亜種特異点 獣病隔絶都市ヤーナム   作:山田澆季溷濁

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「ヨセフカの診療所」

 古都ヤーナム。山間部に位置するこの隠れ都市は、重く暗い雰囲気が拭いきれない土地でもあったが、代わりに古くより医療の業が発展していた。

 心身ともに病に侵された者共が、ヤーナムの「血の医療」に望みを託し、今宵も馬車に乗り込むのだ。

 不思議な事に、「血の医療」を受けた者は二度と帰ってこなかった。ある者は中途で力尽きたと言えば、ある者は血に魅入られたと言った。どちらにせよ、自らの体内に、謎の液体を注入して治療を試みるなど、およそ人間が行うことではないのだ。

 それでも、ヤーナムの「血の医療」を求めて、今宵も多くの持たざる者たちが聖堂街を訪れるのであった……。

 

 

『……終わりました。東洋の方なんて珍しい。どうか血のご加護を』

 

「うぅ……。何だ、今の……」

 硬いベッド、いや、手術台のような物の付近で目が醒めた。およそ良い場所とは言えない環境で眠っていたからか、身体中のあちこちが鈍く悲鳴を上げていた。

 周囲を見渡しても、光源が乏しいので何も見えなかった。

 腕を組んで考えた。眠る前に自分は何をしていたか。長い時間を考えて唯一分かったことは、よく分からないということだった。

「オレはどこだ……? ここは誰だ……?」

 

 ピチャ…………。

 

「ん? なんだ?」

 

 青年は何かを踏んだ。正しくは、その地点にあったモノの上に乗ったという表現が適切なのだが。

 やけにヌルヌルする液体を踏んだ青年は、露骨に不快感を露わにしながら、近くに置いてあった包帯で靴を拭う。室内で靴を履いているという感覚が、どうにも青年の心に違和感を与えた。

 包帯の近くにあった紙切れを手に取った。

seek paleblood to transcend the hunt』(青ざめた血を求めよ、狩りを全うするために)

 それは手紙のような物だった。薄く汚れた紙質だが、それでもかなり上質な物を使用していることが分かった。ただし、分かったのはその部分だけ。何を隠そう、この青年は日本語しか扱えない鎖国系男子なのだ。

 よって、この紙切れを読んだ感想はたった一つ。

 

「よく分かんねぇや」

 

 フランス、オルレアンでマシュから教わったことを思い出す。



『先輩、未知の領域に足を踏み入れた時はどうすれば良いか分かりますか?』

 

「未知の領域……? まぁ、身の安全を確保するか、貴重なタンパク質を摂取するかじゃないかな」

 

『惜しい! 不正解です! 0点です! 模範解答は、自身の置かれている状況を整理して、パニックにならないようにすることです!』

『言語が通じなくても、その場所の特徴から推測することが大事なんですよ。そう、何があっても落ち着いて行動することが大切なんです』

 

「はぇ~……。あっ、便所コオロギだ」

 

『ヒエッ……! 「いまは遥か理想の城」(ロード・キャメロット)!!!』



 

 青年はマシュの言った通りに思考を張り巡らせる。手紙に書かれていた言語から、少なくともここは日本ではない。電気ではなくランタンが使用されている限り、インフラが整っていないらしい。状況を確認するには、青年が居る部屋は小さすぎた。青年は光を求める蝶のように、ふらふらとドアに手をかけるのであった。

 目の前に広がっていたのは階段。急な段差を下りるという行為は、起き抜けの脳ミソには些か苦労する動作であった。バリアフリーどころか手すりすら設置されていないとは、社会的に大丈夫なのだろうか。

 何とか段差を下りきると、そこには広い空間があった。しかし、鼻にツンと来る臭いが立ち込めていた。

 

「うわマジかよ。これは流石にヤバいでしょ……」

 

 所狭しと置かれている診察台の数々。青年は初めてここが病院の類なのだと理解した。だが、病院と結論付けるのは早計だろうか。その空間は獣臭い腐敗臭が発生していた。

 青年は鼻を押さえながら足を進める。それでも口の中から臭いが侵入してきた。

 倦怠感と不快感が、腹の中でグルグルしている。

 

 やがて青年は、暗がりに居る大きな存在に気が付いた。

 

「あの~、すみませ~ん。今って大丈夫な感じですか……?」

 

 ピチャピチャ…………。ピチャピチャ…………。

 

「あー、えっと、エクスキューズミー?」

 

 一回目のコミュニケーションはガン無視を決め込まれてしまった。青年はめげずに二回目の接触を試みた。

 目の前の人物の姿は、相変わらず暗くて全貌を掴めずにいたが、静かな室内に響き渡る水音が床を舐める音だと判明した時には既に遅かった。

 

「グウルルルルルルル…………」

 

「なんだコイツ!? キメぇ!!」

 

 床を舐めるのが趣味の恵体の男かと思ったら、まさか床に飛散した血を舐めているとは。なんなら人間でも無かったとは。

 青年と犬の似姿をしたバケモノは、完全に目が合ったきりお互いに静止した。どちらも「見つかっちまった……」と言いたそうな顔をしていたのだ。

 あまりにも犬のようなバケモノがこちらを見てくるため、青年は、もしかしたら見た目がアレなだけで本当は良い奴なのではないかと考えるようになった。

 そして、何を血迷ったのか、バケモノに対して手を差し伸べた。

 

「Hi, My name is Ritsuka Fujimaru.Nace to meet you! hahahahahaha!!」

 

「ガアアアアア!!!!」

 

 ガブウウウウ!! 

