THE LAST PHANTASM -OBITO- 作:大兄貴
雲一つない晴天、初夏の息吹が髪をなびかせる。
境界の妖怪・八雲紫の傍には、冷徹な目を持つ黒髪の男がいる。
「変わったものだ……ここも」
うちはマダラは腕組みしながら一人こぼす。死人ゆえに肉体は塵芥でできた紛い物であり、目と瞳の色が反転した眼を宿している。紫は扇子で口元を隠しながら上品に笑う。
二人が立っている場所は高い崖の上。大小様々な建物の群が遠方まで広がっている。集落や村と呼ぶには規模が大きく、都と呼ぶには小さいかもしれない。やはり里という言い方がよく似合う。
里を挟んで遠目に視える反対側の崖には、誰の物なのか六つの巨大な顔が岩に彫り込まれている。
姑息で卑劣なニオイがする岩には目もくれず、最初にマダラが捉えたのは誰であろう、一番左側にある間抜けな岩。戦乱の世でしのぎを削り、この里を一緒に興した友でもある。ちなみにその孫娘はすでに影の椅子を譲り、何でも今はだらしなさそうな人物が座に就いているようだ。
「どうかしら? 気分は」
「何とも思わん」マダラは無感情に言う。「オレの知る物には遠い。本来なら黄泉に居るべき死人……奇怪に映るのも仕方あるまいが」
死人の時間は死した時より止まる。今の時代を生きる人々にとっては当たり前の景色も、マダラには見知らぬ異物にしか映らない。死人など過去の存在に過ぎないというのに、未来を生きているかのように錯覚してしまう。
ここはマダラのみならず、かつて幻想郷に迷い込んだうちはオビトも生まれ育ったという『忍』の隠れ里。時間も空間も異なる別の次元であり、季節も向こうはもうすぐ冬になる。
冬眠に入る時期であるのも重なり、紫の貌には疲れの色が見える。様々な経験を元に独自の理論を組み立て、いくつもの時間を跳躍して、いくつもの空間を越えて、ようやくここまで赴いたのだ。
そんな彼女に労りの言葉を贈りもせず、里の景色を眺めているマダラに、あくまで上品さを維持しつつ文句を投げつけてみる。
「できて当然だ、みたいな顔してるけど。こんなに遠くまで繋げるのって大変よ? 開けばいいってものでもないんだから」
紫の能力は境界操作。一つの事象に境界線を引いて真っ二つにしたり、元に戻すことも自由自在。生と死や時間など、不可逆的な事象を除けば、あらゆる境界を弄ることができる。だがそれらの力は、紫自身の超越的な頭脳があればこそ。スキマとは無数の複雑な計算式で成立する繊細な代物だ。
外の世界とを行き来するだけなら、襖や扉を開くような手軽さで済む一方、全くの別次元に存在する異界に足を踏み入れるのは容易ではない。後の調査により、かつての黒ゼツが瞳術と十尾のチャクラにより干渉を行った大結界の穴を解析して、長い時間をかけて必要な計算式が導き出された結果、こうして『忍界』の地を踏むことができた。月の異変が終息して早々に着手したというのに、随分と時間を費やしてしまった。
「――っていうあんただって、最後は全部丸投げしたけどね。一番汗水垂らしました大賞はこっちでしょうが」
彼女の手伝いをした――させられた者こそ、ここに居るもう一人。紫と同様に大結界の管理にかかわる博麗の巫女、博麗霊夢である。マダラと紫にお供する形で訪れたのだ。その視線はどこに向くでもなく。
(……色々あったもんだわ。ほんと)
このマダラという男と一緒にいると、あの悪夢が嫌でも思い起こされる。
幻想郷に始まり、月を覆い尽した前代未聞の異変。当時は地上の民代表として都に残り、幻想郷に帰ってからも何かと異変に関連する情報は耳に入っていた。
無限月読。あの大幻術を除けば、地上の被害はほとんどなかったが、都はあれからしばらく復興に尽力していた。
月のまとめ役である綿月姉妹を始めとする軍人玉兎達、都でも高い位に座る稀神サグメや月の使者、さらには将棋や餅つきをして毎日を呑気に過ごす一般玉兎さえ駆り出されていた。特に依姫やサグメは、過労死を危惧するほどに連日連夜働き詰めだったらしく、月のお偉方が住む宮と都を何度も行き来していたようだ。
