THE LAST PHANTASM -OBITO-   作:大兄貴

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五十七話 暗闇の先に

 誰かに助けを乞われたら手を差し伸べる。生来の心優しさと愛情深さも合わさり、うちはオビトは心につけ込みやすい少年だった。

 這い上がれないほどに深い奈落の底に堕として絶望を味わわせ、黒に染まるまではほんの一瞬だった。以降は無限の夢を叶えるための、カグヤが神として君臨するための傀儡として操られ、夢の世界を目指して奔走した。周りに目を向けることなくひたすらに。

 

 実に扱いやすい傀儡だった。全てが順調だった。指先一つで崩れるほどに脆かったと知るまでは。

 最後は裏切り者として、夢を叶えられなかった、失敗だらけの間抜けに成り下がった。目の前に立つ男は紛れもない失敗作、大切な人を失った負け犬にしか映っていない。

 

「お前は誰だ? なんてね」

 

 仕留めるには僅かに及ばず、起き上がる様子を見ても焦りなど覚えるはずがない。所詮はそれまでなのだ。

 

「このオレからチャクラを奪うか。カグヤのいない今、尾獣のないオレがチャクラを失えば、本体の力は消え失せる……その通りだよ。単純だが実に効果的だ」

 

 暴れ回る十尾の本体を動かすのは攻撃意志。分裂体を含むあらゆる物質化は、外道魔像の内にあるチャクラにより引き起こされている。意志を封印すれば沈黙を余儀なくされ、チャクラさえ抜き取れば何もできなくなる。カグヤも尾獣も存在しない以上、どちらかでも欠ければ十尾は止まるだろう。

 インドラとアシュラの両転生者も輪廻眼もなく、六道の地爆天星による封印術が使えない現状から選択すべきは後者。然るに問題は他にある。

 

「――それができるか、って訊かれたらどうだ? さっきも言ったけど、引っ張ればいいってもんじゃないんだよ。取り込んだチャクラを抑え込むための、同じチャクラと生命力……そいつを持ってるってのと、満足に扱える体かどうかは別の問題だ。ワケなんて今さら語るまでもないだろう」

 

 無言で佇むオビトが話を聞いているか否かなど知りようがない。知りたいとも思わず、聞こうが聞くまいが関係なかった。利用されるだけの傀儡が何を聞いて何を思い、喋るかなど取るに足らないことだった。

 元来の性格か境遇ゆえか、全ての苦痛を一身に引き受けた結果として、オビトは身も心も傷だらけで立っている。体力もチャクラも底を尽きかけ、右半身の細胞もろくに機能せず、カグヤの呪縛と度重なる酷使により右眼は光を失い、頼みの綱の左眼すら万華鏡のリスクで失明も時間の問題だ。今や雑多な忍共にすら劣っている。

 

「お前の気持ちはよく解る。『ゼツ』として誰よりも近くで見ていた……他の奴らじゃ知り得ないことも、オレなら知っている」

 

 過去に犯した罪の数々を遍く背負い、贖罪を掲げて必死に罪滅ぼしせんとする、うちはオビトという一人の忍。

 自覚があるか否かは関係なしに、無意識のうちに抱いた想いが行動を決定し、周囲の者達に真意を悟らせることもせず、本当の『心』を遠ざけるに至った。

――死した罪人が現世の者と交わるなど分不相応で身に余る。優しさと愛情深さを他者に向けて、万が一にも親密な関係を築き、仲間や友、恋人や家族となる者が現れたとしても、非情な現実と共にいずれは己の罪に巻き込むだろう。ゆえに不幸と絶望の色を微塵も残さぬよう、『本心』だけは何があろうと独り善がりで来たのだ。そんな逸れ者に望んで深々と入り込む者がいるのか。協力と信頼は必ずしも符合しない。

 常に冷徹で腹の内を見せない『マダラ』の面影。幸か不幸か根づき植わっていたモノに導かれ、ほとんど他人として住民達に接するしかなかった。内面を見通す力に長けた者、人の心を手に取ったり、感じて理解できる者でもなければ、このオビトを好意的に思う者など存在しないだろう。