 

「いっでえええええええ!!!! なんでえええええ!!!!」

 

 ブチイイイ!! 

 

「あああああああ!! オレの令呪があああああああ!!」

 

 手首から血しぶきが噴出した。令呪ごと右手を持っていかれたのだ。鋭利な牙を持った生物が友好的である道理が無いのだ。完全に判断を誤った青年は、気が遠くなるほどの痛みを堪えようと、血濡れた床を転げまわった。それが意図せずバケモノの追撃を避ける回避行動に繋がったのだが、それは果たして奇跡か偶然か。

 

「絶対勝てねぇ! 負けイベントだコレ!!」

 

 バケモノは鼻を鳴らしながら、青年からもぎ取った手を食べていた。その隙に乗じて、青年は先にあるドアを目指してそろりと歩いた。しかし、足元に転がるガラス瓶の存在に気づかず、ガシャン! と大きな音を立ててしまった。痛みに耐えながらそれでも先を急ぐ。

 

「しまった……! ってコレ、血か……?」

 

【ヨセフカの輸血液 を入手しました】

 

「あぇ……? なんか、視界が……」

 

 血液を失い続けたのだ。まともな人生を送っている青年男児であれば、手を得体の知れないバケモノに噛み千切られるなんて経験はしないはずだ。

 貧血とはまた違う感覚に、驚きと混乱を隠せなかった。

 令呪を食ったバケモノが、目を紫色に光らせて接近してくる。青年が逃げられる状態ではないと言うのに、それでも物凄い速さで駆けてくる。それほど血肉を欲しているのか。病的、あるいは狂気的とも取れるバケモノの行動に、青年はコイツが理性を持たない獣だということを理解した。

 

「ちくしょおおおおお!! なんか起きろおおおおおおお!!」

 

【石ころ を使用しました】

 コツンッ

 

「なんも起きねぇじゃん!!」

 

 無念、奇跡起こらず。それどころか青年の生死を賭けた渾身の一打は、大型の獣の神経を逆撫でしたのであった。

 獣の鋭い爪が、青年の胸を引き裂く。カルデアの耐衝撃性能を持つ制服を、易々と破壊していくその獣は、それでいて追撃の手を休めず攻撃を行った。

 青年の生命維持活動が完全に停止するまでの数分、獣は青年の肉体を貪り続けた。耐え難い痛みで、途中で意識を失ったのは人体の神秘を称えるべきか。

 まったく、初見殺しもいい所である。

 

【GAME OVER】

 デエエエエン…………、オオオオオオ…………。

 

「いってぇ……。死ぬかと思った……ってか死んだだろ絶対に」

 

 獣に皮膚を裂かれ、肉を食い破られる感触が依然として肉体に残っていた。ジンジンと痛む体に鞭打ち、青年はその場に立ち上がった。

 無意識の内に右手で地面を押して立ち上がる。獣に噛み千切られたはずの右手で。

 

「あれ、令呪がある……。っていうか、傷一つないぞ?」

 

 無残に引き裂かれた制服も元の形に戻っており、神経がうねりを上げる痛みだけが体にあったのだ。

 しかも周囲を見渡せば、腐敗臭立ち込める病院(?)ではなく、宇宙に届くかと思うほどの大樹がそびえる空間に居たのであった。

 人生終了したかと思ったら、謎の空間にワープしていた。あまりの展開に、流石に思考が停止した。探索するべきなのだが、自身が置かれた状況の意味不明さに、ワクワクよりも恐怖の感情の方が大きくなっていた。

 

「……固有結界? いや、規模がデカすぎる。神霊クラスか?」

 

 その場に居座り続けても何も良い事は起きない。夢は自らの手であーだこーだなのだ。

 丁寧に剪定された植え込みから、立派な邸宅が姿を現した。

 もしかしたら敵性存在のアジトかもしれない。そのような不安が拭い切れなかったため、まずはジャブ程度に邸宅の周辺を見て回るのであった。

 

「こういう時にマシュが居てくれたら安心できるのに……」

 

 墓が立ち並ぶ道を歩く。一体全体この空間がどういう場所なのかがハッキリとしていなかった。目が醒めてからずっとこんな感じであった。既に脳のキャパシティーはオーバーしており、今の青年には迫りくる全てを受け入れる無我の境地に達していた。

 決して諦めムードに入ったとか言ってはならない。

 

「これは、人形か……?」

 

 青年は捨てられた人形を発見した。生きた人間がそのまま人形に変化したかのような、とても精巧に作られた物であった。獣と遭遇した病室のような暗がりで見たら、それこそ生きた人間だと間違えてしまうだろう。

 生憎、青年は喋らぬ人形を愛でる趣味は無かったため、「段蔵といい勝負しそうだな」なんて失礼なことを考えながら、ひとしきり眺めた後に先の階段を目指した。

 

