不良馬場のとき、内枠は不利となる。短い距離を走ろうとするウマ娘たちが何度も芝を踏み、脚が沈み込むほどにまで荒らされてしまう。
私は外枠からのスタートとなった。荒らされていない芝の上を走れることは大きなアドバンテージになる。
さあ、行きましょうとあの子が言った気がした。次の瞬間にゲートが開く。あの子は誰よりも速い。そして私に走り方を教えてくれる。その後ろをずっとついて行けばきっと勝てる。
しっかりと脚の感覚を確かめながら蹴る。荒れた馬場は私が得意とする場面でもある。みんながパワーを使い果たしてスタミナが尽きたところを後ろから差し切ってゴールすればいい。
先行争いは先に行かせる。そのまま潰れるからだ。2ハロン超えるとすぐに急坂があるので、そこでスタミナを使ってしまえばいい。
坂路が来た。ストライドを長く取りすぎてはいけない。小刻みに蹴ってもいけない。ゆったりと力を抜き、無理せずに走る。
縦長の展開、仕掛けどころが難しくなるが、平坦な道に出た時には前のウマ娘たちは消耗し切っている。
逃げ先行には辛い場面でしょう。ぬかるんだ地面で加速出来ず、ただ徒らにスタミナを消費させる坂路。差し追い込みに狙われるプレッシャー。このあとの降りでスピードを上げて突き離したい、耳元で悪魔がそう囁く。皆がそれに乗ってしまえば私が勝つ。
坂路の降りでは誰もがスピードを上げざるを得ない。無理をしてペースを上げれば筋肉疲労が増加する。だがしっかり踏みしめなければ不良馬場で滑る。私は大股で重力に任せてゆったり飛ぶ。脚への疲労は最小限に、そしてスピードは無理なく上げる。前を走るあの子の影がグッと近づく。
前のウマ娘たちは大きく泥を跳ねさせながら走っている。蹴る力だけが強く、推進力になっていない。
少しだけ笑みが溢れる。前のウマ娘達の背中がどんどん近くなる。これは良いレースになる。既にそう確信できた。
まだ抑える。誰もが最終の坂に向けて脚を残したいと思っているはずだ。
第3コーナー入口にかかる。
「っ……!?」
大きな水柱が目の前で上がった。泥水が跳ねて口の中に入る。どこかで啜ったコーヒーのようにザラザラとして不快なそれは、あの人の存在を思い出させた。
あの人を前に行かせてはならない。私の何かがそう警告する。
大きな音を立てて駆ける姿に周りも気づいた。1番人気のアグネスタキオンが突っ込んでくるのだ。誰も前に行かせるわけがない。
私のほうが強い。だが、あの人は誰よりも速かった。
あの人は加速していく。前の2人を抜き去り、先頭まで踊り出る。
「どうして……」
あの子の姿と重なる。だがすぐに追い抜いて行った。1バ身、2バ身としだいに遠ざかる。
脚は残していたはずだった。それなのに加速しない。
日の光に輝く栗毛を、またしても
ただ見ていることしか出来なかった。