THE LAST PHANTASM -OBITO- 作:大兄貴
大気の薄い月の都の本当の姿が常夜の世界であるように、生死の概念が薄く穢れのないところも地上とは異なる。そんな中に放り込まれた地上の民など、白い花畑に一輪だけ咲く黒い花と同じ。穢れ孤立した者達を探し出すのは容易い。
郊外の森でオビト達を見つけ出したように、彼らと別れた者達もまた、月の追っ手を前にしていた。
街外れで人通りの少ない広場にて。魔理沙、アリス、咲夜の三人の行く手を塞ぐのは、騒ぎを聞いて駆けつけた玉兎の隊。数は軽く二十を超え、白い兎耳に制服とスカート、お馴染みの火縄銃を一様に引っ提げている。
物量は圧倒的だが、数に物を言わせる程度で縮まる力の差ではない。玉兎は軍人ながら形だけで非常に脆く、幻想郷に住む人妖や人間の有力者には遠く及ばない。たとえば魔理沙なら、スペルカードと純粋な戦闘のいずれの手段を講じても、数秒もあれば軽く片づけられる相手である。
故に当の侵入者三人は、余裕の表情で向かい合っている――はずだった。厄介な人物が先頭に立っていなければ。
「入り込んで早々こいつが出張るかあ……ついてないな、ホント」
普段は飄々とした性格の魔理沙が、額に汗して愚痴るのも無理もない。遭遇した追っ手達の連絡を受けて、僅か数秒後に姿を現したのは、玉兎の軍隊を束ねる月のリーダー、綿月依姫だった。
身の丈ほどの太刀で足元を突き、燃えるような真紅の瞳が三人を映している。そんな彼女を守るように取り巻くのは、錫杖を手に笠で顔を隠した法衣――綿月家に忠実な三人の使い。統率者たる依姫に伴って地上へ赴き、霊夢と紫の連行に直接関与した面々だ。銃を構えた逃げ腰の兎とは違い、魔理沙達を冷静に観察している。
ちなみに魔理沙と咲夜は顔見知りだが、依姫とは初対面の人物が一人。目にかかる金髪を払い、「アリスよ」と落ち着いた口調で挨拶した。動きかけた玉兎達を制止して、依姫は厳しい表情を見せる。
「ご丁寧にどうも……お人形のように可愛らしい方ですね。熱しやすいあなたとは、相性が悪く思えてしまう」
「あー? そりゃ私がコイツよりイケてないって意味か? 生意気じゃないか、堅物ヤローのくせに」
「挑発に乗らないの」咲夜は呆れ顔でたしなめた。
「些か驚きました」依姫は目を細める。「よもや三人だけで『都』に乗り込むなど……少なくとも千年前と同じ軍勢か、妖怪賢者や巫女の姿を期待したのですが――…どちらも牢の中でしたか」
「馬鹿にしやがって……」
怒りに震える魔理沙。八卦炉を握り締め、今にも飛び出しそうな勢いだ。
代わりに咲夜が一歩前に出ると、依姫を見つめて冷静に口を開いた。
「侵略者。今の私たちの行いを見れば、そう思われても仕方のないこと。けれど確かな真実はある……我々の世界を脅かす、不逞の輩を追い詰め仕留めるためなら、この程度の誤解なんて安いものよ」
「語るのは自由ですが」依姫は微笑する。「この状況では戯言としか受け取れない。信用に足る証拠が提示されぬのでは論外。ましてや赤の他人の不確かな言葉など……あなたもそれは重々承知しているはず」
「口頭では付入る隙もないわね」と、アリス。
「あーくそっ。めんどくさいな、立場ってのは――道理やら論理やらお堅くてイラつくぜ。こんなときにどこ行ったんだよ、あいつは」
お情けか気まぐれで話程度は聞きそうな姉ならともかく、堅物で真面目すぎる性格の妹が相手とは場と運が悪い。正義感の塊とも言える彼女の前で、野蛮(と思われる)な地上人が侵入者という不利な立場のまま居続けるのでは。やはり文書の件が障害となっている。それでも万に一つ、元部下である鈴仙の話なら、お堅い性格の依姫でも少しは耳を傾けたかもしれない。