 階段の頂上には、邸宅の玄関口と思われる扉があった。青年は扉を開けた瞬間、獣が飛び出して死亡するなんてことを防ぐため、耳を扉に近づけて内部の状況を探った。

 その姿は傍から見れば、実に滑稽なものだっただろう。

 事実、青年は背後から近づく一人の人物の足音に気づかず、あろうことか接触を許してしまったのだ。

 

「……なにやってんのよ、アンタ」

 

「ほわああああああああ!?」

 

 青年は驚きのあまり飛び上がった。その行動に驚いた様子の女性もまた飛び上がるのであった。

 

「ちょっと、そんなに驚かなくてもいいでしょ!? 大きな声出さないでちょうだい!」

 

「うわああああああ! オレのサーヴァントだあああああ!!」

 

 見知らぬ地どころか、一回死んでいるのだ。もしかしたらここは死後の世界なのかもしれない。そのような不安が心を埋め尽くしていく中で、顔なじみと出会ったのだ。青年の安心はどれほどだったか。

 

「落ち着きなさいっての! 『オレの』じゃなくて、『カルデアの』サーヴァントよ。そこの所しっかり区別しなさい」

 

「んんんんんんん!! 邪ンヌううううう!!!!」

 

「落ち着きなさいって言ってるでしょ!?」

 

 奇跡的に合流したマスターとジャンヌ・オルタ。二人は固く閉ざされた扉の前に座り込み、お互いが知っている情報の共有を行う。

 打ち捨てられた人形を挟んで、二人は会話を行う。別に今日初めて会ったという関係ではないのだ。姿勢を崩し、かなりリラックスした体勢でお互いの話を聞いた。

 不思議と、時間の経過が感じられなかった。体感的な意味ではない。この空間が別次元にあるというような感覚に陥った。事実、空は灰色に明るいと言うのに、満月が見下すように確かにそこにあった。

 あまりにも邪ンヌがさも当然のような振る舞いをしているので、あえて指摘はしなかったが。「これがこの空間の常識なのだろう」そう考えた青年は、鈍い頭痛に襲われた後に、やがて考えるのをやめた。

 

「邪ンヌは、どうやってここに来たんだ?」

 

「来たも何も、起きたらここにいたんです。ちょうど階段の下辺りで」

 

 邪ンヌは墓石に対して人差し指を向けた。

 令呪ごと手をもがれたというのに、サーヴァントとの契約が続いているのは不思議の限りであった。

 青年こと藤丸は、自身が目覚めてからこの地に転送されるまでの経緯を話した。

 

 顔面の表情を歪ませて話を聞く邪ンヌ。陶器のような頬に手をついて、半信半疑の面持ちで藤丸の顔を見ていた。

 あまりにも現実離れした話に、彼女は「フフッ……」と吹き出した。

 

「ボーっしすぎて変な物でも見たんじゃないんですか? 貴方、いつもアホみたいな顔してますし?」

 

「いつも一言多いんだよ……。だけども本当の話なんだ!」

 

「ハッ! もしその話が本当なら世界は終わってるでしょうね! 病院の床が血塗れだなんて、私の時代でもあり得ないことなんで!」

 

 人形の肩を手をついて、邪ンヌは勢いよく立ち上がった。ひらりとマントを翻して髪の毛を揺らした。彼女の自信満々のその態度は、それだけでトラブルを引き起こす種にもなるのだが、このような状況においてはむしろ安心感を感じさせるものでもあった。

 最終的には、管撒いて敗走することがここ最近の彼女なのだが。

 

 藤丸は、ふと足元に視線を落とす。そして地面の底から流れ出て来る謎の霧を発見した。

 邪ンヌは自身が目覚めたという墓石をぺちぺちと叩いていた。

 

「……なんだよ、この霧」

 

 その時、霧の中から何の前触れもなく謎の生命体が出現した。レンガをひっくり返したら、冬眠中の蟲たちを発見したかのような気持ちになった。

 骸骨に似た生き物。しかし明らかに人体の構造とは異なる骨格をしていた。それはとても小さく、何かを訴えるような顔をして藤丸の足に擦り寄るのであった。

 

「邪ンヌ! 今すぐ来てくれ!」

 

「……? なんですか、さっきから暴れて……」

「うわっ!! キモッ!!」

 

 邪ンヌが藤丸に近づいた瞬間、謎の生き物(生きているのかすら不明)はたちまち地中に戻ってしまった。咄嗟に出てしまった邪ンヌの罵倒に傷ついたのか、それともただの恥ずかしがり屋なのか。実際の理由は、二人に適性が無いと判断されてのことなのだが、その時の二人にはそれを知る術はなかった。

 歴戦の英霊であるサーヴァントと言えども、初めて見る得体の知れない生物には流石に動揺するらしい。それがこの世の生物ではないとすれば、なおさらである。

 

「ほらまたそうやって邪ンヌがキモいって言うから~……」

 

「はいぃ!? 私のせいって言うの!? 確かに言葉は荒かったかもだけど、あんなの見たらそういう言葉の一つや二つ出るものでしょう!?」

 

「白いジャンヌは可愛いって言いそうだけどな」

 

