「ほらっ! もっと高くもっと高く!」
「ニャッ! ニャッ! ニャッ!」
「さぁ、これをつかまえてみなさい!」
「ニャニャニャ~~!」
「どうしたの! この程度で疲れていては迷宮で生き残れませんよ!」
「ニャニャ、ニャー!」
ここはリーパーたちが暮らすギルドハウスの一室。居間ではリーパーたち三人にくわえ、金髪の男が車座になっていた。
「よし。俺も異論はない。明日は飼い主を探すために、垂水ノ樹海へ潜ろう」
金髪の男が快諾すると、リーパーたちは胸を撫で下ろした。彼女たちはアイルーからの依頼を彼に説明し終えたところだった。
「よかった。レン兄さんが一緒なら安心です」
「でも、レン兄。あの猫からの報酬は少ない。本当にいいのか?」
「大事なのは金額よりもあの猫の誠意だ。その気持ちを知った以上、無視することはできん」
「さっすがレンジャーなのだわ! よっ! エトリアの貴婦人! スーパー淑女! ジェントルウーマン!」
おだてるリーパーに、レンジャーはこらこらと叱る。
レンジャーは女性と見間違うほどの美顔だが男である。それもかなり屈強な体格の持ち主で、部屋着姿の上から肩や後腕の筋肉がたくましく盛り上がっているのがよくわかる。話を聞きながら無意識に親指の付け根を押すのは、軍人時代に彼が身につけた癖らしい。そのツボを押していると心身を平静に保ち、狙撃の成功率も大幅に上がるらしい。
「ところで、さっきからリーダーは何をしているのだわ?」
「さ、さあな。なにか意味があるんじゃないか?」
居間から離れたところに、こちらにお尻をむけて四つん這いになっている少女とアイル―がいる。
「まだトレーニング中です、休んじゃダメよ!」
「は、はいですニャ!」
ゾディアックがアイルーを連れ帰ってからというもの、少女はどこからか取り出した猫じゃらしを片手にアイルーと戯れている。
少女はアイルーの頭上に猫じゃらしを差し出し、それをつかまえようとアイルーは床を跳ねていたのだ。
「ちょっとリーダー。遊んでないで明日の予定を一緒に考えるのだわ」
「なっ! これのどこが遊びに見えるのですか!」
こちらに踵を返すと、少女はびしりとリーパーに指を突き立てた。
「私はアイルーが迷宮で戦えるか調べているのです! これはいわば試験です!」
「でも、さっきはトレーニングって言ってましたよ?」
「そ、そんなことは言ってません!」
「ニャ、つかまえたニャ!」
片手がお留守になった隙に、アイルーが少女の手に抱きついて猫じゃらしに触れた。
「なっ!」
「ヒーローさん、これで合格ニャ! 僕も探索に連れて行ってほしいニャ!」
自分の腕がむにゅむにゅと柔らかい感触に包まれるがしかし、少女は振りほどこうとはしない。四本の足でしがみつくアイルーを見下ろし、頬を赤く染めている。
「リーダーったら、顔が真っ赤なのだわ」
「よっぽどアイルーちゃんが好きなんですね」
「こ、これは不意をつかれたことを恥じているのです!」
翠緑色のセミロングヘアーを振り乱し、ヒーローは言い訳をする。
事の発端は、アイルーが探索の同行を希望したことにある。飼い主の痕跡を探すのであればアイルーがいれば効率は上がるが、五人はアイルーに反対したのだ。一歩先に何が待ち受けているのかわからないのが世界樹の迷宮である。垂水ノ樹海は歩き慣れた迷宮とはいえ、一人――正確には一匹――を守りながら進むとなるとギルドの戦力は半減してしまう。 飼い主の情報を確認し終えた後はギルドハウスで待たせようと思っていたのだが、どれだけ言い聞かせてもアイルーは頑なに同行を希望するのだ。
「猫吉、迷宮はアンタが思うほどあまくないのだわ。攻撃的な魔物だっているし、ひょっとしたら食べられて死んじゃうのだわ?」
「大丈夫ニャ! 僕だって戦えニャスし、皆さんのお手伝いもできますニャ!」
ヒーローの腕から飛び降りると、アイルーは部屋の隅に置かれていた小さなリュックサックに駆け出した。
