っていたが、皆の力添えによりチャクラを分け与えられたおかげで、命繋いだまま都の地を踏むことができたのだ。
「来てやったぜバカ巫女! 兎に捕まるなんぞ情けないったらないな?」
穴の先には牢が並んだ寂しい通路。魔理沙は穴から降り立つなり開口一番、牢に閉じ込められている霊夢に「よっ」と快活に笑いかけた。その奥には紫の姿も確認できる。
霊夢は目を瞬いて檻に近づいた。驚きを隠せないのも頷ける話だ。視界にある何もない空間に、渦を巻くような歪が前触れもなく生じて、開いた穴からレミリアと咲夜、魔理沙にアリス、さらに鈴仙と、見知った面子が次々と潜り抜けてきたのだ。
地上と牢とを繋ぐ穴は間一髪、最後にオビトと妖精が潜り終えた直後に閉じた。
「……現実かどうか疑ったわよ。なんであんたたちが?」
単独で訪れるならともかく、大人数で月の結界を越える場合の手段は限られる。月へ到達するには霊夢の知る限り、大筒や羽衣を使うか、満月の夜に実と虚の境界を踏み越えるか。その要となる神降ろしや八意永琳、紫が居ない以上はいずれも使えない。幻想郷中を血眼で探し回れば他にも見つかるだろうが、都の収容施設に来てからほんの数刻、しかもこの場所をピンポイントで探し当てるなど並の業ではない。
口元に黒い欠片を付着させている霊夢。魔理沙が突っ込む前に口を開いたレミリア。
「『ごっこ遊び』とはいえ、夜の王たる者を破った巫女がこんなザマじゃ、こっちが恥ずかしくなる。それが気に食わないから、遠路遥々来てあげたってわけ。跪いて感謝するのね」
「頼んでないっての」霊夢は視線を逸らす。「……って言いたいとこだけど、今回ばかりは安堵したって感じ。堅物石頭とか、さっきの桃マニアなんかもだけど、面倒な奴がごろごろしてるわけだしね。私らだけじゃどうこう――」
霊夢は言葉を切ると、一行の奥に佇んでいるオビトの姿を捉えた。忽ち悟ったように瞼を瞑る。
「……そう。こいつらに手ェ貸してくれたのね。礼言っとくわ」
「オレにも目的がある」オビトは牢の中を確認する。「お前らが居るってことは……都の奴らは例の文書を今も信じ込んでいるのか? 永琳の弟子とやらは、都でも高い地位にある輩らしいが」
「依姫がね。だから厄介なのよ」
月の都の実質的なまとめ役である綿月姉妹。うち妹の依姫は軍の司令塔で管理全般を一任された軍総監。豊姫は(サボりは多いが)影から彼女を補佐する、言うなら参謀のような立ち位置にある。二人の影響力は絶大であり、彼女達の一声で玉兎の軍隊や月の使者、都の奥深くに位置する『月の城』の賢者をも動かすほど、双方共に都では相当の権限を有している。どちらかと言うと漏洩すべきではない、都の機密に類する情報だが、事態が一刻を争うとの判断により鈴仙が密かに明かした。
剣術の達人で頭のキレもよく、神降ろしなる異能を自在に扱い、さらには真面目で禁欲主義的な性格と、一見すると完璧超人と思われる依姫にも致命的な欠点がある。彼女は八意永琳という、都でも優秀すぎた師に月の統括者としての指導を直々に受けた過去があり、姉と共に個人的な親交もある関係で、依姫はその厚い信頼から、恩師の言葉を一切の疑いを持たず信じ切ってしまう面があった。
鈴仙曰く、永琳が輝夜と共に地上へ亡命した際、彼女を裏切り者と判断した月の王『月夜見』が依姫に討伐命令を下したのだが、当の本人は色々と理由をつけて月夜見の命令を放置している。恩師が僅かでも絡むと人が変わり、都の内情に私情を持ち込む傾向にあるのだ。
今回の手紙の件も同様で、依姫は永琳の言葉を一貫して信じ抜いている。独断で霊夢を躊躇いもなく一方的に捕縛し閉じ込めた理由だ。黒ゼツなる未知の余所者に恩師が掌握されているとも知らず、信じようともせずに。
「来てくれたのはありがとさん。けど私らはこの通り……今あんたらと居ても足引っ張るだけ。連中が戻ってくる前に出た方がいいわ」
「なんだなんだ、いつものお前らしくないな? こんな棒くらいぶっ壊して――」
