report:超光速の粒子とその行方   作:Patch

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トレーナーと昼食を食べた。
トレーナーの健康ためにスムージーを作った。
どうやら体を震わせて泣くほど嬉しかったようだ
飲み干すと、虹色に輝いてどこかへ走り去った。


report:衝突・発光

 最近彼女がラボを訪れない日が続いている。何かあったのだろうか。

まったくもって想像つかないことではあろうが、実のところ彼女と話すことは私の楽しみのひとつとなっていた。

 彼女には研究の一端を担ってほしいというという目的を達成するためには、友好関係を築く必要がある。以前「仲良くなった覚えはありません」と言われた。私はかなしい。

 終業の鐘が鳴ると、こうして湯を沸かす。いつ彼女が来てもいいようにポットにコーヒーを淹れておくのだ。トレーナーは七色に光ってどこかに行ってしまったので今日はオフだ。

 コーヒーを淹れるのも、だいぶ上手くなった自信がある。泥水ではない。味は苦くて、香りはコーヒーだ。私はどちらも飲みたくない。苦いのはキライだ。

 苦味というのはいわゆる「毒の味」である。本来は口の中に食物以外の異物が入った場合に嫌悪感を感じさせ、吐き出すためのいわば防御作用のための味覚だ。

 しかし植物は食いちぎられんとする我が身を守るためにこの味覚を逆手に取った。苦味のある物質を体内で生産するようになったのだ。「たべられないよ」と動物に思わせ、生存確率を向上させるのだ。

 それに対して甘味というものは苦味とは全くの逆と言っても良い。味覚としての甘味はおもに糖や脂質に反応する。これらは体内でエネルギーとなる。これらをより多く摂取するために動物は味覚を獲得した。

 どうしてわざわざ「たべられないよ」と味覚によって示されているにもかかわらず、苦いものを口にするのか。苦いものを「大人の味」とするならば私は子供でいい、甘いものがいちばんおいしいのだ。

 

 扉が開いた。虹色に光っていないのでトレーナーではない。

 妙な格好だ。彼女がジャージを着て立っている。

 

「おぉ!久しぶりだね!私が恋しくなったかい?」

「……トレーナーさん、いらっしゃらないんですか?」

「居ないよ、だから私も見ての通りオフさ。」

 

「……じゃあ、私はこれで。」

「おいおいおい!待ってくれよ!コーヒーを淹れて君を待っていたんだぞ!飲んで行ってくれないか!私は苦いのキライなんだよ。」

 今日のコーヒーはネルドリップだ。フィルタードリップと言うとペーパーフィルターが手軽で一般的だが、ネルドリップは綿の布を使用する。雑味がなくなって美味しくなる!とのことだか苦味は抜けないようだ。

 マグを差し出してみる。彼女はそれを一瞥して手に取った。

「……1杯だけ、いただきます。」

 

 おいおいそれだとポットの中身は全部私が飲まなきゃならないのか?冗談じゃないぞ。

 声が喉元まで出かけるが、それを抑える。私も成長しているのだ。言わなくても良いことは分かっている。また永遠のような沈黙を味わうのは御免だ。

 

 色素に乏しい薄い唇がマグに触れる。薄桃色のそれは私の視線をひきつけて止まない。

 不味くはないだろうか、豆はもう少し炒ったほうがよかったか、ミルの回転が悪かった、刃を研ぐか買い換えたほうが良いだろうか、香りは立っているだろうか、冷めてはいないだろうか、火傷はしていないか。マグに汚れは付着していなかったか、猫の柄のマグはやはりカジュアル過ぎたか。

 ただあるのは、彼女が私の出したコーヒーを口にしたという事実である。そして、30秒という永遠に近い時間が流れても、2口目を口にしていない。

 ここで「口に合わなかったか」と聞いてはいけない。彼女は正直かつ優しいから、きっと答えられずに黙ってしまう。だから別の話をしよう。きっとそれで良いはずだ。

 

「最近の調子はどうだい?そろそろチームに所属しても良い頃だろう?私は専属トレーナーとなったが、君はどうなるかな?」

「……私にも、専属トレーナーが着きました。」

 

「なんだって…?」

 

 ウマ娘をレースに参加させる上でトレーナー制度は非常に重要である。トレーナー制度は大きく3つに大別される。

 

 まずひとつはチーム制、これはひとりのトレーナーに対して少人数のウマ娘が師事する体制である。トレーナーによるスカウトやウマ娘の希望によってチームが形成される。強力なチームとなると、独自に入団試験を行うものもある。ウマ娘同士の切磋琢磨を促進するため、チームに所属することで頭角を現すウマ娘も多い。

 

 ふたつめは専属トレーナー制、これはチームに所属することが難しいウマ娘に行われる措置である。気性難であるとか、嫌われているとか、要するに私のことだ。

 あるいは類い稀なる才能を持ち合わせていると確認されたとき、承認を得て専属トレーナー制を行うことがある。

 専属トレーナー制はコストがかかるため、極一部のみに限られる。

 

 最後に教官制、これは教官と言われる人物のもとで大人数で行われる制度である。おもに入学直後のジュニアクラスが対象となる。

 教官はトレーナーに準ずる指導者であるが、大人数を指導するために適切な指導がされているとは言い難い。そのためチーム所属の踏み台のようなものだ。クラシッククラスに進級してもチームに所属できない生徒は学園から姿を消すことが多い。シニアクラスになってしまうとチームに所属していないものは皆無だ。

 

 彼女はこれと言った問題行動をしているわけではない。確かに理解できないことを言うこともあるが、そのようなウマ娘はいくらでも居る。

 やはり彼女は私の研究に不可欠な因子である。確信した。全身の毛が逆立ち、血圧が上がるのが分かる。

 

「……負けません。」

 目と眉が近づいた、いつもの傍若無人な顔になる。

 その通りだ。勝つためには誰も寄せつけてはならない。前に立つ者も、並び立つ者も許してはならない。蹴落としてでも、泥を被ろうともその先を征く唯一でなければならない。

「ああ、期待しているよ。」

 

 

「……コーヒー、美味しかったです。」

 いつの間にかコーヒーは無くなっていた。彼女は去り際にコーヒーにミルクを入れると良いと言った。甘くなるらしい。

 後からミルクを入れてはいけない、温度が下がる。砂糖が溶けなくなってしまう。

 

 沸かしたミルクでコーヒーを作る。今度はギリシャコーヒーだ。泥水ではない。もう泥水は十分に啜ってきた。

 

 角砂糖を3つマグに放り込んでコーヒーを口に含む。私も淑女であるから、音を立てて啜ったりはしない。火傷もしない。

 煮えたぎるような熱さも、今の私と彼女の前では冷水に等しい。

 

 優しい味と彼女の香りがした。




なんかタキオン童貞っぽいよね…

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