THE LAST PHANTASM -OBITO-   作:大兄貴

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六十話 無限月読

 大結界に護られた地上の楽園、忘れられたものの集う幻想郷。

 ほぼ中心に位置する人里。歴史を喰らう半人半妖の少女、上白沢慧音は里中を一人奔走していた。

 

「どうなってる? 誰もいないのか――?」

 

 空の様子が明らかにおかしい。夜明け前にもかかわらず、周辺一帯は昼間のように明るい光で満たされており、雲一つない青空には煌々と月が輝いている。眩しいくらいの景色に異常を感じないはずもない。

 里内も同じだった。道行く人間や妖怪は皆一様に空を見上げていて、話しかけても体を揺らしても死んだように沈黙し続けている。店舗や屋台は閑散どころか無音そのものでゴーストタウンも同然だ。外の異常を察知して寺子屋を飛び出したように、里の人達も不審に思って家屋から出たのだろう、時間帯の割に通りは人で溢れていて、余計に不気味さが際立っていた。

 この現象が異変の類なのだとしたら、以前に幻想郷を永夜が包んだ時のように、里の歴史を喰らい人々を光から隠せば、外敵から里を護ることができたかもしれない。何の前触れもない異常事態が音もなく急に迫りさえしなければ。

 思い当たる節が一つだけある。ほとんど同時期に現れたオビトという外来人だ。然るに行動を起こそうにも現状では――。

 

 否、こんな時こそ冷静さを欠いてはならない。夜空を染める月光が原因であるのは火を見るより明らかだとして、何よりまずは生存者との接触だろう。稗田家の当主も貸本屋の店番も同じ状態で発見された。意識のある者なら誰でも良かった。

 心からそう願った時、覚えのある姿が視界の端に映った。足元まで伸びた白髪に赤いリボン、大量の御札を衣服に貼りつけた蓬莱人。知り合いの姿が向こうに見えたのだ。

 

「急な出来事で分からないことばかりだ。幻想郷の巫女は……」

 

 途端に言葉を切り、ゆっくりと手を下げる慧音。藤原妹紅は身動き一つせず、空を映す瞳は薄紫色に染まっている。

 竹林を住処とする彼女も異変を察知して飛び出し、寺子屋かどこかに向かう途中だったのかもしれない――何かを否定するように首を横に振り、慧音は迫った表情で再び口を開いた。

 

「あ……あ――…」

 

 例外としての立ち位置は望めず終いだった。次第に声が掠れて出なくなり、意識が白濁とし始める。無残な姿の知り合いを映したまま、慧音の視界は歪んでいく。

 人間の里だけではない。月の眼に睨まれた幻想世界は、大筒木の掌の上で夢の世界に描き換わりつつあった。

 

 提灯の照らす山道の屋台にて、夜雀と宵闇の少女は揃って空を見上げている。今宵の客は誰もいない。

 

 何人かの妖精が伏している中で、湖面に映った綺麗な月を、蟲使いと氷精はじっと眺めている。

 

 屋外に出てきた寝巻の少女、門番は共に正門にて口を閉ざしている。

 

 少女は館の屋上で月を仰いでいた。瞳は薄紫色に変わっているが、他とは違い一人だけ取り残されていた。

 醒めぬ夢に溺れた妖精メイド達をつついて館を徘徊し、最後に辿り着いたのは安らかな気持ちの芽生える場所。昼なのに痛みを感じない。

 気の触れた少女は恍惚とした貌で目を閉じると、「綺麗……」と嬉しそうに呟いた。

 

 空っぽになった竹林。兎耳の少女が立ち尽くしている。人ならざる大勢の兎は首魁を見つめるしかない。

 

 境内の少女達、住職はいずれも空を見上げている。眼鏡の少女は身動きせず、縁側で月夜を一人楽しんでおり、視線の先には凍りついた皆が映っている。

 

 首から写真機を提げた少女が、高い樹の天辺に足先を着けている。髪を撫ぜる風に騒がしさはない。

 

 月に近しい神代にて、二柱の祭神と風祝は小奇麗な境内にいる。美しい月の光は神をも魅入らせる。

 