魔理沙は発光する檻を叩いたり、引っ張って隙間を抜けようとしたが、案の定でびくともしない。二人を縛る組紐に類する物が使われているようだ。
八卦炉で霊夢ごと吹き飛ばすわけにもいかず、どうしたものかと四苦八苦する魔理沙の横を、オビトは黙って通り抜けた。すり抜けの前では檻などお飾りに止まる。それを見た魔理沙がヒューと口笛を吹き、レミリアの方は何故か不機嫌な貌になった。
「こいつは……」
自力で引き千切れない紐が自由を奪い、檻が逃げ場を完全に失わせている。通常の紐なら言わずもがな、切れないどころか形状自体を変えない厄介な代物だが、須臾の力が実体に触れて初めて働くなら、神威で物理的な接触を回避すれば何の問題もない。
ちなみに実体から分離した霊体は『霊魂』の類とは異なり、人の形を成すだけの『影』も同然なので、組紐の効力が幽霊や亡霊、怨霊を縛る物でも干渉は受けない。
「フェムトの組紐」紫はオビトを映す。「……穢れをもった者には認識できない、須臾の繊維で作られた物よ。現存する紐や縄でこれほど強固な物はないわね」
組紐が『空間』の支配下にある『物』として存在する以上、空間を歪めて引き千切る神威なら手段として数えられるが、集中力を要する繊細な作業である上、二人の身にも危険が及ぶ――否、それ以前に紫や鈴仙の情報通りの物なら、試したところで無駄に終わる可能性もある。仮に神威で処理できるとしても、この状況で手を出してしまえば騒ぎを広げ、都における二人の立場がさらに悪くなる。
「ソレを解けるのは?」アリスが檻の外から問いかけた。
「……解くということは、須臾に逆らうも同義。扱い自体はその辺の兎にもできるけど、取り除くにはあの姉妹辺りを説得しないと駄目ね。歯がゆいわ」
類似品は八坂の注連縄。一切の穢れや不浄を寄せつけない神具とされ、生死の概念を持つ者は干渉できないとされる。この組紐を行使し解除できるのは月の民のみであると、紫は初めから解っていたのだ。
「とりあえずこっから出て、動き回りながら対策とか色々考えようぜ。力が使えるんならなんとかなるだろ?」
「ならないわ」はっきりと否定する霊夢。「さっきも言ったけど、今の私らじゃ足手まといになるだけ。そんなに甘くないからあいつら」
「オイオイ、斬首にでもされりゃ洒落にならんぞ」
「いつの時代よ。ヘンに勘繰るんじゃないっての。都の連中は殺生を避けたがるから、罪人つっても滅多なことじゃどうこうされないわよ。捕まえた本人と動機があんなだし。重罪って扱いにもなってないしね、現状」
「今の状況で脱獄だの、不要な混乱まで起こすのは愚かね。動くのは私たちだけで十分」
組紐を面白そうに眺めて挑戦的に笑むレミリア。捕縛された博麗の巫女や境界の妖怪を前に得意げな貌である。
「都は地底並に広いわけだし、時間的効率と戦力を考慮して二手に分かれましょう。事件の黒幕を探して潰す側と、石頭の依姫を説得して憐れな咎人を解放する側。合流もありでね」
「誰がよ。無実だっつーの」
「どうかしら? ぞろぞろ大勢で動くよりはマシだと思うのだけど」
「……分散させて大丈夫なの? そりゃ面倒なのは一部の奴くらいだし、束になってかかる必要性は薄いだろうけどさ」
唐突な提案を不安がる霊夢だが、レミリア本人は誇らしげに胸を張っている。振る舞いは完全にリーダーである。この状況にすら愉悦を感じるようだ。
「万一を補う意味でも、この中で一番強い私と、咲夜を各々の組に加えてバランスをとる……霊夢に代わって兎たちを上手く統率してくれる? 咲夜」
「お任せを」
「つまりどうなるの?」鈴仙は些か呆れている様子。
「うちの咲夜と小妖精、白黒と人形遣いと兎の組。もう一つは私とオビト。私の強さを考えれば妥当な組み合わせでしょう」
「偏りすぎでしょ! わたしもそっち入れなさいっ!」
強気を取り戻した妖精の異議申立て。いつもの偉そうな貌で「残念ね」と上品に笑うレミリア。
「あなたの上司は咲夜で、咲夜は私の従者。全てを決める権限は主人たる私にあるのよ」
