THE LAST PHANTASM -OBITO-   作:大兄貴

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四十六話 ダルマ

 目を開けて映ったのは薄暗い場所。むき出しの岩盤や鍾乳石を見るに、黒ゼツが地上で身を隠していた洞窟と思われたが、遥か上から玉兎らしきチャクラの群を感じる辺り、都のどこかであるのは間違いない。

 

 直前まで静かの海に居たはずだった。紫や霊夢との会話の最中、焼けつくような胸部の痛みと眩暈が突然に体を襲い、歪みゆく景色の中でもがき続けていた。神威で視界が捻じれる直前に、木遁『大槍樹の術』が自らの意に反して発動したことも。突発的で制御不能な行動だった。

――木遁。土と水、陽のチャクラを組み合わせた特殊な血継限界である。三つ以上のチャクラ性質を組み合わせた術は血継淘汰と呼ばれるが、木遁に用いる陽の力は六道由来の物であり、特定の者しか持たない性質であるため、忍界では特殊という枠内に入る。その人物こそ初代火影・千手柱間である。

 柱間の専売特許と言える術ながら、彼の体細胞を外道魔像で培養して改良を施した『柱間細胞』に適性があり、移植に成功した稀有な適合者が扱える力でもある。この体はマダラと同様に適性があるため、多少劣化こそするが扱い自体は可能である。だが此度の問題はそこではない。

 

 神威と木遁を無意識のうちに行使した――否、あの感覚はまるで――無理やりに行使させられた。

 誰かに体を乗っ取られたような――かつての大戦で黒ゼツに突き動かされ、穢土転生の死人だったマダラを生き返らせるために体を操られて、外道・輪廻天生の術を無理やりに使わされた瞬間。あの時にも似た感覚が体を支配したのだ。

 

「……来タナ……コレデ二度目カ……」

 

 嫌でも聞き覚えのある、喉を潰したような声が洞窟に響いた。

 目を凝らして奥を見ると、アロエを思わせる形状の葉が無数に突き出した大きな白い塊が置かれ、そこに黒ゼツの器が腰を下ろしていた。失ったはずの左半身は白い物体に覆われており、すでに人の形を取り戻している。塊の正体が柱間細胞であると一目で判った。

 叩き潰すべき元凶を前にして反射的に動いていた。右眼の歪から取り出した巨大な四方手裏剣を手に、左眼にチャクラを込めつつ黒ゼツ目掛けて走る。動じていない様子の黒ゼツが片手で印を結んだ瞬間、オビトはその場でピタリと硬直してしまう。

 

「何……?」

 

 黒ゼツを前に動揺したり、攻撃を躊躇したわけでは決してない。この状況で足を止める要因など、殺され命尽きた時を置いて他にはあり得ない。

 力を入れても体が動かせない。時空間移動も同様に。その他の術も効力を発揮しない。体が見えない何かに縛られ、地面に縫いつけられているかのようだ。術どころか指先一つ動かせなかった。

 くぐもった嘲笑が耳に入ると同時に、形容できない何かを胸部に感じた。胸の奥に冷たい感覚が広がっていく。その時に初めて術の正体に――術の存在に気づかされたのだ。

 

「『呪印』を……馬鹿な。何故、気づけなかった?」

 

 体内に呪印札を仕込んで行動を縛る術。思い当たる節どころの話ではない。過去に忍界で同じ術を体感している。覚えがないはずもない。

 忘れもしない幼少期、岩に押し潰され死にかけたところを、ゼツにより介抱された後の話だ。運び込まれたマダラのアジトで意識を失っている間に、『月の眼計画』に必要な駒を作るためにとマダラがこの体に、正確には心臓部に術を仕込んだ。自決を含む術者の意に反する行動を抑制し、自力で札を取り除こうとすれば、忽ち体が縛られ動けなくなる。

