THE LAST PHANTASM -OBITO- 作:大兄貴
神威空間。広義的にうちは一族、狭義的には万華鏡写輪眼の使い手、正確には万華鏡の固有瞳術・神威を行使する者にのみ干渉を許された、特殊な専有空間。
専有空間と共有空間の意味はそもそも逆だ。専有という言葉に嘘はない。うちは一族の中でも最強と謳われたうちはマダラでさえ、専有空間を扱う権利者にはなり得ない。力の強弱やチャクラの程度は無関係に、同じ瞳術の使い手が他に存在しない場合、権利者の許可が下りなければ干渉できない。空間の定義に根本から差異があるからだ。
同じ神威の使い手という例外を除けば前例は皆無。誰にも邪魔されない独占的な場所で、現実空間から隔絶された特殊な時空間だった。当事者以外からの干渉が発生する可能性を解りやすく例えるなら、忍者学校の新入生が輪廻眼を相手に無傷で圧勝するようなものだ。少なくとも独力で入り込める者など、忍界においては大筒木カグヤを除けば存在しない。
それがここにきて――もう一つの可能性が浮上するどころか、『当事者』と化した少女を目の当たりにした今では確信せざるを得ない。神威に通ずる何らかの異能を行使できること、カグヤと同等かそれ以上の精度を誇る空間干渉能力を持つことを。神威空間に干渉できたという事実を。奇抜な恰好にも何かしらの秘密があると思わせた。
(馬鹿な。そんなことが……)
疑問は抱けど否定するのは逃避でしかない。神威空間は夢や幻でも仮想世界でも何でもない現実世界だ。見通せない謎の術(輪廻天生の術である可能性が高い)と何者かの謀により、浄土に在った魂が輪に巻かれる前に呼び戻されて蘇った事実から、これ以上の不測の事態が発生しようとも、今さら気にする必要はないのだろう。
生き返った『うちはオビト』としてはもちろん、かつてのトビやマダラとして暗躍していた頃でも驚愕は隠せなかっただろう。空間に開いた黒い裂け目を椅子のように扱い、上空から此方を見下ろす不気味な人物を前にして。
「並の時空間忍術ではないな。オレの神威に共鳴して、ここに入り込む輩がいようとは……いったい何者だ? キサマは」
白狼天狗やミスティアの例もある。物腰柔らかく語りかける理由など、外見が幼いだけでは見出せまい。
「大げさね。ただの可憐な少女よ? 名前だって普通の女の子。八雲紫」
「……うちはオビト、だ」オビトも名乗る。「『ただの』、なんて言葉は当てにならん。お前のその力、オレたちの世界では異常だ……それともこっちでは『常識』、とでも抜かす気か?」
「こっち? 幻想郷のことかしら」
紫と名乗った少女は、見かけによらず妖艶に口元を歪める。聞き返しても表情は動かず余裕は失われない。
「まあ、違うのは――私が大結界と幻想世界の管理者たる妖怪、ってところかしらね」
大結界とは妖精が口にした博麗大結界だろう。年端もいかない容姿の少女が幻想郷という異界の創造主――それを聞いたオビトの目が鋭く細まる。
第一印象としては、確かに胡散臭さは満天。「世界をぶっ壊す」などと安易に宣う、見かけ通りの子供のような物言いをしているかのようだが、原則一切の干渉を許さぬ別空間に侵入した事実を思うに戯言とは切り捨てられない。
相当な実力者には違いない。それも「この土地の妖怪達が紫により管理されている」という話なら、力も格も他の追随を許さないと解釈できる。一見すると無防備と思われる姿にしても、ミスティアとの一件のせいで嫌でも再認識させられたのだ。外見は相手を判断する指標になり得ないことを。
少女の余裕の笑みは気がかりだが、現状では何の情報もない以上、迂闊に行動を起こすのは賢明ではない。神威空間では特に。
幸いにも話の通じる人物ではあるようで、話す機会を与えるかのごとく黙して目を向けている。
「まあいい。お前が手練れだろうが関係ない。ここに侵入した件にしても、類似する何らかの力と結論づけるしかない……今はな」
「そう?」少女は上品に笑う。「でもでも、人のことを言えるの? こんな便利で心地いい場所を創り出せる人間なんて、聞いたことがありませんわ。食糧の保管庫とか、ゴミ処理だとか、色々と有効活用できそうだし。羨ましいわね」
