THE LAST PHANTASM -OBITO- 作:大兄貴
綿月依姫。卓越した頭脳と剣術の腕も然ることながら、己が身を神々の依り代とし、その力を借りる『神降ろし』を完璧に扱える月人。地上に住む修行嫌いの巫女とは違い、降臨に際しては正しい手順を省略させて扱えるほど洗練されており、玉兎達からは有力者の集う都でも最強と謳われている。強すぎる神力は地上の軍神にも比肩し、霊力は博麗霊夢や八雲紫すら霞むほどだ。
忍界において千手柱間を忍の神と呼ぶならば、彼女は月人の神と呼べる力の持ち主である。
切断された砲筒が砂浜に転がっている。隻腕の器は体を硬直させたまま、口元を狂気に歪めていた。
依姫の冷徹な眼が威圧する。再び無言で刀を振り下ろした瞬間、見開かれた六道の眼が不気味に発光した。
「『神羅天征』」
斥力を受けた依姫が反動で無理やり距離を取らされた。単なる突風や衝撃波と見なすには遠い。空を支える大樹を制して、国造りの巨人を生み出し、創造と破壊を司るに至った神の力。
咄嗟に体ごと向けた黒ゼツの目に映ったのは、長い太刀を手にした凛とした女性の姿。先の丁寧な言葉に反して――否、故にと言うべきか――鋭く細まった赤い目が燃えている。「現レタカ」と発した黒ゼツの輪廻眼とは対照的だ。
腕の切断面より流れ出る大量の血液が、足元を音もなく濡らしている。
「部下ノ体ニモ容赦ナシ……少シハ心ヲ痛メタラドウダ?」
「もしもの時は」依姫は冷静さを失わない。「……疾うに皆、覚悟は決まっている。主を守護する者たちの誰もが何より、都の安寧を願い生きてきた。昔から変わっていない」
「コイツトテ同ジダッタト? 立場ガ逆ナラコイツハ……都ノタメニオ前ヲ躊躇ナク斬ッタワケカ。大シタ忠誠心ダナ」
「……仙霊はどこなの? お前と行動を共にしているはずよ」
周辺へ目を走らせる依姫に、黒ゼツは「サアナ」と鼻を鳴らす。
離れた場所に転がった腕が身動きする。前方収束型の引力で手元に引き寄せると、無造作に掴んで切断面に押し当てた黒ゼツ。白い蒸気と共に腕は元通りにくっついた。外道魔像で培養された細胞の異常に高い治癒・再生力があれば、腕を再び機能させるのに際して陽遁を頼る必要はない。カグヤのチャクラと黒ゼツの親和性は高い。
依姫はすでに動いていた。掌から放たれた水色の光弾が直進し、体のど真ん中を直撃する。黒ゼツは何も感じない様子で嘲笑すると、鋼鉄と化した傀儡の腕を持ち上げた。六道の眼が吸収し消し去ったのだ。
「今サラ出テキテ都ノ英雄気取リカ。気ヅクノガ遅スギタナ――オ前ラノ世界ハ生マレ変ワル……救世主タルオレノ手ニヨッテ」
集束する金色の閃光が器の顔を照らす。最後にして最強の月人を前に、これまでにないほどの狂気を隠そうともしない。
横たわるアリスを一瞥し、依姫は静かの海へ飛んだ。荒波立てて海上を進む依姫を、月人を葬った砲筒が遠方から狙っている。
「天照大御神よ」依姫が語りかける。「燃え滾る霊威を以って、穢れし光を在るべき場所へ」
陸の方角が眩い光に包まれた。依姫は太刀を構えたままに呑み込まれる。
光線は残り火諸共に尾を引いて、宇宙の彼方へ消えていくと思われた。依姫を追って海上を進む器の眼が、目前に迫った閃光を映したのだ。しかし黒ゼツは意にも介さない。にやりと笑んで輪廻眼の瞳術を発動し、溢れ出す霊力を吸収し始めた。ところがチャクラを吸収するうち、器の体が焼け焦げてしまう。
「何ダコレハ……」
海上で体勢を立て直すなり睨みつけた黒ゼツ。依姫は鏡面と化した白銀の太刀を構えている。神降ろしの事前情報を得ていたにもかかわらず、体を襲った熱と痛みは予想外のものだった。
「仕組みは知らないけど、その特異な眼は霊力の類を吸収する。お前の力は見抜いていたよ」
「今ノハチャクラノ奔流……輪廻眼デ吸収シ切レナイチャクラナド」
「『輪廻眼』、と言うのね」納得した様子の依姫。「……皆や地上人たちが苦戦するのも頷ける。あの仙霊と手を組み動いていても不自然ではない」
