THE LAST PHANTASM -OBITO-   作:大兄貴

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七十話 夜明け

 中華風の建造物が立ち並ぶ都とは打って変わり、大きなシャンデリアの明かりが照らす豪華な洋室にて仙霊・純狐は目を覚ます。

 ぼんやりとしながらも、ふかふかのベッドから体を起こそうとした時、急激な眩暈とふらつきが襲った。

 

「ようこそ。歓迎するわよん」

 

 透き通るような声色が耳に入る。傍の椅子に金髪の少女が腰かけていた。変てこな柄のダッセーTシャツを着用し、黄色い球体型のオブジェを頭の上に乗せている。いくら頭が霞みがかっていても、稀に見る変人奇人ながら旧友でもある者を見間違えるはずもない。寝かされていた場所がいずこなのか忽ち理解に至った。

 彼女こそが地球と月、幻想郷を始めとする異界、三界の地獄を司るとされる女神。純狐とは古くからの付き合いである。

 

「嗚呼」頭を動かす純狐。「……それじゃ私、落とされたわけね。仙霊たる者が忌むべき地獄に……この上なく皮肉が効いている」

「死んでいたならね。結果はご覧の通りだけど」

「このザマでは死んだも同然です。使い捨ての便利な道具に成り下がってはね……結局は己の闇に呑まれてしまったのだから」

 

 自嘲的な笑い。国産ノ狭間に鎮座する賢者達の城で、己自身の負に喰われ往く瞬間の追憶が、生々しい感覚と共に蘇る。

 数千年にも及ぶ永い年月を増長し、独り歩きする負の情、それに目をつけた者により心身を蝕まれていた。解放された現在は気分が落ち着いていて、体は起きないが会話できる程度には心が休まっている。

 

「約束、守っていただけたようで。暇を持て余していたのでは?」

「薬搗きも単純作業の繰り返し。つまんないからやっぱり、そっち行こっかなーとも考えたくらい。都の愚か者共を潰す機会は十分あったわけだしね。けれどまあ、約束は約束だから。そこは仕方ないわ」

「……感謝するわ、ヘカーティア」

 

 此度の目的であった嫦娥と月の民の絶滅。裏で手を貸していた彼女も都とは因縁があるために、協力者として手を貸す気も本心から満々だった分、あれこれと文句を言われはしたものの、最後には願いを聞き入れて身を引いてくれた。

 結局は失敗に終わったとはいえ、自身の選択を後悔する気は毛頭ない。許されないと言った方が正しいか。

 

「戯れに過ぎなかったのでしょう?」

「ばけもの扱い~? 『地下』をいくらか司るだけなら、世界をぶっ壊して創り直せる神綺よりかずぅーっとマトモだわ。意外に思考が短絡的なのね、あなたって」

「謙遜ですか? 高慢なあなたらしくもない」

「さあね」ヘカーティアは楽しげだ。「安心しちゃった。すっかり元気になって」

「そうでもないですがね」

「あ、元気と言えば。あの子もとっくにハツラツぅ」

 

 ヘカーティアの後ろから現れた少女に視線を向ける純狐。声をかけ辛そうにもじもじとしているのは、星条旗模様の道化師。月の都で八十禍津日の涙を浴びて倒れた彼女も、瑕穢という猛毒が体の奥まで蝕む前にヘカーティアの手で回収されていた。

 幸いにも純狐ほど重傷ではないために、元々の回復力の恩恵も賜って復活は早かった。

 

「そう……謝らないとね、あなたには」

「いえ、そんな。全部あの怪物が悪かったんですし――」

 

 穏やかな純狐の言葉を慌てて否定するクラウンピース。思い出したように口を開いたヘカーティア。

 

「あなたを欺いて、連中を揺るがしたアレも存外、呆気ない終りだったみたいね。厄に終止符を打ったのだって、月の民でも博麗の巫女でもない異邦人。外には面白いのが居たものねえ」