多少は驚愕の色を見せるだけで、余裕の表情は崩さない。真意を探るも読み取ることは叶わず、時が経つほどに謎は深まるばかり。
椅子にされた裂け目の奥に見え隠れするのは、何を示すのかも判らない無数の赤い瞳。絶えず瞬き続けて止まない。睨み返しても消えることはない。
「紫と言ったか。オレはお前が思う通りの余所者……外では死んでいた人間だ。単刀直入に訊くが、この地にオレを生き返らせたのはお前か?」
「違うわね」即答する紫。「死人に命を吹き込む力も理由も、必要もないからねえ。この場所をこうして訪ねたのも、アナタの空間と現実空間との『スキマ』を弄っただけ。模範解答を知る本人が居さえすれば、難解な計算式は使わなくて済むものね」
「やはり空間操作の類を……」
空間だの隙間だの言い方が不明瞭で、手札を暴露し尽くしたとは言い切れないとはいえ、あっさりと答えるばかりか保有する能力をも呆気なく明かす始末である。真偽はともかく与える情報量は少なくないようだ。
「……瞳力もなしにねじ込むとはな。奴らに続いてお前のような……厄介な力だ」
見知った忍どころか人でもない、白狼天狗なる未知の生き物に始まり、次いで早々に出遭った面倒な二人目は瞳術殺しの夜雀、三人目は神威に干渉する能力を持っていた。偶然との言葉で片付けるなら、運に見放された遭遇の連続である。
異様なチャクラと雰囲気を漂わせる人物の正体は、形容できない何かに覆い隠されて見通すことができず、底知れぬばかりで理解に至らない。何者でどんな力を持つのか判らないはずが、住まう世界が違うとすら思わせた。そして紫は何故か「ありがとう」と口にする。
「普段は立場上、お褒めの言葉を頂ける機会も相手もなくてね。素直に受け取っておくわね」
言動は怪しいが大規模な結界の創造、神威空間への干渉を涼しい表情でやってのける輩だ。他にも何らかの高度な術を持ち合わせていないとも限らない。突然に現れた他人の言葉を安易に信用するはずもないが、ここは敵意を鞘に納めて、脳裏を曇らせる違和感を先んじて拭い去るべきと判断する。
神威空間に身を潜ませていた紫が、初めから此方の存在に気づき目をつけ、博麗神社まで付いて来ていた可能性。偶然と見なすには不自然な展開だ。本当に幻想郷の『管理者』という立場なら、侵入者の存在は手に取るように判るだろう。管轄内の場所なら目も手足も隅々まで行き届くと考えて然るべきか。
「もう一つ訊きたい」
「うん?」
否。八雲紫ほどの者が気づかないのは、管理者ならずとも考えにくい話、などと見なすのは買い被りだろうか。付け入る隙がない者を前にすると思考が強制される。
「このオレが、幻想郷に在るという事実に関連して、だ……外ではなくな」
あらためて思い返しても信じられない話だが、白狼天狗や夜雀との悶着を経て命の鼓動を強かに感じたせいか、誰かの手により「二度目の生を受ける」という予期しない、できるはずもない、突然すぎる出来事の割に実感は薄いどころか濃いのだ。生きているのだと。
ただ一つ、命を落とした忍界ではなく、幻想郷なる見知らぬ土地に足を着けている、奇怪な現状を除けば。
「オレを生き返らせた何者かが、この地で謀を企んでいる可能性がある。ならば今現在、そいつがどこかに潜んでいるとすれば――…オレ以外に『大結界』を通った痕跡は残っていたのか? それが判るだけでも違う」
「え? そんなお話を、どうして私に?」
「とぼけるには遅い。お前が管理する側なら、誰かが結界を抜けたかどうかの痕跡程度、博麗大結界とやらの術式を調べれば分かるはずだ」
半信半疑ながら厳しい表情を見せるオビトの言葉を聞いて、紫の胡散臭い微笑が少し引っ込んだ。
――少なくとも忍界で言う『結界』には、敵の襲撃から身を守るための簡素な物が多い。
実際のところ、その応用こそが結界術の真髄で、外部からのあらゆる不利益より一定範囲の空間を守護する役割を担う。他所からの襲撃に備えるほか、国や里の中枢にかかわる機密の漏洩を防ぐ目的だったり、国家が擁する貴重な戦力を保護するための物でもある。これらは総じて「不利益をもたらす者を感知する」という意味合いがある。