 マダラの手で埋め込まれた札の存在に気づくのは早かった。後に勃発した第四次忍界大戦の最中、神威空間でカカシとの一騎打ちに持ち込んだ際、彼の『雷切』を利用して故意に胸部を貫かせて排除した。外道魔像と九体の尾獣を取り込み、精神世界での十尾との戦いに打ち勝ち、人柱力として目覚めるには、体を縛る呪印が妨げになるからだ。同じ呪印札なら気づかない道理はなかった。

 

「無理モナイ」黒ゼツは頭を垂れた。「奴ノ物トハ違ウ……カグヤノチャクラデ作ッタ物ダ。オ前ハ当然ダガアノ八雲紫サエ欺ク代物デナ……コウイウノハ気ヅカレナイヨウ仕込ムモノダロウ? オビト」

「制御する機会など、いくらでもあったはずだ。それを今になって何故――」

 

 おそらく仕込んだのは幻想郷で目覚めるより以前。忍界とを隔てる次元の壁に神威で干渉せんと、『輪廻天生の術』でこの生きた体を蘇らせた後だろう。穢土転生体として先に復活していたマダラを操り幻術で意識を奪い、写輪眼を使ってその間の記憶を消したのなら、現世に蘇ってから幻想郷に来るまでの記憶がごっそりと抜け落ちていたのにも合点がいく。写輪眼による直近記憶の完全なる消去は、永遠の万華鏡写輪眼や輪廻眼など、高度な瞳力とチャクラを扱える者にならできる。マダラのような者が最もな例となろう。

 初めから呪印札を仕込んでいて、御せる状態にあったのなら、同士討ちなり叛逆なりやりようはあった。幻想郷側に打撃を与えるための方法など、掃いて捨てるほど存在した。黒ゼツの計画を助ける駒を作るために埋め込んだのなら。

 

「ソレガデキルナラ……今頃オ前ハ奴ラデハナク……コノオレノ横ニ居タハズダ」

「……できなかった、とでも?」

「コノ術ハマダラノ物ヨリ強力ダガ欠点ガアッテナ……カグヤト同ジ『十尾チャクラ』ノ持チ主ニハ満足ニ効力ヲ発揮シナイ。地上ヤ月デノ悶着デチャクラヲ乱シ……著シク消耗シタ時ヲ見計ライ……手綱ヲ手ニデキタトイウワケダ。思ッタヨリ時間ハカケタガナ」

 

 多くの記憶が波のように押し寄せた。幻想郷や都における術の行使からあらゆる戦闘行為、月の大結界を越えた際の大量のチャクラ消費が、特に該当するだろう。皆からチャクラを分け与えられたり、妖精の力で術が正常に発動できるほど心身は安定していたが、なおも万全の状態とは言えなかった。心臓部に仕込まれた呪印札は体の消耗を待ち、体を乗っ取るチャンスを虎視眈々と狙っていたのだ。

 黒ゼツと背後の塊を繋いでいた白い管が千切れた。欠損した分の体とチャクラを供給し終えたのだ。オビトの視線に気づいた黒ゼツが、薄紫色の隻眼を塊に向ける。

 

「覚エテイルカ? 前ニアノ空間デ言ッタナ……オ前ノ細胞ヲ少シバカリ頂イタト。コレハソレヲ地上デ培養シタ物ダ。器サエアレバコノ程度ハ造作モナイ……オレハ『カグヤ』デモアルカラナ」

 

 外道魔像抜きで柱間の力を制御し培養を行うには、魔像が持つ必要な機能を賄う相応の器官と技術、制御に用いる莫大なチャクラが要りようになる。カグヤから分離した黒ゼツが内包するモノは底が見えない。それに加え今や神々の力にすら触れているとは。

 

「得意げだな」オビトは頭を上げる。「お前の方は忘れている……あの時の言葉を」

 

 この状況では負け惜しみにも聞こえようが、神威空間での黒ゼツの台詞ははっきりと覚えている。『うちはオビト』を闇に落とすことは叶わないと。今まさに勝ち誇っている黒ゼツ自身が堂々と吐いた言葉だ。絶望で塗り固められた偽りの仮面を被ることなど二度とない。

 不気味な口元がにやりと歪んだ。なおも硬直したまま黒ゼツを睨むオビト。体を縛られチャクラを練られず、神威によるすり抜けも、時空間移動も全て術者の意思で制御されている。