理由は言わずもがな、大半が十尾という名の化け物で埋め尽くされていた。国産ノ狭間において綿密な調査が何度も行われたようだが、異空間に存在したはずの天体は忽然と姿を消して行方不明、結局のところ手がかりは一部のみで相当に難航したとか。都が元の姿を取り戻しても、依姫達は上の連中から延々とこき使われていたようだ。
元来の『異変』と違って黒幕が消え去り、十尾が入っていた封印石も失われて、残りは朽ちた根の残骸くらいしか、形ある手がかりがなかったのだ。しかもそれすら役に立たず、真実を日の当たる場所へと晒すには至らなかった。月の高度な技術を駆使してもロクな情報が集まらず、いまだにあの異変の全貌は明かされていない。
そんなわけで、呑気に祝勝会を開催する暇も余裕も都には皆無で、依姫達に知る限りの情報を渡して早々に地上へ帰還した。結局は当事者と紅魔館の連中だけでひっそりと開き、その中身も休養と適当に駄弁るだけの静かな宴。異変の規模と程度だけに、大勢の人や妖達を招いた大宴会となって然るべきところ、思いのほか小規模で地味だった。
主な理由はレミリア。素知らぬ貌で振る舞っていた様子だが、すっかりやる気を失っていたのは明らかだった。マイペースに拍車がかかり、何を話しても会話は上の空。彼女はいわゆる異端者など、面白味の強い人間がこの上なく好きなのだ。
戦いの場に居た他の三人のうちの一人、グルグルことオビトとは、あれ以来は顔を合わせていない。風の噂一つ耳にせず、紫に尋ねても何も教えてくれない。
自分なりに幻想郷中を飛び回ってはいた。地底に侵入して『旧都』を訪ねたことも含めて、僅かな可能性を辿って色々な場所を巡りはした。文の協力まで得たりもしたのに、結局は全てが骨折り損で終わってしまった。
「あんたさ」霊夢が腕を組んだ。「あの後、どこで何やってたの? 秘密主義も度がすぎると老けるよ逆に」
「前に言った通りよ。棚の羊羹は常に四個以上、お饅頭でもいいわ」
「ったく、ほんと……」
胡散臭すぎる笑みと雰囲気を除いても、この妖怪が何かをペラペラと話す時は、決まって隠しごとや裏があったりする。こんな時こそ特別な瞳術でもあれば聞き出せたかもしれない。後に『
「とっくに終わったことを蒸し返してもねえ。過去の異変に囚われるのは、巫女として一番あってはならないのよ」
「古臭い慣わしを持ち出すなら」霊夢は落ち着いている。「あんたこそ、なんにも分かってないけどね。紫」
幻想郷における『宴』には特別な意味合いがある。黒幕を含む当事者全員と――今回の輩は例外として――酒を酌み交わしてこそのものだ。その当事者どころか主役が居ないのでは、せっかくの催しも単なる祝勝会に成り下がる。内心では誰より好んでいるレミリアが無気力状態に陥ったのも頷ける話だ。
つまり幻想郷で言う『宴会』は実質的に行われていない。締めがなければ当然、異変はまだ続いていることになる。外の世界では家に帰るまでを遠足と言うらしいが、博麗の巫女に言わせれば宴会に幕を下ろすまでが異変なのだ。
「本当……変わらないねえ。いつまで経っても」
とは言っても霊夢自身、紫とはそれなりに長い付き合いだ。秘密主義に凝り固まった輩から真相を聞き出すことはできない。その程度は重々承知している。
だからいつの日か、ひょっこり姿を見せた時にでも話せばいい。煎餅でもかじりながら。
そっぽを向いた巫女を暫し観察した後、いつの間にか背を向けていた姿に声をかけようとした。
マダラは振り向くなり、手に持っていた物を無言で放る。紫は少し驚いた様子で受け取った。僅かに色褪せているが、表面に豪華な細工が施された銀の指輪だ。
「あら、なあにこれ? ぷろぽーずとか?」
「時間だ」無視したマダラ。「その前に受け取らねばならん物がある。こっちもな」
扇子を閉じた紫。小さなスキマがすぐに展開された。
紫の手のひらに落ちたのは、球状の何かが入ったガラスの瓶。中身は黄色味がかった液体で満たされている。マダラは里の方に視線を戻した。
「それでは」紫は息を吸った。「――うちはマダラ。今一度問いましょう。知っての通り、幻想郷は善人も悪人も分け隔てなく受け入れる、異端者の楽園……貴方が示すのはどちらの道ですか?」