 あの八雲紫であれば、隠されたものも見通せるかもしれないが、所詮はそこまでだ。

 

「あんな連中のために身を削って、苦しみ惑うことはない。お前は十分に耐え忍んだ……安らかなる眠りに就き、全てを母さんに委ねるんだ。その苦しみを取り除こう……過去に犯した罪も洗い流される。誰もがお前を一人の人間として扱って――」

「そいつが……望みなら、な」

 

 オビトは初めて口を開いた。虚ろな表情で声は酷く掠れている。

 十尾の顔から慈愛に満ちた微笑が消えた。皮が剥がれて代わりに現れたのは傲慢な笑み。

 

「じゃあなんだ。お前のような失敗作が何を望む?」

「……罪を背負って、悩み続けること……だけだ」

 

 掠れた声を絞り出すオビトの言葉を、十尾は黙って聞いている。

 

「それすら忘れて、生きれば……またあの頃に、戻ってしまう。オレは……最期まで、『オビト』として……居たいんでね」

 

 偽者風情に罪を背負うことなどできない。無限の夢を渇望していた頃は、どれだけ人を殺めても、罪の意識など芽生えなかった。偽物の存在を偽物の世界から排したところで、それはどう転んでも救済でしかなく、本当の世界に近づくための礎でしかなかったからだ。仮に背負うとすれば本物の世界を――無限の夢を遠ざける愚行に限られる。

 本物を望む者にとっては、夢を否定することこそが罪だった。そう思っていた。

 

「誰に何も残さず、消えたかった……がな。親切なやつなんて、いなかった。そんなオレの、心にも……触れる奴まで、出ちまって……」

 

 脳裏を過ぎった少女の笑顔。この世界に入り込んで最初に出遭った小うるさい姿だ。

 最初は赤の他人に過ぎなかった名無しの妖精は、あまりにも物好きで、あまりにも深くこの心を触れて、終いには命まで救った恩人になる始末だった。散々とふざけた姿は見せても、真意だけは絶対に悟らせまいと心を閉ざしていた輩に手を触れた。結局は完敗に帰したのだ。

 

 敗北者の負け犬に残された道は一つ。好意までは受け入れずとも、少女と皆の生きる世界を護るよう、罪人として努力し続けること。

 後先を考えない馬鹿みたいな悪い癖を発揮した、昔と変わらない自分の姿を自嘲した後、あらためて十尾を睨むオビト。

 

「少なからず……光を見つけた」

 

 笑えよカカシ。ダサい覆面を取っ払って。

 

「だから、こんなとこでくたばって……水の泡になんかしたくない。アイツらの気持ちを蔑ろにしたくないのさ。お前なんかのためにな」

「独り善がりが」十尾は激昂する。「お前のようなガキは要らないんだよ――死にかけの分際で、ごちゃごちゃと偉そうに語るな!」

 

 禍々しいチャクラをまとって突進する十尾。当初と比べて姿が大きく、風貌はよりカグヤに近づいているが、喜怒哀楽や言葉遣いは無感情だった彼女とは真逆。

 十尾には容赦の欠片もなかった。背後に浮かべた複数の黒い球体のうちの一つを、オビト目掛けて勢いよく射出する。掌に形成していた木の杖に命中すると、その部分が抉られたように失われた。接触したものを消失させる六道の『求道玉』だ。

 左眼とて失明も時間の問題。オビトは自分の容態など全く顧みず、躊躇なくチャクラを左眼に込めると、眼前に迫っていた漆黒の球体をひずみに巻き込み消し飛ばした。赤い液体が頬を伝う。

 

「何を無駄なことばかり――」

 

 十尾は一連の動きを見て狂気染みた高笑いを響かせる。満身創痍の身で一時しのぎに走ったところで、本体を抑えなければ意味がない。いずれは死を実感するだろう。

 なぶり殺しだ。然るに。

 

(せっかく奪い返したんだ……戻るべきところに持ち帰るほうが、無駄死にするよりかは意味がある。もはやオレに奴を倒す力はない……くたばる前に一役買うのも、ひとつの――…)

