前走京都新聞杯は惜しくも4着に終わったリョテイ。次なる目標である菊花賞に向けて、スタミナ重視のトレーニングに励んだり励まなかったりしていた。
クラシック三冠である菊花賞はこれまでリョテイが出走したどのレースよりも位が高く、相手も間違いなく強敵揃いだ。
距離もこれまでで最長の3000mであり、長距離のレースはリョテイにとって初めての経験だ。練習での走りを見る限り長距離もいけると踏んでいるが、他のウマ娘も初の長距離っていう子も多い。なので戦いにならない、なんてことは無いはずだ。
気分屋であるリョテイは練習こそ波がある走りをしているが、格上相手に何処まで闘えるのか未知数である。
それから数週間後、おろしたての勝負服を引っ提げてやる気に満ちたリョテイは菊の舞台へと脚を踏み入れるのだった。
11月前半 GⅠ 菊花賞 京都 芝3000m
今年の皐月賞、日本ダービーを制した驚異の逃げウマ娘、二冠のサニーブライアンが怪我で参戦辞退となり、菊花賞は混戦の兆しを顕にしていた。
パドックでは恒例の選手紹介が壇上で行われている。
「“ 1番、キンイロリョテイ”」
アナウンスとともにリョテイは壇上へ現れると、無言のまま黒のケープをバサッと広げて投げる。
一見強者の立ち振る舞いだが、リョテイはGⅠ初参戦。それにリョテイの性格を考えるに、無言というのは逆になにかひっかかる。大丈夫だろうか……
俺が自分の担当を心配している間にも選手紹介は続いていく。
「“ 4番、マチカネフクキタル”」
「はい! マチカネフクキタルですっ!!」
元気いっぱいに挨拶するのは前回京都新聞杯でリョテイを打ち負かしたマチカネフクキタルだ。セーラー服のような勝負服に、背負った招き猫のリュックが特徴的である。
さくらんぼステークス、神戸新聞杯、京都新聞杯と現在三連勝中のノリにノッているウマ娘で、今回も3番人気と期待値が高まっている。鋭い差し込みで勝利を掴む走りが持ち味で、リョテイと作戦も被っている。要チェックだ!
他にも注目すべきライバルは多いが、とくに注目すべきは……
「“ 14番、メジロブライト”」
「よろしくお願いするであります!」
と敬礼ポーズで決めたのは先輩チームのエース、メジロブライトだ。2番人気のウマ娘の登場に会場からは大きな拍手が起こる。
名家メジロの名に恥じない走りで重賞を制覇。皐月賞とダービーでも好走を見せ、この菊花賞に向けて仕上げてきているのは学園でも見てきていた。ステイヤーとして本格的に仕上がってきているだろう。要チェックだっ!
そして1番の盛り上がりを見せたのはその後だった。
「“ 16番、シルクジャスティス”」
「ジャァスッティッッス!!! イェェエエイ!!」
決めポーズと共に叫ぶシルクジャスティスに、観客たちのイエーイというコールが大きく返される。流石は今回の1番人気のウマ娘だ。
彼女は日本ダービーでは2着につけて、前走京都大賞典では1着を獲得している実力と勢いを兼ね備えた存在である。二冠ウマ娘サニーブライアンのいないこの菊花賞では大本命の優勝候補なのだ。またまた要チェックだな!
選手紹介が終わり、選手たちは地下馬道を通り本馬場へと向かっていく。
俺はどこかぎこちないリョテイの後ろ姿に不安を覚えずにはいられなかった。
18人のウマ娘がターフへ立ち並び、ゲートへと向かう。ここにはひとりの味方もなく、全てが競うべきライバルである。
一枠の最内のゲートに収まったキンイロリョテイは隣を窺うと、普段はくだけた雰囲気を持つものも物静かな者も、おどけている者も、皆真剣な顔をしていた。その眼に浮かぶのは自分が勝つのだという強い意志。キンイロリョテイもその覚悟を持ってこの菊の舞台に上がったはずだが、18人のウマ娘が放つ肌がひりつくような気合いに気圧されていた。
突如、天を裂くような甲高い音が鳴り響き、キンイロリョテイの耳がビクッと大きく動く。そう、レース開始のファンファーレが演奏され始めたのだ。
レースを楽しみに集まっていた観客たちから少しずつ歓声が上がる。その歓声はファンファーレの進行とともにドンドンと大きくなっていき、演奏が終わった時には数万の歓声と喝采が地響きのようにキンイロリョテイの身体を震わせていた。
(GⅠレースは直接観にいったことだってある。でもターフの上で受けるとこのうるせえくらいの歓声は──)
──怖い。そう思いそうになった時キンイロリョテイは首を大きく横に振ってその考えを吹き飛ばす。
(今は走ることだけ考える。そしてアタシは勝つんだ!)
