THE LAST PHANTASM -OBITO-   作:大兄貴

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六十一話 安寧秩序を成す者

 仄暗い水の中。無音の世界で、仰向けのまま沈んでいく。

 自身が何者かは辛うじて判るだけで、どこに居るのか、何をしているのか。生と死の境界線が曖昧だ。

 死の直前には走馬燈が過ぎると言うが、身をもってそれを体現した。

 

 勝ち気な花精や境界の賢者、館の紅い悪魔、紅白巫女と白黒魔法使いに傀儡使い、守矢の祭神達、竹林の兎達やタケノコの蓬莱人、親近感の湧く編纂者。憎悪に憑かれた仙霊。忍界には類を見ない、一癖も二癖もある強かな連中がよぎる。いずれも人並みには関与した一方で、心の奥底にある真意は悟らせなかった。

 幻想郷に放り込まれてまだ数日なのに、出会いが濃すぎて数週間単位かそれ以上に錯覚してしまう――そんな物語が映った。此度の異変で味わった『敗北』もその一つだ。

 

 月への扉を無理やりこじ開けたことに始まり、数々の力の行使や消耗に加えて、カグヤの意志による呪いに蝕まれた。妖精と紫の力を借りて自由を得たが、代償として大量のチャクラを取りこぼして、挙句は右眼の瞳力を失った。

 それでもなお、カグヤの意志へ無謀とも思える対抗に死力を尽くして、完全体の須佐能乎を呼び起こしてまで死に物狂いで抵抗したが――黒き意志の言葉通り『人間』だったからだろうか、終に限界が訪れた。

 依姫達が必死で戦う中で味わった、完全なる敗北の追憶だ。

 

 体は指先一つ動かない。眼は辛うじて左だけが動く。微かにぼやけている。

 視線の先には額当てをした――懐かしい白髪の少年が映っている?

 目を瞬いてみるも、幻覚とは違うようだ。鼻から下は覆面で隠れていて表情は判別しにくいが、何となく真一文字に結ばれているように思えた。

 

 笑うのではなく、怒るのでもなく、悲しむのでもなく。そいつは呆れた目を向けている。

 死が近いからなのか、昔のように憤りは感じない。安堵の気持ちさえ芽生えている。

 

――なんだ、死にかけじゃないか。そんなんでよく"世界を救う"だなんて偉そうに言えたな。がっかりさせてくれるよ。

 

 本音を包み隠さず好き勝手にぶちまける遠慮のなさが懐かしい。言い返す声が出ない代わりに、聞いていると笑いが込み上げてきた。決して自嘲的ではない、清々しくもある、温かくて心地のいい感覚。

 

――こんなとこで終わるのか? 救ってすらいないのに?

 

 露骨なため息が聞こえた。わざと聞こえるようにして人を苛立たせる意地の悪さは本当に久しいものだ。昔なら文句の一つでも吐き出して、憤りか悔し涙でも流したかもしれない。何か言われたら黙ることを知らなかった。

 

――確かに自己犠牲は忍の本分だ。でもお前はリンの前で、格好つけて世界を救うと言ったんだ。

 きちんと最後まで行く末を見届ける。それができてこその救世主だ。

 その前に無様に死んでちゃ話にならない。リンに笑われるぞ。

 

 疾うに力尽きていた体が張り、拳に力がたぎる。枯れ果てた涙の代わりに、心に火が灯るのを感じた。

 霞んでいた友の顔が明瞭となる。左目に刀傷を負っており、うざったくて生意気だった雰囲気は消えている。

 

――お前はオレが来て安心したか? オレは安心したよ、お前が来てくれて。本当にな。

 

 目線の先に見えるのは笑い顔。少しだけ気に障る笑みだが、それ以上に元気の出る笑みだった。

 一匹狼だったアイツにしかできない、不器用で無理強いされたような表情だ。

 

――いいか。"英雄"ってのは格好よく死ぬことはあっても、何もしないで終わっていいものじゃないんだよ。

 

 目一杯に口を開けて空気を吐き出すと、気泡となって頭上へ昇った。視界が開けていく。

 英雄などという無縁な言葉に、この期に及んで未練があったのか。罪人としてようやく眠りに就いたのに、心の底には憧れでも残っていたのか。

 死と共に託した言葉だったはずだが、どうやら深々と染み込んだものは簡単には消えないらしい。

 

――ほら、いつまで寝てるんだ。とっくに起きる時間だろう。"英雄"になっても遅刻癖は直らないのか?