 

「仮面ヲ被ラナイ」黒ゼツは視線を戻す。「ナラオビト……オレガ被セテヤル。マダラデハナイ――オレト同ジカグヤノ意志トシテナ」

「キサマ……」

「オ前ハ厄介ダ。殺ス方ガ利ニナル。ナノニ何故生カシテヤッタノカ……ソレハオ前ガ計画ノ要デモアッタカラダ。正確ニハオ前ガ以前……十尾ノ人柱力トナリ得タチャクラト……ソノ眼ニ宿ル瞳力ダガナ」

 

 写輪眼が力を失う前の本来の姿であり、輪廻眼の上位種に位置づけられる輪廻写輪眼。大幻術・無限月読を発動させるために必要な唯一無二の道具。紅魔館の屋上で月面に重ねて視た眼は幻覚などではなかった。

 主たる者に警告を発していたのだ。十尾を取り込んで人柱力となり、変容した己自身のチャクラが。期せずして体内に残っていた忌まわしき十尾の力が。以前より抱いていた様々な疑念が、黒ゼツとの会話を通して確信に変わっていった。

 

「惜シクモマダラハ逃ガシタガ……オ前ヲ手ニシタコトハ計画通リノモノダ。黙ッテ見テイレバイイ……オレノ意志ガオ前ノ意志ヲ喰イ尽シタ時……ソノ顔ハ再ビ仮面ニ覆ワレル」

 

 目の前で笑うのは饒舌の白ゼツではない。見知った毒舌の黒ゼツですらない。マダラを含む全ての忍を手玉に取った卯の女神、大筒木カグヤの意志そのものだ。黒一色の異様なチャクラが心の臓に触れて侵食し、氷のように心を凍らせる。地上の住民達に懐かしい温かさを感じ始めていた今になって、鎮まっていた鼓動が冷たい熱で燃え滾っている。

 頭を垂れ歯噛みするオビト。手元から滑り落ちた四方手裏剣が落下し、足元で鈍い音を立てた。

 

 

――◇◇◇

 

 

 表の都と変わらぬ中華風の建築様式に、赤や金色の豪華絢爛な飾りで覆われた贅沢な内装。星々を煌かせる漆黒の天蓋には、大小様々な惑星がいくつも見えている。外観も巨大ながら内部の空間が弄られそれ以上に広い。

 玉兎達が平穏に生きている都。そこから見た国産ノ狭間は、都の何ものにも侵されず形を変えない理そのもの。他の全ての空間は狭間を作るために存在すると言ってもいい。神の叡智を持つ賢者達が身を置き、消えぬ因縁が渦巻くこの場所を除いては。物体を押し退けて鎮座する空間と、空間の内に収まる物体の上下関係が覆る可能性が潰えない例外たる領域だが、その可能性を否定する別の例外は今ここに立っている。

 

「誰もかれも堕ちた女神に縋るか。細かく切り分けた飴の方がまだ見分けがつくぞ」

 

 見上げるほど壮大な天蓋の下、錫杖を構えた無数の月人達が、大廊下の中心に佇む一人の女性を囲んでいる。

 都との境界を踏み越えるばかりか、宮に踏み込んだ輩が化け物ではない道理はない。ここへ至るまでに綿月の片割れ、地上のレイセンとなった稀有な兎、警固の月人達を蹴散らし進み続けた挙句、境界の妖怪さえ敗北を認めざるを得ない、絶望的な状況に置かれても冷笑を失わぬ器。ここまでデタラメな輩など地上はおろか都にも居まい。月の天敵と評される由縁でもある。

 

「純然なる我が威光に救済を望むがあまり、捕食者の前に嬉々として身を晒すか弱い子羊。仙霊の目に哀れみを……このできすぎた場面もお前の脚色によるものか? 五流以下の退屈な色彩しか持たない、薄汚れた天上の眼が私を映すなら、一思いに首を刎ねてはいかがかな。さぞ愉快な見世物に映るだろう」

 

