彼女と親しくなりたいので、普段飲まないコーヒーまで用意したのだが、返答はそっけないものだった。
ひとりラボに残された私は、自分の研究成果を見つめ直すことにした。
私たちウマ娘とヒトでは運動性能に大きな差がある。前提として、私たち哺乳類をはじめとする多くの生物は筋細胞を繊維状に束ねて筋肉とし、これを収縮させることで運動している。筋力はこの筋肉の断面積に比例して大きくなる。
しかしながら、ヒトとウマ娘を比較した場合この前提は意味を為さない。筋肉の断面積はヒトと変わらなくとも、ウマ娘達の運動性能はヒトの遥か上をゆく。一般的に”筋肉“と呼ばれ、身体の運動を担う随意筋のみならず、消化器官の蠕動や心臓の拍動など内臓の運動全般を担う不随意筋も例外ではない。
学園内のカフェテリアでは大量の食料を尋常ではない速さで平らげるウマ娘の存在がよく見られるが、それもこのウマ娘の体であるからこそ可能なのだ。
運動能力ではウマ娘は圧倒的な力を誇るが、ピークを迎えてしまえば最後、あとは衰退の一途を辿る。このピークは私たち中高生のうちに訪れることがほとんどである。
ウマ娘はこの短い期間を自分の命の限り走り抜ける。だからこそ彼らは、彼らとそう大差ない体で何倍もの速さで駆け抜けるウマ娘たちの姿と可能性に夢を見る。
そしてウマ娘は、新たなる夢と可能性を継承し後世へとバトンを託す。
「あなたの夢、私の夢は叶うのか」
トゥインクルシリーズ 宝塚記念の常套句である。
このレースは一年の上半期を締めくくる、最も格式の高いGⅠレースであるとともに、人気投票によって出走するウマ娘を決める特別なレースだ。故にグランプリとも呼ばれる。
私もこの体に夢を見た。しかしながら、その夢は叶いそうにない。自ら試作した試薬によって、つまさきが光っている。ここに、重大な筋負荷がかかっているという証である。
しばらく見つめていたら、光るつまさきがぼやけて滲んだ。ゆらゆらと揺れながら黄緑色に光るそれは、まるでホタルのようで美しい。なんだ、私にも殊勝なところが残っていたんだな、とひとりで嘲ってみせた。笑う者は1人も居ない。
日が傾き、夕日が窓から差し込む。安らかで暖かでありながら一日の終わりを感じさせる光は、私の仄暗く光るつまさきと対照的でありながらも、どこか似ている。外からはまだ溌剌とした掛け声が聞こえていた。
つまさきの働きはウマ娘の運動能力において重要な役割を担う。芝の敷かれたターフの上でも、柔らかい砂が盛られたダートであってもそれは変わらない。
ウマ娘の脚力はヒトのそれを遥かに凌駕する。ヒトが陸上競技で用いるようなスパイクでは耐久性が低く意味を為さない。そのため、専用の靴のつまさきにアーチ状の金具を取り付け、これを着用してレースに挑む。この金具はウシをはじめとした有蹄類の蹄に似ていることから「蹄鉄」と呼ばれている。
この蹄鉄部を、芝の上では地面に突き刺すように蹴り、砂の上では砂を握るようにして掻くことで推進力を得る。
私はそれができなくなってしまうのだ。自ら作った試薬によって、それが証明された。私はただ理由もなく裸になる女ではないのだ。
夜の帳がすっかりと降りて、溌剌とした掛け声は聞こえなくなっていた。
また、つまさきの光がぼやけて滲む。あぁ、ダメだと思ったが、今回は抑えられなかった。
私は大声を上げて泣いた。私も、夢見る少女だったんだなとひとりで嘲ってみた。これには少し笑えた。
説明多くてごめんね
タキオンかわいいよね