THE LAST PHANTASM -OBITO- 作:大兄貴
成り行きで合流した依姫達と一時的な協力関係を締結し、付け焼刃の須佐能乎を操作しつつ分裂体を蹴散らしながら、十尾を目指して駆けていたオビト。
月の中心にそびえ立つ漆黒の峰を前に足を止め、月草色に揺らめく骨格の中からその巨大な姿を睨む。
軍勢の中を突っ切るのに、チャクラの消費が当初の予想より少なく済んだのは、諏訪子や依姫達の思わぬ助力によるものが大きかった。期せずして遭遇した月人達は驚異的な戦闘能力で、不思議な火縄銃を振り回す玉兎達もそこそこに、統率者として上に立つ依姫の力は並外れていた。
豊姫の力は都で直に味わっている。あの姉にしてこの妹か、手傷を負っても気にする素振りを見せず、分裂体共を殲滅する勢いは微塵も衰えない。紅蓮の炎に氷の槍、白光する雷撃に荒れ狂う大渦と、豊富な手札で軍勢を粉砕しつつ、玉兎の銃撃や須佐能乎で仕留め切れなかった残り物の片づけまで引き受ける始末。早い話が彼女の足手まといに他ならず。
(出始めなどこの程度か。あいつと出会った辺りで自覚できていたら……少しは違ったかもしれないが)
術や技が己の明確な意思の下に扱われる以上、自覚の有無が心身やチャクラに及ぼす影響は無視できない。初めて妖精と遭遇した山での出来事を思い返すと、オビトとしての存在を認識した瞬間にこの力を理解できていたら、これまで触れてきた物事が違って見えたり、視えるものも増えたのではないか――時が過ぎ去った今でもそう考えざるを得ないのだ。
須佐能乎を開眼した時期は、野原リンの死を目の当たりにした当時にまで遡る。
そもそも瞳力とは時間をかけた修行で高めていく、忍の技と同じ理屈で成り立っている。体とチャクラの成長に伴い増大するものだ。瞳術の一つである須佐能乎のチャクラも、単純に年月を重ねる度に強大となる。しかしながら、無自覚のうちに得ていた第三の瞳力は、十数年を経てもほとんど成長せず、神威の成長段階に不釣り合いなほど小さいままだった。使い慣れない武器で十尾に立ち向かうなど、本来なら自殺行為である。
その一方で、仙人や十尾の力に耐え得る精神力ゆえか、隻眼の状態で無理に抑制されていたチャクラが爆発的な急成長を遂げたからか、第一形態発現までの時間は異様に短かった。此度の戦いの中で第二形態(完全体の一歩手前)まで至る可能性はある。
必要なのは一つ、心を折らぬこと。己自身のチャクラを信じる他あるまい。
「――あ、あなた。そんなか、らだで、依姫さまに、ついてける、なんて、ち、地上人にしちゃや、やるじゃない? 見直したよすこ、すこ少し」
息も絶え絶えに笑んで強がる玉兎。月に住む妖怪は頑丈にできているのか、喋る余裕は残されている様子だ。
「……無理に喋らんでいい。お互いさまだ」
「そそ、そんなこと、ないもん」
尊敬する上官を前に強がりたい玉兎でも、残念ながら虚勢を張っているとしか思えない。
玉兎達は皆一様に疲労困憊している。重そうな火縄銃を抱えるだけで精一杯に見える。そんな部下達に依姫が戦線離脱を命じないのは、役に立ちたいという彼女達なりの決意を蔑ろにしないためだ。木ノ葉に居た頃のオビトになら、玉兎達の気持ちが痛いほど理解できただろう。
先生や仲間の足手まといで力及ばず、食らいつくだけで必死なほど実力差が開いていても、決して諦めずに奮闘したがる根性。逆境に挫けず死ぬ気で、目の前の壁を乗り越えようとする強い気持ち。負けず嫌いなら弱いなりに強がって、立ち塞がる苦難を打ち破り、喰らいつきたいと思うものだ。
依姫に付き従う玉兎の立場だったなら、命を失うほどの危険があろうと、敬愛する者には地の果てまで共に在ろうとするだろう。たとえその先に十尾という化け物が待ち受けていたとしても。
「懐に飛び込まれるのがよほどイヤなのね。休む暇も与えないつもりみたいよ」
「こっちとしては賛成だ。暇があろうと余裕がなくては意味がない」
「まったくね」