「権力濫用じゃない。このオニめ」妖精は頭を垂れる。
「メイドならお嬢様とお呼びなさい」
「組み分けはどうでもいいが……オレは奴を追うつもりで赴いた」
檻の外で盛り上がるレミリア達や霊夢を余所に、牢の奥で一人紫と向かい合うオビト。相変わらず掴みどころのない笑みながら、今の紫から胡散臭さは感じられない。
「どう? 探す当ては」
「イヤ……まだだ。奴のチャクラは必ず見つける」
チャクラの居所を探り当てる感知能力。右半身を介して全身の経絡系を巡るチャクラには、柱間の体細胞や仙人化を経て獲得した仙術チャクラも含まれる。忍界における三大秘境の仙術を自在に扱える者には及ばないが、この力を利用した仙力感知なら通常の物より精度は高い。遠距離特化の『左眼』の瞳力に乗せて使えば、感知の範囲も広がる上、ある程度の遮蔽物や非物質障壁も視通せる。己の物と符合しないチャクラの持ち主でも、居場所など忽ち特定できるだろう。普通の輩が相手なら。
感知範囲を左目で都のほぼ全域に広げてもなお、黒ゼツのどす黒いチャクラを感知できず、特定には至らない決定的な要因が存在する。地上や表側に潜伏して機を待たずとも、月で何かしらの事を起こすために、初めから堂々と都に入り込み手間暇を省ける都合の好い力だ。答えは『ゼツ』が持つ特殊能力。
――他者のチャクラを複製して取り込み、その姿形や声帯、チャクラをも完璧に真似て成り代わる高度な変化。
神樹より生まれた白ゼツ、分離した木遁は元よりチャクラを取り込む性質を持つ。僅かな歪みやムラもない同質のチャクラ体と化すため、周りや宿主にすら気づかれない。万華鏡写輪眼でも看破できぬほどだ。チャクラを通り越して本人の『悪意』をも感じ取る、超人的な感知能力を持つ者でもない限りは、月の民に扮した黒ゼツを捉えるのは不可能と言える。
成り代わりの術は白ゼツの能力だが、元は白黒ゼツとして人造体の半身と化していた黒ゼツも同じ物を内包する。神威空間で紫に見破られるまではこの体にも身を潜めていた。月人達が目を光らせる場所で使わない理由はないだろう。
ちなみに同じ能力は此方も使用できる。忍界で『マダラ』を名乗っていた頃は、右半身として体に植わる白ゼツの能力を自ら使い、事前に複製していたマダラのチャクラから本人の声帯を再現して同じ声を出していた。そして『マダラ』の正体を隠す時は、もう一体の人造体であるグルグルを右半身と融合させて体を貸し与え、お調子者の『トビ』として自由に振る舞わせたりと。
その結果として、金髪の爆弾魔から足技や爆発を食らったり、とある湖近くの茶屋で団子を食する破目にもなった。
「それより今は……そいつだ」
黒ゼツの行方は重要だが、別の意味で厄介な物が目の前に。理由は組紐の性質やこの状況もある。後先を考えるなら今ここで手を出すのは賢明ではない。
「お前らの置かれた立場もある。濡れ衣と言っても、しかし――…」
「見かけによらないわね」紫はくすりと笑う。「アナタの気持ちは嬉しいけれど、私のことなら心配は無用よ。今回ばかりはあの吸血鬼に同感ね」
オビトが口ごもり、騒々しい檻の方へ顔を向けた時、紫は僅かに視線を落とした。
表情には出さない彼女らしさは失われずとも、一世界を管理する者として現状に何も思わぬはずがない。その想いは「ごめんなさい」という包み隠さない言葉として露呈した。
「外来人のアナタに押しつけてしまった。これじゃ私もまだまだ、ね」
「なら言っておくぞ」紫の視線を捉えるオビト。「オレはお前に巻き込まれたわけじゃない。守りたいのはお互い様だ」
「『守る』、ね」小さな呟き声。「そんな体になってまで。アナタなりの想いがあるのね――うちはオビト」
紫はそう言うなり、オビトの右手をとって目を閉じると、手の甲にそっと口づけする。温かみが肌を伝い、体の中に流れ込む不思議な感覚。館で皆の支えを受けた時と同じ。
組紐で縛られた手を離すと、今度はにっこりと明るい笑み。
