THE LAST PHANTASM -OBITO- 作:大兄貴
うちは煎餅。たかが和菓子の一端などと、ゆめゆめ侮ることなかれ。
雑多な代物とはそもそも次元が違う。代々うちは一族にのみ伝わりし特製のタレ、うちは秘伝の醤油を用いて焼き上げし神の賜物は、現存する全ての煎餅の頂点に君臨すると評してもいい。製法は門外不出、暁の情報収集役だった者の力をもってしても困難を極めた。
――その源流は血で血を洗っていた戦乱の時代にまで歴史を遡る。「六道仙人が創造せし崇高なる味」との噂だった煎餅の秘密を狙い、総力を挙げて攻めてきた千手一族の一角を、たった一人のうちはが殲滅し尽くした。伝説という面ではうちはマダラにも比肩し、伝説を超えて生ける神話とも語られたとされる、幻のくの一『うちはオセン』。類稀なる戦闘技術はもちろん、菓子作りにおける天賦の才、特に煎餅で右に出る者はいなかったという。
そんな彼女も長きに亘る戦乱の中で仲間を庇い命を散らした。しかしながら、後に遺された最高の伝統製法『うちは煎餅』は、木ノ葉隠れの里を経て、忍世界のどこかで受け継がれていることだろう。
今も変わらず、どこかできっと――。
ついさっきまでオビトは、声をかけてきた何者かと対峙していたはずが、再び長台の店員へと顔を向けていた。妖精に買い与えた菓子が最近の記憶を呼び起こしたのだ。
博麗神社で食した残り物の煎餅。あれは味こそ良くても、うちは煎餅に比肩するほどではない。程遠いとさえ言えよう。
舌を通じて懐かしさを味わったのは事実である。遥か昔に口にした記憶があるような。忍界中に轟いたうちは煎餅の名が容易く忘れ去られるはずもないが、心をかき乱す違和感を真実と仮定するならば、製法のほんの一部が幻想世界で花を咲かせているという、一抹の可能性を露呈させる。
背中を打つ何者かの声も届かず、今度はガラスの向こうを注視する。年季の入った木製の札には『スキマ煎餅(海苔)』と書かれているだけで、肝心の煎餅が並べてあるはずのトレイの上には何もない。
店内の中央辺りを眺めていた店員に在庫を確認するも、困惑した表情で「完売だよ」と首を振った後、すぐに「向こうはいいのかい?」と付け足した。
「ひとつ頼みがある。こいつの製造工程を今すぐ一通り、オレに見学させてくれ」
「え? いや、あっちは……?」
すかさず願い出ると店員がうろたえる。やはり簡単に話すつもりはない様子。この程度で諦めるうちはではない。
「金なら払おう。当てがある。案ずるな、真実がどうだろうと製法は口が裂けても他言しない……墓場まで持っていくと約束しよう」
「山の皆にばらしたりとかしないわよ、わたしも。約束するわ」
勢いに乗せられたのか、お得意の真似事なのか同調する妖精。店員は明らかに取り乱しかけている。
「あ、いや。そうじゃなくて。さっきから彼女が……」
「彼女だと? なるほど、そいつが拒んでいるのか。ならばオレが話をつけてやろう」
「――こらあっ! 堂々と無視してんじゃないよ、このグルグルしわ白髪っ! 本当に引き裂かれたいのかしら!?」
店員の制止に屈せず、カウンター横の扉を勝手に開けるなり、お構いなしとばかりに奥へ入ろうと試みていたオビト、悪戯な表情の付き人ならぬ付き妖精。物好きな二人は怒った少女の甲高い声を聞いて、ようやくテーブルの方を振り返った。
「喧しい小娘だが……何者だ?」
「レミリアっていう吸血妖怪で、湖の洋館に住むお嬢さま。夜雀よりおっかないから、できれば会いたくなかったんだけど……饅頭と天秤にかけられちゃなー。わたしのバカ」
優雅に上品に、物静かに腰かけていたであろう少女。露骨に無視されたからか相当に憤っている様子で、小さな足を動かしてオビトに近づいてきた。よく見ると蝙蝠の羽を生やした客だった。
背丈は幼子そのもの、淡い水色の髪、ドアノブカバーに酷似した形状の白い帽子を被り、お守か付き人らしき人物を脇に従えている。波打つ銀髪、見た目は十代半ばから後半、名称不明のフリルだらけの服装。紫の派手なドレスや霊夢の腋出し巫女服と同様、忍界には類を見ないか少ない奇抜な格好である。
