THE LAST PHANTASM -OBITO-   作:大兄貴

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六十六話 最果て

 空間に亀裂が入り、開いた隙間が左右に押し広げられていく。黒く禍々しい姿が裂け目の中から滑るように這い出した。

 綿月依姫は片膝を着いたまま、額に汗して辛うじて貌を上げている。勇猛果敢な剣士の気質を持つ彼女らしくもなく、眼前に敵が迫っても体勢を立て直そうとしない。

 

(体が……これは)

 

 依姫は十分に余力を残しており、十尾を前に微塵の怖れも抱いていない。彼女を跪かせる要因は何か――それは疲労や恐怖がもたらした結果ではなかった。

 思わぬ外的要因。この空間が異常な重圧を発しているのだ。大岩を背負わされているか、誰かの手で上から押さえつけられているかのごとく、周辺一帯に満ちる途轍もない重力を前に圧し負けていた。体に力を込めても手足が震えるばかりで動かせない。丸みを帯びた四角錐状の突起物がびっしりと地面を埋め尽くしている。

――超重力の空間。大筒木の異空間が一つであり、うちはオビトが命を落とした場所でもある。理不尽な重圧は無差別に降りかかるために、依姫のみならず十尾も影響を受けるが、本人は平然とした様子で立っている。

 

「綿津見。同じ神とて歴然たる差だ……創造と破壊を司る全能の神には遠く及ばない。己が無力を嫌でも実感できただろう」

 

 精一杯に力を込めて腰を上げると、依姫は二つの白眼を睨み返す。月の重力に慣れた者にかかる負担は、地上人のそれよりも大きい。手負いの吸血鬼を異常な太陽熱と猛暑が支配する場所へ放り込んだように、依姫を苦しめるには適した空間と言える。

 

「…………」

 

 永きに亘って因縁を抱える純狐と手を組み、都を壊滅寸前にまで追い込む力を持つ国造りの神。

 小物や下っ端染みた喋り方こそするが、その力が強い言葉に付随するのは間違いない。差は確かに存在する。圧しかかる重力にしても厄介きわまり、活力をもたらす宇摩志を降ろしても立ち回りには欠ける。このざまでは万全を帰しても頭を垂れていたかもしれない。

 建雷命を始めとする戦いの神霊は、神力と加護を受けた清浄な武具を介して力を十全に発揮するが、使い慣れた得物は引きずり込まれる際に手元を離れてしまった。十尾を相手に丸腰は不利でしかない。

 然るに神降ろしの真髄は、月を脅かす外敵の悉くを排するところにある。過去に攻め込んできた妖怪賢者や仙霊、異界や異星よりの侵略者、八百万と敵対する邪神の類――癖の強い怪物達が永い歴史の中で都を落とさんとし、その度に血で血を洗う戦場に立ってきた。此度の騒ぎも今までの例に漏れない。

 

「お前が今そうして絶望の淵に沈まないで居るのは、都を取りまとめる重責からの無理強いか……あるいは」

 

 重圧に屈さない依姫を十尾が観察する。月の賢者としての面を持つ神霊・サグメの叡智は、上から物を言う余裕を手助けする主な要因となっていた。

 

「まあどっちでもいい。大海を司るに過ぎない血族、その血を含む天地を創造し支配する始祖神……場違いに変わりはない。このオレに歯向かうとは」

「ええ。だからでしょうね」

 

 聞き終えた依姫の口元が笑んだ。地上の巫女が幻想世界を守護する役目を担い続けるように、月の巫女は天命の下に都を護り抜かねばならないのだ。

 

「高慢ちきも甚だしいのは。この程度で勝ち誇られてもね」

 

 八雷神の火が掌に収束して炸裂、本人を包んで空高く燃え上がる。凄まじい熱気に白眼を細める十尾。

 眩い閃光と共に火炎は螺旋を巻いて放射状に広がり、紅蓮の耀きとなって十尾の体を呑み込んだ。鉄球を括りつけたような重い脚を何とか持ち上げると、依姫は力を込めて一気に地面を蹴る。