「……引き合いにアイツの名前を出さないでちょうだい」

 

 藤丸は邪ンヌのように人形の肩に手を置き、そのまま勢いに乗って立ち上がった。

 遠くの方の地面から、先程地中に潜っていった骸骨たちが顔を見せていた。ある骸骨は手に紙を持っており、ある骸骨は酷く汚れた武器と思われる物を持っていた。よく見れば、全ての骸骨の表情は全て違っていた。個体差があるのだろうか、だが何の役にも立たない気づきであった。

 唯一共通している点があるとするのならば、藤丸と邪ンヌの周囲にはその骸骨はいないという点だった。まるで二人だけを避けるかのように、その骸骨たちは存在をアピールしていた。

 

 邪ンヌは墓石に刻まれていた文字を読もうと孤軍奮闘していた。本来は文字の読み書きも出来なかった聖女である。なんとかその頑張りの成果を見出そうとしているのか、それで額に汗かきながら解読を進めていたのだ。

 

「ぐぬぬ……。し、し、しん、しん、しんり、診療所!!」

「読めた! 『ヨセフカの診療所』って書いてあるわ!」

 

 刹那、墓石から眩い光が放たれ、二人の姿を明るく照らした。

 それはレイシフトと酷似したものであったが、どこか高次元的と言うか、名状しがたい感覚に陥った。その光から逃れるには遅く、瞬く間に二人は墓石の光に取り込まれ、そして人形の前から姿を消した。

 夕暮れを彷彿とさせる空は、元々二人など存在していなかったと言わんばかりの静けさを纏っていた。

 

【ヨセフカの診療所】

 テエエエエエン…………オオオオオオオ…………。

 

「……」

 

「……」

 

「どこよ、ここ……」

 

 視界をチカチカさせるほどの光が消えた。突如として現れたのは、棚に置かれていたであろう物が床に散らばった空間であった。この場合は藤丸たちが、この空間に現れたと表現するべきか。

 邪ンヌは落ち着きもなくその場を歩き回った。赤黒いシミがこびりついた床板は、彼女が歩くだけでミシミシと音が鳴った。別に彼女の体重が重いわけではない。

 そんな邪ンヌの様子を放っておいて、藤丸はこの場所が初めに目覚めた場所とは異なることに気がついた。そして、周辺をキョロキョロと見渡してビビッている警戒している邪ンヌを置いて、すぐ後方にある階段を登った。

 

「ちょ、ちょっと! 待ちなさい! どこに行くって言うのよ!」

 

「……オレが目覚めた場所は、この階段の上にあるんだ」

 

「だからって置いていくことないでしょう!?」

 

 ガンガンと前進する藤丸の服の裾を、邪ンヌはなんとか握り締めた。ほどなくして、二人は階段を上り切った訳なのだが──そこにあった扉は固く閉ざされていた。

 

「……この扉の前で目覚めたってわけ?」

 

「いや、オレはこの先で目が覚めたんだ。それで確かにこの手で扉を開けたんだ」

 

「じゃ、じゃあ何で閉まっているのよ!」

 

 本当にこの場所が一度通った道なのかの確証は得られなかったが、脳ではなく体が記憶していた。きっとそうなのだ、と心の深淵が強く訴えていた。

 藤丸は試しに扉のノブを握った。──ガチャガチャと数回ノブを回転させる。

 

【こちら側からは開かない】

 

「誰かが鍵をかけたんだ……」

 

「こんな不潔な所に人が居るって言うの? それこそ狂人よ……」

「ねぇ、もう帰りましょう? なんだか嫌な予感がするんですけど」

 

 邪ンヌはこの空間を満たす臭いを知っていた。かつてのオルレアンで、何も感じなくなる程嗅いだ臭い。血濡れの死肉が腐敗していく臭い。それに加えて何か有機物を燃やす臭いも感じられた。それが何を燃やしているのかは、憎悪の炎を扱う彼女が誰よりもよく知っていた。

 藤丸は邪ンヌの提案に頷いた。こういう時の為にダヴィンチちゃんやホームズたちが居るのだが、生憎助力を乞う事は出来なかった。「何が起きるか分からない」そのような不安を消すために、二人は早期撤退を試みた。

 ──その時、

 

『誰かいらっしゃるのですか? もしかして、狩人様の紹介の方ですか?』

 

「「うわああああああああああ!! 出たあああああああああ!!!!」」

 

 鍵のかかった扉の先から聞こえた声に、二人は思わず飛び上がった。

 

『驚かせてしまって申し訳ございません……。ですが、あまり大きな声を出されると、獣が寄ってきますので、お控え頂けたらと』

 

「あぁビックリした。邪ンヌ。扉の向こうの人は何て言っているんだ?」

 藤丸は英語のリスニングが出来ないため、すぐ隣でうずくまる邪ンヌに翻訳を要求した。

 

「え? あぁ、はい。うるさいから大きな声出すなって言ってます」

 

 扉の先に居る存在が敵ではないと判明してから、邪ンヌは露骨に態度を大きくさせた。彼女は初対面の人には舐められないようにと相手を牽制する悪癖があったのだ。だが、根っこは聖女なのでヤンキーになりきれず、すぐにボロが出て格下に見られるようになるというオチも準備されていた。