 艶めかしい声で紡がれる言霊。可視化された恨みが尾を形作り、背中で炎のように揺れている。

 今や女神にも匹敵する美貌を兼ね備えた女の細い肢体が、皮肉にも天女のように舞う。月の民は能力の有無に関係なく皆一様に硬直し、何もできず無条件に崩れ落ちていく。月の兵器は機能しないままに暴発し、各所で起こる爆発が月人達の嘆きを掻き消していく。残酷にも皆殺されることなく、倒れゆく仲間と崩落し始める城を虫の息で眺めるしかない。

 いっそ死を迎えることができたら、どれほど幸福と言えようか? 仙霊がそれを許さぬからこそ、この場で月人は誰一人として命潰えない。滑るように遠ざかる背を、黙して眺めることしか許されない。迎えるべき終わりを先延ばしにされ、月が壊れ往くさまを傍観するしかない現状は、彼らにとって『死』よりも遥かに苦痛なのだ。

 

 膨れ上がり暴走した憎悪は瑕穢をもたらし、生死の概念を月人に植えつける。本来なら死を忌み嫌う穢れなき月の民が、仙霊の前では一転して死を望むようになる。純化が月において最も恐れられる理由だ。仙霊の意志が城を覆い尽くした時、地上と月の境界線は初めて取り除かれる。

 終りの始り。永きに亘る月夜の舞台は終幕し、燃え滾る憎悪は消えてなくなる。この先には本当の平穏が待っている。

 独り歩きした先に、きっと。

 

 然るに門番の存在意義とは、門の先にある場所を護ることにある。

 とある地上の人妖が館と主を護るなら、民は月に仇なす外敵から門を守護する。今宵の門に番が立つのは、都が命を賭して門を守らねばならないが故である。守る必要のない門の前に番など居ない。

 今まさに仙霊を前にする門は、面白いほど脆弱な物に他ならないのだ。

 

「逃げ続けた先に何が待つ。そのせいでまた一つ、哀れな魂が私の色に侵されるぞ。自らの罪で押し潰されるに足る情など、今やお前になど残されてはいないだろうがね」

 

 黒い布で顔を隠した寡黙な月の民。残酷な使命に囚われた者の一人。三日月形の矛を手に襲いかかるも、鋭敏な刃とて元を辿れば鉄屑に過ぎない。白銀の刃は仙霊の肌を裂かず、触れる前に風化して消える。青白い指先が額に当てられると、月の民は矛の柄を取り落とし、膝を着いてうつ伏せに倒れ込んだ。

 仙霊は音もなく門を潜り抜けた。月の女神に魅せられた者は哀れにしか映らない。

 

 複雑怪奇な百の門・千の回廊を抜けた先に待ち受けていたのは、最深部を守る最後の門。この階層は大量の兵器を保管する空間で、最上階に位置する『開闢ノ間』と同程度に堅牢な護りを施された禁忌の領域。

 禁忌とは開かずの間や神の贈り物にも類する言葉。都において触れてはならないとされる『禁』を門の先に封じ込めている。古ぼけた鎖と札で厳重に封印された場所だが、仙霊はすでに数多の月人を手にかけた上、異空間同士を繋ぐ無数の門を苦もなく潜り抜けている。今さら彼女の足を止めるものなどありはしない。

 最後の結界を呆気なく破壊すると、仙霊は躊躇なく足を踏み入れた。

 

「私を通したぞ。さあどうだ、もはや見えぬはずもあるまいな?」

 

 真っ赤に染まった円形の空間を映しながら呟いた仙霊。この呟きは独り言だが、実際のところそうとも言えない。天井付近には生気のない赤い蝶が舞い、部屋の中央にある細長い円柱に近づく仙霊を眺めている。空間の奥に座する真っ赤な観音扉には目もくれず、本人は目的の物に迫った。純化の力が触れた円柱は輪切りにされ分かれていく

 底より現れたのは拳大の白い球体。自転を続けるそれを無言で手に取り、禁を映した仙霊は不気味な笑みを浮かべた。

 