餓鬼道の封術吸引はチャクラを吸収して術を無力化する瞳術。量や状態にかかわらず問答無用で効力を発揮する。黒ゼツが修羅道で口寄せした大筒木一族の兵器も例外ではない。あれは破壊の力に変換された純粋なチャクラの塊である。神樹より分離した木遁のチャクラでもない限りは、餓鬼道が通用しない道理はない。
術の制御に関して問題はない。黒ゼツは忍術の始祖である六道仙人、その母であるカグヤの言わば分身であり、六道のチャクラの塊とも言える存在。輪廻眼が十二分に順応するよう、柱間の細胞を植えつけた月人の体を手にした今、眼を制御できない事態は払拭済み。その上で返された己自身のチャクラを吸収できなかったのは――。
「相手以上の力をぶつけること、あるいは全く同じ力をぶつけること」
「……何?」
「戦いにおいて敵に対抗する方法よ。簡単でしょう? 私が講じたのは両方だけど」
「両方ダト……今ノハチャクラノ塊ダッタハズダ」
「霊威『八咫鏡』は、お前の力を跳ね返しただけじゃない。あの方の手に触れた光は無尽蔵に膨張し続ける……宇宙で成長し続ける太陽のようにね。その力を刀身に乗せて振るっただけよ」
絶え間なく燃え続ける恒星、その化身とされる天照大御神。八咫鏡が留めた黒ゼツのチャクラは、本人の意図しない量と質を併せ持つ結果となった。だがそれらが変動してもチャクラには変わりない。
とどのつまり要因は物質化したチャクラではない、術者である黒ゼツの方にあったのだ。
「その目」依姫は言葉を続ける。「……輪廻眼とやらが持つ霊力の吸収効果は、行使者が制御可能な量を超えると正常に作用しなくなる。月人の体に蓄積される力には限界があるのだから、その者に使わせる眼にも同じくして限界が生まれるのは当然の理――とも考えたんだけど、これは『そうだったらいいな』程度の妄想」
依姫は早口に仮説を並べた後、すぐに自分で否定してみせた。掲げられた太刀の刀身が熱を帯びている。
「限界があるのは一度に吸収できる量。元来の特性か、借り物の肉体では本来の力を発揮できないとか……まあいずれにせよ、私には同じ手段が一億通り以上は残されている。もうその力は役に立たないわよ」
輪廻眼は元より素質を有し、開眼条件を満たした者のみが獲得する特異な代物。順応できるほど高質なチャクラを以って術を行使できても、本来の持ち主と比較すれば瞳力の精度が落ちるのは必然。六道の輪廻眼という瞳力を知らずとも、所詮は不完全の力など依姫には恐るるに足らなない。
神降ろしという例外を除けば、借りた力とは強力な物であればあるほど、何かしらの制限が掛かるものだ。ならばソレと同質で同量の力に別の力を乗せてぶつければ、元々の力を上回るのは当然である。どのような事象が相手でも崩れ去るだろう。餓鬼道や修羅道の術をぶつけるだけでは、複数の神を使役する依姫を打ち破るなどできはしない。
「雲散ガ追イツカナイトハナ……十尾ノ尾獣玉並トハ思イタクナイガ」
餓鬼道の封術吸引が持つ欠点は木遁チャクラだけではない。吸収したチャクラが器の貯蔵量を超えると限度一杯となり、容器から溢れる水のように収まり切らなくなる。他方でこの術には吸い取った分を体内で雲散させる力もあり、併用することで無尽蔵に吸い尽くすのだが、問題は依姫の言う通り、莫大すぎる奔流を一度にぶつけられた場合である。
分かりやすい例は、九つの尾獣の集合体・十尾が放つ大型尾獣玉や、全ての尾獣の力を得たうちはサスケのインドラの矢。共に人体の許容量など遥かに超えたエネルギーの塊だ。依姫により降ろされた神の力が二つに匹敵するかは不明ながら、雲散し切れないほどの量を浴びて、器から溢れ出した力が黒ゼツの体を傷つけたのは事実。
十尾本体やそれを取り込んだ六道仙人ならともかく、黒ゼツが器とする月人は輪廻眼を扱えるだけで、莫大なチャクラを収める器には程遠い。依姫は餓鬼道の穴を突いたのだ。
「綿月依姫……」黒ゼツがくぐもった声を出す。「現存スル月ノ民デモ……戦イニオイテオ前ホド厄介ナ輩ハイナイ。ヤハリオ前ハ捨テ置ケナイ……潰スニハ骨ガ折レソウダガ……大筒木ノ力ガアル限リヤリ様ハアル」
