カズラの部屋に戻ると、カズラは丁度ミルク缶の中身を缶ごと必死に飲んでいた。そこまで大きい缶ではないけど、二リットルのペットボトルの水を一気飲みする勢いで一心不乱に飲んでいた。
だから私が後ろに立っている事も気付かなかったのだ。
空になった缶を置いた時に私の存在に気付いてカズラは気不味そうに目を逸らした。
「見た?」
見られたくなかったのは直ぐに分かるけど、嘘を吐くのも良くないと思い私は頷いた。
「気持ち悪いよね。」
カズラがそう言うのも当然だ。ミルク缶の中身はどう考えてもミルクではなかった。まだ部屋に残る匂いの所為かカズラの吐息の所為か。この空間は独特の鉄臭さが香るのだ。
「でも私は血を飲まないと生きていけない。」
ふふっ、自虐的に呆れたように笑う。
「今度こそ私の事嫌いになったよね。」
悲しい目だった。本人なりに必死に努力しているのに報われない虚しさ。そもそも論、罪はカズラにあるんじゃなくて父親の所為なのに、それを全部背負って悲しい目をする。
私はそんなカズラの事を抱きしめた。
『大丈夫。嫌いになってないよ。』
応えるようにカズラも私を抱きしめてきた。
「本当に?私は血を飲むし、情緒不安定で急に泣いたりする子だよ。」
『うん。それでもカズラの事が大好きだよ。』
大好きという言葉で、緑が言っていた肥溜めのような愛という言葉を思い出した。
するとカズラは泣き出した。昨日一昨日のような一気に泣き出す感じじゃなくて自然にゆっくりぽろぽろと泣く感じで。
「好きって言葉。初めて言われた。本でしか見た事がない言葉だった。」
泣きながら少し笑って、
「ほら。嬉しくてもすぐ泣いちゃう。情緒不安定。」
大丈夫。嬉しくて泣くのは良い事だから。
一通り泣き止むとカズラは私の足の固定器具が薄くなっている事に気付いたようだった。
「姉さんはなんて言ってた?」
多分それは私の足の話だ。
『レントゲンがないから確定とは言えないけど、折れ方が綺麗だったのと体質もあって治るスピードはかなりのものだって。鎮痛剤も少し軽いものに変わったよ。』
「じゃあさ。お風呂沸かすよ。濡れタオルだけだと気持ち悪いでしょ。」
お風呂か。考えてなかった。というか、多分この家の人たちは文明開化以前の生活を営んでいる所為か毎日の入浴の習慣がない。長女は姿すら見ていないから分からんが、少なくともオギは風呂には入ってなさそうだ。
そもそも論毎日の入浴の習慣がないのはこの家には電気ガスがないからであって……
一体どれ程の手間をかけて風呂を沸かすのだと疑問を持ちながら風呂に向かうと、意外にもこの家は風呂のみが電気稼働であった。
発電機があると言っていたのはこの事で普段は風呂の隣の用具入れに置きっぱなしらしい。ここから移動させずにそのまま燃料を入れて起動して風呂釜の湯を沸かす。沸かし終わったら直ぐ発電機を切るので、夜入りたかったら松明が必要。
カズラは濡れた身体で火を持ち歩くのが面倒らしく、陽が沈む前に入浴するらしい。しかし、長女も緑も夜に風呂に入るから一般論では夜に入浴する事は理解していた。
因みにオギが風呂に入っている所を誰も見た事がなくて、どんな真冬であろうと近くの川で水浴びで済ませるらしい。そりゃ人食いだからな。自然児らしくワイルドだ。
「見た目より深いから、足上げたまま入るのは難しいよね。」
確かに。風呂に椅子でも沈ませれば大丈夫そうだが、この深さだと片足を上げたまま浸かるのは難しい。流石にこの足をそのままお湯に浸けるのは気が引ける。
「一緒に入ろうか。私がキミの事を抱えて入れば問題ないでしょ。」
それはちょっと恥ずかしいかもと思ったが、初日の時点で素っ裸で立ち上がる時に補助してもらっているので何を今更と、カズラの好意に甘える事にした。
そしてここでまたカズラの傷を見てしまうのだ。
出会ってから彼女が服を脱いでいる所を始めて見たが、華奢で長身の身体にはヒョウ柄のような紫と黄色の痣が無数についていたのだ。
噛み痕。誰がどう見ても人が噛んだ痕だ。
自傷癖?腕や足だけならそれもあるかもしれないけど、背中の痕は説明が付かない。明らかに第三者に施されたものだ。
きっとカズラが兄様と慕う、カズラの実姉。朔蛾命蠟にだ。
ここから数日は安定した幸せな日々が続いた。
松葉杖で歩けるようになった私はカズラと一緒に食事の準備も手伝うようになって、カズラも良く笑うようになった。屋敷の敷地内の構造や、抜け道。最短で街へ戻るルートも教わった。カズラの口から脱走というワードは一言も出なかったが約束の一ヶ月を前に私に脱走してもらいたいというのがカズラの願いなんだろう。
それが私を思っての行動だと分かっているからこそ、カズラに何も出来ない自分がもどかしかった。
結局私を始め、この家の幸せがカズラの犠牲の上に成り立っている。そんな気がしてならない。
三日に一度ぐらいのペースでカズラは長女の部屋に連れていかれていた。
その事も聞かないで欲しい顔をするから傷が増える彼女に何も言えず抱きしめる事しか出来なかった。
私がこの家の長女に呼び出されたのは私がこの家にきて三週間ぐらい経った時の事である。
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