report:超光速の粒子とその行方   作:Patch

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tachyon

 ファンファーレが鳴り響くとゲート入りが開始される。速く無ければ戦えない。強くなければ超えられない。思いに応えなければ勝つ資格はない。

 巷ではジャングルポケットと私の2強対決と騒がれている。バカバカしいものだ、勝負は常に流動的に動く、最強などという者は存在しない。勝った者が強いというだけだ。誰しもが覇者足る資格を持つ。誰しもが敗者になりうる。ゴールラインを切るその瞬間を観測するまでは、全てが重ね合わせの状態なのだ。

 箱を開けてみなければわからない。それは実験もレースも一緒だ。

 

 私は少しだけ覚悟の時間が欲しい。目を瞑り深呼吸をする。係員が私の肩を叩く。その手に導かれるままにゲートに入った。

 18人目のウマ娘がゲートに入り、3秒。窮屈な箱が開かれた。

 数人が出遅れる。その中にジャングルポケットが居た。

 好位につけたい。そんな心の声が聞こえる先行争い。全員が坂を全力で登る。ぐっと群れが内側に圧され、足音と砂煙がすべてを覆う。最初から恐ろしいほどのハイペースである。本当の速さが試される。それがクラシック初戦、皐月賞。

 小刻みに芝を蹴る。小さく跳ねるように、しかしながら速度は上げてゆく。このハイペースに飲まれず、そして最後の坂で脚を残すために、出来るだけ前方で好位を追走する状態でありたい。

 先行争いは坂のてっぺんまで続く。坂を越えれば下りに傾斜を持つコーナーがある。群れは縦に引き延ばされ、ここでポジションが決定する。私は前から5番目、良い位置につけた。

 それでも勢いは止まらない。コーナーで離された後方集団のウマ娘たちがじりじりと詰めてくるのがわかる。焦ってはいけない。誰も動かないはずだ、最終コーナーまでに無理な動きをすれば脚を使い果たしてしまう。ただ離されたものが追いついただけであるのだが、私の心が背中から潰される。

 

 向正面の直線に入ると観客の声が遠くなる。少しだけ走りやすい。私のトレーナーは今どのあたりで見ているだろうか。トレーナーの思いに応えてみせよう。脚はまだ残っている。

 

 最速のイメージは出来上がった。3コーナー前のここから仕掛ける。

 

 芝につまさきを突き刺し、大きく蹴り上げる。だが、何か空を切るようなそんな感触があった。もう一度蹴る。もう一度。だがそれも、ただただ空回りしている。内臓の裏を何か冷たいものが走る感触があった。脚が動かないのだ。

 気づけば群れが一段と固まり、全員がスパートの体制に入っている。蹴り上げられた砂が顔にかかり、口の中に泥と鉄の味が広がる。何度も口にしたはずだが、こんな味だっただろうか。とても苦しい。だが、それがどうしたと去りゆく背中たちが笑う。

 

 負けたくない。

 

 私の勝つ可能性が完全に否定されたわけではない。ただつまさきを突き刺しても思ったように加速しないというだけだ。

 ならば、どんな走り方であっても前に進めば良い。

 遠心力に振られながら直線に出た。大外からスパートをかける。大外ならば、芝の状態が良い。まさに僥倖だ。

 

 芝を蹴る。もっと、もっと速く。勝利は誰にも渡さない。誰も前には行かせない。フォームが崩れようとも、脚が痛もうとも構わない。

 

「はははっ!!!」

 踏み出せば、鋭い痛みとともに私の体が弾む。視界は置き去りになり、景色は遥か後方に流されてゆく。それが可笑しくて思わず笑いが込み上げてきた。

 観衆達も、このレースを走るウマ娘にも、私の心の昂りを伝えたい。この心の昂りは私の脚が生み出している。

 ああ、わかるだろうか?可能性だ!この脚には可能性が満ちている!!私の脚の限界の果ては!!私の到達しうる限界速度は!!この脚に宿っている!!

 

 もっと速く!もっと速く!

 

 

 

 すぐ後ろにはジャングルポケット、そしてもう1人ビッグバンフレアが居る。

 最速のイメージも、栄光の背中のイメージも、もう見えない、何もわからない。

 だが、見えなくとも、分からなくともいい。可能性は私の脚にあった。その喜びに身を任せ、私は夢中で駆け抜けた。


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