 

(ぎりぎりか……でもこんなのは)

 

 負担もなく呼吸をするように、無意識下で発揮されるはずの飛行能力が超重力により封じ込められた。地上に縫い付けられたせいで歩くだけでも疲労が蓄積される。力を行使した際の消耗も激しい。これ以上の戦い方が見つからず、泥臭い土を爬行し、無様に抗い続ける現状は自嘲に値する。しかしながら、十尾を相手取れるなら安い代償であり、元より命も賭さずに潰せる輩とは思っていない。

 言葉遣いに落ち着きがあるだけで、十尾は悪い意味で幼く傲慢で己以外の存在を見下し侮っている。この重圧の中でいつでも殺せたにもかかわらず、会話の時間を呑気に長々と与えた理由だ。地上の民はもちろん仲間内でさえ、月の民は傲岸不遜を地で行くと口々に囁かれはするが、十尾はそれ以上のようだ。

 

(『場違い』、ねえ)

 

 覆らない力の差があるなら抵抗も許されなかった。力を振り絞って抗えるからには、歯向かえるだけの底力があるのだろう。倒れ伏すのはそれが欠片も残さずに消えた時だ。

 

 呼吸は乱れ、心臓が早鐘を打つ。急激な環境の変化により限界が一気に近づいたことは、正直に白状するなら言い訳のしようがない。気を抜けば体は忽ち動かなくなる。呆気ない終焉を迎えたくなければ、全神経を研ぎ澄ませて臨み続けるしかない。

 旋風と炎の渦を突っ切り飛んでくる十尾。神霊の火を直に浴びても衣を焦がすだけで動きは止まらない。見通せないチャクラを左右の掌に形成して迫る。依姫の鋭敏な眼は動作を見逃さない。

 

「天手力男神よ。内なる灯に光り瞬き、我が下にて舞い踊れ!」

 

 凛とした真紅の瞳が見開かれた。詠唱と共に神々しい金色の爆炎を身にまとう依姫。

 月色に輝く霊力を翼のように展開し、透き通った美しい薄手の羽衣が揺れる。神霊のチャクラはカグヤを真似た黒い長髪、振袖をなびかせる十尾の禍々しいチャクラと混ざり、重圧を振り払った拳と逼る拳が衝突した。完成体須佐能乎やオビトを打ち砕いた八十神空撃が炸裂するが、空撃によるチャクラを叩き壊した依姫の拳が到達した。真正面から受けた十尾は仰け反り吹き飛ぶ。

 

「何だ……この力?」

 

 光り輝く天女にも見える依姫。超重力が圧して肩を上下させながらも、休む間もなく拳を打ち込み続ける。動作が速すぎて求道玉を形成する暇も与えられず、十尾の肉体はチャクラと共に砕け散っていく。常を逸した活力と腕力、速力から繰り出す猛攻に十尾の表情が歪んだ。

 火事場の馬鹿力に収まる程度ではない。体力と霊力を極限にまで削り続けた結果、自滅を覚悟で力を限界まで解放したのだ。

 

――化物。重圧による消耗に苦しんでいるとはいえ、あのチャクラと鬼のごとき形相は本物としか言いようがない。戦闘狂気質の強いマダラなら歓喜の笑みで迎え入れただろう。

 

「二柱以上の神霊を同時に……人の身でここまで扱うか。月の巫女、首魁……お前は特別だったようだな。天賦の才を持つ努力家ほど怖いものはないわけだ」

 

 俗に言う天才は万人の上に立つ。努力家は初めこそ彼らには遠く及ばずとも、成長次第では天才にも到達して追い抜く。これら二つを手にした者には何人たりとも届かない。才なら実姉である綿月豊姫の方が優るだろうが、対照的に己を日々厳しく律してきた依姫には劣る。民の間で「最強の月人」などと些か大げさに囁かれるのも頷ける話だ。扇子など様々な兵器を開発しながらも、都における本当の意味での最終兵器は依姫自身なのかもしれない。

