泥水を啜ろうとも、速さを追い求める
誰が相手だろうと下してみせる
たとえそれが友人であったとしても
芝の上に立つだけでも泥水が染み出してくる。激しい戦いになることは選手もトレーナーも観客でさえも理解している。
第11レース弥生賞。既に何人ものウマ娘がこの芝の上を駆けた後である。至る所に水たまりができ馬場状態は劣悪を極める。馬場状態はぐちゃぐちゃになった芝では誰もが能力を発揮しづらい。いかなる強者であっても足元を掬われる可能性がある。
それでもなお私は1番人気であった。2番人気のライジングエンペラーと大きな票数差がついている。
マンハッタンカフェは5番人気。体重の大幅減が人気に影響したのだろう。体重の大幅減は筋肉の減少が起きている可能性があるのだ。
ターフの上でウマ娘たちが準備運動をしている。もちろんその中に見慣れた顔もあった。
「やあ、カフェ」
「………」
彼女が私を一瞥する。金色の目は月の光を思わせる。
やはり痩せたようで少しだけ表情に棘がある。クラシック3冠の初戦、皐月賞への出場がかかった重要なレースであるため、出場する選手皆に特別な思いがある。だが、私と彼女にはそれ以上の何かがあるのは確実である。彼女の顔つきはその現れだろうか。
彼女の胸の内はわからない。レースへの不安があるのか、私には負けたくないという強い意志があるのか、それとも共に競い合わねばならないことを呪うのか、あるいはそれを喜ぶのか。
レース場の喧騒も、準備運動をするウマ娘たちも、すぐそばにあり手を伸ばせば触れられるというのに、どこか遠いところにある。私には彼女と競い合うということがとても大きく感じられた。
「いいレースにしよう。」
長い沈黙のあとに微かに、はいと聞こえた。
彼女は私が泣いていた夜を知っている。彼女は優しい。だがこのレースで手を抜くほど甘ったれた存在ではない。
沈黙は決意を固めるには十分な時間であった。
決して勝利は譲らない。誰であろうとも、たとえ彼女であっても。私の追い求める可能性は勝利の遥か先にある。
勝ちを譲れないという気持ちは誰でも同じである。だからこそレースは面白い。
ゲート入りが開始される。
私の中で何かが熱を帯びる。いつも以上の昂りがある。これはレポートに残すべき事項だろう。
雨はすでに止んでいる。雲の合間から光が差し込む。
たとえ可能性の先へ至る道がこのような悪路でも、脚が砕けて泥水の中に伏したとしても、私はそれを追い求めることはやめられないだろう。
この差し込む光よりも速く駆けたい。おとぎ話のような空想を抱かせるほど美しい光景が広がっている。
さあ、実験開始といこうか。
ゲートが今、解放された。