THE LAST PHANTASM -OBITO-   作:大兄貴

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七話 夜更けの里

 輪廻眼。日向一族の白眼、うちは一族の写輪眼と並んで三大瞳術の一つと称される伝説の瞳術で、最も崇高なる瞳力。写輪眼が最後に辿り着く極致であり、開眼した者は忍の祖・六道仙人と同等の、神のごとき強大な瞳力を得る。

 此度の異変は他人事では片づかない。黒ゼツの企み、大筒木カグヤの復活は無限月読の再来を意味する。輪廻の力を悪しき者に渡らせておけば、平和な幻想世界だけではない、英雄達が護りし忍の世界にも脅威をもたらす。インドラの血筋であり、うちはサスケの前任者でもあったマダラの輪廻眼は、黒ゼツの阻止と共に葬られなければならない。

 

 時刻は深夜零時。布団で熟睡する博麗霊夢の枕元に、音もなく忍び寄る一つの影。

 男の声が何度か響いたものの、時間も時間なので目覚めない。すると沈黙の中、闇から伸びた指先が霊夢の瞼に触れると、体がピクリと小さく動いた。寝相が悪いのではない。畳が振動したからではない。少女は間違いなく眠りから覚めた。

 視界の中央に捉えた。暗闇に光る不気味な赤い瞳。恐ろしげな悲鳴が響き渡った――。

 

「――あんたァ! 目を開けていきなりツラがありゃ驚くでしょーよ、誰だって! なんて時間に起こしてくれてんのっ!」

 

 まだ夜中の零時過ぎだというのに、博麗神社で声なき雄鶏がけたたましく鳴いた。

 博麗の巫女でも人間の少女。怒りと恐怖が入り混じった表情の霊夢から、オビトは不思議そうな様子で説教を受けている。

 強気とはいえ女の子に――仮にも第四次忍界大戦を引き起こした黒幕だった男が、である。悪気がないオビトは弁解するでもなく、全くもって意味が分からないと言いたげだ。

 

「お前は昨夜、依頼があるからと――明日になったら早めに起こしてくれと言われた通り、起こしたまでだ。そのために瞳力を行使したのが気に障ったのか?」

「明らかに早すぎんでしょーが! 明日って言ったけど、なんで日付が変わると同時に起こしに来てんのよ! 年寄りでももっと遅く起きるっつーの!」

「……零時が早いだと? しかし紫曰く、妖怪は深夜帯に活発化するとの話だったが」

「あたしゃ妖怪と一緒かい!」霊夢はオビトをびしっと指さした。「あのね、私らはこの時間帯、夢の中! これが普通! 幻想郷の常識! あんた外来人とかぬかしたけど、どんだけ不規則な生活送ってたのよ!」

「なるほど、遅らせるべきだったか。悪いことをした」

 

 オビトが素直に謝ったからか、当初は「喝!」なしで怒りを爆発させていた霊夢も、憤る鬼のごとき表情を落ち着かせてきた。

 一般的に人間は、朝に起床して夜に就寝するが、それは殺伐とした忍世界でも、非戦闘員に分類される人間に当てはまる。忍として昼夜を問わず危険な任務をこなす者の生活は、規則正しさとは無縁の毎日。常に命を狙われる抜け忍ともなれば、ほとんど二十四時間体制が当たり前。心休まる時などある方が珍しい。

 とりわけオビトの場合は、忍世界に名を轟かせるS級犯罪組織『暁』を裏で操っていた黒幕であり、うちはマダラとして暗躍していた忍。同じ抜け忍の中でもさらに特殊な立場だ。仮面を被っていた頃のオビトが朝に起きて夜に寝る、常識的な生活リズムを守っていたはずもなかった。

 

(何気ないやり取りでも……オレとしての第一歩、なのかもな)

 

 影のマダラとして動いていた十数年もの間、まともに眠った経験は一度もない。魔像で培養された特異な細胞が内包する、高すぎる生命力と回復力のせいで疲労が蓄積されず、睡眠自体を必要としなかったのだ。

 霊夢は簡単に事情を聞かされた後、眠そうに欠伸して仕方なしに口を開いた。

 