 無意味な犠牲を払って変わるものはない。無駄死にして終わるだけの援軍を送り込まなかった宮の上層連中は、実に打算的で賢明な判断を下したものだ。都を染め上げる瑕穢への対処に追われていた矢先、具体的な対応に乗り出す前に無限の光に呑まれて、何も為せぬままに眠りを余儀なくされたのだろうが。

 

「体術とはな。似合わぬ格好だ」

 

 称賛すべきは個々の力。素晴らしいチャクラだ。

 

「必ずしも人は、姿形に依拠しないものよ。意外だったとでも?」

「そうは思っていない。元よりお前の力の底は――」

 

 渾身の打撃が胸部を直撃し、大量の血反吐が言霊の代わりに撒き散らされた。活神の恩恵を賜って活性化した精神エネルギー、それを行使するに足りる人外の腕力。恐るべきは増大し続けるチャクラ。

 神降ろしを完璧に扱える依姫は六道の力にさえ干渉する。忍界では究極の体術奥義とされ、拳の一振りだけで命を縮める『八門遁甲の陣』に匹敵するようにも思える。拳一つ一つが空撃を相殺できる威力を内包しており、並外れた洞察眼を元に目で追えぬ速度で放出されれば一溜まりもない。同じチャクラを宿すだけではない、依姫は十尾の存在を脅かす危険因子そのものだ。

 否定し断ち切らんとした忍宗による繋がり――あの傀儡の心を折るために導いたはずが、そう都合よく事は運ばないらしい。

 

 絶え間なき猛打に反撃できぬまま、十尾は依姫の拳を真正面から喰らい続けていた。

 ある程度まで打ち込み、止めの一撃を加えようとした拳が不意に受け止められる。察知して引き戻そうとするも遅く、依姫の腕は黒い裂け目に取り込まれた。内部から黄土色の液体が噴出し、焼けつく痛みが皮膚を舐める。酸性の霧に巻かれて貌をしかめた。

 

「……頑丈ね。加減したつもりはなかったけど」

「致命的だ」むせ返った十尾。「お前は神樹の存在を……その力を何も知らない。アレを取り込んだオレはもはや、不滅の魂として永久を手にしている。何をしようが死にはしない」

 

 巨大な地爆天星の内部に封じ込められた十尾本来の器、神樹とはチャクラの高まりと共に繋がり、存在を共有して己の内に取り込むまでに至った。

 今より数千年も昔、豊かな自然の力で満ち溢れる惑星に天高くそびえていた大樹は、人や妖怪では測り知れない生命力とチャクラを内包している。吸収した月人達の高尚で莫大なチャクラを受け入れる器として機能するには足りすぎている。

 

「尾獣……異界のエネルギー。その体を動かす燃料に変わりはない」

 

 冷静ながら依姫は肩を押さえ、度重なる心身の酷使と疲労で息を切らしている。月どころか地上の数十倍の重力を受けながら立ち回るのは並大抵ではない。

 

「なら分かってるだろう。オビトが消えて道は閉ざされた。奴から受けた力はしょせん借り物だ……頼みの綱引きには役立たないぞ」

 

 綱引きの要領で十尾に直接干渉できるのは六道の力、同じ十尾のチャクラ、この両方を持つ者に限られる。陽の力が十尾の生命と呼応して引き合いを起こすのだ。人柱力となり仙人の力に目覚めた者ならまだしも、依姫が渡された物は十尾を叩く手札として機能するに止まり、深層に在るチャクラにまで触れるには無力で小さすぎている。

 ある程度の親和性も必要となる。十尾や尾獣を知らないどころか、忍界の者ですらない月人になど在りようがない。受け取った力の不足分を埋める高尚な神力が有ろうと綱引きとなれば別である。

 

