野営地の中央には既にテントが張られており、その入口から直線に敷かれたシートには、数人の衛士が一列になって横たえられていた。
誰もが装備を脱いだ姿で体のどこかに包帯や副え木をしている。
彼らの足元を駆け回って回診を続けているのは白衣のセーラー服を着た少女だ。
「メディック、この二人もお願い」
銃の女が声をかけると、少女はころころとした丸顔をこちらに向ける。
列にそってリーパーとゾディアックを寝かせると、少女が二人の容態をてきぱきと診ていく。
「左右の手首から肩にかけて熱傷。右頬から耳にかけても同じ傷があり。どちらの熱傷も表皮のみ。気管部から肺にかけての熱傷はないもよう」
少女はリーパーの容態を羊皮紙に書き留めると次にゾディアックの上着を脱がして診察を始める。
「肩にひどい打ち身。肩骨にヒビが入っているおそれがおり。側頭部にも二センチほどの裂傷。石の破片が食い込んでいる……」
少女はそれぞれの容態を書き留めた羊皮紙を、二人の体にテーピングする。
「お嬢さんはお医者さんなのニャ?」
「はい。私はメディックと申しまして、医師免許も……わぁ! 猫がお喋りしてる!」
メディックは大きな目を爛々と輝かせてアイルーを抱き上げた。
「可愛いっ! 持ち帰って解剖したいぐらい!」
「メディック! 今は二人の治療が先よ! ドクトルマグスぅ! 貴方もこっちを手伝って!」
女が声高に言うと、テントから褐色肌のドレッドヘアーの男が出ていた。
「お客さんか?」
ドクトルマグスは医者というよりも呪術師やシャーマンといった容姿に近かったが、それでも治療ができるらしい。薬匙を取り出してゾディアックとリーパーに薬を飲ませていく。
「どんな薬なんだ?」
「ただの麻酔。治療はこれからだ」
「ニャ! リーパーさんの火傷の治療は僕がするのニャ!」
「貴方も医者なの?」
「旦那さんの治療をしていたのニャ!」
アイルーはリュックから塗り薬を取り出してリーパーの体に塗っていく。
ゾディアックの治療はメディックとドクトルマグスの二人でとりかかる。
毛根よりも奥深くまで届く裂傷を洗浄してから、ピンセットで石の破片を取り除き、消毒液を染み込ませたガーゼを押し当てて包帯を巻く。打ち身の傷は氷水をあてて冷やしておく。
応急処置を終えると、二人の容態を書いた羊皮紙に『応急処置済』と表記する。冒険者は『アリアドネの糸』という町へ瞬間移動できるアイテムを持っている。しかし、瞬間移動は肉体に大きな負荷がかかるので応急処置をしていないとそれに耐えられず移動後に死亡してしまう場合がある。さらに負傷者だけを送り返す場合は、負傷者が体のどこを怪我しているのか、どこまでを治療済なのかを町にいる医者に迅速に伝える為、羊皮紙に治療の過程を書き込み、負傷者の体に貼りつけておくのだ。
「この二人はこれでひと安心です。意識が戻ったらアリアドネの糸であの衛士たちと一緒に帰還させましょう」
「さすがね。頼もしいドクターたちだわ」
「あの……。皆さんありがとうございます。私はヒーロー。ギルド『アルシオーネ』のリーダーをしております」
「私はガンナー。礼なんていいのよ。それにしてもあの竜を相手にあそこまでやるなんて凄いギルドね」
女は涼やかな目元を緩ませた。
紺碧色のジャケットとスカートはここの気温にしては少し分厚く、厚底で内皮が羽毛で覆われたブーツは北国で使用されているものに思えた。
「ガンナーか。加勢にも感謝する。俺はレンジャー。あそこで君が支援してくれなきゃ被害はもっと出ていた」
「分隊支援は、中距離戦の要でしょ?」
レンジャーの言葉に、ガンナーは悪戯っぽく笑みを浮かべてウインクした。
「やはり君も軍経験者か。さすがに俺も、小銃にはかなわないな」
「自嘲するなよレン兄。道具の威力は劣っても、動きならレン兄が勝っているぜ」
「あら? そっちの坊やはレンジャーの弟分さん?」
「坊やじゃない。ミスティックだ」
ミスティックはむっつりと腕を組んで、顔を覗き込もうとするガンナーからそっぽを向いた。
「失礼ですけど、ミスティック君はご病気ですか? とても顔色悪いですよ? まるで即身仏みたい」
「だれが即身仏だっ!」
「失礼だぞメディック。彼はウロビト族だ。大地の力を引き出す神秘の術者なんだぞ。俺の呪術とは格が違う。敬意を払いなさい」
「ご、ごめんなさい」