「……分かってくれりゃいいわよ、もう。初犯だし、ねちねち根に持つタイプじゃないから」

「そうか」オビトは腕を組んだ。「ところで……お前の頼みとやらを聞いておきたい。昨夜の話だ」

「ん? もう動くの?」

「当然だ」

「ふうん。忙しいねえ」霊夢が目を丸くする。「グルグルあんた、情報集めに行くって? 人間の里に」

「現状、ろくな手がかりがないからな……実際は土地巡りみたいなもんだが。オレとしても最低限、この世界の色々な場所を直に見ておきたい」

「里はその通過点ってわけね。知らない世界をいきなり調査……なんて酷よね、やっぱ」

 

 ゼツが味方の側にいたならば、幻想郷でもどこでも今よりは楽に動くことができた。ここにきて敵に回った――ずっと前から回っていた以上、己自身の力でこなすほかない。現時点で為せるのは観光もとい下準備として、所柄の把握と時空間の印づけ目的で各地を巡ること。あちこちを飛び回る手段があるか否かの違いは大きい。対人での本格的な収集に着手するのは早いだろう。

 ちなみに紫は昨晩、最後まで多くを語ることなく、霊夢が就寝する前にスキマでどこかへ消えた。黒ゼツの動きを受けて、管理者としてこなすべき仕事が舞い込んだのかもしれない。今後を考えて紫の居場所を尋ねはしたが、たまに顔を出す場所が博麗神社と話しただけで、拠点や住み家に関しては上手く誤魔化された。

 

「お願いってのはね、ちょいと届け物してほしいのよ。私の代わりに里までね」

 

 部屋の隅にある木棚をゴソゴソと漁り、霊夢が取り出したのはくたびれてしわしわの書物。著者の名前が手書きで記されている。オビトが当てずっぽうで「借りっぱなしか?」と問いかけると、少しばつの悪そうな顔で「ご名答」と肯定する。

 

「すっかり忘れてて。一週間もすぎちゃっててね、さすがに返さなきゃまずいかなあと。本当ならあいつか、あいつかあいつか、あいつ辺りに任せようと思ってたんだけど、ちょうどいいとこにあんたが居たからさ。助かったわ」

 

 やってきて間もない外来人ゆえ、さらっと口に出した「あいつ」が誰かも判らないオビトとのやり取りの中で、四度も「あいつ」呼ばわりした霊夢。相手の立場を考慮しないほどにマイペースなのか、何らかの理由で名を口にする必要性を否定したのか、面倒だったか忘れているだけか、オビトが突っ込まないこともあり、自然の流れで会話は前進した。

 

「借り物の返却程度、構いやしないが。何故お前が返さない?」

「すこーし気が引けてね。怒るとコワイのよねえ……なんつーか、常識人よろしい厳しさっての? 苦手なのよああいうの」

 

 昨夜のやり取りで霊夢は常識人を自称していたが、この様子では紫の煽るような指摘に対してムキになっただけとも言える。あえて触れずにオビトは「場所はどこだ?」と二度目の問いを投げかけた。

 

「稗田家、返却主は阿求ね。よろしく頼むわ」

「了解した」

「あ、もう一個」霊夢のジトっとした目。「あいつも『普通』の人間……夜中は寝てるだろうから、その辺ちゃんと考えるように。分かったわね?」

「……同じ轍は踏まん」

「うんうん、忘れないようにね。見かけによらず容赦ないから気ィつけなさい」

 

 阿求なる人物も霊夢と同じ生活リズムらしい。届け物だけで何時間も暇を潰すとなれば少々面倒かもしれない。眠らぬ忍としてオビトが若干表情を暗くした理由である。忍界と幻想郷とで時差ぼけを味わったかのようだ。

 ただし紫達曰く、『人間の里』は人間だけの居住区でもないようで、妖怪相手の商売で深夜に営業する店も多いとの話だ。その辺りは暇潰しがてら適当に回るもいいだろう。

 

「んじゃ地図を描いてあげるから。簡単にだけど。ちょい待ってなさい――」

 