 

 再び手を引いてくれただけではなく、最後には素晴らしい夢まで見せてくれた。

 思った通りの形にはならずとも、普段は面倒臭がりな友がくれた勇気を、無駄にはしたくない。

 せっかくだ。泡沫の夢に過ぎぬとしても、暫し咎人の身を忘れ、英雄もどきを名乗ってみるとしよう。

 罰が当たったとしても、跳ね除ければいい。思い通りにならぬ神など打ち破ってやろう。

 

 この左眼が何を見るのか。思いもよらぬ景色が映ったのなら、それはそれで面白い。

 

 

――◆◆◆

 

 

 目を開いて早々に飛び込んできたのは"純狐"の貌だった。

 

「あら、起きたのですね。おはよう」

 

 思いもよらないで収まる程度ではなかった。毛の先ほどのわけも解らなかった。思考が瞬く間に停止するのも当然で、自身が『死んだ』とさえ思った。下手な表現ながら、衝撃が脳の働きに勝ったのだ。

 長い金髪に赤い瞳、形容できない温かさを持った姿。猫を被っていた頃とは打って変わり、目の前の輩は優しげな雰囲気を醸し出している。何度目を瞬いても変わらないとは末恐ろしい。

 本物の"純狐"を見ての物言いだが、これまで散々と敵対していた分、はっきり言って気持ちの悪さが全てにおいて優っていた。

 

「――き、キサマッ!?」

 

 他に何を言えばいいのだ。寝起きの時点ではこの上ない反応だろう。どういう経緯かこの体を膝枕している。

 額に手を触れようとした純狐から弾けるように離れて、自覚できるほどの敵意を剥き出して神威の準備をする――と思ったところで、チャクラが底を尽きかけていた現状に気づかされる。無防備にも死に損ないの心身をこんな危険極まりない輩に預けていたのだ。思わず自身の体を隅々まで調べたが、相当運に恵まれたのか異常は見られない。これほどの大声を上げたのはいつ以来か。

 純狐から離れた途端にふらつく。慌てて駆け寄る純狐の手を振り払い、その場に片膝を着いたオビト。それでも心配そうに貌を近づける姿に、恐る恐る左目を向ける。

 

「……解らんことが多い……お前、本当に純狐か? オレの知る奴と違いすぎるぞ。あまりにも」

 

 竹林で一戦を交えた時の純狐は、危険人物な上に胡散臭い雰囲気を崩さなかった。常に猫を被って相手を見下す傲慢さは言動にも表れていた。

 だがどうだ――今の彼女は人、もとい仙霊が変わったかのように別霊。毒気が完全に抜けている。傲慢や尊大さなど少しも感じられず、冷徹だった赤い目は丸く柔らかい。紫色の尾のような物は一本も生えておらず、感知できるチャクラは澄み切っていた。頭の混乱した現状で何と表現すべきか、慈愛のような温かさが溢れ出している。遠い昔に覚えがあったであろう雰囲気だ。

 そして何より、以前の彼女やかつての少年に感じたモノがない。

 

「『純狐』であって、純狐ではない」

「何だと?」

「そうね……」純狐は静かに語る。「……本体から分離した霊力の一欠けら、とでも。分霊に似たものだと思っていいわ。あの化物の中にいたところを、あなたが命がけで救い出してくれた。だから今、こうしてあなたの『世界』にいられる」

 

 分霊とは本来、神代本殿の祭神を他所に祀るために別れた、神霊の半身や一部であるとされる。たとえば守矢神社の八坂神奈子は、人里や最東端の博麗神社などに己の分社をいくつも保有している。

