THE LAST PHANTASM -OBITO- 作:大兄貴
月の眼を覆い隠すのはありふれた霧ではない。術者の血と魔力が混じった特別製の濃霧だ。
三人の妨害でろくに動作できず誘い込まれた結果、天狗の視力でも見通せないほど深い血霧により、巨体の方の十尾は視界が潰されていたが、白眼を見開いた意志には外の様子が視えていた。
――三大瞳術の中でも最古である白眼。うちは一族が持つ写輪眼の源流とされ、大筒木の象徴と言うべき崇高なる瞳力。
写輪眼に見る様々な瞳術、輪廻眼に見る六道の術を持たない代わりに、チャクラの色や経絡系まで視通す洞察眼、透視や望遠能力など、純粋な眼力は他の二つを凌駕する。二種類の瞳術に分かれた輪廻写輪眼とは異なり、カグヤから六道仙人・ハゴロモの弟であるハムラに丸ごと伝播した力である。不完全とて意志の眼孔に現れた白眼が物語るのは、現実のものと化しつつあるカグヤの存在だ。
この眼を十尾が持つ以上、霧が濃くなり視界が悪化しようと関係ない。霧が吸血鬼の上質なチャクラで生成されていた分、十尾の意識は歓喜や傲慢さと共に全てが血霧へと向いていた。
「こんな物でオレの視界を潰せるとでも思っているのか」
黄色かった眼は白く変色し、目の周りの血管が浮き出ている。
外部の霊夢達の動きを透過する前に、紅黒い壁を突っ切って奇襲を仕掛けたのは依姫。全周囲にも及ぶ広い視野が忽ち動作を捕捉すると、掌から生じた複数の風の刃が空を切り襲いかかる。咄嗟の迎撃に依姫は驚きつつも、常人には追えない剣捌きで悉く弾き飛ばし、頭部を狙って切っ先が進む。
十尾が躱して『八十神空撃』をゼロ距離で容赦なく炸裂させた時、直撃し粉砕された依姫の体が血霧に変化した。紅い蒸気が散っていく。
「小賢しい羽虫共が――」
霧を発生させる無尽蔵なチャクラに加え、目覚めたばかりで瞳力が戻り切っていない影響か、背後から飛び出した本物の依姫を前に視界を張り巡らせる暇もなく、僅かな隙を作った意志が迅雷のごとき一撃を受けた。
剣神の力を宿した切っ先が深々と食い込み、一閃と共に表皮が斬り裂かれる。本体を切り倒した莫大な霊力が密に収束し、鋼遁による肉体強化で鋼鉄並の硬さを誇っていた体が刃を許したのだ。
「少しは吸血鬼を見直さなきゃね」
深紅色の瞳が輝いた。依姫は二度目の一閃を走らせる。剣戟を受ける直前に十尾が笑んだ。
「死にかけの神降ろしで殺れると? 馬鹿な奴め……その思い上がりを夢に書き換えてやる。一足先に往くといい」
実体のないチャクラの剣を左腕に顕現させる意志。突っ込んでくる依姫を前にして、酔夢の幻術世界とを繋ぐ誘致の力は、蝋燭の火のように白く揺らめいた。
触れた者を現実から切り離された偽物の世界へと引きずり込み、永遠の安閑をもたらす神の力には無限月読に通ずるところがある。瞳術・神威や禁術のイザナギと同様、チャクラが分散した際に求道玉から生まれた、陰陽の力の一欠けらである。あらゆる事象を消し滅ぼす求道の力、新たな真理を創造する力を継いでいる。
かつてこの力に辿り着いた忍が一人だけ居たが、今は昔の話。
原理は六道の陰陽遁で作られた求道玉と似ており、触れれば月の民とて消滅し無に帰する。だがいずれも神霊を身に宿した依姫には決定打とならず、再び求道玉を形態変化させようとした十尾に強烈な斬撃が炸裂した。日々の厳しい鍛錬の賜物である卓越した剣術に圧倒され、十尾は勢いで仰け反る。
依姫は息切れをしても倒れる気配がない。神降ろしを完璧に扱える者は、対話の力が均衡を崩すほどに捻じ曲げられようと、消滅しない限りは依り代で在り続けるのだ。
「力が通らない……こいつのチャクラが干渉を。根を張って掴まえてるってのか」
太刀と接触した求道の力は、刀身に込められた神力の均衡を揺さぶり歪ませたが、太刀自体は健在で神々の干渉も消えていない。依姫に宿るチャクラが陰陽の力を防ぎ切った。それが依姫どころか、月の民ですら本来なら持ち得ないチャクラとは、十尾も当然に判っていた。