「……まぁ、神秘ってのは言い過ぎだけどな」
そう言いつつも、ミスティックは満更でもなさそうに鼻をこすった。
そのとき、遠くから罵声が聞こえた。
「こら~~メディ子! 早く私を治療しろぉ~!」
振り向くとテントの手前で寝ていた女性が上体を起こしていた。
黒のインナー姿なので胸や括れた腰回りのボディラインがはっきりとわかる姿をしている。彼女の足下には剣と大盾、そして白銀の鎧が置かれていた。
「いつまで後回しにするつもりだ~~! 私が死んじゃってもいいのか、この薄情者~!」
「もう! リーダーったら、かすり傷くらいでメソメソしないで下さい!」
大人びた容姿とは裏腹に、両腕をぶんぶん振り上げる彼女の姿はまるで子供だ。
「あれがガンナーさんたちのリーダー?」
「ええ。パラディンよ。今はあんなだけど、戦場では頼れるのよ」
「あの人の鎧、ガンランサーみたいだニャ」
「む? 猫が喋っている? 私は幻覚を見ているのか?」
「幻覚じゃないニャ。僕アイルーニャ」
「さっきから気になっていたんだけど、このアイルーって何者なの?」
ガンナーがアイルーの前に屈んでまじまじと見つめる。
「遠くの大陸に住む種族のようで、私たちはアイルーの飼い主を探すためにここに来たんです。そこであの飛竜に、リオレイアに襲われたんです」
「リオレイア? どうしてあの新種の名前を知っているの?」
「リオレイアも僕らの大陸にいるんだニャ。僕は旦那さんと一緒にリオレイアを追ってここまで来たんだニャ。でも旦那さんとはぐれて、僕はヒーローさんたちにお願いして旦那さんを探してもらってたんだニャ」
「そういうことだったの。申し訳ないわ。麻酔が効いていると油断して、私たちがリオレイアを檻から逃がしちゃったの」
とうやら強制任務で新種を発見したのは、ガンナーのギルドだったらしい。
「ひょっとして旦那さんもここに運ばれて治療を受けたかもしれないのニャ」
アイルーの言葉にメディックが腕を組んで唸る。
「猫さんごめんなさい。怪我人は何人もここに運びましたけど、その『旦那さん』らしい人は見かけませんでしたよ」
「そうですかニャ。旦那さんのことだから、きっとどこかに隠れているんだニャ」
取り乱すことなく平然と言うアイルー。
「アイルー。申し訳ないですが、捜索を中断させて下さい。いったん帰還して体勢を立て直してから再開しましょう」
「もちろんだニャ! お嬢さん二人の無事が優先だニャ!」
ヒーローたちが帰還の準備に取りかかる一方、ガンナーは探索の準備にとりかかっていた。
「私はリオレイアを追うわ。貴女たちが弱らせてくれた今がチャンスよ。研究者には悪いけど、ここで討伐しなきゃ犠牲者が増えるわ。頭にアイスショットを三発も撃ち込めば、さすがに倒せるでしょう」
彼女は腰のホルスターに収めていた拳銃(ハンドガン)を取り出し、青く透き通った弾丸をカルカで銃口に押し込んでいく。
その拳銃は三つの銃身を束ねた回転弾装という前時代の形だが、フレイムショットやアイスショットといった属性弾はサイズ的に先込め式の拳銃でしか撃てない。通常弾の威力や射程距離なら小銃が上だが、多種多様な魔物を倒す為には特種な弾を撃てる前時代式の拳銃が必要になるのだ。
「でも、ガンナーさんだけでは危険では?」
「私だけじゃないわ。頼れる中衛も一緒よ」
と、彼女の隣でドクトルマグスが頷いた。
「パラディンが負傷し、メディックがここで治療を続けるとなると、彼女と行けるのは俺だけだからな」
ガンナーたちの言葉にヒーローは加勢すべきか逡巡する。
当初の目的は飼い主の捜査だが、ここでリオレイアを放置するわけにもいかない。ベテランであるガンナーたちと一緒なら勝率も上がるだろう。
しかし、それでは飼い主の捜査が遅れてしまう。
「僕はヒーローに賛成だ」
「え? ミスティックさん? 私、何も言っていませんけど?」
「ここでガンナーたちと共闘すべきだって、顔に書いてあるぞ」
「でも、それでは飼い主の捜査に遅れてしまいます」
ヒーローたちの密談中、アイルーはリーパーたちの枕元に歩み寄っていた。
「メディックさん、お嬢さんたちは無事なのニャ?」
「はい。意識を失っているだけで、マギニアに戻って治療すればすぐに全快します」
「それなら僕もガンナーさんと一緒に戦うニャ! 連れて行ってほしいニャ!」
