THE LAST PHANTASM -OBITO- 作:大兄貴
地表を埋め尽くすのは十尾の体から分離した異形の怪物。陰陽九尾やマダラ以上に禍々しいチャクラが亡者共を呼び起こし、見渡す限りに無数の分裂体が跋扈している。いたるところで火の手が上がる中、オビトはその方角から覚えのあるチャクラを感じた。
背後から仕掛けてきた鳥の化物を振り向きざまに左目が捉えると、忽ち渦に巻かれて真っ二つに引き千切られた。幻想郷では大して目立たなかった左眼の瞳力は、明瞭なる『敵』を前にしたオビトにより、終に真価を発揮し猛威を振るう。
間髪容れず右眼から四方手裏剣を取り出し、マダラの須佐能乎の中に降り立った。隣に足を着けたオビトを暗い赤色の眼が捕捉する。
「その右眼」視線を十尾に戻すマダラ。「呪印を排した影響だろうが、使い物にならんと踏んでいた。オレの知らん手でも講じたか」
「今のオレには左眼もある……奴の支配を振り解けるなら、この程度は安いものだ」
「奴を前に足掻いた結果か」
瞳の色素が抜けかけた右目を観察しながら愉快げに笑い、身を案ずる素振りすら見せない。強いチャクラと瞳力を以って写輪眼を十二分以上に扱うマダラには、オビトの瞳力や視界の具合は目視するだけで見通せる。
「己の武器を秤にかけるとはな……酔狂を通り越して呆れた奴だ」
妖精のチャクラ共鳴、紫の境界操作の力を借りることで、黒いチャクラの排斥手段が確立された。己が身に宿る十尾チャクラを用いて、呪印を跡形もなく取り除いた。黒ゼツひいてはカグヤにより制御され、干渉を受ける可能性は払拭されたと言える。
しかしながら、肝心の呪印は右眼に仕込まれ、変容したチャクラが心身に深々と根を張っていたせいか、引き剥がすのに思いのほか重い代償を支払った。うちはの者にとって重要な意味を持つ武器、右眼の写輪眼である。幸いにも左眼への影響は出なかったが、手が遅ければ侵食が広がり、左眼を含む他の部位にも及んでいただろう。
これは奇跡ではない。二人の助力により迎えた結末だ。
(…………)
呪印の影響をもろに受けた右眼でも、視力はまだ失われていない。それに伴い瞳力も残っている。右眼の奥深くに巣食うチャクラのみを物理的ではなく、霊的な干渉により消し滅ぼしたおかげで、多少の負担を強いられながらも眼球自体は無傷で済んだ。
失った瞳力は柱間細胞の回復力を以ってしても戻らないだろう。左眼が頼りという現状は、偽者のマダラとして暗躍していた頃と真逆だ。同じ血族であり、利用し利用されるマダラには、この格好がさぞや滑稽に映るだろう。
「六道たるオレをも出し抜いた瞳力が哀れだな」
かつての手駒に容赦なく言い放ち、完成体を操作して周辺一帯の分裂体を消し飛ばすマダラ。
素早く印を結んだオビトは、火遁をまとわせた四方手裏剣を投擲する。攻撃後の隙を狙った個体は切り裂かれ炎上した。
「頼みの綱は、友とやらの瞳力と須佐能乎……頼りないものだ。そうは思わんか? オビト」
「……『須佐能乎』?」
須佐能乎。同じ能力か否かにかかわらず、両眼に万華鏡の固有瞳術を開眼した者にのみ発現する、第三の瞳術。
開眼に至る者は稀有とされ、うちはの歴史上でも開眼者はマダラやイタチなど実力者ばかり。開眼条件については昔、マダラから詳しく聞かされていた。
「何を驚く必要がある。オレに近しいお前なら、疾うに開眼していて当然だ。これまでの戦いの中で……その感触を覚えなかった、とでも抜かすつもりか?」
須佐能乎は特殊な瞳術である。第三の瞳術と呼ばれるが、これは文字通り『三つ目』の力という意味ではない。両目の万華鏡に宿る二つの瞳術とは根本から異なる。
天照や月読を始めとする固有瞳術との決定的な差異は、須佐能乎が眼ではなく、術者の肉体に宿るという点。眼球を失くしても術者の心身に残り続けるために問題なく使用できる一方、開眼した万華鏡を移植されても須佐能乎は移らず行使できない、という欠点もある。この術は開眼した本人にのみ扱える力だ。
二つの固有瞳術を「開眼した際」に分泌されるチャクラが、術者元来のチャクラに変異をもたらして、自身のチャクラを巨大な人型に形態変化させる特殊な力を行使できるようになる。絶対防御と呼ばれる須佐能乎発現の仕組みだ。
形状は術者の性質や精神状態に左右されるため、使い手によって様々な姿に具現化される。愛情に溢れた心優しい者なら巫女などの女性的な姿を、力を渇望する荒々しい者、憎しみに囚われた者は、武者などの男性的な姿を象る。例として前者はイタチ、後者はマダラやサスケが該当する。
(覚えがないわけじゃないが……)
幻想郷での出来事を思い返す。あの森で輪廻眼の瞳術に手傷を負わされた際、須佐能乎らしきチャクラの発現を目にしている。絶対防御とはあまりにもかけ離れていたため、苦し紛れの火事場の馬鹿力か何かで現出した偶発的な産物と結論づけていたが、本当にアレがマダラやサスケと同じ力とでも言うのか。