 

 これまでで一番に人間らしい、言い聞かせるような言葉が心に反響する。反撃どころか一切の抵抗を止めていた。オビトの姿が忽ち煙のように霧消し、標的を失った求道玉が背後の岩山に衝突する。チャクラが回帰したのだ。

 捕食対象が逃げて無人となった始球空間で、十尾は一人忌々しげに舌打ちした。

 

 

――◇◇◇

 

 

 現実空間、国産ノ狭間にて。

 空高く昇る長方形の火炎陣に時折目を向けつつ、玉兎の援護を受けて無数の腕、分裂体の大群を相手に善戦していた依姫の前で、十尾の巨体が突如として凍りついたように沈黙した。間髪容れず足元が揺れ始める。

 

「なにが起こったの――?」

「な、なななんなのこれっ!? ジシン!?」

 

 玉兎達が口々に声を張り上げる。銃を胸に抱えて身を縮み込ませる者が多数。近くで分裂体を蹴散らしていた青髪の玉兎も、不可解な表情で動きを止めた。

 

 オビトが凡そ人間とは思えない動作で十尾の体へ飛び込んだ後、依姫は付近に湧き続ける分裂体達を相手取って剣を振るい続けていた。十尾のもう半分、すなわち反対側では、例の横暴な男の分身達が好き勝手に暴れ回っていたため、玉兎達の被害を考えて月の眼の見下ろす方を選んだ。

 チャクラの増殖と生成に終止符を打つため、十尾本体を狙うことも当然に考えたが、神々の力をもってしても仕留めることは叶わなかった。体が頑丈かどうか以前の問題で、神降ろしにより発生する物質や現象は総じて通らない始末だった。大きな的の割に攻撃を当てるのも困難を極め、巨腕を用いた広範囲薙ぎ払いは躱すのに骨が折れた。早い話がただのデカブツではないのだ。

 本体を処理できない限り、生み出される化け物の勢いは増えるばかり。ゆえに周辺に蔓延る分裂体共に延々と対処せざるを得なかったところ、今度はどう頑張っても一太刀が入らず、動きすら止められなかった巨体が沈黙するときた。

 

「…………」

 

 果てのない異空間に凄まじい揺れが生じている。異常事態が起きたのは明白だった。高々と浮かぶこの天体が揺れているのだ。

 つんざくような十尾の咆哮が響き渡る。それだけではない――見る見るうちに十尾の巨体が収縮していく。

 本体の上から空高く伸びる赤い結界に再度目を向ける。そびえ立つ紅蓮の壁は今にも崩壊を許さんとし、無数の亀裂が入り始めている様子が、遠目でも依姫にはハッキリと視認できた。

 

「不味いわね」依姫は歯噛みする。「揺れの及ばない地上に避難しなさい! この状況で連中を相手取るのは賢明ではない! 嫌な予感がする――」

「依姫様っ!」

 

 踵を返して大群の中に消える姿を追いかけた一人を、青髪の玉兎が腕を掴まえて無理やり引き戻した。自分達の勝手な頼みを聞き入れてくれた手前、真剣な表情で駆け出した彼女を止めるのは愚かと思ったのだ。

 他の玉兎も互いに顔を見合わせて頷き、脱兎のごとく走り出す。ひしめく分裂体を射撃と弾幕で退かせつつ地上を目指した。

 

「この辺りに……」

 

 結界の外に蠢いていた化け物共を炎雷神の火で一掃し、生傷だらけの体を引きずりながら、燃え盛る壁の傍に降り立った依姫。

 神降ろしの月人とて生身の人間、先ほどの戦闘とここへ辿り着くまでに体力を確実に削っていたが、依姫は疲労を感じさせない表情で、結界の具合を一通り観察する。一閃と共に壁を斬り裂いて道を作った。

 

「……?」

 