求道玉は陰陽遁を基礎にしたもので、風火土雷水陰陽の全ての性質が融合して生まれる血継網羅の術。無から形を作り出し、形あるものを無に帰す『陰』と、形あるものに機能を吹き込み、形から機能を奪い去る『陽』の力を持つ。出始めで十二分に機能していないとはいえ、神々の力ならともかく得物一つ消し飛ばせないほど半端な力ではない。真正面から六道の力に対抗できるチャクラは一つしかない。
「あの忌々しい奴め、どこまでも邪魔を……」
「――無駄なものなんて存在しない。何一つね」
太刀を振り切り、口元を真一文字に結んだ依姫。彼女に力添えするかのように背後の霧が凝固し、鋭利な得物に変化して十尾の体を深々と貫いた。吸血鬼の手足たる濃霧に絡め取られる十尾の脳裏に、かつてカカシの中に見たオビトの遺志がよぎる。残されたものが神にも匹敵する力を生み出した――あの時と同じだ。
身動きの取れない意志は十尾の巨体を遠隔で操作する。樹に咲いたラフレシアの一つに禍々しいチャクラが収束し始めた。真下にでも着弾すれば全員が跡形も残るまい。そんな中で依姫は逃げずに太刀を振るい、意志の体が真っ二つに斬り裂かれた。
「今の私は」依姫は目を瞑った。「あの者の重さも背負っている。そして多くの想いを……とても小さいけれど、お前では決して消せやしない、激しい輝きをもった灯火……さらなる光となってお前に返る」
「消えないのは母さんの意志だけさ」
斬り裂かれた体は落下することなく、宙で引き寄せ合い元通りの形を成す。陰陽遁の力が干渉を受けて傷の治りに遅延が生じているのも構わず、再び笑い声を上げる余裕は残されていた。
「しかも、くだらないオモイなんかより強く燃え上がる。消えるのはお前らだってことだ。その脆い得物ごと打ち砕いて、思い知らせてやるよ」
意志とは様々な行動を通じて真実を語るもの。真実とは誰もが追い求めるもの。十尾がチャクラによる支配を真なる秩序として口に出すように、依姫もそれを災禍としてしか見ておらず、十尾の存在しない月こそが在るべき本当の世界であると考えている。各々決然たる意志を以って、目的や夢を叶えるための行動に違いはない。
ただし一致するか否かは別の問題だ。現に争いごとが生じている。
「そう。ならやってみなさい。できるものならね」
神霊をも滅却する莫大なチャクラを前に、依姫も額に汗を隠せないでいる。尾獣玉が着実に巨大化する中、傲慢なる意志は嘲笑を隠そうともしない。
神降ろしを持ち出そうと、単なる物理的な干渉では消えない――チャクラを戻された際に同質のチャクラを仕込まれたとはいえ、依姫の力では十尾を滅ぼすには遠く、力が及んでも持久戦となれば素体の差で歴然たる優劣が浮き彫りになる。消耗した今の彼女一人に勝ち目は限りなく薄いだろう。
「無間の地獄で永劫、悔恨の念に蝕まれ続けろ」
発射された尾獣玉は破壊の塊として迫る。依姫は自らを介して天照大御神との対話に入り、巨大な漆黒の玉は八咫鏡の煌びやかな鏡面を滑って軌道を逸らされた。これを察した十尾が素早く残り数発をお見舞いするも、今さっき逸れた玉は本人を避けて霊夢や豊姫が居るであろう背後へ飛んでいた。先ほどのように遠方へ着弾させるでもなく、よりにもよって味方が待機する場所に。
最後の最期で神降ろしを行使し損ねた。希望を語った者の力が早くも不幸を招いたのだ。そう確信した十尾は大笑いする。近くに着弾すれば仲間どころか、前線の盾という形で人質と化していた依姫も助かるまい。苦痛や恐怖と共に永遠に消え去ると考えたら、むしろ幸せを噛み締める結果となろうが――。
視界が急激に晴れた。十尾の視界を覆っていた紅霧が一瞬にして凝縮し、大量の血の雨に変化して天体に降り注いだ。術者が意図的に霧を消し去ったのだ。
