THE LAST PHANTASM -OBITO- 作:大兄貴
創造と破壊の力が空間を改変し始めていたために、果てしない荒野だった始球空間の原形はほとんど残っていない。
全てのチャクラは親元が失われたことで鼓動を止めている。轟音と共に落ちていた赤黒い瓦礫も消滅していき、静寂が戻る頃には凸凹と起伏の激しい足場だけが残った。
無限の星々を失った大地に足を着けて、霊夢とレミリア、依姫の三人は静止した天を仰いでいる。
須佐能乎を解術したオビトは、衰滅間際に惑った様子でもがき苦しんでいた姿を、何気なしに思い返していた。
――カグヤが復活しないまま、収束していたチャクラは消滅を迎えた。
意志の心の内を覗き見るまでは、最悪の事態が降りかかることを覚悟して動いていた。九体分の尾獣を肩代わりできる莫大なチャクラを、化け物の中に感じ取ったのだ。これで卯の神は長き封印より目覚める――意志でさえそう思ったのだろう。
現実は違っていた。化け物から孵化した十尾は、カグヤとは程遠い姿に変貌していた。行き着いた先は外見的特徴とチャクラを排した、最初に出遭った頃の不安定で歪な魔物と、何一つ変わらない姿だった。
己が精神に宿った六道の意志を通じて確信に至った。あの魔物は最後までカグヤとも、意志とも言えぬモノに過ぎなかったのだと。
「終わりよければ全てよし……なんてことわざ、好いてはいないんだけど。今回だけは頷いてもいいって……思ってしまう」
終息した赤黒い空を瞳に映す依姫。六つの異空間だの、膨張と終焉だの、破壊と創造の権化だのと、既存の概念を超越した争いを生き残ったのだ。張り詰めていた糸が一気に切れたら、安堵の気持ちが芽生えるのは当然のこと。オビトは三人に目を向ける。
ここに居る霊夢とレミリア、依姫の一人でも欠けていたのなら。皆を繋ぐ輪がチャクラとなり力となり届かなければ。十尾の言う新たな世界を、終わりなき無の中を永劫彷徨い続けていた。少女達の橋渡しとなった六道にしても、友の手を握り返す前の傀儡では立てなかった。ましてや誰かと一緒になど。
最後まで個に執着し続けた黒い影は、幻想郷と月の都、全ての想いを乗せた矛に導かれて往った。いかなる時空間忍術を以っても触れられない、ただただ暗い場所に。
「それでいい」
神樹がこの世から姿を消した今、歪んだ支配欲とチャクラが表へ出てくることはない。三人が守りたかった平穏が戻るのだ。戦いの果てに望んだ終わりが刻まれたのに、これ以上の重荷を背負わせるのは愚かというものだ。
オビトが傍から三人を眺めていると、「ん?」と首を傾げた霊夢の顔から、見る見るうちに血の気が引いていく。
「……ってちょい待ちなさい! 生き残ったのはいいけど、どーやって帰ればいいの? いくらなんでも私、別の場所から道を作るのとか無理よ!? 霊力だって残ってないし」
どこか懐かしい台詞に感じられた。黒幕を倒しても帰還できねば何の意味もない――夢想亜空穴は境界操作の一部に過ぎず、同一の空間内における干渉は可能でも、大筒木の異空間から国産ノ狭間、神威空間から現実空間、幻想郷から外界などのように、隔絶された空間同士の行き来はできない。こんなお茶もおはぎも煎餅もない環境で暮らそうものなら、水があろうと数日も持たずに息絶える。少なくとも霊夢は。
緊張が一気に解れたからだろう、霊夢にしては珍しく目を丸くして慌てふためいている。
「ねえ」レミリアの視線がオビトを捉える。「今回は無理じゃないかしら? あなたの生意気な力でも、それが及ばない場所には繋がらないのでしょう」
「その通りだ」オビトは頷いた。「お前らは違うが……オレがここに居るのは、この空間に神威が共鳴した結果。直接外に繋げるのは無理だろう。大量のチャクラも要りようになる」