限られた時間の中で労う時間を作るほどの体力的余裕はない。一度でも休めば忽ち体が動かなくなるであろう現状、暇など与えられない方がむしろ助かる。流れが止まるよりは進展する方がいい。
近づくオビト達を見下ろす巨大な月の眼。間もなく全身から生やした無数の腕を蠢かせ、自らにとっての害悪を排さんと射出する。
尾獣本体のチャクラが九つとも不足している分、よくて半分程度には体やチャクラが収縮していると踏んでいたが、月人の強大なチャクラの恩恵か、忍界大戦当時と比較して完全体の三分の二程度の体躯は実現している。図体に似合わぬ俊敏さや自身の消耗も重なり、余裕をもって攻撃を躱すのは難しい。しかし今は欠点を埋める力がある。
玉兎達による援護射撃で火ぶたは切られ、太刀を握り締めた依姫が飛び出す前に、月草色の骨格に身を包んで地表を蹴る。迸った太刀の一閃が直線上の軍勢を焼き払い、咆哮を上げて暴れ回る巨体への道が開ける。
(……これでは紫の言う通りだな)
体力やチャクラの状態にも注意すべきだが、それ以前に命が失われては元も子もない。
なおも押し寄せる大量の分裂体と巨腕。火遁の印と共にオビトの口内より炎が噴き出し、龍の頭部を模る真っ赤な爆炎が発生、依姫達に迫った敵を丸呑みする。残りの龍炎は大渦と化して分裂体共を巻き込んだ。攻撃後の隙を狙った敵も、玉兎による追撃と須佐能乎の拳で吹き飛ばされる。
忍の足腰を持つオビトが瞬く間に十尾へ到達、見開かれた巨大な眼の前に飛び出した。十尾は口内に尾獣玉を収束させ始めているが遅い。
四方八方から襲い来る腕と分裂体が映る。須佐能乎による薙ぎ払いで迎撃した時、右眼の激痛と共に体勢を崩しかけたオビト。大量の分裂体が取り囲むも、下からの援護射撃、炎雷神の火が焼き払い消し去った。
隙を突いて須佐能乎で粉砕し、指先にチャクラを集中させる。
「『うちは火炎陣』」
右手五本指が足場を打つ。術者を囲んで炎が発生し、空高く伸びて長方形の火炎陣がそびえ立った。紅蓮の壁に外から接触した分裂体は忽ち炎上する。
博麗の護法結界と同じ系統に分類される術で、外敵からの干渉を遮断する障壁性能と迎撃性能を併せ持つ、何者の侵入も許さない閉鎖領域を作り出す力である。かつて外道魔像を忍連合の手より護った術が、十尾を前に広大な結界空間を展開したのだ。
(暫し時を稼げれば……)
行使者のチャクラにより強弱、効果範囲などが変動するのは全ての術に言える共通ごと。消耗の分だけ術の範囲は狭く、強度も多少脆いが、外敵の侵入を阻む程度は造作もない出来だ。結界の外に蠢く無数の分裂体共にも破られはしない。
疲労を殺して精神を研ぎ澄ませながら、十尾の真上でさらなる印を結ぶ。首の後ろより生え出た数本の白い管を足元に突き刺し、十尾チャクラとの繋がりを形成し始めた。親元の鼓動が伝わってくる。
『しぶとい奴め、オレの体で何をする気だ?』
同質のチャクラ体が直に接触した影響だろう、頭の中に何者かの声が響いてきた。
「そのうち解る」オビトは笑う。「今度は逃がさん……奪ったものを返してもらうぞ」
体内を巡る六道と十尾のチャクラが滾るのを感じた。呼吸を整えたオビトは瞼を瞑り、自らの精神世界へ一気に踏み入る。
――◇◇◇
霧の湖にも似た涼やかな風が頬を撫でる。暴虐の限りを尽くしていた十尾、果てしなく広がる国産ノ狭間が消え去り、視界に開けたのは星々の煌く夜空と荒涼とした大地。
マダラなどに見る六道の精神世界は、辺り一面に満ちる光の玉や綺麗な鏡面の海、白銀の水平線が続く神秘的な景色だったが、カグヤの場合は始球空間そのもの。右眼を手で押さながら体勢を立て直す。
「ここまで入り込んできたか。一度仙人化しただけはある……やはりお前も邪魔になりそうだ」
十尾は宙に浮かんで振袖をなびかせている。本体たるカグヤを連想させるチャクラと風貌ではあるが、長い黒髪に真っ黒な顔、黄色の両眼は似ても似つかない。額に開いた真っ赤な輪廻写輪眼は、体内の十尾チャクラの影響か、あるいは常人の意識を削ぐほどの力があるせいか、直視しただけで背筋に冷たいものが走った。