 静かに見返す依姫。十尾の不気味な笑み。

 依姫は公私を明確に分別し、戦いの場に不要な私的な情の一切を排して事に当たる。紅白巫女や白黒から堅物石頭と思われるほどに厳格かつ論理的で、恩師と慕う者一人を除けば、他者の言葉を安易に信じ込むことはしない。それが確証もない敵の言葉なら尚更だ。ゆえに自分を助けて、失われた霊力を戻した者の名を耳に入れても、少しも動揺せず淡白な反応を見せるだけだった。

 

「戯言は聞きたくないわ」

 

 それでも人は複雑にできている。感情のこもった言葉を吐かずとも、別の形で露呈する場合もあろう。果たして答えはいかほどか、次の瞬間には二人の拳が打ち合っていた。

 黄金色の輝きを放つ羽衣がなびき、衝撃波が応酬となり重力の中を駆け巡る。十尾の表情が苦痛に歪むも、今度は無理やり笑みを作った。

 

「嘘偽りを吐くとでも? 興醒めだ。綿津見」

 

 白い棒状の物体が髪を掠り、再度動作しかけた依姫が足を止めた。明らかな禍を感じ取ったのか、本能的な恐怖からの逃避だったのか、隙を見せた姿を十尾の拳が打つ。

 

「この程度で――」

 

 吐血しながらも素早く反撃に転じる。間髪容れず十尾の長髪が蠢き、漆黒に染まる無数の兎毛針が容赦なく放たれた。僅かに体勢を崩しただけで重力の渦に絡め取られ、依姫は片膝を着いてしまう。

 毛針など千本のような物だ。致死性や危険度では求道玉に遠く及ばない。依姫が倒れる要因にはなり得ず、何気ない動作で腰を上げようとした瞬間、異変は起こったのだ。

 

(何?)

 

 身にまとっていた黄金色の羽衣が掻き消え、肢体を包んでいた霊力までもが消え始めた。次第に体中の力が抜けていき、依姫は両手を着いてしまう。

 額から汗が滴り落ちた。霊力と神力の制御が利かない。

 

「……体内の気を封じたのか」

「察しの通り」十尾は目を開いた。「全ての『点穴』を突いた。神降ろしはチャクラに依拠する……今やお前は無力な月人だ。簡単な話だろう」

 

 三大瞳術の中では最古であり、後の日向一族に伝播した瞳力である大筒木の白眼。写輪眼が持たない望遠と透視能力、広い視野と優れた能力は多々あるが、最たるは相手の点穴を見切る最高精度の洞察眼。

 人にはチャクラという精神的なエネルギーが存在する。これらは経絡と呼ばれる、体細胞と密接に絡み合う管を流れて全身を巡っている。チャクラを元にした術や技を使用する場合、忍に限らず誰しも経絡から体中の点穴を通してチャクラを外部へ放出する。毛針は白眼で見切った依姫の点穴を攻撃したのだ。

 鋭敏な感覚と俊敏さを有する鴉天狗や吸血鬼、時空間忍術の使い手には容易に対処される飛び道具でも、重力と消耗で動きが著しく鈍った依姫になら決定打となりすぎる。加えて白眼自体を知らない者が瞬時に対応できる道理などない。彼女の霊力が漏れなく封殺された理由だった。

 黒い意志の毒牙にかかったサグメのように、永い時を過ごした聡明な者にも限界がある。都や地上には存在せず、存在し得ない別世界の事象を前に先手を打てるはずもない。賢者の叡智をも十尾は奪い去っている。

 

「ひとつ訊かせて頂戴」

 

 余力を残す依姫は何とか立ち上がるが、神力をはぎ取られた現状で抵抗の術は絶無に等しい。剣術に切り替えようにも得物は手元にない。十尾を前に丸腰で居続ける他なかった。

 

「経穴を突いて内力の循環を止める……私の知る点穴の定義が通ずるのなら、霊力を封ずるより先に殺すこともできたはず。手を抜いたつもり?」

「否定はしないが、力が戻り切ってなくてな。お前のような輩を潰すには骨が折れる。そう案ずることはない――手などいくらでもあるからな」

 