輪廻写輪眼は六つの異空間に干渉できる瞳力で、千年もの永き時の流れで力を失った写輪眼の本来の姿。『永遠の光』を宿す万華鏡より上の段階であり、輪廻眼の上位種に位置づけられる。いずれも輪廻写輪眼の瞳力には及ばない。神威も黄泉比良坂から分散した力に過ぎず、対等な力関係とは言えない。カグヤの瞳力に掴まる形で転移を行うならまだしも、掴まる物もなく自力で出入り口を作る場合、同等かそれ以上の空間干渉能力で穴を開ける必要がある。
ここは外部から隔絶されて完全に独立している。通常の方法では出入りできない別世界だ。裏の地上(幻想郷)や裏の月面(月の都)と同一の空間ではないので瞳力が届かない。忍界とは別の次元にある博麗大結界に外から穴を開けた時のように、カグヤのチャクラを内包する黒い塊が体にへばり付いているわけでもない。
「本来は、ね」レミリアがくすりと笑う。「キライじゃないわよ。あなたのそういうところは、やっぱりね」
常人なら戸惑う場面でも、オビトとのやり取りに慣れがある者として疑問を抱かず、愉快げに笑んだのみ。
この人間の真意は最後まで、心の奥底と合わせて見通せなかったが、吸血鬼の少女は満足げな貌を隠し切れなかった。
「今は多くを背負っている」
十尾が消えてもなおオビトの中には、仙人から託された火が灯り、燃え続けて消えない。
ぬのぼこの剣を介して受けた沢山のチャクラは、十尾にも比肩し追い抜く程度にまで大きくなり、オビトのチャクラを限りなく高める結果をもたらした。端的に言うならば、カグヤの瞳力を見抜くほどにまで、神威の瞳力が急成長を遂げたのだ。六道仙人の神器を顕現させた『六道須佐能乎』が最たる証と言える。
この目に宿る万華鏡は輪廻写輪眼と、神威は黄泉比良坂と、右半身にくっついた細胞は神樹と、チャクラは六道や十尾の力と、いずれも一本の道で繋がっている。所々崩れて生じた大穴を飛び越えるために必要な物は手元にある。
「お前らが抱く世界への想いが、チャクラを通じてオレに力を与えてくれた。だがそいつは何も、奴を倒すだけのものじゃない。最後に成すべきことのためでもある」
ハゴロモの意志を託された元人柱力として知った。ここにいる霊夢、レミリア、依姫の元に集った大勢のチャクラを通じて、三人がこれまでに紡いできた数々を。表立っては見えず解らないものだ。
「なんだかんだ、最後にゃどーにかなるもんね。ちょっとは分かってきたわ。あんたのこと」
霊夢は安堵の表情で腕組みする。一睨みで直ちに発生した空間の渦の向こう、覚えのある景色が答えだった。ひび割れた地表が奥に見えている。不可能と思われた、元の世界への出入り口が呆気なく現れても、霊夢とレミリア、依姫の三人は驚かなかった。
意識を集中させるオビトの姿を一瞥した後、二人の先頭に立って入り込む前に、ふと足を止めて振り向いたレミリア。紅い瞳が妖しげに輝いている。
「早くしろってば」疲労困憊の霊夢は文句を垂れる。「つかえさせんなっての」
同じように疲れ切った依姫のでこぴんで吹き飛んだ小さな姿と共に、瞳の奥に隠された真意は渦に巻かれて消える。代わりとばかりに振り返り、「先に行くわ」と丁寧に言い残すと、霊夢達に続いて穴を潜り抜けた。
(……不思議な感覚だ)
視力の低下や失明に至らないだけで、永遠の光とて体力やチャクラ次第で負担はかかる。
十尾を相手に散々と眼を酷使して、疾うに限界を超えて倒れ伏しているところ、今は眩暈どころか苦痛も感じない。この身で実際に感ずると、頭で想像するより遥かに違って視える。それでいて懐かしさも覚えた。
チャクラが繋ぐ絆とは、友情や親愛など個々の感情に基づいた、目に見える繋がりのみを指すわけではない。忍界に生きる多くの忍達と同じように、自分達の居場所を失いたくないと心から願えば、自覚の有無など表面的な意識を越えて、同じ想いを抱く者達を結びつける。反目し合う者とて例外ではない。
チャクラが一つに集まるのではない、皆の気持ちが一つとなり初めて生まれるのだ。
(失うのが惜しいのは、あいつらも同じ。だろう?)