 ご親切にも霊夢が筆を取ろうと腰を上げる前に、隣の部屋とを仕切る襖を見ながら「イヤ、いい」と制したオビト。

 

「あん? なんで?」

「連れに案内役を自称する奴がいる。里の案内はそいつに任せることにした」

「案内って……あの花精か。まあ妖精にも頭回る奴はいるし、面白半分で里に紛れ込むのもいるけどさ。あの頼りなさそーなので大丈夫?」

「張り切っていてな。物ではないが試しで、どこまでやれるか視るのもいい」

 

 妖精は人間と同じ日中に活動するようで、現在は霊夢の寝室と襖を挟んだ空き室の座布団の上で眠っている。この時間帯なら爆睡している頃だろう。

 心優しい者なら寝かせておくだろう。霊夢に対する前の言動を見るように、オビトには『うちはマダラ』としての性質が色濃く染み込んで消えておらず、小さな少女を叩き起こすことを何とも思わない。向こうから自信満々に案内役を買ってついて来たと、もっともに聞こえる理由を遠慮なくつけて、道案内を任せてみようと思ったのだ。

 

「ま、なんでもいいけど。借り物がどっかに紛失しても困るし、なんかあったら戻ってきなさいよね」

 

 座布団から早々に立ち上がり、襖を開ける姿をのんびりと眺めながら、霊夢は欠伸交じりに呼びかけた。

 

 

――◇◇◇

 

 

 人間の里。時間帯は深夜。幻想郷においては最大にして唯一の人里で、人間達が暮らす生活の場である。

 このように聞けば、人間を食糧、食料と見なす妖怪達に狙われる可能性を考えてしまう。恰好の狩場との言い方もできる。実は八雲紫を始めとする管理者達により手厚い保護を受けており、幻想郷の人間を襲うことは約定により固く禁じられている。人間を餌にする妖怪達としても、スキマ妖怪に堂々と喧嘩を売るほど愚かではないので、里人が妖怪に、少なくとも真っ当な理性と知性を持った妖怪に襲撃される事態はまず発生しない。

 幻想郷に居住する人間は、である。つまり居住しない者――すなわち『外来人』は決まりごとの抜け穴となる。捕食行動が禁忌の愚行に指定されているために、日頃から鬱憤が溜まっている妖怪達から見れば、外来人とは夢にまで見た希少な餌だ。力のない外来人は確実に餌食となろう。人食い妖怪が跋扈する森を抜けて、安全な人里や博麗神社にまで辿り着ける者は稀有である。

 

 その一人であるオビトは現在、妖精を連れて深夜の人里を訪れている。

 霊夢がもう一眠りするとかで寝室へ消えた後、別室で寝ていた妖精を例に漏れず瞳力で覚醒、事前の印づけを利用して博麗神社から人里まで移動した。時空間を経由したおかげで余計な時間を費やすこともなく、神社を出発したほぼ同時刻に里へ入ることができた。

 妖怪が活発化する深夜帯は、里の出入り口がある東西南北、四方の門に見張りが立つが、現実空間を介さずに移動できる神威の前では意味をなさない。忍の隠れ里ほど護りが堅牢ではなく、侵入者を捉えるための結界や感知水球も存在しなければ、隠密行動に秀でた暗部やその辺の忍でも容易く入り込むだろう。同じ里でも木ノ葉とは似ても似つかない。

 

(里、か……)

 

 どこか似ていて既視感を覚えるのは町並みの方だ。妖怪向けに営業中の店を除いたほぼ全ての建物は消灯しており、人通りはマバラ。この時間帯の通行人は、腕っぷしのありそうな屈強な男衆が『少数』、『大半』は明らかに怪しい風貌をした女の他、霊夢と同じ年に見える少女など。変化の術で人や物に化けた妖の類を、精度の高い瞳力で看破するかどうか以前に、道中ですれ違った者の中には首を宙に浮かせているなど、正体を隠す気のない輩も多数見かけた。

 

「実はね――」

 

 妖精は眠りを妨げられたためか、初めに文句を並べたのは霊夢と同じだった。外出が深夜帯とは思わなかったようだが、事情を理解すると忽ち機嫌を直して鼻歌交じりに付いてきた。そして何故か和菓子屋で黒糖饅頭を買う約束をする破目になった。