目の前の輩はカグヤ本人ではない。それが判っていても、脳裏に巣食った大筒木の姿が思い起こされる。
(この状況……だが)
大戦で忍連合を相手に立ち回っていた頃とは違う。左眼には六道の輪廻眼もなく、右眼の写輪眼さえ失われているに等しい。チャクラも命の時間も残り僅かとすら思える。
しかしながら、新しく植わった左眼に加えて、十数年の時を経て発現した――否、眠りより目覚めた第三の瞳術がある。そしてこの空間において最も重要なものは精神力だ。その力を受けた左目を見開くと、十尾の背後に半透明の巨大な塊が映った。
「マダラの時と同じだ。この際だから奴の言葉を拝借しよう……そんな体でオレと取り合って、勝てると思っているのか?」
端から見ればオビトは弱り切っている。十尾にはこの上なく滑稽で、愉快な光景としか映らなかった。
「思ってなどいない」オビトは落ち着いている。「無心のままに成し遂げる。それだけだ」
「本当に思い上がりも甚だしい。無心なら刻み直してやるさ。大切な人を守れなかった時と同じ――絶望を」
静寂の訪れしカグヤの精神空間。十尾の言葉は強ち的を外していない。歩む道次第で絶望する結果ともなろう。心すら腐り果てるかもしれない。
精神空間における死は心の崩壊と同義。己自身の喪失により、現実世界では終わりに直結する。オビトは穏やかな表情で口を開いた。
「やってみろ」
何の前触れもなく足元が爆発し、オビトを包む巨人の骨格が衝撃と爆風を防いだ。逸早く察知して跳んだおかげで、須佐能乎にはひび一つ入っていない。
渦巻く煙の向こうで動作する、十尾の小さな姿を洞察眼が捕捉した。
――印と共に十尾の口内より大量の水が吐き出される。大波が押し寄せ、瞬く間に膨れ上がり、周辺一帯は荒れ狂う大海原となった。青々とした荒津波に乗って数多の鮫が牙を剥いて向かってくる。
爆水衝波からの千食鮫。海へと落下するオビトを呑み込まんとする水禍、水製の鮫が群れを成して襲いかかる。莫大なチャクラをもってすれば、乾いた原野すら大海に沈む。全ての忍術の祖であるハゴロモ、彼の上に立つチャクラの祖たる者はあらゆる力を振るう。
思い起こすは干柿鬼鮫。暁でも随一のチャクラ量を誇った実力者。組織では自身に最も近かった人物で、『月の眼』への数少ない賛同者だった。
一見するとかつての暁メンバーを相手取っている状況だが、鬼鮫の姿が脳裏によぎるだけで、目の前の光景には重って見えなかった。所詮は意志の限界か、カグヤとして別の箇所に力を割いているからか、使用する術が同じであるだけで、チャクラの量も精度も鬼鮫には及ばない。言うなら偽者の偽物だ。
須佐能乎の腕で鮫の群を消し飛ばすなり、最小限の神威で一番近くの岩山へ転移する。両目の瞳力が同時に発動し、眼下に開いた時空間への出入り口が激流を排するダム穴の役割を果たすと、水は均衡を崩していくつにも分かれ、物量と威力を着実に弱めていき、周囲の海は消え失せていった。
左右の瞳力を重ねて発動する神威の応用術。通常の使い方の範疇を出ないために負担はないに等しい。オビトを眺める十尾の口元は笑っていた。
「命拾いしたつもりなら、おめでたい話にしかならないぞ」
間髪容れず足元が振動したかと思えば、無数の黒々とした細長い物体が轟音と共に地面を突き破り現れた。磁力で引き合い硬質の得物と化した高密度砂鉄塊が拡散し、網のように張り巡らされ、全方位からオビトを狙う。
砂鉄界法。僅かに触れるだけで肉を削ぎ落すであろう磁界は、獲物を貫かんと曲がりくねり迫った。
広範囲に枝分かれを繰り返し、不規則な軌道を描き続けるため、目視や感知による回避も難しい。この術を隅から隅まで知り尽くす者は、磁遁使いとして名を馳せた三代目風影、その風影を撃破して人傀儡にしたサソリ、砂を自在に操る五代目風影くらいのものだろう。