幻想郷。妖怪を始めとした非科学的な事象など、外の世界で否定されたものが集う場所。そこでは日々善行を積む僧侶に始まり、大勢の命を殺戮し尽くした罪人に至るまで、種族や死人か否かに関係なく、ありとあらゆる人や妖達が身を寄せている。
かつて月の眼を以って世界を滅ぼさんとした者とて例外ではない。マダラですら幻想世界の民として受け入れられる。その一方で、世界の管理者たる彼女には、それを強要する権限などなく、強いる気もない。本人が望まない限りは何も言わず言えない。
この場所に赴いた時点で答えなど言わずもがな。紫としても管理者として形式上の問いを投げかけたに過ぎない。
「道筋からは逸れたがな。今となっては仕方のないことか」
黒ゼツの手中にあった左眼は取り戻したが、右眼は最後まであの男に収まっていた。
酒の席に隻眼で戻るというのも、うちはの血族としてなら気は進まない。相応しい物を土産にしなければならない。
かつて利用した傀儡であり、自身に最も近しい者の力。暫しの間だけ預かっておけばいい。
本当の眼を返してもらう、その時まで。
受け取るやいなや掌が燃え上がり、離れた場所から眺めていた霊夢が飛び上がる。紅蓮の火に呑み込まれた瓶は中身ごと蒸発して消えた。
「人を待たせているのかしら?」
何事もなかったように里を一人映している。すでにその体を、ぼんやりとした光が包み始めていた。
かつての異邦人にも似ているが、振り向かず背を向けたままだ。変えたのはおそらく別のものだろう。
「それもあるが……席がもう一つ要る。酒の味も知らぬ小僧だがな」
最後に紫は何も言わず微笑み、踵を返してスキマの方へと歩き始めた。霊夢が慌てて後を追う。
スキマに歪みが生じている。別の次元に在る幻想郷からこれほど離れると、境界の力もそう長くは持たない。結界に生じた隙間が完全に修復されれば、この世界に近づくことはないだろう。
一人残ったマダラを振り返る霊夢。紫の揺るぎない視線はスキマに注がれている。
「早くしないと閉じちゃうわよ」
「分かってるっての!」
一足先に入った姿を追って飛び込んだ。
裂け目は二人が居なくなった後も開いていたが、それもやがては瞼を瞑るように閉じて消えた。
風と共に崖の上から、忍の世界から。
無数の塵芥が涼やかな風に吹かれる。少しずつ意識が遠退いていく中でも、その黒い瞳は里を映し続けた。腕組みが解かれたのは一人になった後だった。
「木の葉舞う里、か。これがオレたちの……」
里の命名者は他でもない自身。疾うの昔に捨て去った名と人々ではあったが、友と一緒に酒を酌み交わした今となっては感慨深くもなる。思えばあの時も、こうして崖の上から集落を眺めながら、二人で夢を語り合っていたものだ。
たかが数年で実現できるものではない。第四次忍界大戦という大きな戦争が終わり、いがみ合っていた五大国が一つにまとまっても、平和に仇なす者達は居る。そういった輩が再び争いの火種を起こさないとも限らない。血で血を洗っていた忍の世界では厄介事が尽きないものだ。
だからこそだ。長い時間が必要だと、死の間際に柱間は言っていた。
いつの日か五大国のみならず、皆が一つになれるようにと。あの男はそう願っていたのだろう。
今ならはっきりと言えることがある。酒の席で口にしてみるとしよう。
(柱間……オレにも見えているぞ。
友の手を振り払ってまで、守りたかったものがな)
青空を仰いだまま静けさに身を投じる。
楽しげに笑う二人が、瞼の裏に見えた気がした。
――◇◇◇
忘れられた者達の集う楽園、ここは幻想郷。
博麗神社の巫女は今日も境内を適当に掃除した後、いつものように縁側で茶を啜りながら一息ついていた。日向ぼっこにはちょうどよく、仰向けに寝転んで体を伸ばす。
「今日さ、満月だろ? 月が一番いい感じの夜だ」
普通の魔法使い、霧雨魔理沙が隣で煎餅を頬張っている。霊夢はだらけながら顔を向けた。
「何それ告白? 気持ち悪」
「寝ぼけんなよアホウドリ。月見酒だ月見酒。今夜久しぶりに飲もうぜって話だ」
