THE LAST PHANTASM -OBITO- 作:大兄貴
洞窟や穴倉は暗く足場も悪いが、最も厄介なのは出入り口のない閉鎖空間である場合。捕縛してぶち込むのに牢や枷その他の拘束具は不要であり、ただの人間なら放り込むだけで脱出不可能な天然の牢獄と化す。
黒ゼツが地中に潜り姿を消してから、オビトはあらゆる手を尽くして脱出を試みていた。
この地点が都のどの辺りに位置するかは不明ながら、覚えのある複数のチャクラを頭上から感知できたことから、都のどこかの地下深くにある空洞内に居るのは判っていた。簡単に行き来ができない結界の外にでも出ていなければ、事前に掌握したマーキング物質を用いて時空間移動を行える。今頃は疾うに脱出を終えていたはずだった。
それをしないのは――できないのは、体力やチャクラがどうこうの問題ではない。柱間細胞の回復力でチャクラ量は戻りつつあり、妖精の力を受けて術を行使できる程度に安定もしている。体に埋め込まれた呪印は黒ゼツの思惑通りに行動を縛り、神威を含む術の発動を妨げるのみならず、遠隔操作までこなす厄介な代物だ。
先ほど――遠方に感知できていた霊夢やレミリアらしきチャクラが急激に膨れ上がり、そして瞬く間に消えた。純狐か誰かと交戦したと見ていいだろう。感知が届かない異空間に移動したのか、戦死したのかは定かではないが、皆の現状を思案すればするほどに悔しさが込み上げてきた。一番に動かねばならない者が、このような場所に留まっている。黒ゼツの思い通りに転がされて、何もできずに足を止めているのだ。
呪印を自力で取り除けない以上、他者の手で札ごと心臓を貫かせて排除するしか有効な手はない。これの意味するところは、どう足掻いても一人では黒ゼツには逆えないということ。
「大変ね。お互いに」
この場に居る者が一人であったのなら。実はオビトも気づいてはいた。少し語弊があるが、正確には見知らぬチャクラを白い塊の裏側から感じていた。敵味方かまでは判別できないために、黒ゼツが目を光らせている間は接触を避けていた。向こうにしても敵の気配が完全に消失したタイミングを見計らったようだ。
陰から出てきたのは一人の少女。長い艶やかな黒髪、和と洋をごちゃ混ぜにしたような服装で、板状の枷を両手に嵌めている。オビトは「何者だ?」と警戒しつつ近づいた。
「あら、先に名乗らせるつもり? 淑女なのに」
「うちはオビト。外来人だ」
「オビトね」少女は胸に手を当てる。「――蓬莱山輝夜よ。永遠亭って所に住んでる……んだけど、今はまあ人質? やってるわ」
「ならここに居るのは……」
「ええ。竹林を歩いていたら、いきなり襲われて捕まったの。さっきの変てこな黒いのにね」
蓬莱山輝夜。その辺に転がっている名前ではない。永遠亭や竹林という単語にしても、咲夜や鈴仙の話に登場した者と同一人物と見て間違いない。彼女も幻想郷の民であると同時に、月から地上へ下りてきた元月の民。
月や兎という言葉、名前と髪の長さのせいで大筒木の方がチラつくも、見れば見るほど別人としか思えなくなる。カグヤは常に無表情で心がない感じの人物であった一方、輝夜は表情や雰囲気が柔らかく温かい。これまでに出会った住人達の中でも突出した『優しさ』を感じる。
人質という現状が怖くないのか、輝夜は気だるそうな貌で欠伸している。口調や表情、動作に雰囲気、チャクラの安定性を視る限り、永琳とは違い幻術にかかっている様子はない。問題はどういう経緯で月の都に、しかも地中深くに幽閉されて人質になどなっているのか。
「何があった? 詳しく聞きたい」
「ん、そうねえ……色々分からないし、お互い身の上を交えつつ話しましょうか」
静まり返った洞窟で情報交換を行う二人。輝夜は話をしたり聞いている間、白い塊を指先で突いて遊んでいた。