――『あいつ』とは鈴仙だ。肝心の彼女がこの場に居ないのだ。逸れたのか逃げたのかは定かではないが、玉兎達の追跡を避けて街を移動する間に消え失せてしまった。よりにもよって役立ちそうな機会を前に姿を晦ませるとは。
「どうするの? 徒に場を長引かせるのは気が進まないし、これ以上引っ張られても困るのだけど」
歯噛みする魔理沙とは違い、依姫には微塵の焦りの色もない。
選択肢は三つ。進展しない交渉を性懲りもなく続けて、助っ人の登場に期待するか。大人しく拘束されて牢にぶち込まれ、霊夢達と仲よく救出を待つか。あるいは依姫の軍勢を力づくでねじ伏せるか。もちろん魔理沙はいずれでもない。
「チィ……どーするもなにも一つしかないだろ。私らの話なんか聞く気ないんだろーしな、お前ら」
「分かってるんでしょうね?」咲夜の落ち着いた声。
「トーゼン。私は正気だ」
烏合の衆である玉兎は無視するとして、問題は依姫の方である。霊夢や紫すら足元にも及ばぬほどのデタラメさだ。前回の月旅行には不参加だったアリスはともかく、魔理沙と咲夜は彼女の力量に触れた経験がある。しかも完敗に帰した当時、依姫は力の底など見せなかった。真正面から挑んで勝てる可能性は全くの『ゼロ』でしかない。だから殺し合いをする気はなく、かといって投降するつもりもない。他の者に頼るのも格好悪い。
実力差は歴然たるものだが、魔理沙は飄々とした笑みを崩さない。八卦炉を高々と掲げると、自信満々な表情で依姫に突きつけた。
「いいか」にやりとする魔理沙。「私だって遊んでたわけじゃない。あれから色んな異変で、色んな馬鹿と戦ってきたんだ。昔の私ばっか見て、いつまでも前に進まないようじゃあ、今度こそ大火傷しちまうぜ!」
要するに勝ちの目さえ出せばいい。ルール無用の血生臭い戦闘で勝てないのなら、自分達の得意とする『幻想郷』なりの方法で挑めばいいだけのこと。地上において勝者とは常に美しいものだ。
「また大きく出たものね……文字通りに。あなたの言葉と威勢のよさに、身につけた力とやらが付随するのか否か。好い方に祈りましょう」
「好き勝手言うねえ。時代遅れもいいとこだ」
はた迷惑な永夜が終わりを迎えてからも、様々な異変が幻想郷に降りかかった。魔理沙はその度に黒幕を退治して解決に導いてきた一人だ。
産業と技術革新にご執心の迷惑な神々に始まり、心を見透かす覚や天照らす地獄烏、近江の鬼に緋想の桃娘、大船の魔法使いや仙術の長耳聖人、最近では表情豊かな付喪神や捻くれ者の天邪鬼など、一癖も二癖もある輩を悉く打ち倒してきた。かつての戦いもとい弾幕勝負で得たもの全てが今を形作っている。何も知らない依姫の高慢ちきな物言いは的外れにも程がある。
帽子を手で押さえながら、つばの下から依姫を睨みつける魔理沙。月旅行から帰って以降の軌跡を知らなければ、向こうの言葉は全て跳ね返り突き刺さる破目になる。
「今の私なら簡単さ――あんたらを前に堂々と胸を張んのはなっ!」
「ハードル上げてどうするのよ……」
超がつくほど前向きな魔理沙に呆れるアリス。燃え滾る士気を受けた玉兎達が臨戦態勢に入ったため、咲夜と二人で仕方なく構えて軍勢に対峙した。魔理沙は底抜けに明るい笑顔で「依姫ェ!」と声を張り上げる。
「お強いあんたなら、私らと同じ土俵で闘っても負けないよな? 前と同じルールでやってもらう!」
「懲りない人間ね。でもまあ……あれからどこまで成長したのか、試すのも一興かもね」
「そうこなくっちゃな。私らが勝ったら色々聞いてもらうぜ。上の連中への口利きも合わせてな」