依姫は身構えたまま動かない。体を血で赤く染めながら、僅かに開けた視界に映ったのは、紅霧が広がるまで延々と妨害を行い時間を稼いでいた者達と、それらとを隔てる大規模な気体の壁。周辺一帯に漂う巫女の霊力を感知した後、疲労困憊する霊夢を白眼で遠目に捉える。
天をも貫く高さと大きさを誇る十尾の本体、それを制御する意志と依姫が、広大で隙間のない長方形の大結界に囲まれている。察した意志が笑い声を飛ばした。
「ずいぶんと派手なものを。血を分けた妹を犠牲にする気か、綿津見の片割れ!」
「何をかしら?」依姫は冷静さを失わない。
「天探女の全てを奪ったのはオレだってことさ。空間を繋いで尾獣玉を結界内に転送するんだろう? 連中やお前を使ってオレを止めている間、爆風を逃さない閉所へ飛ばして自滅を狙う気だろうが――この程度じゃ殺れないぞ。お前が無駄死にして終わりだ!」
沈黙する依姫を嘲笑う。綿月豊姫の『海と山を繋ぐ』力は隅から隅まで把握している。人間道・吸魂の術により奪い去った賢者の知識は全て、外に放っていた分体を取り込んだ際に受け取っていた。
術者である豊姫が身をもって証明したことだ。規模も威力も質量も巨大な尾獣玉を特定の地点へ調節し飛ばすには、相応に膨大なチャクラを必要とせざるを得ない。能力を遍く攻撃に集中させるだけでも負担は相当なのに、同時進行で他所へチャクラを割きながら対応できるほど、十尾の尾獣玉は簡単な物ではない。天変地異を起こして地形や環境を激変させるほどの破壊力を秘めた物だ。それを数発も上乗せした場合の威力など言わずもがな。一発目を背後に流した後、追撃用の尾獣玉を連発させた理由だ。
意志は終わりを待つ依姫から視線を外した。ギリギリまで抑え込むために大事な血族を犠牲にする、豊姫の冷酷さと図太い神経には驚かされる。国家を想う一人の民としては敬意を表するべきなのだろう――。
「どうかしら。そちらだけかもよ? むしろね」
意志の目が見開かれた。眼前に映った依姫が挑戦的に微笑み、その姿が一瞬で消え去ったかと思えば、入れ替わるように現れたのは一発目の尾獣玉。だがそれだけに止まらず。
「――?」
紅黒く燃え盛る大鑓が体を貫き抉っていた。忍界で言う五大性質に類するチャクラなら問題なく対処できたところ、大鑓は十尾本体に酷似したチャクラを内包している。意志は激しい奔流に巻かれて声を出せず、視界が閃光に包まれる前に体が急速に炎上し、転移して逃げようにも四肢が動かなかった。
時すでに遅く――射出されていた複数の尾獣玉が眼下に着弾し、直後に結界内は異常な爆風に晒された。
「おわ……やべえなこりゃ。人生でもそうは拝めないぜ」
魔理沙がアリスの横で唖然として呟いた。果たして「大きい」で片づく規模なのか、眼前に広がる光景は赤を通り越して真っ白。ひたすら白一色に染まっている。魔理沙やアリスのみならず、咲夜も揃って息を呑み、転送を終えた依姫は勢いあまって豊姫の胸に顔を埋めた。姉は妹の頭を優しくなでる。腕組みしたレミリアがチラッと姉妹へ視線を投げた。
霊夢の方は息も絶え絶えに、汗を垂らして成り行きを見守った後、体を引きずるように二人の元へ移動する。結界を組み上げる際に豊姫の助力を受けたとはいえ、霊力のほとんどを消費するほど大規模で堅牢な物を創造したのだ。幻想郷ではごっこ遊びでしか力を出し切らない分、これまでで最も苦を強いたと見なしてもいい。
「逃げないとまずいんじゃ? これで死にでもしたら無駄になるし」
「あなたの物だけならね」豊姫は霊夢の方を向いた。「結界術には少しばかり心得があるのよ、これでも。巻き添えなんて喰わないから、ご心配なさらず」
「ふうん」霊夢は頭を掻いた。「たぶん、とか言わないわよね」
「否定はしないわ。残念ながら」