経緯としてはこうだ――好物のタケノコご飯を皆に振舞おうと、天然のタケノコを採集しに竹林の奥地へ一人赴いた(曰く妖怪さえ立ち入らないのでお勧め)。採集を終わらせて帰路に就こうとした矢先、見知らぬ二人組が現れた。曰く「なんやかんや」あって捕縛され、妙な異空間に閉じ込められた。そこでしばらく空腹と死闘を繰り広げた後、最後に降ろされた場所がこの洞窟だった。
ちなみに不老不死の蓬莱人なので餓死はしないらしいが、染み付いた食事の習慣から腹は普通に減るとのこと。同じ蓬莱人である妹紅も話していたように、死なないだけで体の機能は人間と変わらないようだ。
月の民や蓬莱人の他にも、興味が持てそうな話題は沢山ある。異変の真っ最中でなければ深入りして聞いていたかもしれない。
「あの黒いの――黒ゼツ、だったかしら? ここであいつに地上の夜を止めさせられているのよ。情けない話だけど」
「夜を……止める?」
「そうなの」輝夜は息を吐いた。「永遠と須臾の操作。私の持つ能力よ。この力があれば、巫女や妖怪達には作れない完全な永夜を再現できる……本当ならとっくに夜明けだものね」
輝夜の異能と何年か前の『永夜異変』については、今や教科書も同然である阿求の幻想郷縁起を読んでオビトも知っていた。
永夜異変は、地上へ逃亡した輝夜を月の使者達から隠し守るために、八意永琳が起こした事件とされる。贋作の月で本物の月と光から地上を覆い隠すことで、月人の追っ手を寄せつけないようにした。
幻想郷と月の都が『裏側』同士で行き来できるとはいえ、元より博麗大結界の存在により、月人達が幻想郷の敷居を跨ぐのは不可能だった。故にこの行いは無駄骨に終わった――はずなのだが、どういうわけか結界の効力を無視して、お忍びで永遠亭へ遊びに来る月人のお偉いさんが約二名いる。そのお偉いさんに伴う者も同様に。月の都は幻想郷以上に常識が通用しない。
――永遠の世界とは不変であり、変わりようのない世界である。永遠の中では時が流れないため、あらゆる事象は永劫その形を変えることはない。永遠と須臾はいずれも時間と密接に関連する単語である。
蓬莱人の天敵である純狐には逆らえず、家族も同然の永琳を握られている弱みもあり、輝夜は黒ゼツの命令でやむを得ず能力を使わされた。話の通りなら今現在の幻想郷には、夜明けが来ない不可解な現象が生じていると。
(…………)
永夜を作り出す目的に思い当たる節がないわけではない。答えは大幻術・無限月読。輪廻写輪眼の瞳力を投影した月を用いて世界規模の幻術を掛け、地上の全人類を月読の世界に引きずり込む。術の発動に要するのは目の代わりとなる月だ。
任意の影響下での発動環境を確保する狙いがあるのか、未知の世界で発生する不測の事態に備えた保険、念に念を入れた補助的な行動とも思える。
「あなた、盆栽はお好き?」
「……煎餅なら」
兎にも角にもだ。大幻術を止めるための大前提として、何を為すにもまずは洞窟から脱出する必要がある。永夜に関しては『夜を止める』ことが目的であるなら他所への影響は少ない。
出入り口の存在しない洞窟、分厚い鋼鉄や陰陽遁の壁で囲まれていようと、神威を使えば容易に現状を打破できる。輝夜の身柄を保護すると共に、味方の陣営とも合流できよう。胸部に深々と根を張った呪印札により自由を奪われていなければ。今にも黒ゼツに制御されて、騒ぎを大きくするおそれが拭えない以上、ここでの足止めを強いられるのみならず、時間が経てば経つほど状況は悪化するだろう。
「埒が明かないな……奴の思い通りってのも我慢ならない」
「全面的に同意するわ」輝夜は天蓋を仰いだ。「本当に冗談じゃないわよ、いきなり出てきて。聞いた感じだと、都も幻想郷も危ないみたいだし……でもこれじゃ何もできないし……ああもう、どーすればいいのよ!」
「輝夜」オビトは目を開いた。「訊きたいことがある」