「今の私にも、できないわけじゃないわ。役立たずなんて言わせないわよ? 今のあの子もね」
檻の外でレミリアと会話する妖精に目を向ける紫。不可解な表情で紫を見るオビトだが、妖しげに笑うだけで教えてはくれない。
レミリアの甲高い声が聞こえる。背に刻まれた『うちわ』の模様を、深い赤色の瞳が静かに映していた。
――◇◇◇
中華風の大きな街を囲むように建物や住宅地が無数に立ち並ぶ都。田園の外側に永久不変の深い森が鬱蒼と茂り、森を挟んだ外側には砂浜と大海が広がる裏の月。人や妖怪数人の姿などちっぽけに映るだろう。
二人の牢を後にした一行。余計な混乱を避けたいのは事実だが、侵入者の身で騒ぎを起こさず動くなど、月の都においては至難の業だった。
最初に入り込んだ建物は収容施設。警備は非常に厳しく、上階へ出た途端に警報が鳴り響き、火縄銃らしき武器を手にした大勢の玉兎が押し寄せ、早速の臨戦態勢となった。未踏の地故に時空間移動が使えない上、地下施設は通路や複雑な回廊が多く、脱出に手間暇をかけざるを得ないのは必定で、負傷者が出る可能性も否めなかった。
しかし不思議にも、施設の外に出るまで誰もが無傷だった。玉兎は弾一発当てられないまま侵入者達を逃がしたのだ。オビトやレミリアによる影・霧分身、鈴仙の波長操作を駆使した囮と撹乱、魔理沙の閃光弾やアリスの起爆性人形、咲夜のナイフによる足止めなど、場をかき回して相手側を散らすには過剰とも言える数々が功を奏したのだ。その中でもオビトは弱り切っていたはずが、苦もなく軽々と玉兎達を欺きながら一行に混じっていた。
「――意外と余裕そうね。力を分けて損したじゃないの」
施設を脱した辺りで咲夜達と別れた後、月の民で溢れる都市部を避けてレミリアとオビト、そして妖精の三人は、静かな郊外と田園を抜けて森に入っていた。牢で紫と会話した後、オビトが妖精も入れるようレミリアに提案したのだ。
二人に並んで翼を羽ばたかせるレミリア。妖精も心配そうにオビトを見ていた。背後からは警戒用に出したオビトの影分身がついて来ている。
「……オレも驚いている」
道を開いた際にチャクラを大量に消費した体では、あの軍勢を躱して収容施設を無傷で早々に脱するなど、少なくともオビトには骨が折れる。感知だけならともかく、戦闘の最中に両目の瞳術、影分身を満足に使用できるほどチャクラが安定している現状を、不思議に思わざるを得なかった。
体を流れるチャクラに言い知れぬ違和感がある。チャクラの量とは無関係な何かが。自身の物とするには慣れがないのに、どこか符合するような、何らかの力が外部から体に作用しているようだ。
「そうだな――何か知っているか? お前は」
「え、なあに?」
突然の問いかけに戸惑う妖精。順を追ってきちんと説明せず唐突に、独り言のように尋ねがちなオビトの性格には、やはりマダラやサスケとも似通った部分が見受けられる。
「あれだけ乱れていたチャクラが、急に安定して練られるようになった……あの場をああも簡単に突破できるとは思わなかったんでな」
「この私のおかげじゃない?」
得意げな貌で割り込むレミリア。影分身を問題なく維持できる現状が腑に落ちないのだ。単純にチャクラ量の問題なら、柱間細胞の回復力で説明がつくとしても、心身の負担や消耗に際して、術を発動させるための要件は他にもある。
影分身や神威に限らず、術を行使する分にはチャクラの量や質も重要だが、十二分に扱うには心身の安定具合が関係してくる。チャクラが不安定な状態では、高質なチャクラをどれだけ内包しようと、術一つまともに行使できない。奇しくも真逆の現状を視るに、何らかの力が精神エネルギーを司る『心』の部分に作用し、結果として一定の安定性をもたらしている――そう考える方が自然なのだ。
妖精はしばらく考え込んだ後、少し自信なさげな表情で「あのね」と切り出した。
「生きものって、自然の中に居るとリラックスして、心が落ち着くものなんだけど……たぶんそれが関係してるのかなって」
