THE LAST PHANTASM -OBITO-   作:大兄貴

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五十話 うちはオビト

 目の前から大切なものが消えていく。その様子を何もせず、何もできずに見守ることしかできない。助けたいと思っても体が動かない。助けるだけの力があるのに、どれだけ焦っても、願っても、叫んでも、憤っても、悲しんでも、呪っても、絶望しても。どうにもできないのならば。

 失われたものが二度と戻らないとしたら、どう思うかなど想像に耐えがたいものだ。

 

 漆黒の霞で覆われた体が、液状化したスキマの中で浮き沈みしている。

 今は話しかけても反応はない。一時的に仮死状態を引き起こして意識を失わせ、呪印を介した精神への悪意ある干渉を遮断し、人為的に心神へ安定を与えている状態だ。封印石を口寄せした際に圧しかかった消耗の分、境界操作の力は予定より早々と入り込み、深々と眠りに就いた。

 人間を食料とする妖怪は血肉や臓器を見慣れている。心臓部がスキマを通して目に映っているが、紫は顔色一つ変えない。心臓を含む主要な臓器は柱間細胞に侵食され変異し、白く変色して生々しさが失われており、グロテスクとはそもそも程遠い。例えるなら精巧な粘土細工であり外観は作り物のよう。各所の管は穏やかに鼓動し、概ね正常に脈打っている様子。

 目視する限りおかしな点は見当たらない。特筆すべき異常が見当たらないからこそ、紫は眉をひそめたのだ。

 

(未踏の地にある未知の呪術……既存の計算式や理論に穴が生じるのは仕方ないにしても、どうしたって視野は狭まるわね)

 

 心の臓は太い血管が直結し、体内を巡るエネルギーが集結するチャクラの源流。受信機を仕掛けるには最も適している。体感者であるオビトの言葉を踏まえても、この部位以外に呪印を刻むのは非効率的と思われる。しかし他の箇所も含めて、体内のどこにも見当たらないのだ。

 用済みゆえと律儀に解術する道理はない。時間的な制約があったり、術者の死と共に消滅する類の術なら納得できるが、どうにも違和感が払拭できない。現にオビトの体は黒いチャクラで制御されている。

 紫はあちこち調べながらいくつか仮定を導き出し、チャクラと密接に絡み合う『心神』に関連して考えを巡らせる。

 

 妖力、霊力、魔力、気力、仙力、神力――幻想郷にて通ずる呼称は、忍界では総じてチャクラとして認識される。オビトと住民達のチャクラは、性質に細やかな差異こそあれど、根本はほとんど遜色ない。これらは古来より目に見えぬ精神的なエネルギーとされ、全ての生物にはこの定義が適用される。

 呪印がチャクラ体として心神に溶け込んでいるなら、並の力では目視や感知どころか認識もできず、認識できなければ干渉もできない。スキマを通しても目に映らないのは、微々たる隙間さえ許さぬほど同化して動かないせいではないか。であれば呪印を排するとまでは言えずとも、然るべく認識し得る者の助力を要する。

 跡形もなく取り除くには、その誰かの意識にオビト本人のチャクラと境界の力を乗せる必要がある。心神は精神的な問題であるため、干渉する場合は本人と最も近しい人物、心通わせる者でもなければ能力が正常に働かない上、下手を踏めば精神を崩壊させるおそれがある。他者の心に触れられ、自覚の有無にかかわらず本人を想える者、早い話が家族や恋人辺りが居れば解決するのだが、そうなると人材はさらに限定される。友情や色恋沙汰には縁遠い幻想郷の住民では到底該当しそうにないが――。

 

「……あら」

 

 ここで紫は笑ってしまう。幻想郷で長らく共に時を過ごして、なおかつオビトに対して好意的で近しい、ぴったりの人材が居るではないかと。ごっこ遊びでは的として打ち落とされてばかりで、妖怪よりも力は遥かに脆弱ながら、他のどの種族より自然の恩恵を享受できる特殊な能力を秘めた者が。同じ自然の力を擁するオビトに適合する者が。幻想郷ではなく月の都、それも都合よくスキマ空間の中に。

