THE LAST PHANTASM -OBITO-   作:大兄貴

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六十五話 原始の地

 両眼の神威を利用した共鳴転移でオビトと十尾が消えた後、マダラは視界を埋める鬱陶しい化け物の片づけを一人行っていた。

 軍勢の数は千を軽く越えている。普通の忍なら疾うに体力とチャクラ切れで死んでいて然るべき暴力的な物量ながら、圧倒的な力で暴れ回るマダラの勢いは失われず疲労の色もない。掠り傷一つ負わずに戦い抜いていたために、死なない穢土転生の特性が無駄となる始末だった。

 

(退屈な時間だ。奴の一人や二人いれば……大いに暇潰しになるがな)

 

 能天気に笑う旧友の間抜け面を思い出す。須佐能乎の中で腕組みしながら。

 血湧き肉躍る戦い以前の問題であり、同じ相手では飽きが来るのも事実。大小様々な分裂体共は何度でも再生する上、神樹の莫大なチャクラを餌にして無限に生成され続ける。叩き潰すなり燃やすにも生命力が強すぎて根絶は不可能に等しい。本体を止めない限りは増え続けて収拾がつかない現状だ。

 

 吹き飛んだ分裂体の一体が空中で四散する。須佐能乎を止めてふと見やれば、地表に根を張る途方もない高さの大樹がそびえ立っている。

 十尾の体内にある神樹とは別物であり、本体から吐き出された樹の欠片が急激な生長を遂げたものだ。大幻術の犠牲者達からチャクラを吸い上げる役割を持つだけで、あれ自体に何かしらの意志が宿るわけではない。月光が降り注ぐ都にも同じ物があるのだろう。

 

(…………)

 

――意志。ゼツと名乗った、カグヤの黒い支配欲。

 オビトや長門を操っていた自身さえ傀儡に過ぎなかった。『無限月読』は平和の夢を叶える術ではなく、意志が書いたカグヤ復活の物語だった。輪廻眼を開眼し得る転生者を千年以上も待ち続けるとは壮大な物語を脚色したものだ。手間暇かけたものを二人の子供によって無に帰された本人の心情は如何ほどか。

 

「達観気質なのね。暗と明、視えるのはどちら?」

 

 突然の胡散臭い声が響いた。腕組みするマダラの背後に日傘を差した少女が降り立つ。月の眼を見返した目は薄紫に変色しているが意識はあり、口元には平時と変わらない笑みが浮かんでいる。

 終焉が訪れた虚無の世界で対峙する異色の二人。咆哮を上げて襲いかからんとする分裂体は、見えない壁に阻まれて寄せつけられない。

 

「少しばかりお喋りしましょう」

 

 月の光が降り注ぐ中、紫は歌うように言葉を続ける。急に現れてもマダラは振り向きもしない。

 

「因縁めいた者との決着さえあの子に任せた……その先に見えるものが気になってね」

 

 紫はオビトの件で二人の関係を『全て』把握している。写輪眼も持たない初対面の者に知った物言いができる理由だ。その姿に一瞥もくれることなく、マダラは「語るだけ無駄だ」と素っ気ない一言。人間止まりの者なら口も利かなかっただろう。

 年端もいかぬ幼子ですら激しい戦地に兵として駆り出される、戦乱の世を命がけで生き抜いた壮絶な経験は、能力の高低に子供も大人もないとの考えをもたらし、他者を見た目では判断しない思慮深さを育て上げた。姿形など指標の一つに過ぎず、個々人の力を精確に見極めるには役立たないと。

 永い人生の中で積み上げた知識と経験に比肩する者など忍界には前例がない。チャクラを視るだけでオビト以上に相手の本質を見抜くことができる。無限の光を浴びてもなお意識を保ち続けている、判りやすく変えようのない現実も含めて、ただの子供と見なす方がおかしな話だった。

 

「失礼ながら、驚いてしまいましたわ。貴方が帰りを待つだなんて」

 

 人と妖怪の間には『存在』という境界線がある。老衰しながら百年近くを生き長らえたマダラだが、紫は千年以上の歳月を経てもなお姿形を変えない。

 生きる世界は同じでも映る世界は違う。互いに達観していても見据える先が同一とは限らない。

 

「当然だ」

 