瞼を瞑って語りかけるも返事はない。どちらの意味かは判らないが、親切なのは向こうも変わらないようだ。
「終わり終わりっと……」
最初に口を開いたのは霊夢。十尾が消えた影響で分裂体もチャクラも完全に消え去り、国産ノ狭間には元の静けさが戻っている。三人に続いて帰還したオビトは、時間をかけて閉じ往く始球空間の終りを見つめていた。
――原始の地球を再現した全ての始まり、此度に起きた異変の元凶、チャクラの始祖たる者の力。自身の墓標でもある景色が渦と共に閉じていく。
これでもう二度と誰の目にも映りはしない。因縁めいた世界が都や幻想郷へ近づくことは永遠にない。思考を排して瞳力を強めると、渦は小さな穴となり、やがて僅かな風を吸い込みながら消滅していった。
大筒木の世界と国産ノ狭間を繋ぐ道が閉じた後、あらためて周辺を見渡した。
「ふう」霊夢の二言目。「……大元を退治すれば終わるもんじゃないの? こういうのって。どうしたもんかねえこれ」
つまりこう言いたいのだ。元凶である黒い意志を滅却すれば、夢幻の中に取り込まれた知り合い達も自然に元に戻るのだと。
現実は都合よく運ばれないようで、大元が消え去っても無限月読の影響は残されており、辺りを埋め尽くす異形の根と、蔓に巻かれた犠牲者達の姿は相も変わらない。霊夢は頭を掻きながら一人ぶつぶつ呟いていた。
「この無限月読という幻術は前例がない。私自身、見当もつかないわね。問題解明に着手しようにも、人手が足りなさすぎている」
「そうね。月の古酒を何本か頂けるのなら、動いてあげるのも吝かじゃないわよ」
レミリアが普段の尊大な口調で言い放つも、依姫は落ち着いた表情で首を横に振る。
「ここにいる全員を束にしても足りない。結界で護られた一部の下層施設には、研究機関の兎がいくらかまだ――」
「察しの通り」オビトは依姫を見返す。「無限の光はあらゆる影を貫いて視通す。瞳力を投影した月に最も近しい……接している都ならな。月の結界も同じだ」
無限月読は月光を浴びた者を幻へと落とす仕組みではない。月という巨大な天体を眼の代わりとして、人の身を超えて増大した瞳力により世界規模で影響を及ぼす。視覚を含むあらゆる部分から生物を侵すのだ。
ゆえにこの術の前では遮蔽物など意味をなさず、人間が扱う幻術とは規模も力も天地の差。大幻術と呼ばれる所以である。その一欠けらでしかない瞳術の月読ですら、人ひとりを完全なる支配下に置く力だ。
「事実なら悉く厄介ね。せめてこんな……」
依姫は悔しげな表情で声を漏らす。人手が足りずとも彼女なら動けぬこともない。疲労困憊で元気とは程遠い容態でもなければ。足場が悪いことも重なり、歩く度に足元がふらつき、自嘲的な笑みを隠せない。月人とて体力も霊力も無尽蔵ではない。
レミリアとしても、軽口を叩くだけの元気はあるが、満身創痍からの復活で直ちに戦線へと復帰したために、戻った体力に体調の回復が追いつかない。高い回復力を持つ吸血鬼に訪れた限界だ。弾幕遊戯ばかりで実戦を退いていた鈍りもある。人間の少女に変わりない霊夢など言わずもがな。
そんな三人をオビトは黙して眺めた後、静まり返った頭上を見上げる。空間の亀裂から入り込んだ根の群が映った。
周辺にマダラの姿はなかった。大筒木の異空間へと入り込んだ後、この場所で何が起きたかは定かではないが、生きた者からチャクラを吸い取る樹の根に、穢土転生の死人が取り込まれたとは考えにくい。噴出するチャクラや目障りな分裂体が消えて、空間の外にでも出たのかもしれない。
争う理由が疾うに失われたとはいえ、無視できない相手だけに行方は気になる。それでも今は意識を向けるべきものが他にある。六道より託された火は消えていない。自らの意志で為すべきことを為す時だ。
「都が気がかりだ」オビトは三人を映した。「外の被害がどの程度か把握できていない……確かめるべきだろう。このままここに留まっても何にもならんからな」
「そうね」霊夢が同意する。「あいつらには悪いけど、私らだけでいったん出ましょう。対策を練るにしてもそっからよ」
「あのデカい奴、見当たらないわね。あれだけ大暴れしてたのに」
同じことを思ったらしいレミリアの言葉を聞いて、依姫も不審そうに眉をひそめた。
「正直……この状況であちこち動き回られるのは、我々としては好ましくない。あれは十尾とやらの手先でもなければ、そちらの味方でもないみたいだしね。でしょう?」