 

「この時間帯は寝てるから、深夜帯に来る機会とか、なかったんだ今まで。さっきはつい怒っちゃったけど、なんだか新鮮で楽しい」

「人間と変わらん生活ってのは本当のようだな」

「うん。その辺は妖精も同じ」

「お前の口ぶりからして、昼間は足を運んでいたようだが……案内役を自称するほど詳しいのか? この里に」

「嘘なんか言わないわよ」オビトの顔の前に来ると、妖精は不満げな表情を作る。「どこに何があるかくらい判るって。アンタが言ってたアキューの家も、和菓子のお店も、わたしを連れてりゃ地図なんて要らないの。楽勝よ楽勝」

「そうか。試す真似をして悪かったな」

「分かりゃいいのよっ!」

 

 金色の瞳を向けて笑いかけた妖精。薄い蝶の羽と翡翠色の髪が、通りの明かりで綺麗に輝いている。忍界との常識の違いを再認識させられる光景だ。

 道案内の腕を疑う形で試したからか、妖精は蝶のように周りを飛び回り、あちこちを指差しては「そこが寺子屋」だの、「あれが古本屋」だの、曰く『面白いとこ』をご丁寧にも、余分に気合いを入れて教え込んだ。おかげでオビトもそれなりに時間が経つ頃には、建物の正確な位置も含めた里の情報に加筆して更新できていた。

 

 道をすれ違う里人の中には、物珍しそうな目でオビト達を眺めたり、通り過ぎてから立ち止まって振り返る者も何人かいた。うちは一族の忍装束が幻想郷では浮いた服装だからか、ホタルのような光を放つ妖精を好奇の目で見ているのか、別の理由があるのか。この時点で言えるのは、外来人に対する当然の反応と受け取るならば、いかなる理由でも想定の範囲内に収まること。

 

「どうかしたか、周りばかり気にして。もうすぐその和菓子店とやらだぞ」

 

 妖精は里人の視線が気になるようで、無表情に近いオビトを尻目に何度も振り返る。

 

「里じゃ珍しいのかな、妖精って。ここの人間、妖怪は受け入れてるくせに」

「まさかとは思うが……コソコソと隠れて里を歩いていたのか。これまで」

「うん。そのまさか」

 

 あちこちの物陰に隠れながら目当ての店々を飛び回る妖精。尾行や暗殺の任務を担う忍でもあるまいし、光って目立つ容姿には似合わない。

 

「今回は堂々と歩こうって決めてたのに……夜ってのもだけど、落ち着けない感じ。不慣れな奴となら、心強いって思ったのになあ」

 

 見慣れぬ場所でも二人一緒なら怖くない。心強さとは一種の親近感である。同じ穴のムジナとでも言いたいのだろうが、残念ながら外来人とでは明確な差異がある。

 

「里の者がお前に好奇の目を向けてるなら、捕まらんよう用心することだ」

「どういうこと? 変態ヤローに、ヘンなコトされちゃう……?」

 

 途端に妖精の顔から血の気が引いた。オビトは表情を変えずに「似たようなものだ」と言葉を続ける。すれ違うのは二人の解釈も同じだった。

 

「知識欲に病的なほど飢えていて、非人道的な実験を繰り返す逸れ者の研究者を知っていてな。お前を希少な研究材料とでも見なせば、地の果てまで追いかけるかもしれん」

「うひっ!?」

 

 オビトの脳裏に長い舌をチラつかせる蛇のような姿がよぎる。忍界大戦では忍連合軍に属さない第三の勢力として立ち塞がった、あのマッドサイエンティストは今どこで何をしているのか。

 仮にも木ノ葉の敵だった冷酷な男だ。里内を好き勝手に徘徊したり、味噌ラーメンや餃子を呑気に食していたり、何食わぬ顔で茶屋や居酒屋の店員をしていたり、木舟で川下りをしていたり、蟲に怯えまくっていたり、堂々と顔出ししたりはあり得ないとしても、平穏な毎日を過ごしている姿は頑張っても想像しがたい。

