report:超光速の粒子とその行方   作:Patch

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彼女は私に処分が下っていることを知っていた。
退学の意思があることを伝えると、彼女は険しい顔をした。どんな感情でそんな顔をしたのかはよくわからない。
気づけば思ってもいないことを言って、取り返しのつかない約束をしていた。


report:媒質中の光速度C‘を超える粒子

 私を嫌う生徒が大勢いることは知っていた。だからと言って、無様に選手生命を終わらせる瞬間を見たいというのは、どうにもいただけない。下品が過ぎる。

 気がつけば周りには大勢のギャラリーが集まり、観覧席には学園のお偉方が座っていた。揃いも揃って私が恥をかくところを見たいらしい。学園を去るに足る理由がまたひとつ増えた。

 

 私はアグネスという家柄に産まれた。規模は小さいがそれなりの名門であり、家には執事がいた。メジロやナリタ、メイショウなど、ウマ娘はレース出走名に屋号を含める者が多い。私にもアグネスという屋号があるがアグネスの名前を持つ生徒は私以外にも存在する。

 幼い頃はアグネスの最高傑作ともてはやされた。私には才能があった。素質があった。実力もあった。だが、丈夫な体は持ち合わせていなかった。

 お前はアグネスという名に収まらないほどの大きな活躍をするのだと、皆が期待していた。私はそんなものに興味はなかった。

 私にあったのは、探求したいという欲望だけ。理由を知らずに結果を追い求めるのは幼い頃から忌避感があった。そのせいでたくさんのひとを振り回してきた自覚がある。

 どうしてじいやの耳は変な位置についていて、なぜそんなにもくしゃくしゃのかと聞いて困らせた。じいやのしっぽが無いのを不思議に思い、カーテンを引き裂いてじいやのためにしっぽを作ったこともあった。脚が速くなる薬と言って、砂糖を大量に入れたにんじんジュースを作り、シャツのボタンが飛ぶまで飲ませた。結局じいやの脚は速くならなかった。ウマ娘とヒトの違いを知ったとき、荼毘に付されたじいやを観察して、知らない人に殴られた。じいやのしっぽはその時に燃えてなくなった。だが、因果を明らかにせねば気が済まないという気持ちは未だに燻ったままである。

 

「芝2000、右回りでいいか?」

「お任せするよ、存分に私をいたぶってくれたまえ。」

 私はターフの上で、取り返しのつかない約束の精算をするハメになったのだ。

 今の時期は日照時間が増え、夏に向けて次第に暖かくなる。馬場状態は良。適度に芝が伸びており、クッション性と反発力がある。最終コーナー出口から直線にかけて内側が荒れていることを除けば、かなりの高速馬場である。当レース出走者は2名。内枠は私だ。駆け引きは不可能。私の脚が壊れかけであることを加味すると、脚を溜めることはできない。コーナーで速度を上げて遠心力を維持したまま外目に脱出し、直線で良い馬場を踏まなければ勝ち目は無い。

 ぎゃあぎゃあと騒ぐ声が耳障りだ。空は快晴。人をバカにするかのような青空で、お天道さまが私を見下ろしている。

 

 一瞬の静寂。焼きそばを売るウマ娘の声、ゲート解放。

 完全に出遅れた。集中力を欠いた。風を切る音が隣でするのとほぼ同時に、目の前を光が駆けてゆく。

 蹴り上げられて舞う芝から春の香りがする。脚を動かせば景色は後ろへ消え去ってゆく。先をゆく背中はまだ遠い。

 最初のコーナー、外目から内ラチをめがけて体をよじる。腕がラチに当たって火傷する。火傷くらい紅茶で慣れっこだ。そのまま加速して2つ目のコーナーも抜けた。向こう正面の直線に出る。少しだけ背中が大きくなった気がした。

 ぎゃあぎゃあ騒ぎ立てるうるさいギャラリーが少しだけ遠くなる。気分が良い。アイツらのハナを明かしてやろう、まだ脚は残っている。あともう少しだけなら加速できるだろう。

 

 ウマ娘の最高到達速度は時速約70km程度であると言われている。目の前の背中はおそらくそれと同等の速度だ。

 これから、この前を駆ける栄光の背中を追って多くのウマ娘が駆けてゆくのだろう。後世にまで語り継がれる伝説として、ウマ娘のゆく道程を照らす希望の光と成らんとして、目の前の彼女は今を駆けている。

 

 顔に砂がかかる。口の中に泥と鉄の味がする。苦しい。だがそれがどうしたと栄光の背中が笑う。 

 光の速さは絶対である。目の前の背中は絶対である。きっと今はそうなのだろう。

 特殊相対性理論において、超光速で移動する粒子の存在は否定されていない。

 ならば、光の速さは絶対ではない。目の前の背中も絶対ではない。私はその絶対の速さを超える可能性が見たい。

 3つ目のコーナーに入る。芝につまさきを深く突き刺し、蹴る。もっと速く。遠心力だ、そのまま蹴る、もっと速くだ。

 直線か、もうわからない。

 もうすぐそこに、触れられるほど近くに絶対はあった。可能性は私の足に満ちている。

 

 日が傾いて西の空はほんのりと色づいていた。うるさかったギャラリーどもは鎮まり返っている。

「疲れた、心底そう思う」

 世辞だろう。結局、絶対の速さを超えることは出来なかった。だが、ギャラリーどものハナを明かすことはできた。良しとしよう。

 

「あの!」

静寂を破ったのは聞き慣れない声だった。目にたっぷりの涙を溜めた女がこちらを見ている。

面倒なことになった。

これならもっと長く走っているべきだった。まだ少しだけ脚が残っていた。




ゴルシちゃん焼きそば売るの自重して。

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