たぶん、などという頼りない曖昧な言葉は、時に予想外の結果を忠実に招いてしまうもの。
豊姫が涼しい表情で答えた瞬間、ご期待に沿うように轟音が響き、霊夢と豊姫が作った霊力の壁と結界を圧し崩した爆風が、荒れ狂う嵐のごとく流れ出してきた。反射的に動作しかける霊夢達だが、豊姫が一人指を振っただけで、爆風を含む全ての余波は凍りついたように停止する。自ら侵食を抑え込む豊姫の前で、ゆっくりと勢いは収束していき、再び張り直した結界の中に真っ白な煙を漂わせた。
一人汗を拭う魔理沙。アリスは胸をなで下ろし、咲夜とレミリアは規格外の威力に呆れて息を吐いた。
「まったく……」
霊夢は祓い棒を握ったまま呼吸を正した。あんなモノをまともに喰らっていたら、最期の言葉を頭に浮かべる暇もなくあの世送りだろう。着弾した場所が幻想郷のど真ん中だったら――とは考えたくもなかった。
体の節々に鬱陶しい痛みが走り、眩暈で頭がくらくらした。死ぬ気で続けていた努力も報われたようだ。
「あんなん生まれて初めてだっての……こりゃあこの苦労に相応しい労いでもなきゃ満足できないわね。万一の手まで用意させやがる始末だし……」
仙霊との戦闘時も死力は尽くしたが、今回ほど負担を強いて身も心も削った経験はない。瑕穢の影響がない場でこのザマだ。
弱小妖怪を相手取るならば、幻想郷のごっこ遊びはもちろん、純粋な戦闘でも様子見と手加減から始めてゆったりと戦うところ、此度は最初から本気を出さざるを得なかった。下手に余裕ぶって勝機を逃したら最後、迅速に死亡した後に三途の川辺りで後悔する自信がある。守矢の二柱やどこぞの魔界神と同じ類で、本来なら人間や妖怪が盾ついていい輩ではないだろう。
そもそも前回の月旅行にて、遊びですら地上の民相手に圧倒的な差を思い知らせた、綿月依姫をも脅かすモノなのだ。まともであるはずがない。
「あんた、そいつの姉さんだっけ? さっきの説明してくれない?」
霊夢は再び豊姫の方を向く。叩き潰す手段が見つからない化け物ごと、黒幕を滅却するために自滅攻撃をお見舞いした豊姫だが、実の妹である依姫を危険な目に遭わせてまで足止めをさせた。空間操作を行使するだけなら誰かに囮を頼む必要はない。攻撃を転送した直後に結界を張れば済む話にも思えた。
「協力してくれたしね」豊姫は結界に目をやる。「本当は国家機密? ってのに触れる事柄だし、女は秘密を持つほうがアレだから、あまり話したくないけれど。私の力は空間干渉の類」
普段は面倒事を妹に任せきりで遊ぶ方が多いとはいえ、都の内情に関与できる高い地位に就く者とは思えない言い方である。霊夢も状況が状況なので余計な突っ込みは入れなかった。
「それは知ってる。でもそれだけなら、そいつを送り込む必要なかったじゃない?」
「……馴れ馴れしい地上人だこと」依姫はぼそっと呟いた。
「転送だけならね」豊姫はぽんと手を叩く。「そう、空間転移! 量子論を応用して編み出した力でね、端的に言うなら――人や物、物質に現象を、周りの空間ごと別の空間と入れ替える……って言い方なら判りやすいかしら。賢者たちにも教えてないんだから、内緒よこれ」
豊姫の大雑把な言葉の意味は、端から見るだけでは判りようもないだろう。
攻撃自体を能力の対象に設定して飛ばしたのではなく、それを中心とした空間ごと巻き込む形で転移させたなら、逐一設定し直して飛ばすものを選択する必要はない。能力を重複させて使わずに済むなら、囮を使って引きつけたり、抑えたりする方が隙を作って当てやすい。危険性の高い敵ほど有効な手と言えよう。
「そんなのバンバン使えんの? ほんとふざけてるわね月人って……グルグルとどっちが上かしら」
月の民を相手に総力で勝るのは難しいとしても、こと空間干渉能力に限って言えば、紫は元より人間のオビトも好い線を行くかもしれない。霊夢も似たような力を一応は使えるが、得意分野である結界系統の術に比べたらいずれにも及ばない。