 

「アンタ、もしかしてここに住んでる人? だったらここがどういう所か分かるでしょ。教えなさい」

 

『男性の方は、あぁ、あの東洋人の方でしたか。回復されたようで何よりです』

 

「ちょっと、無視しないでくれる? 普通に傷つくんですけど」

 

『ですが、あなたは……血の香りがしますね。もしかして、貴女も狩人様なのですか?』

 

 邪ンヌは、扉の向こうの女性と何かを言い合っていた。二人の会話に入ることが出来なかった藤丸は、ただ邪ンヌの後ろ姿を見つめ、「もっと英語勉強しとけば良かった」と、学生時代の後悔に思いをはせていた。

 やがて邪ンヌの足が忙しなく動いていることを発見した。タンッ、タンッ、と靴を鳴らすその様子は、わざわざ聞かなくても理解できた。彼女はキレそうになっている。どうにも扉の向こうの女性とは仲良くなれそうにないらしい。

 

「はいぃ? 狩人も何も、私は竜の魔女よ、竜の魔女。アンタなんか一瞬で消し炭に出来るんですけど?」

 

『……魔女。ヘムウィックの狂気者ですか。であれば、この扉を解錠することはできません。どうかお引き取り下さい』

 

「……狂気者とはかなりの物言いじゃない。私は復讐者(アヴェンジャー)よ。訂正しなさい」

 

『それは申し訳ございませんでした。ですが患者が怖がっていますので、本日の所はどうかお引き取り下さい』

 

「患者……?」と呟き、邪ンヌは踵を返した。

 

「えぇ、そうですかそうですか。精々不衛生な環境でお医者さんごっこにでも興じているといいわ。お望みどおり退散してさしあげますよ!」

 

 邪ンヌは藤丸青年の腕を掴むと、そのまま彼を引きずるような体勢でズカズカと階段を下りて行った。不安定な恰好のまま段差を下りるという行為は危険極まりない。藤丸は邪ンヌの手を振り解こうとしたが、不思議と力が入らなかった。寝起きのような力の入れづらさではない。全力で発揮できるパワーが根本から低下したかのような感覚であった。

 そして、二人は転送された地点に戻った。藤丸青年は、この先に自身の命を奪ったバケモノがいるということを思い出し、掴んだ腕を引きちぎる勢いで前進する邪ンヌに対して警告した。

 

「邪ンヌ! その先にヤバいエネミーがいる! あともうちょっとゆっくり歩いて!」

 

 それでも彼女は前に進んだ。それほど自身の火力に自信があるのか、若干悔しそうな表情を見る限り、いち早くこの場所から立ち去りたかったのだろう。

 藤丸青年の言葉を無視して進む彼女は、隠れる素振りも見せず、草原を歩く獅子のように開けた空間を進んだ。

 カッ! カッ! とヒールで小気味いい音を出す邪ンヌ。当然、獣が気づかない訳がなく──

 

 

「ガアアアアアアア!!!!」

 

「……邪魔よ!」

 ボッ! ゴオオオオオオオッ!!! 

 

 藤丸の脳裏に、生きたまま臓物を食い漁られた記憶がフラッシュバックした。一瞬で吐き気を催したのだが、邪ンヌがサッと腕を振った瞬間、獣は瞬く間に火だるまと化した。

 獣は、それこそ助けを求めるかのようにもがき苦しみ、そして数分も経過しない内に完全に息絶えてしまった。煮込んだ重油のような臭いが獣から放出される。

 過去に自身の命を奪った敵。いわば宿敵にしても問題ない程の怪物だったのだが、こうも簡単に焼死体になってしまうと、逆に申し訳なさの方が勝ってしまった。

 

 紫色の瞳をしていた獣の死骸を、邪ンヌは何の躊躇もなく蹴り上げた。ジャンヌ(正規品)が見たら「死者への冒涜です!」などと言って叱られてしまいそうな行いであったが、藤丸青年は鼻をつまむことで精一杯であった。

 ──もっとも、こんな薄汚れた掃き溜めのような場所を担当している神がいたら、それこそ会って話をしてみたいものなのだが。

 

「アハハッ! 不潔な獣は燃やしがいがあるというものです! マスターも焼死体になりたくなかったら、とにかく毎日お風呂に入りなさい?」

「脂汚れに引火したら、目も向けられませんもの!」

 

「楽しそうで何よりです……」

 

 黒焦げ、酸っぱい臭いを放つ獣の死骸。邪ンヌは何度も足でつつきまわし、生存の確認を行った。そして、対象が完全に事切れたと分かると、元から何もなかったかのように歩き始めた。

 そして、通路と思われる場所をしばらく歩くと、二人の前に両開きの扉が姿を現した。邪ンヌはその扉を、両の掌で押し開ける。

 

「くッ、重ッ……!」

 

「よいしょ」

 

 ギイイイ……。

 

 小突けば折れてしまいそうな細い腕で、なんとか扉を開けようとする邪ンヌ。その姿に助け舟を出すかのように、藤丸は彼女の背後から扉を押した。

 硬く冷たい扉は、経年劣化の影響なのか、金切り声を上げて先の景色を映し出した。

 