 十尾の両掌から細長く白い物体が生え出てきた。異界から来た奇怪な術の詳細を頭に入れずとも、それが人骨であろうことは一目で判った。先ほど髪を掠めた物と同じだ。

 原始の環境が支配する異空間ではない。黒い裂け目をこじ開けるのではない。チャクラの拳を飛ばすでもない。目視する分には何の変哲もない小さな骨。生物としての本能なのか――それらが霞むほどの異様な気配を感じたのだ。触れたら最後、何もかもが消えて失われていくような――形容しがたい感覚。体内を流れる異色の力が警告を発している。

 

 依姫は唇を噛み、口元を一筋の血が伝う。打つ手が総じて封じられている中で、なおも絶望の色を見せず、深紅の瞳を燃やしている。諦めなど持ち合わせないが、悔みの念が湧かぬはずもない。

 共殺の灰骨を向ける十尾を冷静に見返しながら、依姫は「何故?」と問いかけた。

 

「お前の力は我々を超えている。地上など簡単に落とすだろう。無限月読による支配とチャクラの収集……なのに何故、さらなる力を得ようとする?」

 

 この状況で呑気に質問など場違いであると解っていても、都の防衛に携わるまとめ役として知る必要があった。打ち合いの中で十尾の超越的な総力に疑問を感じていた。

 

 此度の異変は都の永い歴史上でも前例がない。調査や準備のための猶予どころか、必要な情報や動きを事前に知ることも叶わず、急な展開が理不尽なほどに重なった。結果としてサグメを失い、侵略者に関してロクに聞き出せず、挙句は夢幻の光を浴びた賢者達は動くに動けない状況に追いやられた。有用な物として具体性を持つ情報が一つも存在しないのだ。

 しかしながら、『カグヤ』という重要な名も含めて、オビトからもたらされた情報はあった。

 

 カグヤを復活させるためにチャクラを求めて、別の次元に在る世界から時空を越えて来た。月の民は神霊達の影響を直に受ける関係で、内包する霊力は高い質のものが大半を占めることから、チャクラを集めるという点では納得できる動機ではある。現にそれらを使って封印石から本体を取り出し、大幻術を介して着実に力を取り戻しつつあるのだろう。

 わざわざ月人のチャクラを要した理由は、十尾の異様さを考えれば当たり前の答えが出てくる。その辺に転がるありふれた力であんなモノに触れられるはずもない。異界に渡った云々に関しても、神霊かそれ相応の魂と力の持ち主なら、次元を踏み越えて行き来するのも不可能ではない。別世界から来訪したと言われても、でたらめとは一概に切り捨てられない。

 判らないことは一つ。不完全な状態でも十分な力を持つにもかかわらず、復活を遂げた後にも継続してチャクラを集める必要があること。どう考えても夥多な量だ。力や血に飢えた貪欲な神でも呆れ果てるだろう。

 

「知れたことを」十尾は依姫に近づく。「支配する側とはいつの時代も、果てしない力を渇望するものだ。全てを手に入れ、強大な兵をそろえた暁には、カグヤは世界を治めし唯一の神となる。オレの存在意義はそこにあるのさ」

「兵……?」

「無限の夢に囚われた連中は、長い時間をかけて『ゼツ』と呼ばれる人型兵器に変化していく。お前の姉や部下の成れの果てさ。多少脆くなっても、奴らなら上質な兵に生長する……神の手駒には相応しい人材だ」

 

 人型兵器よりも変貌前の方が戦力として勝るが、いかに強力な駒でも制御できねば意味がない。命令を聞かず、主に噛みつく狂犬の手綱を握って四苦八苦するより、不要な感情や危険を排した歩兵を手足のように動かす方が、支配する側にとってはやり易く都合がいい。個の道を進む者として当然の考え方だ。

 国家には自衛や侵攻のための兵力が存在する。世界を統治すると豪語したからには、カグヤが創る国とて兵が在って然るべきだ。その役割を果たす駒がゼツという兵器なのだろう。