「それで」純狐は顔を上げた。「どうなるのかしら?」

「うーん、やらかしたこと考えたらまあ、地獄行きは確定だったけど。きちんと道を正せたみたいだから、過去を背負わせるってことで様子見。今回のことも大きかったしね」

「簡単な話ね」

「そんなものよん」ヘカーティアは鼻歌交じりに言う。「安易な判断はご法度ってのは、重々承知してるわよ立場上。面倒だけどね。単純さと軽々しさは違うとか、帳消しとはいかないとか、その辺も色々と。けれど地獄って、償えないものを償うとこだもん。いいじゃない別に」

 

 三界の女神が語る言葉や雰囲気に重々しさや神々しさは微塵もなく、神様にありがちな軽快な口調を崩そうとしない。

 某風祝が突っ込みを入れそうな、変な柄のTシャツを着こなすせいで誤解を招きやすいが、こう見えて正真正銘の神である。それを易々と見抜ける者など果たして存在するのか。

 

「夢を見たわ」純狐は瞼を瞑る。「地球や月にはない星々の煌めき……とても綺麗な場所。そこに居ると、不思議と心が落ち着いて、安らかな気持ちになれる。上手く言葉にできないけど……疾うの昔に忘れた何かを、思い出させてくれるみたいだった」

「戻るのかしら? 『あなた』に」

 

 初めて微笑んだ純狐。手のひらをぼんやりと見つめた後、仰向けのまま口を開いて「まさか」と呟いた。

 

「……後戻りはできないし、する気もない。これからも私は、私らしく……月に仇なす仙霊として、心安らかに憎み続けるよ。でも今は、ちょっとだけ……」

 

 穏やかな声でそう言い残すと、二人に見守られながら静かに瞼を瞑る。

 しばらく沈黙を貫いていたクラウンピースが、主人であるヘカーティアの方を向いた。

 

「都はどうなってるんでしょうか」

「うん? 心配なの?」

「そうじゃない、と言えば嘘になりますかね。だってずっとあのままだったら、ご主人様も友人様も楽しくないじゃないですか。こっちも動くべきじゃ」

 

 地獄妖精はヘカーティアの配下として、民の身を案じる気など欠片もないが、未来永劫あの者達が幻夢に蝕まれたままでは、因縁も復讐も何もなくなり意味が失われてしまう。純狐にとっても容認できない惨状だ。

 

「仮にもこれまで私たちを知恵で退けてきた連中よ。八意が抜けてから脆くはなったけど、自分らで勝手に立て直すでしょう。来たるべき明日のために……月で日の出を拝むのも一興ね」

「夜明け、ですか」

 

 境界の賢者とは異なる雰囲気で無邪気に笑うばかり。妙にある説得力を受けてクラウンピースも頷いた。

 幻想郷と月の都、いずれでもない第三者として、因縁の地を外から眺める二人。それぞれの視線が純狐に今一度注がれる。

 ヘカーティアとクラウンピースは、都に再び戦いを挑むその日まで、ひとまずの時間をのんびりと過ごすことにした。

 

 

――◆◆◆

 

 

 静けさに包まれる都。霊夢、レミリア、依姫の三人は国産ノ狭間を脱出した後、都の中心部に位置する研究施設を目指して飛んでいた。姿を消したオビトやマダラの捜索も兼ねて、現状を打開する案を練るために。悍ましい蔦や根に覆われた建物の群が地上に見える。

 無限月読は都の永い歴史上でも前例のない事件であるために、具体的な対処法が存在せず、現状がこの先どう変化するのかも見通せない。ゆえに時間を一秒たりとも無駄にできず、早々に行動を起こす必要性を見出して、体力の続く限りは休まず飛び続けることを強いられた。

 そんな三人が足を止めて、地上にまで降り立つ破目になったのは、勘のいい霊夢を含む全員が異常を察知したからだった。

 

「今度は何? まだ何か――?」

 

 地響き、轟音。臨戦態勢に入った霊夢が祓い棒を構えつつ周辺に目を走らせる。神樹の根が再び動き始めたのだと、この場にいる誰もが予感した。まさにその通りだった。だがそれは悪い意味での『異常』とは程遠いものだったのだ。

 北東の丘に目を向けようとした依姫が、近くにそびえていた巨大な根を捉える。夢見る数多の犠牲者達、根とを繋ぐ蔓が見る見るうちに、次々と千切れていく。表面から水気と生気が抜け落ち、神樹の一部が急速に枯れ果てて崩れ始めた。