「アイルー? 飼い主の捜査はいいのですか?」
「僕らが追っていたリオレイアだニャ! このままだとお嬢さんたちみたいに犠牲者が増えるニャ! 旦那さんなら絶対そんなこと望まないニャ!」
アイルーは野営地の隅に埋まっていた岩まで四本足で駆け寄ると、どんぐりスコップを突き立てた。大きな岩を縦長に切り崩し、次に大樹に駆け上って枝葉を伐採して、それをしならせて器用に岩を包み込み、裏側に取ってを縛り上げると小さな盾が完成する。
「『荒地のまもり族』から教えてもらった道具の作り方だニャ! これで僕がリオレイアの注意を引くのニャ!」
頭身は低いものの、盾を高々とかまえるアイルーの姿はとても勇ましい。
「ですが、ゾディアックたちのことが気がかりです。万一様態が急変したら、誰かがマギニアへ同行しないと」
「じゃあ、僕が残って甘党二人の傍にいる。陣の力を流し続ければ自然治癒を加速させられるだろうしな」
ミスティックが欠けたことで、リオレイア討伐に向かうメンバーは四人と一匹となった。
前衛がヒーロー、アイルー、ドクトルマグス。後衛はレンジャーと、ガンナー。
「作戦は?」
「リオレイアは野営地の先の広間にいる。中央が吹き抜けて噴水が建っている。最下層から伸びているひときわ大きな噴水塔だ」
樹上で双眼鏡を握るレンジャーが報告すると、それと同じ状況をヒーローが小枝で地面に描いていく。
「まず僕がリオレイアを誘導するニャ! 逃げ回って疲れさせるのニャ!」
「隙ができたところで私とドクトルマグスさん、レンジャーさんで攻撃して弱らせます」
「私が攻撃の直前に君に巫術をかけて、戦況を有利にしよう」
「攻撃する箇所は?」
「リオレイアは翼を破壊すれば動きが鈍くなるのニャ! ヒーローさんたちで翼を叩くのニャ!」
「完全に動きが鈍ったところを、私がアイスショットで倒すわ」
「どこかで作戦ミスが起こったらどうする?」
「リオレイアに狙われた人は、噴水を迂回するように逃げて直撃を避けて下さい。複数で狙われた場合、全滅しないようにできるだけ散開して火球を避けましょう」
作戦を終えたメンバーが立ち上がる。
目指すは野営地の先、リオレイアのいる広間だ。
「皆さん、ご武運を!」
「必ず帰ってこいよっ」
「こらメディ子ぉ~! いつになったら私を治療するんだぁ~!」
メディックとミスティックからの激励に、パラディンの叫びがまじる。
「もうっ! リーダーったら、貴女は加勢に行くべきポジションの人ですよ!」
「無理で~す! だってメディ子が治してくれないんだも~ん!」
「そんなかすり傷に医者なんて要りません! 他の人が優先です! まだテントの中にも怪我人がいるんですから……!」
と、そんなやりとりを背中で聞きながら、ヒーローたちは野営地を出て、リオレイアの潜伏する広間へ向かうのだった。
※
野営地から大広間への通路は低木に阻まれて歩きづらかった。足音をたてぬように慎重に前進していると、リオレイアのものと思われる三本爪の足跡を見つけることができた。どうやら歩いて広間へ向かったらしい。リオレイアは大広間の中央、噴水塔の傍にいた。
ぐるぐると塔を歩き周り、ときおり周囲の樹木や草地に頭を擦りつけている。
「マーキングだ」と、レンジャーが呟いた。
己の臭いを擦りつけることで、他の魔物にリオレイアの縄張りをしらしめようとしているのだ。
「皆さん準備はいいですね。作戦開始です」
「任せるのニャ!」
盾をかまえたアイルーがリオレイアの背後からこそこそと近づいていく。
竜に近づく猫の姿に心細くなる一同だが、アイルーは体格差など臆する様子はない。
そしてスコップで石の盾を打ち鳴らしてリオレイアの注意を引き付けた。
「かかって来い! お前の相手は僕だニャ!」
アイルーめがけてリオレイアが火球を吐く。一発。二発。三発と。しかしアイルーは軽やかに跳躍してこれらを避ける。
飛び散る火の粉は盾で防ぎ、ときに噴水塔から垂れ落ちる水を浴びて盾や体温を冷やしている。
その活躍に四人も舌を巻いてしまう。
「すごい! リオレイアが疲れ始めています!」
「あの猫、うちのリーダーよりも役に立ちそうだ……」
頃合いを見定めた四人が広間に突入する。
「太古の風よ、彼女に力を与えよ」