 普段は冷静沈着な依姫が目を見張り、言葉を失ったのは、あまりにも凄惨な光景が広がっていたからだった。

 どう見ても致死量を超えた大量の血が溜まりを作り、同じく血塗れとなった姿が仰向けで横たわっていた。閉じた左目から頬を血が伝い、身動き一つしない。この男を大切に想う者が居たなら放心状態に陥るか、意識を失ったに違いない。他人も同然である依姫でさえ、体を硬直させるくらいだった。

 惨状を目の当たりにした依姫は、周辺の分裂体の有無を確認し終えると太刀を突き立て、無言で近寄り腰を落とした。自らの肩に腕を回させて支えたまま、血溜まりの外に連れ出す。

 

「死んだかと思ったわよ。聞こえてる?」

「ここは……戻った、か」

 

 身動きしたオビトの目が開かれる。体から離れながらも「大丈夫なの?」と声をかける依姫に、頭部を手で押さえながら返事した。

 色を失い白濁した右目。依姫は再び口を開こうとしたが、その前にオビトが「すまない」と呟き視線を落とした。

 

「……このザマでは……引き合いの影響か、オレの精神はよほど奴に同調したらしい……くそっ……」

「待って」依姫が制止する。「状況が解らないわ。その目にしても……簡単でいいから説明しなさい」

 

 広範囲を一太刀で焼き尽くしたので近辺に化物の姿はない。オビトは依姫に向かい合うと、始球空間を模した精神世界での出来事を包み隠さず話す。

 酷く掠れた声ながら、依姫は一度も訊き返すことなく、大方の事情を理解した上で「なるほどね」と頷いた。真紅の瞳はオビトの姿を映して離さない。

 

「……片目を犠牲にしたのは致命的だと思うけど。僅かでも奪い返せただけ喜ぶべきかしらね」

「意味はあった……それは否定しない」

「十尾とやらは容れ物だって言ったわね。小さくなったことと関係が?」

「アレはチャクラを糧に存在を保っている……中身がこぼれて、弱体化に至ったと言うべきか……どの程度かは判らんが」

 

 地響きと共に咆哮を上げていた十尾が今は黙して動かない。目に見える体躯の縮小のみでは判るまいが、十数年を共にした右眼を捧げるだけの影響は及んだ。十尾を支える尾獣の莫大なチャクラを奪えど奪い尽くせず、力及ばずの結果には落ち着いたものの、月人や純狐の強大なチャクラ体の消失は大きな痛手となるはずだ。

 純狐のチャクラを毒物のように見なしても、地爆天星への干渉と分裂体の生成に利用したのは事実だ。サグメと依姫の力も言わずもがな、元々の尾獣チャクラを手助けする方向で――。

 今一度口を開こうとした途端、強烈な眩暈が体をふらつかせた。残った左眼に激痛が走る。思考を中断せざるを得ず、自身の体を支える依姫の貌を霞む視界に映した。

 

「依姫、と言ったか……渡したいものがある」

 

――消耗を悟って歓喜でもしたのか、足元(十尾)が急激に身動きして咆哮を轟かせた。この辺りも長くはもたないだろう。

 依姫の腕を強引に掴むなり意識を掌に集中させる。紅魔館にてレミリア達からチャクラの供給を受けた時を何気なく思い出しつつ、六道の力を介して持ち主へと送り込む。依姫が体中に負った生傷は、発生した蒸気に巻かれて治癒していく。消耗を押し殺していた貌も段々と柔らかさが戻り、乱れていた呼吸が落ち着きを取り戻していった。

 掴んでいた腕を放した瞬間、オビトは入れ替わるように体勢を崩した。不意を突かれた様子で抱き止める依姫。

 

「独り善がり……たしかにな。だがもう、終わったことだ……」

「ちょっと、あなた――」

「……早く行け……厄介な奴らも……奴もいずれ出てくる。解き放ったのはオレだ……始末するのもオレの役目だが……滑稽だな」

 

 生気の薄れた表情で声を絞り出すオビトを前に、依姫は暫し黙したのち瞼を開いた。

 

「短い寿命を縮めたくないなら、口を閉じてなさい」

 