 思い立ったら早かった。指先で緩やかに空間をなぞると、口を開いたスキマから「なうっ!」という甲高い声と共に、小さな少女が放り出された。翡翠色の髪に金の瞳、蝶のような羽を輝かせている。静かの海に居た時からスキマの中に保存していたのだ。

 

「お仕事よ。動く的の分際で枠から外れた、小生意気な妖精さん」

「なな、なに――?」妖精は尻餅を着いている。「……あっ、ヤクモユカリ! なにがどうなって――」

「単刀直入に言うわね。ずばり、この私に協力なさい。大して役立ってないし、出番くらい欲しいでしょう?」

「え……できること、あるの?」

 

 これまでの経緯と呪印に関して解りやすく説明する。妖精は神妙な面持で聞いていたが、話が進むと目の色が変わり、所々の『オビト』という単語には敏感に反応した。素振りが無駄に可愛らしく、紫がちょっぴり苛立ったのは秘密。

 

 普段は白黒魔法使い辺りの的でしかない弱小種族だが、妖怪賢者は稀有な特性を知り尽くしている。

 妖精は数ある種族の中で最も自然に近しい、というより自然の化身である。覚妖怪や神霊とは異なる性質と方向性で人の心に触れ、隅々まで感じ取る力を持っている。心の遠い赤の他人にはロクに効力を発揮しない欠点はあるが、お互いもしくは片方のみでも、親しみを強く感じる者に対しては、心の距離に比例して大きな力を生み出す。これは元来、生物が大自然の中を生きてきた歴史的事実に由来するが、その辺りは妖怪の賢者としても興味の範囲外である。

 いずれにせよ、と紫は考える。妖精の力添えにより境界操作が及ぶ可能性がある。呪印が見知らぬ異界の術であり、前例が皆無なので半ば賭けだが、手段を選んでいる余裕はない。というより他に手立てがないのなら、新たな理論として構築する価値は十分にある。手札は多いほど有利な立ち回りができる。

 

「お前にしかできないみたいでねえ。同じ幻想郷の生き物として協力してくれるわよね? 相手が私でなくとも、積極的に?」

 

 口では丁寧に頼みながら、有無を言わせぬ威圧感を放つ紫。この場において断る手段も理由も存在せず、妖精は恐々ながら「やるわ」と即答した。

 二人は並んでスキマを覗き込み、作り物のような白色の心臓を目に映す。

 

「健気ね。面白いわ」

 

 紫はチラリと妖精を盗み見る。全神経を集中させる額に汗が見える。山に棲む花精が他の誰かのために、それも外来人のために頑張る光景など、長い人生もとい妖生でも滅多に拝めるものではない。本来なら悪戯や模倣、的程度しか取り柄のない種族が『形』を変えつつあるのも、あり触れた外来人の枠に収まらない、うちはオビトという特殊すぎる人間と出会った影響だろうか。

 

――皆と一緒に月へ乗り込みはしたものの、褒められるべき偉業を成し遂げていないと、妖精は密かに自覚があった。精々がオビトにくっついて心身に働きかけ、内的なエネルギーに安らぎを及ぼしたに止まる。

 月旅行をしたという事実は、仲間の妖精達はもちろん、その辺の妖怪にも自慢できる体験かもしれないが、必要なものに手が触れなければ無意味。妖精はそう考えていた。紫や霊夢達と同じように役立ちたかったのだ。妖精の表情は真剣ながら、口元には微かに笑みがあった。

 

「こんな時だもの。このくらいしかできないし、ヤブヘビじゃないわ」

「ヤブサカ」紫はジトッとした目をする。「この状況で露骨に不吉なこと言わないの」

 