「知ってるわ」レミリアが欠伸混じりに言う。「森林浴ってやつでしょう」
「どういうことだ?」
「なんていうか……ほら、わたしって妖精じゃない? 数ある種族の中でも、一番自然に近いというか、自然の化身なんだけど……アレよ、要はわたしがアンタの近くにいるから、安らげてるんじゃないかなって。だから『ちゃくら』も安らいだり」
妖精の説明を聞いたオビトは、稗田家で目を通した『幻想郷縁起』の記述を思い出した。
大自然の物や現象が生命体として具象化した存在が妖精。それは樹や草花などの自然物質だったり、雨風や雪などの自然現象だったり、暑さや寒さなどの自然環境でもある。
この妖精は山に棲む花精として、草花や森とは切り離せない。自らの近くに居る者の――妖精の様子からして、本人も無意識のうちに――心に触れて精神に作用し、チャクラの安定化を助ける。自然の権化たる妖精が持つ特有の力。自然の力そのものという話なら、自然エネルギーや木遁、ひいては仙術や柱間細胞との親和性も否定できない。
「私は何も感じないけど? 傍に居るのは同じだけど?」
「分からないけど……だって興味なさそうだし、そういうの」
「失礼ね。森林浴くらい嗜むわよ。たまにだけど――というか私に言えるなら、そこの人間はもっと縁遠そうじゃない」
自然の香りで人の心を落ち着かせる。この部分はオビトも理屈として解っただけで、心や感情に絡めた意味までは理解できなかった。偽者マダラとして忍界の闇を生きていた時間が長すぎたが故なのか。
当初は小さな案内人に過ぎなかった妖精が、チャクラを安定化させる特別な力を本当に持つのなら、この場では心強い存在として映る。施設で追っ手や障害物を突破できたのも本人は無自覚ながら、彼女の助力によるものだったのだ。
「なら妖精。あらためてお前には、バックアップを頼みたいが……」
「うん、全然いいけど……なんだか違和感があって」
「……?」
「たとえばその、『妖精』って呼び方とか」
「違和感って、名無しの『妖精』でしょあなた。どう見たって『妖精』でしょう? 『妖精』以外の何者でもないわ。『妖精』以外なんて認めないよ」
「なんでよっ!」
紅魔館でメイドとして働く個体を除けば、妖精は悪戯したり人や妖怪の真似事をするだけの弱小で下等な種族でしかない、というのがレミリアの認識だった。この妖精が少々変わり者であるだけだと。
レミリアのからかいで不機嫌になるも、思いついたように表情を戻した妖精。
「そうよ――ちょうどいい機会。わたしにピッタリで素敵な名前、いい加減に考えてほしいなー。ねえいいでしょ、オビト?」
妖精と初めて出会った際、他者から付けられることに意味があるとして、名前を付けてほしいとせがまれていたオビト。遠い昔のように思える出来事は探せば沢山ある。
「カカシ」
「イヤよ、そんな畑に突っ立ってそうなのっ!」
「リン」
「……かわいい感じはあるけど、ピンとこないのよねえ」
「ミナト」
「それはネーミングセンスが……」
「ナルト」
「麺類の具材みたいなのは……酷くなってない?」
「サスケ」
「えっと――?」
「マダラ」
「もう、ちゃんと考えてよー!」
「いいわねえ、あなたたち。愉快だわ」
名前を付ける感覚や基準を知らないオビト。本人は真面目ながら不真面目にしか映らない。都の侵入者とは思えぬほど和やかなやり取りに、さすがのレミリアも笑みをこぼさざるを得ず。
これまでの異変でも、全部が全部クソ真面目に動いていたわけではない。色々な人や妖怪と、色々な場所でお喋りしながら、面白おかしく臨んでいたものだ。むしろこのノリの方が幻想郷らしさがある。
此度はごっこ遊びに依らない、懐かしき吸血鬼異変に類するケースの事件。無血で対等な規律に縛られない争いごとは、レミリアとしても結構好きだった。
「……来たか」
然るに月の都において、和やかな場面など長続きするはずもない。