 

「ねえ。ちょっと」

 

――ここに居る誰もが期せずした終焉だった。間近で確認した霊夢は目を見開いている。

 霊夢とレミリアが依姫に付いて急いでいたのは、対処の仕方が分からない大幻術を一から調査して策を立てるためだった。

 そう思って動いていたはずが、気づかぬうちに捕らわれた者も、立ち向かった末に堕ちた勇猛果敢な者も、蔓に巻かれて体を覆われていた月人達は誰もかれも、忌々しい樹が朽ちて元に戻っていく。『無限月読』による永遠の眠りから解放されていく。

 

「こいつら全員、あの術でくたばってたのよね。じゃあこれって……」

「一目瞭然ってやつでしょ。地上の連中にもかかってるって話だから、同じ感じで解け始めてるかもね。たぶんだけど」

 

 面倒臭そうな声で返答しながらも、驚きを隠し切れないレミリアである。

 自分に言い聞かせるように、薄々感づきながら発言した霊夢だったが、彼女の言葉を聞いて「無限月読が解術された」という現実を理解した。物事を疑り深く見る理由は、この中では唯一正式な『異変の解決者』の身の上ゆえだ。依姫も同じか似たような立場であり、都においては霊夢以上と言える。

 つまりはこういうことだ。十尾という元凶が消え失せて、これから解明に着手するはずだった問題が解決に至ったことで、幻想郷と月の都を巻き込み発生した此度の大異変は終わりを迎えたのだ。

 

「……規模が規模だったし、ずっと呆気なく感じたわ。幻想郷に都、あっちの天体や異空間にしても……これだけの騒ぎ、勝手に終息したりはしないと思うけど。どこの誰の仕業?」

「簡単なことよ」レミリアは鼻を鳴らす。「あの人間が居なくなって、私たちがあそこを出た後に事が起こり始めた。タイミングが良すぎるでしょう。あいつが絡んでるに決まってるわ」

「にしたってヘンよ。だってグルグルのやつがさ、なんとかする方法を知ってたってことじゃん。じゃあなんで――」

 

 外部とは隔絶された国産ノ狭間を脱出するには、空間に生じた亀裂を通るなり、三神結界の要なりを潜り抜ける必要がある。

 戦いの直後で疲労困憊の状態でも、徒歩や飛行でどこかへ消えようとする者に気づかない道理などない。鋭敏な感覚を持つ吸血鬼や依姫まで一緒に居たにもかかわらず、誰もかれも意識をすり抜けられたのは、別空間を経由する特殊な移動手段を使われたからに他ならず。

 

「私らに黙って、どっか行ったわけ? 隠す必要ないだろうし、一人で行く意味も分かんないし」

 

 姿を消した意図は全くもって不明ながら、単純な行動理由に関しては本人の性格から、霊夢にも大方の予測はついた。文句が口をついて出る前に「ひとまずは」とレミリアが滑らかに遮る。

 

「喜ぶべきじゃないの? そんなん後々、本人から聞けば分かる話よ」

「つっても気になんのよね。どう思う――?」

 

 今度は依姫の方を振り返るも返事はない。少し離れた場所で仰向けに倒れている玉兎を看ていた。

 玉兎は見守られる中で目を開いた。蔓と根を介して霊力を吸い上げられても、体力はいくらか残されているようで、依姫が口を開く前に体を起こしてみせた。

 我に返るまでに少々の時間を要した。きょろきょろと動いた視線が上司を捉える。

 

「あれ? たしか私、ぼーっとしちゃって、それで……?」

「無理に思い出さなくて結構です。お前はしばらく休んでいなさい」

「心配いりません!」勢いよく立ち上がる玉兎。「都がこんなことになってるのに、のんびり休んでなんていられませんよ! お手伝いならなんなりと! ほら見てください、私こんなに元気なんですよ――」

 

