THE LAST PHANTASM -OBITO-   作:大兄貴

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四十話 時を越えるメイド

 都でも兎通りの少ない路地裏。ごみ一つない清潔で綺麗な区域ながら、街灯が点々と並ぶだけの静かで寂しい場所である。そんな中でもやたらと明るい表情でお喋りする金髪の玉兎に、黒い漢服を身にまとう女性が向かい合っている。

 

「大丈夫そうで何より。心配するだけ無駄だったかな」

「賢いアナタらしくない言い方ね。あっちは今そんな頭もなければ、高尚な魂も持たないでしょう」

 

 玉兎の方は臆病な種族には珍しく、月の宿敵を前ににこにこしている。敵意どころか好意的な姿勢すら見せている。

 

「アナタの方はどうなの?」

「上々ですよ。刻一刻と近づきつつある」

「前にも言ったけど、手伝いが欲しいなら一声かけてね。お薬を搗くだけの兎生なんて飽きちゃったのよん」

 

 基本的に憶病で調子に乗りやすく流されやすい玉兎。薬を搗き続ける変わり映えのない毎日に嫌気が差して、新しい楽しみや刺激欲しさに地上へ逃亡した者も割といる。地上に蔓延る穢れを忌み嫌うのは、実際のところ貴族や上のお偉方で、玉兎などの下っ端はあまり深刻に考えていない。考える頭がない可能性も否定できないが――それでも都への未練を捨て切れず逆戻りしたりと、裕福で快適な暮らしの魅力に完敗する者は多い。

 都は豊かで満ち足りすぎている。豊かさを享受しすぎて『退屈』と思うほどに麻痺した感覚では、地上での癖のある生活を受け入れるにあたり、疑問が生じる余地は大いにある。身も心も覚悟も強かな例外がある一方、本当に何も考えていなかったり。

 

「薬ねえ」純狐は冷静に言う。「餅つきと将棋以外に何もないなんて、本当に暇なのね、兎は。城の連中が軍人共を当てにしないのも頷ける」

 

 玉兎は餅が好物だからと、年がら年中搗いているわけではない。必要な物は餅ではなく薬である。遥か昔に不老不死という大罪を犯して、現在も城の奥深くに独り幽閉された女神の贖罪の意を込めて、永久不変の霊薬を兎達は休まず作り続けている。霊薬により生じた穢れを浄化するために。

 穢れを他の何より忌み嫌う都が、不滅の罪人を神聖視し『女神』と呼んで祀るなど、恥知らずで愚かしいにも程がある。純狐がそう思ったのも一度や二度ではない。

 

「軍人? 軍人っ!」玉兎はケタケタと笑う。「科学力や豊かさだけは雲泥の差なのに、軍隊の質は地上にも遠く及ばない。有能なのは一握りだけ。こんなに面白い相違点もないわ。なればこそ月は、表の侵略者を怖れたのかもしれないけど――皆の前で笑いを堪えるの、大変だったんだから!」

「笑うのならむしろ、平和ボケした兎の方だと思いますが」

「それでいいのよ。ソレが真実の姿だもの。どんな騒ぎが起こっても、遊んで待っていればいいの。賢者たちに任せておけば解決するんだから。退屈な夢の世界に旅行した回数、ふと気が向いて数えようと思ったら……指が足りなかったわよん」

「せいぜい五十本程度ですがね」何気なく呟いた純狐である。

「それはまあ、あなたのを借りればねえ」

「地球か仙界にでも往ったらどうです」

「今日冷たい!」

 

 至極どうでもいい話に飛びつく玉兎を前に、純狐は無視して踵を返した。体を三個以上持とうと噛み合わないので、飄々とした境界の賢者の百倍はたちが悪いと言えるが、今や唯一の友人と言える理由にもなっている。

 

「もうそこまで近づいている。あなたには予定通りに動いてもらいたいのよ。これが最後の確認になると思う」

「手間なんて掛けなくても、地図なんて鉛筆一本で描き直せるのに。お高い消しゴムも要らないのに」

「どうかな」純狐は路地裏の奥を見つめた。「それにあなたでは駄目だ。来たるべき時、私独りが立つことに意味がある。此度の『雨』も必要不可欠。失敗は終わり以外を意味しない」