致命的な弱点を見抜かれたのに黒ゼツは笑みを絶やさない。餓鬼道と並べて否定された修羅道の腕を今一度依姫に向ける。
「同じ結果を繰り返すつもり?」
「比肩スル力デ対抗デキル……ナラオ前ラ月人ガ生ンダ力モソレニ該当スルカ……試シテミルモノ悪クナイダロウ。間抜ケナ月人ノ二ノ舞ヲ演ジサセルノモ面白イ」
依姫の眉が微かに動いた。にやりと歪んだ器の口元、間髪容れず右腕より噴出した風。都の高度な科学技術の恩恵であり、月人を一瞬で葬り去った死の旋風が、海上を抜けて獲物を呑み込まんと迫る。素粒子で構成されるあらゆる物を無に帰す力が、月の民である依姫を前に牙を剝いたのだ。
風は広範囲に散らばり、巻くように包囲して四方八方から狙う。
「愚か者」声を張り上げる依姫。「――罔象女神よ。我が涙を糧とし、戒めの奔流を創り出せ!」
静かだった海面が大きく揺らぎ、冷たい激流が大量の水飛沫と共に舞い上がる。水流は圧倒的な質量で破壊の旋風を押し潰し、周辺の海面より塔のように次々とそびえ立った。静かの海そのものをまとい、体を水で覆った依姫の姿が、黒ゼツの目に歪んで見えている。
依姫を包んだ水は龍を模り、悪しき魔物を噛み砕かんと突進した。静かの海には生物も、生物の持つチャクラも存在しない。
「舐メルナ――」
黒ゼツは天道の斥力で巨大な龍の頭を散らした。頭部は水風船のように破裂し、大量の水が眼下へ流れ落ちていく。
至近距離に迫った依姫に、左腕から生えた長い鋸状の刃が向けられる。打ち合いと共に鈍い金属音が響いた。鋸は応酬で粉々に砕け散る。
神羅天征の幕間は五秒間――先に隙を作った黒ゼツ。身を翻すも間に合わず斬撃が叩き込まれた。間髪容れず二度目が振るわれたが、僅かに狙いが逸れ、今度は両腕が肩ごと斬り飛ばされる。宙を舞った腕は咄嗟に放たれた光弾の直撃で消し炭となった。
「マッタクヨク斬レル得物ダ……返リ血一ツ浴ビナイトハナ」
腕を全て失いながらも距離を取り、息を切らして依姫を睨みつける。剣戟の速度が桁外れであり躱すだけで精一杯な上、鋼鉄の腕が柔らかな粘土細工か何かのように容易く斬り落とされたのだ。
結果として耐え抜き命は拾った黒ゼツだが、修羅道の口寄せ兵器は数秒足らずで封殺された。
「天目一箇神」依姫は切っ先を突きつける。「神が打ち鍛えし刃に勝る物は、地上や月にすら現存しない。降りかかる不浄を払拭し全てを断ち切る。だがこの程度では詰めが甘い――」
黒ゼツの器はすでに満身創痍。依姫はなおも様子見をせず、今度は刀身を寝かせる形で横に構えた。
「――建雷命よ。十万億土の衣を脱ぎ捨て、森羅万象を斬り崩せ」
禍々しい赤い霊力をまとう依姫。背後には長い黒髪を振り乱し、美しくも恐ろしい、鬼のような形相の女性が浮かび上がっている。手に握る太刀が振り上げられた時、黒ゼツは初めて苛立った表情を見せた。後退しかける黒い姿を眼前に捉え、依姫は一気に振り下ろす。斬撃を真正面から浴びた器は仰け反り、大量の血が体から噴出した。
然るにどういうわけか――依姫は振り下ろした姿勢のまま、驚愕に目を見開いている。その視線が黒ゼツの不気味な顔に移り、紛れもない口元の笑みを捉えた。
「馬鹿な。何故、この程度の力しか出ない? こんなことは……」
山を消し去り海を割り、世に蔓延る幾億もの不浄を斬る剣戟。この一撃で仕留め損ねるなど万に一つもあり得なかった。
体を満たしていた温かな抱擁が遠ざかっていく。神々に捧げる神力が薄れていき、代わりに普段の、何の変哲もない『月の民』としての意識が増している。この感覚は以前も覚えがあった。
「相当頑張った優等生には暫しの休息を……頼りすぎは体に猛毒だぞ? 逆にね」
飄々とした女性の声色が海上に響いた。二人の頭上から音もなく下りてきたのは、月に仇なす恨みの権化――純狐。
心底気持ちよさそうな表情で、ふわりと黒ゼツの近くに舞い下りると、黒ゼツは濁った声で「遅イゾ」と一言。純狐は悪びれる様子も見せずにこにこと笑っている。