 この玉兎は軍隊に所属する軍人もとい軍兎。訓練もせず将棋や囲碁ばかりして遊びほうけている一般の兎と比べて、体力も根性もある程度は備わるが、圧倒的な実戦経験不足なのは例に漏れず否めない。玉兎も自分らの力不足に自覚があり、軍の総監である依姫相手に良いところを見せたい気持ちが重なってか、元気一杯に銃剣を振り回そうとしたが、案の定その場で見事に転倒してしまう。

 

「休んで動けるようになったら、他の仲間を連れて私の元に来なさい。いいわね?」

「うー……すみません、依姫さま……」

 

 人手が足りない現状、動ける者が一人でも多い方が好ましいからといって、体力も霊力も弱り切った部下をこき使うほど依姫も鬼ではない。軍兎達に日々厳しい訓練を行う彼女でも、だ。

 その一方で霊夢とレミリアの二人は、あちこちで崩れ落ちていく樹を目の当たりにしながら、国産ノ狭間に居るであろう魔理沙達のことを考えていた。

 

「頑丈な月人でもアレだし、あいつらじゃほとんど動けないでしょ。放置しとくってのもねえ……」

「うちの咲夜は平気よ。吸血鬼だから」

「まじで? え、いつの間に血ィ吸われたの? あいつ」

 

 人間が妖怪化に至る方法や要因はいくつもあるが、吸血鬼の仲間入りをする場合は、互いの血を交える盟約と吸血行為による魔力のやり取りが必要になる。妖精や魔の者だらけの紅魔館で、咲夜は唯一の人間だったはずだが――などと久々に呑気な表情で思案する霊夢を、またしても鼻で笑うレミリア。

 

「真に受けるほど疲れてるの? 人間だから面白いのよ。あの子は」

「……あんたは元気一杯。それだけは分かるわね」

 

 体力は吸血鬼ゆえに初めから問題ないとして、魔力や体調もこの短時間で十分に回復した様子。桁外れの回復力と再生力は、数ある妖怪の中でも他の追随を許さない。同じ人外でも元魔界人のアリス、妖怪兎の鈴仙でもここまで早くはない。

 玉兎の容態を確認した後、依姫は会話を交える二人の元へ戻ってきた。

 

「ご覧の通り……術は解かれたようです。後始末と調査は我々が行いますので、落ち着くまでは好きにしていただいて結構です」

 

 都を代表する民の一人として、早々に着手すべき問題が山積している。詳しい事情を知らないレミリアは、自信ありげな表情で腰に手を当てる。

 

「ずいぶんとザルね。都の戦力が大幅に低下した今なら簡単に落とせる……そう言っても?」

「残念ながら不可能です」依姫は意にも介さない。「そんなことより、あなた方はどうなさるおつもりで?」

「連れを見に行くわ」のんびりと返答する霊夢。「終わったら……屋敷の宴会に呼ばれるまで、適当にその辺観光してるわよ。ていうかあんたこそ、姉さんのとこ行かなくていいわけ?」

「必要ありません。ではこれにて失礼します」

 

 玉兎達をまとめ上げる月のリーダーであり、まともに動ける月人として、自らの職務を優先するのは立場上おかしな話ではない。あるいは大幻術の影響が取り除かれた今、豊姫に助けなど不要と判断したのか。いずれにせよ会話に長々と時間を割く気はないようだ。

 依姫は太刀の鞘を手で押さえると、静かにその場を飛び去った。

 

「相変わらず食えない奴ね」

 

 マイペースに振る舞うレミリアは、この状況で一人不機嫌な貌だった。

 都の真っただ中に佇む異邦人も同然の二人。依姫が監視もつけずに放置を決めた理由は、共に戦った霊夢とレミリアに信頼を置くからでも、都の体制と全機能が麻痺して監視に手が回らないからでもない。面倒と見なしたわけでもない。穢れた雨や無限月読の影響により大きな被害を受けてもなお、都が二人の手に落ちる可能性など万に一つもあり得ないからだ。『月の民』らしい計らいである。

 

「……まあいいわ。とっとと済ませましょう」

「あん? どこ行くのよ」

 

 不思議そうな表情で声を上げる霊夢。国産ノ狭間とを繋ぐ三神結界は南東の方角に位置するのに、何故かレミリアは正反対の方角を目指して飛び立った。

 小さくその場で旋回すると、地上から見上げる霊夢に「私用で少々」とだけ伝える。

 