「いいわよん」玉兎は呆れ顔で言う。「でもまあ、空を支える巨木を何個もってのは、割と大きいのかもだけど。同じとも限らないしねえ……アレはあなたを愛してはいないんでしょ? その辺りはどうなっているの?」

 

 友愛、親愛、恋愛、慈愛、狂愛、愛憎。意味がどうあれ彼女らしい発言だ。

 本来なら愛は全ての生物に与えられるべき情だが、彼女からは異常な量を感じるため、鬱陶しく気持ちの悪さを覚えることは、純狐としても多々あった。公言すると泣かれるので胸の内に仕舞っているが。

 

「思い通りの流れよ。面白いほどに」

 

 月に味方する天探女の死を見届けてから、負の感情が一段と増し始めている。滅びをもたらした時の気分など想像もつかない。

 抱いたことのない心地よさが体中を駆け巡る。これも今となっては心を満たす刹那の快楽に過ぎない。

 

「ふうん。で、今はどこに?」

「さあね」冷笑する純狐。「気にする必要もないわ。あの出来損ないがどこに居ようと、私の道は揺らぎなどしない」

 

 苦悶に満ちた顔で滅び往く者達を目の当たりにした時、どれほどの心地よさを授かるのか。

 間もなく終焉が目に刻まれる。ハリたる幸福の雲が空を覆い隠した時、積年の呪いは取り除かれるだろう。

 

 

――◇◇◇

 

 

 静かの大海。水面は波一つ立てない。

 月の使者は錫杖を高々と掲げて、青白い雷撃を所構わず飛ばしまくっている。咲夜の方は落ち着いた表情で海上を飛び回り、瞬間移動ではないかと錯覚する奇妙な動作で攻撃を点々とかわしつつ、慣れた手捌きで銀のナイフを振るう。容姿に似合わぬ猛攻を繰り返す彼女の瞳は、主たる者と同じ紅色に染まっている。

 

「なんか性格変わってねーか、こいつ」

 

 街中では小生意気な白黒の背後で静かに佇んでいた咲夜。使用人の証たるメイド服に見るように、初対面では淡々と仕事をこなすクールな印象を受けたが、実際に刃を交えると戦いに対して積極的な姿勢をとり、貪欲と見なせるほどナイフを打ち込んでくる。本性を隠していたからと片づけるには引っかかった。

 

「『時間操作』ってやつか。やっぱ一番強えのはテメーだったな小娘。人間に許される力じゃねーよこりゃ」

 

 時間は常に一定で流れ続けるが、空間は必ずしも一定に保たれ続けるわけではない。その形状や性質は自在に変化する。不可逆に流れ往く時間に干渉する力は、空間に干渉する力より高尚で希少である。本来なら神霊や齢数千年を生きる大妖が持つに相応しい力だ。神霊や妖怪ですらない『人間』が振るうなど。

 咲夜は動きを止め、新たなナイフを指に挟んだ。投げた物を能力で回収して再利用するために底は尽きない。

 

「あらら。筒抜けってとこ? 侮れないわね、月の民は」

「事前情報だよ。あん時は城で修行してたから知らなかったが、その力使って綿月様に歯向かったんだろーが。全部把握済みなんだよ野蛮人が」

「『野蛮』だなんて、女性には最大級の侮辱よ。血みどろの争いを蛇蝎のごとく嫌う癖に、口は随分と汚いのね」

 

 爛々と瞳を光らせる咲夜には、もはや好戦的以外に何の色もない。口元には笑みすら浮かべている。

 

「ハッ!」錫杖を構える使者。「テメーは特に野蛮だけどな。暴君だ、暴君。こんなの放っときゃ都が危ねえ、さっさと半殺しにして縛り上げっか。女子供だろうが容赦しねーぞ」

 

 雷をまとった錫杖を勢いよく振り下ろすと、強烈な雷撃がナイフの群を次々と粉々にしながら無防備な咲夜へ迫る。

 大半を水分が占める人体が電撃を身に浴びれば、感電死とまではいかずとも、臓器に重大な損傷を与える場合がある。咲夜は異能を持つだけで人間に過ぎず、妖怪に見る強靭な肉体は持っていない。どんな攻撃も避ければ怖くないが、霊力を基にした雷撃でも人間の反応速度で避け切るのは難しい。そんな中で雷撃が空を切ったのは、錫杖の動きを見切り能力が発動したからだった。