現時点での体力やチャクラを考慮しても、時空間移動や土竜隠れの術、木遁を利用した穴掘りなどで無理やり脱するのは簡単だ。しかしいかなる術も、結局のところ使用できなければ意味がない。手があろうと動かせなければ何もできない。術の行使を阻害する要因を排除しない限りは永遠に。障害を取り除く作業が必要だ。
(…………)
心臓部の破壊。他者に呪印ごと排除させて縛りを解くしか手はない。
体の作りが完全ではない幼少期、右半身という広範囲に初代の細胞を移植され適合したせいで、今や心臓を含む全身の主要な器官のほとんどが侵食を受けて変異に至っている。心臓を潰されたところで直ちに死にはしない。異常に高い生命力を持つ細胞の恩恵によって。
それでも所詮は人間、相応の苦痛が伴うのは当然ながら、大量出血に始まる細胞各所の異常、臓器不全の可能性、運が悪ければ脳のダメージによる永続的な麻痺や精神磨耗によるチャクラ崩壊、その先は死に繋がりかねない危険な賭けとなる。カカシと神威空間で戦った時は、深刻な故障に至る前に十尾の人柱力として目覚め、陰陽遁と十尾のチャクラで理に反した生命力と再生力を獲得して、運よく存命したに過ぎない。
目の前の人物が不老不死の蓬莱人であること、それがせめてもの救いだった。オビトが考えを打ち明けると、輝夜は居心地悪そうに「無理ね」と否定し貌をしかめる。
「その呪印とやら……物理的な干渉を受けるとしても、私の能力や弾幕には肉体的損壊を与える力も効果もない。残念だけどお役には立てないわね。この様では尚更」
輝夜が見せた両手首の枷に無言で触れるオビト。体内に埋め込まれた呪印のように黒ゼツが施した物で、蓬莱人の自由すら奪う物と知れば大体は予想できるが、特別な効力を持つ拘束具。枷には黒ゼツのみならず、純狐らしきチャクラも混じっている。仙霊である彼女なら蓬莱人の力を御する方法を知っていても不思議ではない。
(握られているのは同じ、か……)
自前の術や輝夜の力が使えずとも、時空間に常備するクナイや手裏剣なら、輝夜はおろかひ弱な人間にも潰させることはできよう。それを見越してか先の四方手裏剣は黒ゼツに持ち去られ、他に利用できそうな物も見当たらない。
「ねえ、あなた。そこまでのものが? どうして死の危険を侵してまで、他所のために動こうとするのかしら? 私は幻想郷と都に大小様々な恩があるけれど、立場が逆なら私――いえ、私たちには真似できないことよ。そんなのは」
輝夜はじっとオビトを観察する。相当のお人好しや馬鹿でもない限り、外から入り込んだ縁もゆかりもない異邦人が、他所のごたごたに自ずと関与しようとするはずがない。輝夜の目にはオビトという人間が見えていても、その心の内は霞んで不明瞭に映っていた。
「……今は判らん。オレにもな」
純粋な親切心、盲目的なお人好し、律儀な借り返し、敵が気に食わない、気分の問題か、あるいは非友好的な謀の範疇――個々の理由など列挙すればキリがないが、自嘲した今のオビトにはいずれも当て嵌まらない。
「何が目的で動いているのか。どんな立ち位置なのか。地上の民なのか、月の民なのか。判るのは……オレが『うちはオビト』として、奴らを潰す役目を背負ってるってことだけだ。余所者だろうが逃げる気も、今はまだ死ぬ気もない」
「あなた……強いられているの? 目に見えない何かに」
「さあな」輝夜の視線を捉えるオビト。「けどそいつは、『他』になどない。それだけはハッキリと言える」
本意か否かは関係なく、幻想郷という異界にどっぷりと浸かり、期せずした住民達との触れ合いも含めて、皆と共に月にまで乗り込んだ身なのは確かだ。今さら無関係などと言い訳して逃げるはずもない。逃げようとも思っていない。そういった考えからの責任感だと指摘されても否定できる立場ではない。
――分からないのだ。心を濁す色を見通そうと力を尽くしても、この眼には真実が明瞭な景色として映らない。『オビト』として再び世界を見るようになっても、『マダラ』として長く生きた時間が失われたわけではない。視えなかったものが視えるようになり、逆もまた然り。それに加えて、黒ゼツの思い通りに事が運ぶどころか、何もかも転がされっぱなしだ。