疑う理由は開眼のタイミングだ。須佐能乎は万華鏡の開眼時に宿る瞳術であるため、転生体との戦いで初めて開眼した力ではない。開眼条件は最も親しい者の死の体感――野原リンの死を目の当たりにした瞬間――オビトとマダラとを分ける境界線を破壊し踏み越えたあの時だ。
万華鏡を開眼した当時、上忍昇格祝いとして贈った左眼はカカシが持っていた。両眼が揃わないまま別個に開眼したのでは、須佐能乎発現の条件は満たさないはずだ。
「オレたちは六道と同じ境地に至った。奴を前にしたこの状況……語るなら『忍宗』に乗っ取るほうが面白味もあるだろう」
マダラは興味なさげに声を出した。十尾を遠目に映しつつオビトも意識を向ける。
「他者に移植して手元を離れたとしても、同じ眼ならチャクラを通じて本来の持ち主と繋がる。二つの万華鏡を共有していると言っていい。心当たりはあるはずだ」
「あの時か……」
「が、須佐能乎は二人同時になど発現せん。万華鏡の瞳力もチャクラも一つしかないからだ。お前かカカシという小僧のどっちかだが……眼の本来の持ち主はオビト、お前を置いて他にはおらん」
忌まわしき記憶が脳裏に蘇る。尾獣の一体・三尾を木ノ葉の里で暴れさせる、マダラによる計画の下で人柱力にされたリンが、里を護るためにカカシの『雷切』を利用して自ら命を絶った瞬間だ。カカシの左目を通して実際に右目で視ている。後の大戦でカカシの神威が自身の神威空間へ干渉した時のように、視界が共鳴する形でチャクラが繋がっていた。
同じ理屈で言えば、二つの万華鏡の開眼時にチャクラが変化を起こして、須佐能乎が発現していても不思議ではない。
「つまるところ……お前は十数年もの間、術の存在を長らく『認識』していなかった。体とチャクラがそれに順応していたことから、使えなかったとするほうが正確だろう」
「紆余曲折を経て両眼を手にし、失い……最後にはその存在に気づかされた――…そういうことか」
「自覚があって当然だ」マダラは素っ気なく喋る。「お前の言う友の力とやらも、脆弱とばかりは言えんのかもしれん――そう思うに足りる程度かは結局、お前次第だろうがな」
須佐能乎は具現化した精神エネルギーの塊。数ある瞳術の中では最も術者の精神状態に依拠する力である。心神の状態が万全でなければ扱えるはずもない。
十尾とのチャクラの綱引きの果てに、十尾チャクラの重圧にすら耐え得る精神力を獲得し、うちはオビトとしての自身を取り戻した今だからこそ、オビトは初めて笑みをこぼしていた。「そうだ」と拳を握り締める。
「あの戦いでオレは、カカシと共に奴と対峙した。六道の力で完成体まで出したってのに……何故こんな簡単なことにも気づけなかった?」
須佐能乎は発現して直ちに完成体に至るわけではない。最終段階である完成体への到達には本来、他者の両眼を移植することで発現する『永遠の万華鏡写輪眼』の瞳力が必要だ。万華鏡の開眼時に変質したチャクラが、他者の万華鏡のチャクラに反応し、さらなる変容をもたらすのだ。
カグヤとの戦いで一時的にでも完成体が発現したのは奇跡でも何でもない。永遠の万華鏡写輪眼のさらに先、写輪眼系統の最終進化形であり、本来の姿でもある輪廻眼を失った左眼の代わりに移植して、上位体である六道のチャクラを得ていたが故。大は小を兼ねるとでも言うべきか、六道仙人の力が眼のチャクラを肩代わりしたのだ。
周辺を囲む化け物を眺めながら、マダラは表情を変えずに「だがな」と言葉を続けた。
「――『眼』を持つ者なら現実が見えるだろう。永遠の光どころか、右眼すらないに等しい。須佐能乎とて満足に扱えず、死に損ないの体を晒している。そんな輩に何かを為せるとは思えん。違うか?」
「違うな」オビトの指が右目に触れる。「左眼だけじゃない。今のオレのチャクラこそが理由だ。元よりチャクラは精神的な力……奴を前にすれば、希望はむしろ色濃く見えてくる。いずれはマダラ――『育ての親』でもある、アンタさえ超えかねないな」
満身創痍の身で十尾に拮抗するなど実に馬鹿馬鹿しい話だ。聡明な者ならたちどころに気づくだろう。あの化け物を前に希望などないに等しいことを。この戦場で理想論など語るだけ無駄だ。しかしオビトに絶望の色はない。
他の誰より本人に影響を及ぼしたマダラからすれば、今のオビトはろくに戦えない弱者にしか映らない。仮にも手塩にかけて育て上げた駒が、自らの力量すら理解できない愚か者とも考えていない。肌や目ですら認識できない何かが陰から支えている。
不可思議な世界に飛ばされ、降りかかったものの正体とは何か――冷静な物言いをするオビトに、自身を面と向かって『死神』呼ばわりした、小うるさかった子供の姿が重なる。
「子は伸びるとでも抜かすつもりか? 反抗期の砂利が」
「どうだかな。今のはただ……図に乗っただけかもな」