今度はオビトに目をやる依姫。マダラが十尾を叩いていたのは、個人的な思惑からに過ぎず、都や幻想郷のためを思っての動きではない。利害の一致とも意味が異なる。同じ戦場で偶々に遭遇しただけで、霊夢達にとって味方とは言えない第三者だ。
命を賭けるか否かは関係なしに、誰かのために戦うような仲間思いで優しい忍ではない。少なくともオビトの知る限りでは。
「心配は要らない。もう、な」
体の痛みと疲労に耐えつつも、根を足場に伝って歩き出した三人。霊夢もレミリアも自分の体を気にかけるのに精一杯な様子だ。依姫は表情には出さず、「聞きそびれていたけど」と口にしながら振り向こうとした。
一筋の風が頬を撫でる。そこにはすでに、うちはオビトの姿は忽然となくなっていた。残るのは地表を覆い尽す大量の根だけで、探していた姿はどこにも見当たらない。
「――あれ、グルグルは?」
不意に飛んだ霊夢の声に、先頭を歩いていたレミリアも異変に気づいた。
真っ先にとんぼ返りして二人の近くに降りると、周囲に隈なく目を走らせるレミリアだが、姿もチャクラも完全に消え失せていた。
――◆◆◆
国産ノ狭間から遠く離れた都の最北端、高度な文明とは凡そ無縁に見える小高い丘に立つ人影。
中華風の町並みが遠方にまで続いている。普段は兎達が行き交い賑わうであろう都は、異形の根に覆い尽くされて嘘のように静まり返っていた。
(…………)
ここに赴いた理由はないが、強いて言うなら自身が『オビト』ゆえか。陰となり影として生きてきた者として、誰もいない静けさを求めたのかもしれない。独り善がりに歩いていた『マダラ』がいないためか、忍界にいた頃とは違って感じられるのも、見えるのも確かではあるが。
丘の真ん中辺りで立ち止まる。一呼吸したのち、月草色のチャクラが漂い始めると、炎のように揺らめく骨格が外套のごとく体を覆う。禍々しさは息を潜めて、右手にチャクラが渦巻き収束していく。顕現した棒状の黒い物体が独特の二重螺旋構造を形作り、創造と破壊の具現が再び姿を見せた。
「声の一つもかけてあげないの? つれない子ね」
無限の光に食われた無の世界で口を利ける数少ない人物。日傘の下で微笑む少女が答えだ。後ろに立つまでは気づきもしなかった。
胡散臭い視線が黒い刀身、須佐能乎に覆われたオビトへと移る。
「隙間を潜り抜けるか。スキマ妖怪らしいことだ」
「私のことを言ってるの?」
「そうでもない」
「あらあら」口元が袖に隠れる。「まあここを、『本当に』護っちゃうくらいだものね。人間のくせして」
「うるさい奴だ。お前は知らんだろうが……」
「ふふ。謙虚で素敵なアナタとお話を、と思いましてね」
すっかり元の調子に戻っている。この妖怪は最初から最後まで、同じ胡散臭さを漂わせていた気がした。思い返せば唐突で不思議な出遭いをしたものだ。
警戒を怠らないオビトに向き直ると、紫は日傘を閉じて空を見上げる。
「天は晴れた。罪深きモノの数々を断ち切った今、アナタも晴れて自由の身。都が禍に覆われることもない。あとは辺りに散らばる残滓と、夢見る兎たちを起こすだけ……できることがあったら、言ってちょうだいね」
「悪いが――」
「――遠慮なく言いなさい? うん?」
飄々として妖しい雰囲気はどこへやら、口を開きかけたところを容赦なく押し黙らせる。満面の笑みで。
一人で抱え込む時もあれば、素直さをこぼす時もある。意図した色彩は観られないが、踏み締めた道の混沌たる明暗を思うに、自覚と無意識の境界が曖昧となり固定されて然るべきだ。
心配など無用の長物。純黒の底に溺れた古い景色に今なお思い悩み、悔恨から卑下や自己嫌悪に陥った結果というより、不慣れな――否、慣れていた心に不慣れで在り続ける道しか見えないだけだ。目に映る世界が変われば、見えなかった新しい景色も見えてくる。悲観する必要は全くないとはいえ、異なる選択なら違った絵がこの場で観られたものを、最後の最後で外してしまうとは口惜しい。
異物感さえ覚える稀有な物珍しさなら、気の長い者は慈愛すら抱いて見守りかねない。期せずして芽生えた、らしさのない気持ちなど、奥底に仕舞い込んで秘密主義で蓋をすべきだ。忠実なる式とて知る権利はない。
「役割はオレにしかない。お前には悪いがな」
早々に胡散臭さを戻した紫に余裕の笑みはない。何か別の意味を含むであろう微笑が向けられている。両手を染める黒は消えていない。
暫し沈黙した後、オビトは注意深く周囲を映した。
「この世界を絡め取った力は……『尾獣』のない不完全なチャクラがもたらしたものだ。オレのチャクラでなら干渉できる」