「はあ? そっちのメイドはどーすんのよ?」

「あなたや白黒ほどヤワじゃないの。何もせずとも戻ってくる。それじゃ後ほどね」

 

 返答の余地など与える気はないようで、後を追おうと地面を蹴る前に身を翻すと、レミリアは猛スピードで飛び去ってしまった。

 口喧しい鴉天狗ほどではないにしろ、吸血鬼の瞬発力と速力は桁違いで、人間や他の妖怪と比較すれば天地の差だ。底を尽きかけた体力も重なり、霊夢では到底追いつけない。もはや追う気にもなれなかった。

 

「なんだってのよ……」

 

 超がつくマイペースっぷりでは不満の一つもこぼれる。霊夢は仕方なく踵を返すと、魔理沙達の居る異空間を目指して飛び立った。

 

 

――◆◆◆

 

 

 蓬莱の大罪人・蓬莱山輝夜は月に拉致されて以降ずっと監禁されていたが、自らに夜を止めさせていた元凶が消えた後、中心部に位置する医療施設の一つに立ち寄っていた。

 

「思ったより大丈夫そうね。心配するだけ無駄だった?」

 

 小奇麗な病室にて輝夜は明るく笑う。目の前のベッドには覚えのある女性が寝かされていた。遥か昔に罪人として地上に堕とされた、招かれざる客人の身であるために、依姫や兎達に見つからぬよう密かに潜入したのだ。

 この施設は高度な先端的研究機関が併設されており、都において最も警備が厳しい場所の一つである。結界を始めとする無人の防衛機能がいくつも張り巡らされているが、幸か不幸か大幻術の影響で誰もかれも夢を見ており、どんなに不注意な馬鹿でも気づかれず自由に動き回れるほどに無防備だった。想像以上に苦もなく辿り着いた理由だ。

 

「傷病者ではあるんだから。眩暈もするし」

 

 人の多い一般の病棟とは正反対の厳重な建物に、極秘扱いで運び込まれるほどの人物とは何者か。答えはこの『八意永琳』だった。

 

「色々と立て続けに起こって、さすがにもうこりごりよね。兎たちは大丈夫かしら」

 

 ベッドを挟んだ窓を見やる輝夜。枯れ果てた樹の一部が窓ガラスを突き破って侵入しており、蔓の残骸が永琳の周りに散乱している。鈴仙の手で運び込まれた後、兎達と同じように無限の光を浴びて、終わりなき幻夢の中に落ちていたのだ。

 犠牲者達の例に漏れず、樹を介して力を奪われた影響で元気とは言えない。顔もまだ青白い。

 

――永琳もまた不老不死の蓬莱人。長寿の月人よりも永い年月を生きていて、かつては月の頭脳とまで謳われた天才だ。月の賢者の一人・稀神サグメをも凌ぐ叡智は計り知れない。波長操作や写輪眼のような特殊な能力は持たないが、自らを脅かすあらゆる事象への対抗策が頭に入っている。ゆえに永琳が敵の術中に落ちるなど稀だ。

 稀有なだけで限界はある。永遠の命をもって気が遠くなるほどの時を過ごしたとはいえ、全知でも全能でもない。蓬莱人や月人も元を辿れば人間だ。昨日今日に異界から来た未知の概念、神の類が振るう超越的な力にいきなり対処しろと言われても結果は知れている。

 

「輝夜。私たち二人とも、期せずして故郷に戻ったわけだけど。久しぶりの空気はどう?」

 

 それでも幻夢の縛りから解放された今、永琳は普段と同じ微笑を浮かべている。病室を訪れた時には目覚めていたのだ。輝夜は問いに対して「驚いてる」と返した。

 

「……昔より平和ボケしたっていうか。息苦しさが全然なくて」

「時代が時代だからねえ」

「あの頃はほら、向こうに住んでる物騒な連中、こっちにもいくらか居たじゃない? それが今は全然。まあすぐに異色の町並みに変わったけど」

 