袂をめくって刺繍のされた腕を出すと、ドクトルマグスが杖の先端をヒーローに突きつける。駿足化を受けたヒーローは韋駄天の早さでリオレイアへ接近。踏み込みと同時に真っ向に切り、逆袈裟に切り上げ、返す刃でさらに一撃と、連続で切りつけていく。
ドクトルマグスも杖の先端の仕込み刀を抜いて、的確に翼手の関節を突き刺していく。鱗のない皮膜は容易く破壊することができ、もう一方の翼もレンジャーの狙撃でボロボロになっていた。
疲労で火を吐けないリオレイアは尾を振り回そうとするが、頭に飛び乗ったアイルーに両目を隠され混乱し、不発に終わる。
「ガンナーさん、今だニャ!」
アイルーはガンナーに呼びかける。
ガンナーは離れた処で拳銃の照星越しにリオレイアを睨んでいた。
「どきなさい!」
ガンナーが叫んだ。
アイルーが頭から飛び退く瞬間、ガンナーが引き金を引いた。
放たれた三つの弾丸は翡翠色の軌跡を描いてリオレイアの頭部へ食い込んだ。瞬間、リオレイアのけたたましい絶叫が響き渡る。
「倒したの?」
前衛三人が固まってふらつくリオレイアを見守る。
レンジャーは弓を引き絞ったまま、ガンナーは拳銃を収めて小銃を構え直す。リオレイアは再度短く鳴くと、その場にゆっくりと崩れ落ちた。ずずぅんと土煙が上がり身を埋めるリオレイア。
しばらく見守るが擬死の様子はみられない。
全員が警戒を解き、胸を撫で下ろした。
「やった、やったニャ! リオレイアを討伐したニャ!」
「貴方のおかげよアイルーっ、野営地に戻って皆に報告しましょう!」
アイルーがヒーローの胸に飛び込み、ヒーローはアイルーを抱きしめる。
ドクトルマグスとガンナーも笑顔でアイルーを撫でていた。
ところが、レンジャーだけは不審げにリオレイアの亡骸を見下ろしていた。
「どうしたんですか?」
「……ここまで手傷を負いながら、どうしてマーキングしていたのかと思ってな。普通の魔物なら、巣作りよりも傷が癒えるのを優先するはずだ」
レンジャーはリオレイアの遺体を観察する。
横向けに倒れた飛竜の姿は、今にも動きそうな躍動感が残っていた。
たくましく首に肩。背鰭や鱗に覆われた背面に比べ、胸元や腹部の肉質は柔らかい。「これは……!」
下腹部を見たレンジャーは身を乗り出し、慌ててぷっくりと膨らんだ下腹部に触れる。
と、その瞬間、下腹部のさらに下の局部が左右に開き奥から白い球体が出てきた。
粘液の糸を引いて草原に落ちてきたのは、砲丸のような大きさの卵だった。
「どうして巣作りをしていたのかわかった。子供を生む為だ……」
「ま、まずいニャ! もしかすると『雄』が来るかもしれないニャ!」
「リオレイアの『雄』?」
ヒーローが首を傾げたその時、全身を震わせるような鋭い鳴き声が轟き、頭上を黒い影が横切った。それはリオレイアよりも一回り小さいが、より猛禽的なフォルムの赤い飛竜だった。
「リオレウスだニャ!」
「リオレウス……。そうか、リオレイアのツガイかっ!」
恐ろしいほどの速度でリオレウスが降下する。地上を目指して全速飛行するような猛スピードに、レンジャーもガンナーも初弾を当てることができない。リオレウスは四人のことなど意にすることなく、倒れていたリオレイアの足元に着地する。
翼をたたみ、くわえていた毒蜥蜴の肉片を差し出している。しかし、死んでいるリオレイアは動かない。
リオレウスは生肉を置いて、リオレイアの額を嘴の先で優しく突き始めた。とうやら眠っているリオレイアを起こそうとしているようだが、彼女が死んでいることに気づくと空を仰いで断末魔のような悲鳴を上げるのだった。
「お、怒ってるのニャ……!」
「ヤバイぞっ!」
振り返ったリオレウスの眼光には禍々しい怒りの炎が宿ってる。内面に渦巻く激しい憤怒が体を突き抜けてヒーローたちに放射されている。妻を殺したのはお前たちかという声さえ聞こえてくるかのようだった。
リオレウスが火球を吐き出した。それらはヒーローたちの周囲に着弾して周囲に燃え広がる。
轟々と燃えさかる炎によって逃げ道を塞がれたところで、翼を広げたリオレウスが地を蹴って飛来する。
レンジャーたちが迎撃するが、それを見越しているかのようにリオレウスは高度を上げ、ヒーローたちの頭上を掠め飛ぶ。
そしてすれ違い様に、垂らした尾の先を飛び道具を持つレンジャーたちを的確に振り下ろしてきた。
回避しようにも周囲は火の海。ヒーローが盾で凌ぐが、破城槌のような衝撃に全身が揺さぶられる。