「いいでしょう」依姫は即座に了承する。「ついでに、あなた方を見逃すと約束します。今後一切手を出さない上、あの二人の身柄もお返しします。ただし私が勝てば――問答無用でお縄です。条件を呑みますか?」
「上等だ。その舐め腐った鼻っ柱、へし折って泣かせてやる」
この場で重要なのは勝敗を決すること。戦いの形式など何の意味も成さない。遊びでも殺し合いでも、勝負ゴトならどちらも結果に変わりはない。力づくではどう足掻いても勝てない相手に、対等な決闘方法である『弾幕ごっこ』を提案した魔理沙は賢明かつ、幻想郷らしい選択を行ったと言える。
依姫は「持ち場に戻りなさい」の一声で大勢の玉兎を撤退させ、取り巻きの使者達を背後に下がらせるなり、得物を抜いて軽く払う。曇りのない白銀の刀身が、三人の姿を鏡のように映した。咄嗟に身構えたアリスが、魔導書のページを捲って大量の人形を周囲に召喚し、咲夜は銀のナイフと懐中時計に手を触れた。
「前の私と思うなよ」八卦炉に眩い光が集束する。「いくぜ――『ダブルスパーク』!」
半人半霊以上に卓越した剣技。斬り合い勝てる道理はない。そもそも刀剣など手元にはない。とどのつまり斬らせなければいい。そう思いつつ大声でスペルを宣言する。気だるそうに太刀を構える依姫目掛けて金色の光線が二本、星型の光弾を撒き散らしながら直進した。
自らを呑み込まんと迫る光を暫し眺めた依姫。早口で何かを呟くやいなや、眼前に迫った光線は急に屈折して方向を変え、捻じ曲がった『ダブルスパーク』が流れ星のように常夜の空へ消えていく。
「ありゃ?」魔理沙が首を傾げる。「今のはやったと思ったんだがなあ……」
「何が出るかと期待してみたら……前と同じ手とはね。光は水に劣るってこと、忘れたの?」
「オイオイ、刀は斬るためのもんだ。弾くなんて頭おかしいだろ?」
「どちらもハズレ」依姫は何気なく言う。「石凝姥命の霊装。霊威『八咫鏡』の輝きは、穢れに満ちた光を祓う。この刃はあなたの心をも丸裸に映しているわ」
十八番の魔法をいなされてもなお、余裕の表情で依姫を眺める魔理沙。古めかしい巫女服姿の女性が背後霊のごとく、円形の鏡を胸に抱いて浮かんでいる。綺麗な顔立ちに澄んだ黒い瞳は、見つめるだけで心奪われるほど美しい。
じっと見惚れていた魔理沙が我に返った。美しさを競う勝負ゴトの最中にあるまじき失態だ。
「悪しき色はいつの時代も、塗り潰される運命にある。あなたのことよ」
「そうかい。なら心配するこたぁない」
魔理沙とて前回の勝負を忘れたわけではない。同じ札で勝てる相手ではないのも重々承知している。次の手は打っていた。
「生憎だがね」魔理沙は飄々と笑う。「私らは正義のヒーローだ。悪を討つのはたぶんこっち側さ。シュート・ザ・ムーンってな」
重ねられた皮肉を聞いて眉を動かす依姫。パチンと指を鳴らすと同時に、白黒に光る魔法陣が魔理沙の足元に展開する。間もなく夜空より無数の光線が枝分かれしながら降り注いだ。眩い光を撒き散らして標的を狙う。
依姫は素早い剣捌きで次々と退ける。竹箒に跨り迫る魔理沙の姿を鏡の太刀が映した。八卦炉を推進力に爆発的な速度で空を走り、金色の尾を引く姿は彗星のようだ。至近距離に迫ると竹箒を蹴り捨て、驚いた表情の依姫に八卦炉が向けられる。手加減から始めて勝てる相手ではないのだ。
「『ファイナル・マスタースパーク』!」
大きな建物を楽々呑み込む規模の極太光線がゼロ距離で炸裂。全身全霊の魔力は圧倒的な火力をもたらし、周囲を焼き尽くしながら直進した。威力故の残り火が街の方角へ向かうも、傍観していた使者の一人が錫杖を鳴らすと、光線は再び逸れて空へ消える。