月と地上を照らす無限の月光。必要な物は輪廻眼と全尾獣のチャクラ、六道の陰と陽の力だ。ハゴロモから託された意志と共に持ち合わせており、これら全てを肩代わりできる力もある。そもそも術の効力には穴があり完全な形を成していない。霊夢とレミリアは輪廻眼も十尾のチャクラも宿していないのだ。
然るに輪廻写輪眼の瞳力には変わりない。元人柱力としてのチャクラ、マダラの右眼を移植して目覚めた瞳力、そして仙人から託されたものが何もなければ、光に呑まれた者達は覚めない夢の中で、これからも永遠に生き続けていただろう。
「六道の火が灯る、オレの身体を介して――…月を蝕むモノ総てを瞳力で書き換える。かつて世界を創造し、破壊した力を持つ今のオレになら、できるはずだ」
創造と破壊の力は相反する。常人では理解に至らず首を傾げるところでも、賢者の異名を持つ紫は微笑を消した。付近の茂みが音を立てたがオビトは見向きもしない。
「それは神の力」紫は扇子を開いた。「そしてアナタは人の子。どれほどの荷を背負うのか、分からないわけでもないでしょう」
「オレ自身が証となる。ここに立つことでな」
「……アナタはあくまで、自らの『世界』を肯定するのね」
異様な気配を漂わせる黒染めの刀身。螺旋状の先端が地面へと一直線に振り下ろされた。六道の力が繋ぎとなり、体からチャクラが流れ出していく。
刀身が鼓動する度にオビトの目が細まる。その様子を傍観しながら「似てるわね」と呟いた紫。
「昔のあの子に。最後はいつも一人、自分だけでやろうとするから……アナタは色々と形作ってはいるけどね」
「そいつがオレだ」オビトの口元が緩んだ。「イヤ……『忍』と言うべきか。光を浴びず、影として生きる者。誰の目にも映らぬ者。例外は多いがな……少なくともオレはそうだ。そうあるべきなのさ」
国や里の人々を陰から支え続け、その生涯を全うした忍は数知れず。されど全ての者に当てはまるわけではない。
大きな樹の下で温かな日差しを浴びる一人の忍。多くの仲間や友に囲まれて笑っている。それはかつて闇に沈んだ自身が嫌悪し拒絶し、不要な物と捨て去って、それでも否定し切れずにいて、心の奥底では望み、夢見たであろう忍の生き様。
もしかしたら歩んでいたであろう、もう一つの物語。
これまでの生き方に後悔を抱いたのは確かだ。ゆえに過ちを乗り越えて前へ進むことができた。
道を踏み外した己自身の姿を見つめ直すこともせず、失敗を繰り返した先に待つものなど、今となっては知れている。かつての敵と肩を並べることも、友として別れを告げることも、この場所に立つこともなかった。
「……勘違いされても困るがな」
頭をよぎる一切の光景を振り払い、刀身そのものと成りつつある腕にチャクラを込め続ける。そのままオビトは紫へと視線を向けた。
「光ある処には影ができる……陰は決して悪いものじゃない。何よりオレは、『うちはオビト』としての自分を、今こうして感じている。幸せを噛み締めていると言っても、大げさではない」
「アナタの言うそれが」紫は表情を変えない。「他の者にとっては、正反対のものになるかもしれない。もしそうだとしても、同じことが言えるかしら?」
「さあな。だがもし……真っ当な道を歩んでいたなら、あるいは……」
「――今歩いてる道が、間違いだってんなら」
甲高い別の声が耳に入り、オビトは初めて驚愕を露わにした。
背後にある茂みから現れたのは、翡翠の髪と金色の瞳を持つ少女。幻想郷で最初に出会い、オビトとして言葉を交わした名無しの妖精であった。見慣れた気の強い態度、勝気な表情を見せている。
「そんなボロ道なんか、ぶっ叩き壊してやる。こっちに引き戻してやるってのよ」
ここへと導いたであろう元凶に目をやる。向こうは意味ありげに微笑むだけで何も語らない。どうやら最後の最後で小うるさく、心安らかに思える者に出くわしたようだ。
「お前までも……」
妖精の異常にオビトは気づいた。憤った声で誤魔化してはいても、かつて本人が話したように全く隠し切れていない。
忘れもしない、この妖精は嘘が嫌いであると。
「全部、聞いてたんだから。またそうやって、一人でなんとかしようとするんだ。とめてもダメなら疲れないように、苦しくないように、わたしがいくらでもあげるから!」
小さな手が腕に触れた途端、体の重みが僅かに消える。自然の化身たる者のチャクラと、呼応した体内の自然エネルギーが活性化して、経絡を巡るチャクラの流れに安定をもたらしたのだ。