 

(…………)

 

 理屈としてなら違和感はないが――数多の歩兵を保有する立場の者として、依姫が眉をひそめた理由は一つ。それらをぶつけるべき相手だ。揺るがぬ安寧秩序が実現された世界なら、戦うための兵など要らなくなる。

 現に軍事力を重要視していない都にとって、軍兎達の主な用途は非戦闘面にある。軍隊は一国家として形式上保有するに過ぎず、疾うの昔に形骸化し機能していない。事が起きても仲間内や上との連絡網、人命救助など補佐に徹するだけで、此度に見る災厄が迫った時に出張るのは、ごく一部の例外に限られる。

 依姫はそのうちの一人。それで大抵の騒ぎは沈静化し終息するために、都は軍隊など元より当てにしておらず、肝心の玉兎達もさぼり癖が定着している程度には凄惨たる現状。平穏な世界で真面目に稽古する者は皆無に等しく、実戦経験不足の兵が大多数を占めている所以だ。

 

(考えられないわね……到底)

 

――目の前の化け物はどうだ。傲慢にして強欲、独善的な支配欲の塊が、そんな平和的な理由で兵を求めるだろうか。単身で都を手玉に取る力を持ち、無限月読という非人道的な手段まで講ずる輩が。

 異界より来訪したという十尾だが、大きな戦力の必要性を肯定するのは――何か別のものとの争いに備える必要があるから、なのではないか。それも十尾すら脅かすモノに。

 

「手駒をそろえ、邪魔なものを悉く潰し……思い通りの舞台を整える。何を見据えて動いている?」

 

 息切れしつつも厳格に問いかける依姫を視ながら、十尾の冷徹な白眼が細まる。

 両掌から射出された灰骨が頬を掠り、背後の岩山に突き刺さった。

 

「眠る奴が何を言う」

 

 振り返らず、恐れず揺らがず、依姫は黙って睨み続ける。対照的な笑みを浮かべて再び掌を向けた。

 

「兵には言葉も、意思も、感情も、記憶さえ不要だ。傀儡に必要なのは糸、それを動かす操り手が居ればいい。消すには惜しい人材だが……死に急ぐなら望みを叶えてやることもできる」

 

 兎毛針による封殺の効力は一時的な物なのか、いつの間にか点穴からチャクラが漏れ始めているが、抵抗の術が見出せない不利な状況に変わりはない。重圧に蝕まれながら行動一つ許されない中、依姫は目を瞑った。

 

 走馬燈の前触れなのか、命を落とした部下達、姉や恩師の姿が順番に脳裏を過ぎる。

 押し殺していた感情を抑え切れず、意に反して悔恨を露呈させる。最後まで思い通りには「成れなかった」のか。結局はなぞらえた結末に――。

 

「潰れるのはあんたよ」

 

 聞き覚えのある素っ気ない声。灰骨を形成し終えていた十尾の体が、突如として走った霊撃を浴びて硬直を余儀なくされた。神降ろしで受けた傷の影響が残っているのか、苦悶の表情を浮かべている。

 襲撃者を視線に捉える時間も与えられず、白光する霊撃が眩いばかりの閃光に変わり、十尾を呑み込んで高々とそびえ立った。

 

(……無理を強いたみたいね。地上の巫女)

 

 傍に降り立ったのは、紅白巫女装束の少女――博麗霊夢。自信ありげに笑んでいるが、傍から見ても相当消耗しているのは明白だった。

 夢想天生の恩恵で重力には縛られずとも、術の維持に必要な霊力は減り続けて止まらない様子。本人曰く『無制限』とは体力と霊力が続く場合の話であり、立っているだけで精一杯のはずだ。

 

「何だと?」

 

 霊夢と依姫の視線が同時に注がれる。間もなく十尾は煙の中から現れた。案の定か無傷である一方で、笑みは霊撃と共に消し飛んでおり、驚愕を露わにしている。

 