背の高い樹々の間を飛び進んでいたオビトとレミリアが同時に振り返る。影分身の背後、暗い森の奥から迫る高速のチャクラ体。森の中に響く発砲音と共に影分身が消し飛び、兎耳を生やした制服姿の少女達が暗闇より現れた。長い鉄身の銃を抱えている。
枝から飛び降りるオビトに続いて、レミリアも地面に足を着けた。妖精は驚いて木陰に隠れると、追跡者達を恐る恐る窺う。青や赤など様々な髪色の玉兎が六人ほど勢ぞろい、侵入者一行を睨みつけている。
戦う気満々な様子だが、控えめに言っても脅威を感じられず、一戦を交える気すら起こらない。オビトが無視して先へ進もうとすると、慌てた玉兎の一人が「ちょっと!」と足を止めさせる。
「兎の追っ手が何か用? 追われる側でしょう、あなた方は。身の程を知りなさい」
「うるさい! 追う側でいいのっ!」
呑気に喋るレミリアを、玉兎の一人が憤慨したように指さした。
「よくもまあ『何か』だなんて――余裕ぶってんじゃないよ、この愚かしい地上人っ! いいですか、豊姫様のご命令により、これよりお前たちを拘束します! 神妙にお縄につきなさい!」
「使い古された言葉しか紡げないの? 退屈な雑魚に興味はないよ。兎鍋にされたくなきゃ逃げ帰りなさい。脱兎のごとく無様にね」
現役の軍人でも所詮は実戦経験不足の玉兎。強気な言葉を現実に変えるほどの力は持たない。長い爪をチラつかせるレミリアの威圧を前に、玉兎達は怯えて後退を余儀なくされる。純粋な妖怪としての力や格は吸血鬼の方が圧倒的に上と本能的に理解させられたのだ。
レミリアの言葉通り、今にも脱兎のごとく逃げ出したいのか、台詞に反していずれも目が泳いでいる。そんな状況でも逃げを選ばないのは命令があるからだ。上の命に逆らう道など彼女達にはない。オビトとレミリアに銃口を向けながら、なおも脆弱な地盤で交渉を続ける他ないのだ。
「思ったより迫力が……」
妖精が玉兎達に注意を向ける一方、オビトは『豊姫』という言葉に注目した。レミリアが意味ありげに目配せする。
綿月豊姫。天真爛漫でお転婆な女性だが、隠れた思慮深さは生真面目な妹をも上回る。追っ手が放たれた以上は侵入を感づかれたと見なせるにしても、綿月の命令で差し向けられた割に戦力がお粗末で数も少ない。
玉兎達をぶつけた理由を聞き出すか、捕まえて吐かせるのも一つの手か。オビトは「ちょうどいい」と呟いて一歩進み出る。
「お前らに訊きたい。豊姫とやらはどこにいる?」
「……はあ? 豊姫様? なんでよ」
銃口を向けたままきょとんとする玉兎。標的が口走る発言にしては的外れである。
「此度の間違いを正すのに、奴と話をつける必要がある。お前らなら知っているはずだ」
「いや、意味わかんないし」無理やり笑う玉兎。「ていうかあんたさ、この数を前に余裕じゃない? ピンチの中で吐ける台詞じゃないでしょ」
「ふうん。今すぐ『ピンチ』にすれば、喋ってくれるってことね?」
「止せ。戦う必要はない」
足裏を蹴りかけたレミリアの腕を掴んで制止する。「なによ?」と子供っぽい顔で抗議するレミリアから、再び一番前の玉兎に視線を移す。感情に任せた衝突はできる限り排するべきだろう。
姉妹へ送られた文書の真実。この場で話すだけなら簡単だ。問題は全員を納得させる程度の物言いが、果たして侵入者風情にできるのか否か。言わずもがなだろう。侵入者の捕縛のために赴いた連中に話など尚更に通じるはずもない。仮に説き伏せ信じたとして、侵入者からもたらされた不確かな情報を、下っ端にすぎない玉兎が言い分として上に提示したところで、都の上層部がまともに聞き入れるとは思えない。敵に唆されたと鼻で笑われる辺りが関の山だろう。上に影響力を持つ者、可能なら高い地位に就く者と話す方が手っ取り早い。特にこの玉兎のような、人の話を聞かないタイプの者が相手では。
下っ端相手でも一国が絡む以上、本来なら腰を据えた真面目な交渉に臨むところ。交渉とは対等の立場で行うものであり、此度のように片方の一存である場合、相手と話し合える程度の手札を揃える必要がある。玉兎達は怯えを隠せないでいるものの、何もせず侵入者を対等とは見なさない。必要なのは抗える立場の提示だ。