「惨めなものだ。偉そうに息巻いても、手綱を握られていては傀儡も同然。結局は端から……」
「そうね」輝夜は微笑む。「私たちは枷を嵌められてる。命を掌握されてる。このざまじゃあ人形以外の何物でもないわね。黒幕の思うつぼだし、本当に滑稽で目も当てられない。けれど――」
静かながら力強く聞こえた輝夜の言葉。口元には明るい笑みさえある。
「目に見える物を縛るだけ。その証拠に私たち、連中をぶっ潰したいって、本心から思えている。自分の意志まで縛られないだけ、儲けものとは思わない? 私があなたなら、大いに安堵するでしょうけど」
輝夜の楽観的に思える物言いと、理想とは縁遠いオビトの考えとでは相容れない。意志があろうとなかろうと、打つ手のない現実を否定できる理由にはならない。それでも今のオビトには、彼女の言葉が黒ずんだ心を乱すような温かさ、何より懐かしさが感じられた。
死に物狂いで足掻いて探せるだけ幸せものと。可能性がゼロだと断言できないだけ勝ちの目を見出せると。それどころか優位にさえ立っていると。
「本当にでたらめで、面白い奴らだ。何と言うべきか……見ていたくなる。お前らは」
「ふふ。もっと近くで見てもいいじゃない。同じ余所者、あまつさえ大罪人様ご一行が居るのよ? どこぞの隙間妖怪の台詞を拝借するけど――幻想郷は全てを受け入れる。あなたが思うほどあの世界、退屈させてくれないわ」
「『受け入れる』、か」オビトは笑みを漏らす。「こんな形でなければ、もしあの時――」
紡がれた言葉は無慈悲にも、声なき姿により遮られてしまう。不自然な風が頬を撫で、輝夜はオビトの異常を察知した。右眼を中心に渦状のひずみが発生し始める。
苦痛に歪むオビトの表情。輝夜が声を上げる暇もなく、渦に巻かれて忽然と姿を消した。
――◇◇◇
空気の流れが激変した。慎重に目を開けると、見知らぬ薄明るい景色が映った。どこかの異空間なのか現実空間からは異質でかけ離れている。心臓部の呪印を通して身体を制御し、神威を無理やり使わせた者の忌々しい姿も横にあった。
「お前一人か」
都の裏側、国産ノ狭間。二人は城から遠く離れた場所に立っている。計画の進行具合を鑑みて周辺を見回すオビトだが、黒ゼツ以外の協力者の姿は見当たらない。
「退屈ダッタロウオビト……オ前ニハ一仕事シテモラウ」
相変わらず得体の知れない笑みを見せる黒ゼツ、因縁の敵を前にして敵意を剥き出しにするオビト。並の忍なら怯むであろう写輪眼に毛ほども臆さず、黒ゼツは頭上を見上げた。
柱間細胞、万華鏡写輪眼、うちはの血族――チャクラは綿月姉妹にこそ劣るが、これらの要素だけでも消す必要性は否定できない。黒ゼツが計画の一部どころか要としてオビトを挙げたのは二つ目が主な理由だが、同じように必要とした物が特別なチャクラだった。そのために『うちはオビト』という忍をただ一人、最も重要な駒として従えるに至った。
「ドコカデ言ッタガ……オレノ目的ハ初メカラ戦争ノ中ニハナイ」
「……今さら判り切ったことを」
この状況で黒ゼツが嘘を吐いても意味はない。直にカグヤとのやり取りに関与した数少ない者として、無限月読が幻術世界を創造する物ではなく、個々の持つチャクラを集めて膨大な量に高め、カグヤを眠りより目覚めさせる一種の『儀式』であることは解っていた。
黒ゼツが地上や月人の命をできる限り潰さないでいたのは、当然ながら優しさや情けからではない。少しでも生かして多くの良質なチャクラを奪い取り、カグヤの兵士として作り替える必要もあったからだ。幻想郷や月の都には、忍界に見る者より強いチャクラを宿した者が多い。利用せぬままに潰すのは愚かというものだ。月の民に直接的な被害が及ばない別空間に呼び出した理由でもあるのだろう。