それは彼がカフェからギルドハウスに来る時に背負っていたもので、中身はマギニアに持ち込んだ装備品らしい。アイルーはリュックの中に頭を突っ込み、お尻を振りながら次々に中身を身についていく。
「どうですニャ!」
装備を纏うと、アイルーは腰に手をあててエヘンと胸をはった。丸いゴーグルのついたレザー製の帽子とジャケット、そして前足にはどんぐりのように丸みをおびた赤いスコップ。これがアイルーの探索時の姿らしい。
「ほぅ。かなり丈夫な作りになっているな……」
レンジャーが仔細に見ると、繊維といい繋ぎ目といい、小型の魔物の牙や爪なら十分に防げるようになっている。しかもスコップはナイフのように鋭く、表面の傷つき具合から察するにアイルーの実戦経験は相当なものらしい。これなら最低限の自衛はできるとレンジャーは判断し、四人にも伝えた。
「それじゃ、明日の探索はアイルーちゃんも一緒ですね」
「もちろん後衛だぞ。ミスティックとゾディアックの二人でアイルーを守ってやれ」
「了解だよレン兄。いいかアイルー、僕が最後尾だから基本的は僕の前にいるんだぞ」
「冒険者さんは、歩く順番が決まっているのにゃ?」
「ああ。職業も武器も違うから、お互いが得意な距離で戦えるようにしている。アイルーのところは違うのか?」
「はいニャ。旦那さんはいつも一人ニャ。誰かと一緒になっても歩く順番まで決まってないニャ」
「よくそれで生き残れるのだわね……」
「アイルーちゃんの飼い主って、職業はなんなんですか?」
「旦那さんは『ハンター』ニャ。大きな剣を使って戦うのニャ」
「大きな剣か……。剣士や武士とは違うようだな」
「レン兄でも知らないのか?」
「世界は広いんです。私たちの知らない人々だって大勢います。今は飼い主の素性よりも、明日の探索に備えて早く休むべきではありませんか」
と、いつの間にかパジャマ姿でナイトキャップをかぶったヒーローがその場を仕切り始めた。姿はともかく、言うことに間違いはないので全員いそいそと就寝の準備にかかる。
「アイルーは私と寝なさい。飼い主について訊きたいことが山のようにあります」
「あれ? さっきは早く休むべきだって言ってませんでした?」
「本当はアイルーと一緒に寝たいだけなのだわ」
「だ、断じて違います!」
「ニャニャ……。僕、お嬢さんと同じお布団で寝るのは緊張しますニャ」
「だったら僕と一緒に寝よう。アイツと一緒じゃ、夜中に何をされるかわからない」
ミスティックがアイルーを胸に抱くと、ヒーローに背中を向ける。
「し、失礼ですよミスティック! べつに私は寝てるすきに肉球をツンツンしたり、毛並みをすりすりしようだなんて考えていません!」
「ほら、早く寝るぞアイルー」
「そ、それじゃ皆、明日に備えて休もうか……」
「ミスティックさん、レン兄さん、お休みなさい」
「さ~てと早く寝るのだわ」
男性陣は別室へ移動し、ゾディアックたちは居間に布団を敷いて横になる。
「な、なんて失礼な! 私への侮辱です! 二人もそう思いませんか?」
「アイルーちゃんを迎えに行ったとき、カフェの店長さんが見送ってくれたんですよ。私にアイルーちゃんをよろしくお願いしますって頼まれたんです」
「へぇ。優しい店長たちなのだわね」
「ちょ! 二人とも無視しないで下さい!」
「じゃ、明かりを消すますね」
「おやすみなのだわ」
「ねぇ、なんで無視するの! リーダーは私よ!」
明かりが消え、部屋は闇にのまれた。マギニアに、夜の帳がおりる。吊り看板の揺れる武具屋、まばらに燈火が姿をのぞかせる街路、野犬がゴミをあさる裏路地、すべてが闇に沈みゆく。視界が黒くそまり、なにも見えなくなる。それなのに航路上にある遥か大樹だけはしっかりと認識することができた。
小高い連峰と遥か下方に向かって伸びる広大な森。それが切れると荒れ地が続き、そのさらに奥には天を貫くほどの大樹がたたずんている。傷ひとつない静寂の中で、大樹は周囲が闇にそまればそまるほど、より一層、その異様さをましていった。
※
その翌昼。
