THE LAST PHANTASM -OBITO- 作:大兄貴
綺麗なチャクラの満ち満ちる繋がりの空間。ハゴロモとの会話を一通り終えた後、やたらと身を案じる純狐を制して歩いていたオビトが立ち止まる。
この空間は床も壁も天蓋もなく、広大な景色が際限なくどこまでも続いている。辺りを見渡しても星々が煌き、宇宙空間を漂っているように錯覚するだけで何もない。ここで純狐がぽつりと。
「ねえ。あなた、どうやって現実世界に戻るの?」
「……さあな」
口癖として染みついた『さあな』を呟いたのは、帰り道が分からないからに他ならず。
出入り口はどこを探しても見当たらない。僅かな穴や隙間もない。そもそも出入り口を通って入ったわけではない。自らの意思で望んで入ったわけでもない。見慣れた神威空間とは異なるために神威で戻ることもできず、戻れるとしても己自身を飛ばす右眼は光を失っている。綱引きをした始球空間のように管で外部と繋がるわけでもなく、チャクラを解いて本体に回帰することもできず。情けないことに自力では手立てが思いつかない。念のために尋ねるも純狐も同じだった。
鍵を握るのはハゴロモなのか。背後を振り返ろうとした時、頭上から「おはよーございっ!」という訳の分からない甲高い声が急に響いたかと思えば、底抜けの明るさを振り撒く少女が目の前に降り立ったのだ。
青髪に袋状の赤い帽子を被り、青い瞳の輝きは星にも負けず劣らない。衣服には白黒の玉飾りが無数にある。
「なんだこいつは……目覚まし時計の付喪神か? 騒がしい奴だ」
身に置かれた状況と耳障りな声量を鑑みて、オビトは珍しく当てずっぽうに頼る。
ちなみに付喪神は、長く大切に使い続けた器物に魂が宿り、変化して生まれる妖怪とされる。十数年という長い年月を共にした面なら持っていたが、壊されたり捨てたりして手元にないので面霊気には化けない。
「ドレミーね」純狐は腕を組んだ。「ドレミー・スイート。月に住む獏の妖怪……この場所も夢と変わらないのね」
「獏? 悪夢を喰らうというアレか。思ったより随分と小さい」
志村ダンゾウがサスケとの戦いで使用した強力な口寄せ動物。夢を喰らい現実を護るとされ、無限月読を成就させる前の願かけとして打ち砕くのに相応しい生物だった。ダンゾウの獏は熊の胴体に象の鼻と、四足歩行の獣の姿をしていたが、こちらはどう見ても人間の少女。人の姿をした妖怪、人妖の姿は幻想郷にて見慣れている。
ドレミーなる者のチャクラは六道や十尾、純狐とは違い、この空間には存在していない。これまで本人とは面識もなく、都では存在すら認識していなかった。本当に夢を喰らうかどうかは置くとして、外部から夢(精神空間)に入り込んだのは間違いない。
「無事だったのね。お前も」
純狐は棘のない口調で声をかけた。大げさな表情で彼女に注目するなり、ドレミ―は指をパチンと鳴らして笑う。
「あーそっか、あなたがね……都を一人で攻め滅ぼそうとするなんて、大胆だし度胸もあるんだねえほんと。今は違う奴が暴れてるみたいだけど」
月に住むドレミーと月に仇なす純狐との関係。厳密には本人ではない純狐はともかく、ドレミーが不愉快な顔一つしないのは、双方が元より敵対関係に置かれていないためだ。
仙霊が憎悪を向ける対象は月の民と都であり、それ以外は自身の妨げになる者を除けば眼中にない。本人の記憶を持つとしても、今の純狐に負の情など生まれない。ドレミーとしても月を拠点に活動するだけで、同じ妖怪でも玉兎とは異なり、都に思うところはなく何かしらの情も持たない。この状況で二人が戦う理由を作ってガンを飛ばし合うはずもなかった。オビトが「何事だ?」と尋ねる。