木ノ葉の里における結界忍術には、結界を越えて足を踏み入れた余所者、つまり侵入者を瞬時に感知する物がある。入り込んだ痕跡を辿られて、居場所を捕捉されたら最後、どこかの家屋へ逃げ込む前にクナイが雨のように降り注ぎ、里の精鋭達により身柄を拘束される。大抵は尋問を受けて逆に情報を洗いざらい吐かされる哀れな結末を迎えるだろう。
もっともそれは、里の内情を把握していない無知な愚か者に限った話。感知結界の術式をやり過ごして里側に気取られず潜入する方法がある。たとえば暁の構成員だったイタチは木ノ葉の里出身の忍で、隠密活動や情報収集能力に秀でた凄腕の元暗部であり、抜け忍となる経緯で当時の三代目火影・ヒルゼンと個人間の密約を交わしていた。彼は結界を通り抜ける暗号を知っていたために、独自のルートで気づかれることなく里に侵入できた。
(……人のことは言えんが)
かくいう自身も十三の頃に抜け忍となり、本物のマダラによって本人の性格や言動、戦闘スタイル、忍術や六道の禁術のほか、木ノ葉のみならず火ノ国の機密情報、その他諸々を徹底的に叩き込まれ、マダラに成り代わって以降は散々とやらかしていた。命尽きて忍界より消え失せた元死人として、当時の出来事はあまり思い出したくないが、神威を利用して秘密裏に何度も里の内外を行き来するのは、幼少の頃に苦労して会得した『豪火球の術』を扱うより遥かに容易いことだった。
博麗大結界で形作られた世界が管理者健在の巨大な結界空間であるならば、侵入者を感知する効力の一つくらいは有するのが通常。でなければ何の意味もないと思われた。
「ふうん。なかなかね」
紫は暫し沈黙した後、試すような微笑を薄めた。怪しい雰囲気は消えない。
「褒められても何も思わんぞ。真実はどうなんだ」
「『痕跡』は存在した」紫はそっと呟いた。「そうね。私がアナタに接触したのも、似たような理由から。得体の知れない『違和感』が、私の世界に迫りつつある。だから確かめたくてね――博麗大結界に痕跡を残したのは、アナタ一人を除いて他にいない」
「手がかりはなし、か。管理者さえ知らんとなれば、相当骨が折れそうだ」
何らかの企みを有利に運びたければ、管理者としての権限と力を持つ者に認識を与える意味はない。死者を生き返らせた元凶は外界に身を潜めながら、機が熟す時を虎視眈々と待ち続けているのか。時が来てからでは遅すぎるだろう。
(……企み、か)
トビやマダラとして暗躍して狙い続けていた計画――今でもよく覚えている。こうして落ち着いた環境に身を置くせいか、あの頃の出来事が嫌でも鮮明に蘇る。
かつての『月の眼計画』は、大幻術・無限月読を発動させるための謀だった。神樹と呼ばれる、途方もない生命力を内包した代物を己が身に取り込み、額に第三の眼として輪廻眼の真の姿――言うなら『輪廻写輪眼』を開眼した者のみが瞳力を月に投影し、地上に住まう全ての生物を惑わしの光の下にてコントロールする。謀とて必ずしも秘密裏に行う必要があった計画ではなく、大まかな内容を各里の影に堂々と語り、自分達に諸々手を貸すよう説明したくらいだ。
計画の最終目的は、暁が表向きに掲げていた世界征服ではなかった。この世を争いのない平和な世界へと誘うためのもので、巨大な戦力を保有する忍五大国の影達に、自らが理想とする月の眼への理解を求めたが故の行動でもあった。
そして真実はマダラの語った『月の眼計画』とは正反対だった。平和のために結成させて利用した暁も、一連の黒幕だったマダラでさえも、大筒木カグヤという人外の輩の意志に利用されていたに過ぎなかった。真なる月の眼はむしろ、さらなる争いの火種を起こすための計画であり、平和とは程遠いものだった――。
「……!」
忌まわしき記憶を辿っていたのはそこまで。空間内に見上げるような『スキマ』が展開されるや否や、廃線となり錆付いた電車の先頭車両が内部から出現、沈黙していたオビト目掛けて突進を繰り出してきた。