 神霊特有の異能との言い方もできよう。実体持ちの分身体として探索や戦闘にも利用できる。さらに本体とほぼ同等の力を有する分体であり、己のチャクラを等分割して作り出す、忍界の『影分身』の上位種とも言える。人や妖とは別の次元に立つ神ゆえの力だろう。同じ神の類であるカグヤにも該当する概念かは定かではない。

 純狐も神霊に近しいかそれ以上の実力者、数千年を生きて力を高めた仙霊に同じ真似ができても不思議ではない。地上ではそれを匂わせる言動を目にした。

 

「助ける気はなかったがな」オビトは警戒を解かない。「それで中身まで変わった訳は分からんが……今はどっちでもいい。あの綱引きか……ならここは――」

 

 本人が「似たもの」と口にしたように、今の純狐は分霊でも本体でもない存在で形作られている。そもそもこの『精神空間』に姿を見せている時点で純狐は――否、互いに意識を持つチャクラ体に過ぎないのだろう。

 

 あらためて辺りを見渡す。精神空間と聞けば神威の空間を模した以前の景色が映るはずが、見慣れた四角い石柱は一体もそびえていない。偽マダラやグルグルと出遭った場所とは違う感覚だ。

 おそらくは大戦時、仙人化した際に発現したチャクラの空間と似たようなものだ。『ホンモノ』の友や想い人の待つ夢の世界を渇望しながらも、チャクラを通じた人と人との繋がりが何たるかを知り、自身が道を変えるきっかけを掴むことになった、良くも悪くも思い入れのある場所である。

――本来のチャクラとは、忍術として力を呼び起こすものではなく、人と人との間に精神(チャクラ)を通じて強い繋がりを作るための力。偽者マダラとして暗躍していた頃は、人の『ひ』の文字すら知りようもなかったが、十尾を身体に取り込んで力と意志を仙人と共有した際、無意識の中で流れ込んできた概念だ。六道仙人・大筒木ハゴロモが解き明かし、世界を平和へと導くために説いたチャクラの真理。

 以前の具現化したチャクラ体の連中は違うだろうが、もしかしたら敵であった純狐との間にも、綱引きの末にチャクラを通した繋がりが奇しくも生じたのかもしれない。

 

「お前というチャクラの一部分がある……奴は消えただのと豪語していたが、純狐は無事ってことか?」

 

 チャクラは生命のエネルギーでもある。親元が完全に消失した場合はそれに伴い、分離した意識も存在も総じて消滅に帰する。余所者の身として分霊の詳細までは知らずとも、影分身と似た原理だと解っていたら大方の予測はできる。仙霊や神霊にも生物と同じ概念が通ずる場合の話だが。

 

「微妙なところね。分霊とは違うから、分離した本体には回帰できない……消えてはいないけど、居場所は判らない」

「消息不明か……出てこられても困るがな」

 

 死力を尽くすべき戦いであることは事実。かといって十尾で手一杯のところ、仙霊まで相手取るなど嬉々として死にに往くようなものだ。十尾に立ち向かい命を落としたとしても、カグヤとは無関係な者と傷つけ合い、殺されたとあっては死んでも死に切れない。

 

「今は行く場所がないから、当分はここに居させてもらいたくて。構わないでしょう?」

「……やむを得ん」オビトは腰を上げる。「だが勝手な真似はするな。これまでの行いから言えば……今のお前だって信用できるわけじゃない」

「ありがとう」純狐は微笑む。「優しいのね、やっぱり」

 

 辺りを見回すも他の者は見当たらない。チャクラの繋がりにより姿を見せたのなら、同じ理屈でサグメの姿もあって然るべきだが、仮死状態で意識のない容態だからか、あるいは単に面識がなかったからか――仙人と同じ境地に至った身とはいえ、尾獣の中で最も強大である九尾や、八尾の本体が抜けた不完全な形だったせいか――その辺の原因ははっきりとは判らなかった。全尾獣の本体と輪廻眼を両目とも揃えて、十尾の力に寄り順応したマダラほど踏み込んだわけではない。

 視線を外した純狐の貌は寂しげに見えた。オビトが再び口を開こうとした時、今度は別の何かが視界の端に映った。今の今までは存在しなかったことから、純狐に意識を向けているうちに姿を現したのだ。