 然るに純化とは、新たな要素を何もないゼロから創造する力ではない。既存の要素を取り除き、別の要素を除いた分だけ膨らませる力である。故に欠片の穢れも存在しない者――あり得ない話だが――例外的に純化の力は作用しないことになる。穢れなき民を脅かす要因は、純化ではなく月人の方にあるのだ。

 月の民とて地上の民と同じで生きている。その身に命を宿している。地上人ほど生死の概念が色濃く刻まれていないだけで、命が存在する限りは体内に、本人が認識できない僅かな瑕穢が存在し続ける。これこそ月人が純化の力を怖れる理由だ。

 無論それは、永遠にも等しい寿命に影響を与えぬほど、小さくちっぽけな程度でしかない。しかし地上人と同じように、人としての情が月の民に宿る以上、本来はさらに多くの穢れを持たなければ、そもそも生物として存在し得ない。そんな中で月人が永遠に近い時を過ごすためには、常にその瑕穢を一定量まで浄化し続ける必要がある。

 

 全ての答えが掌に収まっている。都の開闢以来、月人が月人足らしめるために存在してきた、最古の物質が一つ。太古の昔に月の王と女神が創造した、言うなら瑕穢の『浄化装置』。生物の想像を許さぬ量の穢れを現在も吸収し続けている。

 どの程度かと問われても口を閉ざすだろう。だが地上人をも死に至らしめ、神霊や仙霊にすら害となり得る瑕穢を、穢れなき月人が身に浴びたらどうなるか。

 

「救いを与える気がないなら、黙して見ているといい」

 

 仙霊は足を止めぬだろう。終わりをもたらさなければ、月人の苦しみは終わらない。仕上げに指先で触れると、純白だった物は一転して黒ずんだ。

 ここで初めて奥の観音扉に目を向ける仙霊。扉の奥からは物音一つ聞こえない。

 

「私の舞台は開演し、お前たちの世界は終幕を迎える。ゆめゆめその目に終りを刻め」

 

 憎悪は極限にまで増幅している。この上ない心地よさを噛み締めながら、仙霊は静かに踵を返した。

 

 

――◇◇◇

 

 

 三神結界の要に辿り着いていた依姫一行。境内を前にして立ち止まるのは、内部へ踏み入るのを躊躇したからではない。純狐の手により決壊した三神結界、それを擁する神代の鳥居に近づけないからだ。眼前には目的地こそ映っているのに、先ほどから進んでも進んでも、鳥居の姿は遠のくばかりで距離が一向に縮まらない現状。

 咲夜とレミリア、道中で合流した少数の玉兎達は、いずれも不可解な表情で周辺を探っている。依姫は少しばかり思案した後、僅かに黒ずんだ太刀を境内の一点に向けた。

 

「待つのも面倒ね」依姫は刀身を掲げる。「踊らされるなら破る方がいい――天照大御神よ。聖なる光明を以って、総ての黒を照らし出せ」

 

 太刀が不思議な輝きを灯す。途端に「やんっ!」という間の抜けた甲高い声が響いたかと思えば、一行の前に現れたもとい転落してきたのは、全身星条旗模様の服装の少女。

 地面で痛そうに頭を抱えていたところ、切っ先を無慈悲に突きつけられ、少女の顔から見る見る血の気が引いていく。恐る恐る頭を上げるとそこには、超がつくほどに冷たい表情の依姫と咲夜、汚物を見下ろすようなレミリアの眼。

 明るい金髪に赤い瞳、道化師のような衣服は派手の一言に尽きる。潤んだ上目遣いで一行に可愛さを訴えるものの、生憎と相手は玉兎を含め女性ばかり。同姓の場合は無反応なりで効果は薄く、むかっ腹が立つなりで逆効果だったりもする。「げっ」という顔の妖精を眺めながら鼻を鳴らすレミリア。

 

「自己主張が激しいだけで、品が感じられないわね。うちのメイドの方がマシだわ」

「何です? コレ」咲夜は首を傾げる。

「さあ? 地獄に棲む妖精の一匹だろうけど。地上の妖精以上の穢れに満ちた生命力の塊……ついでに小うるさく耳障り、って特徴は共通している。協力者がまだ居たのね」

 