「カグヤトノ戦イノ時――」黒ゼツの目が細まる。「――アノ小サナチャクラ共ハ……イヤ『インドラ』ト『アシュラ』ハ……陰ト陽ノ力ヲ用イタ六道ノ術デ……オレトカグヤヲ地爆天星ノ内部ニ封ジ込メタ……オ前モカカシノ中デ見テイタダロウガナ」
始球空間におけるナルト達とカグヤとの最終決戦の直前、オビトはカグヤの陰陽遁・共殺の灰骨を腹部に喰らい、文字通り体が灰と化して崩れ去った。あの時にはすでに死んでいたが、カカシ達と忍世界の行く末を見届けるため、現世と黄泉の狭間で再会した想い人に暫し待ったをかけた後、精神のみで今一度カカシの元へ舞い戻り――彼の力としてその体に宿った。
チャクラとは本来、人と人とを繋ぐ力を言う。生と死の世界を行き来できたのは、一時的にでも十尾を取り込んで六道仙人と同じ境地に至り、ハゴロモの説いた『忍宗』が生む力の理解に至ったが故。
地爆天星に関しては、物理的に敵を押し潰すだけに思えるが違う。潰すだけなら九尾はもちろん、カグヤには容易く跳ね除けられてしまう。あれは六道の強力な封印術であり、どう頑張ろうと力任せには破れぬ代物である。
「オレの持つ神威の瞳力……イヤ、チャクラが鍵か」
「生キタチャクラヲナ。穢土転生ノ物トハ違ウ」
「……だが繋がりなどせん。本体がなければ無意味だ」
カグヤの封印石を掌握するために、都と始球空間とを繋げる出入り口を神威により創り出す。体内を流れる十尾チャクラや黒ゼツが集めた分を用いて。都と表の月、幻想郷と外界を隔てる大結界を越えるにしても、確かに相応のチャクラさえあれば不可能ではない。同一空間内とはいえ月までの道を開いたくらいだ。
然るに天界や魔界、仙界といった複数の異界の存在を認識する幻想郷の賢者はおろか、月の民ですら知らず、知り得なかった次元違いの場所こそが忍界。始球空間はその忍界からですら完全に隔絶され、さらには知られてもない全くの別世界である。
輪廻写輪眼の瞳力を持つカグヤ本人ならともかく、六道のチャクラで力が増している神威ですら干渉はできない。それを月の都から開くなら猶更だろう。黒ゼツは「当然ダ」と肯定してみせた。
「始球空間トテオ前ノ神威ト同ジ理屈……カグヤト同ジ眼デナケレバ入リ込メナイ場所ニアル。オ前ノ空間ニハ八雲紫ガ干渉デキタヨウダガ……マア所詮ハ『天之御中』ノホンノ一欠ケラ。真ノ時空間ニハ遠ク及バナイ」
天之御中はカグヤが持つ輪廻写輪眼の固有瞳術。強大な瞳力をもって六つの異空間に干渉する化け物染みた異能だ。神威空間はカグヤから実子のハゴロモに分散したチャクラのうち、天之御中に類するチャクラの産物。その意味では神威の上位互換とも言える。
欠片ほどの力では始球空間に存在する『月』には干渉できない。黒ゼツはそれを知った上で神威を必要とした。
「ダガオレハ別ダ」黒ゼツは印を組み始める。「オビト……オ前ハカグヤヲ舐メスギダ。オレヲ封印石カラ出スダケデハ意味ガナイ……カグヤトシテノオレニハ……最大ニシテ唯一ノ役割ガ刻マレテイテナ」
今の黒ゼツはカグヤでもある。忍界に居た頃のような意志としてのみならず、大筒木のチャクラをも受けて以前の面影すらなくなっている。そんな輩の吐いた一言が、オビトの眉をひそめさせた。
「……『刻む』?」
「――コノオレ自身ガ『地爆天星』ノ口寄セ術式ナノダ。ダガ干渉ニハ途方モナイチャクラヲ要スル……ソノ前提ハドウシテモ避ケテ通レナイ。都ニ散ラバッタ奴ラノチャクラヲ貰イ受ケ……ソレガデキル程度ニマデ力ヲ蓄エル必要ガアッタ」
「そのために奴らの丹を……チャクラの容れ物として別所に供給する、繋ぎの役を担ってたってわけか……」
口寄せ。生物か否かを問わず、契約や印づけを施したものを呼び出す術。対象の大きさや重量、場所などの条件に比例したチャクラ量が要求される。