 

(アレは……)

 

 別の人物だった。前に見た偽マダラやグルグルではない、見知らぬ老人の姿を模っている。左眼の目視と感知から、六道と十尾のチャクラを内包するようだ。

 頭に生えた角、灰色の肌の人間離れした風貌。両目には『輪廻眼』。胡坐を掻いて宙に浮いており、神々しく荘厳な雰囲気を醸し出している。その場に居るだけで、憤る心も落ち着きを取り戻して、どんな騒音や雑音も消失するような、存在そのものが異彩を放つ人物。

 

「アンタは――…そうか、アンタが。何故オレの精神世界に……」

「お知り合いのかた?」

「イヤ……直接関与したことはない。ただ、予想はできる。今のオレなら」

 

 オビトは首を傾げる純狐の隣でじっと老人を眺める。元は黒幕の一人だった純狐が別人のように、中身が様変わりして現れただけでも見過ごせないのに、老人の出現で残りの意識が向こうへ持っていかれた。平然と会話を交えている事実こそが証だ。

 輪廻眼とチャクラ、偽者マダラ時代に培った知識や経験を総動員すれば特定は容易い。実在の人物として認識していた稀有な忍の一人として、目を疑わない方が異常とも言える。その考えは仙人化を経る以前、仮面の男やお調子者で騒がしいトビとして動いていた頃とも変わっていない。

 輪廻眼と同様に忍界では御伽話、空想上の存在でしかないと見なされてきた人物で、乱世に安寧秩序をもたらす創造の神であると共に、世界に無をもたらす破壊の神でもあるとされた、神話に謳われし悠然たる僧侶。

 誰であろう、大筒木カグヤの実の息子であり、忍宗の開祖にして『六道仙人』と呼ばれた忍の祖――。

 

『――つーかお前さ、オビトってんだろ? マジで』

 

 老人の言葉を頭で認識した途端、緊張感に包まれていたオビトの左目が見開かれる。

 

『インドラが入ったマダラに一番近くて、マダラと同じでワシの力、母の力をどっちも持ってる。お前もカカシを助けて一緒に母と戦ってくれたんだし、もちろん覚えてる。マジで』

 

 思わず後ずさり体勢を崩しかける。今度こそ駆け寄ってオビトを支える純狐だが、本人は驚愕のあまり他のものを認識できなかった。硬くて厳かで、輪廻眼と禍々しい異様な風体、然るに蓋を開けると粉々に、粉微塵に粉砕された軽すぎる言葉。千年以上も前の高僧という身の上を否定するかのごとき口調。

 目の前の老人から受けた衝撃が強すぎたのか、大人しく体を預けて支えられたまま、消え入るような声で「馬鹿な」と呟いた。

 

「そんなことが……六道とはこんな軽々しく、幼染みた口調で話すというのか……?」

『お主がオビトか。我が息子の転生者たる者に最も近しき身と成り、我と母の力を己が身に宿し者。死してなお忍宗の導き手と成りて、友と共に我が母と相対せし者よ。然らば須らく偲ぶべしと存する』

 

 老人の口元が不敵に笑む。真顔で目を瞬いたオビト。

 

「さっきとの落差に関――」

『倫理的観点から見る一般的学問とは善悪半々に曖昧なものとして認識され、言語的発信における互いの認識に差異が生ずるとなれば、論を排し情に符合する訴えを以って理解を追求する道こそ、多元的な物事の正しき探求の下に成り立つ一種の善であると解する』

「……分かった。砕きすぎない程度で話してほしい」

 

 咳払いしたオビトの前で、呆気に取られた様子の老人も目を瞬いてみせた。純狐の方は興味津々で見守っている。

 

『ふむ……やはり時代錯誤の者には難しいものよ。では今回もこんな感じでいくんでヨロシク』

 

 半ば失望して力なく身を任せるオビトとは正反対に、純狐は袖をぱたぱたと楽しそうに振る。

 