「大丈夫か?」
ドクトルマグスからキュアを受け、礼を言って立ち上がろうとした瞬間、ヒーローは眩暈を起こし、その場で倒れてしまった。
「ヒーローっ!?」
業火に包み込まれてるというに、体幹を走っていた血流が一斉に凍り付いたような寒気が走り、止めどなく冷や汗が額から流れてくる。
呼吸が浅くなり、ヒーローは自分の症状を伝えることもできない。
「毒だニャ! リオレウスには毒があるんだニャ!」
「わかった、すぐに解毒する!」
意識が遠のきながらもヒーローは首を横に振り続ける。
私の治療は後回しにして、と。しかし毒は容赦なく彼女の体を蝕んでいた。呼吸の流れを堰き止め、体内のいたる臓器に焼きこてを押し当てるような痛みを与えていた。あまりの激痛に、ヒーローはその場で金魚のようにぱくぱくと口を開閉しながら背中を丸めて悶絶してしまった。
「ヒーローさん、しっかりニャ!」
「頑張れ、今助けるぞ!」
前衛が崩れかけたところに旋回したリオレウスが戻ってくる。
レンジャーたちが前衛に入れ代わって狙撃するが、リオレウスはもろともしない。
「僕が時間を稼ぐのニャ!」
「無茶だアイルー!」
盾を背負って四本足で跳び出たアイルー。尻尾の攻撃ぐらいなら回避できると思ったのだ。
ところがリオレウスと対峙した瞬間、アイルーは己の不覚を悟った。リオレウスは尾を振り抜くと見せかけて、その場で軽やかに身を翻し、紅蓮の炎を吐き出したのだ。爆炎を受けたアイルーは熱風の衝撃で吹っ飛び、噴水塔のそばに転がり落ちてしまう。
「い、痛ててだニャ……」
帽子のゴーグルは割れ、レザーの上下服は黒く焦げ、一部の毛並みがぷすぷすと燃え尽きている。
よろよろと立ち上がり盾を握るが、そこへ目がけリオレウスが再び火球を吐く。
爆発と同時に、アイルーが握っていたはずの盾が花火のように空高く舞い上がり、放物線を描いて落下する。
「アイルーっ!」
黒煙に包まれてアイルーの姿を認めることはできなかったが、彼はまだ生きていた。
スコップを杖にして立ち上がり、よたよたとリオレウスに歩くと注意を引こうとスコップを振り上げる。
「ちょっと、あのままだと死ぬわよ!」
「アイルー、もういい逃げろ!」
ありったけの声で叫ぶが、意識が朦朧としているのかアイルーはふらふらとリオレウスに向かっている。
満身創痍になりながらも己の役目をはたそうとする様は幽鬼のようで、その行軍には味方であるレンジャーすらも背筋が震えるほどだった。
じりじりと接近するアイルーにリオレウスも意識を奪われている。
確実にアイルーにトドメをさそうとリオレウスは歩を進め、両者の距離はゆっくりと縮まっている。
このままではアイルーが殺されてしまう。自分たちの為に奮戦するあの猫を見捨てることはできない。
レンジャーは弓をしまうと投擲用のナイフを抜いてリオレウスへと駆け出した。どうにか両者が衝突する前にアイルーをかっさらいたいが、全力で走っても間に合いそうにない。
「おい雄竜! 女房を殺したのこっちだ! てめぇは猫しか相手にできねえのか、このカマ野郎!」
精一杯罵り、ナイフを投げようとした瞬間、レンジャーの隣を誰かが駆け抜けていった。その後ろ姿はガンナーでもドクトルマグスでもない。紅蓮の炎を突き破ってこの広間へ飛び込んだ、第三者であった。
「誰だ?」
レンジャーは思わず歩幅を緩める。その人物はリオレウスへ疾走すると、その背中に跳び乗った。
虚を突かれたリオレウスがそれを振り落とそうと暴れ始める。態勢を乱されながらも執拗にへばりつき、手にした短剣を何度も何度もリオレウスの頭頂に突き立てている。
「旦那さん……」
見ればアイルーの瞳に光が戻っている。
「旦那さん? 『彼女』が君の飼い主なのか?」
アイルーが旦那さんと呼んだ人物を乗せたまま、リオレウスは背中から噴水塔に体当たりをする。
地響きとともに塔が揺れ、一部の壁面が崩落する。
その衝撃に耐えられず、『彼女』はリオレウスの背中から落下してしまう。
「大丈夫かっ?」
「旦那さん、しっかりニャ!」
レンジャーとアイルーが駆け寄ると、彼女は自力で立ち上がり、背中に差していた鉄塊のような大剣を抜いて正眼にかまえた。
「君がアイルーの飼い主、『ハンター』だな?」
レンジャーが訊くと、彼女はこくりと頷いた。