「うちはオビト、だったよね? あなたに用があってね」
ドレミーはようやく反応して目を向けた。ハゴロモの方は相変わらず達観した表情で、離れた場所から三人のやり取りを眺めている。
「時間がないっぽいから手短に済ませるわ。分かると思うけど私ね、あなたが目を覚ます前にここへ入り込んだのよ。どこぞの幻夢の中に無理やり引きずり込む、ヘンな光から逃れるのにね」
「入り込む……『獏』の能力か」
「まあねっ」ドレミーが胸を張る。「幸いその場に居合わせてて、近くの奴を経由して逃げ込めたから、ぎりぎり間に合ったけど。遅かったらどうなってたか」
他人の精神に干渉する力は、忍界では幻術を始めとする陰遁に類する。脳内に侵入するという話なら写輪眼による幻術が該当する。
はっきりとした意識がこの空間に存在する以上、体の方は無事ながら気を失っているのだろう。十尾を前に力尽きて意識のない状態になければ、ドレミーに遭遇して『目覚まし時計』なる日常的な単語を口にすることもなかった。
「『無限月読』は夢を見せる術。それを何故知っている? 獏は悪夢を喰らうとの話だが……お前の能力と関係があるのか?」
「大ありよ。良くも悪くもね――」
夢を喰らい夢を創り出す、夢幻の支配者。
都の影響下にある妖怪の一人であり、地上の妖怪とは異なり瑕穢を有していない。かといって都に忠誠を誓った下僕でもなく、本人は裏の月を住処とするに過ぎない。普段は都には干渉しないが、気まぐれに手を貸すこともあれば、月人の圧倒的な力の前に渋々と使われることもある。
早い話が妖怪にありがちな、どっちつかずの立場を取っている。ゆえに『無限月読』に堕ちた民達を心配する素振りはなく、暗い表情も作っていない。明るい表情で快活な笑いを貼りつけてさえいる。
(獏……)
粗方の話をドレミーから聞いて一つの可能性が過ぎる。夢を喰らって新たな夢を創造できるのなら、チャクラを吸収しながら夢を見せる無限の光にも干渉できるのではないかと。然るに本人は息を吐いた。
「私は人の夢に入って、その世界を自由に弄り回せる。外で倒れてた奴に入ったんだけど……なんでかしらね、私の力が通らなくて、外に弾き出されそうになる始末だった。弄れない夢なんてないはずなのに」
「簡単な話よ」口を開いたのは純狐。「それはお前が妖怪だから。生命力然り、精神力然り、妖と神の類とでは根本から差がある。夢は心を映す鏡……精神や記憶に作用する幻術系統の力に、妖怪は特に脆いわけだしね」
「うわあ。のっけから敗北感が胃にくるんですけど……」
人や妖怪の力は神の類に及ばない場合がほとんどだが、無限月読の前では殊更に無力となる種族が妖怪である。
妖怪は他の種族より頑丈無比な体を持ち、人間よりも長い寿命、手足が分解されても治癒できる高い再生能力を有している。吸血鬼ともなれば同じ括りの中でも桁違いだ。しかしながら、天は二物を与えないとでも言うべきか、心神の方はお粗末で信念の影響を受けやすく、精神的な干渉は他の追随を許さない。
ドレミーとて例外ではない。内面に働きかける無限月読という瞳術――輪廻写輪眼の瞳力が、妖怪としての彼女に勝っただけの話だ。しかも他者の内面に入り込む力を持つがゆえに、その影響を強く受けるとしても不思議ではない。
「獏だもの。そうよね、オビト?」
「……だからかは知らん。お前の性格が改変された訳もな」
肩を落とした純狐の傍で居心地の悪そうな顔を見せる。今や当たり前のように純狐と身近で会話を交えている現状に慣れが来ないのだ。忍界の常識を悉く塗り替えた、幻想郷での濃すぎる様々な出来事の中でも、ある意味で最も奇怪極まっている。記憶に刻まれた人物は印象の強すぎる者ばかりだが、思わぬ形で姿を見せた時の衝撃は特に大きい。