「茶目っ気のあるご老人だこと。でもそこまで驚かないわ。神様の類って案外、人や妖以上にお茶目なのが多くてね。心当たりあるんじゃない?」

「ここまでとはな」ようやくハッとするオビト。「……待て、何を気安く。放せ」

「ええ、そのつもり。お喋りは大好きだからねえ」

「話すんじゃない、放せ。放して話すな」

「もちろんよ。また倒れたら困るものね」

「どっちもハナせ……違う、オレから手を放して、黙っていろと言ってるんだ」

「あら、ごめんなさい」くすくすと笑う純狐。「それじゃあ、部外者は引っ込んでるわね」

「くそ……本調子じゃない。混乱してやがる……」

 

 心身を酷使した挙句に右眼まで失った散々な容態に、純狐や六道仙人という予想だにしない出遭いが重なりでもしたら、多少の混乱は仕方がないと受け入れるしかない。解ってはいても当分は慣れなど覚えそうにない。

 純狐は愛想よく笑って離れる。以前は彼女の不安定で独特な口調に違和感は覚えたが、今と昔の口調がしのぎを削る現在ほどではない。

 

「……このままじゃ変わらん……とにかく知る限りを話す。ずっとここに居たわけじゃないだろうからな」

 

 混乱の渦に巻かれた頭が落ち着いたところで、大筒木ハゴロモは元の厳かな雰囲気を戻した。純狐の方は黙って二人のやり取りを眺めることに決めたようだ。

 六道の力が漂う薄明るい空間には、幾万の星々が悠然と輝き、時折遠い星の間を流れ星が落ちている。

 

『かくいうワシも混乱しておってな……どこから話せば良いものか』

 

 六道仙人を相手に敬語も使わないオビトだが、初めの軽々しい口調を理由に偽者かどうかを疑っていたり、十尾の元人柱力として忍の祖を同格と見なしたり、悪餓鬼よろしく舐め切っているわけでもない。かつて仙人に面と向かって容赦なく意見していた二代目火影と同様に、格上の存在だからと無駄に謙遜しないのと、今は気を遣う余裕がないだけである。重ねてマダラの色が奥底まで染み込んで消えず、堅苦しい口調は意識して変えられない。

 ざっくばらんにもなれる老人の途轍もない柔軟さは、会話する相手によっては実に便利と思われるだろう。

 

『母カグヤの意志……「ゼツ」なる者の残滓と母の力の両方を、お前の生きたチャクラを通して感じた。そこでワシは確証を得るため、お前の足跡を辿り、いくつもの時空を越えて……ようやくここへ辿り着いたのだ』

「オレの……?」

『お前がかつて輪廻眼を手にした際に宿したワシのチャクラ……道標となったのはその影響を受け、変容したお前自身のチャクラだ』

 

 瀕死に陥ったオビトの精神世界に顕現したハゴロモ。本人はすでに故人であり、肉体は疾うの昔に朽ちてこの世には存在しない。意思と僅かなチャクラだけが語りかけている。六道の黒い錫杖が音を鳴らした。

 

『お前にはワシとの繋がりがある。忍宗が生む力の理解に至るのみならず、それを正しき形で扱い、あるべき方向へ導くことができる。今のお前にしか成せぬことだ』

「『忍宗』、か」オビトの視線が落ちる。「人柱力として成したこと、手にしたものは……忘却を許されない記憶や力として刻まれている。それがこんな形で役立つ時が来るとはな……」

 

 忍宗におけるチャクラとは繋げる力。小さな力が集まり一つの大きな力となるよう助けて、人々が互いに協力し合えるよう伝え導き、その者達を通して後世に託すことのできるもの。六道が説いたチャクラとはカグヤのように独り歩きはしない。

 誰かが危機に陥れば、チャクラを通じて他の誰かが助けるために集う。個に執着する孤独な者とは違い、チャクラという人の想いは決然たる意志として形を成す。どこまでも続き、どこまでも大きくなり――それは決して絶えることのない"繋がり"となる。

 

 忍宗を説いたハゴロモ、元来の優しさや温かさを奥底に幽閉する純狐も例外ではない。六道と成りし者が死の淵に立たされ、命の火と共に燃え上がり目覚めた力が精神世界にて形となり、仙人のチャクラと力を宿す者の下に意志として集ったのだ。