 太刀を鞘に戻すなり再びオビトに肩を貸した。華奢な女性とは思えない力で体を支えて地面を蹴り、足早に地上を飛び立つ。

 無数の腕と分裂体が十尾の口内から放たれ、二人の行く手を遮る形で幾度も襲いかかった。依姫は重さも何も感じていない様子で身軽に躱しつつ、腕にまとわせた朱色の炎で蹴散らしながら速度を上げる。

 

「離れろ、今のオレ、では……」オビトが咳き込む。「お前も……守りたいものが、あるはず……どことも知れん、奴のために、痛みを受けるな」

 

 チャクラが戻って本来の力量をいかんなく発揮する依姫だが、混濁し始めた意識の中にいるオビトにも、平気そうに振る舞う彼女が重荷を背負い、無理を強いているか否かを見通す程度の瞳力は辛うじて残されていた。単純に支える重さの分だけ膂力が低下してもいて、そのせいで徐々に追いつかれ始めている。

 月の民が行使する神降ろしといえど、強大な力を無尽蔵に使い続けられる道理はない。圧倒的な物量の前ではいずれ限界が訪れ、力尽きることになる。

 今や当然のように守られている現状など――十尾の復活に一役買った身である上、足手纏いなど御免だった。おそらくはこの気持ちとて、十尾が言うような独り善がりなのだろう。

 

「黙りなさいと言ったはずよ」毅然とする依姫。「あなた一人を運ぶ程度は造作もない。女だからって見くびられちゃ困るわ。自分の心配だけしてればいい」

 

 体を引き離そうと力を込めるオビトの意に反して、今度は依姫の腕が掴んで離さない。凛とした表情で視線すら向けない。オビトの口元に微かな笑みが浮かぶ。

 

「……思い通りに、ならないのは……変わらんな。部下は……」

「安全な場所へ。誰一人死んでいないし、これ以上死ぬのは許されない。それはあなたにも言えることよ。死の臭いと穢れはね、私たちにとって毒に他ならないの。死なせないわ」

 

 声色の奥に覗えた他意を前に何も言わず、代わりに瞼を瞑り「そうか」とオビトは呟いた。

 素っ気ない口調に懐かしさを覚える。垣間見えた温かみも。生涯不変であり続ける差異だろうか。

 

「羨ましいもんだ……」

 

 静寂。その視線が再び捉えようとした時、巨大な分裂体が地面を抉って現れた。死角より不意を突かれたこともあり、意識を他所へ向けていた依姫は、咄嗟の反応に遅れが生じてしまった。

 凶暴な一撃が依姫に迫る寸前、分裂体の姿が歪んで空間ごと捻じれた。発生した渦に巻かれ引き千切られる。支えていた体が滑り落ちる直前、三方手裏剣模様の瞳を目の当たりにした。地表へ落下する姿を反射的に追う依姫だったが、行く手を塞いだ複数の化け物に視界を遮られる。

 地上から無数の腕が生え出、たった今落ちていった方角へと伸びていった。

 

――風の音だけが聞こえる。滞空する獲物を狙って襲いかかる大群。

 無言に徹していた依姫の目が開かれる。振るわれた化物の凶刃は届かず、腕の一振りで忽ち肉片と化した。依姫の口元が歪み、障害物を殲滅しながら後を追おうとした時、眼前にそびえていた十尾が動いた。口内より黒いチャクラの塊を飛ばし、視界を埋め尽くすほどの規模に膨張する。

 四足歩行の異形を形成していた姿は、飢餓状態を思わせる骨と皮だけの人型に近い姿に変わり、攻撃の反動で仰け反っている。真っ赤な輝きを放つ眼が巨大な頭部に収まり、人を模って獣らしさは薄まった一方で、禍々しさと不気味さはさらに増していた。

 自らを呑み込まんと迫る破壊の力を前に、依姫は神々との対話に再び身を預けた。

 

「天照大御神――霊威の輝を以って、黒き燈明を避けろ!」

 