――無限月読は万華鏡の瞳術・月読の親元たる力。月読は時間と空間、質量すら術者の意思で自在に操り、幻の世界に擬似的な現実空間を創造できる。囚われた者にもたらされる感覚は現実と変わらず、使い方次第では『本物』の苦痛を与え続けて精神崩壊すら引き起こしたり、相手が望むもので満たして幸せな世界を作り出すことも。いずれも命ある生き物に及ぼす影響力は途方もなく、精神面が貧弱な妖では一溜まりもない。
その一方で命なき者にはかからない術だ。今現在に月に居る者の中では、吸血鬼で半分が死人であるレミリアなら、あるいはピンピンしている可能性もある。
「ま、今はいいや」ドレミーは口を尖らせる。「……こほんっ。とにかく? 間一髪でここに入るなり、そこのお爺さんがどっからともなく出てきてね。頼まれちゃったのよ」
「手を貸してくれるのか? ここから出るために」
「そうそう! いやあ、話が早いっ!」
夢と現実、夢の世界同士を自由に行き来できるなら出入りとて自由。外と繋がる出入り口を開くことも。咄嗟に入り込んだにしては余裕綽々なドレミーの言葉を真実と取らない理由はない。思わぬ幸運が転がり込んできたものだ。
「なんでもそこのお爺さん……小粒ほどのちゃくら? しかないとかで、力をほとんど使えないらしくって。まあその力ってのが何なのか分からないんだけど」
六道仙人は妖怪ではなく人、加えて忍であり、幻想郷や月の都にとって未知となる括りだ。忍界においても神話やおとぎ話に登場するような人物なので、決して身近な存在ではない。知らない方が常識的と言える。
ハゴロモを『お爺さん』と呼んだ時のドレミーは妙に恭しい。いかにも神様という風貌、雰囲気をまとう異界の神には、妖怪でも圧倒されるのだろうか。力を持たないチャクラ体だろうと、その姿が発する神々しい威圧感は確かに本物である。
「長くなったわね」ドレミ―が向き直る。「さて。都は別にアレなんだけど、外の光はえらい迷惑に思ってるし、今回は協力してあげる。ここに居させてもらったお礼も兼ねてね。そんなわけでこれから、あなたの意識を通すのに通路を作るけど、質問は――」
『ではワシから最後に、伝えておきたいことがあるのでな。時間はあまり取らぬから安心せい』
「わわっ!」
離れた場所から真横に現れていたハゴロモに、飄々としたドレミーも驚かざるを得ない。負の心が存在しない純狐も、本物よろしい好奇に塗れた視線を向けている。
騒がしい反応を意にも介さず、威厳を少しも失わぬままに口を開いた。
『オビトよ……お前には謝らねばなるまいな』
「何のことだ?」
『ゼツなる者のことだ――この問題は本来、ワシ自らの手で解決すべきなのだ。息子たちの生まれ変わりでもないお前に、あの者や母を任せるべきではないのだろう。それにお前は死していた身だ……享受すべき安らぎを失っておる』
ハゴロモの実子で、カグヤの孫にあたる二人がインドラとアシュラ。兄のインドラが持つ六道の陰の力を継いだマダラに近しく、同じうちはの血族に生を受けたという共通点こそあれ、二人の魂とチャクラを受け継いだ者達とオビトに直接的な繋がりはない。
――カグヤはハゴロモの母であり、ゼツと呼ばれていた黒き意志は、カグヤの第三の息子にあたる。その特殊な生まれから、人ならざるモノではあっても、実子である立場はハゴロモとて同じだ。再び世に災禍の渦を、個に執着した独善的な破壊をもたらさんとする、カグヤとゼツを前にしても二人を止められず、己の無力さを噛み締めるしかないハゴロモの心中は、出会ったばかりの身でも理解はできる。