 

『ワシは確信を得た。ここはお前たちの居た場所ではないようだが……ゼツなる者は封印の間際に月を脱し、母復活のために再び動き始めていた。かつてあの者がワシの遺した碑文に手を出したように、二度も欺かれる結果となってしまった。全ての尾獣を失ってもなお、カグヤの意志はワシ以上に禍々しく強いのだろう』

 

 木ノ葉の里に在った南賀ノ神社の地下に隠された石碑。後のインドラとアシュラの子孫たる一族が手を取り合えるよう、六道仙人が世を去る前に、後世のためにと書き遺した物である。だがハゴロモの死後、黒ゼツの手により碑文の内容が書き換えられ、うちはと千手の両一族が――後のうちはマダラと千手柱間が袂を別ち、互いが争い合う火種を作り出した。全ては二つに分かれた六道の陰と陽の力、分散したチャクラを一つに集めて、大筒木カグヤを再びこの世に蘇らせるために。

 忍の祖たる者の虚を衝ける者が居るとすれば、神樹の実を喰らい人知を超える力を得たチャクラの始祖であり、彼自身の母であるカグヤを置いて他にいない。

 

 カグヤから分離した意志であり、第三の息子でもある黒ゼツは、母を復活させるために永きに亘る暗躍を開始した。黒ゼツに唆されたインドラは、弟のアシュラとは異なる道を選び進み、二人の魂は肉体が朽ちた後も転生を繰り返して争い続けた。そして後の子孫達も同じ末路を辿ることになったのだ。

 復活に必要な物は二つ。カグヤの息子達により月に封印された十尾の抜け殻(外道魔像)、それを月から口寄せできる唯一の道具である輪廻眼。黒ゼツは輪廻眼を開眼する転生者を千年以上も待ち続けていた。そして転生者の一人であるマダラが、柱間との争いの末に彼の力を己が身に取り込み、陰と陽に分極した二つの力、インドラとアシュラのチャクラが合わさり、ハゴロモのチャクラが導き出された結果、輪廻眼の開眼に至ったのだ。

 以降はオビトも知っての通り。各地に散らばった十尾チャクラの分散体――『尾獣』と呼ばれる九体の化け物を、黒ゼツはマダラにオビトを操らせて集めさせ、後の大戦にて十尾を復活させることに成功した。そして不要な傀儡となったマダラを切り捨てた後、無限月読により神樹を介して回収したチャクラを用いてカグヤを蘇らせたのだ。

 

『母の野望は英雄たちの手により食い止められた。千年にも亘る騒擾の果てに、二人の息子インドラとアシュラは絆を取り戻した。巡り続ける輪廻は断ち切られ、両転生者の絶え間なき争いは終わったのだ』

 

 全てはゼツの思い描いた壮大な物語だったが、現転生者たる二人が皆の力を借りて協力し合い、千年前と同じ結末を迎えたカグヤは月と成りて封印された。永きに亘り争いを振りまき続けた意志の野望は潰えたはずだった。

 

『だが恐ろしくも諦めなかった。再び世を統べんとするため、母の意志が目をつけた次なる者は……』

「……このオレだった、というわけか」

 

 野望が潰えても夢を捨てきれず生を渇望して、ゼツの欠片を使い今度は別世界で暗躍を始めていた。人の理解の及ばない力を持つカグヤは、時間と空間を幾度となく転移するうち、かねてより視野に入れていた異界を――月の都を自身の贄として利用せんと考えた。

 カグヤに見るチャクラや高度な空間干渉能力が、意志の欠片になど備わるはずもない。ゆえに『うちはオビト』という存在を必要とした。同じ十尾の力を持つと共に、自身の能力に類する一部を息子のハゴロモ、孫のインドラを介して継いだ唯一の人物を。カグヤの意志やマダラとは違って、博麗大結界という別次元の結界に干渉できる力を持っている。かつて忍界で猛威を振るい、異界においても多用する瞳術・神威は、カグヤの持つ『黄泉比良坂』という、言うならば時空間忍術の始祖から分散した術だ。