砂鉄の量や速度、攻撃範囲、磁界の反発力など事細かな情報を知らないだけで、忍の足腰と一定の練度に達した写輪眼の洞察力なら見切れない道理はない。元々の感知能力に加え、仙人化した際に得た危険感知能力、左眼の瞳力も腐り切っていない。十尾チャクラを土台にした陰陽遁の術ならともかく、血継限界の忍術を安直に使われるだけでは窮地になど陥らない。
同じような当てつけとはいえ、本物と比較すれば恐るるに足らない。磁界を自在に操って軌道を制御したり、砂鉄に猛毒を仕込んでいたサソリの方が殺傷力は遥かに勝るだろう。
無数に降り注ぐ槍の雨を潜り抜けて地面を蹴り、地上で薄ら笑いを浮かべる十尾を捉えたオビト。左眼の神威が対象を真っ二つに引き千切り、十尾はボロ切れのようにその場に倒れた。すかさず十尾の背後に回り込み、宙を掴んでチャクラを流し込む。
暫し探るうち、形容できない不思議な感触が指先に当たる。流し込んだ同質の力が、容れ物に満ちる尾獣チャクラを感知したのだ。
「……ッ!」
逃がすまいとしっかりと掴み、勢いよく腕を引いた。意志の抵抗力は凄まじく強烈な反動が心身を襲う。
ほんの欠片を引き千切ったのみ――今一度体勢を立て直そうとした時、倒れていた十尾が音もなく立ち上がる。
今度はその数を二人、三人と増やしてオビトを囲んでいく。印も結ばずに土遁で足場が融解し、凝固した土で体が固定される。歴戦の忍である角都が過ぎるも十尾の姿で塗り潰される。
「消し飛べ」
物理的な接触は神威で無力化できる。判っていてもなお十尾の動作は止まらない。四人は火と水、風と雷の四つのチャクラ性質を振りかざし、凄まじい奔流がオビト目掛けて射出される。
迫り来る爆炎の壁に小型の竜巻、膨大な量の水流と地を這う雷撃が混ざり合い、大規模な嵐となって須佐能乎を真正面から丸呑みにした。吹き荒れる旋風で周辺一帯の岩盤や山が消し飛び、見渡す限りにまっさらな光景が広がる。
――荒れ狂う竜巻の一つを喰らい返し、巨大規模にまで膨張した龍の頭部が大口を開けて逆襲する。半壊した須佐能乎の中にオビトの姿があった。
掌から生成した木製の杖を手に足場を蹴り、同時に駆け出していた十尾と打ち合う。至近距離にまで顔を近づけ、オビトの万華鏡写輪眼と十尾の輪廻写輪眼が見開かれた。十尾は幻術世界で巨人の手に締め上げられ、オビトは長すぎる白髪に全身を絡め取られる。
「あれだけの術を披露した直後で……その眼の瞳術にチャクラを割く余裕まであるか。とことん化け物染みている」
十尾の体は先の火遁で焼け焦げているが、本人は笑むだけで気にする素振りも見せない。
「お前と一緒にされてもね」十尾は嘲笑する。「今のはお懐かしいパフォーマンス。単なる見世物さ。ご挨拶も終わって体も温まってきた……そろそろお前の心を砕いてやるよ。そうすれば『死ぬ』んだろう? あの時みたいに」
「それでオレを揺さぶった気でいるとはな」
トビや偽マダラとして数多の愚行を重ねてきた罪深い過去は消えない。暁が壊滅した現在でもそれは変わらない。だからといって、暁の元構成員達の姿を無理やり想起させて、無限月読という最終目的を鼻先に突きつけられても何も感じない。外の分裂体や先のやり取りでチャクラ(心神)が安定を失いつつある現状を利用する気だったのか、消耗に託けた揺さぶりなど何の意味もない。
「身も心も多少丈夫になったのは認めるよ。でも絶望の元になった記憶が消えるわけじゃない。だろう?」
「性懲りもなく揺さぶるのか。文字通りの二枚舌など、オレが一番よく知っている」
「クク――心理的な外傷ってのはオビト、そう易々と克服できるものじゃないんだよ。いくらお友達の力で道を戻してもね。無自覚も無意識も所詮は目に映らない。お前ら『うちは』のような奴らには特にね。カカシが殺したあの小娘も、結局は独り――」
白髪に絡め取られたオビトの眼が光る。拳が握り締められた途端、巨人の骨格は術者の動きに同調して握り潰した。チャクラで形作られた体は流すべき血を持たなかったが、肉塊は糸の切れた傀儡のように地面へ落ちた。
幻術世界から抜け出したオビトは、元の始球空間(精神空間)に帰還する。