 輝夜は椅子から立ち上がり、窓から外をのんびりと眺める。夢見る兎達はあちこちで目覚め始めているようだ。もう少しだけ会話を楽しんでいたかったが、あまり時間は残されていない。じきに階下の玉兎達がやってくるだろう。そう思った瞬間に病室の扉が開いた。

 覚えのある薄紫色の髪と兎耳。霊夢達と共に月へと乗り込んだ鈴仙・優曇華・イナバ。同じように神樹から解放された後、重い体を引きずって来たのだ。幻に落ちるまで分裂体達と戦いを繰り広げていたために、永琳以上に疲労の色が見える。元より丈夫な方でもない。

 地上で行方不明だった輝夜を見て驚愕するなり、今度はベッドに視線を注いだ目が見開かれる。脱兎のごとく二人に近寄った。

 

「よかった。私、今まで――…」

「お疲れさま」永琳が微笑む。「たくさん頑張ってくれたみたいね、鈴仙。ありがとう」

「そんな」鈴仙は赤面する。「私もさっきまで、あの樹に捕まってて……感謝されるべきなのは、私たちを解放してくれた方です。誰かは分かりませんけど……」

「兎にも角にも。あなたが何を見て、何をしていたのか。何があったのか。聞かせてもらいたいわ」

 

 輝夜は鼻歌交じりに喋った後、扉の方にちらっと目を向けた。

 

「……地上でね。兎たちに見つかったら面倒だし、早めに出発しましょう。道は確保してあるからすぐに――」

「待って。あの子たちは……」

「ご無事です」しっかりと伝える鈴仙。「依姫様のお姿は、ここへ来る途中で見かけました。豊姫様は瑕穢をお体に受けましたが、別条はありません。別の病室へ運んだ後、できる限りの治療を施しました。今は眠っています」

「顔を見てからにする? 永琳」

「いいえ……帰らなくてはね」

 

 ベッドから静かに体を起こすと、鈴仙に支えられながら、ゆっくりと足を着ける。

 割れた窓ガラスに近寄り、枯れた樹で埋め尽くされた都を暫し映した後、永琳は二人を振り返った。

 

「後のことは後の者に……月を任されたあの子たちに、任せるとしましょう。私たちはもう、地上の民なのですから」

 

 

――◆◆◆

 

 

 満天に輝く星空の下、静かの海。波の打ち寄せる音一つ聞こえない無音の世界。

 砂浜の上を泥状の何かが蠢いている。体を引きずりどこかを目指しながらも、悶え苦しんでいるように見える。悍ましい姿をしたソレには目も口もない。人の姿さえも。そんなモノを映す人影があった。

 

「いい場所だ。今も昔も月光は好みでな」

 

 黒い泥状の何かが動きを止める。足音を立てずに近寄ったマダラ。冷徹な赤い眼を不動の姿勢で向けている。「何をする気だ?」という問いかけに対して、酷くこもった声が泥から吐き出された。

 

「決マッテイル……母復活ノ……」

「しぶとい奴だ」マダラの視線が捉える。「肉体を別けていたか。奴から生まれただけはある……しょせんは泡沫、何もできはしないがな」

「母ハオ前ナド……ヤリ様ハイクラデモ……」

「だろうな」

 

 這い蹲っているのは紛れもない、かつてマダラをも傀儡として操り、散々と利用して欺き、最後にはその総てを乗っ取った宿敵。

 嫌というほど因縁のある相手のはずが、ソレを目前に捉えても思いのほか落ち着き払っている。

 

「だが、カグヤはカグヤだ。お前はカグヤの負の部分に過ぎん」

「母サンノ……『負』ダト……?」

 

 無機質な声を震わせる。この場において優位なのは圧倒的にマダラであり、ソレは指一本で始末されるほど矮小な存在だというのに、逃げもせずに黙って蠢き続けている。

 綺麗な星々の光を浴びても、全てを失ったソレは黒一色のまま変わらない。

 

「そうだ」マダラは星空を仰いだ。「――元々カグヤは人格者だった。慈愛と優しさを持つカグヤを、民衆は女神と呼び慕っていた。それがいつの日からか、争いを治めるためにと神樹の実を喰らい、力に憑かれた鬼となり……人々の心は離れていった」