「素晴らしき居城の主たるレミリア・スカーレット……興味関心で煎餅ごときに劣るなんて、生まれて初めての経験よ。少しは私の美しさに見惚れないのかしらね、外来人さんは?」
庶民の和菓子屋に居る高貴なお嬢様。この手の厄介そうな輩の出現も想定の範囲内だった。幼子に見る飽くなき好奇心や探究心を振りかざして、好き勝手にまくし立てるタイプだ。
付き合うだけ無駄な時間を過ごす破目になる。そう思って早々に店を出て行こうと、妖怪の客に満ち満ちたテーブルの脇を過ぎようとしたが、少女は眼を光らせつつ進み出て通せんぼした。従者の方はと言えば、どこか申し訳なさそうな様子で目配せしたような気がした。手を焼かせる主人のようだ。
――ただ一つ。見かけが小さいだけで、黙っていれば恐ろしいカリスマ性というか、凄まじい威圧感を覚えたかもしれない。残念なことに十中八九幼すぎる性質のせいだろう、本来なら感ずるであろう大物の雰囲気が彼女にはない。
「オレに何か用か?」
「いいえ、なにも」即答する少女。「面白そうな子を見つけたから、声をかけただけ。気に障った?」
声をかけるのは良い。用もなしに引き止めるとは。愚民にでも語りかけているつもりなのか、初対面でこの気取りようと表立つ自信。あるいは気まぐれな性分で、風のように自由気ままに生きているだけなのか。嫌味や悪意がない辺り、後者なのかもしれない。
レミリアと名乗った人物は、小さな牙を覗かせて不敵な笑みを浮かべている。従者らしき少女は口を開かない。従者の方はともかく、感情が高ぶりやすそうな帽子の少女が妖怪か否か、その程度の判断は本人に尋ねるまでもない。現状では『館のお嬢様』とさえ判れば十分だ。強いて気になるのは、妖怪のレミリアがどれほどの使い手かである。
念には念を入れるべきと判断して、オビトはチャクラを練って両眼に集中させる。
(こいつ……)
写輪眼はチャクラの流れを透過して色で識別する。たとえば博麗霊夢の場合、霊力と気力という二種類のチャクラで満ちていた。
レミリアの場合、妖力はもちろん、魔法使いの魔力、人や鬼の気力をも併せ持つことに加えて、各々が膨大な量を誇り、山の白狼天狗やミスティアの比ではない。妖精の情報と牙や蝙蝠の羽からして、紫が話していた吸血鬼と呼ばれる種族だろう。人間や妖精は元より、並の妖怪を容易に引き裂く力量を持つことになる。
子供っぽい性格はともかく油断のならない相手だ。敵対するかは向こうの出かた次第となる。
「ふうん? なるほどね。綺麗な眼」
店員は「あちゃー」という顔でやり取りを眺めている。他の客は最初に少しだけ視線を投げただけで、今は各々食事を楽しんでいる様子。近くにいる白い顔の客はまだ和菓子に見惚れている。
妖精や店員が見守り、食休み中の妖怪達が視線を向ける中、高潔なる吸血鬼の目が細まった。
「けれど、さっきまでは黒かったはず……貴方の能力かなにか? あの薬売りの親類だったり? それとも私の?」
「質問の多い奴だ」オビトは素っ気ない。「吸血鬼とはこれほどのチャクラを……ミスティアの奴にしろ、年端もいかん奴は常識破りか。大した小娘だ」
「心外ね。これでも年上のお姉さんよ? 貴方が生まれる何百年も前から生きているの。だから敬いなさい」
主導権を相手に握らせず、掌で転がしつつ行う会話。しかも暇潰しで。本人の我侭っぽい性格を思うに、果たして悪気があるのかは不明だ。
終わりなき輪廻へ突入する前に話を切り上げる方が無難だ。レミリアとは何の因縁もない。妖精の頼みで菓子を買いに来ただけで、これ以上は滞在する理由も必要もない。何より煎餅がない。
オビトが息を吐くと、レミリアは再び牙を覗かせる。
「ため息で幸せが逃げたわね。名案があるのだけど、私の館にいらっしゃらない? これから」
「館?」オビトは胡散臭そうに聞き返す。
「そう。『紅魔館』――素晴らしく壮大にして、我々の誇り高き居城。決して退屈はさせないし、きっとお気に召すと思うわ……貴方ならね。どうかしら?」