「そうだったっけ」
何ともやる気のない返事を返す霊夢。魔理沙は呆れたように笑い、傍に置いてあった『文々。新聞』を広げる。
少し前までは、文が頻繁に訪れてはしつこく取材を頼み込んできていたが、現在はぱったりと止んで物寂しくも落ち着きのある、普段の見慣れた境内に戻っていた。その時の記事にでも目を通しているのだろう。
霊夢は随分と前に読むのを止めた。魔理沙や当事者のアリスなど、一部の人や妖怪からは興味関心が消えていないようで、遠路遥々ここを訪れては話を聞きたがる者も多い。かの有名な『月の都』が舞台である上、肝心の黒幕がいなくなり、宴と呼べる宴も開かれなかったという、幻想郷史上例を見ない異変だったのだ。無理もないと言えばその通りだが、霊夢はいい加減にうんざりしていた。
それもこれも全ては気まぐれな秘密主義者のせいだが、あれ以来は一度も姿を見せていない。使いっ走りの式神が無駄な定期連絡と、巫女の職務に関する一銭の得にもならない確認作業をしにたまに訪れるだけで、結局はいつものだらだらとした平穏な生活に逆戻りしてしまった。
幻想郷の結界維持には何の影響も出ていない。元よりこの件に限らず、これまでも隠しごとなど多々あった。あの妖怪が何も言わない以上、捨て置いても世界の存続には関係ないのだろうが、個人としてはすっきりしていない。
然るに結果はご覧のありさまである。いつか紫が言ったように、博麗の巫女という世界のバランサーとして、いつまでも過去にこだわるわけにもいかなかった。
「あの時のこと、考えてんだろ? 私もだ。あの場に居たんだからな」
新聞紙をくしゃくしゃに丸めると、涼しい顔で背中越しに放り投げた魔理沙。底抜けの笑顔が霊夢に向けられている。
人妖達から質問攻めにされた一人であるはずが、うんざりとはしておらず、清々しい表情すら見せていた。
「そこまでじゃないけどね。あんたこそ、そこら辺を飛び回ってるって聞くけど。たまに」
「へへっ。『博麗の巫女』じゃないからな。過ぎたことでも、ふとした時に興味関心を戻したりするんだ。だからこうやって、古い記事を読んでは思い出して、懐かしさに浸るのさ」
陰鬱な表情を見せる者は誰もいない。魔理沙はあの異変をも楽しい思い出の一ページに挟んで、頭をよぎった時に取り出しては回想して懐かしむという、物好きな遊びを繰り返していた。
自作のアルバムを開くように、ゆっくりと丁寧に。
「……毎日楽しそうねえ、あんたって」
当時の新聞を手元に残していたのだから、人のことは言えないのかもしれない。それ以上は突っ込むのを止めた。あんまり同調すると、堅苦しい表情で煎餅をかじる姿を思い出して、堪え切れずに噴き出してしまいそうになる。
やはり人のことは言えない。そう思いつつ茶を啜る。
「うーん、まあ。いいんじゃないの」
「あん?」
「『あん?』じゃないよ」霊夢は腰を上げる。「月見酒なんて風流じゃない。用意しとくから今夜、適当な時間に来いっつってんの。アリス辺りも呼んできたら?」
「月見酒だって?」
魔理沙は何故かぽかんとする。手に持っていた茶菓が膝の上に落ちている。
「……ああそう、それな! そうこなくっちゃ! さすがはお前だ、話が解る!」
「なによ、言い出しっぺのくせして――」
盆に置かれた湯呑みを取り、喉を鳴らして一気に飲み干す魔理沙。困惑しながらも仕方なしに笑う霊夢。
本人も知ってか知らずか、あからさまに何かを誤魔化したように見えたが、面倒だったので突っ込まなかった。
境内に出て空を見上げると、眩しい日の光が目に入ってきた。
辺りが暗く静まり返り、神秘的な色の光に変わった時、あの月は煌々と輝く。
博麗の巫女として、博麗霊夢という人間として、盃を交わせる瞬間があるとしたら、それが見られる時だろう。
「それじゃあ、また夜にね」
思いのほかあっさりとした挨拶は、縁側で寛ぐ魔理沙ではなく、のんびりと雲が漂う青空に向かって投げられた。
この言葉はきっと、月が地上を見下ろした時に届くのだ。
満足げに息を吸い込むと、霊夢は晴れやかな顔で歩き始めた。
終