「……私一人でも開けられました。余計なことしないでちょうだい」

 

「あはは、チームプレーは嫌い?」

 

 血生臭い病室から脱出した二人。しかし、目の前に広がっていたのは墓石の山。よく見ればやけに肥えたカラスの死骸まであるではないか。それに、不衛生極まりない環境であった病室を抜けても、頭痛を催す程の悪臭は無くならない。むしろ、以前にも増してその臭いは強くなっているではないか。

 ここは戦場なのか、それとも崩壊寸前の文明なのか。とにかく、この場所が汎人類史の物ではないというのは確かだった。周囲の建造物の様子から、人間、もしくはそれに近しい知的生命体が存在していることは理解できた。だからと言って、このような環境で日常生活を送っている者たちなど、もはやまともだとは言えないはずだ。

 邪ンヌと藤丸青年は、墓石が連なる病院前から、更に開けた空間に続く鉄格子の扉を発見した。

 

「早く開けなさい。役目でしょ」

 

「邪ンヌってモンハンやる時もそういうこと言うよね……」

 

 藤丸は邪ンヌの言う通りに鉄格子を開く。ゆっくりと金属が擦れる音が周囲に響いた。かなりの重量があったが、何とか扉を開くことができた。

 地面を見ると、かなり最近につけられたであろう傷があった。恐らく、自分たちの前に誰かがこの扉を開けたのだろう。かなり強引に開けられたようで、およそ尋常ではないパワーの持ち主であるということが推測できた。

 藤丸のそんな考察を無視するかのように、邪ンヌは堂々と鉄格子を通り抜けるのであった。

 

【ヤーナム市街】

 テエエエエエン…………オオオオオオオ…………。

 

「くっさぁ……。鼻が曲がりそう」

 

「下水の臭いだ。空気もキレイとは言えないだろうね」

 

 時刻は昼時と夕暮れ時の間だろうか。太陽は眠りに付こうと沈む準備をしているようだ。

 二人は鉄格子の先にある建造物を見て回る。ゴシック様式の建築物が建て並ぶ道を、さながら観光気分で歩き続ける。道中、何かの不審点を見つけたのか、邪ンヌが藤丸に話しかけた。

 

「ねぇ、さっきから落ちてるコレ……なに?」

 

 そう言って指差した先にあったのは、ポケットに入る程の大きさの小瓶。接近して拾い上げると、ちゃぷちゃぷと水によく似た液体が揺れていた。それが血液ではないと判断できたのは、あまりにもその液体が血と表現するには薄すぎるからであった。絵の具に白を混ぜたかのような、何か別の汁を混入させたかのような色をしていたのだ。

 問題は液体の色ではない。普通、街道に赤い液体が入った小瓶など落ちていないのだ。

 

「至る所にあるよ……。小瓶だけじゃない、銀色の弾丸だって大量に落ちている」

 

「弾があった所で、銃がないから何の意味も持たないじゃない」

 

 邪ンヌの言う通り、肝心の銃を持ち合わせていなかった。ボディや弾頭がそのままにされている弾丸だったが、残念ながら放棄せざるを得なかった。それを必要としている人がいるのだろう。きっと、この弾丸や小瓶の数々は、そんな彼ら彼女らのために置かれているのだろう。その使用用途がいかなものなのかは、一般的な思考回路を持つ藤丸には少し難しかったようだ。

 

 二人は、下水道から立ち上る白い煙に鼻をつまみながら、街道を歩いて行く。右手には先程の鉄格子よりも少し大きいサイズの門があり、左手には捨てられた馬車があり、その向こう側に上層にむかうための梯子を下ろすレバーがあった。

 

【こちら側からは開かない】

 

「ダメ。鍵がかかってるわ」

 

「うーん、向こうのレバーを引かないと開かないみたいだね」

 

 邪ンヌは渋々左手の方向に足を進めた。強大な力を持つ実力者がガンガン先に進んで行くという行為は、あまり団体行動としては褒められた事では無いのだが、この人外が跋扈する環境である。申し訳程度のガンドを扱うことしか出来ない藤丸からすれば、それは大変ありがたいことであった。無論、それは彼女も理解していたようで、街道の中心を我が物顔で歩く理由は、やはり自身のマスターを守らんとする潜在意識から来る行動なのか。

 

 無残にも放棄された馬車を抜けた時、松明を掲げた男がその姿を現した。

 しかし──

 

You are not wanted here! (招かれざる者が!)

 

「……邪魔」

 ジュゴオオオオオオ!! 