キンイロリョテイは怖気を堪えて前を向く。なんとか気合いを入れ直したところでゲートへと最後のウマ娘が収まった。
「“第58回菊花賞、いざ闘わん! ゲートが開いて……スタートです! ”」
ゲートが開き横一列にウマ娘たちが飛び出して、各々の思惑を胸に先行争いが始まった。
「“ 先行争いはどうか? おっとキンイロリョテイが足を回して中団まで上がってきた”」
キンイロリョテイは序盤に足を少し使って先行集団後方の5番手に付けた。集団に埋もれないために前に出たのだ。
集団が最初のコーナーに入ったあたりでそれぞれの立ち位置が決まってきた。
「“マチカネフクキタルが早くも3番手につけて場内は大盛り上がりだ! ”」
普段は中団に控えて最後に差し切るスタイルのマチカネフクキタルが京都新聞杯に引き続いて先行策を取る。これが吉と出るか凶と出るかは正に神のみぞ知る。
「“ 後ろの方にシルクジャスティス。その内、ちょっと後ろにメジロブライト”」
1番人気のシルクジャスティスと2番人気のメジロブライトが並ぶ形で、後方から全体の様子を窺いながら走るようだ。
集団は開きがなく固まったまま、スローペースで1周目の正面スタンド前を抜けていく。
「“ 二冠ウマ娘サニーブライアン不在の中、栄光の座を掴むのはどのウマ娘か!? ”」
第2コーナーを抜けて順位に大きな変わりは無かった。ただ少しマチカネフクキタルが下がってきていて、キンイロリョテイの横に付けていた。
キンイロリョテイは横目でマチカネフクキタルを見る。京都新聞杯の苦い記憶が脳裏に浮かぶが、歯を食いしばってそれを吹き飛ばす。
(今度は負けねえ……! 勝つのはアタシなんだよっ!!)
バックストレッチを抜けて先頭が第3コーナーに差しかかる。
「“ 京都の正念場! 第3コーナーからの下り坂! ”」
菊花賞の難所。京都レース場右回りは最後に長い下り坂がある。既に2000メートル以上走ってきたウマ娘たちのスタミナを更に削りにかかるのだ。
だがその難所をものともせず、寧ろ下りを利用して加速してくる者もいる。
「“ ここでメジロブライトが外から順位を上げてきた!! ”」
ここまで後方で脚を溜めてきたメジロブライトが仕掛けてくる。大外をグイグイ上がって第4コーナーを回る頃には先頭集団を捉えていた。
(くっそ! 前が開かねえっ!)
インをついて走るキンイロリョテイは、ロスなくカーブを走れた代償に抜け出すコースを潰されていた。息の上がった先行ウマ娘を躱すため、仕方なく外側へと踏み出さないと行けなくなるが、その1歩1歩がレース終盤では大きなロスになる。
コーナーを抜けて直接に入った時には、横一列に6人のウマ娘が並ぶこととなった。
「“ メジロブライト先頭に立つか!? シルクジャスティスはここから間に合うのか!?? ”」
追い上げてきたのはメジロブライト。残り500で先頭を捉えてトップに踊り出ようとしていた。1番人気のシルクジャスティスはまだ後方でまごついている。
「負けるかぁぁ!!!」
キンイロリョテイが吠える。しかし無慈悲にもその末脚は伸びない。
(勝つって約束したんだ、トレーナーと! アイツを一流トレーナーにしてやるって約束したんだよっ!! だから負けられないっ!!!)