 再び沈黙に包まれるスキマ空間。言葉の誤用に赤面しつつも意識を込める妖精。

 初めこそ緊張した面持ちで集中していたが、チャクラを込めるうちに段々と複雑な、しかし悟ったような表情に変化していく。

 

(そっか……あのときの、違和感……)

 

 ようやく理解に至った。一緒に行動する中で感じざるを得なかった黒を、直にその体に触れて初めて妖精は思い出した。

 愛想がなく冷徹さばかり露にする一方、自然にも似た暖かさと人の温もりを持ち、優しさをも垣間見えた人間。まるで素顔を仮面で覆い隠しているかのような、そんな不思議な人間。その心に潜む『闇』の正体を間近で見据えた今、オビトに抱いていた疑問は消え去った。

 人に心中を悟らせず弱みを見せない、ある種の頑固さを持つオビトを、今なお苦しめる呪印の力。傀儡のように好き勝手操られる『面白かった』人間の姿が横たわっている。

 オビトの惑う姿など、妖精には想像しがたかった。思い浮かべたくなかったのではない、思い浮かばなかったのだ。妖精や妖怪、人間とも異なる不可思議な雰囲気をまとう人間を前にして。妖精は静かに目を瞑ると、身を挺して自分を守る姿を目の当たりにした、森での出来事が瞼の裏に映る。

 言葉にしないからこそ吐露できる本心――隙間妖怪にからかわれても気にしないだろう。

 

「……覚悟してなさい。今度こそ隅々まで連れ回してやるんだから。わたしが飽きるまで付き合ってもらうんだから。だから……こんなとこで諦めないし、終わらせない」

 

 どうしても手に取れなかった人間をこうして理解できている。だからだろうか。この状況で嬉しさが込み上げているのは。よく解らない温かさが胸の辺りを包んでいる気がした。

 

 人と人とを繋ぐチャクラ――彼女に元より備わった自然的な力が、その心を自らに触れさせていく。絡み合っていく。

 手に触れた数多の追憶が、モノクロの映像として脳裏に流れ込んできた。

 

 

――◇◇◇

 

 

 無音の中で瞼を開いた。紫と妖精の視界から薄明るい隙間空間は消え失せ、代わりに現れたのは見知らぬ森の開けた場所。月の都や幻想郷のどの景色にも当てはまらない気で満ちている。

 頭上には月が浮かび、夜空には綺麗な星が瞬いているが、妖精は居心地の悪さを感じていた。深緑に満ちた自然が生い茂る割に肌寒く、月が血のように赤いのだ。

 

「なんだか、変な感じ。これって……」

 

 妖精が当然に唖然とする一方、紫は冷静に周囲を観察した後、ぬかるんだ土の上を歩き始めた。鉄製の壁に四方を囲まれた無機質な場所に居るかのように、自然の息吹は微塵も感じられない。自然の化身である妖精には、森の景色が偽物としか思えなかった。

 

「興味深い現象ね」紫が呟いた。「端的に言うなら……記憶の再生。私の境界があなたの力と共鳴して、この子が奥底に仕舞い込んで隠していた『世界』に入り込んだ、って感じかしら。偶発的な副産物か、必然的な現象かは見通せないけど……目的が目的とはいえ、悪いことしたかもね」

 

 紫は森を歩きながら推測する。地底の覚妖怪のように心を覗いて読むのではない、心に触れて理解する――認知とはまた異なる力。

 呪印という精神の一欠けらの抹消、忘却を望むオビトの強い気持ちが、紫の『忘却と記憶の境界』を偶発的に発動させ、記憶の断片を映像として覗き見るに至った。呪印を含む未知の力と存在に対して、境界操作を最適化させるために必要な計算式を組み立てようにも、幻想郷や外界には存在しない新たな理論を導き出すにあたり、不確定な要素が絡むのは当然である。それが二人の前に形として現れたのだ。紫や妖精はもちろん、オビト本人でさえ意図せぬうちに。