静かに動向を見守るアリスと咲夜も、桁外れの熱量と旋風を前に目を開けられなかった。本人の強気な態度も嘘ではないようで、永夜異変や月旅行の時とは比べ物にならない膨大な魔力を肌で感じた。
並の妖怪が相手なら勝負は決しただろう。しかし魔理沙は見落としていた。あれから時を刻んだのは彼女だけではない。綿月依姫は月の姫でありまとめ役としての地位に君臨し、厳しい肉体と精神の鍛錬を日々重ねている。正反対の日常を過ごす者とは符合しない部分の方が多く、十数年程度しか生きていない身では到底追いつけない先にいた。
「なるほど」
勝利を確信した魔理沙だが、依姫は真正面から受けながらも無傷で煙の中から現れた。衣服に付着した土埃を払い落とし、八咫の太刀を手に微笑を浮かべて。都の玉兎曰く『最強の月人』なる呼び名は伊達ではない。
「――『ドラゴンメテオ』!」
大声と共に新たな魔法陣が展開され、全員の頭上を漂う魔力の残り火が数多の星に変化して地表を打つ。
彼女の前ではそれすらもお遊びに過ぎない。かつて静かの海に降り注いだ星よりは幾分か眩いが、徒に主張して目立つだけの性質は変わり映えしない。大気の薄い月面において星は瞬くべきではないのだ。
「地球の星はやはり脆い」依姫は太刀を構える。「――天照大御神よ。その聖なる燈明を以って、災禍の灯を祓え」
依姫に迫っていた星々は忽ち霧消する。魔理沙の放った紛い物の光を上塗りしたのは、この世で最も明るいとされる光。本来の輝きを宿した星が、主である依姫を取り巻いている。
白銀の刀身に魔理沙の追い詰められた表情が映る。太刀の切っ先がゆっくりと地面に突き立てられる――その瞬間だった。世界が凍りつき静寂に包まれたのは。
太刀の切っ先を見つめる依姫も月の使者も、魔理沙もアリスも石像のように動かない。そんな中で素早く依姫に接近すると、銀のナイフを大量にばら撒いて身を翻した咲夜。一連の作業を終えるなり二人の元に戻り、指を鳴らすと時は動き出す。
「『リターンイナニメトネス』……敗走バージョン。煙玉って言わないで」
目を丸くする依姫の傍には鋭利な刃物の大群、そして一体の可愛らしい人形まで。申し訳なさげな表情のアリスが依姫達を見ている。
時すでに遅し。三人が地面を蹴って飛び上がった直後、地上から物凄い爆音と七色の煙が朦々と立ち昇った。
――◇◇◇
「――だから言ったじゃない、分かってるのかって。空返事は敗北を招く上に、命取りにもなるってことよ」
薄暗い街の上空で、咲夜は呆れた様子でそう言った。魔理沙はむすっとして「時間稼ぎは大勝利だろ」などと言い返している。逃げてきた方角からは、相変わらず綺麗な色の煙が昇っていた。人体に有害な成分は含まれていないが、咳き込みまくって喉を傷めたかもしれない。
格好つけて『時間稼ぎ』とは言うが、完全なる負け犬には変わりない。弾幕ごっこの勝負に敗れたばかりか、約束を破り逃走する結果となったのだ。それでも相手が相手だけに、見方を変えると賢明な判断と言えなくもない。相手との力の差も理解できず、身の程知らずにも潰しにかかる三下と比べたら。
「考えてもみろ」魔理沙は汗を拭う。「あいつらは悪だの好き勝手言うが、私らは何も悪くないんだぜ、そもそも。むしろ何の義理もない、クソどーでもいい連中に、ご丁寧にも警告してやったんだ。感謝してほしいってもんよ。希少な魔導書の化石とか、茸料理のフルコースでも振舞うくらいの礼はほしいね。まったく」
「まあ一理あるけど」と、アリス。「事情を知らないとはいえ、無実の罪を着せられるのはね。でも逃げたのは不味かったんじゃ? あの依姫って人、見た感じ相当なものよ。あんたの全力を軽々と反射したり……」
「霊夢と同じ『神降ろし』ね。その辺は同感」そう呟いたのは咲夜。