問いかけるだけで与えられる選択肢は一つ。何をどう見て気に入るなどと思ったのか。
相当な自信がある様子だが、目的地に困っていても誘いには乗らなかっただろう。退屈も何も面白いことを探して里を訪れたわけではない。世界の各地を見て回るならまだしも、無用な者にかかわる必要性が見出せない。レミリアの住居に黒ゼツが邪魔しているなら、嬉々として足を運ぶとしても。
「悪いが止めておこう。新鮮な物事は多いが、悉くに興味が湧くわけではない」
現在は親切な妖精の案内を受けて、人里を見て回っている最中。妖精は吸血鬼が怖いのか、先ほどから背中の辺りに隠れて黙り込んでいる。怯える様子を見るに、レミリアの場合はやや宝の持ち腐れにも思えるが、本人の力量は相当なのだろう。
「遠慮しなくてもいいのよ?」
「そんな気はない。結構だ」
「本当の心をさらけ出しなさい。この私から直々にお誘いを受けるなんて、とっても光栄なことなのよ? ほかの外来人なら羨ましがるでしょうねえ」
「興味はないと言っている。何度も同じことを言わせるな」
するとレミリアの目元がピクリと動いた。吸血鬼でも幼子ゆえか火が点くのは早かったようだ。
「なんですってェ? せっかく親切で誘ってるってのに、その失礼極まりない冷めた態度はなんなのっ!」
「お嬢様。周りの目もありますので」
レミリアの豹変ぶりは霊夢と似通っている感じも否めない。昼間なら里の自警団でも踏み込んできたかもしれない。女性は呆れた様子を見せないだけで、騒ぎご法度の人里ゆえか居心地悪そうにしている。
これに関しては本人というより、妖怪らしい色彩の濃さが原因である。妖怪は長寿で体も頑丈である代わりに、精神面が未熟で感情を高ぶらせやすい、という紫の談。子供っぽい我侭な性格が拍車をかけるせいで、レミリアの場合は尚更にそう感じられる。
「なんとでも言え……これがオレだ。何故そこまで食い下がる?」
「当たり前でしょう。愉悦を感じる相手を前にして、何もせず放っておくとでも? そんなの非常識だわ」
問答無用である。同じ流れの繰り返しでは進展しない。従者との落ち着いた会話ならまだしも、レミリアのように子供っぽさ全開の人物となれば、下手を踏むと悶着に発展するおそれがある。里内での騒ぎは避けたいところだ。
「もういい」オビトが流れを切る。「……レミリアとか言ったか。オレは今、別の用で里を訪れている。お前と長々話したい気分でもない。さっさと退け」
「退かせるってのも楽しそうよね。その眼はいったい何を映すのか? 興味があるわ」
レミリアの紅い目が探るように動く。オビトは先の発言を早々に後悔した。用もないのに気分で通せんぼする勝手な輩が、こちらの話に耳を傾けるとは考えにくい。
騒擾の気配が着実に満ちつつある店内。二人に注目する客が増えてきたようだ。困惑した表情の者、面白がって眺める者、野次を飛ばす者もいる。それでもレミリアは余裕の微笑を崩さない。
やがて沈黙を破り、従者が静かに口を開いた。
「……お嬢様。お土産も買いましたし、もうそろそろ館の方へお戻りになられては」
「ん? 館……」レミリアはちらりと妖精を見やる。「そうねえ――ありがとう、咲夜。貴方のおかげで楽しい遊びを思いついたわ。先に戻ってるわね」
「どういう――?」
咲夜と呼ばれた女性が首を傾げた瞬間、「え?」という声が近くから聞こえた。
「んひゃあ――!?」
間髪容れず悲鳴が響き渡る。悪魔の居城に興味を持たないオビトが目を離した隙を狙い、疾風のごとき勢いで接近して妖精を引っ掴むなり、瞬く間に身を翻して出て行ってしまった。
速すぎて目で追えなかったのか、店内をキョロキョロと見回す者もいる。
(何故こうなる……)
肉親や恋人など大切な者を奪われたとなれば、のれんを潜って脱兎のごとく追いかける者がほとんどだろう。面倒ごとに巻き込まれたも同然で立ち尽くすオビトと、呆然とした表情のまま取り残された咲夜。レミリアが消えるまで一秒も経っていなかった。