 因縁の黒き意志をオビトに任せたことで、マダラがこの場に留まる理由は失われたと思われる。飽きるほどに力を振るってまでここに居るのは、その理由があるからに他ならない。紫は未練の一つとして受け取っていたが、本人は鼻で笑った。

 

「借り物は持ち主に戻らねばならん。それまでは生きてもらわねば困る。片方が戻ったというのに」

「そうなるかしらね?」

 

――繋がりを守るために為すこと。目で戦うこと以外にはない。

 愛や憎しみで増大する力。うちはの戦いは目で語るものでなければならない。そのために強大な瞳力を求めるのは必然。チャクラの祖から伝播した輪廻眼は、うちはが誇る写輪眼の極致であり、カグヤの意志や力として存在する十尾に対抗し得るための最たる力だ。右眼を捨ててまで立ち向かった辺り、聞き分けのなさは見られたが、退屈さは辛うじて感じない。眼を貸したのは好奇心、その無謀な心意気に免じて。

 ところが、だ。オビトに宿る光は思った以上に鬱陶しく輝いていた。反抗期の悪ガキはあろうことか、手にした眼を借り物に止まらせず、己が真なる瞳力として従える気でいる。借り物風情で終わる退屈な物なら、あの小僧は初めから隻眼で立ち上がっていた。断崖絶壁を背にして揺るがぬ覚悟を見せつけたのだ。

 

「さて。それでは……」

 

 溢れ続けるチャクラの間欠泉。周辺一帯に響き渡る不協和音。無数の分裂体を映しながらスキマが開き始めた。くすんだ色の鉄輪が手を離れて消える。

 

「微力ながらお力添えいたしますわ。このくらいなら結界を維持しながらでも簡単だし」

「面白い」マダラの眼光が走る。「全てはお前の『目』にかかっている。口先だけのつまらぬ傀儡のまま砕け散るか、足掻きに足掻いて完成するか……せいぜい踊れ」

 

 新たな暗躍の果てに悔恨を曝け出すのはどちらか。本人の前ではツケ払いを語ったが、今は奇しくもそちらの方に関心が向いている。生涯この身を取り巻いていた幻想が死に、向こうで愉快に酒を酌み交わしたせいかもしれない。

 無意味で古臭い夢が潰えた今、歩みを止めた死人として風を待つのも悪くはない。戦いの果てにどちらを映すのか、マダラだった者の行く末を見届けるのも一興だ。

 

 

――◆◆◆

 

 

 真っ白な寒空。雪が降りしきる氷の世界。肌を刺す冷気の下に降り立ち、分厚い積雪を足で踏んだ。

 見慣れた景色や人だけではない、国産ノ狭間に感じていたあらゆるチャクラが途絶えて完全に消えている。都どころか月や幻想郷とも異なる隔絶空間へ入り込んだのだ。

 

(やはり……ここか)

 

 かつてカカシ達と共に入った過去がある。命ある生者として現世に蘇った事実だけでも予想だにしなかったものを、紆余曲折を経て同じ景色を再び拝む破目になるとは。

 大筒木が司る六つの異空間が一つ。カグヤが持つ輪廻写輪眼の固有瞳術――人や物を周りの空間ごと異空間へと引きずり込む『天之御中』や、黄泉比良坂など専用の術により踏み入ることができる。始祖から分離した神威による共鳴転移も手段の一つだ。この場所以外にも残る五つの空間が存在しているが、裏の地上(幻想郷)と月(都)の関係に見るような、途方もない距離で互いに隔てられているため、時空間忍術にでも依らなければ行き来はできない。

 こうして崖の上から見渡しても、広大な雪原と氷河は遥か遠方にまで続いている。

 

「しつこい奴だ。連中の繋がりとやら、そんなに失くしたくないのか」

 

 頭上から降りてきた冷たい声。カグヤの姿をした化け物が浮遊して漂っている。霊夢や依姫による度重なる猛攻、レミリアとの連携攻撃、マダラによる雷撃や須佐能乎が積もり積もって相当堪えたのか、皮が剥がれて毒舌が見え隠れしている。

 揺らめくチャクラをまとい、爆発的に膨れ上がった月草色の炎が巫覡の姿を象り、禍々しい天狗の姿を形成した。侵入に際して多量のチャクラは消費したが、体から十尾を抜かれて死を待つばかりだった前回とは違い、余力は十分に残されている。

 

(時間がないか。残りを早く……)