 腕に包帯を巻いた少女が、物寂しい本殿の屋根に立っている。月を映す双眸は黙している。

 

 彼岸花の咲き誇る、血のように赤い原っぱで仰向けに寝転がっている。僅かに開いた目に生き物の色はない。

 

 青空の下で向日葵達と一緒に月光を浴びている。日傘に隠れて孤独に微笑む。

 

 群生する鈴蘭に抱かれた一体の人形。口元は笑んだまま、目から涙がこぼれ落ちている。

 

 月光は全ての陰を見通した。幻想郷から切り離されており、境界の賢者さえ不干渉な嫌われ者の巣窟。かつて地上を追われた鬼達はなおも月を見上げ、誰もかれも足を止めていた。

 緑眼だった姫の横にいる人気者は、桶に入った悪戯っ子を見下ろしている。

 とある有名な居酒屋にて。瓢箪を手に笑っていた小さな鬼、額に一本角を生やした大きな鬼。普段の騒々しさは地底に降り注ぐ光に塗り潰されていた。

 

「失礼します! 旧都だけじゃないです、お空も蓋の下で……」

 

 地底の奥底に位置する忌み嫌われた館。勢いよく扉が開くと、猫耳の少女が慌しく入室した。

 館の主である覚は、机に向かって書物に目を落としている。初めこそ緊迫した様子で近づいたが、異変に気づくなり口を閉ざした。

 少女は悟った。目の前の主とて灼熱地獄のペットと同じであると。地底を覆い尽した光はすでに蝕んでおり、薄紫色の眼がページの上で止まっていた。胸にある第三の眼も異常を物語っている。

 

「どうして――…」

 

 空っぽの館で一人孤独に、その場に崩れ落ちてしまう。心の内から湧き上がるのは紛れもない絶望感。視界が歪み始めていることにも少女は気づかず、気づこうとも思わなかった。

 終わりの始まりは鐘を鳴らした。互いに道を違えた地上と地底の住民達は、甘美なる眠りの下に満を持して一つとなる。

 幸か不幸か現世に取り残された者達とて、いずれは夢幻の抱擁の中で生き続けることになるだろう。

 

 

――◆◆◆

 

 

 月の都、国産ノ狭間。

 地表に放っていた無数の木分身を総じて消し去った後、須佐能乎をいったん解除して地上に降り立った。幻想郷の住民や月人達の戦いを傍観していたマダラが、良くも悪くも区切りがついたところで新たな動きを見せた。

 

 周辺は静寂に包まれている。暗い薄紫色の目を走らせ、状況を瞬時に把握する。かつて同じ術を発動させた経験から、正体はたちどころに突き止められた。

 外から断絶された別空間に光が入り込んだのは、外部とを繋げる出入り口の結界が破壊された状態で放置されているか、今もなお完全に修復されていないからだ。僅かでも干渉の余地があれば通り抜ける。なくとも輪廻写輪眼の瞳力は、結界を含むあらゆる遮蔽物を貫き見通すだろう。単純に結界の効力を瞳力が上回っていれば侵入を許す。

 生きた者からチャクラを集める術であり、穢土転生で蘇った死人には効果を発揮しない。死者に宿る死んだ紛い物のチャクラに利用価値はない。

 

「久方ぶりに見る光景だ」

 

 大幻術『無限月読』こそがチャクラなき平和な世を創造する唯一の手段だと信じていた。蓋を開ければあらゆる生物のチャクラを吸収して高める、争いを起こすための術でしかなかった。

 この術に侵された者は、大筒木の瞳力に己の全てを乗っ取られて支配される。主体からの自我、他者からの意識も何もかもが無へと消える。現実に残るのはチャクラに付随する肉体だけとなる。月を直視してかかるような簡単な術ではなく、瞳力とその影響を身に受けた者の総てに作用する。国産ノ狭間に在る者達はもちろん、直に光を受けたであろう外の連中も、今頃は夢に溺れているだろう。地上もまた然り。

 