(重い、チャクラだ……)
度重なる負荷で視界が歪み、時間と共に息も絶え絶えになり弱っていくオビト。再び綱引きに臨むため、目の前でピクリとも動かない十尾の肉塊に近寄った。
単純に相手のチャクラを削れば、それに比例して抵抗力も弱まる。そう思いつつ近寄った時――手足を含め体が硬直した。歪んでいた視界が激痛と共に元へ戻る。倒れているモノは十尾ではなかった。
色白の肌に茶髪の、見覚えのある少女の姿に焦点が合った。血溜まりに仰向けになって死んでいる。打って変わって血塗れで、手足が変な方向に曲がり、虚ろな瞳には星空を映している。
「馬鹿な」
何かを強く否定する精一杯の言葉がこぼれた。目の前に現れたモノに対してではない、何故にいまだこの姿に囚われているのか、という疑問から吐き出された声。忌々しい追憶には違いないが、それはかつてマダラの手を振り払った時から、疾うに克服していたはずの記憶だ。
悍ましい感覚が重石となって体に圧しかかり、鎖となって心に巻きついた。想い人の無残な遺体を視るほどに、右眼の痛みが強くなるのは、消耗した心身がもたらす幻覚だろうか。
ふらつきながらも近寄る。左眼が捉えたチャクラの塊に手を伸ばした。
――どうして助けてくれなかったの?
周りの景色が奇妙に歪み、想い人の遺体だけが鮮明に映った。
喜怒哀楽を感じさせない傀儡のような無表情、見開かれた目が見つめている。口から溢れる血の泡が弾けた。
オビトは耳を塞がず、呼びかけられても反応すらしなかったが、額からは汗が伝っていた。
――どうしてもっと、早く来てくれなかったの?
胸に穴なんてないはずなのに、痛いよ。痛かったよ。
あなたの言ったとおり、ずっと近くで見ていたかったのに。
どうして。
耳元に響き続ける囁き声を無視し、尾獣と月人の物らしきチャクラを強く掴んだが、腕が凍りついたように動かない。体が何かに引きずり下ろされている。
視線を自らの足元に落とすと、血の涙を流して体にまとわりつき、必死に懇願する想い人の姿が映った。気がつけば真っ赤な血の海に足を着けていた。
――冷たいよ。寒いよ。手を握ってよ。ここに居てよ……。
「くだらない」
圧しかかる重圧に押し潰されそうになりながらも、縋るような少女からオビトは顔を背けた。
抉られるような右眼の激痛を殺し、自らに巻きつく幻影を振り払う。
無表情だった少女に感情が戻り、血の涙が透明な雫となった。
「あの子は死んだ。どこにもいやしない」
記憶に刻まれようとも、過ぎ去った時間は永劫戻らない。
少女が微かに笑み、右眼の痛みと共に霧消した。
過去の記憶に別れを告げた後、一呼吸置いてから残ったチャクラを引き抜いた。
景色が様変わりして元の始球空間が現れた。右眼は痛みを感じない代わりに、失明したと胸を張って宣言できるほどに視えておらず、左眼しか機能していない状況。十尾チャクラ同士の引き合いを利用した取り合いの応酬で、チャクラの奔流が体内と外を絶えず行き来し、呪印札を排した影響で弱まっていた右眼に圧をもたらしたのだ。
やり取りするチャクラが手と眼に余るほど莫大すぎたせいか、潰されたも同然の状態になるまでの時間は短かった。
「面倒くさいな」
先ほどまで相も変わらず笑んでいた十尾が、初めて苛立った様子を見せていた。黒い顔面で判別しにくいものの、丸い目元が微かに痙攣している。
オビトは一度ならず二度までも十尾の圧を跳ね除けた。個に執着するあまり、友の存在になど目を向けないどころか意識もせず、理解しようともしない十尾には、何故に立ち上がれたのか解らなかった。
体から出た尾獣チャクラを握ったまま、十尾はゆっくりと頭を垂れた。
「弱い奴に限ってしつこいな。生憎と母さんが来るまでに終わらせたいんだ――死にかけの虫が調子に乗るなよ」
力任せに腕を戻して、チャクラを掴むオビトの手を振り解き、十尾は土遁の印を組んだ。