 

 片手に持った斧が振り上げられたのと同時に、邪ンヌは男を火炎に包んだ。火の祝福を受けたかのような男は、服に引火した炎を振り払おうとするが、その試み虚しくやがて命共に燃え尽きてしまった。

 

「なんてことをするんだ邪ンヌ! バーサーカーか!?」

 

「うるさいわね! 松明と斧持ってる男が正気な訳ないでしょ!?」

 

 炎が立ち昇る音と、二人が騒ぎ合う音が響き渡り、その声に釣られて多くの群衆が起き上がり、邪ンヌたちを取り囲んだ。中には死体のようにぐったりしていた者も起き上がっていた。いずれも共通している点は、およそ一般市民とは言い難い容姿をしていた点と、平和的とは表現できない武器を持っていた点だろうか。

 

「かなりマズいわね……。こんなところで魔力消費したくないんですけど」

 

「邪ンヌ、梯子を下ろした! こっちだ!」

 

 藤丸がレバーを手前に引く。ガシャン! と大きな音を立てながら、上層の都市部に繋がる梯子が落下する。

 小柄な女性ということもあり、邪ンヌは攻撃の標的にされていた。いくら怨嗟の炎を射出できる彼女と言えども、やはり多勢に無勢か、徐々に追い詰められていくのが確認できた。

 

「なによ……! さっきから全然火力が出ないんですけど!」

 藤丸が人差し指で銃の形を作る。「ガンド!」という大声と共に発射されたルーン魔術は、専用のカルデア戦闘礼装を着ていないため、標的を戦闘不能にさせることは出来なかったが、それでも群衆の動きを一時的に制限する事ができた。

 まこと、日頃の訓練の賜物である。

 その隙に、邪ンヌは群衆から脱出し、痺れる指を押さえる藤丸の下に駆け寄った。

 

「邪ンヌ! 先に梯子を上って!」

 

「ぐッ……、戦略的撤退よ! 決して敗走する訳ではありませんので!!」

 

 明らかに悔しそうな表情をする邪ンヌ。普段のカルデアではポンコツのレッテルを貼られ、事実その通りの日常を送る彼女だったのだが、こんなのでもこれでも汎人類史が誇る英霊の一人なのだ。実際に彼女もその点を誇りに思っているようで、それが彼女のプライドを増長させているという事はもはや言うまでもない。

 そんな彼女が、どこの馬の骨かも分からないような群衆に、自らのポテンシャルを存分に発揮できないまま背中を見せるという行為が、どれほど彼女の自尊心を傷つけたか。

 もっとも、彼女のマスターである藤丸立夏クンは、そんな彼女の屈辱を知る由もなく、ただ目の前で梯子を昇る邪ンヌのスカートの中を見つめるのであった。

 

「(……レースの黒ッ!!)」

 

「蹴り落としますよ!?」

 

 群衆は梯子をのぼるためには、手に持った武器を捨てなければならない。捨てて追跡をしたところで、梯子を昇り切った邪ンヌに燃やされるのが関の山である。しばらくうろちょろしていた男たちは、やがて興味を無くし、元居た場所に戻っていくのであった。

 

「……追ってこないね」

 

「はぁ、何とか撒けたって感じ? あー疲れた」

 

 邪ンヌはそこに設置されていたランタンにもたれかかる。かなり細い骨組みなのだが、邪ンヌが体を預けてもびくともしない様子であった。

 藤丸は、そのランタンのすぐ真下に、骸骨のような生物が蠢いていることを見逃さなかった。それは一度目の死の後に転送された場所で、足元にしがみついてきた者たちと全く同じ姿であった。

 きっと、彼らも邪ンヌのスカートの中を覗きに来たのだろうか。そう考えたら、見た目はアレなことには変わりないが、意外と悪い奴らでは無いのかも知れない。

 

 二人が今後の予定を考える。その時、ランタンの向こう側にあった窓から、どこかくぐもった声が聞こえて来た。

 

『あぁ、誰かいるんですか。獣狩りの夜に外に出向くなんて』

 

 邪ンヌは悟られないように、静かに剣を抜いた。その声の持ち主が正気だという確証は何処にもなかったからだ。

 

「……獣狩りの夜?」

 

『おや、狩人ではないのですか。それなら、私と同じ異邦人ですか……』

 

 邪ンヌは窓の近くに寄り、自分たちと同じ異邦人を名乗る男と話をした。

 

「その、獣狩りの夜というのは、一体なに?」

 

『……この地、ヤーナムには昔から風土病がありまして、『獣の病』と言うんですけどね。この先の広場を見れば分かると思います。病に侵された者は皆バケモノのように理性を失ってしまうんですよ』

 

「さっきの男たち、どうにも顔面が醜かったけど、あれは獣に変化しているってことでいいわけ?」

 

『そういうことになりますね……。その獣たちを討伐し尽す夜を、『獣狩りの夜』と言うんですけど、今回は異常ですね……』

 そう言うと男は、数秒黙り込んだ後に数回、大きく咳き込んだ。

 

「喀血してるじゃない。アンタもう長くないんじゃないの?」

 

『いえ、医療協会の『血の医療』を受けましたから。きっと、これから回復に向かうはずです』

 

「ふ~ん……。まぁ何だって良いんですけど。この街を出るには何処に向かえばいいの?」

 

『私も詳しくは把握していませんので、具体的なことは喋れないんですけど、この『ヤーナム市街』を抜けた先に大橋があるんです。その大門を抜けた所の『聖堂街』は、全てのヤーナムの地に通じていると言われています。もしかしたら、そこから外に出られるのかも……』

 

 男のハッキリとしない言葉の繰り出し方に、邪ンヌの腹の底に沸々と不快感が沸き上がって来た。そもそも現代とは異なる環境なのだ。意外とキレイ好きの彼女からすれば、このヤーナムの地はかなり居心地が悪い場所のはずだ。