「口の減らん奴だ」マダラの視線が外れる。「それが答えなら、さっさとオレの前から消えろ」
「そのつもりだ」
表情を戻すなりオビトは左目を見開いた。足裏を蹴って須佐能乎を脱すると、月面目がけて降下していく。
戦乱の世を命がけで生き抜き、忍の神と対等に渡り合い、伝説とまで謳われたうちは一族の長。マダラの遺志を継いで世を暗躍し、六道の力を得てから見えるもの、感じられるものが多くなった今でも、あの男に届かない物事など数知れず。過去に思いを馳せたせいで、廃れていた悪い部分が出てしまったのかもしれない。
オビトは暫し自嘲した後、自身を見上げる月の眼を睨んだ。
(お前との因縁もここまで……持ち得る全てをもって断ち切る。出し惜しみなんてしやしない)
国産ノ狭間に響き渡る咆哮、散々と利用したかつての傀儡を標的に捉えた十尾。巨大な体躯から暗褐色の腕がいくつも飛び出し、自らに迫る蟻一匹を握り潰さんとする。
全ての忍の祖、六道の生みの親たる力が目前で弾ける。風圧だけで何十もの人間を舞い上げ、触れただけで鋼鉄をも粉砕するであろう巨腕が映った。柱間細胞があろうと生身では即死、よくて全身の骨が粉々に砕け散る程度だろう。
――固く閉ざされていた右目が開かれる。オビトの体はひずみの中に消え去り、空を切った十尾の腕が一か所に集まる。集合体は右眼から射出された複数の四方手裏剣に切り裂かれた。自身をピントの合った地点へと直接的に転移させる方法は、時空間を経由しない分だけ移動が速く、敵の位置や動作を正確に読み取る強みもあり、洞察眼と併用すれば出現と同時に動作できる。
腕はバラバラとなり宙を舞う。二つに分かれた肉片が一点に収束し、さらなる数の分裂体が生まれていく。質より量と思われる物量頼みの軍勢とて、六道の陰陽遁で創造された生命体となれば別であり、十尾本体のチャクラを抑えない限りは無限に生れて再生し続ける。
(奴を前に強がりはしたが……)
重石だった呪印を排して間もないからか体が重い。何の影響もない左眼は問題なく行使できる一方、右眼は基本能力が巧く機能せず、視界も半分ほど霞んでいる。体を縛る呪印が失せようと、カグヤのチャクラが僅かに残るからか、あるいは空間中に満ちている方が原因なのか――右眼に負担をかけているようだ。右の頬を流れ落ちる血、眼球を襲う痛みにしても、万華鏡のリスクが柱間細胞の回復力を上回った証拠だ。カグヤの力が目覚め始めているのか。
左目を十尾の輪廻写輪眼に向けるも、結界空間を展開する前に先手を許してしまい、その度に体力を削られていく。本体の眼力が強すぎることに加え、図体の割に動作が異様に速いため、神威を当てるのはもちろん、忍の身体能力でも避けるのは骨が折れた。レミリアか天狗辺りの俊敏さがあれば上手く立ち回るだろう。
「しまった――」
眩暈が体をふらつかせた瞬間、隙を生んだオビトを狙い、複数の腕と分裂体の大群が津波のように押し寄せる。
十尾の意識は地上で暴れ回る木分身マダラ達から逸れ、ほとんどが此方に向けられているようだ。
――チャクラの粒なんかに手こずっちゃって。何やってんのさ。
頭の中に飄々とした声が響いたと思えば、右腕から生え出たいくつもの棘が針山と化して敵を刺し貫いた。枝分かれした樹木が体中から飛び出し、肉片となった腕と分裂体が地表へ落ちていく。
忍連合の多くを虐殺して命を奪った挿し木が、この体を守らんと枝を伸ばしている。それも大元である十尾に対抗するために。奇怪な光景だった。
――頼むよ。君が死んだら僕らも道連れなんだからさ。出るものが出るまで交代してる?
「……要らん世話だ。後はこっちで主導権を握る……これはオレの役目でなければならん」
――ヘンなとこで頑固なのは変わらないなあ。なら死なないようにがんばってよ。
妙に生き生きとした声がようやく止んだ。生みの親を前に良くも悪くも感情が高ぶったのだろう。
チャクラの練成に手間取っているのは事実だ。消耗した身体で不慣れな須佐能乎を制御するのは至難の業だ。具現化だけならまだしも、十尾に通るよう高めて顕現させる必要があるとすれば、カカシやイタチのように天賦の才でも持たぬ限りは当然に苦労を強いられる。
絶えず襲いかかる巨腕を前に、掌から生成した複数の棒を指の間に挟む。忍が投げるクナイ、咲夜が投げるナイフと同じ要領で動作し、洞察眼を限界まで開き投擲する。周辺の的を射た棒は印と共に形状を変化させると、致死性の高い一撃を体内からお見舞いする。分裂体は力尽きて落ちていった。
必要な印づけは施してある。神威の妨げとなる分裂体や腕の群さえ消え去れば、道を切り開かずとも一瞬で十尾本体を捕捉できるが――物事はそう都合よく運ばないようで、排して退けてを繰り返しても次々と迫ってくる。
降り注ぐ肉片の上を跳び進み、迎撃のために木遁の印を結ぼうとした、その時だった。