 

「それだけではない。忍を非合法に雇うような裏世界の連中には、珍しい生物を愛玩や娯楽用に欲しがる奴は掃いて捨てるほどいる。この里にもイカれた輩がいるとすれば――」

 

 偽マダラだった頃の記憶をいったん仕舞うオビト。あれほど勝気だった妖精が涙目になって震えている。

 

「安心しろ。全て嘘にした」

「『した』ってなによ! ほんとなんでしょ!? ウソがきらいなの知ってるくせにー!」

 

 情報を有体に並べるだけで配慮しない言動、幼子に合わせて言葉を選ばない、人付き合いに不利な要素をふんだんに有する偽者マダラ。その辺は本物と遜色ない。体や精神面が未熟な幼少期に形作られた中身は易々と変わらない。

 通りの人々が不思議そうな様子で見守る中、オビトは同じ表情で頭をポカポカと叩かれていた。

 

 

――◇◇◇

 

 

 預かり物を届けに稗田邸を訪ねる時刻までは余裕があったので、里の中心部に位置する老舗(らしい)和菓子店を訪れていた二人。人々が寝静まる深夜帯でも絶賛営業中の店舗で、赤いのれんの奥から薄暗い通りに明かりが漏れている。人間の里なればこそ妖怪向けの店は少なくない。

 人と妖怪、両方に需要があれば、二者択一より客足は増えて営業時間も長くなる。外来人の感覚や基準で語るなら、畏怖を抱いて然るべき輩を望んで相手取るのは物好きである。

 

「おっ……見て見て! ほらほら、スゴイ品ぞろえなのよ? ぼさっとしてないで、ほら早くっ!」

 

 到着するなり脱兎のごとく入店した妖精のはしゃぎ声。のれんを潜ると優しい色の光が照らした。

 木ノ葉の里にある甘味処と同じように、食事とお喋りの両方を楽しめるよう配慮された造りの、落ち着いた雰囲気の店だ。多めに配置された客用のテーブルと椅子、奥には長台と店員、傍の先客は選ぶのに夢中のようで、ガラス越しに色とりどりの品々が確認できる。ちなみに甘味処は随分と前に暁の構成員だったデイダラと一緒に茶屋を訪れて以来である。

 白い肌の客に並んで、長台のショーケースを眺めるオビト。様々な色や味つけの団子、饅頭や餅類、どら焼きにたい焼き、羊かんや甘栗など一通りの品々の他、見たことのない菓子も沢山あるようで、あのイタチなら生唾を呑んだであろう見事な品揃えだ。

 

「ほらほら、ねっ?」

 

 妖精は興奮冷めやらない様子で、浮遊したままガラスにぺたぺたと手をつけている。

 体の大きさに近しい菓子の群を前にした妖精の心境や感覚など、慣れのない異邦人には分かるまい。分かるのは忍界にも現存する甘味の方である。

 

「専門店を名乗るだけはある……さすがは老舗の和菓子屋だ、種類の豊富さに驚かされる。ここまでの品を……」

「感傷に浸るのもいいけどさ、早く早く――これよこれ! 美味しいのよこれっ!」

 

 煎餅が売り切れという非情なる現実に半ば落胆しながらも、はしゃぐ妖精に流されるまま、穏やかな雰囲気の店員に黒糖饅頭を要求する。店員はオビトの肩越しにチラッと何かを確認した後、視線を戻して「壱四〇円だよ」と会計を促した。

 オビトは常用する黒茶色の手袋を嵌めてから、金銭ではなく二本のクナイを懐から取り出して長台に置いた。傍で菓子を品定めする客を除き、これには店員も妖精も驚きを露にする。

――人間の里で使える通貨を忍界出身の外来人が所持しているはずもない。実のところオビト自身、和菓子屋に来るまで金のことをすっかり忘れていた。妖精に饅頭をねだられた時も意識の外だったのだ。

 

「シュリケンって……というかそこ、ちゃんと払うんだ。えらいわねえ」

「その辺のコソ泥と一括りにされては困る。今はクナイしかないがな」

 