 それでも、最期まで男の話を聞いてから質問をする所に、ジャンヌ・ダルクとしての真面目さが現れていた。

 

「つまり、その大橋に行けばいいのね」

 

『とんでもない! 狩人ならいざ知らず、ヤーナムに来たばかりの方が獣狩りの夜にうろつくなんて! あぁ、もう少し早く来られたら火炎放射器をお譲りしたと言うのに!』

 

「(ちょっと、マスター? この男さっきから言葉に一貫性がないんですけども。聖堂街とやらに行けば良いって言ったかと思えば、今度は外に出歩くなとか言ってるんですけど)」

 

「(ダメだよ邪ンヌ、彼なりにオレたちの事を心配してくれてるんだ)」

 

 今にも堪忍袋の緒が切れそうな邪ンヌを、何とかして抑えつけようとする藤丸。

 そんな彼の苦労を一蹴するかのように、男は邪ンヌたちに助言を与えた。

 

『あっ、そういえば、向日葵のような物を抱えた内気な少女が、貴方のような東洋人を探していましたよ?』

 

 この辺りはヨーロッパなのだろう。おそらく中世を参考にした特異点。どこかにいる黒幕の手によって、藤丸を邪ンヌは強制的に転送されてしまったのだ。

 その黒幕の思惑がどのようなものなのかは、現在の二人では全く想像も出来なかったが、男と会話をしたことによって、新しい道が切り開かれた。

 向日葵を抱えた内気な少女、個人を特定するには十分過ぎる要素であり、また、それを満たす人物は一人しかいなかった。カルデアのサーヴァント。──ファン・ゴッホである。

 

「……彼女がどこに向かったかは聞いてるの?」

 

『たしか、オドン教会の方角に進んで行きましたが……、まさか追いかけるつもりですか?』

 

 邪ンヌが間髪入れず、

「当たり前よ、戦力は多い方が楽ですもの!」

 

『……そうですか、では、どうか『工房の狩人』にだけはお気を付け下さい。鋸ナタに短銃を備えた狩人の一人ですが、他の狩人たちとは一線を画しておりますので』

 

「一応聞いておくけど、ソイツは一体どういう奴なの? 決してビビっている訳では無くて、あくまで予防線として情報を収集しているだけですからね!」

 

『彼は、私たちのような異邦人です。動くものなら何でも切りつけ、そして血が出たら殺害する。そんな狩人なのですが、何が恐ろしいかと言うと、正気でそれを行っているということなんです。獣の病を克服しただとか、殺しても殺しても、殺されるまで追いかけてくるだとか、神秘を見出しただとか、そういう噂があるんです』

 

「そんなの、まるでバーサーカーじゃない。暴れ散らかしている内に噂に尾びれが付いただけですからね。こんな掃き溜めのような場所で生活してたら、それこそ何かに縋りたくなるもの。そういう意識から幻を投影しているだけに決まっています。ねぇ、そう思いますよね? マスター?」

 

「めっちゃビビってんじゃん……」

 

 邪ンヌは壁面にもたれかかり、自身の背中を隠した。それは、不意打ちを防ぐための防御の姿であった。

 

「と、とにかく、ひまわりの絵描きと合流するために、そのオドン教会とやらに向かいますよ!」

 

 ──その時、

 

 ギヤアアアアアアアアアアア!!!!!! 

 

 どこからともなく、いや、梯子の向こう側。下水から立ち込める白い靄の遥か先に見える、大きな塀の向こう側から、言葉では形容し難い鳴き声が轟いた。

 あれが獣なのか、あの叫びの持ち主を相手に狩りを行うというのか。藤丸は、狩人と獣の関係性というものに少しばかりの恐怖の感情を抱いた。それがただの恐怖心から発生した感情であったのならば、この世界も少しはマシだと思えたのだが。

 

 藤丸は自身の心を掌握せんとしていた、なにか根源的な恐怖を振り払い、ゴッホを捜索するために足を前に進めた。

 しかし、邪ンヌは──

 

「ちょ、ちょっと? マスター? もしかしてこれって夢なんじゃないの? もう一回眠ったらいつものカルデアに戻ってたりとか……」

「一回、私が目覚めたあの不思議な空間に戻りません? あはは……。ちょっと、何か言いなさいよ!!」

 

『もう一つなんですけど、獣は一貫して火を恐れるらしいですよ。松明とか持っていると多少のよすがにはなるかと思います』

 

 男の話を聞くに、どうやら獣の病が進行した者は、火が弱点になるらしい。病室で藤丸の手を噛み千切った獣が、邪ンヌが放った炎によって瞬殺されたのはそのためなのか。

 震える声で逃亡しようとしていた邪ンヌは、その情報を聞いて露骨に元気を取り戻した。

 

「さぁ、行きますよ! 獣だろうが聖人だろうが、全て我が憎しみの炎で燃やし尽くしてさし上げましょう!!」

 

 藤丸は、彼女の現金すぎる態度に一抹の不安を感じたが、それ以上何も言わなかった。

「ギルバート」。そう名乗った男にお礼をして、二人はヤーナム市街の広場に向けて足を踏み出したのであった……。

 

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