何よりハゴロモは千年以上も前に、弟と共に命がけてカグヤを封印し、当時の世と人々を救ったのだ。
『だがワシは、そこの娘が申したように……小さき思念体。お前のチャクラを借りてここにおる。言葉として伝える以外に、今のワシに大したことはできん』
カグヤとその意志による暗躍を予感した時点で、息子として早くに姿を見せたかったに違いない。
こうしてようやく目の前に現れたのは、体に宿る六道と十尾のチャクラを通じた繋がりもあるが――生命力が死の淵に瀕してもなお、生きようとするオビトが極限にまで精神を燃やして高ぶらせ、己の意識との急速な同調を起こしたのだ。忍の祖として内面など露呈させまいが、今やオビトのチャクラに依らねば掻き消えるほどに曖昧で弱り切っている。
黙り込むオビトの先で、静かに目を閉じるハゴロモ。すぐにでも消えてしまいそうな姿は、存在の一欠けらとして留まる純狐よりも、遥かに小さな思念である現状を表している。
『二度も母を止めることは叶わなかった。ワシが歩んできた道にも失敗は多くあったが……終わりを迎えた今になって、また一つ重ねてしまうとは』
仙人は文字通りの化け物では決してない。十尾を己が身に取り込み人ならざる境地に至ろうとも、多くの人々と絆を紡いだ一人の人間に変わりはない。幻想郷の人間や妖怪、月の民や忍のように人の心を持っている。次元を異にする神とて過ちを悔いることも当然にある。
あのカグヤとて同じだ。人間達の身勝手な争いに巻き込まれ、支えとなっていた大きな愛を失った結果、失意の果てにチャクラの実を喰らい、力による支配に傾倒し執着するようになった。失わなければ違う道もあったのだ。息子達と同じ道を歩むこともできたのだろう。
絆は人との繋がりを強めていく。どこまでも。
「失敗などしていない。アンタの目指した世界は、かつてアンタが……オレたちが望んだ形で実現されている。命がけで世界を守り抜いた、英雄たちによって……これからもずっと」
カグヤと同じ道を辿り、個に執着したインドラと、仙人の後継者として絆を選んだアシュラ。道を違えた二人の魂は、後のマダラと柱間の体に転生してもなお争い続けた。永きに亘り戦火を広げてきたのは事実だ。だがハゴロモの信じた教えが失敗していたなら、世界を救った英雄も、今の忍世界すら存在していなかった。
これまで幾度となく戦争を起こしてきた忍達だが、里や国という枠組みを越えて繋がり、在るべき一つの結末に行き着いた。ハゴロモが願って思い描いた平和そのものだ。
「……こんな逸れ者のもとにも来てくれた。オレはその繋がりを信じてみようと思えた。平和を願うアンタの想いは、強い意志としてしっかりとオレに刻まれた。もう十分すぎるほどのものをもらったよ」
大きいものが重いからと、小さいものが軽いとは限らない。
ハゴロモの言葉は確かな重みとして、心の奥底にまで伝わっている。
絶望しか見出せなかった偽物の世界は、失いたくのない『本物』の世界として形を成したのだ。
「立ち上がるための力……今度こそ言いたい。"希望"と」
強い意志は力となり、チャクラとして人々を繋ぎ合わせていく。今の自分やハゴロモのように一つ一つの力が弱く小さくとも、まとまった想いは一つの大きな力となる。それが強固な繋がりを生んで限りなき力を呼び起こす。個を唯一とする黒き意志が無限の世界を創造するのなら、相反するハゴロモの意志は偽りの世界を貫くだろう。
『強きチャクラよ』ハゴロモは瞼を開いた。『……オビトよ。我が力を託すことはもはや叶わん。何も残されてはおらんが――ワシはお前の内に眠る、お前自身の力を信じておるのだ』
「オレの……」