 柱間の代名詞たる『木遁』の力にしても、十尾の到達点であり片割れとも言える、神樹から分散した因子が受け継がれて発現したものだ。この先祖返りした二つの要因に加えて、六道と十尾の力をも取り込むに至った。禍々しき威光を放つ神の再臨に外せない欠片達が一堂に会したのだ。柱間やマダラ、ナルトやサスケなどの転生者とは異なり、これら全てを取り揃えたオビトは、今現在でカグヤに最も近しい人物と言えよう。

 黒ゼツが神樹も植わらない異界に渡ったのは、自らを脅かす現転生者が居ない世界で、尾獣に代わる良質なチャクラ体を使って復活を遂げるため。生物を超越した神霊の類が持つ高尚なチャクラは、同じ神に類する者が力を得るにはもってこいの代物だ。

 

(オレが駒として宛がわれたわけ……か。ようやくだな。清々しいくらいだ)

 

 幻想郷へ入り込んでから書物や住民達から異界の知識を集めて、自分なりにいくつも仮説を立てては証明に奔走してきたが、忍の生みの親でありカグヤの息子である者を前にして、揃えた情報の所々に生じていた穴や隙間などの不足分は埋まった。これまでに得たものを総動員して、たった一人の人物と会話しただけで、面白いほどに進展して答えに辿り着いてしまった。よもやこんな形で六道仙人と顔を合わせる事態など予期できまい。

――天照や月読、須佐能乎と同じように神の名を冠した力であり、これまで幾度となく当たり前のように使ってきた神威。カグヤの持つ空間干渉能力の一部がハゴロモやインドラを通して伝播し、後々の世代を越えて、この身に宿った因子がもたらした力。空間操作を最たる力とするカグヤから継いだ瞳術だ。そして同じチャクラをも収めている。

 カグヤの意志を打ち破るための武器は、この身体に宿っているのだ。

 

『ワシと同じものを持つお前になら解るであろう。母カグヤは誰の手も届かぬ場所に立っている。本来であればお前やマダラ、息子のワシでさえ及びもつかん』

「そうだ……今の奴には尾獣がない。無限月読を成すための条件を揃えているだけだ。その埋め合わせを終えるまでが、奴を滅ぼす唯一の機会。できなければ……もはやオレには奴を止められん。何をしようと」

『光はすでに、この世界を照らしておる』

 

 静寂。驚愕して口を開きかけたオビトを、ハゴロモは静かに制した。

 

『犠牲者たちは皆生きておる。封印された母にチャクラが戻り、かつての姿で復活を遂げるまで、時間はまだある。その前に母の意志を滅ぼさねばならん』

「十尾からチャクラを引き抜くこと。ソレができるのは――」

『マダラやワシとは違い、命ある者……そしてワシと母のチャクラ、禍々しくも神々しき威光を宿す者――お前を除いて他にはおらん』

「今のチャクラで……」オビトは拳を握り締める。「……今のこの身体で、どこまでやれるかは見通せん。奴から伝播した瞳術も、今やまともに機能していない。潰れるのも時間の問題だ。それでも――」

 

 神威を含む自身の力の全てが漏れなく、大筒木カグヤの威光を叩き潰す武器となり得る。

 ろくに動けない現状、それだけ分かれば十分だった。

 

「命の燃料の一滴に至るまで絞り尽くし、奴の喉元に喰らいつきに行く覚悟など、とっくにできている。絶対に折れやしない」

 

 意志の言う通り、死に損ないでチャクラもなく、右目すら失ったボロボロの身体でも、カグヤの意志を噛み砕く牙になり得るのなら、どんな理不尽な逆境だろうが、血反吐を吐いてでも打ち勝って見せよう。

 どれほどの痛みを伴おうとも、それ以上の苦痛など何度も味わってきたのだ。

 

『やはりな』

 

 ハゴロモは厳格な表情を緩ませると、どこか懐かしそうな目でオビトを眺める。いつの間に近づいてきたのか、純狐も隣で興味深けな貌を向けていた。

 怪訝な顔をするオビトを視ながら、ハゴロモは再び口を開いた。

 