 咲夜の姿が忽然と消えると、使者は目に見えて慌て始める。

 

「なんだよそりゃ、んな風に止めるなんざ卑怯だろ――?」

 

 肉体を鋼のように強化するとか、物質を起こして強力な属性魔法を撃つとか、ありふれた能力者は月にも地上にも腐るほど存在する。だが時間を操作するなど、稀神サグメの運命操作にも言えるが、人間でも妖怪でもない神霊クラスの者にのみ許されるべきデタラメな力。単一の空間干渉とは異なり、解釈次第では時間と密接に関係する相方、『空間』にも干渉できるとなれば脅威以外の何ものでもない。

 気づけばどこを見回してもナイフ、ナイフ、ナイフ。綺麗に敷き詰められている。時が動き出すと同時に刃は一斉に迫った。恐々と見開かれる使者の目だったが――次の瞬間には「なんてな」という言葉と共に細まる。銀のナイフは回転する錫杖で弾き飛ばされた。

 再び時間が止まり、海面に落下するナイフを全て回収した様子の咲夜が現れた。落ち着いた表情に疑問の色が浮かんでいる。

 

「甘かったかしら。加減したつもりはなかったんだけど」

「分かんねえか?」使者がせせら笑う。「いいかメイド。さっきも言ったけどな、テメーの能力は割れてんだよ。わかってんのに避けられねえはずねーだろうが」

「へえ。それなら是非、教えていただけると助かるわね。お約束として」

「そういう展開ってか……しょーがねえ、解説でもしてやるよ」

「お願いするわ」

 

 にっこりとする場違いな咲夜を前に、血の気の多い使者は露骨にイラついた表情を見せる。

 

「余裕ぶりやがって。アナだよ、アナ」

「穴? それは興味深いわね」

 

 かつてここ静かの海で綿月依姫と刃を交えた咲夜。あの時の相手が頭の足りない玉兎だったら、使者は咲夜相手に苦戦を強いられていただろう。依姫だったからこそ正確な情報が使者達に伝わり、咲夜相手の戦闘に活用できる形になった。

 

 個々の持つ能力とは強大さに比例して、何かしらの制限がかかるものだ。その行使条件や欠点として、心身に過度な負担がかかるとか、一度使うと術者の意思で制御できないとか、精神や寿命を削るなどの恐ろしいものも存在する。能力は行使にあたり術者の意思決定を経るため、その欠如により行使自体ができなかったり、中途半端に発動したりもする。器や魂と能力が噛み合わない場合――神のごとき力の持ち主が、何の変哲もない人間である場合は特に。

 どれだけ強い力でも様々な負の要因が重なり、格上が格下に惨敗する可能性すら出てくる。

 

「能力で言やあ、俺はテメーより格下だ。視界を覆う刃物の量、ありゃヤバかったぜ。死ぬんじゃねえかってな。月人っても不死身じゃねーんだから、殺す気で投げられちゃ堪ったもんじゃねえ」

「死ななかったけどね」咲夜は小声で突っ込んだ。

「けどな、解んねえことがあったのよ。殺す気で戦ってたのに、なんで投げるだけで喉元掻っ切らなかった? 首でも飛ばしゃ勝てんだろーよ普通。時間止められんなら造作もねえこったろ」

 

 咲夜の能力は時間操作だが、『時空』に干渉するという解釈もできる。時間の停止のみならず、三次元を構成する全ての軸を弄り空間の拡張縮小を自在に行う応用で、空間に穴を穿ち裏にある時の流れに干渉を行い、現在の時間軸とは異なる先の未来に手を触れることも。解釈すればするほど理不尽な異能と言えよう。

 然るに時間操作、言うなら『時空操作』を持つ咲夜は人間であり、神霊かそれに比肩する力こそ持てど、同じ魂や加護まで内包するわけではない。人の身で振るうには限界がある。

――うち一つとして挙がるのが時間の逆行。果物の時を早めて瑞々しさを奪ったり、腐らせたりはできても、干乾びたり腐ったりした果物に元の瑞々しさは戻せない。一方通行に流れゆく時の流れに逆らい、すでに起きた事象をやり直すことはできない。

 どのような能力にも『弱点』となる穴は存在する。使者はその一つを見抜いたのだ。

 