 詳細には語らず大雑把な説明でさらっと済ませた依姫。捨て置けない穢れを前に素通りしないだけで、声からは興味関心の色が微塵も感じられない。外見のみで物を言うなら、生真面目な性格の依姫とは正反対に思える。

 

「まさか見つかるなんて――」少女の目が泳ぐ。「……いやいや、それより今は。えっとアレ、我が名はランパ――…じゃない、クラウンピースっ! 穢れを生命と呼ぶならば、あたいは月に仇なす美少女でしかないっ! 驚いたかい? 傲慢で愚かしき月の民よっ!」

 

 慌てながらも厳かな言葉を吐いた少女だが、空回って大人の真似事にしか聞こえず見えない。

 

 八意永琳を始めとする始祖組が移住する以前の月には沢山の妖精が棲んでいたが、現在は一匹も生息していない。穢れの塊である妖精の存在は月の民を脅かすため、都の開闢と共に王の命令で残らず駆逐させられた。かといって絶滅したわけではなく、地獄へ追いやられただけで、当の本人達は今も向こうで元気に遊んで暮らしている。月の地獄は意外と居心地が良いらしく、元の居場所を取り戻す気もないようだ。

 表の月を地上人達の夢の跡とするならば、月の地獄は過去に都が捨て去った『不要なもの』で溢れ返る墓場である。

 

「退きなさい。相手をしている時間はない」

「やなこったい」クラウンピースは浮き上がる。「友人様に怒られちゃうもんね。そっちの二人はど~でもいいけど、あんたには仲間の恨みがあるし――ちょうどいいから始末してやらぁっ! イッツ・ルナティックタ~イムッ!」

 

 紫色に燃え盛る小さな松明を掲げて、踊り子のようにくるくると回り始める少女。次第に白い霧が立ち込め、松明を手にした本人の姿が掻き消えた。

 レミリアと咲夜が周辺に目を走らせる一方、天照神を身に降ろした依姫の目は誤魔化せない。とある一点を捕捉して鏡面の太刀を振り払い、三人の視界は再び明瞭となる。振り向きざまの一閃が迸り、背後から首を掻っ切ろうと迫っていたクラウンピースがピタリと硬直し、狂気に染まった瞳で依姫を映した。

 

「さすがは綿津見……」

 

 待機を命じられていたクラウンピースも、依姫に見つかったのが運の尽き。最強の月人に目をつけられたからには、どこへ隠れようと全ての努力は泡沫に終わる。

 本人とて元より姿を見せる気などなかったが、依姫の登場で呆気なく幻覚を見抜かれた上、神霊の力で表に引きずり出されたのだ。彼女が相手という時点で、逃げ隠れという安全な選択肢は隙間なく潰されていた。

 

「でも一つ見落としてるねえ。あんた自身は月人なんだよ?」

「それで?」

「肉体が頑丈で刃が通らないんなら、脆弱な精神の方を壊しちゃえばいいってこと! 数秒で死んじゃいな、血統に恵まれただけの勘違いやろーめっ!」

 

 どこぞの芸術家そっくりな台詞を吐くなり、松明を依姫の前で振ってみせたクラウンピース。ちなみに女性は決してヤローではない。

 紫色の炎は具現化した狂気であり、光を浴びたり触れたりした者は、精神を侵食され心を操られてしまう。彼女の持つ能力の正体である。

 敵を狂気の渦に落とすなど、妖精の身に余る強力すぎる異能と言える。玉兎が相手なら善戦できただろう。しかし、同系統の能力者である鈴仙と比べると精度は遥かに劣る上、何より今回は相手が悪すぎた。背後で傍観する玉兎達、咲夜とレミリアは棒立ちしているのではなく、この場で参戦の必要性を否定したに過ぎない。

 

「……あり?」

「で?」

 