「この空間に入り込んだ……お前のようなガキが?」

 

 今さら巫女など簡単に処理できよう。十尾が疑問を呈した理由は他にあった。

 第一に、生きているという事実。吸血鬼を熱砂の世界へ、依姫をこの超重力の空間へと送り込んだように、博麗の巫女は灼熱の溶岩世界へ飛ばした。人の身では熱砂以上に過酷な環境下で、呼吸を通して肺や肌を焼き焦がす熱が、夢想天生の語る重力や重圧の概念に該当しない以上、消耗した娘っ子一人が生き延びられるはずもなかった。

――否、二つ目の方が重要だろう。最高峰の時空間忍術を自在に扱えるオビトでさえ、大筒木の支配下にある異空間での移動には骨を折るというのに、いかなる手段で空間を行き来したのか。

 不可解な現象を前にする十尾の表情は皮肉にも、自分が情報を事前に与えなかったサグメ達に見たそれと変わらない。

 

「本性を出したわね。何度言ったかは覚えてないけど、今度の今度こそ逃がさない――『黒幕』!」

 

 黄泉比良坂や神威などの空間干渉能力に依らず、超重力、氷、熱砂、溶岩、酸の五つの空間を行き来するためには、始球空間を経由する必要がある。だが忍でも鴉天狗でも吸血鬼でも、物理的な方法で辿り着くのは不可能なほどの途方もない距離だ。さらに始球空間以外の場所は全て、空間同士が互いに隔絶された関係であるために、距離の概念そのものが当てはまらない。遠いかどうか以前の問題である。

 それでも巫女は姿を見せた。答えは一つしかない。口を開いたのは十尾ではなく依姫だった。

 

「空を飛ぶに飽き足らず、か。どうやって?」

「『夢想亜空穴』」霊夢は十尾に祓い棒を突きつける。「……私なりの命名だけど。神降ろしの霊力で空間に穴開けて、あんたのでかい気配を見つけた。そんで勘を頼りに追ってきたってわけ」

 

 幻想郷では最も非常識な力を有する博麗霊夢。夢想と呼ばれるその力は縛りから逃れるためのものであり、八雲紫の境界操作から分離した一部でもある。

 スキマや神威、黄泉比良坂と比較すると、使い勝手は悪い意味で異なる。劣化版と見なせるだろう。効力が及ぶのは同一の空間内のみで、異空間や別世界、結界などで護られた場所には干渉できず、術者一人しか移動させられない。代わりに移動だけなら輪廻写輪眼の術中でも問題なく効力を発揮する。

 専用の亜空間を通じて入り込み、距離を越えて行き来できる。劣化とて人の身には余る力と言える。それをこんな少女が振るうなど、果たして十尾に予測できたか否か。しょせんは小さなチャクラと侮っていた者にできるはずもない。

 

「だからどうした」十尾の表情が戻る。「今さら死に損ないのガキが何人増えようが同じだ。お前たちはカグヤの糧として永遠に生き続ける――それが唯一残された道だ」

 

 真っ赤に輝く輪廻写輪眼。宙に開いた裂け目から二人を狙って灰骨が射出されたが、辛うじて夢想天生の内にある霊夢には当たらず、並外れた反応と感知能力を持つ依姫には躱された。

 異変を解決して守りたいものを守る、という共通点を持つ者が思わぬタイミングで現れたからか、依姫は期せずして生気を取り戻したようだ。

 

「クソ喰らえね。明るいトコに続かない道なんて、こっちから喜んで踏み抜いてやるってのよ」

 

 そう言いながら霊夢が無理やりに肩を貸したせいか、依姫は困惑しながらも振り解きはしなかった。

 満を持して共演した地上と月の巫女、二人は揃って睨み返す。燃え滾る瞳が十尾を捉えて離さない。

 

「――いいだろう」

 