「動いちゃ駄目よ」
金属同士が擦れ合うような甲高い不協和音が耳に入る。間もなく背後から錆びついた廃電車が何本も通り過ぎ、眼前に立ち塞がる化け物共を吹き飛ばした。残った大群は古びた道路標識の雨に巻き込まれ、細やかな肉片と化していく。オビトには珍奇で見覚えのない攻撃である一方、チャクラには覚えがあった。
黒い裂け目が突如として開き、するりと現れたのは派手なドレスの胡散臭い少女。日光どころか日輪もない空間で日傘を差している。
「悪く言えば蛮人。良く言えば雄々しい戦い方、かしら。人間の倫理的観点では限りなく否定されて然るべきね」
挿し木の術で分裂体を切り刻むオビトに目を向けると、紫は言葉の割に愉快げな表情を見せた。
「紫、何故出てきた?」
「ごめんなさいね。アナタの決意を尊重して無用とも考えたのだけど、死なれたら元も子もないわけだし。こういうのはちょっと苦手だし、今は大して役に立てないけれど……『やくものゆかりん』も可愛らしくご助力ってことで。いいでしょう?」
「……拒んでも出張るだろう」
「まあまあ。時間稼ぎくらいなら、良かれと思って」
「喜ぶと思うのか。今のお前を見ても」
いまだに隅々まで理解の及ばない、謎の多いチャクラを持つ紫相手でも、都を穢した八十雨により侵され、体が弱っているか否か程度は目視で判別できる。人間と人妖の体は見た目が同じであるだけで、作りが全く異なるのは分かっているが、心身にかかる負担なら紫の方が重いだろう。
それなのに彼女は笑みを絶やさない。本人が真意を隠すこともあり、無理強いかどうかの心情までは写輪眼でも見通せない。
「本質までは変わってないのね。やっぱり」
「それに忘れたわけじゃないだろう。お前にはさっきの――」
「借りができるって?」
小さく呟いたと思いきや、今度はくすくすと笑ってオビトを制した紫。年上もとい大人の余裕を見せつけている。
妖怪染みた人外の力は幻想郷に溶け込むが、生真面目で厳しい面を持つ性質の方は、のんびりと穏やかに毎日を過ごす妖怪達と異なる。今では慣れのある本人も口を閉ざしていた。
「あのね人間さん。そんなもの、思うほど相手は気にしないのよ? 遠慮しないで素直に助けられなさいな」
オビトと化け物を隔てて展開されたのは、数百メートルはあろうかという巨大すぎるスキマ。眩いばかりの弾幕結界が四方八方に展開され、外敵を寄せつけない無敵の壁がそびえ立つ。接近していた敵も、迫っていた攻撃も全てが結界に阻まれてしまい、発生した光の渦に巻き込まれ打ち消されていく。スキマから放出されるチャクラは尋常ではない。
隙を突いてひずみを形成する。十尾が鎮座する地表まではかなり離れているが、神威による空間転移なら距離は関係ない。
呑気に手を振る紫に見送られて、オビトの姿は渦の中に消えた。
――◇◇◇
異空間が広すぎるせいか、間近に映す月は想像を遥かに超えた規模だった。六道仙人が創った月には及ぶまいが、荒涼とした大地がどこまでも続き、遠方には地平線すら確認できる。
足元の大岩、というよりカグヤの封印石に足を着けている。十尾のチャクラは真下に溶岩のごとく流れているのだろう。着地した途端に得体の知れない力と寒気、それでいて懐かしく不思議な感覚が体内を巡った。
(足場は安定したが、まだ距離があるな)
消耗ゆえか神威による転移地点が大幅に逸れたものの、平坦な地なら今度こそチャクラの練成に集中できる。慣れない空中で踊るよりはマシだ。
己の体に近づけんと見渡す限りに分裂体がひしめいている。本体に近づいたのだから当然とはいえ数が異常だ。例えるならただっ広い土気色の大海にしか見えない。地上や月で多くのチャクラを得た黒ゼツ――カグヤの意志が直に制御しているためか、尾獣もなく欠片ほどのチャクラ量にもかかわらず。仲間を逃がすために一万もの敵を相手に一人で立ち向かったとされる、三代目雷影でも骨が折れそうな状況だ。
彼に見るような鋼の肉体、並外れた体力でもなければ正面突破は難しい。一思いに神威を使えば早い上に楽だが、自身の移動を担当する右眼の瞳力は弱り切っている。先のように転移地点が逸れては堪らない。雷影並の対抗力を木遁、身体能力を視力と合わせて左眼で補う他ないだろう。
突風に黒い衣をなびかせ、地を埋め尽くす異形の化け物共を見据える。
右手に形成した木製の杖を手に飛び出した瞬間、接近を察知した軍勢が大波となり押し寄せる。
(忍連合が映していた景色……邂逅とすら思わせる)
圧倒的な物量と禍々しいチャクラを肌で感じて、かつてどれだけの忍が絶望の淵に追いやられたのか。
果ては死を覚悟した者、実際に体感した者も多かっただろう。今や命の灯を弱めて、終わりが近づきつつある自身になら、無念の思いで散っていった彼らの心が伝わってくる。血塗れの十字架を背負って立ち、消えぬ大罪を実感するのに、瞼を瞑るまでもない。