 目を丸くするクラウンピースだが遅かった。先の戦いで消耗した分を乗せて見積もっても、妖精の首魁一匹と月のまとめ役、元より実力差など言わずもがな。強靭な精神力で狂気を抑え込み、粉砕した依姫の軽快な拳が額に直撃し、クラウンピースはノックアウトされてしまう。敗因は妖精であること、綿月依姫を手負いだからと侮ったことである。

 

(まずいわね……このままでは)

 

 足元で目を回す少女から視線を外すと、抜いた太刀は鞘に収めずそのままに、依姫は決壊した神社の鳥居へ意識を向ける。

 都の十六方位を司る小結界、それらの本体たる大元の三神結界。鳥居の大結界は当然ながら頑丈で、端的に言うなら全ての小結界を束にした分の強度が上乗せされている。この場合の『小』とは規模であり、堅牢さに関して言うなら本体に比肩する。

 通常なら他の結界を全て壊さなければ、本体を決壊させるための前提条件は満たせない。だがそれらを無視して、万全な強度を誇っていた結界の要を打ち壊す力を持つ余所者が誰かなど、玉兎の連絡を受けずとも容易に判る。このような馬鹿げた真似ができる者は知る限り一人しかいない。

 依姫の脳裏を姉の貌が過ぎる。最悪の場合を想定しつつ踏み入れようとした、その時だった。

 

「今さらお出かけかな? まったくもって無意味だよ」

 

――長い金髪が眼前で揺れている。目を見開いたのは依姫だけではない。彼女に付き従う玉兎達、レミリアと咲夜の二人も同じだった。

 鳥居を潜って現われたのは、たったいま後を追うはずだった者の姿。不意を突かれながらも依姫の視線が注がれたのは、仙霊の手にある漆黒の球体。瑕穢の塊。この一瞬で忽ち全てを察した。

 太刀を手に動作した瞬間、球体から噴き出した黒い気体の中に、依姫の体が呑み込まれる。

 

「依姫様っ!?」

 

 駆け寄ろうとした玉兎達を咲夜が無言で制止した。宙に渦巻いた紅い霧が一点に収束し、血のように真っ赤な剣を手にしたレミリアが地面を蹴る。

 鮮血の一閃が走り、切り飛ばされた仙霊の腕と『ソレ』が高々と舞い上がる。続いて物体を狙うも、勢いを込めた刃は通らず弾き返され、刀身が砕け散る。レミリアは咄嗟に距離を取り、従者と玉兎達の元へ舞い戻った。

 すでに咲夜の腕には依姫の体がある。呼吸はあるものの、瞼を瞑ったまま動かず、彼女を支える咲夜も息切れしている。レミリアはそんな二人を映した後、物体を拾い上げる仙霊へ目を向けた。

 

「イヤな感じね。なにかしら? ソレは」

「ふむ」仙霊は微笑する。「そうだな……言うなれば、『雲』か。罪深き世界を洗い流すモノ。都における楔であり、恵みの雨をもたらす最終兵器……皮肉の効いた代物だろう?」

「話す気がないなら、薄汚い口を開かないことね」

 

 自らの話を相手が知った前提で説明する仙霊。何も知らないレミリアには戯言にしか聞こえず。

 

「今ここで引き裂いてやるわ――黒幕ッ!」

 

 声を張り上げて勢いよく飛翔した。レミリアが新たに形成した血剣を振るうも、剣撃は見えない壁で阻まれ、獲物に届く直前で止められた。殺意を放つ彼女を意にも介さず、仙霊は別の場所へ視線を移す。

 

「クラウンピース。目覚めなさい」

 

 剣は腕の一振りで粉砕される。続いて仙霊が放った純化の光に包まれて、意識を失っていたクラウンピースが覚醒し飛び起きた。

 暫し頭を押さえていたが、すぐに仙霊の気配に気づいて振り返った。その目が姿を捉えた瞬間、太陽のように明るい悪戯な笑顔が消え失せる。怯えたような視線は手元の物体に注がれた。

 

「友人様……それは?」

「目的の物だ。お前が知る必要はない。早々に離れるぞ」

「あたい――」クラウンピースは息を呑み込む。「……はい。わかりました。友人様が望むなら、あたいはついて行きます」

 

