るつぼかずら   作:駿河鵬命

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 カズラが夕飯を作るタイミングで私は緑の部屋を訪れていた。

 

 

 

「あの子のパニック障害の引き金と言われてもねえ。」

 

 

 緑は赤ワインをマグカップに注いで飲んでいた。酒には強い体質らしく、まるでコーヒーを飲みながら話しているかのように酔った様子は一切なかった。

 

 

「僕が診た感じ、パニック障害という症状は特になかったよ。辛い事を思い出して精神的に辛いとかそういうのはあったけど、パニック障害の診断が出るまででもない。」

 

 

 つまりパニック障害とまではいかなくても、一時的に心が辛い状況に陥った。あくまで一過性のものだというのが医者である緑の主張だ。

 

 

 

「医術というのは世の中の人が思うほど進歩していないんだよ。ヒトノゲムを解読し、放射能を理解し、何が起こるまでは進歩していても、どうすれば治るとかそういった事は未解明な事が多い。

 果寿蘭がトラウマと吸血性を抱えたロジックは説明出来ても、この薬を飲めば治る。この手術を施せば治る。そういった答えが見つからないようにね。」

 

 

 

 この姉妹達の異常性が習慣や洗脳であると説明はついた所で治し方が分かる訳ではない。だからこの姉妹、特に緑はここで生活する事を選択している訳で。

 

 

「因みに果寿蘭がパニック障害のような行動を起こした時の事前の会話ってどんな内容だったんだい?」

 

 

 緑に聞かれて私は朝の件を話した。

 カズラが自ら人を殺めた事。普通に生きたい事。牙は父親に削られて出来たものである事。カズラ自ら説明していて、

 

 

『私生活上で牙で怪我をしない訓練をさせられたって。その訓練って何?って聞きました。あまりにもピンとこなくて。』

 

 

 緑はワインの最後の一滴までマグカップに出しきって飲みながら考えているようだった。

 人骨で組まれた椅子に座り、赤ワインを飲む鬼姉妹達の事だから、なんとなくこの赤ワインにも血液のイメージで見てしまう。緑にはそんな悪食の趣味はないのに。

 どちらかと言えば、緑のそれは悪行だ。骨を集めてそれでプラモのように何かを作り出す。

 

 

 ただ、元の思想に悪意を併せ持った人間だからこそ、悪い思考の可能性を広く持って考えられるのだろう。

 

 

「確認するけど、果寿蘭が震えて泣き出したのは、荊ちゃんが〈牙で怪我をしない訓練が何か?〉の質問だよね。それはつまり、その訓練が果寿蘭にとって最悪な記憶に直結するって事だ。」

 

 

 徐に空になったワインボトルを持ち、口の部分を私の顔の方へ向けてきた。

 

 

「咥えて。」

 

『え?何故ですか?』

 

「いいから咥えて。」

 

 

 唇に触れるようにボトルを押されたので仕方なく咥えた。

 正直いって私は赤ワインが苦手だ。あの渋みと酸味の香りが凄く苦手で、空のボトルであっても嫌いな物の香りは敏感に感じてしまう。

 

 

「目を瞑って。」

 

 

 指示通り目を瞑ると、余計にこの嫌な臭いが輪郭を持った気がする。どうしてよりによって赤ワインなんだ。せめて白にしてくれればまだ良かったのに。

 

 

「それで瓶の首を舐めるように。」

 

 

 この行動になんの意味があるのか。聞きたくて仕方ないが生憎口は塞がれている。早くネタバラシしてくれよと思いながら、臭いに耐えて瓶の首を舐めるように、口の奥までボトルを突っ込む。歯がボトルの首に当たって鈍く頭蓋骨に響く感じがする。

 

 

「歯が当たらないようにして。」

 

 

 指示に従おうとしたがこれは凄く難しい。舌も唇も気を張らないと駄目じゃないか。根本的な歯並びもあるだろうけど、直ぐに出来るものではない。舐めようとすると歯が当たる。

 

 

「じゃあ目を開けて。」

 

 

 目を開けると、緑は今の今まで座ってボトルを持っていた筈なのに立ち上がっていた。

 そして、空のボトルを男性器のように自らの股間の辺りで持っていたのだ。

 カズラがさせられた訓練というのがようやく分かって、ボトルを吐き出して、口を抑えて上を向いた。

 

 

 吐きそう。

 

 

『おぐっ、』

 

 

 喉の奥まで一瞬酸っぱくて苦いモノで圧迫されて胃が鳴っている。舌の奥が痛んでツンと鼻先まで響いた後に、ここで吐く訳にはいかないと冷静な自分に諭されて、ボロボロと涙がこぼれ始めた。

 嘔吐の我慢で零れた涙が、やがてカズラの泣き顔とダブってどんどん苦しくなってくる。

 

 

 馬鹿みたいに泣き出した。

 

 

 筋違いだと思う。私が泣いてどうにかなる問題じゃないし、過去の話でもう終わった事だ。何よりカズラの父はもう存命していない。カズラ自らの手で死に追いやっているのだ。終わった話。もう終わったって。

 でも、彼女の心の中でこの話はまだ生きているのだ。

 

 片鱗は何処にでも落ちていた。

 

 昨日の時点で緑はカズラが当時、性的暴行を受けていたと言っていたし、最初にこの家に来た時もカズラの男嫌いは露骨過ぎる行動だった。

 どうしてもう少し察してあげれなかったのだ。無神経にあんなにも最悪な事を言ってしまったのか。

 

 

「荊ちゃんは果寿蘭の為に泣いてあげれる良い人だね。」

 

 

 良い人?そうじゃない。私が泣いた所でどうにもならないし、良い人じゃない。

 あんなにも私を慕ってくれた人の心の傷を抉った最低な人間だ。良い人な訳がない。

 言い返したい否定の言葉は沢山あったが、馬鹿みたいに涙が止まらなくて何も言えなかった。

 

 

「僕には無理だけど、荊ちゃんになら果寿蘭を救う事が出来るかもね。」

 

 

 私が、カズラを救う?こんなにも酷い事をした人間が。

 

 

「荊ちゃんが女の子で良かったよ。お互いに慕い合えば、あの子も救われるかもしれない。

 だってあの子は偽りの肥溜めのような愛しか知らない。」

 

 

 

 肥溜めのような愛という言葉は妙な言い回しだが、最低な父親を想像した時になんとも納得する言葉だなと思った。

 

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