 侵食を終えるまでは時間の問題だろう。大幻術が発動したとあっては連中に抵抗の術はない。どんなに強かな者でも生物である限りは逃げられない。収集や回収のための器として機能する神樹にチャクラを吸収し尽くされた犠牲者達は、長い時間をかけてカグヤの兵たる『白ゼツ』に生まれ変わる結末を迎えるしかない。

 白ゼツは外道魔像からチャクラを抽出する際に生じる偶然の産物ではない。正体はかつて無限月読にかかった者達の成れの果ての姿――あの忌々しい黒ゼツの腕が胸を貫いた際に、耳元で囁くようにして思い知らされた真実だ。

 

(奴一人で成し遂げるとはな……オレを傀儡として利用しただけはある。これで奴らも終わりか)

 

 地上と月の勢力、十尾のいずれにも与しない、第三者から吐き出された無感情な言葉。

 己の選択に迷いはなく、自らの意志で何物にも相容れない道を選んだ。頭上に目を向けたまま動かない、その姿を見てもマダラに思うところは欠片もない。

 解決者達は無限の光を浴びて地表に堕ちていた。誰もかれも伏したり仰向けに倒れた状態で、傀儡や刃物など武器の累々が傍に転がっている。不気味に目を見開き、輪廻眼と同じ波紋状の模様が眼に浮かんでいる。先ほどまで勇猛果敢に動いていた少女達は呆気ない終焉を迎えたのだ。

――これこそが現実だ。終わりとは実に呆気ないものなのだ。戦場では簡単に人は終わる。

 戦いとは「そういうもの」でしかない。一人一人を引き立てる物語や追憶が思うほどに展開されるものでもない。別れの時が与えられるとは限らない。今の今まで肩を並べていた友人や恋人、家族でさえ何かを思う暇もなく一瞬で死に、目の前からいなくなる。冷たき戦いでは温もりなど忽ち消えるだろう。無限月読とて死することと同義だ。

 

 ただしこの戦いにも例外があったようで――驚いたことに他にも人影があった。

 

 力なく横たわるのは魔理沙、アリス、咲夜、豊姫の四人。瞳力の光を浴びて沈黙を余儀なくされている。

 問題は少し離れた場所で疲労困憊している霊夢。拳より大きな陰陽玉を両脇に二つ従えた状態で意識を保っている。倒れた従者の傍にはレミリアも居るが、彼女もまた眠っていない。最後の一人は依姫で、変わり果てた姉の姿を見つめたまま膝を着いていた。

 いずれも術の影響で両目が輪廻眼の波紋模様に変化しているものの、不可解なことに光をやり過ごしていた。

 

「ねえ、あんた」

 

 霊夢はマダラの姿を見つけた。呼びかけに反応を示さなかったので、刺々しい長髪を見ながら「そこのハリネズミ」と霊夢らしい言葉で続けざまに声をかける。マダラは腕組みしてあらぬ彼方を向いている。

 

「上でずっと観戦してた奴よね。これじゃ何が何だか……知ってんなら説明しなさい」

 

 どう見ても会話する気が感じられない。そう思われたマダラが意外にも「無限月読」と独り言のように呟いた。

 

「瞳力を月に投影してかける術……光を浴びた生物は幻に囚われ、個々のチャクラは全て術者に集まっていく」

「ならあの黒いのに?」薄紫色の目を瞬かせる霊夢。「……これでもかってくらい現実離れしてるわね。相当ヤバい術になるじゃない――ていうかあんた、教えてくれるのね。誤解してたわ」

 

 忍界から来た異邦人であり、同じチャクラを内包するという共通点こそあれ、この男は筋骨隆々でガタイがよく、オビト以上に寡黙で堅苦しそうで荘厳な外見と雰囲気から、問いかけた身としても返事は期待できないと踏んでいた。しかも信用するのは人間不信な者でなくとも難しいだろう。

 怪しげな風貌や雰囲気はもちろん、十尾に酷似した禍々しいチャクラに加えて、分身を使うだけで助力せず傍観に徹する非協力的な姿勢。他所に意識を割く余裕がなかったために、遠目に見て終わっていたが、危険極まる力の持ち主であれば無視はできない。博麗の巫女が敵意をいったん抑え込み、平然と会話を交えているのは置かれた状況や、マダラ自身が第三者の立ち位置にあり、退治すべき敵とは辛うじて判断していないからだ。先の戦いで少しでも妙な動きを見せていたら結末は変わっただろう。