平穏な世界の住民達に触れるうち、徐々にオビトとしての存在を強く実感すると共に、重ねた罪の意識が強まっていった。周囲の心を近しく感ずるほどに、本心を遠ざけようと己自身に強いた。偽者マダラだった頃と同じ意志に心身を蝕まれたことで、皮肉にもオビトとしての心は確固たるものとなった。これが正しい道だと言い聞かせたものだ。
――忌む咎人に為せる善は世界の不変。在るべき世界の本来の形を失わせないため、罪を背負って一人足掻き続けること。それが己自身にできる精一杯となろう。
元死人の身で再び世界の歴史に手を触れたが、今一度己の罪に正面から向き合う機会が与えられたのだ。きっかけをくれた者達への感謝が絶えることはない。
「終わらせやしない――…!」
振るった杖に触れた化け物の表皮を突き破り、鋭利に尖った樹木がいくつも飛び出した。チャクラを餌として生長して爆発的に増殖し、周りを囲んでいた分裂体を樹が絡め取り、降誕した小規模の樹海が辺り一面の肉塊を四方八方から押し潰した。木遁は本体を目指すオビトの手となり足となり、障害物を蹴散らしながら歩みを支えていく。
遠距離攻撃とて決定打にならず、化け物共が一斉に射出した矢は総じて左眼が時空間へ飛ばした。結界空間が捉えぬものなど何もなかった。
だが浅すぎる――これが精一杯なのか。
この程度で罪を語るなど笑わせる。最大限に足掻いてみせろ。
友を落盤から庇って死にかけた時のように、命を賭けて救い出そうと動いてみせろ。
手傷を負えば負うほど、己の存在意義を証明できるはずだ。友が打ち勝った痛みはこの程度に収まるものではない――。
「もっと頑張れるって顔だ。遥々覗き見た甲斐があったってもんだね。こんなイヤ~なとこでもさ」
オビトの目が見開かれた理由は飄々とした声だけではない。左眼と同時進行で発動した右眼から四方手裏剣を取り出した瞬間、見覚えのある二つの姿が後続して時空間から現れた。向こう側に生じた出入り口を潜り抜けて出てきたのだ。
紫髪の注連縄と金髪の市女笠。妖怪の山の頂に鎮座する二柱の祭神――八坂神奈子と洩矢諏訪子が目の前にいる。二度と顔を合わせることもないと思っていた二人の姿が。
予期せぬ状況下、紫以上に予想外の人物、思わぬ登場に言葉を失い、唐突すぎる展開に状況が呑み込めず目を疑う。何度瞬きをしても消えない。終いには今しがた言葉を紡いだ片方、市女笠の方がくるりと振り返り、幼さのある無邪気な笑顔を見せる。もう一人は荘厳な目つきでフンと鼻を鳴らすと、掌から大きな光弾を撃ち出し、近くに迫っていた分裂体の一群を消し飛ばした。
「じゃ~ん。助っ人登場っ! かっこよかったかな?」
「長らく遠ざけてきた、我々にして久しき戦場であるぞ。それ相応にどっしりと構えられんのかお前は? 神たる者の威厳もない」
「冗談でも参拝に爆弾使うの良しとした罰当たりに言われたくないよ」
周辺にひしめく分裂体などお構いなしに軽口を叩き合う。決して侮れない多勢に無勢、手傷を負った劣勢下で他所に向かなかった意識は、何の前触れもなく出現した二人を捉えたのだ。この状況でロクな考えなど浮かぶまい。地上に居るはずの二人が何故に月に、しかも神威空間から飛び出してきたかなど。理由も経緯もまるで不明である。
黙り込むオビトの心境を察したのか、諏訪子が頭を掻いて「ごめんごめん」と申し訳なさそうに切り出す。
「うーん、あなたなら分かるかもだし……『分霊』、って言えばどうかな? お騒がせした時にあなたが吸い込んだアレ、私らの体や手足みたいなもんなのよ」
何も知らない者が聞いても首を傾げるであろう言い方。然るに二人と面識があり、その力の一端を目にしているオビトは、諏訪子の言葉を聞いて心当たりに気づいた。例の焼き菓子騒動で神々が火花を散らした際、二人が派手に振り回していた御柱と鉄輪。喧嘩を止めた時に時空間へ飛ばした物だ。
神具は祭祀の儀式に用いる道具であり、神霊の力を受け取る魂の依り代でもある。万物に宿るという神々にとって、この上なき縁を持つ代物である。己が力を分割してばら撒く分霊も同じ理屈で扱われるなら例外ではない。二人の分霊が助太刀にと、神具を介して遥々月にまで現れたのだ。
「つくづく驚かされる……お前らには」
人が神様と聞いて思い浮かべるであろう、立派で重々しい雰囲気や振る舞いが皆無か薄い、親しみやすさのある神様こそ、幻想郷においては神様たる何よりの証と言える。愛想よく振る舞う諏訪子はもちろん、神奈子ですら取っつきやすさを感じるのは、常識の内にある神様らしさが悉く的を外すからだろう。こんな二人が紫以上の力を持つ神霊などと一目では判るまい。
しかしながら二人も、今回ばかりは同じやり取りを長々と続ける気はないようだ。三人を包囲しつつある軍勢を睨み、神奈子と諏訪子は臨戦態勢に入る。息を切らすオビトを護るように背を向けて。
(だが何故だ――?)