 

 無限の光に囚われた者達が白ゼツと成る前に終わらせる必要がある。皮膚の一欠けらでも変異し始めると手遅れだ。そのためには仙人も話した通り、カグヤが復活を果たす前に十尾から残りの尾獣チャクラを引きずり出さねばならない。必要なチャクラと輪廻眼がある以上、こちらはそう難しい話ではない。

 第一に為すべきは別にある。他の空間へ散ったであろう三人を見つけ出すこと。繋がりを切るだのと豪語したのだ、万一の可能性や意志の性格を考えるなら、互いに接触できぬよう別々の空間に隔離しない理由はない。

 霊夢と依姫の二人は簡単にくたばりやしないとしても、レミリアにとって『地獄』以外の何物でもない場所の心当たりが一つだけある。まずは彼女を見つけ出すべきだろう。少なくとも氷雪世界にはいずれのチャクラも感じない。

 

 三人には神威による印づけを施してある。どれだけ距離があろうとも、六道のチャクラを用いた左眼の特殊な感知により、チャクラを捉えさえすれば空間同士を繋げることはできる。

 ただ――地上から月の大結界を越えて都へ侵入した時のように、結界など一部の遮蔽物や距離によっては万華鏡のリスクが柱間細胞の回復力に勝る。神威を相手の術に上乗せして発動する共鳴転移よりも、別空間同士を己の力のみで直接的に行き来する方が負担は大きい。余裕をもって救い出せるのは一人で限度一杯だろう。事の次第では失明も覚悟しなければならない。

 

「……!」

 

――寒気をも押し潰す重圧。大筒木が振るう力は本当にデタラメだ。

 扉や襖を開くように六つの異空間を行き来するなど人の業ではない。

 六道仙人の親元たる者、チャクラの祖にはこれほどの力があるのか。

 この時点でここまでの差が開くものなのか。

 自身はもちろん、紫や月人、六道の力を得たマダラさえ比ではない。

 これで眠りから完全に目覚めたら――。

 

(……落ち着け。奴の力に臆するより、今は……!)

 

 月の民が持つ強大なチャクラはなくとも、全ての尾獣を手中に収めたカグヤに、カカシ達は臆せず立ち向かったのだ。

 この程度で怖気づいてどうする。下がるばかりでは前に踏み出せない。六道を前に決したこと、皆の想いと共に得たものを蔑ろにするつもりか。目に見えるものを見失っては元も子もないというのに。

 

「神の世界を支配するのは神だけさ。お前が望んだ結末なんてない……万が一にもね。解らないなら教えてやるよ」

 

 地響き、大地の隆起。亀裂と共に噴出した極寒の波が空高くまで昇り、純白の氷河が流星群のごとく降り注いだ。

 圧倒的な物量と質量が地表を叩き割り、巨大規模の氷塊に埋め尽くされ周辺一帯が破壊されていく。無生物に命を吹き込んで自在に操る、無機転生の始祖たる力が猛威を振るう。この空間に存在する物質は漏れなく術者の手足となる。自然との一体化は自然エネルギーを扱う仙術の極致である。

 迫り来る氷河の一部を神威の剣で一掃し、幾千幾万の隕石のような氷塊の間を縫うように走る。近くの氷山を左眼で捕捉しながら右眼の神威を発動した。途轍もない重量の豪雨が体を潰す前に空間が歪み、遠方に見えた氷山の上まで転移する。

 鼓膜を振るわせる騒音が遠ざかった。眼下には氷河が広がっている。

 

 次元を異にする始祖の力。世界など簡単に破壊して創り変えるのだろう。幻想郷はおろか都をも超越すると思わせる。

 須佐能乎の内部で身構える。轟音を立てて流れる氷河の上をゆらりと漂い、空間の裂け目に入らんとする黒い姿が遠目に映っている。途端にオビトの眼が光り、振り向きざまに背後を神威の剣で薙ぎ払う。表皮を掠り、距離を取った十尾が口元を歪ませた。

 

 神出鬼没。地中を介する特異な移動の術も、思い返すとカグヤに似通った部分があった。始まりはあの時からすでに。

 