「あなたも甘いわね。どうする気?」
「オレがやる。お前が手を出すまでもない」
侵入者の身で分かりやすく歯向かう者ならまだしも、さすがに敵意や殺意を持たない人間一人を相手に、玉兎達も簡単には行動に移さない――というよりも、オビトの目を直視した玉兎が一人、また一人と順番に倒れ、五人は引き金どころか銃を手放してしまった。
残ったのは選ばれた六人目の玉兎。瞬く間に形勢が傾き、何が起こったのかを理解できず、玉兎は銃を構えたまま沈黙している。ちなみに掛けた幻術は、目玉焼き作りを八雲紫によって延々と強要され続ける夢。
「眠っただけだ。すぐに目覚める」
写輪眼を解いたオビト。強気な態度を剥がされた玉兎は地面に座り込み、一変して弱々しい表情を浮かべる。主導権を握り話ができる状況には持ち込めたようだが、青い目だけは反抗的に細まっていた。レミリアの方は腕を組んでやり取りを眺めている。
「都を転覆させようと謀ってる……そう言われても納得ね。妖怪ならいざ知らず、こんな人間が地上に居たなんて」
「どう受け取ってもいい」オビトの静かな言葉。「初めに言っておく。オレや幻想郷の奴らは、都を侵略しに来たわけじゃない。その逆だ」
「……逆、だって?」
「本当に滅ぼすべき輩が都に居る。止めるには誤解が解けなければ始まらない」
非友好的な側として対峙する玉兎に危害を加えないのは、優しさや情けからでも、情報を引き出すためでもない。彼女達が綿月姉妹の誤解の下に動いているからに他ならず。この場で何も考えずまとめて処理したとして、黒ゼツの思うつぼとなり、迎えるべきではない最悪の結末しか残らない。
警戒を解くどころか強める結果を自らの手で引き寄せたのも、人の身では長すぎる十数年もの年月をマダラとして過ごして、散々と遠回りしてきたツケだろうか。
「馬鹿ね。豊姫様や依姫様が嘘吐きだなんて、月人の私が信じると思う? 余所者の侵入者風情の言葉を鵜呑みにすると?」
「そうは思うまい。嘘吐きなどと」
「……どういう意味?」
「提示できる証拠はない」オビトは続ける。「信じるかどうかはお前が決めればいい。長々と時間をかけるわけにはいかない……多少手荒な手段を講じる覚悟も、とっくに決めてある」
敵意の有無だけで引き裂くのは浅はかだが、今さら生易しい方法で聞き出す余裕はない。玉兎の性格や立場からして一筋縄ではいくまいが、いざとなれば写輪眼で無理やり吐かせてでも、豊姫の居場所を知る必要がある。今も忍界で平穏を過ごしている、あの少年と同じ物を手に取ることは、マダラとして生きた者には望めそうにない。
暫し沈黙した後、玉兎はオビトの視線を捉えて「いいわ」と呟いた。呼吸は落ち着き、オビトとレミリアを怖れている様子も見られない。
「あなた方を止める力はない……私にはね。ならあとは上に任せるのが正しい判断。そして私は月の民として、あんたらを信用なんてできない。当然でしょう?」
腰を上げてオビトを見返す少女。妖精は事態の終息を感じて木陰から姿を現し、レミリアの方も退屈そうな様子で近づいてきた。
三人を改めて見つめた後、玉兎は銃を背中に戻す。
「私は月の民で、そっちは地上の民。信じるわけにはいかない。あんたらが捕まるのを祈ってもいる。あの方が酷い目に遭わせてくれる……そう願ってすらいるのよ」
「それでいい。あるべき姿だ」
「おかしな人間ね、あんた――」玉兎は目を見開いた。「――…っと。その必要もなくなったね、どうやら。手間が省けたのはあんたも同じだし、精々感謝しなさいよ。あの方に」
妖精はすかさずオビトを見た。本人は目を瞑り黙している。
「地上よりお越しのみなさん。ごきげんうるわしう」
でたらめな声が響いた。金髪の女性は黄色い扇子を手に、木陰から姿を見せる。
目的の人物は『純狐』と同じように、オビトやレミリアの意識を掻い潜り現れたのだ。