report:超光速の粒子とその行方   作:Patch

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紅茶を飲んでいると、生徒会長が現れた。
退学の意思を伝えた。
生徒会長から、一緒に走らないかと誘われた。当たり障りのない答えを返すと彼女は嬉しそうな顔をして去っていった。


report:私の中の不安定元素

 食事というものは非常に面倒である。一刻を争うという場面に白い皿の上に置かれた肉をナイフとフォークでお行儀良くつついてちまちま食べる、なんてことは馬鹿げている。我々には文明の利器があるのだ。いや、文明の利器など無くとも我々には高度に発達した手がある。それを使えばいい。

 ミキサーの電源を止め、中身を飲み干す。サラダチキンというものを入れてみたが失敗だった。サラダでチキンという矛盾した名前を面白がったのがいけない。臆病者サラダという名前に腹を抱えるほど笑った。

 サラダというのだから植物であるのかと私らしくない間違いをした。よく見ればわかることだが、それは鶏の筋繊維であることに気づかなかった。塩水で茹でられているのだろうか、野菜の苦味を消すことは慣れたが、サラダチキンを入れてしまったことで甘みの中に塩味が混ざる。次は甘味料を増やそう。

 ラボは未だ彼女の香りで満たされていて、猫の絵が描かれたマグが転がっていた。中には茶色のシミとコーヒー豆の粉末がへばりついていた。

 授業中というものは退屈の極みだ。私のラボを訪ねるものがいない。もっとも、来るといえば彼女くらいなのだが。

 おおかた私のデータはとり尽くしてしまった。私の足の故障が避けられないものとなった以上、私の体を被験体にするのも建設的ではないだろう。

 彼女にでも頼み込んでみるべきだろうか。おそらく無理だろう。何せ純粋な善意で提供したコーヒーでさえ拒否される。怪しい色をした試作品など服用してくれるわけがない。わざわざ買ったコーヒー豆も、猫の絵が描かれたマグも、かなり値が張ったコーヒーミルも無用の長物と成り果てている。机の上にあるそれは、昨日も使ったはずではあるのだがうっすらと埃が被っているように見える。隣には新品の靴が置いてあった。

 終業の鐘が鳴ると、私はいつもコーヒーを淹れる。椅子に腰をかけてしばらく、笛付きのやかんが元気に鳴る。それと同じくして彼女の香りが漂ってくる。

 

「おやぁ?来ると思ってたよ、ちょうどコーヒーを淹れたところだ。飲んでいってくれたまえ。」

 いつも通り、ラボの扉が開く。

 いつも通り、彼女が扉の前に立っている。

「…退学…するんですか?」

 冷たいものが内臓を走る感覚が分かる。これが肝が冷えるということだろうか。先人の残した比喩や慣用句に舌を巻く思いだ。

「おぉ!君は私の退学を惜しんで泣いてくれるというのか!なんとも美しい青春物語だ!」

 私は心にもないことを言って、虚勢を張っていた。何故なのかはわからない。この心理的運動は研究対象にするべきか、考察の余地がある。

「…いいえ。」

 彼女の眉間にシワが寄り、目と眉が近くなる。彼女の強情になるときのアレとは少し違う。眼光が鋭くなり、頬が紅潮した。体温と脈拍数も上昇しているようだ。

「…あなたのような才能を失うのが惜しいと思ったんです。」

 嬉しいことを言ってくれる。彼女はいつだって優しく正直だ。しかしながらこの脚では彼女の優しさに報いることができない。だからこそ私はこうして彼女の好物を作って待っているのだが、ひとときも口にしてくれたことはなかった。

 

「……今朝、生徒会長と話をしてね、一度だけ走ることになったんだ。その後にまたいろいろと決まるらしい。」

 何かはわからなかったが、弁明をしなければならないという使命感があった。嘘はついていない、彼女は聡い女性だからだ。だが私は取り返しのつかない約束をしてしまった。

「…そう、ですか。」

 彼女の顔が穏やかになる。いつも通りの強情な彼女だ。

「そうだ、コーヒー!今日は飲んで行ってくれないか!?変なものは混ぜちゃいないさ。」

「…結構です。」

 彼女の眉間にまたシワが寄る、しかしながら先ほどのものとは違う。眉尻が下がっている。困ったような悲しいような顔で、目が泳ぐ。

 一生ぶんの沈黙を味わった気がした。ならば私は第二の生を歩んでいるのだろうか、止め処ない無駄な思考を終わらせたのは彼女の言葉だった。

 

「…あなたのコーヒー、不味いんです。…………普通、挽いた豆を直接カップに入れたりしません。」

 

「なんだって!?!?」

 なんて失礼なヤツだ。椅子から立ち上がる。

 机が揺れて、少しだけ泥水がこぼれた。

 




このあとめちゃくちゃコーヒー淹れる練習した。

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