「手酷くやられたわね。そんなんで大丈夫? こいつ相手に筆一本握れないんじゃ、お前の計画とやらも白紙に戻るのではないか? 身の丈に届かないと思わされる」
「四肢ナド後デ作レル……奴ヲ相手ニコノ程度デ済ンデ幸運ダッタ。ヤハリ神ハオレノ味方ダ」
「ふうん。便利な体だな」
相変わらず安定しない口調でまくし立てる純狐。黒ゼツは依姫を捉えたまま表情を変えない。依姫は憎々しげな目を純狐に向けている。
「オ前ハモット早クニ出張ル手筈ダッタガナ……ドコデ何ヲシテイタ?」
「すまないね。都を見て回るのに夢中になっていた。これまで何度も映してきた景色が観られなくなる前に、よーく目に焼きつけておきたかったのだ」
両腕の切断面から黒い物体が生え出、歪気味な義手を模った。人の腕と比べると不出来に見える。
純狐は周囲をきょろきょろと見回すと、わざとらしく首を傾げ「他は?」と尋ねた。
「都ノ分ハ始末シタ……オ前ガヤルハズダッタ分マデ……コノオレト解決者ノ一人デナ」
「それは残念だ。私の手で粛清したかったんだがね。体を動かすのも悪くなかったけど」
「ナラ後ハオ前ガヤレ……コノ器デコレ以上ノ時間ハカケタクナイ」
ため息を漏らす純狐。彼女が黒ゼツへ意識を向けている間に、霊力を何度も解放して神々への呼びかけを試みていた依姫だが、決死の想いも虚しく神々は答えようとしない。硬直する依姫に気づいた純狐が滑るような動作で近寄る。
青白い手が依姫の手を包み込み、太刀の柄に滑る。曇り一つなかった刀身に濁りが出始めた。力を込めても振り解けず、太刀から手を離すことも叶わない。純化の力が絡め取ったのだ。
「私もある意味、この剣を打った者と同じだった。けれどお前自身は半端な魂。不出来な生物を塗り潰すなんて、絵筆を動かすより簡単なことだ」
凛とした目で睨み返す依姫から、「ところで」と黒ゼツに視線を移す純狐。
「この子は落とさないの? お前の体や薬師のように、幻術でぱぱっと楽に」
「ソレガデキタラ苦労ハシナイ」
幻術に落ちた者は、体内を流れるチャクラの主導権を奪われ、その循環が荒れるか停滞した異常な容態にある。内容は実害のない軽度の物から、精神を破壊するタチの悪い物まで多々あるが、心身の各所に様々な異常をきたす点は共通している。
他者に支配された流れを正常な状態に戻すには、幻術返しにより己のチャクラを爆発的に乱して、主導権を奪い返す必要がある。他者の協力が望める場ならいいが、幻術返しにもチャクラや印を要するため、己一人でこなすのは極めて難しい。チャクラなどろくに練られず、体が動かなければ印も結べない。自力で解ける者は幻術に精通した者、精神力が強い者や特殊体質などに限られる。
「ソイツハ神降ロシヲ完璧ニ扱エル輩ダ……己ノ内ニ複数ノ意識ヲ宿スノデハナ……不意打チヲ喰ラウオソレガアル。チャクラモ強イ」
カグヤのチャクラに馴染んだ『輪廻眼』の幻術だ。幻術返しとて真正面から打ち破れる者などそうはいない。厄介な神降ろしなどまともに相手取らずとも、幻術で無力化させれば事は簡単である。つまり今こうして相対するのは、依姫が例外中の例外であるからに他ならない。
黒ゼツにとっては面倒なことに、依姫は自力で幻術を跳ね除けられる手練れ。元々のチャクラが強く幻術に高い耐性を持つ上、尾獣を完璧に制御した人柱力と同じように、己の内に宿る別の意識が解術を肩代わりできる。本人の精神力と神降ろしなる特殊能力が高い壁となりそびえているのだ。稀神サグメより厄介と見なせるだろう。おまけに隙のない輩では隙を作るのにも役立たない。
精神力は強いがひ弱な人間、力は強いが精神面はお粗末な妖怪。依姫は両方の良いとこ取りである。
「あの××めのようにはいかないのね。まあ賢者であり蓬莱人ゆえの叡智なら、素晴らしきと感嘆せざるを得ないがね」
朗らかな純狐の言葉を聞いた瞬間、依姫の脳裏に永琳の姿、彼女が宛てたと思われていた文書がよぎる。ならば一連の騒動に関連する強硬的な姿勢は、いったい何を残したというのか?