「前回はよく生きて帰ったわね、二人とも。皆は口を揃えて『遊び』って言うけど、弾幕勝負って平気で負傷者や死人も出るじゃない? 普通に考えたら平和的とは程遠いでしょう、アレは」
弾幕ごっこ。力ある妖怪の存続に必要なルールありきの決闘法。幻想郷で発生する問題の無血で平和的な解決方法、という言い方のみでは勘違いしやすいが、この遊びは争いのない完全なる平和を実現するための決まり事ではない。
妖怪達の居場所を大結界により外部から隔離し、外界の『常識』による侵食から救い出した結果、その存在が衰滅を迎える最悪のおそれは回避された。しかし元来、妖怪とはその力をもって争い合う生き物だ。争いを失くしては力を失い、妖怪達の衰退を招いてしまう。それが隙を生んで血と汗を流した大事件こそ『吸血鬼異変』である。
けれども妖怪達の力は強大だ。普通に力をぶつけ合えば秩序が乱れ、幻想世界の崩壊に繋がる。外界に呑まれ妖怪達の存在も消えるだろう。かといって方向性をぐるりと変え、元々が人間を襲う生き物だからと欲に任せて人を食らえば、今度は互いの均衡が崩れ自らをも危険に落とす。いずれも同じ結果にしかならない。
平和を成すには争いが必要だが、争いの中に平和はない。妖怪としての力を振るいながら、力なき人間とも対等に争える方法。血生臭い『戦い』ではなく、勝敗や優劣を決する『闘い』。過去の怠惰と過ちから学んで考案された物こそ命名決闘法で、妖怪達はそれに従い『異変』を起こし、巫女を始めとする人間に解決をさせる。これこそが幻想郷の正しい在り方なのだ。
要するに弾幕ごっことは、自分達の理想郷を存続させ、平和ボケしないよう考えて作られた規律と言える。
「まあな。こっちなら尚更だ」
この遊びが絶対性を持つのは幻想郷においてのみ。天界や魔界などの異界、月の都や忍界にしても同じだが、幻想郷の外にそのような縛りは存在しない。依姫のように律儀に相手のやり方に合わせたり、あるいは人々の間で好まれ流行るなど、いくつかの例外があるくらいである。
依姫の場合はごっこ遊びに不慣れなためか、互いに撃ち合い魅せ合うというより、とんでもない数の技を一方的に叩きつけてくる。八百万とはいっても、実際には星の数ほどあるので、彼女に札や弾切れという概念はない。八百万でも十分を通り越しているが。
それでも穢れを生む殺生は、月では忌み嫌われる。遊びであれ殺し合いであれ、此方がどう歯向かおうと命までは取らないだろう。
「主な理由が三つ。私らを捕らえる気がなかったのと、手加減しやがったのと、降参できたのと――でも今回に限っちゃあ、降参なんか論外だ。全部終わっちまうからな。だから賢い最善の方法を採ったんだ」
「ものっ凄い不格好だったけどね。向こうの立場なら目を逸らしてたと思う」
咲夜は容赦なく言い放った。勝ちの目の出ない勝負に挑むほど魔理沙は愚かではない。勝てると踏んだから挑んだのだ。月人との約束事を面と向かって破るなど、見た目に似合わず破天荒で豪快なレミリア辺りなら好みそうだが、常識人に分類される咲夜やアリスが進んで同調するはずもない。相手が都の頂点たる一人だとしても。
「その場しのぎは後が怖いものよ。特にああいう――」
突然に言葉を切るアリス。当然と言えば当然の流れだが、怖れていたこと、もとい怖れていたものが煙の方角から飛んでくる。数は三つで、速度を上げても徐々に追いついてくる。
魔理沙とアリス、咲夜は互いに目配せすると、仕方なく降下を始めたのだが――。
広大な街の景色が瞬く間に消え去り、気がつくと波の音一つ聞こえない浜辺に立っていた。突然の出来事に戸惑う三人の前に、先ほどの使者達が浮き出るように現れた。統率していた依姫の姿はない。