――此方の感知をすり抜け一瞬で移動する時空間系統の術。神威はその力から分離した。アレを処理できるとすれば他にはない。

 解っていても先手を打つのは困難だ。紫のスキマや豊姫の能力にも然るべくチャクラの流れが見られたために、動きを予測するのはどちらも不可能ではなかった。その一方で黄泉比良坂は何も映らぬ上に感じない。十尾が空間から現れる瞬間に感知が行き届くだけだ。

 

「神樹の鼓動を近くに感じる。もう少しで復活の物語も終幕だ。お前のチャクラも利用させてもらうぞ……有意義にな」

 

 嫌に滑らかな猫なで声を発する十尾。瞬きした直後に一切の音が止んだ。肌を冷たい何かが舐めている。奇妙に歪んだ十尾の黒い顔が目の前にあった。

 

(動けん……)

 

 指の一本も反応を示さない。須佐能乎は消えており、体が凍りついている。否、氷塊の中に在る。氷でできた拳に握られているようだ。

 周りの空間ごと無理やり転移させられたのだ。どこを見回しても氷山がそびえるばかりで逃げ場がない。目視する分には妖怪の山にも匹敵して、さらに覆い隠すほどの規模とすら思えた。オビトは天之氷室に呑み込まれながらも、接近する十尾を前に平然とした表情を崩さない。

――身動きできないその姿が渦に巻かれて消え、月草色の鎧をまとったオビトが十尾の頭上に出現した。右眼の時空間から射出された杭が突き刺さり、体勢を崩した十尾を剣による一閃が襲う。膜状に形態変化させた求道玉を咄嗟に盾として使うも、神威の剣が防御を無視して斬り裂いた。右肩の切断面から放出されたチャクラの流れを見逃さず、右眼の瞳力を乗せた綱引きで掴み取る。

 

 宙を舞う双方。輪廻眼を行使した直後の僅かな隙を突いた右腕がオビト本人を狙い、左腕が黄泉比良坂で開いた裂け目へ消える。

 物理的な接触を無力化させる神威が、腕を体ごとすり抜けさせた時、十尾は勝ち誇ったように笑んだ。

 

「愚かな。分散したお前の力を、チャクラの祖が知らぬとでも思うか」

 

 オビトはすり抜けると同時に違和感を覚えた。十尾の眼が見開かれている。

 触れるものが体をすり抜けた時、その部分は神威空間に存在することになる。接触する部分を体から分離させて、向こうへ転送することで攻撃を避ける仕組みだ。残された霊体は実体と同じ見た目ゆえに攻撃をすり抜けたと相手は錯覚する。オビトと袂を別つ遥か以前から知っていたことだ。

 しかしながら、『影』も同然である霊体が傷つかない一方で、神威空間の側にある実体は無防備に変わりない。別空間に干渉できる黄泉比良坂のような能力があれば攻撃は容易い。神威による実体分離の弱点だ。

 

「今のオレを知らなきゃこうなる。目覚めたばかりではあるがな……こっちも」

 

 神威空間の側で心臓を肺ごと貫かれたはずが、血反吐どころか顔色一つ変えない。腕の侵入を阻む硬い感触を十尾は味わった。自身の黄泉比良坂の一部である神威に意識をかけすぎていたのだ。

 丸裸であるはずの実体を、堅牢で分厚い月草色の鎧が護っている。霊体と実体を同時に攻撃するという数少ない抜け穴が、長い眠りから目覚めた第三の瞳術により埋められたのだ。これでは時空間側から干渉しても意味がない――すぐさま次の手を講じようとした十尾の体を、須佐能乎の剣が深々と貫いた。写輪眼と輪廻眼の瞳力により掴み取られたチャクラが容赦なく引きずり出される。

 

「簡単にはやらせん」オビトは瞼の裏を見つめる。「……奴のほうが上手(うわて)だったな。どうやら」

 

 人知を超えた力の持ち者を間近で見ていると追憶が嫌でもよぎる。今となっては遠い昔のように懐かしくも感じられる、竹林で遭遇した純狐とのやり取りを。チャクラを含む総力こそ差はあるが、瞳力を純化させてチャクラに戻したり、実体に付着させた自らのチャクラを介して技巧的に攻撃を仕掛けるなど、判りにくい方法で神威に干渉した彼女に比べたら対応はしやすい。随分と厄介な力を見せつけられたものだ。

 足元から突き出した氷柱を身を翻してかわす。刺し貫かんとする氷の群は須佐能乎で次々と葬られていく。自然の猛威に上手く立ち回るオビトを視ても十尾は表情を変えない。

 