「直感したね。しなかったんじゃねえ、できなかったんだってな。思えばテメー以外が全部止まってやがったら、刃物なんか投げられるわけねえ。飛ばねーだろ投げたって。簡単な話だったんだ」

「さあ、どうかしら。勘違いかもしれないわよ?」

「誤魔化そうってか」使者は勝ち誇っている。「テメーの能力の効果範囲。そこに穴があったのさ。最初はテメーだけ動いてんのかと思ったが……そーじゃねえ。動いてんのはテメーを中心にした一定の空間までだ。だからテメーと止まった空間の間にゃ、絶対に時間が止まらねえ隙間があるってこったろ」

 

 先ほどからゲシュタルト崩壊を起こしそうなほど『テメー』を連呼する使者に、咲夜は「十六夜咲夜よ」と丁寧に教えたが、使者は種明かしに夢中で言葉を耳に入れなかった。

 大笑いする使者の錫杖から電撃が散る。柄の先を咲夜に向けたまま、使者は自信満々な顔で口を開いた。

 

「能力の特性上、テメーは俺にゃ不用意に近づけねえはずだ。接近戦で斬り合っちまったら、この俺が能力の効果範囲から外れちまうからな。テメーの弱点は――」

 

 脇目も振らずにハイテンションで喋っていた使者だが、その一転して俊敏な動作を咲夜は見切り遅れた。不意に衝撃を感じた時には遅く、至近距離に迫った使者は咲夜の首を締め上げていた。

 

「速い、わね……」

「テメーが遅えんだよ」使者は不敵に笑う。「おうメイド――『月の民』を寿命が長えだけの奴って勘違いしてねーか? テメーよ」

 

 手に握るナイフを動かそうとするも、人間離れした怪力が咲夜の両腕を掴んで離さず、ガッチリと固定して動かない。

 

「んなもん、年がら年中遊んでばっかの玉兎ぐれえだ。寝る間を惜しんで勉学に勤しんで、クソ真面目に戦闘訓練してこなきゃ、使者と城の警固を兼業なんぞできるわけねえ。要は強えってことさ」

 

 残念な性格とは裏腹に洞察力は高い使者。こうも短時間で見抜かれ追い詰められたのはいつ以来だろうか。幻想郷に来てからはごっこ遊びばかりで、ルール無用の戦闘からは長らく退いていた。霧の湖で相手取った雑な獣の集団は一方的すぎて戦いとは言えない。

 この辺りで吸血鬼の一人でも相手取り、鈍った体を動かしてみたいと思えてくる。毒を入れるより面白味がありそうだ。

 

「……顔に似合わず、熱心じゃない」

 

 咲夜は安らかに微笑む。「こっちもだ」と使者は錫杖の先から一筋の熱線を放つ。白銀の閃光が一直線に右肩を貫き、咲夜の表情が苦痛に歪む。

 

「世界を流れる時間は逆にゃ向かねーんだ、過去はどうあったって変わらねえ。時間の逆説なんざ起こり得ねーんだよ。因果律まで支配できると思うなよ、メイド」

「ふふっ……」咲夜の声が掠れた。「悪くないわ、こういうのも……なかなか、だったわけだしね」

「当たりめえだ。学び舎時代は『聡明のそうちゃん』って崇められてたからな。強え力振りかざして優越感に浸ってる奴の能力晒して、弱点突いて追い詰める。とんでもなく楽しいんだよコレが」

「優越感……ねえ」

 

 主人のレミリアにも過去に何度か、同じ言葉をかけられた記憶があった。人の身でありながら神にも等しい力を授かったのだから、もっと誇りなさい。仕える主のために、自分のためにも周りに示して、優越感に浸りなさいと。

 物質を起こす力は多々あるが、時間操作などその辺に転がっているものではない。自分達の居る次元を捻じ曲げる行為を、平然と為せる可能性を秘めた力だ。それを意識したことは咲夜自身もあった。しかし、自分の能力を振りかざして傲慢な態度をとったことなど、これまで一度もなかった――もちろんこれからも。

 

 神々をも縛る組紐が手首に巻きつく感覚を、咲夜は瞼を瞑ったまま味わっていた。

 この忌み嫌われる力は、心より必要としてくれる者のために。

 

 使者の手は紛れもない空を掴んでいた。今の今まで確実に捉えていた咲夜の首が、その姿ごと丸々消えている。間もなく小さな衝撃を感じて視線を下に向けると、胸部に突き刺さるナイフの柄が見えた。刃が深々と沈み込んでいる。