先頭の一人が笠を脱いだ。凛々しい顔立ちの女性で、長い黒髪を一本に結っている。
「綿月様のご命令により、あなた方を拘束します。どうか大人しくしていただきたい」
「またお堅いのが出てきたな」魔理沙は八卦炉を構える。「やっぱ来たか……追っ手。で? なんでアイツはいないんだ?」
「地上の娘っこ風情、俺らだけで十分ってことだよ」
もう一人が冷たく言った。脱いだ笠を投げ捨てると、目つきの悪い乱暴そうな顔が現れた。最後の一人は動きを見せず、金色の錫杖を手に沈黙している。三人を観察しつつ咲夜が口を開いた。
「この『静かの海』に移動したのは、街中での被害を避けるため? ついでに騒音なんかも」
「あーそうさ。相手が娘っこだろうがな、死の臭いをまとった奴らとの悶着なんかで、都を穢すわけにゃいかねーんだよ。俺らはな、野蛮なお前らと違ってピュアなのさ」
「ぷっ……あれでピュアとかありえんだろ。雨の中で殴り合いとかやってそうだし」
「――んだとコラァ! 面で中身判断すんじゃねーぞって、親と先生と誰々に教わらなかったのかァ!?」
笑いを必死で押し殺す魔理沙に憤る月人一名。錫杖がバチバチと音を立てた。
「とにかく」咳払いする女性。「月と地上の関係を規律する第二項に基づき……地上よりの侵入者が同行を拒否した場合、強制的に捕縛して連行する。素直に従っていただけると、血を流さずに済むので助かるのですが」
「さっきのやり取り見てたんだろ、訊かなくもいいってわざわざ。それにあんたらもわかってるから、都に影響のないここに運んだんだろ?」
魔理沙は馬鹿馬鹿しいという表情で使者達を睨み、目つきの悪い使者がフンと鼻を鳴らした。錫杖で足元が突かれ、鈴を転がすような音が響く。
「女子供を傷つけんのは気が進まねーが、法に従うんなら仕方ねーよな。痛い目に合わせてやるか」
「無傷で捕らえるように。それが命令です」
「向こう次第だ」使者が笑う。「ありきたりな台詞は要らねえ、ちゃっちゃと終わらせんぞ。誰一人逃がすなよ」
女性が「やむを得ません」と呟いた瞬間、乱暴な使者ともう一人が咲夜と魔理沙を個別に狙い飛び出す。二人は咄嗟に錫杖と打ち合い、そのままの勢いで空へ舞い上がると、広大な静かの海の方角へそれぞれ散っていった。
浜辺に残ったのはアリスと月人の女性。とりわけて冷静な二人が向かい合う。
(さてと……)
此方の人数は三人、向こうも同じ。見事に分担できたおかげで戦いやすい場が整った。一対一に邪魔が入らない方が本領を発揮できる。
都側から捕縛せよと命令が下されている以上、それに従う忠実な部下を説得したところで時間の無駄。対等な交渉材料を探すには遅すぎる。弾幕ごっこを排した、しかし幻想郷らしい実力行使で突破口を探す他ないだろう。
輝く銀の糸で上海・蓬莱人形達を踊らせ、月人の視界を大量の人形兵が覆っていく。
七色の光が満ち満ち、網目状のレーザー弾幕が射出された。四方八方から降りかかる光の雨を、月人の鋭い眼が捉えている。
「質の良い魔力ですね」月人は錫杖を構える。「月の女神の名の下に、そのお力を与え給え」
本人を覆うほど大きな花が月人の頭上に出現し、突風と共に金色の花弁を散らした。花弁はレーザー弾幕を弾き返して人形兵を迎撃する。アリスは指先を不規則に動かして絶え間なく光弾を発射するが、月人を護る花弁が片っ端から包み込み、散る度に迎撃が勢いを増していく。人形兵は着実に数を減らしていった。
全ての花弁が散っても、すぐに新たな花を咲かせた。攻撃を防ぐほど顕著な変化を見せている。傍から見ると弾くだけだが――。
(アレは……吸収している?)