 地を裂き海を呑み、山を運んだとされる国造りの神たる存在の測り知れないエネルギーは、八百万の宝鏡を以ってしても完全には吸収し切れない。神降ろしの儀は元々、神々の力の一部を借りて使役するに止まり、地上の民以上の精神力と肉体を持つ月人でも、行使を遍く可能とするわけではない。月の民も元を辿れば『人』であり化け物ではないのだ。

 ゆえに生身でまともに喰らえばただでは済まないが、受け流す程度は造作もないことだった。

 

 依姫の眼前に展開した鏡面をなぞり、軌道が逸れた巨大な尾獣玉は、天体から離れて南東の方角へ消えていった。

 規模や破壊力など判りやすい部分の他に、異界に存する未知の性質を持つとの予感もあった。着弾した玉は大爆発を起こしたらしく、遠方からでも轟音と余波は近辺にまで到達した。

 余波を受けて長い髪がなびく。数億の層を重ねて創られた異空間ではなく、都に落下していたら街の大部分が跡形もなく消し飛んだだろう。表と裏とを隔てる結界の護りがなければ、表の月にまで影響が及んだ可能性もある。神の類と見なすには邪で異形の化け物の正体は何モノなのか。

 

(この短時間でさらに力を……違う、隠していたモノを出したのか)

 

 分裂体の大群だけなら苦もなく処理できるが、大きな本体が動き出した現在は劣勢と言える。捨て置けば都との狭間に干渉を行う可能性も十分にある。

 霊力が戻ろうと三神の神代で受けた瑕穢の影響は残っている。雑な言い方をするなら、月の民は地上の民に比べて肉体や精神が丈夫である代わりに、穢れに対する耐性は貧弱である。月人として生きている限りは頑張っても鍛えようのない部分だ。神々と共に在るからと都合よく二物は与えられない。

 疲労困憊する部下達の手前、統率者として弱みを露呈させず戦い続けてきた。本音を吐露するなら見事な不調で体は今も重い。寿命の短い地上の民なら多少体力を削られる程度の瑕穢も、月の民にとってはこの上ない毒であると認めざるを得ない。

 あの爆発を受けようものなら瞬く間にお陀仏だろう。精神と霊力に依存する神降ろしもいつまでもつか判らない。

 

 十尾のもたらす災厄。次なる尾獣玉を口内に収束させ始めている。攻撃の規模や威力を考慮すれば間隔程度は開きそうなものを、文字通りの化け物らしい。

 本物の力を借り物だけで抑え込むのは簡単ではない。そう思った依姫は建雷命を体に降ろすと、破壊の塊を収束させる頭部へと飛んだ。

 十万億土の衣を捨てた美しい剣神は、万象を断ずる絶対の一閃を真正面からお見舞いする。同じ神である十尾には容易く抑え込まれるであろう事態を覚悟して、尾獣玉の形成を僅かでも遅らせる腹積もりで剣を振るった。

 

(……どういうこと? これは)

 

 本体相手に力の一部、借り物風情ではやはり太刀打ちできない。

――否、むしろその逆だった。剣神の一撃は掠り傷を負わすどころか、堅牢な表皮を斬り裂くに止まらず、巨大な頭部と月の眼を真っ二つに叩き割ったのだ。衝撃に耐えかねた十尾は尾獣玉を空高く打ち上げ、咆哮を上げて転倒し、天体を介して異空間全体が揺れた。これまで通らなかった力が急に干渉した現実に、依姫は自分でも驚きを隠せなかった。

 

 この機を逃すわけにはいかない。太刀を構え直して飛び出した時、百メートルも進まぬうちに今度は別の何かが進み出た。

 月に倒れ込んで痙攣し続ける十尾の頭部、裂け目から這い出るように現れたのは、黒い顔に黒い長髪をなびかせる人物。かつて地上へ逃れた姫の姿が脳裏に過ぎるが、彼女とは程遠い風貌と雰囲気だと気づくのに目を凝らすまでもない。額に開眼した特徴的な波紋模様は忘れようもない。

 考えを巡らせるまでもなく、一見するだけで『敵』と判別できる輩を前にして、燃え滾る愛宕の火が顕現しないはずもない。当然に躱すこともできず、その姿が炎に包まれた。

 