「仮面の男、トビ、マダラ。腐ってもオレの駒だっただけはあるが、徒に生き延びるだけじゃ何も変わらないぞ。兵の完成は迫っている……時間の問題だ」

「いずれ終わる。思い通りの結末だ」

 

 毅然とした声は姿ごと渦の中に消える。十尾は素早く目を走らせた。

 不自然な空気の流れが生ずる。足元に開いた時空間からの奇襲を察知して身構えた。龍を模ったチャクラの塊が勢いよく射抜くも、オビトの姿は白煙と共に霧消した。見開かれた白眼は背後へ向けられる。

 肋骨部分を身にまとったオビトが、木製の杖を引っ提げて急襲した。挿し木を防いで二度目の拳を向けるが今度はかわされ、オビトは身を翻すなり地上へ下りていく。

 

「須佐能乎すらロクに維持できない――度重なる消耗で限界が近づいたか。あんな大立ち回りが長々と続けられるはずもない」

 

 永き時の流れと共に本来の力を失う前の『写輪眼』の真なる姿、大筒木の輪廻写輪眼。常識の範疇にある簡単な力ではない。

 六つの異空間を自身や周りごと一瞬で行き来する天之御中、時空間忍術の始祖であり頂点に君臨する黄泉比良坂に対抗し得る瞳術など、同じ輪廻写輪眼や同系統の神威くらいだが、人と神とではチャクラも肉体も何もかもが違いすぎている。人の身にあるオビトでは攻撃を一つかわすだけで多大な負担を強いるはずだ。輪廻眼を手にしても蓄積された疲労が拭い去られたわけではない。

 氷山の方角へ退避する月草色のチャクラを捕捉すると、十尾はゆっくりと裂け目を形成し始めた。

 

 黄色味がかった空、奇妙な色の地殻で覆われた原始の大地。不揃いな岩山が遠方に見える。

 氷の世界を後にしたオビトは、空間に巻いた渦の中から硬い地面に足を着けた。

 

――神威の行使に際しての障害は十尾だった。須佐能乎の欠片と同じ十尾チャクラを混ぜて作った特殊な『影分身』を、神威空間にて入れ替わる形で囮として送り出した後、両眼の神威を使って氷雪世界から道を繋げた。転移のために多量のチャクラを消耗することを考慮すれば、カグヤの意志を確実に欺くためには、この方法を採って然るべきだった。些か強引である上に長くは持つまいが、向こうに有利な空間で限られた時間内に十尾を相手取るにはやむを得ない。

 無限月読の犠牲者達からチャクラを直接的に吸収できる始球空間。他の空間と通ずる唯一の場所でもある。ここから各々の空間へ繋がる五つの道が伸びているイメージだ。両眼を用いた神威ならば、他の五つの空間同士で行き来も可能だが、始球空間から出入り口を開く方が負担は軽い。途方もない距離であろうと、隔絶された別空間に外から穴を開けて入るより、隣り合う同一の空間に入る方が楽である。どの世界でも言えることだ。

 

 ここから出入り口をこじ開けるしか手はない。現在のチャクラ量から考えれば、精々が遠い距離を繋げるだけで一杯となるものの、熱砂からサスケを拾った時のように、他者からチャクラを借りる必要があるほどの満身創痍ではない。今はあの時よりも蓄えがある上に、借り物でもマダラの瞳力が備わっている。

 

「まずは……」

 

 最優先で接触すべきはレミリアだ。書物から仕入れた知識に過ぎないが、吸血鬼なる種族は直射日光と太陽熱を酷く苦手としている。それも彼女を取り巻く『普段』の環境下での話だ。幻想郷や忍界にも類を見ない猛暑と灼熱が支配する大砂丘に、笠も水もない状態で吸血鬼が放り込まれたらどうなるかなど、事細かに想像するまでもない。

 両目の瞳力を眼前の空間に集中させる。当初は気が強く高飛車な性格の少女としか思わず、現在でも友人とは言えない関係だが、命を賭して救うべき存在には変わりない。彼女を見捨てて十尾を消し滅ぼしたとして、誰かの死体を跨いで得たいものなど何一つない。

 

(頼む――…)

 