 

(…………)

 

 霊夢達のことなどマダラは何とも思わない。自分とかかわりの深いオビトや旧友の柱間など、特定の者以外との会話には消極的な傾向にあり、異変に関連する話にも興味関心を示さない。忍界ではない未知の世界での悶着なら尚のこと口出ししない。

 そんなマダラが無限月読について素直に話したり、「小娘」と続けて口を開いたのは、無駄に質問攻めされる面倒な事態を避けるためでもあったが、何より今の霊夢達の状態が目に留まらざるを得なかったがゆえだ。

 

「お前は何故かからん」

 

 マダラが眉をひそめるのも無理はない。霊夢達は無限月読の影響を僅かに受けただけの半端な容態だ。輪廻眼の紋様が眼球に浮かぶだけで、意識があり正常に話もできている。本来ならあり得ないことだ。永らく忍界を生きた聡明なマダラも、異界の知識に疎いどころか皆無なら疑問は当然に湧いてくる。

 

「本当に幻術なら……これのおかげね、たぶん。確証はないけど」

「コレ?」

「『空を飛ぶ程度の能力』――」霊夢は思案する。「……だとか、阿求とかには思われてるんだけど。そのまんま空に浮かぶのとは違くてね。外からの干渉を排して『やり過ごす』って意味。夢想天生ってんだけど」

 

 幻想郷の住民は空を飛ぶ力を持つ。それを立派な能力と呼ぶならば、霊夢にだけ特別な括りを設ける必要はない。詰まるところ他とは一線を画している。

 その能力を応用した『夢想天生』の前では、霊夢を縛る重力や重圧、感情に働きかける脅しの類ですら意味を為さない。強すぎるために弾幕ごっこでは自ら時間制限を付けたスペルである。鬼や地獄の閻魔、神霊だろうと追随を許さない強力なものだ。

 子供が考えそうな力の異能だが、今さらマダラは真偽など疑わなかった。現に多少の影響こそ受けれどやり過ごしている。十尾のチャクラが万全でも結果が同じかは不明ながら、悪夢でもなければ真実と見なせるだろう。

 

「幻術かもって直感はあってね。魔理沙を見たのもあるけど。で、これに賭けたってわけ」

 

 博麗霊夢を形作る最たるものは高度な霊術ではなく、生まれながらに持つ天性の直感力と運である。それも合わせて作用したかどうかは、マダラどころか霊夢本人ですら知るところではない。

 夢想天生は歴代の巫女に与えられる力。博麗神の加護を継承した者に幻想郷を守護させるために、異変を起こした黒幕との勝負では「絶対に敗北は許されない」という、解決者としての確固たる役職からくるものだ。ゆえに幻想郷では何者も彼女に勝つことは許されず、勝てる者など存在しないとされる。

 制限時間を付加するのはごっこ遊びに限られるため、ルール無用の異変では余すことなくその力を発揮する。

 

「退屈だけど腹立たしい力よね。早い話が無敵ってことじゃない、それ」

 

 レミリアが二人に近づいた。紅かった瞳が輪廻眼の色と紋様に変化しているだけで、本人は平気そうな様子で立っている。

 

「なら最初から使えばよかったのよ。手加減して潰せる奴じゃなかったんだし、こんな結果にもならなかったんじゃない? あなたのその目、相当気色悪いわよ」

「加減なんかするか」霊夢は吐き出すように言う。「私だけが重圧を振り解いて、あんたらだけ死んでも意味が残るならね。今のがなけりゃ使う気もなかったっての。無敵ってのも短絡的すぎるし」

 