 

「どーいうこった……こりゃあ?」

 

 手に持っていた組紐と錫杖が、静かの海に呑み込まれていく。使者は驚愕に目を見開いたまま、体勢を崩してゆっくりと落下を始めた。

 視線の先には咲夜。先ほど負わせた右肩の傷が消えている。

 

「過去はないのよ」咲夜は紅い目を瞬いた。「あるのはあの方と過ごす今と、過ごすであろう先。擬似的な未来には何の力もないけれど……それでも、こんな私を歩ませてくれる」

 

 彼女は初めて力の真髄を見せた。空間を歪めて近い未来に送り込んでいたのは、強い意志を込めた一本のナイフと自分自身だった。時空を越えて顕現した擬似的な分身が、未来へ繋ぐ一閃を迸らせ、過去に執着し囚われていた者を貫いたのだ。

 

「アレだ」にやりと笑う使者。「野蛮でうざってーがよ、もうちっとでアレだったわ、テメーのこと。つってもまだ小っせえから、どのみち俺としちゃあ……」

 

 波立った海面に笠が揺ら揺らと漂う。無言で見下ろす咲夜。

 仰向けのまま最後に大笑いすると、星の瞬かない都の空を眺めながら静かの海に落下し、底の見えない深い海の中へと沈んでいった。

 

 

――◇◇◇

 

 

 十六夜咲夜と月の使者の戦いに幕が下りた頃。遠く離れた海上でもう一人を相手取っていた魔理沙。多彩な魔法を駆使して、戦況を有利に運んでいたのだが、戦闘の最中に不可解な表情を隠せないでいた。

 理由は一つ、相手が前例のない輩だったからだ。光弾やら光線やらをぶっ放し、先ほどから攻撃を加えているのは魔理沙のみで、男の方は捕らえる気がないのか、力を振るおうとはせず、弾の一発すら撃ってこない。それどころか攻撃を避けず故意に受けたり、逸れて外した光弾に自ずと当たりに行ったりと、使者の男は意味不明な奇行を繰り返していた。

 初めのうちは好機とばかりに魔法を飛ばしまくっていたが、読めないわ無言だわ顔を見せないわで気味が悪くなったので、魔理沙は動きを止めて男を映した。

 

「オイオイあんた。私にゃそんな趣味ないんだけどな。気持ち悪いから止めてくれよ」

 

 男は使者達の中では年長者に見え、荘厳な顔つきでガタイもよかったため、さぞやお強い力でねじ伏せてくるだろうと踏んでいた。それが良いか悪いかも判らない、変な意味で期待を外したのだから文句の一つも出る。避けるならともかく当たりに行くなど、弾幕ごっこなら即負け犬が確定する無様な戦い方である。

 浮遊する男は笠に手をかけたまま、「なるほど」としゃがれた老人のような声を出した。喋り方までおかしく聞こえてしまう。

 

「噂には聞いているよ。魔法使いの霧雨魔理沙。これまで数々の異変を解決してきた実力者……博麗の巫女の相棒的な立ち位置で、幻想郷を護るために汗水流して働いてきた……だったかな?」

「そんなん流した覚えはないぜ? 護るってのも違う。紅い霧だの幽霊楽団だの亡霊の大群だの、ウザいと思った奴らを片っ端から粛清してきただけだ。呑気に平穏に暮らすためにな」

 

 異変の解決と言っても、全てが全て真面目に動くわけではない。博麗大結界が決壊の危機に瀕して、幻想郷の存亡が左右される大異変など、余程の規模や悪影響でもない限りは、基本的に気分とノリだけで解決する。巫女のように妖怪に対して無慈悲でもない。前の打ち出の小槌や今回のような例外を除けば、必死こいて向き合った例はほとんどなかった。平和的な紛争の解決手段である『弾幕ごっこ』が存在する以上、異変の解決に命を賭ける必要は皆無だったからだ。死人がたまに出るだけで。

 前回の月旅行では半ば賭けたが、依姫との悶着は異変でも何でもなかった。紫に唆された霊夢に同行したに過ぎない。

 

「けど……今回ばかりは汗だの涙だの流すかもな。紫の奴に外来人、都の連中まで巻き込んだ大騒動ときた。弾幕ごっこで解決できないなんぞ、どう考えたってタダごとじゃないだろ? ここまでやらせたんだ、黒幕ぶっ潰したら超ド派手な宴会開いてやるぜ」