『ワシにできるのは与えることではない。その支えとしてお前の意志と成り、『眼』と共に母カグヤを倒すための、一つのきっかけになることだけだ。お前から安らぎを奪い……苦しみを与えた老いぼれからの、せめてもの償いとして――共に行こう』
最後の言葉を聞き終える。禍々しくも穏やかな老人の眼を、濁り切った右目が映す。
相変わらず光を失ったままだった、黒一色で冷たく感じていた眼が、僅かに温かみを帯びた。時間と共に老人の姿が薄れゆく。
体内に独立して保有する純狐のチャクラとは違う。右眼に深々と残った傷跡を埋め合わせるように、チャクラが動き始めている。
「詫びの意もあるが……今は喜びすら感じておる……三人で……ようやく――…」
姿が消えゆく寸前、厳格だった口元が微かに動いた。二つの影が背後に重なっている。
――暫し光と成ろう。息子達と共に。
老人の姿が薄まるにつれて周辺が暖かくなり、繋がりの空間を抱擁する星々は一層と輝きを増していく。
オビトと純狐、驚いた表情のドレミーが黙って見守る中、老人は静かに消えていった。
――◆◆◆
親と子。離れ離れになる時が来ても、その関係が失われるわけでは決してない。離れていても安寧と幸福を願い合い、形作られた絆が切れることはない。
インドラとアシュラ、ハゴロモとて同じだった。二人が喧嘩して、いがみ合い、仲違いして、互いに異なる道を選択したとしても――ハゴロモやアシュラがインドラを想い続ける限り、その繋がりが消えることはなかった。どれほど時が流れようとも、最後には解り合うことができる。
忍宗におけるチャクラに在るのは繋がりを修復する力ではない。再び廻り合わせる力なのだ。
(……六道の意志、か)
たとえ肉体が滅んでも、チャクラがある限りは消えない。ゆえに遺志ではなく意志。
この身に宿るのは、精神エネルギーとしてのチャクラではなく、意志としてのチャクラ。物質を起こしたり、新たな異能を発現させる力ではなく、何かを成し遂げんとするためのもの。仙人が生涯信じていたものだ。だからチャクラが回復したわけでも、失った光が戻ったわけでもない。相も変わらず消耗したままだ。
ハゴロモは信じてくれたのだ。偽りで塗り固められた分厚い仮面を被るまでの、被った後の、脱ぎ捨てた後の、打ち砕いた後の――これまでの人生で死力を尽くして手にした裏と表、善と悪が遍く一つの大きな力となり、止めるべき者を前に輝きを増して、そして打ち負かすであろうことを。
――忍宗の下では、意志が折れぬ限りチャクラは終わらない。それはたった小さな光だが、何よりも失いたくのないもの。カグヤの意志には決して映らない力だ。
「ドレミーと言ったな。通路の件、早速だが頼めるか?」
初めこそ退屈そうにそっぽを向いていたドレミーだったが、曰く摩訶不思議な光景にいつの間にか目を奪われていたようだ。獏として光を槐安の夢にでも喩えていたのか、オビトが声をかけた途端に体がビクッと跳ねた。
「おおぅっ! 待ってました!」
誤魔化すドレミーだが誤魔化し切れない。照れ隠しに咳払いをする。
純狐は長い袖で口元を隠している。笑いを堪えているのだ。
「私は単なる水先案内人――さあ、夢の扉が顕現するわ。貴方の夢は終わりを告げる。悪夢に現を抜かさぬよう……地上の民よ、勇敢なる人間よ、現世を護らんとする者よ! ゆめゆめ希望を忘れず進め!」
厳かで勢いのある言葉を並べて手元の書物を開き、妙に切れのある動作でオビトの背後に指を向けた。
大げさな素振りを視るに、さぞや重々しく現れるかと思いきや、門は音もなく宙に浮かび上がった。羊を模倣した物なのか、ふわふわとした雲で縁が囲われている。門の先は真っ白な光で満たされて奥が見通せず、チャクラらしき物が微かに流れ出ているようだ。遠すぎて正体は分からないが、カグヤの意志に見るような悪い感覚ではない。どこか温かさを感ずるものだ。