 身に降りかかる全ての害を防ぐとか、敵を無条件で打ち倒すとか、無敵と評される理由など挙げればキリがない。

 此度の異変において、この能力は文字通りの無敵――敵が無くなるほど完璧な力ではなくなる。夢想天生が可能とするのは前者のみで、『術者』の身が脅かされないだけだ。相手が十尾だろうが誰だろうが、振るったところで敵が死ぬわけではない。ごっこ遊びのルールに乗っ取らない異変では、この力を満足に扱えたところで解決に導けるとは限らない。敵が桁違いの化け物であれば戦いは終わらない。実に簡単な話である。最後に物を言うのは己自身の力なのだ。

 

 弾幕の美しさを競い、ルールで決めた回数を被弾させて勝敗を決する平和的な遊戯。これによりどんなに弱い人間でも、強大な妖怪を相手に対等な勝負を繰り広げることが叶うようになった。それが弾幕ごっこだ。

 いかなる弾幕も受けつけない夢想天生は、遊びにおいてはレミリアの言うように無敵と見なせよう。なればこそ相手に勝機を与える意味で、制限時間なる縛りを巫女として課した。ごっこ遊びでは解決に至らない本当の危機、しかもあんな化け物では確かに不幸どころの話ではない。それでも。

 

「直にぶっ潰せる力じゃないから、こんなん使っても意味ないって思ってた。でもどうやら……運が良かったって、胸張って言える結果にはなった。私はだけどね」

 

 博麗の巫女とて情のある人間の少女。日常と異変との分別もあり、この場で感情など露呈させまいが、仲の悪くない知り合いが倒れて気分が好いはずもない。体の内から湧き上がるものに嘘はつけない。代わりに溢れ出したものは、霊夢の体から霊気として発散された。

 

(見くびっていたか。こうなった以上……ただのガキではないと理解せざるを得ん)

 

 やり過ごすという点では神威のすり抜けにも勝ると言える。真正面から十尾を相手取るだけはあるのか、幼い身なりに反して大した能力を持つようだ。生き返ったオビトはこんな連中と付き合っていたのか。

 とどのつまり『空』に浮くことで光をやり過ごした。しかしながら、外から入る光や音、生きるために必要な栄養の摂取など、生命維持に影響を及ぼす要因までやり過ごす輩はいない。視覚を作る眼球と脳の働きがそれだ。結果的に意識を保っているだけで、周囲の景色を見せる光に混じって入り込んだ月光は視神経を侵した。色や紋様という目に見える影響が生じただけで、体に害を為す部分は排されたようだが。

 巫女を守った異能の正体を明らかにしたところで、次はドアノブカバーのような帽子を被った人物。背丈が低い代わりにチャクラが強い。純粋な強さで見積もるなら五影かそれ以上はありそうだ。

 再び口を開こうとしたマダラだが、その前に霊夢が「そういえば」と思い出したように口を開いた。

 

「あんたまで無事だったのは? 吸血鬼だから、とか言って終わらないわよね」

「はあ?」レミリアは面倒臭そうに言う。「決まってるじゃない。高貴なる紅い血が、私を守ったのよ」

「……吸血鬼? 何だソレは」

 

 マダラがオビト、もといマダラが馴染みのあるマダラ口調で訊き返す。霊夢は腕を組んでレミリアを眺めている。

 

「吸血鬼って半分死んでるのよ。あの庭師と同じで……もう半分だけで生きてるようなもん。幻術は生きた奴にしかかからないって、あんた言ったわよね。勝手な解釈だけど、だから私みたいに半端なかかりかたして、命拾いしたんだと思う――あ、できてないか半分は」

「失礼な言い方ね。解からせてもいいのよ? 丸ごと死肉に変えてね」

「はいはい、そういうのは後。こんな時でもあんたって……」ここで霊夢がマダラを見る。「そうよ。あんたこそなんでかからないわけ? 自分だけ教えないってのは不公平よ」

「オレは塵芥の死体だ。疾うに死んでいる身」

 

 斜め上の真実を直球で無関心に明かしたマダラ。霊夢は驚いて目を開きながらも、思い直したように咳払いした。

 

「こんな状況だし、今は突っ込まないけど……あんたも影響は受けないってことね。同じ眼してるんじゃ、見分けつかないわね」

 