アイルーを連れた一行は、垂水ノ樹海に足を踏み入れたところだった。
空気の澄んだマギニアとは異なり、ここには熱気をはらんだ湿気が漂っている。
垂水ノ樹海の位置する座標は日照時間が長いため気温が高い。湿度の高さは、樹海の最下層から汲み上げられた河川の水が、そこここに設けられた噴水から吹き出しているのが原因だ。霧のように漂う水滴は木の葉から滴り落ち、上の階層から垂れ落ちた水が地層を透過して再び河川に戻るようになっている。どの噴水も石を切り出したような四角い形で最下層から最上層、つまり四階分の地層を貫くほどの高さをほこり、まるで塔のような外観をしている。
噴水だけではない。垂水ノ樹海には建物の礎石や、崩れた石柱、さらにはアーチ窓のある外壁といった遺跡が苔やハイビスカスに覆われながらも残っていた。
炭素調査と基石の規模から、数世紀前はこの樹海に石造りの街並みが広がり、コロッセオのような円形舞台も建てられていたと推測されている。垂水ノ樹海は、遺跡と森が融合した地下迷宮なのだ。
「旦那さんとは大きなカバのいる処ではぐれちゃったのニャ」
カバとは『怒れる暴君』のことだろう。となると、その生息範囲である地下三階から四階を捜査しなければならない。
現在一行が歩いているのは地下二階。階層は水平な地層が垂直に貫かれたような形で続いているが、各階層の位置は微妙にずれており階下にいっても陽光が遮られることはない。
「少しここで休憩しましょう」
先頭のヒーローが足を止めたのは、足元がぬかるんだ細道を抜け、木々の間隔が広くなった小部屋に到達した頃だった。
ここに来るまで何度か魔物に遭遇したが、刺激しないように距離をとってやり過ごして戦闘を避けたので消耗はしていない。順調な探索だったが、ヒーローとレンジャーの二人は言い知れぬ不安を抱いていた。
「どうしたんですかリーダー? 顔色が悪いですよ?」
「気になることがあって。……本来なら、ぬかるみの周辺は毒蜥蜴のテリトリーなのに一度も見かけませんでした」
「きっと先に潜ったギルドが討伐したのだわ」
「だとしたら戦いの痕跡が残るはずです。でも、火薬の匂いもなければ、草むらを踏み荒らした跡もありません」
「ニャニャ? ヒーローさん、昨日と全然雰囲気が違うニャ」
アイル―と目が合ってもヒーローは理知的な顔つきを崩さない。
煌びやかな髪飾りに緋色のマントを羽織った姿はどこかの貴族のようだが、背筋の伸びた落ち着いたたたずまいは武門の出を思わせる。事実、彼女の鞘や円盾に刻まれた十文字模様は、異国の危機を救った一族の末裔の証らしい。
「時間が経って消えたのだわよ。リーダーは考えすぎなのだわ」
「そうかもしれませんが……」
「いいや。そうじゃない」
と、レンジャーがヒーローの推測を引き継いだ。
「実は、毒蜥蜴の足跡を見つけたんだが本来なら歩くはずのないエリアにまで踏み込んでいた。皆も知っているだろうが、魔物は縄張り争いをしないように自分のテリトリーを離れない。おそらく毒蜥蜴は自らの意思で居場所を離れたんだ。おそらく原因は――」
レンジャーは、あぐらをかくように座って瞑想するミスティックに眼差しを向ける。彼の膝の上に腰かけているのはアイルーだ。ちょうど自分用の水筒を口につけ、喉を潤していたところだった。
「ニャ?」
レンジャーの視線に気づいて、アイルーは小首を傾げた。
「アイルー。確認したいのだが、君の飼い主はマギニアへ飛竜を追って来たんだったな?」
「ニャ。そうですニャ」
「そうか。どうやらその飛竜が垂水ノ樹海に入り込んだ可能性が高い。その影響で、縄張りを捨てて毒蜥蜴は逃げたんだろう」
「でも、たかが魔物一匹で生態系が崩れるのだわ?」
「十分あり得ることだ。垂水ノ樹海には飛行タイプの魔物がいない。既に埋まっていたならともかく、空いていたスポットに外来種が侵入するとあっという間に生態系への侵入をゆるしてしまうものだ」
垂水ノ樹海には、ビッグピルという鳥型の魔物が生息してはいるものの、羽が退化している。レンジャーの言うとおり、空を牛耳る魔物は垂水ノ樹海にはいないのだ。