「簡単に言うけど、すご~く疲れるのよこれ。さっきみたいな大きいのなんて、何回も使ったらそれこそ……あ、帰ったらお肌のケアしなきゃ」
「お姉様は美意識が無駄に高すぎます。我々は月の民ですよ。その努力を綿月家の者として、都に貢献する方向で……」
「無駄じゃありません! まったくもうね、油断してたら荒れに荒れまくってね、明かりを消す破目になるのよ? それが積もり積もってご無沙汰に――」
「その辺にしてくださいお姉様」
ジトっとした目の霊夢、何故かうっすら赤面した依姫が咳払いした。禍々しい気配の残留する不気味な異空間には、不釣り合いな内容の会話である。一行の中では常識人で真面目なアリスは一人呆れ果て、レミリアと咲夜に至っては話題が逸れてから聞いてもいない。
そんな中で魔理沙は欠伸した後、伸びをしながら霊夢の方を向いた。
「面白い話なら戻ってからでいいって。宴会のネタにとっとくほうが楽しみも増える。あんたら月人も後始末とか、宴会の準備で色々あるだろうし、こっちはそれまで観光にしゃれ込むのも悪くないってな」
嬉しそうに言葉を並べる魔理沙が、思い直したように手を叩いた。
「ん。やっぱまずは……オビトの奴を探してさ、自慢しようぜ。私らだけで終わったって。めちゃんこ驚くだろあいつ! 適当に前置きしてから神妙な感じ出して、口ごもり気味に言えばたぶん――」
「そのオビトですが、お姉様……」
依姫の落ち着いた声に霊夢が不可解な顔で眉をひそめた。レミリアと咲夜、アリスも揃って依姫達に目を向けていた。
然るに人知を超えた神は、超えぬ者には手の届かない絶対の存在として映るだろう。
同格の者なら別だ。神に神をぶつけて拮抗しない道理はない。簡単な話だ。
なればこそ、地上の者達は異変解決のための手段として、月の神々を取り入れるに至った。
一方で月の神々は、地上の有力者達の手を借りた。災禍を止める助力になると結論づけたのだ。
これらを前提に的が外れた場合、出てくる答えは一つ。
「な……?」
豊姫が口を開く前に、霊夢はただ一人声を漏らす。答えは何かが砕け散る大音響と共に現れた。
霊気の渦と白い煙の中に真っ赤な光が揺らめいている。念のために祓い棒や太刀は抜いていたが、少なくとも霊夢には安堵の気持ちがあった。視界が完全に晴れると、例のラフレシアどころか、十尾の巨体が丸ごと忽然と消えていた。
暴虐の限りを尽くしていた化け物はもう居ない――そんな中で皆が鋭く目を細めるのは、消失した理由がおそらくは最悪なもので、異変の解決者や月人に望まぬ形で理解を強いたからだ。
「痛かったな」
打って変わって落ち着いた声が響いた。霊夢達の前で静かに浮遊しているのは、先と同様に振袖と髪をなびかせる意志の姿。肌が黒一色で判りにくいが、顔と体の右半分が酷く焼け焦げている。背筋が寒くなり、怖気が走るほどの爆発の中を、火傷だけでやり過ごしたのだ。
霊夢はもちろん魔理沙とアリス、冷徹な咲夜とレミリアでさえ驚きを隠せない。綿月姉妹はどちらも表情を変えない代わりに、冷徹な瞳をより一層と燃やしている。
何より信じがたいのは、先ほど十尾本体に感じていたもの以上に、意志の力が膨れ上がっていること。言わずもがなこの場に居る全員が正気だ。それを知ってかアリスは、胸元の魔導書を抱きしめたまま、「嘘?」と微かに声を震わせた。弱気や臆病以前の問題であり、生物として備える本能だった。
「狂ってる」霊夢は歯を食いしばる。「……まさかこいつ、取り込んだっての? あの中を生き残って……そもそもどうやって」
「痛かったぞ」
黒い顔を上げて復唱する意志。咲夜と魔理沙が得物を握り締めた。
「成長には苦痛や怖れが伴うものだ。愛する者の死を体感した者が、憎しみで力をつけるように……」