 霊夢が最低限の事実確認に止めて黙した一方、マダラの意識は別の方に向いていた。あらゆる害をすり抜ける夢想天生は納得できるにしても、吸血鬼の半分死体の件は都合が良すぎているからだ。

 無限月読は抜け穴の多い薄っぺらな術ではない。光を通さないのは穢土転生の死人か、同じ輪廻写輪眼や六道の輪廻眼を持つ者くらいだ。吸血鬼までもが大幻術を跳ね除けたというのは、現実とかけ離れているように思えた。生物として存在し、その部分があり、生きたチャクラを宿している以上、無限の光に侵食されない道理はない。

 異界に関連する事柄を考えるには情報が足りない。オビトの抜け目のなさを思うに、異界に入り込んで早々に情報集めに奔走したのだろう。あの忍をよく知る者として分かることだ。

 

「まあいい」

 

 月の都で初めて術者の縛りを振り解き、意識を取り戻したばかりのマダラは当然、有用な情報源など一つも確保していない。それでも今、この場で簡単な動きをとるだけで、必要な情報は確保できる。

 写輪眼を持つマダラが巫女を前に動きを見せないのは、異界の存在や此度の騒ぎに興味関心を持たないという理由も大きいが、過去に輪廻写輪眼の瞳力で無限月読を成し遂げた張本人として、既存の知識のみでも大方の予想がついたからだった。

 

(奴のは脆い。穴の一つや二つできようが疑問など生まれん)

 

 無限月読は輪廻写輪眼の瞳力を用いた瞳術の一種。行使だけなら必要条件を満たせば事足りるが、チャクラ不足により対象や範囲など細やかな部分に穴が生じる可能性は当然にある。

 十尾を復活させる条件と同じだ。不完全でも構わなければ尾獣の本体は必須とならない。向こうの目的が戦争ではなく大幻術なら、いずれの場合でも無関係。それでもある程度のチャクラを最低条件として要する以上、魔像の中に感知した累々の程度を考慮すれば、尾獣の分を補う莫大なエネルギーを此方で調達したと想像はできる。代わりとして入れた物を用いても完璧には至らないのか、あるいは異界の者共が持つ力が強大すぎたのか――現状では挙げればキリがない。

 

「となると、最後はアイツだけど。神とやらの力を借りられるなら、考えるだけ無駄かしら? 何でもありってことで」

 

 レミリアはちらりと依姫の方を盗み見た。夢想天生や吸血鬼などの不慣れな単語とは違い、マダラには依姫が無限の光を退けた理由の見当がついていた。仮定や理論ありきの仮説でも何でもなく、忍界で培った知識や経験を少しばかり取り出せば解ることだ。

 うちはの写輪眼はチャクラを見る目でもある。日向の白眼のように経絡系を見透かす眼力こそなくとも、体内に残留する異色のチャクラを見通す程度は、万華鏡より上の瞳力なら造作もない。対象が大きいものであれば尚更に。

 

「もう一つの穴……奴のチャクラか。経緯までは見通せんが」

 

 誰に語るでもなく紡がれた独り言は、霊夢とレミリアには聞こえなかった様子。依姫は腰を上げてマダラを見返した。

 原因はともかく経緯など知る由もない。依姫は奪われていた霊力と一緒に、カグヤ(十尾)のチャクラをオビトから貰い受けて体に宿している。単にやり取りをする場合とは違い、仙人化を経て『忍宗』の力の理解に至り扱える者から渡されるチャクラは、相手が元々持つチャクラの性質に合うよう変容し最適化され、己自身の物として順応し扱えるようになる。それが輪廻写輪眼の瞳力に抵抗したのだ。今のマダラとオビトの差異は死者か否かだが、同じ境地へ至った者同士でも、力の繋がりとは生者にのみ許される。

 大幻術がどの程度まで脆化したかは判別できないにしても、無限月読が見通せなかった唯一の障壁と見なせる。

 