脳裏を遠い日の記憶がよぎったのも、妖精の力によるものだろうか。
「できないことは、やるものじゃない」
「黙ってなさい。できることしかやらないのよ、わたしは!」
妖精は躊躇なく自らのチャクラを捧げた。目を瞑って冷静沈着に構えるオビトとは対照的に、妖精は額に汗しながら、逆上にも近い様子で歯を食いしばり、揺るぎない視線を向け続けている。
「今さら隠そうったって無駄よ。もう全部知ってるんだ。アンタのこと――『うちはオビト』ってやつのことは」
オビトは妖精に目を向ける。周辺が月草色の光で満たされるに伴い、必死に力を込める妖精の額から汗が伝っていく。
「本当は……もっと別の形で、アンタの口から話してほしかった」
深すぎる絶望と這い上がりの追憶。心の内に永遠に押し込めるであろう光景。赤の他人は言わずもがな、何度も顔を合わせた知り合いや、仲を深めて絆を紡いだ者とて知るところではないと、ぼんやりとながら何となく解ることだ。
それでも、だ。内心では期待していた。目に映る人々と世界が元に戻って、感じるものに変化が生じたなら。身を置く環境まで様変わりしたなら。常識破りの世界でならきっと、向こうに居た頃とは異なる、しかし変わらない、本当の心をひょっこり見せるかもしれないと。
「でもね、もういいの。だってあの時、ちゃんと心が見えたんだから。見えなかったものが、やっと……」
思いのほか早々と、全く違った形で目の当たりにした。
力尽きて昏睡状態に陥ったオビトから、身体を縛る黒い呪印を排するために、紫と一緒にオビトの心に入った時だ。様々なイメージが走馬灯のように頭をよぎった。繋がりを通して知ったのだ。彼自身が冷徹さと無感情を盾に、時には真逆の面を見せてまで鎖して、隠し通そうとした真実の数々を。
幻想世界に未練を残さぬように、心の奥底に封じ込めていた全てを。
「そういうこと、だったか」
語らずとも察した様子だった。オビトの視線が紫から妖精へと戻る。優雅な姿勢で見つめるスキマ妖怪の姿から。
「何度も救われたな。お前には」
不意を突かれる妖精。オビトは落ち着き払うばかりか、心なしか反応を楽しんでいる。これまで見たことのない安らかな表情だった。
「なによ、急に?」
「忘れはしない……オレの心にもたらされた、あの温かさを」
人に恵みをもたらす深緑の香りには、心と体に圧しかかる重石を取り除く不思議な力がある。
始球空間における最後の戦いで、一度は失いかけた六道の火を心に再び灯して、黒き意志の脅威を打ち破る力を呼び起こしたのは、妖精との間に期せずして生じた、目に見えない繋がりが導いた結果でもある。そしてこの場に立つことができる理由だ。
「お前のおかげだ。感謝している」
妖精の視線が泳ぎ始めた。瞬きの回数が明らかに増えている。真一文字だった口元が緩んだように見えたが、すぐに表情を戻して咳払いする。
「らしくないわね。いつもの無愛想っぷり、どこに消えたっての?」
「さあな」オビトが瞼を開いた。「今にして思えば、何かとオレを気にかけていたな。これだけ多くのものを受け取っておいて、何も言わずにいたのでは……ああやって憤るのも当然だな」
「べ、別にそんなんじゃ。わたしはただ、アンタが分厚い仮面を外してくれたら、それで……」
文字通りの仮面は疾うの昔に脱ぎ捨てた。打ち砕かれたとも、引き剥がされたとも言える。ゆえに今はトビやマダラではなく、オビトという一人の忍としてここにいられる。
妖精はこう思ったのだ。そんな物は存在しないと。幻想郷という別の世界で新たに被らされた面が、互いのチャクラが紡いだ力により剥がされたと。深緑の力で人の心に触れられる、逸れ者の少女にしか見えないものだ。
しかしながら、いずれでも構わなかった。出会いが偶然であれ必然であれ、荒んでいた心に誰より近づいた物好きな妖精が、うちはオビトという人間の記憶に深々と刻まれた、その事実さえあれば。
「やっとなのよ。これからなんだから。だからきっと、わたし……」
笑いを向けた少女が何を告白したかったのか。答えは刹那に走った眼光により微睡の中へと消えた。小さな手が腕から離れると、虚空を見つめたまま、月草色の地面に崩れ落ちる。
無言に徹していた紫が進み出、優雅な歩みでオビトの傍に立つ。再び開いた日傘がその姿に影を落とした。
「なんなら復唱しようか?」
「イヤ、いい」オビトの真面目な返答。「あいつのチャクラは視えていた。この期に及んでまだ無理を重ねるとはな……長旅で疲れてる身だってのに」