 この過程が必然的なものか否かは関係なしに、ある意味でオビトを『殺す』結果を生み出したのかもしれない。言葉にして紡ぐだけでは推測の域は出ないが、疑いようのない事実であることは解り切っていた。何故ならば。

 

――赤黒い血溜まりに膝を着けて、少女の遺体を胸に抱いたまま、血の涙を流す一人の少年の姿。妖精と紫には目もくれず、血まみれの顔を、光が失われた赤い目を、禍々しく輝く月へ向けている。

 空高く螺旋状に巻いてそびえ立つ大樹の下、血の海には面を被った数多の人間が浮き沈みし、その度に波を立てている。あまりにも凄惨な光景に、妖精は言葉を失ってしまう。

 

「こんなの……それじゃ」

 

 虚無に染まりゆく少年を見ながら、嫌でも理解に至ってしまった妖精。

 あの人間が錠を施して封じていたもの、周囲には決して見せなかったもの、見せたくなかったであろう記憶。それを本人の意に反して、呆気ない形で知ってしまった。おそらくは己を殺してでも隠し通して、守りたかった追憶の欠片を。

 頭の中を覗く気など妖精にはなかった。覚妖怪と同じ力を持っていたとしても、知ろうとは思わなかっただろう。自身の力と境界操作が共鳴し、未知の現象を引き起こした事実は、全くの偶然だったのだ。

 

 けれどもこれが――と、妖精は思う。堅苦しく乏しい感情表現、人とのかかわりにどこか消極的で、遠ざけようとさえしていた、『うちはオビト』という異邦人――大量の記憶が頭に流れ込み、答えがようやく見えた気がしたが、上手く言葉にできなかった。

 紫の方は胡散臭さを消しながら、顔色一つ変えようとしない。

 

「後戻りできない」

 

 妖精は一瞬だけびくっと震えたが、紫は落ち着いた口調で「私たちは」と付け足した。

 

「気をつけなさい。この者を想うアナタの精神まで呑まれては、少ない時間の中で助けるべき者が増えてしまう。目を背けたくなる色だったことが、せめてもの救いなのかもしれません」

 

 深い深い絶望に沈み往く姿を無心で映し続けていた妖精が、紫の言葉で我に返った。額から汗が流れ落ちるのを感じて深呼吸する。

 紫が指の一振りでスキマを開くと、二人は静かにその場から消えた。

 

 再び目を開けると、切り立った崖の上に居た。

 眼下に見知らぬ人里が映る。幻想郷にある『人間の里』より規模が大きい。人口もおそらく相当なもので、普段は大勢の人々が平和に暮らしているのだろう。平穏とは程遠い現在でなければ。夜間にもかかわらず悲鳴が飛び交い、各所での絶え間ない爆発と真っ黒な煙、遠方には咆哮を上げて暴虐の限りを尽くす、正体不明の巨大な化物の姿。

 

「復讐――…」

 

 紫は目を背けると、地上で対峙する二人の傍に降り立った。黒い衣に身を包み、仮面で顔を隠した人物と、背の高い金髪の男が向かい合っている。

 あの時とは髪型が変わり、素顔は面に覆われて表情も見えず、声質も様変わりしているが、先の少年と同じものを妖精は本能で感じ取った。ほんの一瞬の憎悪と深い絶望を経て、もはや以前の面影を持たない色に染まり果てたのだ。ここまで変わり果てる人間がいるのか。

 現在の姿とあまりに違い過ぎるため、妖精は外部からの別の干渉すら疑うも、すんでのところで言葉を飲み込んだ。ここにあの黒い塊は入り込めないはずだ。

 

「いいえ、そんなズレたものじゃないわね。感情を持つ生き物にしては無感情で、絶望の色が深すぎている。今やそれさえ通り越して、周りが見えなくなっている。見ることすら捨てて」

「……さっきの?」

「記憶の限り」紫は頷いた。「そうみたいね。あの子が周りを、自らの世界を捨てるきっかけになった、大切な者の死……それがあの子を染めて、虚無との狭間へと歩を進ませた」