途端に地下から轟音が響き、割れた大地から巨大な二つの岩山がそびえ立つと、小粒ほどのオビトを須佐能乎ごと両側から押し潰した。次いで空気を掌で握り、山土は忽ち灼熱の溶岩に性質変化し、熱せられた液状の岩が大量に圧しかかった。直後に大爆発を起こす。
少し離れた場所で、勝ち誇ったような顔を見せる十尾だが、その表情はすぐに凍りついてしまう。
「気づかないのか」
視界の端に映った月草色の炎。須佐能乎ごと十尾の背後に移動していた。
反射的に前進もとい後退する十尾。対照的にオビトは落ち着いている。息切れし額に汗して、体力もチャクラもなく、瞳力や視力まで失いかけている現状で。
だからどうしたのだ。ボロ布を引き千切るのに苦を強いるはずもない。恐怖の対象には程遠い。
今度は笑んで弾けるように姿勢を低め、足元に両手を着ける。地響きと共に地中から突き出した鋭利な岩が須佐能乎を貫通した。体中を穴あきにされた姿を見て大笑いする。
無機転生。無生物に命を吹き込んで意のままに動かす術。すり抜けもできずまともに喰らえば、生きているはずもあるまいが――。
「なんだ? なんで倒れないんだよ、コイツ?」
「盲いた、のは……」オビトは顔を上げる。「……オレの目だけ、と思ったがな……忘れたわけじゃない、だろう。オレたちは、とっくの昔に、負かせている……今こうして、取り合っている現実が、証だ」
「そんな馬鹿なことが。お前なんかが本当に、かつてのお前を――」
「お前がぬかす傷とやら……そんなもの、ハナからない」
十尾の力が未曾有である以上、良くも悪くも思いもよらぬ体感は多々あるだろう。
失った想い人がどのような形で現れようと、心が折れるような脆弱な心神など持ち合わせていない。トビや偽マダラとしての絶望など忘却の彼方だ。あの頃に逆戻りしようものなら、『うちはオビト』を引っ張り起こしてくれた友に笑われる。情けなくて目も当てられないだろう。十尾の目は外面を映すばかりで、心の奥底に満ちる色彩を見通せなかったのだ。
「忍の世界は……」
雲もない青空の下、隣に座って見つめる少女。口元には微笑がある。
永遠の好敵手であるカカシを打倒して、うちは一族で初めての火影となり、戦争を終わらせて世界を救うと彼女の前で意気込んだ。自分から「見ていてほしい」と頼んだ手前、勝手に言えたことではない。それでも目を合わせると顔が熱を帯びる。照れ臭いあまり視線を逸らしてしまう。
まだまだ半人前で未熟だって。餓鬼だって思うよ。
「この世界だって、お前が手を出していい場所じゃない」
左瞼を開ける。失われゆく右眼の光を前に須佐能乎は勢いを強めた。
精神状態に依拠する特殊な力は、当時の使い手達により様々な形で顕現した。愛情を抱いて育んだ者、復讐を望んだ者、力に執着した者――須佐能乎は人の心を映す鏡だ。
再び十尾のチャクラに手をかけた瞬間、月草色のチャクラが一気に燃え上がった。巨人の骨格に筋肉組織と表皮が張り巡らされていく。術者を護る鎧が堅牢さを増していく。巫覡に酷似した外装が揺らめき、眼孔から炎が噴き出した。第一形態とは比べ物にならない膨大なチャクラが溢れ出す。
「もう、平気だ」
上半身を凄まじい爆炎が覆い隠すと、武者に似た戦闘衣と鎧を爆発的にまとう。
鼻の長い天狗のような荒々しい面、勾玉の耳飾りが月草色に煌いている。
「どこまで……抑え込んできた十数年分の反動か? 空白が長いだけでこんな……」
圧倒的なチャクラを目の当たりにして、十尾は驚愕して黄色い目を見開いた。チャクラを掴む腕を通じて莫大な力の勢いが伝わる。あろうことかさらなる変容を遂げるとは。
ここで気づいたのだ。こいつも生前のマダラと同じだと。体内に十尾の力まで内包する者など、仙人化にまで至るほどの精神力を持つ輩など、常識を逸脱しないはずがないと。
幻想郷は忍界の常識が通用しない世界だと言う。そんな忍界にとって非常識な存在に成り果てていたのは、この男も同じだったのだ。
「君の居た世界を創ることはできない。カカシの奴にようやく気づかされたよ。護ることならできるのも……だから待っててくれ。オレがそっちに戻るまで」