鋼鉄の塊が轟音を響かせて迫り、不意を突かれながらもオビトは石柱を蹴って回避を試みる。その様子を眺めて感心したように拍手する紫。
「特別な人間に変わりないみたいね、やっぱり。アナタは」
――考えが甘すぎたのか。生き返って間もないからか、調子が狂ったせいか。トビやマダラとして動いていた頃なら、話の最中に幻術でも掛けて多重の罠を張り、不測の事態に備えて情報を引き出していただろう。
油断ならぬ相手だと判っていたはずが、オビトとしての己を取り戻したことで、詰めの甘さでも生じてしまったのだろうか。
「上手にかわしたじゃない。気まぐれな踏切と違って、警告なんて発してもいないのに」
「予備動作もな」オビトは紫を睨む。「何のつもりだ? 現状、オレを敵とは断定できないはずだ。共通の違和感を払拭できないこの状況……対立する理由が見出せるとは思えんがな」
「自分で評価するのもおかしいけれど、案外そうとも言えないわ。言葉知らずの獣じゃないからね、私は」
「……どういう意味だ」
「言葉足らず、だったわね」紫はオビトを眺める。「結界の痕跡は一つ。けれど、私たちの意図しない者がアナタ一人だったなんて、言えるわけもないのよ」
そう言って紫が扇子を閉じた瞬間だった。今の今まで自由に動いていた体が石のように硬直して、指の一本も動かせなくなったのは。
意識はハッキリとしているが、舌が貼りついたように喋ることができない。虫が蠢くように右半身を何かが覆い始める。氷のような冷たさが広がりゆく不快な感覚に、静けさの中で紫をぼんやりと見つめながら、黙して浸り続けるしかなかった。
正面に降り立つ姿は見えている。眼球の動きも奪われて体に視線を落とせない。代わりに紫がオビトに近づきながら、その姿を冷徹な眼差しで観察した。
「この子になっても、悪意は溢れ出して止まらない。これじゃ藍の目も誤魔化せないわ。大結界をやり過ごしたのは驚かされたけど――何を企んでいらっしゃるのかしら? 私の世界で」
体の自由を拘束されながらもハッとするオビト。初対面時の紫からは敵意を微塵も感じなかったのに、鉄の塊で攻撃を加えた際には、敵意を通り越して明瞭なる殺意を抱いていた。
「思ッタヨリ鋭イナ」
オビトの体がくぐもった笑い声を上げる。枝を伸ばすようにゆっくりと右半身から現れるなり、自らの体を音もなく切り離すと、石柱の硬い足場にべちゃっと落下した。
潰れたソレは時間をかけてオビトの足、膝、腹部、胸部、両肩の高さまで大きくなり、芽を出すように両腕と頭部らしき部分を露にする。それを認識したオビトは目を見開いた。
冷静に扇子を一振りする紫。真っ二つに引き裂かれた人型は力なく落下した。元の汚い塊に戻るかと思われたソレだが、空中で欠片同士が引き合い、元通りの形を瞬時に構築させた。人型は先ほどよりも大声で笑う。
「無駄ダ管理者……今ノオレハオ前ノ力スラ寄セツケヌ……完全ナ形ヲ成ス命デハナイカラコソ……オカゲデロクニ動ケナイガ」
「出るものが出たわね、やっと」
紫は呆れた様子で鼻を鳴らす。人型の声は異様に低音でくぐもり、聞き取り辛い声量だった。
黒い人型が離れた瞬間に身体の拘束が解ける。その場にオビトは膝を着き、呼吸を乱した。
右半身に異常は見られない。念を入れて写輪眼で目視するも、チャクラの流れは穏やかで変わりはない。体を一時的に乗っ取られていただけのようだが、今のオビトにとってはどれも取るに足らぬことだ。
「お前は――何故、ここに――…」
「久シブリダナ……死ンデイタオ前カラシタラ……スグノヨウニ感ジルノダロウガナ」
注視すべきは右半身を蝕む、成れの果ての『人造体』から今しがた分離した忌々しい姿。食虫植物のような外見で、長年の相棒であり、仲間だった輩の半身。後のマダラをも欺き利用した者。心を曇らせていた違和感の正体がそこにあった。
「二ツ目ノ火ブタを切ルタメニ……マタオ前ヲ利用サセテモラッタ……ココマデノ辛抱ゴ苦労ダッタナ」
かつて『黒ゼツ』と呼ばれていた生命体は、幻想郷に生まれ落ちた。