「そういえば、先日の任務もここで新種を探すというものでしたね」
他のギルドに先を越されたものの、新種が竜族であったという噂は人伝に耳にしていた。
「そこまで情報が揃うってことは、間違いなさそうですね……」
「毒蜥蜴だけでなく怒れる暴君も生息範囲を変えた可能性が高い。となると、これまでと異なるエリアで遭遇するかもしれない」
「いつもより危険性が増しているということです。皆さん、気を引き締めていきましょう」
返事をする一行の中で、アイルーだけがしょんぼりと肩を落とした。
「どうしたの猫吉?」
「ごめんなさいニャ。僕らのせいで皆さんの迷宮を変えちゃったのニャ……」
「そんな。アイルーちゃんが悪いわけじゃないです」
「そうです! 貴方は悪くないの! 落ち込まないで!」
ゾディアックが慰めようとした瞬間、ヒーローがゴキブリのような早さで草地を這って先回りするとアイルーの頭を撫で始めた。
「貴方は悪くないの。悪くないのよアイルー。さぁ、いつもの笑顔を私に見せて……」
呪詛のように呟きながら、ヒーローは摩擦熱で発火するんじゃないかというほど高速でレザー帽を撫で続ける。
「ニャ……。ちょっと熱いのニャ、ヒーローさんもう止めてニャ!」
「ご、ごめんなさい! あっ、でも嫌がる顔も可愛い! フヒヒヒ……!」
「……おい。ヨダレ流した顔を近づけるな。瞑想できないだろ」
開眼したミスティックがアイルーを抱いてヒーローに背中を向ける。
「ミスティック! あなただけアイルーを独り占めなんて卑怯ですよ! 恥を知りなさい!」
「レン兄、休憩は十分だろう。早く再開しようぜ」
「そ、そうだな。じゃ、行こうか皆……」
「ほらリーダー。さっさと隊列に戻るのだわ」
鎌の切っ先で襟をつかまれて先頭に投げ飛ばされると、ヒーローは渋々前進を始めるが、時折猛獣のような形相で歯ぎしりしながら最後尾を睨んできた。
「リーダー。悔しいのはわかるが落ち着け。女子としてやっちゃいけない顔になっているぞ」
その度にレンジャーが頭をつかんで首を前に向けるが、時間とともに頸骨をゴキゴキならしてゆっくりと後列に振り返ってくる。
「ちょっとリーダー、ちゃんと前を向いて歩けなのだわ!」
「エクソシストみたいに振り返るの止めて下さい!」
「さっきは真面目だったのに、ヒーローさんの顔が恐いニャ……。歯がオドガロンみたいになってるのニャ!」
「ごめんな。あれでもいちおう僕たちのリーダーなんだ」
※
本格的な異変が現れたのは、地下三階に到達してからだった。清々しい向かい風の中に、すえたような死臭が混じっていた。生い茂る低木を踏み越えていくと遠くに陽の光を受けて金色に輝く小河が見えた。
河の対岸には倒木があり、それに凭れるように通常よりも二回りも大きいサイズの怒れる暴君が倒れていた。腹部のあたりが大きく食い破られており、肋骨や臓物がはみ出ている。顎が河底に密着し、体内を流れた清流が傷の内側から流れ出ていた。腹部の補食痕の他に、死体の額には三本の爪痕が深々と刻まれている。爪は頭蓋まで達し、白子のような脳漿が割れ目からはみ出ていた。
「争った形跡がない。最初の一撃で勝負が決まり、一方的に捕食されたんだろう」
ふと、レンジャーは空を見上げた。ヒーローも左手の盾をかまえながら彼と並び立ち、喉仏をさらして辺りを見渡している。
頭上には半壊した遺跡の屋根や樹木が茂っているが、飛竜がその気になれば突き破って飛行できるだろう。嗅覚に頼れば視呈が悪くても容易に獲物の位置を特定できるはずだ。
リーバ―が背中に差していた大鎌を抜く。ゾディアックの詠唱に応えるように、彼女の肩に装着された星術機――エーテルの収集機――に組み込まれた宝石が淡い光を放つ。ミスティックが開眼し、杖を握る。五人はアイル―を囲むように互いに背中を合わせ、接敵に備えながら和を乱すことなくゆっくり前進する。
