「トレーナー君、遅かったじゃないか。」
ラボの扉が開く。私のトレーナーともうひとつ見慣れた顔があった。
「カフェ…?」
何も言わずただ静かにこちらを見ている。同情や憐みといった感情もなく、いつも通りの他人を寄せ付けない雰囲気を纏った姿である。それに対して私のトレーナーと言うと小動物のように挙動不審でキョロキョロを辺りを見回して、私の顔を見て笑顔になり、私の車椅子を見て悲しんだりと表情がよく変わる。
トレーナーは終業後に毎日私のラボを訪れる。私はもう走れないというのに未だにトレーナーとして私の面倒を見ようとするのだ。私としては車椅子を自分で動かすのは億劫であるし、美味しいお弁当が食べられるのは願ってもない嬉しいことではあるのだが、退学を余儀なくされた生徒の面倒を見るよりも、トレーナーとしてチームを編成したり、私と出会った当初のように教官の真似事でもしていたほうが生産的ではないだろうか。
「お茶でも淹れようか、レモンとミルクは?ああ、キミはコーヒーだったね。さぁ、かけたまえよ。」
2人は無言で椅子に座る。気を使っているのだろう、だがその沈黙は私の心を窒息させる。ボコボコという水の音は私の息が漏れる音ではない。ただ水が沸騰しているだけだ。
紅茶とコーヒーを差し出しても、しばらくその水面を眺めているだけで、口をつけようともしない。紅茶の淹れかたはもちろん、コーヒーの淹れかたも少しは勉強したつもりである。自分のカップに紅茶を注ぎ、角砂糖を3つ放り込んで飲んでみる。やけに渋味が強い。また3つ、また3つと放り込んでも渋味は消えなかった。
いつかの彼女と共に居るときの沈黙は、心が安らぐものであった。しかし今は違う。トレーナーが一緒にいるせいではないだろう。全ての原因は私自身にある。あのとき勝つために走ったことに後悔が無いわけではない。ただ、レース中に壊れた脚を労ろうとも、走れなくなるという結果は変わらない。ただあのレースで敗北していただけだろう。私の脚が壊れるということは以前から決まっていた覆ることのない因果なのだ。彼女とはもう一度勝負をすると約束した。だがその約束だけは守れそうにない。
「……また、私と走ってください。」
優しく、力強い声がした。
「見て分からないか?私はもう__」
「私は、ターフで待っています。あのときよりも強くなって。」
そう言い残すと彼女はラボから去った。
「カフェさん、ラボの前にずっと立っていたんですよ。」
彼女が立ち去ったあとにトレーナーが呟いた。
「ライバル、なんですよね?」
「さぁ?話をしようとすれば避けられることもあるし、今日のように自分から近寄ってくることもある。彼女のことはわからないよ。」
知り合いと言うには遠過ぎる。親友と言うには違和感がある。そして、私はもうライバルとはなり得ない。
「じゃあ、お友達…ですかね?」
なんとも安直で幼稚な考えだ。だがその純粋さがトレーナーの良さでもある。
「キミが言うなら、そうかもしれないな。」
トレーナーは何も返してはくれなかった。
窓の外からは溌剌としたかけ声が聞こえている。私には眩し過ぎる光景に少しだけ目を背けた。
夕日を眺めると心が落ち着く。安らかで暖かでありながら沈みゆく運命にある太陽は、きっと私自身のことなのだろう。
私の勝利を信じてそばに居てくれたトレーナー、そしてカフェをはじめとした共にターフを駆けたウマ娘たち。彼女たちの綺羅星のような輝きを眺めながらゆっくりと太陽は沈む。これほどまでに幸せなことはない。
山あいに太陽が沈むとき、少しだけ黄緑色の光が瞬いた。
「タキオンさん、あれって……?」
どうやらトレーナーにも見えたらしい。
「緑閃光、グリーンフラッシュ現象とも言われるものだろう。こんなところで見えることなんてありえないはずなのだが……」
「じゃあ、きっと良いことありますよ。」
「そろそろ帰りましょうか。」
そう言うとトレーナーは車椅子を押した。
前回前々回がひどい文章だったのでいろいろ変えました。