 緊張を排して、深呼吸する。落ち着いて注力すればいい。チャクラが左眼で感知できている以上、サスケの時と同じ感覚でいい。以前に入った時よりは使い慣れている。残された時間を考えれば失敗は許されない。

 眼球が熱を帯び始めた。生温かい液体が頬を伝う。展開された結界空間の一部分が歪み、空間に渦状の抜け穴が開いていく。瞳力の高まりに従い穴は広がっていく。凄まじい熱気が奥から流れ出してきた。

――遠目に見える乾いた大地と蜃気楼。思った通り熱砂だった。雲一つない炎天下で、真っ青な地平線の先にまで砂丘が続いている。

 砂山の上でうつ伏せに倒れている小さな姿が映った。呼びかけても身動きはせず、距離が離れている上に踏み入れる余裕もない。

 

 輪廻眼を移植して瞳力が向上しているのか、空間を繋ぎ終えても前回より負担はない。意識とチャクラが辛うじて左眼にも向きそうだ。

 抜け穴を維持しながら、左目のピントをレミリアに合わせて瞳力を込めた。小さな姿はひずみに巻かれて砂の上から消え去る。両眼の瞳術を解除した途端に疲労が押し寄せた。

 感知を周辺に一通り巡らせた後、オビトの姿も渦の中に消える。

 

(易々とは慣れないか……たった二回では)

 

 大きな石柱の上に仰向けで横たわるレミリアの傍に、渦から現れたオビトが片膝を着いた。

 瞼を瞑ったままで声をかけても反応はない。胸が上下しており、異常な量の汗が肌を伝っている。帽子を脱がせて首周りも緩めたが、危険な状態は脱していない。チャクラが著しく弱まり容体は不安定だ。

 先ほど穴を開けた際に肌で感じたが、やはり熱砂の世界は常識的な気候ではない。晴天の下を帽子や日傘もなしに歩いたり、風の国に在る大砂丘を真夏の炎天下で歩き回る場合とも程度が違いすぎる。種族としての立場が逆だった場合、異常な太陽熱と乾燥具合で確実に息絶える自信がある。命があっただけ幸運と見なすべきだろう。

 体力とチャクラの消耗具合から考えて、始球空間と砂漠世界は単純な距離でも、幻想郷から月の都までと遜色ないか、下手をしたらそれ以上とすら感じられた。少なくとも短時間に何度も行き来できる距離ではない。

 

 日光も太陽もない涼やかな暗所に運んだだけで、心身に受けたものが消えるわけではない。こんな時に即席でも医療忍術が使えれば好いが、持ち合わせるのは柱間細胞や眼球移植の知識と技術、申し訳程度の応急処置のみ。吸血鬼特有の高い回復力に祈るしかない。

 

(…………)

 

 初めから木ノ葉で何事もなく生きていたら、誰かを救うための術の一つくらいは身につけていただろう。友や仲間を守るために。

 然るにここまでの力をつけたのは、マダラから直に教えを受けて、大切な者の死という絶望の中を生きてきたからでもある。これ以上のものを望むのは贅沢だろうか。

 

「……オレに死ぬなと言ったな。ならお前にも、生きてもらわなきゃ困る。でなければ……」

 

 神威を使ってまで皆を導いたのだ。全員を無事に地上へ帰すまで、この戦いは何があろうとも生き延びる。命を落とすことは誰一人としてあってはならない。

 

「意味はない」耳元で囁かれる声。「どっちも死ぬだろうからな。オビト」

 

 神威空間は手足であり眼であり、術者のみが支配を許される不可侵領域。この状況で音も気配もなく、感知をすり抜けて侵入できる者など知れている。

――気づいた瞬間に無重力が体を襲い、背後にそびえる石柱に全身を強打した。咄嗟に体を傾けて心臓は避けたが、激痛と共に生温かいものが込み上げ、鉄臭い液体が口内から吐き出される。

 波紋模様の真っ赤な眼が先ほどの足場を映している。鋭利な針状の刃を十尾が振り下ろす直前、空間に発生した渦がレミリアの姿を呑み込んだ。標的を失った刃が石柱を打ち、鈍い音を響かせる。

 

「死に損ないのガキなど捨て置けばいいものを、数少ない力を割いてまで助けるとはね。頑固にも仲間は踏み台にしないわけか」

 

 頼みの囮は消されたようだ。胸部を押さえながら腰を上げると十尾を睨みつける。意識のないレミリアが抱えられていた。

 