怒れる暴君の死体が見えなくなるまで、この陣形は崩せない。
なぜなら、真新しい死体があるというに他の肉食動物が死肉を漁りにこない場合、捕食者がまだ近くにいる可能性が高いからだ。
「通路の途中の野営地まで行きましょう。それまで警戒を怠らないで下さい」
通路からの死角であり、なおかつ人間の匂いがしみついた野営地には魔物は入り込まない。
そこにたどり着ければ安全だ。
一歩、二歩、三歩……。野営地までの距離は五十メートルといったところか。そのとき先頭を歩くヒーローが足を止め、五人の歩調が乱れた。
「これは?」
彼女の足元にあったのは、夜警のもつカンテラのような縦長の瓶だった。一部分がひび割れているが、まだ新しい。誰かの落とし物だろうか。
「導蟲(しるべむし)の瓶だニャ!」
ヒーローがそれをつかみ取るなり、アイルーが叫んだ。
導蟲とは蛍のように発光する蟲のことで、匂いを学習するとその持ち主のもとへ飛ぶ習性がある。アイルーの飼い主は導蟲の習性を利用して魔物を追跡しているらしく、この瓶は導蟲を飼育するものらしい。
「僕とはぐれるまで旦那さんは瓶をちゃんと持っていたニャ……」
「となると、はぐれた後で君の飼い主はここを通り、この瓶を落としたのか」
「違うニャ、違うニャ!」
突然、アイルーが声を荒らげた。
「旦那さんが瓶を落とすはずないニャ! 瓶は絶対に無くさないようにしてたニャし、落としても導蟲が光って気付くのニャ!」
パニックに陥ったようにおたおたと辺りを見渡した後、受け入れたくない事実から目を背けるようにアイルーは顔を伏せてしまった。
「お、落ち着きなさいよ猫吉っ」
「旦那さん……。どうして瓶を拾わなかったのニャ……」
アイルーの双眸から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
肩を小刻みに震わせて、口からは噛み殺した嗚咽が漏れ始める。
「生きていたら絶対に拾うのニャ。それなのに落ちてるなんて……。旦那さんは、ひょっとしてもう――」
その言葉の先をアイルーは口にはしなかったが、最初から五人はその可能性を考えていた。
つまり飼い主は既に死亡し、その遺品がここに落ちていたということを。神様でもないかぎり事実は事実として受け止めるしかないということは、中堅程度に経験をつんだ五人にはわかりきったことで取り乱す者はいなかった。
大昔に、冒険者は波のような存在だと歌った詩人がいた。岸にうち寄せるように迷宮に殺到してはすぐに引いていき、いつの間にか泡になって消えてしまう、と。
千差万別の想いを抱えて迷宮に挑んだ人々のうち、初心を成し遂げられる人はほんの一握り。最悪、二度と地上の土を踏めなくなる者もいる。
――知り合いの冒険者が魔物に毒液を浴びせられ失明した。
――生還したものの、FOEに遭遇したショックで廃人化した新人がいる。
――行方不明のベテランが大型昆虫の巣で保存食として肉団子にされていた。
そういう話も毎日耳にしていると慣れが生じ、五人もたいていのことでは驚かなくなっていた。
迷宮で誰かが命を落とす。それはこちらの大陸では日常茶飯事なのだ。
しかし、今回の件に関してアイルーは大きな間違いをおかしていた。
「ニャ~~! 痛い、痛いニャ!」
「ちょ、何をしているんですかリーダー!」
ヒーローがアイルーの前に屈み、頬の両髭を引っ張っていた。
ぐいっと左右の手で引いてから同時に放すと、お餅のように伸びきったアイルーの顔も元通りになる。
「なにするのニャ!」
泣きじゃぐりながらアイルーが肉球でヒーローの膝をぽかぽかと殴る。髭を引っ張られた怒りだけでなく、望みが潰えたことで彼女に八つ当たりしているようにみえた。四人がアイルーを止めようとすると、ヒーローが手で制した。
ヒーローはしばらくされるがままになっていたが、やがて「このおバカっ!」と、アイルーに怒鳴った。耳をつんざくような怒声にアイルーはすくみ上がり、肉球パンチを止めてしまう。
「ニャ……!」