助っ人を称してまで戦場に出てきた理由は何か。守矢の神々とのかかわりは情報収集の一環だった。核心的と言える情報を得られたために、此方から見たら恩人には違いないが、助け合う理由が思い浮かぶほど親しい間柄ではない。向こうにしてみても、神社での出来事は短時間の些細なやり取りで、非友好的ではない参拝客の一人という認識に過ぎないはずだ。自分達が平穏を過ごす、地上で最後の楽園を護るために、有益と認めた者を失うのは不都合であるという、損得を考慮した打算的な結論を出す方が、見出した価値として違和感は――。
その時だった。心の内で紡いだ言葉を遮るように二人が笑ったのは。神奈子に至っては腕組みして豪快な声を轟かせると、吹き荒ぶ余波が圧を起こして周りの敵を寄せつけない。
「だってさー」諏訪子が口を尖らせる。「私らの小競り合いに巻き込んだお詫びにって、早苗がワッフル焼いてくれたのにさ? 君ってば手ェつけないんだもん。恵まれた神やら妖怪ならスルー上等って感じだけど、君のような人間なら多少は甘やかしてもいいかなーと思って。参拝もしてくれたし……お礼よお礼」
「……それだけの理由で助っ人とはな。こんなところに来てまで」
「来たっていうか、私とコレ(鉄輪)が繋がってるっていうか、遠隔で操作してるっていうか……まあとにかく、人によっちゃ不可解に思うような言動を見せることもあるのさ。私らはね」
人間なら興味を持たず、取るに足らないと一蹴する物事にも関心を向ける。一回りも二回りもした者に人の理解は及ばない。竹林で藤原妹紅も口にした人外達の一面だ。
個々人の好みと食欲を満たす小さな焼き菓子『ワッフル』が、圧倒的な物量を誇る軍勢を相手取って共に戦う『助っ人』に呆気なく変わる辺り、神霊のデタラメさと規格外さをこれでもかと表している。他人も同然に自分を客観視して喋るのも容易ではない。借りのためでも平穏のためでも、自分なりの大義のためでもない。ほんの些細な礼として足を運んだに過ぎないのだ。明かされない真意が隠されていても、少なくとも今の諏訪子からは何も感じない。
真面目に突っ込むのもズレていると結論づけた後、オビトは二人の傍を通り抜けて先を急ごうとする。神奈子が諏訪子に目で合図すると、すうっと息を吸い込み、行く手を遮るように踏み出して「さあッ!」と力強く声を張り上げた。
「天に唾する愚物共よ! 我が威光を以って地を這い、滅び往くことを光栄に思え! 崇高なる力は有象無象の混沌に堕ちた偽神の悉くを塗り潰す! 泣いて喜ぶがいい! 正しき力を以って乾坤の狭間に――…」
血戦を前に紡がれた口上もそこまでだった。不意に神奈子がピタリと動きを止めると、自信に満ち溢れた表情を貼りつけたまま、蝋燭の火のように掻き消えた。後に残された真っ二つの御柱が力なく転がる。
途轍もなく滾っていた勇ましい姿が消えて沈黙が訪れる。オビトと諏訪子、周りの大群すら呆気にとられたように見えた。この状況で確実に言えるのは、誰一人として神の体に触れなかったこと。
「何が起きた?」
「限界だね」諏訪子は呑気に喋る。「張り切りすぎちゃったみたい。まあでも、割ともったほうじゃないかな? 折れていたわけだし、こっちと向こうの距離や結界の強度も考えたらね。繋がるまでは長いくせして、切れるのが一瞬なのは難よね」
曰く、御柱や鉄輪などの神具は極めて頑丈で、神霊の魂との親和性が高いこともあり、分霊の依り代としては雑な道具より遥かに使いやすい。乾坤という言葉がぴったりなほどに。
ところが神威による空間歪曲を受けて、真っ二つにねじ切れた御柱は力をほとんど失い、神奈子を分霊として繋ぎ止める力は著しく弱まっていた。長らく退いていた戦を前に力みすぎて負荷がかかり、依り代たる神具が限界を迎えて壊れ去った。幻想郷と月の都を隔てる強靭な結界の存在と途方もない距離が追い打ちをかけて、神奈子の分霊は脆く成り果てていた。決定打となったのは前者で、天と地を分ける神々の住まいに国津の分霊を完全な形で現出させるには、本来なら事前に準備を徹底する必要がある。即席で作った分霊に為せることは知れている、という諏訪子の談である。
「ま、人のことは言えないよ。あいつほど熱しやすくはないにしろ、動き始めたら止められないのは同じ。あんなモノの影響下じゃあ、たぶんそんなに長持ちしないけど……後押しするくらいなら、できると思うから」
「なら今度は」オビトは前方を見据える。「ありがたく受け取るとしよう」
様子見に徹していた軍勢が一斉に襲いかかる。駆け出したオビトは精神を研ぎ澄ませつつチャクラを練り、諏訪子は細長い形状の金属を周囲に浮かべて頭上を並走する。
神奈子が消えて彼女一人になりはしたが、紫以上の力を持つとされる神霊の力は尋常ではなく、諏訪子の体に触れんとした分裂体は凍りつき、声にならない苦悶のうめきを漏らして倒れ伏した。ある者は狂ったように頭を揺らして、ある者は胸を掻きむしり、ある者は膝を着いて動かなくなり、ある者は大口を開けて無音の断末魔を響かせる。市女笠に隠れた目がぎょろりと蠢き、両腕を大きく広げると、疾走するオビトに四方八方から迫っていた分裂体共が次々と破裂、土気色の肉片が飛び散った。勢いよく放たれた金属による遠距離攻撃で道を切り開きつつ、オビトに迫る脅威を片っ端から排除していく。