後ろに縛られた銀の長髪が馬の尻尾のように揺れ、口元には一見すると拘束具のような獅子の顎を模したマスクを着用している。
黒いインナーの上に石彫りの阿修羅像のような剛毅な鎧姿だが、軽量化の為か太股や背面の装甲がなく、地肌の露出が多い。
彼女が攻撃特化職であることは、レンジャーにも一目でわかった。
「加勢してやる!」
と、新たな声に振り向くとそこには鎧姿のパラディンが。
「メディ子が猫の事を喋るなり、テントから飛び出しやがったんだ」
パラディンが親指でぐいっとハンターを指差す。
どうやらハンターはパラディンのギルドに発見され、テント内で治療中だったらしい。
「旦那さんがテントにいたなら教えてくれればよかったのニャ! ぷんぷんだニャ!」
「文句ならメディ子に言え。お前が『旦那さん』っていうからてっきり男かと思ったんだとよ」
飴玉のように両頬を膨らませるアイルーを、パラディンが猫掴みして持ち上げた。
「ニャ? なにするのニャ?」
首を掴まれ洗濯物のように揺れるアイルー。前足をじたばた伸びして暴れるが短くて届かない。
「邪魔だから怪我人はどいてろ。あっ、怪我人じゃなくて怪我猫か?」
「邪魔じゃないニャ! まだ戦えるの……、ニャ! ニャニャ~!」
パラディンが投げたアイルーを後方のガンナーがナイスキャッチ。
「これで存分に戦えるな」
「君は病み上がりだろう? 大丈夫なのか?」
「盾が泣きべそかけないだろう」
「頼もしい。だが、君は大丈夫なのか?」
ハンターは無言だったが体勢を立て直したリオレウスが咆哮しても、切れ長の目に怯えの色が宿ることはなかった。彼女もまた、いくつもの死線をくぐり抜けた猛者なのだろう。
「それに、病み上がりなのはあちらさんも同じだ」
リオレウスの顎からは、頭部からの鮮血が滴り落ちていた。レンジャーは、ハンターが突き刺していた短剣の刃渡りが目測で三十センチはあったのを思い出す。それは、世界樹の迷宮において魔物の心臓を外皮から突き刺すことができるぎりぎりの長さとして知られている。
どうやらハンターの暮らす世界においても、その常識は共通しているようだ。暮らす世界が違えど、魔物への知識が同じならば連係できる。
「動きを止めよう。私は右足をやるから、アンタは左を頼む」
「了解だ」
「足を封じたら動きが鈍る。そこへ貴女のとっておきの一撃を頼む」
パラディンの指示に、頷くハンター。
「来るぞ!」
リオレウスの突進をパラディンは右に、レンジャーは左に身をそらして避ける。すれ違いざまにパラディンは右大腿に刺突を、レンジャーは逆手にかまえたナイフを深々と突き立てた。悲鳴とともに、わずかにリオレウスの走行が鈍る。
そこへ正面に待ち構えていたハンターが渾身の力で大剣を上段から振り下ろした。遠い間合いから出されたこの一撃はただの布石。空を切った大剣は地面に刺さり、ハンターは柄を握って軽やかに身を持ち上げると刺さっていた切っ先を支点に宙で一回転するようにくるりと身を翻した。流れるようなその動作の最後に大剣を抜き上げ、間合いに入っていたリオレウスの頭頂に棍棒のごとく叩きつけた。
頭蓋骨を砕きわるような衝撃を受け、リオレウスはその場から大きく後退し、そして地上戦の不利を悟ったのか大きく翼を広げた。
「逃がすか!」
目にも止まらぬ早さでレンジャーが複数の矢を同時に引き絞る。
「乗れ! 私が足場になる!」
パラディンがリオレウスに背を向けて盾を斜めにかまえた。意図を察したハンターは助走をつけて盾に跳び乗ると、パラディンの盾を振り上げる力に合わせて盾を蹴って跳躍し、空中で抜いた大剣を狙撃に怯んでいたリオレウスにめがけて叩きつけた。
響き渡るリオレウスの絶叫。ハンターが軽やかに着地をする傍ら、リオレウスは滑空するように広場の隅へ墜落する。意識を失いつつも翼が浮力を保っていたので途中までは高度を維持していたが、ある地点を境に急降下が始まり、リオレウスは草地を抉りつつ広間を囲む樹林に頭をめり込ませるようにして止まった。
そこは偶然にもリオレイアの亡骸が横たわる地点のすぐ隣だった。
二頭の飛竜は、向かう合う姿勢で地に埋まっていた。
今度こそ、戦いは終わったようだ。
「旦那さん、旦那さ~ん!」
ハンターめがけて、タックルするかの勢いでアイルーが抱きついた。
「旦那さん、よかったニャ! 心配したのニャ!」