見上げると額に血管が浮き出るほど怒る狂った形相で、ヒーローが睨んでいる。
その形相にアイルーは蛇に睨まれた蛙のように動きを止めてしまう。
「よく見なさい! これは小瓶よ! ただの瓶! 蟲を飼育するための瓶でしかないの! これが見つかったからって貴方の飼い主が亡くなったことにはならないの! 余計な詮索も悲観せずに、ありのままの事実を受け入れなさい! ここで諦めたら、可能性を捨てることになるのよ!」
アイルーの頬を押さえつけ、額が触れるほどの至近距離でヒーローは大音声を出した。
これは励ましでも楽観論でもなく、探索における鉄則にすぎない。根拠の薄い想像や推測が不安感や恐怖心を植えつけ、それによってパフォーマンスを崩して事態が悪化することもある。大事なのは、ありのままの事実を受け入れ最善手をとること。後悔と懺悔は生還してからでも十分間に合う。
アイルーは催眠術でもかけられたかのように目を丸くしていた。最初はヒーローの豹変に戸惑っていたが、次第に言葉の真意が身に染みたらしい。
アイルーは掌で顔を拭うと、ヒーローを見上げた。
「……ヒーローさんのいう通りだニャ。僕、へんてこなことを想像しちゃってたのニャ」
まだ声は震えていたが、アイルーは精一杯の笑顔をヒーローに返す。
「ヒーローさん、叩いてごめんなさいニャ。僕、取り乱しちゃったのニャ」
「いいえ。私こそお髭を引っ張ってごめんなさい。痛かったでしょう?」
「いいんだニャ! ヒーローさんは僕の臆病蟲を追い払ってくれたのニャ!」
アイルーはその場で小躍りするように跳びはねる。
「そうです。その意気ですよアイルー」
「彼女の言う通りだ。結論が出る前に物事を決めてはいけない」
「そうですよ。アイルーちゃんだって、旦那さんは強いって言ってたじゃないですか」
アイルーが元気を取り戻して一同も安堵しかけたその時、突如として足場が翳った。
樹間を見上げれば頭上を旋回する影に陽光が遮られており、五人の姿は闇に包まれてしまう。
巨大な影が空中に飛んでいるのだ。
その不穏な気配に、木々にとまっていた野鳥が鳴き声をあげて一斉に飛び立っていく。
影が降下してくるにつれて五人に目も開けられないほどの風が襲いかかる。両翼が叩きつけた分厚い空気の壁が押し寄せてくるのだ。
「あれは……!」
レンジャーが帽子に付いていたゴーグルをはめて影の正体に目を向ける。
それは皮膜の伸びた両前足の翼で飛行する、緑色の甲殻をもつ飛竜だった。
竜族は大きく二つの種類に分けられる。
まずは『偉大なる赤竜』のように四足歩行で背中から翼を生やすタイプのもの。こちらは体格は強固だが飛行力は低く、鈍重である。もう一種類が『ワイバーン』のように両前足に皮膜をもつ二足歩行のタイプで、飛行力を維持する為、体皮に鱗がなく、角や棘も少ない傾向がある。体格の観点でいえばその飛竜は前者に近いが、翼なら後者であった。つまり、強固な体格と飛行力を兼ね備えているのだ。
「リオレイアだニャ!」
アイルーが飛竜の名を叫んだ。
「リオレイア?」
「ニャニャ! 僕と旦那さんが追っていた飛竜だニャ!」
後足の爪から察するに怒れる暴君を倒したのはリオレイアだ。と同時に、数日前に捕獲任務が出されたのもリオレイアが目撃されたからなのだろう。
「でも、任務が解かれたってことは捕獲されたはずでは?」
「拘束を断ち切ったんだろう。背鰭に打たれた杭を見てみろ。ロープが引きちぎられている」
リオレイアの眼光がこちらを捉えると、大地が震えるような咆哮とともに枝葉や遺跡の壁をぶち壊して飛来してきた。地上に近付くリオレイアの姿は、竜族でありながらも猛禽類のようなフォルムに近く、こちらの大陸の生物とは異なる進化を遂げたと推測できた。
「来るぞっ!」
土石流のようなすさまじい勢いで迫り来るリオレイアの姿は、瞬きする間に大きくなる。牙の並んだ口は牛を丸飲みにできそうなほど大きく開かれており、あれで食いつかれてはひとたまりもないだろう。
「野営地まで逃げ切りましょう! 遅滞戦術の陣形を組みます!」