想いをチカラに変えてキンイロリョテイは走る。しかしスタミナの切れた脚は思うように前に進まず、追い上げてきた他のウマ娘に抜かされ順位を落としていく。
「“ マチカネフクキタル! マチカネフクキタルが来たっ!!! ”」
残り400、レースが最後の動きを見せる。またしても神がかった末脚でマチカネフクキタルが一気に先頭目掛けて上がってきたのだ。
「あぁあぁぁ───ッ!!」
残り300。キンイロリョテイのココロはまだ折れていない。脚を止めずに持てる全力を出して走る。しかしまた抜かされる。
「“ 福が来たぁ──! マチカネフクキタルだ!! ”」
残り200。マチカネフクキタルが完全にひとり抜け出して先頭にたった。メジロブライトも追い上げるがその差は縮まるどころか更に開いていく。
キンイロリョテイは諦めずに駆ける。それでも抜かされ順位を落としていく。
キンイロリョテイには負けられないという強い意志があった。
しかしそれはこの舞台に上がってきた全てのウマ娘が持つ想いだ。
想いだけでは勝てない。これがこの輝かしく華やかでそれでいて残酷な、レースの世界の現実なのだ。
「“ マチカネフクキタルゴールインッ! 神戸、京都に続いて菊の舞台にも福が来たぁ──ッ!! ”」
1着でゴール板を抜けたのはマチカネフクキタル。2着はダイワオーシュウ。メジロブライトは3着でクラシック三冠最後のひとつを逃した。1番人気のシルクジャスティスは最後に仕掛けるも5着に終わる。
勝者を称える万雷の拍手と歓声が京都レース場に響き渡る。
「シラオキ様ァー!ありがとうございます!勝ちましたよぉぉ!!」
賞賛に答えるようにマチカネフクキタルが大きく手を振って、スタンドを見回すように走っていく。
その陰で打ちのめされたキンイロリョテイは8着でレースを終えた。勝者を称える声が大きくなるほどに、負けた自分が惨めになる。そんな気分をキンイロリョテイは嫌という程味あわされた。
こうしてキンイロリョテイの初めてのGⅠ挑戦は、惨敗という形で幕を閉じたのだった。
俺はレースを終えたリョテイの控え室に早足で向かっていた。一緒にレースを観に来ていたナカヤマフェスタとゴールドシップも早歩きで着いてきている。
レース前の俺の嫌な予感は残念なことに見事に的中。リョテイは持ち味を見せることなく敗北してしまった。
俺がトレーナーとして、リョテイをささえてやらないといけないよな。
「トレーナー。なんて声掛けてあげればいいかな……」
フェスタは不安げな声で俺に問いかける。かける言葉が見当たらないのだろう。気持ちは分かる。
本当になんて声を掛けてやればいいんだろうな……
答えの出ないまま歩き続け、気がつけばリョテイの控え室前まで来ていしまっていた。
「おいナカヤマ。アタシと一緒にここで待つぞ」
「えっ?」
「いいから。トレーナー、行ってやれ」
控え室の前に着くとシップが突然そんなことを言い出した。何故? と問いかけようとしたが、初めて見るシップの真剣な表情と声色に俺は言葉を呑み込んだ。
俺はシップに促されるまま、ひとりで控え室のドアを開けた。
「お疲れ様、リョテイ」
「トレーナー……」
リョテイは鏡の前で項垂れていた。その声色は普段の不敵な強さなど微塵もなく弱々しいものだった。
リョテイにとって敗北はそんなに珍しいことでもない。しかしここまでへこんでいるのは、ただ負けただけじゃ無いはずだ。
……そうか。リョテイは初めて万全の状態で挑んだレースで掲示板を外す大敗を期したんだ。
これまでは負けても2着から4着。惜しいレースだったし、リョテイもそれを理解していてあまり引きずらなかった。
デビュー当時に怪我と競走中止で着外になったことはあったが、ここまでの負け方は今までなかったんだよな。
俺は目の前で耳を垂れさせて落ち込むリョテイへ近づく。そこでリョテイが口を開いた。
「負けちまったよ……ごめん。約束守れなかったわ」
「約束……」
俺は自分の中で納得しかけていたが、リョテイの口から出た言葉に考えを改める。
約束。約束、約束……思い出せ……リョテイは俺にこの菊花賞でどんな約束をした?
沈黙の中、俺は必死に記憶の海を漁る。そこで思い出した。
『おう! 任せとけよトレーナー! バシッと1着でゴールして菊花賞だって取って、お前を一流トレーナーの仲間入りさせてやるからよ!』
そうだ。阿寒湖特別の打ち上げの時、リョテイは俺にそう言ったのだ。
つまりリョテイがこんなに落ち込んでいるのは、俺のせいじゃないか。
かける言葉が見当たらないだ? ふざけるな! 俺にそんなことを考える権利なんてないじゃないか!!