「でもそれって、オビトだから……」

「ええ。元来の優しさと愛情深い色こそ、自他ともに全てのものから背を向ける道を選んだ、本当の理由。失いたくのない色を失った瞬間から、あの子の目に映る世界は変わった。とても美しいけれど、儚く残酷な色彩でしかないわ」

 

 自らが信ずる真実の、相応しい本当の居場所があるからこそ、人は嘘偽りのないありのままの姿を見せて生きている。

 然るにある日、ある出来事を境にして絶望に浸り、周囲が一転して偽りの世界としか思わなくなれば、自分を自分として存在させることを止めてしまう。自分の存在さえ偽物と見なして、偽りの自分を作り出してしまう。身を隠すように黒い衣をまとい、素顔を覆う無機質な仮面を被って、偽者を演じることを己自身に強いる。自分のみならず、それを取り巻くもの全てが、偽りの存在としか思えなくなる。誰より人に優しく、愛情の深い者にとって、偽りの色彩で満ちた世界とは『地獄』でしかない。

 真実とは誰もが渇望するものだ。人は限られた時間の中で、より多くの正解を選択し生きようとする。目の前の男とて例外ではなく、何より『本物』を望んだからこそ、偽りの世界で絶望した。自らを愛して、信じてくれた者達を犠牲にし切り捨て、独り歩きしてまで本当の居場所に辿り着こうとした。

 仮面の男も細やかな部分に違いこそあれ、愛情深い本質はあの純狐とも変わらないのかもしれない。

 

 紫とは対照的に悲痛な表情で、妖精は口元を固く結んでいた。

 呪印探しの中、副産物である記憶の波は次々と押し寄せ、その度にスキマは二人を導いた。仮面に赤雲の衣、犯罪者達の使役、化け物狩りなど数多の暗躍、利害関係の締結や宣戦布告など、目も当てられない罪ばかりが目立った。仮面を脱いで一人雨の中に立ち尽くしていたり、悲観的な顔で暗い空を仰ぐ姿も映りはしたが、男はあまりに多くの罪を重ね過ぎていた。

 黒幕という意味では、あの黒ゼツとすら何ら相違ない愚行を、幾度となく繰り返してきたのだ。

 

「オビト」

 

 新たな景色を映した時、無意識に呟いた妖精。

 紫とは違い、人間の罪には無知な少女だが、本能的な『恐怖』を感じたのは確かだった。

 種族こそ違えど、妖精の心は元より人間に近しく、そしてあの人間に近づいていたのだ。

 

「強すぎる愛情は時に個を暴走させる……目的のためなら手段を選ばなくなる。他の者が真似できないほどに、愚かしい行いの数々を気にも留めなくなる。誰にも救われず、溺れ堕ちてしまえばお終い」

 

 巨大な石柱が数多くそびえ立った異空間。左目に赤い光を宿した白髪の男との一騎打ち。両者共に血を流しながらも、互いに一歩も譲らず戦い続ける。男の目は凛と輝いているが、オビトの方は苦痛の中で虚しく足掻いているように見えた。

 

 顔を背けたい。そんな弱々しい心を殺して、妖精はしっかりと前を見つめる。

 

「でも……まだ、握り返せたんだ」

 

 静かな言葉を聞いて紫は微笑んだ。時間の止まった長い旅の果てに、二人の目はすでに真実を映していた。

 スキマを開くまでもなかった。対立していた二人が肩を並べて、陰りも迷いもない瞳を輝かせている。異様な風貌の男が立ち塞がり、いくつもの黒い球体を従えるのに対して、同じ色をした錫杖を手にしている。

 表情には絶望の色など微塵もない。親友の隣で笑ってさえいる。

 

「色々と遠回りはしたけれど……最後には分厚い仮面を打ち砕いて、淵の底から彼らの元へ戻ることができた。重ね続けた罪と共に、終わる定めに置かれたとしても、自分の道を正せた今――『うちはオビト』として、最期は皆の前を歩いて死にたい。心からそう願ったのね」