抜剣したヒーローが指示を下すと、誰も喋ることなく隊列を組み直した。
矢筒から鉄矢を抜いたレンジャーは弓を引き絞り、その隣でゾディアックが詠唱する。レンジャーの一矢目がリオレイアの口内に命中すると同時にゾディアックの雷術が発動。彼女のかざした掌から無数の紫電が立ちのぼり、やがてそれらは空中で一つに融合、大蛇のような変化をとげてリオレイアを迎撃する。
雷撃による眩い衝突を受けてリオレイアが怯む。動きを止めたところでレンジャーの二矢目が放たれる。その隙を逃さずリーパーがバレエを踊るような優雅な動きとともに、握りしめた大鎌を振り抜いていく。どれも切っ先を掠めるだけの軽い斬撃だ。安全な間合いを保ちつつ、反撃されないよう連続で攻めているのだ。リーパーのスタミナが切れかけたところで三矢目が命中。後列に戻るリーパーに代わって今度はヒーローが剣で攻める。
常に円盾をリオレイアに向けつつ、盾の外側から刺突を続ける。リオレイアは後ろ足で大地を蹴りつつ羽ばたくとその場で宙返りをきめて、棘の生えた尻尾をアッパーのように振り上げてきた。
尾の先端に生えた棘がヒーロの頬をかすめるが怪我はない。レンジャーの四矢目がリオレイアに突き刺さったところでヒーロはリオレイアと目を合わせたまま後ろ向きに跳んで隊列に戻る。
そこで、開眼したミスティックが杖を地面に突き立てた。次の瞬間、蜂蜜色の複雑明美な方陣が草地に浮かび上がる。それも音もなく、一瞬にである。方陣から発光した光は意思を持っているかのごとくうねり上がり、リオレイアの下腿に触れ、大きくも流れるような動作だったリオレイアの足腰がぎこちなくなり、ついにその場で硬直してしまう。
陣内にいる者の動きを鈍らせる、麻痺の陣形である。そこへレンジャーの五矢目と、ゾディアックの二度目の雷術が放たれる。
氷結呪文に弱いはずの竜族相手にあえて雷術を選ぶのは、閃光による怯みだけでなく、電流による筋肉への麻痺の助長を期待してのものであった。
「今です! 早く野営地へ!」
各々が武器を収めると、リオレイアから背を向けてひた走る。初見の魔物を相手に、狭い通路で戦闘を継続するのは危険だ。それに探索の目的は飼い主の捜査であり、リオレイアの討伐ではない。しかし野営地まであと一歩のところで、低木に足をとられたゾディアックが転倒してしまう。
「ゾディ!」
ヒーローが駆け寄るが、そこへ麻痺の陣形を力づくで突破したリオレイアの咆哮が響き渡る。
「いかん!」
時間を稼ごうと数本の矢を同時に放つレンジャーだが、それらをもろともせずにリオレイアは突進してくる。
早い。飛竜とは思えないほどの歩行速度だ。
普通、翼を持つ魔物は歩行速度が遅いものなのだが、リオレイアはまるで違う。翼を折りたたみ、どすん、どすんと逞しい下腿を踏みならして走っている。十分にとれていたはずの距離は縮み、ほぼ眼前に迫っている。
「危ないニャ! 火を吹くニャ!」
見ればリオレイアの牙から轟々と炎が漏れ始めていた。
リオレイアは勢いをつけるように背を反らすと、喉元からせり上がってきた炎の塊を吐き飛ばす。その淀みない動作に炎の先見術は間に合わない。
「早く逃げてっ!」
ヒーローがゾディアックを突き飛ばす。炎の塊が盾をかまえるヒーローを撃ち抜こうとした直前、音もなく駆けつけたリーパーが彼女の前に割り込んだ。
「集え瘴気! 纏え氷塊っ!」
呪文とともに、リーパ―は死を振り撒く死神が得意とする斬撃術を放った。彼女が大鎌を振り上げた直後に爆発が生じ、黒煙が二人を包み込む。
「ヒーローさん、リー子さんっ!」
煙が消えるとそこには膝を屈したリーパーの姿が。
直前に放った『冷灰の大鎌』で炎を弱めてからしっかりとガードをきめたものの、耐熱を含む特種繊維で編み込まれたはずのドレスは焦げ落ち、熱傷のせいで鎌は握れる状態ではなくなっている。
「リーパーっ、なんて無茶なことを……!」
立ち上がったヒーローがリーパーに肩をかすが、リオレイアは次々に火球を吐き出してくる。