 忍界史上最悪の犯罪組織だった暁としても、取引相手と無用な争いを起こしたり、余計な負の感情を抱かれる方が不都合は多い。払うものはきちんと支払う方が穏便に事を運ぶことができる。賞金首の引渡し然り、忍具の闇取引然り、甘味処の会計にしても全てが平等だ。権利と義務への意識と対処を怠った経験はない。本当に犯罪組織かと――否、忍五大国に恐れられた組織なればこそ、下劣なコソ泥風情とはあらゆる部分で一線を画していた。

 どこの世界でも金は必需品。幻想郷において外来人は、借金などして民家を借り、返済金を汗水垂らして稼ぐ道が通常だが、当たり前の努力を望まない者のための手段も用意されている、というより存在している。

 

「オレはいわゆる外来人でな……金を持ち合わせていない。今回はこいつで交渉したい」

 

 里には紫曰く、博麗霊夢の他にも同業者、つまり妖怪の退治屋や便利屋なるものを先祖代々経営する者もいる。そういった血の気の多い連中のために、武具の類も少数だが里内では流通するという。戦争用に選別して用意した質のいい未使用のクナイや手裏剣を持ち込めば、代金どころか対価以上の金が店側に入るだろう。

 

「なるほど」店員は瞬時に頷いてみせた。「そういう事情なら仕方ないね。いいよ、代金はこれで手を打とう」

「悪いな」

「気にしなくていいよ。妖精のお嬢さんも、優しい人でよかったねえ」

「ん……ま、まあ、そうかも」

 

 愛想が良い上に融通も利く店員から品を受け取り、恥ずかしそうにもごもごと喋る妖精。

 それから間もなく店員の視線が移る。気づいたオビトが顔を上げた。

 

「ところでお前さん、本当に妖怪じゃないんだね?」

「さっきも言った通り、外来人だ。時間帯を言ってるなら偶然だ」

 

 妖精は購入した饅頭を手に、客と並んで菓子の群を楽しそうに眺めている。そんな中で店員は、意味ありげな目つきで再びオビトの肩越し、店内にいる他の客を映した。「そうか」と耳打ちするように声を抑える。

 

「……いやね、少し驚いたんだ。うちも昼間は人間相手の商売なんだけど、ちょうどこの深夜帯は妖怪のお客が来るんでね。私はもう四十年だから慣れがあるけども、外から来た子には言わなきゃと思ってね……」

 

 ここまでずっと関心が向かなかった。今になって気づいたのだ。白い顔の客以外、全員が少女だったことに。

 忍界では類を見ない珍妙な服装や外見。派手なフリルやリボンだったり、角を生やしていたり、黒い蝙蝠の羽を生やしていたりと、色とりどりで見たまんまだ。妖達は暴れるでもなく食事を楽しんでいる様子だが、やはりこの時間帯に人間は珍しいのか、オビト達に視線を投げる者も何人かいた。

 時間帯だけでこの変わりよう、人間の里とは名ばかりである。

 

「うーん……今さら別に、って感じよね?」

「事前に知っていたからな。話してくれたことには感謝する」

 

 見事な菓子達を眺めながらの妖精に同調する。妖怪の存在は頭に入れて把握済みだった。外来人ゆえに事情を知らないか疎いと思い、親切心からオビトに警告を与えたのだ。

 本物の妖怪が店に居座るわけで、確かに妖精や霊夢、紫からの情報がなければ動揺の余地もあったかもしれない。

 

「オレは気にしない。深夜だからと安全面から人間の出入りを禁じている……ってわけでもないだろう」

「とは言っても、人間と悶着を起こす客もいないわけじゃない。気がかりでね、買い物が済んだら早めに出る方が何かと――」

「――あら。いいじゃない?」

 

 明るく丁寧だが挑発的で、気取ったような甲高い声が響いた。オビトは口を閉ざして背後に目を向ける。

 

「こちらは気にしないし、その子もそう思ってるわ」

 

 優雅な姿勢で椅子に座り、テーブルに頬杖をついた一人の少女が、真っ赤な目を愉快げに細めていた。

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