純狐が「指導者ですか?」と悪戯心で突っ込むと、ドレミーは興味なさげな表情で頬を掻いた。扉の前に立つオビトの背に二人の視線が向いている。
「飾り気の多い文言ですね。あんまり派手だと、向こうの夢に負けてしまいそうですが」
「いいのよ別に」ドレミーが欠伸する。「結果を決めるのは答だもの。言霊じゃあない。喋らないとやってらんないからねえ。まったく……都中が夢を見てるってのに、肝心の私が立ち入れないって。こんな時に締め出すとかあり得ないっての」
夢と現実を繋ぐだけではない、夢の世界の秩序を守る役割も負うというのに、そこに出入りできないなど有象無象の妖怪と変わらない。不機嫌そうに腕を組むのも頷ける話だ。
夢の世界は通常一つしか存在しないために、全ての生き物の夢は根底で繋がっているとされる。知らない場所や、人や物で溢れ返る独立した世界だ。いわゆる明晰夢とも言うが、本人の意思次第ではどのような形にも変化して、どこにでも行けて、誰にでも会える。ゆえに限度を弁えない騒ぎが発生しやすく、気を抜けば無秩序状態に陥るので、それらをまとめて管理する者が必要となる。それがドレミーである。
ところが『無限月読』は他者が入り込む余地のない、各々別個の夢幻に落とす術であり、世界の共有は神の意志が許さない。妖怪である彼女は招かれざる余所者として跳ね除けられたのだ。
「あなたはどうするの? 分散してろくに力も出せない上に、気色悪いほど澄み切ってるけど。その頼りない姿で一緒に行くのかい?」
「願わくば」視線を落とす純狐。「……駄目ね。かえってこの者を危険に落としてしまう。外の光は私も蝕むだろうから……ここに残って、この者の心を支えます」
胸に手を当てて祈るように黙する。再び開かれた目は力強く、真紅色の瞳が天上の星々を映した。じっと眺めていたドレミ―が「あのさ」と続ける。
「ずっと気になってるんだけど……純粋なとこが出てきたからって、なんでそこまでらしくなく肩入れできるの? どういう関係?」
「よくは分かりません。気に入ったのではないでしょうか? 私が」
本体に見るような負の情は欠片もなく、胡散臭さもない純狐の言葉は緩やかに聞こえた。
感情は時に論理にも勝る。人の心を持つ魂なれば好意を抱くこともあるだろう。親元を思わせる飄々とした物言いながら、普段は心の奥底に『不純物』として幽閉されて出てこない、嘘偽りのない純粋で素直な心と情。生物を敵視して独り歩きしながらも、渇き切った心の依り所を求めている。
傲慢さと饒舌は裏返しなのだろう。少なからず懐かしさを感じたが追求はしなかった。
「やっぱり生きてるのねえ。仙霊ってのも」
「――世話になったな。もう行く」
「……あ、うん。私らの分までがんばってねー」
扉の前でオビトが二人を振り返り、礼を残して中に踏み入れた。ドレミーは呑気な表情で手を振る。
純狐は手を伸ばしかけたが、肩を掴んで引き戻すなり、笑ったような、呆れたような様子で頭を掻いた。
「負の心に深く触れた人間。理解した男ねえ……惹かれるのも無理ないのかな」
気配が完全に遠ざかった頃、ドレミーは眠そうに目を擦りながらそう言った。未練があるのか門を見つめるばかりで言葉を返さない。
「本物の世界で、嘘なんて言わないよ。そーいう世界を生きて、そーいう道を歩いていたさ。あの人間はね」
敵と味方いずれでもない顔見知りの純狐、会って間もないオビトのことも気にする様子を見せず、夢見る獏はのんびりと星空を仰いでいた。