アイルーが垂れ流す涙や鼻水を気にすることなく、ハンターも彼を抱きしめる。
「はっ! 旦那さん、ヒーローさんを助けてあげてほしいのニャ!」
いきなりアイルーが顔を上げる。ハンターの胸に顔を埋めていたので、それに合わせて鼻水がびょ~んと伸びる。汚ねぇ。
アイルーが先導した先には、未だに床に伏せるヒーローの姿があった。先程よりも顔色は良くなっているが、息は荒く発汗量も多い。
「すまない……。薄めることはできたが、毒は抜けきっていないんだ」
「このヤブ医者! メディ子の劣化職! お前はロリータ要員の解毒すらできんのかっ!」
「リーダー、言い過ぎよっ」
「これは飛竜の毒だ。筋繊維や止血成分、神経を破壊する蟲や蛇のものとは違うんだよ」
パラディンの叱責にドクトルマグスは顔を伏せる。彼の治療術でも、飛竜の解毒は難しいようだ。
「旦那さん、お願いニャ!」
「……君は回復術も使えるのか?」
レンジャーが訊くと、彼女はヒーローの枕元に腰掛けて膝枕をした。そして腰のポーチから青色の小瓶を取り出し、彼女の口に流し込んだ。
「なるほど。そちらの大陸での解毒薬か」
「ニャ! 僕らは狩りの時、絶対に解毒薬を持って行くのニャ! それから回復薬に携帯食料も!」
声量を上げるアイルーに、ハンターが静かにしなさいと唇に指を当てる。アイルーは慌てて両手を口にあてた。
「……アイルー?」
解毒薬を飲み干すなり、ヒーローが意識を取り戻した。
「……こちらの方が、飼い主?」
ハンターは口元を覆っていたマスクを外すと、ヒーローの額を愛でるように撫でた。
「ふあっ。気持ちいい……」
眠るように目を瞑るヒーローに、ハンターは女神のように優しく微笑む。まるで仲の良い姉妹のようだ。無骨な装備のわりに、ハンターも根は優しいのかもしれない。
「ところで貴女、どうやって帰るつもり? さすがにマギニアから貴女の大陸に出る気球艇なんて無いわ」
ガンナーの言葉に、ハンターは首を傾げて唸る。
「ひょっとして、喋れないの?」
「旦那さんは昔、炎妃龍の攻撃で喉を焼かれちゃったのニャ」
だから仕草で返答しているのか。と、そのときレンジャーたちの足元が翳り、見上げると、上層の階層よりもさらに上空に一隻の気球艇が滞空していた。しかしその気球艇、マギニア周辺では見慣れない形状だった。船体が木造で、浮力を得る為の気球が縦に長く、それも複数で連なっているのだ。
「あれは……?」
「どうやらお迎えのようだな」
気球艇の船縁から錨状のものが投下されると、それはこの大広間の地層にぶつかる直前で止まった。それには帆船の物見台のようにしっかりとした足場が設けられており、そこに乗っていたのはアイルーとそっくりな猫たちであった。
「『オトモダチ探検隊』だニャ!」
着地した三匹はアイルーを見つけると、一斉に駆け寄ってくる。槍を持ったすらりとした長身の猫や、包丁を持った丸い奇面をつけた猫(?)、ペンギンのように丸っこい生物もいる。
「テトルーにガジャブー、ポワポワも来てくれたのニャ!」
四匹揃うと、アイルーたちは互いに前足を取り合って和になると『ニャッ! ニャッ! ニャッ!』と声を揃えて躍り始めた。
「あいええええええぇぇぇ!」
突如、奇声を上げてヒーローが跳ね起きた。
「ど、どうしたのこの子?」
「まさか、毒で正気を失ったのか?」
「ういいいひひひひひいいいぃぃぃぃ!」
ヒーローがゴキブリモードで猫の和に突貫する。
「アイルーちゃんが増えてる! 全員、お持ち帰りぃ!」
「ギニャ~~! ヒーローさん恐いニャ! 動きがネルギガンテみたいになってるのニャ!」
「あけけけけけけけけけけぇ!」
奇声を上げながら四つん這いで跳ねなが猫たちを追い回すヒーロー。彼女の発狂ぶりにガンナーたちも唖然としている。
「ねぇ、あの子大丈夫なの?」
「やはり毒の影響か……!」
「山田孝之の『ごっこCM』を凌駕する動きだ」
「落ち着けリーダー、人としてやっちゃいけない動きになっているぞ!」
レンジャーが羽交い締めにするが、ヒーローは口から泡を吹きながら血走った目をアイルーたちに向けている。
猫たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出し、中には小石を投げて応戦する猫もいた。