花弁が光線を包む度に魔力の粒子に分解して吸収し、本体の花が生長する糧となるようだ。生半可な力は栄養として取り込まれるだろう。
どこぞの門番とは違い体術など心得ていない。あの人妖も連れてきていたら――と、アリスは若干後悔しつつ、魔法使いには相性の悪い相手と結論づけた。だがアリスは人形師であり、魔法使いより人形遣いとしての面の方が強い。操り手は前になど出張らないものだ。
目線の先で月人が人形を次々と撃破する中、右手薬指を動かしたアリス。
「これは――?」
錫杖の動きを止めた月人。人形達が一斉に弾幕攻撃を中断した。
「同じ手だけど、同じではないわ。喝を入れてあげる――『魔操・リターンイナニメトネス』」
本人の呟きを合図に、芸術ではない方の大爆発を起こすと、月人は浜辺に吹き荒れる虹色の爆風の中に消えた。某芸術家の青年なら思わず歓喜しそうな光景だ。何の因果か彼女も造形師である。
奇襲は好かないアリスだが、戦闘の最中に敵の逃げ場を封殺し、確実に隙を作るのは得意分野の一つ。服装以外は容姿に差異のない人形達の中に上海、蓬莱という別属性の人形を一体混ぜたところで、爆薬入りの物を見分けるなど、余程の洞察力でも持たない限りは不可能。ゴリアテの内部を見透かした人間なら判らないが、今回の相手は特別な瞳力など持たない。
火薬には一定量の魔力を練り込んであるとはいえ、爆発は魔力と関係のない衝撃破の四散。爆薬とを見分ける手段でもなければ、やり過ごせるはずもないが。
「絶えず猛攻を仕掛ける人形を囮に……器用な方ですね。驚きました」
「こっちも同じよ」目を丸くするアリス。「丈夫な種族なのね、月人というのは」
起爆人形に仕込んだのは、ごっこ遊びが通じない未曾有の異変に備えて改良に改良を施した、純粋な戦闘に用いる高性能爆薬。殺傷力を持つ武器としては割と自信作だったが、両袖が焼け焦げているだけで月人は火傷一つ負っていない。足取りも軽やかに、巨大な蓮の花をまとい近づいてくる。
「私自身は丈夫でもありません。対魔術師用の戦い方を採っただけです」
「魔術師用?」
「『魔法使い』は強力な遠距離型の攻撃手です。腕次第では安全圏から相手を一方的に叩くことも可能ですが、戦いにおいて絶対的優位性までは持ちません。手がないわけではない」
「知っていたのね。私たちのこと」
「魔力の緻密な操作を必須とする魔法使いは、聡明で器用な者が大半を占める。それ故に意識を術に向けている間は、本体の方は無防備になる者がほとんど。とりわけあなたのように――」
「――人形遣いはその傾向が顕著、ってことね」
弾幕はパワーなどと声高に叫ぶ白黒魔法使いとは対照的に、人形遣いは魔力を物質や現象に変換してぶつける力には特化していない。アリス自身も性に合わない戦い方だ。
人形遣いは魔力の糸を複数の魔力体に張り巡らせ、事細かに動かす術に長けている。繊細な作業がほとんどで、普通の魔法使い以上に集中力を要するため、本体の方は隙が生じやすくなる。糸を用いず自律させて動かす場合はさらに。七曜の属性を宿した『賢者の石』を自在に操るノーレッジは例外の一つに数えられるが、彼女には持病の喘息に伴う魔力と体力不足という致命的な弱点がある。誰しも欠点を抱えているもので、完璧と言える魔法使いや魔女など、本場である魔界にすら多くない。
阿求が編纂した書物の内容によると、曰く「戦うなら本人を狙うと効果的」のようだ。
「けれど……今のあなたと、その戦い方とやらに、いったいどんな関係があるの? 攻撃を防いで守るだけじゃ勝てないわよ」
「元より勝敗が目的ではありません。我々の役目は一つ、あなた方全員を捕縛すること。情けをかける気は毛頭ありませんが――今一度問いましょう。我々に従いなさい」
月人の頭上に浮かぶ蓮の花が物騒な輝きを帯びている。この状況で情など皆無だろう。
都からは距離的に遠いとはいえ、穢れが生ずる事態は避けたがる。月界に座する王や女神の意に従うのなら猶更に。任務を確実に全うすべき使者にとって、反抗の意志を示す地上人は障害でしかない。月人は少しばかり公平公正に傾いた発言をしただけだ。立場が逆でも同じ姿勢を貫いただろう。
「飽きたわ。その文句」
それでもアリスからすれば、素直に従ったところで問題は払拭されない。むしろ黒幕達の思うつぼとなり、今以上に事態の悪化に繋がりかねない。都は真なる侵略者に踊らされているのだから。
「色々な意味で本気は出せないけど、できる限り全力で駆除させてもらう。陰気臭い誰かに影から踊らされるなんて――私はもう、死んでもゴメンなのよ」
内部の仕込みと循環する魔力の勢いを爆発的に増大させる。さらなる改良を施した巨大な人形兵が轟音と共に降り立つ。
後がない状況こそ弱点以外の何物でもない。本領は発揮できても本気には至らない、未完成の武器を用いてどこまで戦えるのか、それは本人にも予測できなかった。