依姫の抵抗など意にも介さず、純狐は退屈そうに欠伸している。黒ゼツの伸ばされた歪な義手が、身動きを封じられた依姫の首を掴んだ。
「まだ別の力を……今度は直接、か……」
「依代ノ方ハ他ノ月人ト同ジ……オ得意ノ神頼ミモデキマイ」
苦しみと共に体の力が抜けていくのを感じた。神降ろしを始めとする術に充てる神力、霊力が不純物として強制的に排され、純粋で無力な部分が残るのみとなり、黒ゼツの封術吸引から身を守るための手札が失われたのだ。膂力で振り払おうにも体に力が入らなかった。
「ソンナ顔ヲスルナ……オ前ハ皆ノ苦シム姿ヲ見タクナイノダ……案ズルコトハナイ……次ニオ前ガ目覚メタ時……都ノ連中ハ幸セヲ満喫シテイルダロウ」
「何を――」
「都ヲ凍結サセテ作ルチャチナ夢トハ違ウ。オ前ヤ使役スル神霊ナドヨリ遥カニ高尚ナ魂ガ……創造ト破壊ヲ司ル天生ミノ瞳力ガ……間モナクコノ地ヲ覆イ尽クス!」
力強く握っていた拳を開き、小さな漆黒の球体が生み出される。黒ゼツがそれを依姫の胸部に触れさせるなり、義手の指先で印を結ぼうとした。
全員の動きが凍りついたように停止したのは、その瞬間だった。
「遅くなったわね。もしかしてこの海、都以上に空間ごと拡張されてるんじゃないかしら……広すぎるのよ」
依姫の口が動き「あなたは……」と声を紡いだ。瞼を開いて映ったのは、覚えのあるメイド服姿だった。
時の流れが止まった世界の中で、依姫の時間は止まることなく、咲夜に支えられたまま浜辺を目指して飛んでいる。それも長くは続かない。人の身故の制約の一つ――制限時間が過ぎたことで、凍結した世界は再び動き出す。
後方より距離を詰める黒ゼツの進路を、歪んだ空間から次々と現れる複数の咲夜が妨げたが、合間に時間操作を何度挟んでも着実に距離を詰められた。ほんの一瞬の時を動くだけの擬似的な分身では、囮として使うには影分身に劣る。さらに純狐か黒ゼツのいずれかの仕業か、能力を行使する度に精度が削られ、時間制限を短縮させられた。
浜辺が近づいた辺りまで迫るも、先回りした純狐に行く手を阻まれ、咲夜は足を止めざるを得なかった。
「此度の黒幕二人……状況的にキツイわね」
咲夜はこの時点で、黒ゼツや純狐との実力差を嫌でも理解していた。特に純狐は主のレミリア以上のものを内包する。何より主と従者がごっこ遊びで共に惨敗に帰した綿月依姫を、ごっこ遊び抜きで追い込む力の持ち主だ。
「早く、離れなさいっ……!」
「愚カナ奴ダ! 六道ノ力カラ逃ゲ切レルトデモ思ッテイルノカ――『地爆天星』!」
黒ゼツの大笑い。印が結ばれると同時に体勢を崩した依姫。咲夜の体を無理やり引き離したのだ。六道の術で生成された球体に触れたことで、彼女自身が物体を引き寄せる依代と化した。純化を浴びた体に輪廻眼の神髄を受けて、今や依姫に打つ手は残されていない。
轟音。揺らいだ海面を突き破り、絶え間なく浮き上がる大岩の群。浜辺の方からも鬱蒼と生い茂る森の樹々、地面から引き剥がされた土や岩の群が、地爆天星の核と化した依姫へ迫る。本人はその様子を黙って眺めていた。
(お姉様、八意様。皆――…ごめんなさい)