――感情の高ぶりは人を限りなく強くする。可愛さ余って憎さが倍増するとされるうちは一族が代表的な例だ。
愛情深いうちは特有の瞳力・写輪眼は、大きな愛の喪失を体感すると脳内に分泌される、特殊なチャクラが視神経に反応して発現する。彼らが戦乱の世で千手と並び『最強』と謳われていた最たる理由だ。うちはの瞳力は愛情や憎しみの強い者ほど増大して、並外れた動体視力や強力な幻術、様々な固有瞳術、第三の瞳術である須佐能乎など、開眼する前と比べると強さは天地ほども開いている。
これらの源流は白眼にあるが、白眼を含む全ての術の祖は六道仙人であり、その仙人を生み出したのは誰であろう、チャクラの始祖であるカグヤ。分散したチャクラの『一欠片』ですらも、当人の心の変化で強かとなるならば、順応する十尾チャクラもまた成長して強くなる。写輪眼とて伝播した力である以上、理屈は変わらない。
「踏み込むのは勇気がいる。でも誰かが後押ししてくれれば、そこまでじゃない。そう気づかされる。お前らには感謝しなくてはな」
小さな解決者達を今日まで見下していた意志は、心が掻き消えるほどの苦痛を味わい、初めて『死』に対する恐怖を抱いたのだ。
同質のチャクラの塊である尾獣玉を閉鎖空間で何発も同時に食らえば、意志とて一溜まりもなかった。恐怖から自らを食い千切ってでも無理やり体を動かして、異常に強すぎる生への執着を抱きながら、命からがら十尾の本体へ逃げ込んだ。順応し始めていた十尾チャクラが己を生かすために、急速な変化を遂げたのだ。本来の瞳力を十数年もの間、長らく無自覚に封じ込めて生きてきたオビトが、極限状態の果てに眠れる力を呼び起こしたように。
意志も死の床を転がる寸前で立ち上がり、終には十尾を完全に制御してみせたのだ。
「……急すぎて呑み込めないっての」
「誰だってそう思うさ」
理解が及ばない一方で嫌悪感を露にする霊夢。意志が静かに肯定した時、祓い棒から散った霊力がバチバチと音を立てた。
「命ってのは面白いものだね。消えかけていても前触れなく、理由もなしに、何かの拍子に燃え上がったりする。しかも前よりずっと強い火になって。生命の神秘ってやつかな……そんなのに興味はないけどね」
十尾本体の禍々しさから一転、言葉通りに神秘的な、幻想的な雰囲気すら霊夢は嫌でも肌で感じた。
心の底から形容しがたい。発散する力が不可思議なのだ。口調と声色は変わり映えしないのに、小物よろしく散々と喋っていた面影がほとんど消えている。
この短時間にいくつか齢を重ねて、精神的な成長を遂げたような。悍ましい風貌に反して先ほどより、柔らかな雰囲気を内包したかのような――。
周辺は不気味な静寂に包まれる。思いのほか穏やかなで踵を返すと、意志はゆっくりと異空間を上昇し始める。黒染の着物が揺ら揺らとなびいている。
魔理沙は困惑した表情で「おい!」と叫ぶと八卦炉を構えた。咲夜とアリスも武器を手に宙を蹴りかける。滑るように昇るばかりで動きを止めなかった意志の姿が、後を追う前に跡形もなく消え去った。
「何をするつもりかしら」
奇妙に抑揚がなく、低く冷たい声で喋ったのは豊姫。依姫は魔理沙達の反応速度を超えて接近し、神力をまとった太刀の切っ先を意志の首筋に突きつけていた。逸早く動作したのは綿月姉妹で、意志は周りの空間ごと引き寄せられたのだ。
白眼が至近距離にいる豊姫を直視した瞬間。豊姫が恐ろしい微笑を見せると、何を聞くでもないままに依姫が動いた。
銀色の一閃が走り、意志の体が斬撃に呑まれる。彼女自身の霊力として新たに宿った十尾のチャクラが刃を介して力を発揮したのだ。
「じっとしていろ……お前たちは惜しい」
静かな言葉は意志が紡いだ。今や本体にも並ぶ『神』として己が身に神樹を取り込み、月の民からでも超越的と見なせる回復力を得ていた。剣神の斬撃は決定打になりかけたが、かつて仙人化したオビトやマダラと同様、陰陽の治癒力で見る見るうちに体や傷が再生して、元通りの姿を形成していく。