 

 神々しくも禍々しい男と二人の姿が消え去り、今度は降雪で荒れ狂う氷雪世界が現れた。

 友である男と二人の少年少女を背にして、眼前に浮遊する異質な女と対峙している。今や錫杖や武器も手元になく、一見すると無防備と思われる弱り切った姿ながら、赤い双眸には力強い火が灯っている。

 

「――なんなのよ」

 

 妖精の心に憤りが生まれた。目の前の知った人間を見れば見るほど、感情が燃え上がり抑えられない。場面はすでに氷雪世界から、奇妙に凹凸とした地表の荒涼とした空間に変わっている。

 跪いた一人の少年を庇い、体が灰と化して崩れ始めていたが、目には先の女をしっかりと映し続けていた。自然の化身として不滅の命を持つ妖精とは無縁の、『永劫の死』を前にしているのに、表情は苦しげながら、どこか満足げなのだ。

 避けられない終わりを目前に、本心から満足げに笑っているのだ。

 

「死に物狂いであそこまで頑張って……やっと光を浴びた奴が、なんで結局は死ななくちゃいけないの? 死ぬのが罪滅ぼしだなんて、誰が決めたってのよ」

「あの子が自ら望んだのよ。そんなのは誰が決めたわけでもないし、決められるほど軽々しいものじゃないわ。そのまま終わるのは――…真っ平御免だったみたいだけどね」

 

 幾千の星々が煌く広大な空間が現れた瞬間、爆発しかけていた激情が、妖精の心から嘘のように拭い去られた。

 紫も妖精も別の視点からではなく、今度は物語の登場人物の一人として、空高く浮かぶ真っ白な兎の化物に相対していた。鎧の形状をした山のようなチャクラ体を身にまとい、見覚えのあるいくつもの空間の歪が、天体のような化け物の体を打っている。

 妖精はただ一人、このチャクラに覚えがあった。自身に凶刃が迫った、あの時だ。

 

「終わるからこそ望んだ。信じてくれた者たちを守って、かつて自分も成るはずだった存在に一矢報いたかった。自分が起こした愚かしい争いに終止符を打って、本当の夢への架け橋になりたかった。それを全てやり遂げられたんだから、思い残すことなんてあるわけないわ。違う?」

 

 目を背けたくなる壮絶な映像から、妖精は一度たりとも視線を外さなかった。疾うに限界に達していたが、感情が頬を伝うことはなかった。口元には笑みさえある。

 兎の化物も、月草色に染まるチャクラの鎧も、総じて消え去った。

 

 白一色の不思議な空間が現れる。物音一つ聞こえない。左目に傷がある白髪の少年が立っている。静かに涙を流しているが、悲しげな色はない。

――二人はオビトとして、少年の黒い瞳を見つめる。幼い姿はやがて薄れ始め、後には形容しがたい小さな黒い塊が残った。

 左眼孔に収まっていた物は、妖精と紫を前に沈黙して動かない。

 

「本当に、なんというか――呆れるほど、面白い人間だと思わない? 世界に破滅をもたらさんとした人間が、最期は真逆のことを――しかも他者には真似できない方法で、それを成し遂げちゃうなんて。妖怪の長い人生でも、そうそうできることじゃないわよ。お前の認識もがらりと変わったんじゃなくて?」

「変わらないわ」

 

 妖精は黒い塊に指で触れながら、毅然とした態度で紫を見つめる。

 

「あいつは、いつだって。どんなになっても。へんてこな人間よ」 

「その燃えたぎる心を」紫が微笑んだ。「……今度はちゃんと、ぶつけてみましょうか。もしかしたら今度こそ、想いが届くかもしれないしね」

 

 しっかりと握った小さな手を、紫の手が上から包み込む。

 白と黒とを繋ぎ合わせる欠片は、二人の間でそっと輝いた。

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