「まったく」紫はくすりと笑う。「本当にアナタときたら、最後まで思い通りにならないんだから。人間のくせして強がってるんなら、あの子のこと言えないわよ」
「心配するな。長い時を経て盲いたのかもしれんが、後でゆっくり語り合うさ」
「お煎餅でもかじりながら?」
「そんなところだ」
年上ながら容姿相応の幼げな表情で喋る紫に、オビトは落ち着いた声と笑みを返す。盆に乗せる煎餅は用意してくれるのだろうか。
「短命な人間らしくはあるけどねえ……分かったわ、聞かん坊には何も言わないでいてあげる。ゆかりんの気遣いよ」
「すまないな、紫」
馴染みのある胡散臭さを見せている。結局のところ、独り善がりな振る舞いが変わらないのは、この長命な妖怪の思う通りなのだろう。それでも今ここに立つのは、やはりあの時と違う、本当の己自身である。
(そうか……これが)
人は何かを為すために手を尽くすものだ。時に死力を尽くしてでも成し遂げようとする。体力を使い果たしても、声が出なくなっても、耳が聞こえなくなっても、目に物が映らなくなっても、果ては周りに感じていたものが消えてしまっても。これらは今や、かつて世界を滅茶苦茶にした咎人には決して与えられることのない、安寧そのものだ。
ならば感謝しなくてはならない。この身にもう一度だけ、安らぎをもたらしたことに――。
「少しだけ……」
綺麗な月草色の光に包まれながら、黙って眺めていた紫が一人微笑んだ。日傘の下でただぼんやりと。
眠る少女をスキマ送りにした後、踵を返して場を去りかけた賢者が、最後に一言だけ呟いた。
「おやすみなさい。小さな英雄さん」
――◆◆◆
温かな光に包まれて目を開けた。幾千の星々が煌く明るい景色が映る。
悪夢を喰らう少女は夢から覚めており、一人ではないかと思いながら瞬きした途端、待っていたように見知った姿が視界に現れた。
「お疲れさァん」
にやにや笑っている(と思われる)グルグルが奇怪な動きで走ってきた。飽きもせずに腕組みするマダラもどき、少し離れた場所には敵であった仙霊の姿もある。相も変わらず慈愛に満ちた優しげな微笑を浮かべていて、慣れが生じていない今も違和感が拭えない。
「我らが母上のご意志を、まさかホントに消し炭にィ……お見事だったねェ。気が高ぶりすぎて〇〇〇の感覚とか気分なんて、どーでもよくなっちゃったよ、もうね」
螺旋模様の不気味な面をぐいっと近づけると、オビトの肩をバンバン叩きまくる。眼下の空へと沈みかけてしまった。
マダラもどきがくだらんとばかりに鼻を鳴らして、心配した純狐が慌てて駆け寄る様子は、もはやお決まりの流れになりそうだ。
「カグヤ、か……」
「ん? どーかした? 頑張りすぎてお腹減った? 僕は減らないよ? チャクラだからねェ。ていうか体持ってないんじゃ、物を吸収して蓄積する器官もないわけでさ。あ、僕って元々そんな感じだっけ、そーいえば」
気分の滾ったグルグルがケラケラ笑いながら喋りまくる。騒々しさをたしなめた前回より口数が多く喧しい。幼少の頃に白ゼツの変異体に抱いていた印象は、特異な外見を除けば饒舌、饒舌、饒舌ばかりで他は薄い。
オビトの方は無視を決め込んだのか、それとも許容したのか指摘しなかった。
「全部終わった今、お前らの力を借りる理由もなくなった……そう思ってな。もう行くのか?」
「うん!」グルグルは明るい。「僕らの役目は終わっちゃったし。もっかい君の生意気そうな顔も見れたし。けど君が寂しィってんなら、居てあげてもいいけど? この姿のままで」
「言えた台詞か。さっさと帰れ」
「オオゥ……可愛げのあった君はどこいったんだかねェ。まあそういうとこが面白いから、気に入ってんだけどさァ」
「人は変わる。お前は変わらんままだがな」
意に反して生真面目さを貫いた姿が愉快だったのか、今度はケタケタと馬鹿笑いするグルグルだが、嘲りの色を感じないところが黒い方との違いだ。そんなグルグルを押し退けて、本物の姿が否が応でも脳裏に過ぎるのも構わず、「マダラはどうなった?」と偽マダラに問いかける。
「後始末だ。親元が失われようが、散らばった残滓まで消えるわけではない」
大筒木の異空間へと入り込んだ瞬間を最後に、本物のマダラとは現在に至るまで顔を合わせていない。
精神世界に現存するチャクラ体の姿が本物を模している理由。記憶から取り出した身近な姿を借りるからだけではないと、仙人との出会いを経た今ではハッキリと解る。本人の口から説明を求めるまでもなかった。
「だがじきに終わる……アレにはもう何もできん。逃れられはしない」