 輪廻写輪眼の開眼者に大幻術は通用しない――この言い方では漠然としていて正確ではない。十尾やカグヤ本人のチャクラか、あるいは同等の力をもって対抗できる。

 先の忍界大戦ではうちはサスケが、左目の輪廻写輪眼の瞳力を用いて顕現させた完成体須佐能乎の鎧で、無限の月光による侵食から仲間達を守った。須佐能乎とて術者が形態変化させたチャクラの産物、十尾と同質の物さえ存在すれば何の問題もない。口寄せなど間接的な繋がりである場合でも、術者本人のチャクラによる影響が及ぶ場合は、血とチャクラの契約を介して繋がる関係により術者の力を受け続ける。無限の光は人類のみならず獣をも照らすが、例外的にそういった生物はかからない。

 チャクラの始祖たる者に勝る瞳力など存在しないが、先ほど十尾が尾獣玉で自滅しかけた時のように、同じ力と言うなら依姫に宿る十尾のチャクラがその手段に該当する。大幻術が不完全なもので、創造と破壊の神と拮抗する何かを依姫が持つのなら、欠片程度での抵抗もあり得ない話ではない。

 

(面白い)

 

 これ以上の思考を不要と判断すると、マダラは奇妙に明るい頭上に視線を投げた。

 

「やるなら今がチャンスってことね」

「動くしかないって話でしょう? 分かってるわよ」

 

 露骨に不機嫌な貌を見せていたレミリアが、霊夢を見返してため息をついた。

 顔見知りや従者を失っても気にする素振りを見せない二人。彼女達を冷淡に扱っているのではない。異常な化け物に意識の全てを向けて、余計な感情を排するのは悪手ではない。命までは失われていないのだ。

 

「手遅れになったら、この騒ぎは永遠に終わらない。ムゲンってので戻るもんが戻る前に何とかするしかない。外に出て現状を把握するべきか……どっか行ったあいつも気になるし……あんたは?」

「訊くまでもない」依姫は冷静さを失わない。「気がかりは多いけど、それ以上に無視できない輩がいるのは確か。余計な情を捨てるのは同じ」

「その辺も強かで安心したわ。こんな時に兎を見に行くだの、甘っちょろいこと言われなくてよかった」

 

 祓い棒を担ぐように構える霊夢に、レミリアがジトっとした目を向ける。

 

「探すにしたって、外もここも無駄に広い。今なら奴の血肉も臭うし、あの人間の役目だってのに……幸い『ちゃくら』はデカいから、見つかるのは時間の問題でしょうけど」

「杯でも供えるべきかしらね。色々言うことあったんだけどさ」

 

 綿月姉妹をも脅かす輩を前にすれば、あの男とて無事でいられるとは考えにくい。

 レミリアは馬鹿馬鹿しいという貌で笑った。外の常識を鼻先に突きつけられたような反応だ。

 

「あいつを引き裂くのは私よ。その前に邪魔な奴がいるけど」

「聞いた台詞」霊夢も笑う。「でもまあ、珍しく意見が合ったじゃない。手間すら省けたみたいだしね」

 

 依姫は二人より先に武器を構えていた。霊夢とレミリアが揃って顔を上げる。

 

「愚かしい」

 

 全ての生物は個別的な意志など持つべきではない。大いなる一つの意志へと全員が回帰し、身に宿すチャクラを命と共に捧げるべきなのだ。

 神に反する逸れ者は排すべき敵でしかない。幸福に満ち溢れる世界では害悪でしかない。

 

「思いもしなかったよ。小さなチャクラが無限の光を通さないなんて。神が直々に無神論者からチャクラを引きずり出す破目になるとはね……とんだ手間だ」

「神様が存命する世界で無神論者は受け入れられない。私には異端に映るわね。あんたがそれを証明しようとしてるとこは」

 

 空間に開いた裂け目より現れる黒染めの姿。神に仕える者を前に喋った十尾に皮肉で返して、霊夢は祓い棒を突きつける。信じてもいない偽物を前にしても、面白いのは此方とて同じなのだろう。

 幻想郷では鬼とされるも、西洋では悪魔とされるレミリアは蚊帳の外。掌には血霧が渦巻き、身の丈以上の紅黒い大鑓を顕現させている。奇怪なことにその横には、月人である依姫が太刀を握って並んでいた。互いに顔を合わせないままに、同じ敵を前にして睨みを利かせている。