「ぶっ潰すねえ」笠を脱ぎ捨てた男。目を瞑っている。「頼りがいのある言葉だが、ここで勝てなければ君は俺以下だ。そんなんじゃ潰せないだろう」

「ゴチャゴチャうるさいな」魔理沙は呆れている。「だったら真面目に相手してくれよ。どうせ依姫の命令とやらで退散する気はないんだからさ」

「してほしいなら、そうしてもいいんだがね」

「……なに言ってんだお前。さっきのマゾ具合といい、やっぱり頭おかしいのか?」

 

 魔理沙が若干引きながらそう言うと、男はしわがれた声で笑った。

 

「今こうして君の相手をするのは、解決者としての力を試すためだ。黒幕を言葉通りに『ぶっ潰せる』力を持つのか……それを知りたくてね。幼さ故の過ちか、結果は凄惨たるものだったが」

「はあ?」魔理沙が眉を上げる。「その気なら、やってもいいんだがな。粉々に消し飛ばしたって」

「面白いじゃないか。やってみるといいさ、できるのならね」

 

 当初は荘厳で寡黙と思い込んでいた男の、挑発的な物言いで完全に火が点いた魔理沙。

 八卦炉に込める魔力の量を調節する。普段のごっこ遊び用の加減を取り除き、人間を焼き尽くして炭化させる程度の殺人火力に合わせた。希少な魔法鉱物であるヒヒイロカネ(オリハルコン)で作られた八卦炉は頑丈で、使い方次第ではお湯を沸かすとろ火から、山一つ消し飛ばすほどの超火力まで生み出す。耐熱性にも優れ、並大抵の温度では過熱しない代物だ。

 男は薄ら笑いのまま、あろうことか両腕を広げて待っている。頭の中で何かがプッツンと切れた魔理沙は、依姫に使った時より遥かに多くの魔力を込めた。掌を通じて八卦炉の熱を感じる。

 

「消し飛べ――『マスタースパーク』ッ!」

 

 眩い光が中心部に集束し、溢れ出る膨大な魔力を一気に解放する。金色の巨大な光線が男を丸呑みにし、途轍もない熱風が海上に吹き荒れた。

 技の名は形ばかりで、制限をぶち破る勢いで大量の魔力を込めたのだ。その辺の妖怪を相手に撃てば骨すら残らず消えるだろう。歪んだ残り火は直進し、深遠の黒に染まる宇宙の果てへ消えていく。

 息切れする魔理沙。消耗こそ全力を込めた証拠。不老不死の蓬莱人でもなければ生きてはいまい。そう一人結論づけて竹箒を操り、浜辺に残してきたアリスの元へ戻ろうとした時だ。

 

「――やはりこいつもゴミか。期待するだけ無駄だったな」

 

 男はそこにいた。殺意を込めた魔力の奔流で焼け焦げた錫杖を片手に、自分の体を隅から隅まで調べている。火傷どころか服には焦げ跡一つ見当たらない。傍から見れば錫杖だけで防いだようにも思える。

 

「……嘘だろ? なにしたんだ、今?」

 

 目の前の光景が信じられなかった。ならば傲慢故の虚勢と思われた言葉は、紛れもない真実だったことになる。

 

「イヤ、訂正しよう」男は錫杖の残骸を投げ捨てる。「お前はまだ未熟なだけだ。その歳でこのチャクラは素晴らしい……もう少し成長すれば、驚くべき力をつけるかもしれないな。期待は大だ」

「知ったような口を、勝手に叩きやがって……」

「まあそれも……生き残れたらの話だが」

 

 首を傾げて黒い涙を流し始める男。悲しみの感情など毛ほども伝わってはこない。

 心の底を掻き毟るように不愉快などす黒さで、魔理沙は気分が悪くなった。依姫と同じ月人なのに感じるものは天地の差だ。

 

「お前、なんだ――?」

「輪廻ノ力ヲ生ミ出シタ者……オ前ラガ汗水流シテ探シテイタ黒幕デモアル」

 

 喉が潰れたような声が聞こえる。瞼の奥に収まった不気味な薄紫色の眼が、驚愕と怖れに歪んだ魔理沙の表情を映した。

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