『……お前は我が息子インドラに似ておる。冷徹で他者に頼ろうとせず、何もかもを一人でやり遂げようとする強かさがある。だが一方で……アシュラにも似ておるな。体を張って周りを守ろうとする、心優しい面もある。何とも不思議なものだが、お前は二人の良いところを持っておるのだな』

 

 ハゴロモの精神エネルギーと瞳力を授かった兄のインドラは、幼少の頃より優秀で何でも一人で完璧にこなす非凡の才を持ち、他者とは違う特別な力が自分にあると考えていた。マダラに見るうちは一族の始祖であり、平和を成すには力が必要であると語った。

 弟のアシュラは、何を為そうとも上手くこなせない凡才であり、それゆえに多くの者の助けを借りて厳しい修練を地道に重ねるうち、ハゴロモから受け継いだ身体エネルギーと生命力を開花させた。強さを得るために皆の協力を必要としたのだ。柱間に見る千手一族の始祖であり、平和を成すには愛が必要だと語った。

 他者の力を当てにせず、絆や愛を信じようともせず、己の力に傾倒して、独り善がりの道を歩いたインドラ。他者との繋がりを作り、皆と協力し合い、友や仲間達と同じ道を歩いたアシュラ。この世の真理を解き明かし、チャクラが繋がりを生む力だと信じたハゴロモは、忍宗の後継者としてアシュラを選んだ。

 相反する二つの力は後世でも衝突を繰り返し、彼らの魂は後のマダラと柱間に受け継がれたのだ。

 

『もしかしたらワシには――かつて望んだ真なる平和が。二人の息子が共に作るはずだった世界が、お前の中に見えているのかもしれんな。オビトよ……皆が紡いでいく物語を、お前はどのように考える?』

 

 達観した老人の言霊は奥底まで届いた。沈黙の中でオビトは口を閉ざしていた。

 純狐、それからハゴロモに目をやった後、踵を返して二人に背を向けた。満天の煌きを放つ星空を見上げて瞼を瞑る。

 

「失くしてはならないものだ。そして……」

 

 うちはでありながら初めはアシュラと同じ道を進んでいたが、想い人の死をきっかけに一転して絶望と虚無の中に溺れた結果、マダラと共に独り善がりの道を選択した。

 しかしその後、友の力で己を見つめ直したオビトは、最後には木ノ葉に居た頃の面影をも感じさせるようになった。インドラが黒ゼツにより利用される以前に持っていた愛情深さ、弟のアシュラと何ら変わらない優しさをも取り戻した。背を向けていた二人が手を取り合ったかのように――そんな彼らの性質を誰よりも、良くも悪くも反映させた忍と言えよう。

 愛を捨てさせられる前のインドラ。木ノ葉の里で友と一緒に夢を語り合っていた頃のマダラ。彼らの負の部分を味わい、深すぎる絶望から這い上がった今のオビトは、最たる失敗作としてカグヤの意志には映るだろう。改ざんされた石碑を欠片も残さず粉砕する意志が体に、左眼に煌々と光を点しているとも知らず、知ろうともせずに。

 

「失くしたくないものだ。カグヤとオレが終わったとしても、あいつらの物語は――」

 

 道を戻した時から今日に至るまでの繋がりが今を形作っている。自身が自身たり得るための想いが一つでも失われれば、再び元の絶望の色に染まり、分厚い仮面を被るだろう。

 友や仲間の言葉。救える命を諦めず、何があっても守り抜くこと。かつて追いかけた夢を、憧れたものを手にするための唯一の方法。おこがましく繋がりを作ってでも、目の前にある最後の幻想に終止符を打つこと。

 

――がんばれオビト! 火影になって、かっこよく世界を救うとこ見せてね! 約束だよ――?

 

 ひとつだけ破った約束。火影にはなれなかったが、後悔などしていない。

 大切な友が夢を継いでくれた今、忍世界に未練はない。少ないとはいえ新しい時を歩んでいる。

 

「この世界は――終わらせない」

 

 足を止めずに歩き続けるとしよう。潰えたはずの夢を、ほんの少しでも叶えるために。

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