 

「気に食わない連中とつるませたこと……むかつくから仕返しも合わせて、地獄で後悔させてあげるわ」

「やりすぎたわね」依姫は十尾を見据える。「同じ月の民や異界人ならまだしも、穢れ多き星の民に頼らざるを得ない状況を作った。異例にも収まらない異例……罪深い神なんて在るべきじゃないのよ」

 

 十尾は首を傾げるだけで何も感じなかった。目に見えて霊力や妖気が巻いているが、霊夢とレミリアは小粒ほどのチャクラでしかない。依姫の強さが地上の民を寄せつけない高みにあるのと同様に、神霊という高位の魂が隔てる壁がある。強気な態度と言葉で出ようと力が付随せねば意味がない。今や手足のごとく制御された求道玉を飛ばして三人を狙う。

 物質を無に帰する陰陽の力が迫る。霊夢は瞬時に展開した多層の結界で速度を弱めつつ軌道を逸らし、レミリアは神速による動きで躱し続け、依姫は大御神の装身具を用いて対応した。霊夢以外の二人は同質、あるいはそれに近しいチャクラをも内包する。

 対抗策はあれど真正面から受け止める術はない。同時に複数発では骨が砕け散る程度で収まらないだろう。

 

「仙法『陽遁空衣』」

 

 それを知ってか知らずか、十尾でさえ予想外の展開を起こしたのは死人だった。赤い障壁が三人と十尾を隔てて空間を断絶させると、求道玉は次々と弾き返された。

 

「仙法『嵐遁光牙』」 

 

 間髪容れず細長い紫色の光線が走り、十尾の半身を防御不能の一閃が切断する。体勢が崩れてチャクラ同士の均衡も壊された影響か、背中の求道玉がいくつか掻き消えた。

 十尾は僅かに驚愕するも、笑んだ表情に戻るまでは早かった。常を逸した陰陽遁の治癒により肉体を再生させたのだ。

 

「神を前に粋だな。同じ裏切り者でも傍観者と踏んでいたけどね……お前は」

 

 体内を流れる仙人化の名残を物質として顕現させた。十尾の本体が抜けた分だけ精度は劣るが、人柱力としてオビト以上に十尾を上手く制御した輩だ。同じ血族であり『陰』の転生者たる特別な人間でもある。

 競う者がおらず鎬を削ることも望めない。そんな中で暇を持て余した男が、最も強大なチャクラを持つ者を捕捉するのも自然の流れと言える。

 

――目を細めた十尾の体から、規格外の大きさを誇る樹木が轟音と共に吐き出された。

 神樹の幹から伸びた複数の蔓は、地に伏した魔理沙、アリス、咲夜、豊姫の四人を忽ち捕縛して体を覆い始める。察知した霊夢とレミリアが弾幕で蔓を撃ち抜くも、四散した残骸の異常な再生速度が弾幕の圧しを上回り、消し飛ばし続けても元の状態に修復されていく。

 意識を逸らしかけた依姫が思い直したように十尾を睨む。その傍をゆったりと過ぎたのは第三者たる男。

 

「今のオレは偽者でもある……本物が亡い間くらいは出張るしかあるまい。不本意だが見届けるほかなかろう」

「……冗談だろう。お前がそんなに綺麗なものか。本音を言ったらどうだ?」

「二度目だが言ってやる」マダラが冷笑する。「オレを陥れた代償は払わねばな、とな」

 

 本体を制御し切れていない間に叩き潰す方が早い。だがマダラは十尾が最たる力を身につけた時を見計らい参戦した。弱い者を無意味に踏むのではなく、因縁めいた強い者を潰すためだけに。かつて比類なき極致へと到達した者を謀った十尾のように。

 そして一方で、異変の解決者とは存在を異にする己自身の主張であり、永遠なる決別の意でもあった。

 

(忌々しい奴のおかげか、今やお前以上の偽物に成り下がっている。しょせんはお前も同じなら――オレにはもはや何もない)

 

 無心に、無感情に。マダラは迫り来る偽神を見返した。

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