全ての理解に至り、心に満ちる本音。自らが消え往く寸前になり、都を護る者として不相応な言葉が吐露されても、後悔など何一つ抱かなかった。冷徹だった表情が柔らかなものへ戻っていく。
「思い通りにはさせん。そう言ったはずだ」
再び目を開けて映った姿は、咲夜ではなかった。黒衣を纏う見覚えのない白髪の男が、胸部に沈みかけていた球体に指先で触れている。
小さな渦が巻くと、男自身も地爆天星の核となる。この上なく無駄と思われる姿を眺めながら、手間を省ける好機が重なったと見て、黒ゼツはこもった笑いを上げた。
ところがその背後には瓜二つの姿もあった。触れた方の体に核が沈み込み、新たな贄を引き受けたことで依姫は自由の身となる。男は核と化した分身体の肩を掴み、遥か頭上の宇宙空間を鋭い赤眼で捉えた。両目を中心に空間のひずみが発生し、分身体は渦に巻かれ消え失せる。
核を失った物体の群が動きを止めると、次々と崩れ落ち海の中へ消えていく。
「鬱陶シイ奴ラガ集マッタナ……」
黒ゼツが歯噛みする。核の重さから解放された瞬間、ふらついて体勢を崩しかけた依姫を、咄嗟に受け止めたオビト。足元に渦が巻いている。異空間から突き出した石柱の先端が、海上での足場として機能しているようだ。
少し驚いた様子で近づいた咲夜に、オビトは無言で依姫の体を預けた。純狐の方は退いたのか姿が消えている。
「ココハ不利カ――『神羅天征』!」
周りを囲む有力者達の傍を斥力で一気に切り抜けるなり、やむなく元の浜辺へ向かって逃走を始めた黒ゼツ。
浜辺に倒れていた人形遣いの姿が見当たらない。黒ゼツは気に留める暇も惜しいようで、急いで印を結ぶなり両手を地面に着けた。
大量の砂を被り現れた木棺。蓋が開いて進み出たのは、うちはマダラの穢土転生体。白目と黒い瞳の色が反転している。三人を相手に時間稼ぎなど不可能に等しい。
間もなく目線の先が渦状に歪み、周辺の自然物質を辿ったオビトと咲夜、依姫の姿も吐き出された。黒ゼツはなおも余裕の笑みを崩さず、沈黙する転生体の傍を通り一行に向かい合う。
「手札は揃えた。同じ手は食わんぞ」
印を組んで身構えるオビトに、黒ゼツの器が指先を向ける。
「今度ハ趣向ヲ変エルガ……オ前ヲ片スノニ過ギタ物ニハ変ワリナイ。ドノ道オ前ラハ……」
――言葉が途切れた。最後まで紡がれることなく、突如として胸部を貫いた青い炎に押し黙らされる。
背後で赤い目を光らせる傀儡。吐血しながら掠れた声を向ける黒ゼツ。驚愕したのはオビトも同じだった。
「ソコマデチャクラヲ……付ケ焼刃デハ限界モ出ルワケカ……」
刀状に変化した揺らめくチャクラ体に刺し貫かれている。餓鬼道で吸い取るなり距離を取るなりする前に、至近距離に迫って手を伸ばしていた転生体。消耗した目が見開かれた時には遅く、大量の血と共に左眼が視神経ごと引き抜かれた。
尋常ではない悲鳴を上げる黒ゼツ。空の眼孔より溢れ出る黒染めの血。
「あの時とは逆だな」転生体は冷たい声を出す。「……つまるところオレの理想は、お前やそのジャリとは違うがな。死者を叩き起こすに止まらず、眼を奪ってまでオレを使ったのだ。相応の対価は払わねばな」
傀儡だった男は突然に叛逆した。時空を越えて猛威を振るった神の眼は、本来の持ち主の手により遂に奪い返されたのだ。