黒ゼツはいくつもの断絶空間を介した口寄せを可能とするため、忍や妖怪達より遥かに高尚なチャクラを求めた。紫や豊姫などに見るように、神霊にも比肩する力を持つ者は、異なる空間同士を踏み越えることができる。
鍵となるのは神威や十尾のチャクラだけに止まらない。神々の叡智を持つ稀神サグメ、神々を従えし綿月依姫、そして――。
「最後ハツイサッキ収メタ……純狐トカイウ輩ダ」
「純狐――?」驚愕を隠せないオビト。「まさか、奴を?」
「正確ニハ違ウガナ」黒ゼツが嘲る。「トニカク邪魔者ハ消エタ……心置キナク目的ヲ達スルコトガデキル。奴ラニハ礼ヲ言ワナクテハナ……何ヨリ奴ヲ弱ラセル手間ガ省ケタ」
底の深い負に憑かれた赤い瞳が脳裏を過ぎる。憎悪に混じる悲しみの色彩を。盲目的なあの色はかつての少年にも視た覚えがあった。
心揺らぐ自らの力では抑えようのない心を、黒ゼツは此度の企みに利用したのか。
「利用デキルモノハ全テ利用スル――カツテノオ前ヤマダラソノモノダ。トビ」
「キサマ……!」
激昂するオビトを笑うのは、智と従、神殺の三柱を掌握した黒い化け物。
満を持して姿を見せた異変の黒幕により、今ここに古の神が降臨する。
「口寄・六道――『地爆天星』ッ!」
両者の足元を走る刺々しい術式。勝ち誇ったような黒ゼツの言葉が吐き出された瞬間、薄明るい国産ノ狭間が奇妙に薄暗くなる。途轍もない物が別の次元に位置する異空間から現れたのだと、天を仰いだオビトは悟らざるを得なかった。
空を覆い尽くすほど規格外な大岩が、無限の広さを誇る空間に『おそらく』は浮かんでいる。
巨大すぎて果てが見えず、全体像が視界に収まり切らない。
天地が逆転したと錯覚するほど、ソレは大きすぎていた。
英雄達が命を賭して創造した物が、時空を越えて現れたのだ。
「千年ニ比べレバ短イガ……コノ時ヲドレホド待チ望ンダコトカ」
満足げに封印石を映した黒ゼツ。薄紫色の右眼がオビトを捉える。
「コノ地爆天星ハ特別デナ……内側ト外ハ完全ニ断絶サレタ空間トナッテイル……ハゴロモ直々ノ封印術。オ前ヤマダラノ持ツ十尾チャクラデシカ解術デキナイ上……別空間同士ヲ共鳴サセル瞳術ガ……天之御中ニ類スル力ガ必要ダ。ソレヲ持ツノハオ前ヲ置イテ他ニイナイ――」
口を開きかけた瞬間。胸部を再び激痛が襲い、オビトは膝を着きかけた。呪印は意志の有無を問わず体を無理やり動かし、赤い双眸が頭上の封印石を映した。間もなく眼孔から出血し、両頬を伝う。
――終わりの始まり。硬直するオビトの隣で、黒ゼツの体が静かに融解し始めた。右半身の黒い部分が液体と化して流れ出ていく。
分離を終えた後には意識のない男が残された。これまで黒ゼツの器として動いていた月の使者だ。泥のような姿でそのままオビトの体に触れると、発生した渦に巻かれて姿を消した。
『オレノ役目ハ終ワッタ……本来アルベキ姿ニ戻ル……オ前ラトノオ遊ビ楽シカッタゾ』
家族や恋人に永別を告げるかのように、思いのほか穏やかな声が風に吹かれて消えていく。
直後、封印石の中で『何か』が鼓動したのを、地上からでもはっきりとオビトは感じ取った。
「ぐッ……!」
両眼に激痛が走る。大量のチャクラを一気に失ったことで体の力が抜け、体勢を崩したオビトが膝を着く。
月に乗り込んだ時すら比べ物にならず、黒ゼツが持っていた月の民のチャクラを介してもこのザマだ。尋常な負担ではない。頬を流れ落ちる血は、眼球への著しい負担を嫌でも実感させる。
呪印による遠隔操作で術を行使させられた影響か、時間の感覚が鈍っていたこともあり、月の大結界を越えた時の消耗と疲労が、あとからいっぺんに流れ込んできた。満身創痍とまでは言うまいが、万華鏡が持つ重大なリスクを喰わされたのは確かだ。何とか体勢を立て直すと、慎重に腰を上げる。
国産ノ狭間周辺には他の人影もチャクラも感じない。見えるのは頭上で黒ずんでいく巨大な封印石のみ。孵化まで虎視眈々と身を潜ませているのか。
「どうすれば――」