 有無を言わせぬ冷たい口調と瑕穢の重圧を浴びつつも、仙霊の後に続いて飛び立ったクラウンピース。二人は一行を境内に残して霧の奥に消えていった。

 

 暫し硬直していた玉兎達は、我に返るなり皆一様に銃を投げ捨て、せきを切ったように依姫の元へ急ぐ。

 玉兎に体を預けて目を閉じていた依姫が、二人の後を追おうと踵を返したレミリア、咲夜に「待ちなさい」と掠れた声で呼びかけた。

 ゆっくりと立ち上がり、境内に放置された太刀の所まで、足を引きずりながら戻る依姫だが、途中でふらついてしまう。月人にとって猛毒である『穢れ』を浴びた彼女は、先の応酬だけで歩行すら困難な容態に陥っていた。

 

「我々とて月の民、穢れについては解っています……この場は我らに任せて、医療施設の方に――お体を早く――」

「そうね……」

 

 急いで駆け寄った玉兎。助力を拒んで歩き出す依姫。そんな彼女が苦しみを殺して、立ち止まらない理由など言うまでもない。レミリアは無言で貌だけを依姫の方へ向ける。

 

「その通りよ……月の民。奴を止め、都の……皆の未来を守る責務が、私にはある。あの方との……」

 

 二人を追って歩き出そうとするも、目が虚ろに変わり、手元を離れた太刀が落下する。依姫は膝を着いてうつ伏せに倒れ、玉兎達は再び駆け寄る。

 玉兎の膝に頭を乗せたまま、光の消えかけた赤い瞳で暗い空を見つめる。その口元が悔しさに歪む。

 

「私の、役目――…」

「あーもう」呆れた声が上がる。「ゴチャゴチャうっさいのよ。だからさ、足手まといはごめんッつってんの。そんなんお前が一番解るでしょう」

 

 玉兎達の視線が一点に集中する。咲夜の隣でレミリアが振り返っていた。端から聞けば配慮を欠いたと思われる発言だが、普段の尊大さは消え失せる一方、優雅さと気品は失われていない。幼い表情は怒りに満ちている。

 レミリアは依姫の視線が向く前に貌を背けた。黒い翼を羽ばたかせ、従者と共に空へ上がりつつ、今一度眼だけを依姫達に向ける。

 

「守りたいんだろ。なら自分が死ぬかもしれない『前』を歩くのは、余所者風情だけでいい。お前は精々一秒でも長く生き永らえて、私らが死んだ後にでも駆けつけりゃいいんだ。自分の世界を生きてんのは、お前だけじゃないんだよ」

 

 本人とは思えぬほど感情的に声を荒げる様子を見て、突然の反応に息を呑む玉兎達。従者の咲夜は表情を変えず落ち着いている。依姫は目を開いてレミリアを見ていた。

 

――月の都は幻想郷と隔てられた別世界。地上人と月人とでは生きる世界が違う。地上とは相容れず、相容れることを望んでもいないのだ。然るに自分達の世界を『生きている』事実はどちらも変わらない。最愛の家族や友、大勢の従者を持つ者としてレミリアは、自己犠牲的に振舞う彼女を前に激情を隠せなかったのだ。

 依姫の言葉に間違いはない。都を守りたい彼女の想いは玉兎達全員に伝わった。人によっては美しくも感じるのだろう。しかし周りを想えば想うほど、時に周りが見えなくなり、大切に想う者達を自ら遠ざけることになる。

 相手の悲痛な気持ちは苦しみに変わるばかりか、やがては己自身を失い取り返しがつかなくなる。残された者の痛みは計り知れない。

 

 多くを語らず口を閉ざしたレミリア。従者に無言で合図すると、振り向きもせずに境内を飛び去った。

 ここで初めて依姫は、静かの海で散った部下の姿を思い浮かべた。月をまとめる重責の身で無理やり噛み殺し、押さえ込んでいた気持ちが押し寄せる。

 柔らかな表情で微笑み、瞼を瞑る。玉兎の前で感情は露呈させなかった。

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