「妙だ……こんなか弱い生き物に、なんだってオレが……」

 

 愛宕の火は掻き消えず斥力により飛散した。血管の浮き出た白い目で依姫を凝視しつつ、十尾は不気味な顔を忌々しげに歪める。同じチャクラも持たない者に一瞬でも圧倒されたのだ。

 暫し沈黙したのち、耳まで裂けた口元が広がる。

 

「そうか」十尾の高笑い。「蛆虫ヤローのオビトか。視えるぞ――僅かだがお前から、オレのチャクラを感じる。純狐ってのと同じだ……惨めにくたばっても延々と邪魔をする。本当にしぶといゴミ虫だ」

 

 真っ黒な意志が痛烈に侮辱する中で、依姫は十尾を黙って映していた。

 

「お前は強かだ。生かしてやろうと思ったけど、歯向かうなら踏み潰してやるよ。神同士の争い……面白い舞台になりそうだ」

「……外道風情が」

 

 酷く冷たい声が吐き出されるも、依姫の表情は変わらない。

 額の輪廻写輪眼が見開かれた。笑みを広げた十尾は、太刀を構える依姫を愉快げに眺めながら、背後に黒い球体をいくつも展開した。

 神降ろしで使役する物とは程遠い、異質で禍々しい気配を依姫は肌で感じた。あの黒い人型が発する力は、静かの海で戦った輩とは比較にならない。力を奪われてもなお怖気が走るほどだ。

 それでも諦めるという選択肢は最初から叩き壊している。今はもう一人の想いも背負って立っている。迫り来る脅威を迎え撃つために、依姫は太刀の柄を握り締めた。

 

(何……)

 

 然るに現実は非情だった。次々に投擲される黒い玉を躱し続ける中で、ぎりぎり避け損ねた物の『端っこ』が刀身に触れた瞬間、急激に体が重くなる。それだけに止まらず、刀身に宿っていた建雷命の神力に歪みが生じて、太刀は何の変哲もない得物に成り下がった。力の均衡を崩壊させたのだ。

 渾身の想いで振るった刃は、鋼のごとく硬い十尾の体に弾き返された。隙を作った彼女の腹部を、十尾の拳から飛翔した白いチャクラの塊が打つ。

 

「アレが通らないとはね」十尾は鼻を鳴らす。「けど前言撤回はさせてもらう。借り物を振るうだけの奴じゃ、期待するだけ無駄だったってね。結局はお前でさえ虫けら同然……がっかりさせてくれるな」

 

 依姫は苦悶の表情を見せながらも、体勢を立て直して落下は辛うじて避けられたが、チャクラの拳による殴打一発で意識が乱されていた。

 息切れと痛みを殺して動き続ける小さな姿を見下しながら、十尾は求道玉を手元に一つ呼び寄せる。刃に形態変化した得物が標的を捕捉する。

 

「残留思念と共に滅び往け。誰にも看取られずにな」

 

 嘲りと共に得物が振り下ろされる。この場で何も起こらなければ、この瞬間に魂ごと存在そのものが消えていた。思い通りの結果が映るはずだった。求道の力が触れる前に依姫の姿が忽然と失せたのだ。

 その場に残留した僅かなチャクラから、依姫本人やサグメに似た性質を感じ取る。同時に十尾を襲ったのは痺れるような感覚――体を中心に激しい空気の流れが渦巻き、覚えのあるチャクラの波が時間差で押し寄せて体を打った。襲撃者をゆっくりと振り返る。

 

「……黒幕を前に全員集合って王道よね。すごいありきたりだけど、最後の舞台には相応しい展開……割と嫌いじゃないわ、こういうの」

 

 堂々とした声に十尾の目が細まる。月の眼が蹂躙せし国産ノ狭間に現れた博麗霊夢、霧雨魔理紗、アリス・マーガトロイド、十六夜咲夜、そしてレミリア・スカーレット。

 最初にして最後の黒幕を前に、幻想世界の小さな解決者達は満を持して集う。

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