この場で理想主義など意味をなさない。弱音や諦め云々にかかわらず、眼前に広がる現実を直視すれば、どう考えても打つ手のない絶望的な状況だった。
地爆天星の内部と現実空間を神威により繋ぎ、黒ゼツによる干渉を許してしまった。体が消耗した上に心身を縛る呪印まである。文字通り全てを封殺されたのだ。
独りならばどうにもできまい。一人ではなく独りで、ここに居るのがオビトだけだったのなら。平穏を守るために動く者達が居なければ。
――◇◇◇
空を覆う巨大すぎる封印石が消え去り、無数の赤い目が瞬く異様な景色が現れた。
辺りの空間ごと転移させたようで、国産ノ狭間の空気が微かに肌を撫でている。
「ご機嫌よう」
先の負担と重圧で視界が霞みぼやけているが、境界の妖怪・八雲紫の姿は辛うじて目視できた。
オビトは姿を見た途端に目を疑った。胡散臭かった時と同じ挨拶ながら、健康的だった以前の面影は見られない。明るかった金髪は輝きを失い、美しい貌は青白く、指先から二の腕にかけて変色して黒ずんでいる。
「腕に何らかの――」
「触れないの」紫の頬が膨らむ。「こう見えて気にしてるんだから。もう」
「どうやってここに? あそこじゃ大雑把な位置すら……」
国産ノ狭間は感知が行き渡らないほどに広大であり、外部から正確に位置を絞るのは神威でも不可能に近い。ここで紫の登場は予想外だった。
「感知じゃないわ。共鳴よ」
「『共鳴』……チャクラか」
「ええ」紫の声は明るい。「牢で渡した私の力……チャクラを辿ってアナタを見つけた。傍には大きな星もあったわけだしね。思ったより時間はかかったけど、純狐が三神結界を壊してくれたおかげで間に合ったわ。命はこぼさなかったみたいね」
「あの時か」記憶を辿るオビト。「……だが、死んだようなものだ」
紫の姿を見て安堵したのは確かだが、この体は用済みとはいえ呪印に縛られている。操り手が不在というだけで糸は切れていない。手綱を握られる可能性を潰し尽くさない限り、いつでも向こうの駒として動かされ、黒ゼツとは戦うことすら叶わないだろう。地爆天星からカグヤが這い出てきた時、御された身では何もできずに終わる。『うちはオビト』を使って都を叩くのは赤子の手を捻るより容易い。
体内に施された呪印を含め、これまでの経緯をオビトは話した。紫は初めこそ驚いていた様子だが、妖怪賢者は聞き返すこともせず、話し終えるまでは一度も口を開かなかった。
「『悪意』には気づいていたの。その十尾チャクラとやらで、私のアレが弾き返されたのも納得だわ。高位だの下位だの、格の差異で打ち消される理不尽っぷり、見てて気分の好いものじゃないわねえ」
「知らん世界の知らん力ではどうしようもない。オレも嫌ってほど実感した……認識外の事象に対する境界操作の最適化とやらも、今からではどうしたって時間がかかるだろう」
「それはまあ、そうだけど」紫はオビトを見つめる。「……って、なんだか知った口ね。その辺話した?」
口数自体は割と多めな紫だが、普段は滅多に姿を見せない神出鬼没である上、秘密主義であり自分の身の上はほとんど話さない。古くから付き合いのある者達や直属の式神ですら、彼女のことを事細かに知る者は存在しない。それだけに自分以外では数えるほどの者しか知らなかったり、口外していない情報を唐突に話されて、紫は少し驚いた様子。しかしオビトの方は思考に意識を向けていて気づかない。
「……格ってよりは質の違い、か」
「オビト? 聞いてる?」
「神威はスキマの下位だが……奴の物と同じ質のチャクラを基にしている。そこを突いて打破できるかどうか試す程度の価値は……どんな力にも穴となる部分はある。あの十尾ですら……」