瀕死のリーパーを抱えたままヒーローにそれらを回避することはできない。万事休すかと思いきや、なぜかリオレイアの攻撃はすべてヒーローの位置とはかけ離れた処へ着弾している。不思議に思って肩越しにリオレイアに振り返ると、その足許には紫紺色の方陣が浮かび上がっていた。
それは幻惑の方陣だった。ミスティックが新たに発動させた技だ。今、リオレイアが攻撃しているのは全て幻影なのだ。
「急げ、長くはもたないぞ!」
「感謝します!」
「お前たちは先に野営地へ迎ってリーパーの手当をするんだ! 俺は撹乱を続ける!」
「でも、こんな酷い怪我じゃ応急処置にも限界が……!」
「僕、火傷のお薬を持っているのニャ! 野営地でこれをお嬢さんに塗るのニャ!」
「急げ! 俺は後で合流する!」
時間を稼ぐ為にレンジャーが木に登って高所から弓矢による狙撃を始める。
一矢撃っては枝葉の間を跳んで足場を変え、さらにそこで一矢を撃ちと、同じことを繰り返す。幻惑の方陣があるとはいえ、同じ場所から攻撃を続ければリオレイアにこちらの居場所が感付かれてしまうからだ。ところがそんなレンジャーの思惑に気付かずに、リオレイアに反撃しようとする者がいた。
「リー子さんの仇ですっ!」
怒りにかられたゾディアックである。
「ゾディ! 止めなさい!」
「ここはレン兄に任せて僕たちは野営地に行くぞ!」
二人からの制止を無視して、彼女は氷結術を発動していた。周囲には靄とともに数十もの氷槍が浮かび上がり、それらが一斉にリオレイアへ発射される。音を置き去りにする速さで直進する氷槍が次々にリオレイアに命中。ところがその一斉射撃のせいでリオレイアの眼光がこちらに向いてしまう。居場所がバレてしまったのだ。
「火を吐くつもりならいつでもきなさい! 私には炎の先見術がある! これがあればあなたの炎なんか――」
言葉の途中でゾディアックは倒れてしまう。リオレイアの振り回した尾が道脇にあった遺跡の石柱を砕き割り、飛び散った破片が彼女の頭に命中したのだ。
「ゾディ!」
「ちっ! 破陣、命脈活性っ!」
舌打ちとともにミスティックは方陣を解除し、陣に吸い取られていた龍脈のエネルギーをゾディアックに分け与えた。僅かに彼女の気力は戻るが、立てる状態ではない。
そして方陣が解除されたことでリオレイアの幻惑も解かれてしまった。レンジャーが狙撃を続けるが、それだけで注意を引くには限界がある。
リオレイアが、ゆっくりとヒーローたちを捕捉した。
「ミスティックさん、二人をお願いします」
「お前、どうするつもりだ?」
「いつもと同じです」
ヒーローは剣を抜くと、決闘を誓う銃士のように額の前に掲げてから、リオレイアに立ちはだかった。
「……わかった。後で会おうぜ」
「ヒーローさん、一緒に逃げなきゃダメだニャ! 死んじゃうニャ!」
「ご心配なく。合流するのが少し遅れるだけです」
振り返るヒーローの顔には穏やかな微笑が浮かんでいた。彼女はゴキブリのように地を這う不審者ではなく、唾液を垂らしながら不気味な笑みを浮かべる変態でもない。メンバーの命を一任された、このギルドのリーダーなのだ。
「ヒーローさん……」
と、その時、一発の銃声が轟いた。
「伏せなさい!」
見ると樹路の奥で小銃(ライフル)をかまえた女がいた。
眩い銃口炎が瞬いた。女はボルトアクションとは思えないほどの速度で小銃を連射し、リオレイアの頭部に集中放火している。
「他の冒険者か!?」
「今のうちよ!」
女はその場で屈射を続け、一同に逃げる猶予を与えてくれた。
ミスティックがゾディアックを、ヒーローがリーパーを背負い、野営地に駆け込んだ。
四人と一匹の安全を見届けると、レンジャーが樹上から鏑矢を上空に放った。
矢はひどく耳障りな音をたてて飛翔する。
探索中の他の冒険者に異変を告げた後、レンジャーは猿のような素早い身のこなしで枝葉や遺跡を跳び回り、リオレイアの死角で地上に降り立つと、野営地に駆け込んだ。