オビトの方もチャクラを練り終えた。印を組むと同時に両腕から生え出た樹木が枝分かれし、投擲された槍のように分裂体の肉体を貫き、二度目の印で爆発的に生長、先端の尖った鋭利な樹々が体内から串刺しにした。続けざまに三度目の印を組みながら息を吸い込み、口内から炎を吐き出すと、巨大化した火球が地表を抉りながら突進し、立ち塞がる数々を焼き尽くしていった。背後から押し寄せる軍勢を視線に捉えながら、諏訪子は「そのまま走れ!」と大きな声で呼びかける。
半端な心構えも迷いも持たぬ一人の人間を未練なく送り出した後、異常な数の暴力を振るう怪物共を前に諏訪子は微笑む。得体の知れない異様な気配が漂い始めた。
「こっから先、行くってんなら止まるしかないよ。それだけの話よね」
導きのない偶然の産物により天津の禁域に踏み入り、複雑な心情は当然に芽生えど、分霊の気まぐれが起こした不可抗力と無理やり解釈して納得させる。
刻一刻と迫る終わりの瞬間を憂うことなく、その表情はとても穏やかながら、底知れない不気味さをたっぷりと含んでいた。
――◇◇◇
時間が経つほど瞳力と視力が低下し続ける一方、十尾本体のチャクラが近づく度に敵の数は増え、襲い来る攻撃はより激しいものとなった。
絶え間なき応酬で血飛沫が舞い散り、絶えぬ傷と負担は細胞の治癒力を上回っていく。木遁や左眼が猛威を振るってもなお、神々の強大なチャクラをも取り込んだ十尾の計り知れない力はオビトを脅かす。それでも本人の口元から笑みは消えない。
洞察眼の死角を突いて放たれた一閃。背中を裂く感触を目と肌を通して味わう。動きを止めたオビトへ間髪容れず襲いかかり、体が異形の怪物達の中に消えていく。
その刹那だった。謎のチャクラが重石を押し退け噴出され、周辺一帯に蔓延る分裂体を渦に巻き込み吹き飛ばしたのは。
「これは……」
人間の肋骨部分を象ったチャクラが本人を包んで浮かび上がる。他の何より精神状態に作用する力――長い年月で廃れ果てていたチャクラが、精神の変化と急激な高ぶりを引き金として、永遠と思われた封印を打ち破ったのだ。
十尾をも押し負かせた強靭な心神が具象化され、急速に膨れ上がっていく。
(懐かしい気持ちだ。この左眼……オレとお前が逆になったみたいだな。カカシ)
別の骨も次第に形成されていき、月草色に染め上がった巨人の骨格を模る。
硬質な拳が振り下ろされ、衝撃と風圧を受けた化け物共が空高く舞い上がった。生き残りが再び死角に身を潜ませるも、左眼の洞察眼が接近を許さず、振り向きざまの強打で叩き潰される。痛みを殺して足裏を蹴り、オビトは月の中心部目指して駆け出した。
原型体と複製体の質の違いか、木遁は僅かなチャクラ消費で大きな力を生み出せるものの、生物もどき相手には満足に効力を発揮しない。左眼は命なき者にも効くが、複数体を同時に相手取るまではできず、神威だけで大勢に対処するのは難しい。いずれもチャクラの練成次第で威力や精度、効果時間や範囲が変化するため、不調では空振りする場合もある。しかしながら、チャクラを練成する過程を踏まずに直接操作し、物理的な力で広範囲を圧し潰す第三の瞳力は、各々の弱点を上手くカバーして戦うには最適と言える。
難点は常にチャクラを消費し続けること。志村ダンゾウとの戦いで極限状態に陥ったサスケほどではなかろうが、この術を以ってしても事態が好転したとは断言できない。右眼の瞳力が落ちつつあるからか、チャクラの消費速度が時間と共に増していく。
呪印が左眼まで侵食していたら、あっという間にチャクラが底を尽き倒れていただろう。右眼と違って左眼の瞳力に問題はない。十尾本体を抑え込むことを見通せば、この力は一秒でも長く維持させて、身体に順応させておきたいところ。
尋常ではない負担と重圧は骨が軋むようで、体の節々に痛みが走る。足首に鉄球を付けているかのように脚が重い。諏訪子による援護を受けてもなお、天体の大きさもあって一向に十尾が近づかない上、疲労と絶え間ない分裂体の襲撃で時空間移動にも頼れない。なればこそ左眼を使わざるを得ず、チャクラの鎧は因縁の輩を相手に顕現し続けることができる。
この状況すら好機と受け取るなど、輝夜の楽観的さが移りでもしたのだろうか。
視界を覆い尽くすほどの分裂体が、斧を振り上げて背後から迫る。
左眼が奇襲を逸早く察知し、月草色に燃える巨人の腕に殴り飛ばされ、原形を留めず消し飛ばされる。奥から迫っていた十尾の腕は高速回転する四方手裏剣に巻き込まれ、展開された結界空間に捕捉した分もまとめて引き裂かれた。
オビトの意識は視界に映る化け物共に集中していた。だからだろう。
「……ッ!」
地面を突き破り飛び出した無数の腕が直撃し、オビトは凄まじい衝撃を浴びた。感知範囲の穴を潜り抜けたのだ。
忽ちチャクラの鎧に亀裂が入り、全身が無重力に包まれた。消耗に重なる風圧で体勢を立て直せない。真正面には胸部を貫かんと迫る敵、背後からは串刺しにせんと得物を構える姿が映っている――。
「あの横暴で粗野な男の後に、またしても地上人。あなたまで居たのね」
得物が標的を刺し貫くことはなかった。崩れた体勢は真逆の方向から吹いた突風により安定した。すかさずオビトが反撃に出る直前、周辺の化け物共が真っ赤に燃え上がり、肉片や炭すらも残さず一掃され消える。
少数の玉兎を従え上空から降り立ったのは、見覚えのある薄紫髪の女性。静かの海で姿を目にした記憶がある。
綿月姉妹の片方――綿月依姫だ。右腕が朱色の炎と同化している。周りの玉兎が口々に何か言っているが、オビトの耳には入らなかった。