一瞬の静寂、間もなく妖怪達の話し声で満ち始める。何事もなかったような雰囲気が戻るのは早かった。
「えっと……申し訳ございません。お嬢様は意志の固いお方で。貴方を館の方へ招待したいようで」
主人に対する忠誠心からか、冷静沈着な咲夜が深々と頭を下げる。
「お前が謝ることはない」オビトは落ち着いている。「煮るなり焼くなり、とはいかんな。お前の主人の……紅魔館と言ったか。こればかりは思惑に嵌まるしかなさそうだ」
「よろしいでしょうか?」
「構わん。案内役が捕られてはな」
「ありがとうございます」咲夜はほっとした様子。「館までの道中、様々な危険に出くわす場合もあるでしょう――その時は責任を持ってお護りいたしますので、ご安心を」
咲夜は「それでは」と言い残すなり踵を返した。余所者にも礼儀正しく接して、予想外の災難に巻き込まれても冷静さを失わず、護衛も兼ねる従者。破天荒で無駄に行動力のある子供っぽい主人よりしっかりしていると思わせる。
足元に転がった饅頭を拾い上げる。捕まる寸前に驚いて落としたのだろう。レミリアに一杯食わされたのだ。
妖精奪還のために人間の里を離れるとなれば、当初の予定に大幅な変更を加えざるを得ない。案内役が居ない以上、里人に話を聞いて回りつつ探索する必要がある。
ここは『うちはオビト』を二手に分けて、厄介な輩に遭遇する可能性が高い紅魔館には一人目を、比較して面倒事が少ない里には二人目を残して役割を分担すべきだろう。もう少し先延ばしにする予定だったが、同時進行で所柄の把握を試みる方が得策だと判断した。
饅頭を懐にしまい、チャクラを練って印を結ぶ。
(『影分身の術』)
店内に煙が昇り、中から現われた瓜二つの男。紛れもなくオビト本人だった。
――影分身。自身の紛い物を出現させるだけの簡単な分身とは違い、本物の現身を作り出す高等忍術。実体ゆえに攻撃や会話など、分身にできないこと、本体にできないこともこなせる。二代目火影・千手扉間が開発した木ノ葉の里出身の術である。
発動に際して術者のチャクラを分割するために、本体と同様にチャクラを練られるが、それゆえに一定量のチャクラを用いる必要がある。分身の数を増やすと要求される量も増える。
ちなみに影分身と同様、悪名高き穢土転生の術を考案したのも扉間である。死して眠りし者の魂を叩き起こして、戦力として無理やりに利用する冒涜っぷりから、忍界において彼は度々『卑劣』と称されるようだ。忍界大戦で死者達を駒として利用し、此度その術で魂を浄土から口寄せされた身として、思うところがない術では決してない。むしろ切っても切れない因縁で結ばれている。
知らぬ者はいないと思わせる、分身という忍の代名詞的な術を目の当たりにしたからか、店員や食事中の客、菓子を選ぶのに夢中だったもう一人の客も、出入り口付近で待っていた咲夜も注目している。非常識な事象が蔓延する幻想郷に忍が存在しなければ、忍であるオビトが使う忍術は珍しく映るだろう。
ガヤガヤと騒がしい中、ショーケースの前にいる客が話しかけてきた。
「あんた、忍者だったのかい。外来人がいきなり紅魔館の主に目ェつけられるなんてねえ。なかなかの厄日だ」
「迷惑な話だ」オビトは顔を向ける。「アンタも妖怪ってやつなのか。気にも留めていなかったようだが」
「似たようなもんさ。どっちかと言えば、あんたに近いけどね」
「外来人か」
「でかい異変があってね。そん時に成り行きでさ」客は飄々と笑う。「あんたはまだ、右も左も分からないんだ。せいぜいお気をつけなすって。あそこは幻想郷でも異色で、厄介者の巣窟だからねえ」
「厄介者か……話を聞かない連中なら、さらなる厄日になりかねんな」
咲夜はマシな部類どころか、少なくとも第一印象では相当な常識人。主人の印象が幼すぎるせいか、尚更にもそう思えたのかもしれない。この世界では人も妖怪も、きちんと均衡をとって関係を保つようにできているのか、その真相は定かではないが。
これからの行動も何かと波乱の多いものとなりそうだ。ゆったりと店を出て行く客の後ろ姿を、オビトは黙って映し続けていた。