戦場化する地上を差し置いて、猫たちに遅れて鎖を伝って気球艇から降下する人影があった。
猫ではなく、全員が人間だった。太刀やハンマー、見慣れない銃火器と別々の武器を背負っており、鎧の姿もまるで違った。全員フルフェイスタイプの兜をしているので素顔はわからないが、ハンターが気さくに片手を上げているから彼女の仲間のようだ。
「おいロリータ、異文化交流だ。真顔でいくぞ」
パラディンがヒーローの頭を小突いて正気に戻した。アイルーたちも逃走を止めて、それぞれの飼い主の元へ駆け戻る。
「初めまして、というべきかな」
リーダー格の男は柔らかい声で言うと、こちらに歩み寄って握手を求めるように手を差し出した。
「ほらっ。行ってこいロリータ」
「わ、私がですか?」
「猫の依頼を引き受けたのはお前らのギルドだろ」
背中を肘で突かれてヒーローが彼の手を握り返す。
「彼女を救ってくれたことを感謝する」
「いいえ。当然のことをしたまでです」
「我々もすぐに救助に来たかったのだが、こちらの気候や空路には慣れていなくて時間がかかってしまった。君たちがいなければ最悪の結果になっていただろう」
男はヒーローから視線を外し、リオレウスたちの亡骸を見つめた。
「それにしても『歴戦個体』を二体同時に仕留めるとは凄い腕前だな。よかったら我々の大陸に来ないか?」
「えっ?」
アイスリット越しに、男は冗談とは思えないほど真剣な眼差しを向けてきた。
「君なら、優秀な狩人になれる」
「ニャ! ヒーローさんたちなら大歓迎だニャ!」
男だけでなく、ハンターとアイルーまで頷いていた。
「私が、狩人に……」
一瞬。
ほんの一瞬、ヒーローはアイルーたちに囲まれて魔物を討伐する生活を夢想した。アイルーと一緒に寝て、起きて、食事をして、時に肉球をつんつんしたりもして、生活を豊かにすべく魔物を狩る……。そんな日々も、悪くないかもしれない。
けれど
「いいえ」
ヒーローは首を横に振った。
「私たちは、冒険者なので」
「冒険者?」
「『世界樹の迷宮』が待っています。魔物狩りは『ハンター』さんにお任せします」
そうかと、男は残念そうにヒーローたちに背を向け、気球艇の錨に足をのせた。
「ヒーローさんたちとはお別れニャ。名残惜しいのニャ……」
ハンターとアイルーも彼に続いて錨へ向かう。
と、その時ハンターが踵を返してヒーローの前に戻ってきた。
「どうしました?」
ハンターは自分の胸の谷間に手を突っ込み、そこから金鎖のネックレスを外すと、それをヒーローの首に巻き付けたのだ。
「これは?」
「護石だニャ! 『精霊の加護』のついたアクセサリーだニャ!」
アイルーによると、希にではあるが持ち主が受ける苦痛を半減してくれる神秘のお守りらしい。
「こんなアイテムを、いいんですか?」
ヒーローが訊くが、ハンターは笑顔で手を振るだけだった。
「あの……!」
「冒険者さんたち、さようならニャ!」
全員の搭乗を確認すると、錨はゆっくりと釣り上げられ気球艇へと戻っていく。
「僕、絶対に皆さんのことを忘れないのニャ!」
錨が完全に戻ると、気球艇は音もなく微速前進しみるみるうちに遠ざかっていった。
「『私たちは冒険者なので』か……。言ってくれるね。ロリータ」
「ロ、ロリータじゃなくて、ヒーローです」
冷やかすように言うパラディンを、ヒーローが見上げて睨む。
「怒るなよ。優秀な後輩がいてくれて私も嬉しいのさ」
「ふ~んだ。パラディンさんのことを先輩だなんて思えません」
「な、なんだと。リオレウス戦のときは途中退場していたくせに!」
「パ、パラディンさんだって途中参加だったじゃないですか! こっちは連戦だったんですよ!」
「連戦がなんだ! そんなことで弱音を吐くな! このパッケージ泥棒!」
「「「二人とも止めなさいっ」」」
ガンナーとドクトルマグスがパラディンを、レンジャーがヒーローをつかまえて、遠ざける。
若干騒がしくなりながらもどうにかその場は落ち着きを取り戻した。
新種との連戦に、異国との交流。それらを終えて興奮が醒めるといつの間にかすっかり日が傾いていたのに気付いた。
山並みのようにそそり立つ樹木が迷宮に少しづつ影を落とし、草地は消えつつある熾火のように赤く輝いている。
足元の半分は既に暗がりに飲み込まれているというに、冒険者たちは残照へ消えゆく気球艇の後ろ姿をいつまでも見送っていた。