「ハゴロモ」オビトの瞼が瞑られる。「……六道仙人、か。彼がいなければ、今頃……」
「らしくない物言いを」堂々と言い放つ影。「六道は意志を託しはしたが、奴を潰す力まで与えたわけではない。お前がかつて自らの手で勝ち得たもの……そいつを呼び起こす手助けをしたのだ」
「分かっている。仙人に、お前らにも救われた」
再び鼻を鳴らすマダラの横で、「当然だよね」と言わんばかりにグルグルが親指を上げて頷いている。
役目を終えた二人の姿は薄れかけており、星のように明るい輝きが包み始めていた。
「……お前は初めこそ、身も心も脆弱そのものだった。それでも自らの力でオレたちを御し、友や仲間の手を借りて、『うちはオビト』という強かで優しい心を取り戻した。それはお前が、心の底では本当の自分を否定し切れなかったから。忘れたくなかったからだ」
「そそ。みんなの力、だけじゃないんだよね」
光の中で影が腕組みを解いた時、騒がしかったグルグルも腕を降ろして向き直った。
「そこには君自身の、揺るぎない強さもあったってこと、忘れないことだね。僕には聞こえるんだもの――今ここにいる君の中から、僕らの周りから――そんな『君』の鼓動が、さ」
周辺一帯が満たされ始めた。二人の影が見えなくなった後、「オビト」と口を開いたのは純狐の残滓。
憎悪に蝕まれる彼女も、元々は愛に溢れた心優しい人物だったのだろう。
「あいつの元へ戻るんだな」
純狐も二人と同様に姿が薄れ始めている。チャクラとして本来あるべき所に、今もどこかで生き延びている親元へと帰る時が来たのだろう。本人は微笑んだまま「いいえ」と否定してみせる。
「そう思ったけど。やっぱり、あなたと居るって決めたわ。いいでしょう?」
「勝手を言うものだ。お前らしくもあるんだろうがな」
途端に呆れて視線を外したオビトを前に、純狐は上品に柔らかく笑うだけ。
「古の仙霊・純狐――お前が不要と見なされた心の姿なら、あいつに残るのは憎しみだけだ。今のあいつに人を慈しむ心はないのだろう。それでもいいのか?」
「あら。そんなこと言った?」
純狐は飄々とした面を僅かに露呈させつつ、オビトを眺めながら楽しそうに喋るも、ふと笑みを薄めて視線を落とした。
「私、本質がこんなだから。最後まで気づけなかった。あなたと初めて出会った時にはもう、黒い意志に身も心も絡め取られていたわ。けれどあなたに救われた……大丈夫よ」
純狐の本質。今の彼女の魂を蝕む負の色彩は他でもない、純粋なる『憎悪』そのもの。
巡る輪廻をも手玉に取るほどに、黒い意志は憎しみを利用して人を操る術に長けている。最愛の兄を失ったあの少年がそうだったように、物事の道理を捻じ曲げて黒に染め上げる、想像も許されないほどに強すぎる憎しみが、周りのみならず己をも見えなくさせた。自分の存在をも見失ったのだ。
永い時を経て恨みと憎悪が純化されて、独り歩きした魂なら殊更に扱いやすい。仮面の男として忍界の闇を生きた十数年もの間、他にも似た輩は腐るほど見てきたものだ。
「あなたは」
オビトの横顔を見つめていた純狐が、沈黙の後に微笑を取り戻した。
「負という盲目的な心の面を理解できる人。してくれる人。もっと早くに、違った出逢いをしていたら……『純化』してしまっていたかもね。あなたを」
「とっくにされただろう。そんなものは」
「本当に?」
「オレを葬りかけた奴が誰か忘れたか。記憶まで切り離したなら別だが」
竹林での騒動を思い起こすのは何度目か。非常識な神のごとき異能で瞳術を無力化されて命まで奪われかけた、印象的という程度では収まらない出来事も、今となっては遠い昔のようだ。
「そうね。けれど」
期待を込めた眼差しを元に戻す純狐。言い終えるなり目を擦ると、眠そうに瞼を瞑った。
向かい合うオビトも同じで、温かな白い光に満たされるうちに、眠気が出てきていることに気づいた。
「それでも私は、あなたと一緒に」
目の前の純狐が本来の心優しい姿だとしても、純化という恐ろしい力を自在に扱う、見慣れた姿と瓜二つである現実は変わらない。並べたい文句が山ほどあっても、身体を抱擁する安らぎが勝り始めてしまう。
「……終いにはこっちまで調子が狂う」
この身に特異な細胞を埋め込んでから一度も経験したことのない、不思議な感覚が広がっていく。温かさが身も心も抱擁していく。冷たい十数年を過ごしたせいで、どんなものかは上手く形容できないものの――。
居心地の悪いものでは決してないと。多くの繋がりが見えた今なら言えるのだろう。