「――何をするつもりかしら?」
豊姫は一字一句違わず淡々と無感情に復唱した。化け物を散々と視てきた今、蓬莱人をも超える肉体再生能力を目の当たりにしても、霊夢達と違って姉妹に驚きはない。何も視ずとも二人が動揺するはずもない。それでも表情は一変させた。
十尾本体を目に映した時と同じ口元の歪み。地上の民や同胞達を含めて露呈させぬであろう、氷のように冷たい表情。豊姫の言葉には気品があるが、不気味さは拭えず否定できない。
深いため息を吐いた豊姫は、色々なものを通り越して笑顔に行き着いた。
「最期に言い残すことがないなら、終わるだけよね」
素直な言霊と共に綿津見は動いた。血で血を洗う野蛮な争いを嫌悪して、穢れを何より避けたがるはずの月の民に芽生えた明瞭なる殺意が、今まさに十尾を滅ぼさんと迫った。地上の民とは比較にならない霊力が溢れ出す。
十尾は神霊による天罰を受けて消滅した? 確かに二人の前では、月の使者や並の神霊すら霞むだろう。否、肉体には掠り傷一つ負っていない。
二人の一閃は躱されたのではない。両手から立ち昇る黒い靄が作り出した、正体不明の裂け目により受け止められていた。
「お前たちは生きて『カグヤ』となる。我が名の下に今一度、小さき者たちは一つとなるのだ」
雑音交じりの低い声を吐き出した意志。気が狂ったとしか思えない謎めいた言葉に、誰一人として声を返さなかった。
霊夢達は戦う力を十分に残している。豊姫は元より、霊力を取り戻した依姫も、並外れた生命力と桁違いの霊力を誇り、万全に近しい余力がある。ゆえにこの二人は月の民として滞りなく、今や純狐以上に月を脅かす輩を前に一切の慈悲を与えず、問答無用で仕留めているはずだった。
それが成せず、為すことさえしなかったのは、一行や二人の力が及ばなかったからでは決してない。豊姫の高い感知能力を潜り抜けて、十尾がその場から姿を消したからだった。
付近に蠢いていた分裂体の群もいつの間にか消えている。今までの戦闘が嘘のように終わりを告げて、元の静寂が呆気なく戻っていた。
(どこに? なんなの、いったい――…)
異空間の空を見上げる姉妹の傍で、霊夢は眉をひそめて唖然と立ち尽くしていた。
これまでの経験のいずれにも当て嵌まらない沈黙の禍が、すぐ近くにまで迫っているなど、ここに居る者達には知りようもない。
――◆◆◆
無音の世界で星々が薄明るく輝いている。国産ノ狭間から月の都を介して外に這い出ると、十尾は掌を合わせたまま目を閉じた。
映りしは永久の夜に輝き。深淵なる闇を月光が照らし、眠りし眼は瞼の裏に月を見る。
(ようやくだ……母さん)
歯向かう者が居なくなれば夢は叶う。無駄な時間を使って戦火の中に身を落とすことはない。今となっては無意味に戦い続ける必要はない。むしろ争いは排するべき害以外の何物でもない。少なくとも目的を達するまでは。
都と幻想郷は大結界の効力により、どちらも『表』から孤立した断絶世界として『裏』に存在している。尾獣本体が抜けて大幅にチャクラが不足している現状、この世の全ての者に瞳力が及ぶはずもない。しかしながら、この術を通してチャクラを収集していけば、何もせずとも瞳力は増していく。裏世界の住民達が甘美なる夢に溺れた後、全世界の生きとし生けるものは眠りに就く。
最たるや無限の世界。総てがこの一点にかかっている。
後のことなど、どうとでもなる。
輪廻の力を持つ者、月に近づきし時。
無限の夢を叶えるための、月に映せし眼が開く。
「この世を統べよ。『無限月読』」
総てのチャクラが集い、世界は一つとなる。凍結していた額の眼が力を取り戻していく。
瞳力が投影された月は真っ赤に染まり、九つの勾玉と波紋状の紋様が浮かび上がった。