「……ざれ言を。分身では大して時間稼ぎにも……だが今度は、相手をしてやる」

「大して? そうでもない。まったくの無駄になる」

 

 十尾はありふれた物言いには似合わない、真っ黒で姿形もチャクラも人間離れした化け物でしかない。

 

「墓標を示してやろう。ここでな」

 

 刹那、掌から生え出た白い棒状の物体が射出された。殺傷力のある武器には程遠いと思われたそれは、咄嗟にまとった須佐能乎の鎧をも貫通して打ち砕いた。掠るどころか傍を通りすぎるだけで怖気が走る感覚には恐ろしいほど覚えがある。覚えしかない。

 名を『共殺の灰骨』――骨を自在に操ったという『かぐや一族』の始祖たる力だ。骨に触れた生物は無条件に灰と化して、肉片すら残さず確実に朽ち果てる。触れた部分から段々と崩れ去る、などという生易しい物ではない。指先一つでも当たったら最後、陰陽の力が全身の経絡系を巡り、体中の細胞を侵食して崩壊させていく。全ての物質を無に帰す陰陽遁の力を宿すために、いかなる手段を以ってしても防ぎようがなく、不死である穢土転生や神の類すら葬り去る。接触した部分のみを失わせるに止まる求道玉とは訳が違う。

 

 灰骨が記憶に深々と刻み込まれて消えず、その存在が霞みすらしない理由は実に簡単だ。

 腹部を刺した灰骨。消えゆく視界。痛みさえ感じない。終わりの瞬間だ。

 跡形もなく崩れて死したのは誰か――忘れるはずもない。

 

 十尾は再び掌に生成し始めている。レミリアを抱えたまま足裏を蹴り、オビトが片手で印を組むと、周辺にそびえていた四角い石柱の群が、専有空間に侵入した十尾を押し潰さんと一斉に動いた。その隙に神威を行使して脱出する。

 

(あっちは不利だな……)

 

 渦を通って始球空間に帰還したオビトが着地する。神威の弱点を穴埋めする須佐能乎があっても、敵の独擅場に実体を晒すのは好ましくない。自然物を自在に操る力を持った輩が相手では特に。誰かを抱えて立ち回るほどの余裕はない。

 それどころか、異空間に干渉できる黄泉比良坂がある以上、本来なら神威は不用意に使うべきではない。しかしながら、神威なくしては対応できない厄介な攻撃手段を十尾は有している。輪廻眼の基本瞳術を使うにしても、移植して間もないことに加えて、今のチャクラで片眼分の瞳力を十尾に合わせて高めるのは不可能に近い。幼少期より輪廻眼を使い続けて心身共に順応した長門や、元々の持ち主であるマダラほど使い慣れていない。有効な手札として満足に扱えるのは神威と須佐能乎だけだ。

 

 体より噴出したチャクラが具現化し、月草色の巫覡が本人を包んで顕現した。

 間もなく空間に亀裂が入り、黒い裂け目から這い出てきた十尾。瞬時に須佐能乎を操作して、純粋な破壊を帯びた太刀で灰骨を一刀両断するが、共殺しの名の通り刀身にひびが入って砕け散る。

 形成し直して斬りかかった瞬間、視界に映っていた始球空間が見知らぬ世界に変わる。

 

「こいつは……溶けている?」

 

 気がつくと鎧の表面が崩れ始めていた。周辺一帯に強酸性の霧が充満しており、黄土色の大海原が水平線まで広がっている。原始の地球を再現した酸の海だ。

 落下に伴い全身を包む無重力。須佐能乎が溶解し始めている上、氷や熱砂の世界とは違い足場が存在しない。やむを得ずレミリアを自身と共に時空間へ飛ばそうとした瞬間――体に焼けつくような痛みが走った。溶けた鎧の隙間から酸の霧が入り込んでくる。

 体力とチャクラを酸がじりじりと蝕んでいく。手足が痺れ始めていた。

 

「ここまでだ」十尾は囁いた。「人の身でよく食らいついてきた。そのしぶとさに敬意を表して、念には念を入れておくよ。お前だけは特別……『うちはオビト』の物語はお終いだ」

 

 十尾に呼応して酸の海からいくつもの激流が巻き上がる。落下して身動きの取れないオビトは、レミリアと共に酸の中へ消えた。

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