十尾は世界を循環する自然エネルギーの化身でもあり、仙術チャクラは自然エネルギーを体に取り込み練り上げたチャクラである。あの戦争で十尾の人柱力としてナルト達を相手取った時、陰陽遁で形成した『求道玉』を蝦蟇の仙術で無力化された経験から、自然の力には自然の力、つまり同じ質を持つ力が通ずるのは間違いない。黒ゼツの元であるカグヤが十尾そのものならば、体内にある同質のチャクラを用いた瞳術なら対抗できる可能性はある。人柱力でこそなくなっても、体を流れるチャクラが影響を受けたとすれば、仙術チャクラに酷似した中途半端な物質が体内を循環していることになる。
仙人化に至るまでの経緯と結果は、無限の夢に思いを馳せていた頃の忌まわしき記憶の一つ。それでもこれらカグヤとの共通点は、此度の戦いで必ずや突破口となろう。十尾本体との差は開きすぎているだろうが、対抗する術があるかどうかで話は全く違ってくる。手がなければ戦場には立てもしないのだ。
「まあでも」少しむっとしつつ喋る紫。「アナタに目をつけて正解ではあったわね」
あの星にはチャクラの欠片こそ残るかもしれないが、尾獣本体は内在していない。ナルト達が地爆天星でカグヤを封印する直前、囚われの尾獣達を全て外に引きずり出したからだ。ことの顛末は黒ゼツが話したように、カカシの目を通して実際に確認している。少なくとも戦争の時ほど力は内包していないと思われるが、今の黒ゼツが――カグヤが幻想郷や都で人や妖、果ては神の類や同等の、忍界の物差しをぶち壊す『非常識』なチャクラの数々を手中に収めている以上、この先の動きは全くもって予測できない。
(だがこっちは……)
今為せることが一つある。十尾は一尾から九尾までの尾獣を取り込んだ外道魔像、その最終形態たる神樹と融合したカグヤ自身。胸部に植わる呪印札がカグヤのチャクラで作られた物ならば、体内にある出来損ないの十尾チャクラの使い方次第では、黒ゼツの呪いを破壊できる可能性が出てくる。
詰まるところ問題は、自力での排除が不可能という点のみ。
「たしかにそう仮定したら……私の力でも、アナタを縛る『悪意』を取り除ける。心臓を潰すだなんて荒療治はせずに済むわね」
オビトから話を聞いた紫は、深刻な表情を隠そうともしなかった。
「けれど、分かっているの? これは心神の問題よ。深々と侵食した別の意志を排するとなれば、精神がその悪意に打ち勝たなければならない。途轍もない精神力が要求される上、失敗すれば『うちはオビト』としての心が壊れる――アナタという存在が死することになる。無謀とも言える賭けよ」
「覚悟はできている」オビトは咳き込んだ。「……危険があろうがなかろうが、どの道このザマでは、カグヤには対抗できん。やらずして後悔するより、やってくたばった方が未練なく往ける。こんなのは初めてじゃないしな」
再び脳裏を過ぎる遠き日の追憶。意識を失いかけるほどに強い瞳力とチャクラを持つ『輪廻眼』を左眼に移植し、その力を以って十尾を己が身に取り込み、己の精神を滾らせて必死に抵抗し続けた時の記憶だ。
精神世界における十尾との戦いは壮絶なものだった。僅かでも気を抜けば己の全てを乗っ取られてしまうほどの、人知を軽々と超越した莫大なチャクラとの『綱引き』。精神が極限にまで磨り減らされ、幾度となく心が崩壊しかけた。そうしてもはや自分が何者なのか、判別がつかなくなるほどに抗い続けて、ようやく十尾のチャクラを完全に押さえ込むことができたのだ。
十尾を相手に拮抗できるほどの精神力を手に入れ、オビトとしての自身を取り戻した今、カグヤの意志に喰われることは自らの死を意味する。
「お前らを心中では遠ざけてきたオレだ……今さらおこがましいのは分かっている。死人風情が相容れないのもな。それでもオレは、道を外して――手にできるものを失うわけにはいかない。もう二度と後悔などしたくはない」
紫は黙ってオビトを見つめていた。痛いほどの沈黙の中で、張り詰めていた空気が隙間を吹き抜けた。
やがて瞼を瞑ると、返答の代わりに無言でスキマを開く。紫は初めて微笑を浮かべた。
次第にオビトの姿がスキマに覆われていき、塗り潰されるように消え去った。