なら、俺がトレーナーとしてリョテイに言うべきは──
「リョテイ。約束ってのは俺を一流トレーナーにするって言ってたことか?」
「そうだよ。デカいこと言ったくせに結果がこれだ……情けないったらありゃしねえ」
「そうか。ならお前は約束を破ってないぞ」
「は?」
お前は一体なにを言っているんだと、リョテイは目で語る。
「お前は俺を一流トレーナーにすると約束した。そうだな?」
「そうだよ。でも……」
「でもお前は菊花賞で俺を一流トレーナーにするとは言ってない。菊花賞を獲るとは言ったが、それはそれ、これはこれだ」
「そんなん屁理屈じゃねえか」
「知るか! 俺はリョテイがGⅠを勝つと言った。だが今回とは一言も言ってない!! 俺の気持ちはあの時から何一つ変わってないんだよ!」
「トレーナー?」
「俺は信じている。リョテイがGⅠタイトルを獲得するって信じてるんだ。他の誰かが無理だって言っても関係ない! お前が無理だって思っても、世界の誰もがダメだって思っても、俺だけはお前を信じてるぞ!!」
「ちょっと……」
「だから今回を逃したからって落ち込むことはない! また何度でも一緒に挑もう! 俺はお前を──っウゴっ!?」
鳩尾に衝撃を受け言葉が遮られる。俺が話している途中にリョテイが頭突きをかましてきたのだ。しかしリョテイは頭突きをしたあと、そのまま俺の胸に顔を埋めて動かない。
「おい、リョテイ……ん、お前まさか──」
──泣いているのか? と尋ねようとしたが、リョテイの鼻を啜る音と、自らの胸元が湿っていくの感じて俺は口を閉ざす。これを問い詰めるのは野暮ったいだろう。
「なんでこんな時に優しくしやがるんだよ……アホ……」
暫くそのままの体勢で、リョテイは時折強く頭を俺に擦り付けながら静かにしていた。
「またやり直せばいいさ。そうだな……またオープン下から着実に積み上げていこう。次にオープン、それでGIII、GIIと上がっていけばいい」
「うん……」
「そしたら最後にGⅠだ。俺とリョテイは一流トレーナーとウマ娘になって、大団円だろ? 何度負けても、最後に勝てばそれでいい」
「そうだな……うん、それがいい」
リョテイは「よし……」と呟いて俺から離れると、乱暴に袖で顔を拭う。顔を上げたリョテイの眼には光が宿っていた。
「トレーナー、アタシは勝つよ。負けて負けて、負け続けるかもしれない。それでも勝つまで辞めない……そうすりゃいつかは勝てるよな?」
「勿論だ。俺とお前なら必ず届くさ」
「へへっ……」
落ち込んでいたリョテイが照れくさそうにようやく笑顔を見せてくれた。
リョテイは少し考え込む仕草を見せると、真剣な眼差しで俺に問いかける。
「なあ、トレーナーはなんでアタシにここまで良くしてくれるんだ?」
「そんなの決まってるだろ。お前が大事だからだよ」
「はぁ……よくもまあそんなことを恥ずかしげもなく。いや、アンタは最初からそういう奴だったな!」
リョテイは俺の肩をバシッと叩いて笑った。何故叩かれたのか分からないが、リョテイの調子が少しは戻ったようで安心だ。
「トレーナー。アタシはあんたの事が──」
「おいーっす! リョテイー! 惜しかったなぁ!!」
リョテイが何か言いかけたところで控え室のドアが豪快に開いて、シップとフェスタが中に入ってきた。
リョテイは面を食らって固まるが、直ぐに動き出してシップの頭を抱えてクビを極めた。
「どこが惜しかったんだよ、おい! ちゃんと見てたか〜?」
「いててっ! 励ましてやろうとしただけだろ! ギブギブ!」
「ヘタクソか! もっとあるだろ、なんかよお? お?」
「マジで極まってっから! おいナカヤマ! 笑ってないで助けろ! いや、助けてくださいっ!」
「はは、自業自得だろ」
騒ぐリョテイとシップ、それを見ているフェスタ。いつものアークトゥルスの光景が戻ってきた。
この様子ならリョテイもきっと大丈夫だ。まだ俺たちの戦いは始まったばかりだが、オレはコイツらを導いていこうと目の前の光景を見て、改めて誓った。
そういえばリョテイは俺になんと言おうとしたのだろうか。まあそのうち聞く機会も訪れるだろう。
リョテイのクラシックへの挑戦は終わった。3勝クラスやオープンクラスへの再起を目標に新たに俺たちは動き出す。
────いつの日かトゥインクルシリーズの最高峰、GⅠ制覇の頂きを目指して。
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不定期更新でお待ち頂いてる方には申し訳ないです。
週一更新目指して頑張りたいと思います。宜しければ次章もよろしくお願いします!