「でも、それについては訊かないわ。今はね」
神降ろしの姫君も都の守護者として参戦したのだろう。豊姫の妹なだけあって、莫大で高質なチャクラを肌で感じる。それでも十尾を前に無傷では済まなかった様子で、頬や腕に細やかな生傷を負っている。玉兎達も同様だった。
「手酷くやられたみたいだけど……あんなの相手に無傷でってのもね。あれだけの猛攻の中、その程度で済んでいるだけ大したものよ」
「お前は平気なのか。月人は頑丈にできている」
「へへん。我々の上に立つお方ですからね、地上人とはそりゃもう月とスッポンぽんですよ!」
「黙りなさい」玉兎をたしなめる依姫。「……あれはもう、色々おかしいわね。斬っても圧しても肉片から蘇る異常な再生力――神霊の火で焼き尽くさないと、際限なく分裂して数を増やすし、後からどんどん補充される始末。本体をどうにかしないと駄目ね」
「アレでも一部だ。本体のチャクラは途方もない……奴はお前の力も持ってるだろうしな」
「そういえばそうね……」
依姫の手助けで命拾いはしたが、第二の六道仙人として十尾の力に触れた経験が悪い意味で活きたのか、チャクラの一部分にさえ翻弄される自身の力不足を思い知らされた。開きすぎた差は体内の十尾チャクラが警告を発するほどだ。依姫が強すぎるために判別しにくいが、黒ゼツという分身を介して獲得した諸々により、月人のチャクラに対する耐性も持つだろう。分裂体は処理できても本体に通用するかは予想がつかない。
会話に時間を割く余裕は残されていないため、十尾という存在について簡単に説明する。依姫は口元に手を当てて考え込む。
「今は奴が仕切ってるだけで、十尾のチャクラと神樹自体は攻撃意志を持たない。そいつらを封印するか、容れ物の中身を全て引きずり出すか……どっちの場合でも止まるはずだ。手がないわけじゃない」
尾獣の入った十尾を抑えるための封印術は、インドラとアシュラのチャクラを用いた六道の地爆天星を置いて他にない。本来なら二人の英雄の力添えがなければ打つ手はないが、幸いにも十尾は尾獣を取り込んでいない。月の民の強大なチャクラを持とうとも、尾獣がなければ封印術の脅威にはならない。
ただし、発動に必要な輪廻眼と生きたチャクラがない以上、こちらの手段は却下か保留にせざるを得ない。尾獣が存在しないという穴を突いた方法を採ればいい。
「あなたの言う『魔像』には、その尾獣とやらの本体が入っていない。元々の片鱗と丹で補充した物が在る状態……手を打つなら未完成のうちに。止めるには今ってことね」
十尾の本体に顔を向ける依姫の横で、ふらつく体を抑えつつ「そうだ」とオビトは肯定する。
「それにはオレの『十尾チャクラ』が必要になる……でなければ干渉できない。奴の体に同じ自然エネルギーの――木遁を介してオレの力を注ぎ込み、内部から叩く。同質のチャクラ体の引き合いを利用して、綱引きの要領で一気に中身を引きずり出す算段だ。神威が役立たない現状、この包囲陣では簡単には近づけまいが……」
チャクラの綱引きは経験がある。一度目は仙人化した際にナルトを相手に、二度目は体内の尾獣を失った後でマダラを相手に仕掛けた。六道の持つ自然的な力を用いて干渉し引っ張るのだ。
今回は尾獣が居ない分、負担はいくらか低下するだろうが、疲弊した体とチャクラを考えるに、有利不利が逆転する場合も覚悟すべきだろう。それ以前に近寄れなければ意味がない。かといってこの物量を前に無傷でやり過ごすのは困難を極める。第三の瞳術が満足に機能すれば好いのだが。
「地上の民と共闘なんて異例だけど――」
太刀を手に悠然と進み出る依姫。そのまま暫し考え込んだ後、何やら納得した様子で「違うわね」と一人納得してみせる。
「思えばどちらとも言いがたい。この『世界』においては、地上にも月にも住んでいない。あっちでは月の民として生きていたのかもしれない。手を結んでも問題ないわ」
「……高貴な姫がそんなんでいいのか」
「いいのよ別に」
基本的に幻想郷と月の都は対立関係にある。殺伐とした関係とは言えずとも、人や妖など種族に関係なく友好的とは程遠い。とりわけ紫を始めとする幻想郷の妖怪達との関係は、今より千年ほど前に勃発した月面戦争を契機に悪化の一途を辿った。両者の確執は現代でも消えたわけではない。
個々人の感情で言っても、月の民は地上を見下しがちで、都の上層連中にも今なお時代遅れの慣習に囚われた者は多い。過去に地上へ亡命した元月人達はともかく、歴史を永らく紡いできた上の者は考えが頑なな傾向にある。そのお偉いさんの一人であるはずの依姫が、あろうことか部下達の前で堂々と言い放ったのだ。
「都での地位にしたって、あんまり拘りとかないのよ実は。どうせ共通の敵なわけだし、ごちゃごちゃ言わず協力しなさい」
厳しい表情に不釣り合いな砕けた口調は真実か否か。部下の玉兎達は案の定、口をあんぐりと開けて言葉も出ない様子だ。依姫の立場を思えば当然の反応だろう。青髪の玉兎だけは何故かにこやかに笑っている。
「黒い奴から私を引き剥がした力、今度は近くで見せてもらいましょう」
「あいつらに負けず劣らず……身なりに反して面白い奴がいるのは、何も幻想郷だけじゃないってことか」
不平等で冷め切った地上と月の関係などお構いなしに、姫君自ら嬉々として常識をぶち壊すと、ここに異色の二人が足を着けた。