 今や力を使い過ぎて消耗している十尾。赤眼には霊夢も依姫も、幻想郷も月の都も何もかも、チャクラ以外はちっぽけな存在にしか映っていない。

 二人は疲労を殺して勢いよく飛び出した。混ざり合った莫大な霊力の奔流が顎を開き、立ち尽くす十尾の目の前にまで迫る。

 

「現存する不確かな世界の崩壊、そして新たに生まれる安寧の世界。オレの作る世界にはもはや、お前らのチャクラなど必要ない。手向けに終焉を見届けさせてやろう」

 

 十尾の姿が跡形もなく消え去る。周囲の景色と流れる空気が様変わりして、依姫は体が急激に軽くなるのを感じた。超重力による影響が消えたのだ。

 始球空間が再び現れた。二人の眼前に十尾は降り立つ。度重なる負担で余裕を失いつつあるようで、傍から見ても判りやすいほど弱り始めており、体勢を立て直し切れずふらついている。

 

「これまでのが相当堪えたようね。年貢の納め時よ」

「時間一杯だ」十尾が笑い声を上げる。「今やお前らのチャクラを頂かずとも、残りは手中に収まっている。数ある世界の中で、この場所が何を司るのか――そいつを教えてやる!」

 

 霊夢が依姫の横で身構えた時だった。国産ノ狭間で感じたものと同様の地響き、次いで巨大な揺れが走った。至るところから可視化された青々しいチャクラが間欠泉のように噴出し、空へ昇るなり渦を巻いて十尾の体に収束していく。断末魔にも酷似した、耳をつんざくような凄まじい悲鳴が響き渡る。

 依姫は余波を受けて後退し、霊夢の方は恐ろしい声に思わず耳を塞いだ。尋常ではないチャクラを前に迂闊には動けなかった。外界で感じたものとは比べ物にならない勢いだ。

 ここは生き物の命を司る始球空間。夢見る者達からチャクラを直接的に吸収できる特別な場所だ。

 

「奪った力が集まっている! 放っては不味い、このままでは――」

 

 膨大すぎるチャクラを取り込み続ける十尾を睨みながら、奔流に負けじと依姫は叫ぶ。夢想天生を再展開した霊夢に続いて近づこうとするも、蓄積された疲労が足枷となり体が思うように動かない。追い打ちをかけるように地面が割れると、噴き出したチャクラに耐えられず仰け反ってしまう。

 轟音の中でも悲鳴はハッキリと耳に入ってくる。勢いに圧し返された霊夢が目の前に迫り、依姫は咄嗟に襟首を掴んで止めた。年端もいかない人の身ゆえに、霊術を維持する余裕が失われても無理はない。

 

「今度はこんな……」歯を食いしばる霊夢。「……ふざけんなってのよ。どうすりゃいいっての? どうやって……」

 

 これまでの努力を泡に帰すかのように化け物は力を増していく。以前に戦った仙霊など今や比ではない。あんなモノを前にして打つ手があるのか。盲目的な理想を馬鹿みたいに追いかけて、現実逃避にでも走らない限りは、勝ちの目など見えないと思わされる。

 紛れもない現実を見据える博麗の巫女にとって、目の前の脅威は想像を絶するものでしかない。

 

(――…)

 

 脳裏に見知った顔が浮かぶ。十尾と同じようにどこかの異界から出てきて、幻想郷に流れ着いた無愛想な男だ。どうしてかこの状況で、場違いな苛立ちが湧き上がる。ふつふつと滾って抑え切れない。

 自分でもよく分からないまま、気がつくと霊夢は叫んでいた。

 

「――さっさとしなさいよ――あんだけ頼り甲斐見せたくせして――今じゃなきゃゼンブ台無しだっつってんのよッ!」

 

 霊夢の目が見開かれる。眼前でチャクラを吸収し続けていた姿が吹き飛ばされた。途端にチャクラの激流が治まり、二人を絡め取っていた勢いも止んでしまう。

 

 沈黙。別のチャクラが空へ昇る。災禍を前に月草色の大翼が羽ばたいた。

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