 

 長い白髪を振り乱す姿が脳裏をよぎる。体を乗っ取られた時、惑い続ける頭の中を、どす黒いチャクラと共に否が応でも満たした忌々しい映像。

 禍々しい数多のチャクラに混じって、ほんの一瞬だけ見えたのだ。カグヤの内で感じていた物、目の前で蠢くソレから感じるものとは異なる気配を。正体の分からないチャクラを。

 

「その時に生れたのがお前だ。生み落とされたのは、もっと後だがな」

「何ガ言イタイ……インドラ……」

「お前はカグヤを『喰らった』支配欲そのものだ――…だからお前は、愛情深かった祖母の心に触れたことがない」

 

 かつてうちはオビトをも越える六道と成りて、仙人の力を神樹と共に完璧に制してみせた。忍界において最も六道の力に近づきし者と言っていいだろう。

 そんなマダラが自らの眼を通してカグヤの中に視たのは、誰が傍に居るわけでもなく、誰の目に映るわけでもない、暗闇に独りうずくまる何か。古の時代に実を喰らって奥底に追いやられた、本当の意味での意志と悟るのは、さほど難しいことではなかった。

 

「支配の絶えた世界など解るまい。無限の光が導く先には争いのない、揺るがぬ安寧秩序があるのだろう。だがお前の望む独り善がりの平和では何も生まれん。長い歴史の中で幾度となく感情をぶつけ合うからこそ、人々はいくつものまとまりを手にして、ひとつに束ねるのだ」

 

 自分達だけで成せることは知れている。本当に為すべきだったのは、その夢を後の者達に託すこと。死の間際に千手柱間が口にしたことだ。黒き意志が望む支配は彼の語った言葉とは正反対のもの。

 まとまりとは独りだけの、支配による世界でも生まれるものだが、仙人の下に創られる世界では意味が異なる。逸れて彷徨うソレは今まさに孤独を象徴している。

 

「そして、かけがえのないものとして、傍に置こうとする――…奴らがそれを何と抜かすか分かるか?」

「奴ト同ジコトヲ」力ない呟き。「……ソンナ不確カナモノデ。オレノ物語ハ間違ッテナドイナイ……世界ニ安寧秩序ヲモタラサンガタメ……窮極ノ神ト兵ヲ作リ出ス……ソレコソガ。コレカラ忍世界ニ降リカカルモノ共ヲ退ケル、唯一ノ方法ダッタンダ」

 

 泥の中から一本の黒い手が生えると、頭上に向かって伸び始めた。空に瞬く星々を掴もうとするかのように。それはあまりにも弱々しいものでしかない。

 自嘲かはたまた余裕か、こもった笑い声が泥の中で音を立てている。

 

「夢ハ永遠ニ潰エタゾ……忍トヤラハドノミチ朽チルシカナイ。止メラレルトデモ思ッテイルノカ」

「知ったことか」マダラは笑う。「後の世代の者にしか判るまい。凶が勝るか吉が足掻くか……それは永く生きたオレにすら判らんことだ。お前にもな」

 

 何者にも背中を任せず、自分の前だけを歩かせる。最期までそんな生き方を貫いた輩の吐くべき言葉か否か。だがあの男なら、千手柱間であれば、似たような言葉を口にしたに違いない。どこまでも甘くはあったが、生意気なほどに芯の通った強かな忍だった。

 柱間が言ったように、夢は己だけで成し遂げるのではなく、後の者達に託して任せることも大切であると――それが正しい世界の在り方であると。無限の夢とは虚しいだけの紛い物で、孤独な世界でしかないのだと。

 皆の力で叶える夢こそ、忍の本当の夢だったのだと。今なら認めざるを得ないだろう。

 

 個にのみ執着した意志は、千年前から否定し続けてきた繋がりの力によって敗北に帰した。この事実を受け入れることは、個による支配を否定することに他ならず。地を這いずる理由など語るまでもない。

 

「ひとつだけ言ってやる。お前の言う『作品』とやらも、脆いものばかりではないとな」

 

 青々しい衣をまとって進み出る。

 ただっ広い静かの海で、一筋の光が空へと昇った。

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