カズラは泣きそうな顔で私を見た。
「兄様に酷い事されなかった?」
カズラの質問に答える事なく、口を抑えているだけの私を不審に思ってカズラは近付いてくる。
こんな時何て言えば良いのか?そもそも言葉なんて発せられない。口の中は血まみれだ。鼻には鉄の香りが抜けていく。
言葉を使わずに、意志を伝えるってどうすれば良いのか?私はこの疑問はずっと抱きしめるという動作を選んできた。なので今回もまたカズラを抱きしめる。
それ以上の言葉はどうやって伝えよう。心配してくれてありがとう。私は大丈夫。カズラもずっと辛い思いをしてきたね。やっとカズラの辛さを共感する事が出来たよ。共感って相手を思いやるってきっと愛情だよね。
私はカズラの唇に自分の唇を重ねた。
最初は戸惑ったカズラも直ぐに私の血液に気付いて優しく吸い始める。
唇を優しく咥えて、もっと吸い出そうと私に舌を突っ込み牙が当たらないように甘噛みを繰り返す。
私を抱いたままカズラはベッドに倒れ込んだ。キスを辞めないままカズラが下、私が上になる事によって私の口の中から溢れる血は一滴も無駄にする事なくカズラに吸われていく。
結構長い事そうしていたと思う。
二人の顔が離れたのは、私の出血が止まったぐらいだった。それなりの傷だと思ったけど、粘膜って閉じるのが早い。勿論大口開けたらまた直ぐに傷口が開くだろうけど。
カズラは恥ずかしそうに手の平を口に当てて、私に表情が見えないようにしていた。
「ごめん。兄様の事で色々あったのは分かってるのにがっついてさ。」
『いいよ。吐き出したら勿体ないと思ったし。』
傷口を意識してゆっくり喋った。
朝日が昇りかけのようで、外からは鳥の鳴き声が聞こえ始める。
「そのさ。ドン引くかもしれないけど、多分人生の内で一番美味しかった。」
多分血の事を言っているのだろう。しかし私はカズラの好意に気付いて敢えて意地悪く聞いてみる事にした。
『血が?キスが?』
経験が浅いのか露骨に顔を赤くしてから、軽く私に口づけをしてきた。
「多分どっちも。」
少しずつ、夜明けの明るさがこの部屋に差し始まる。
「私は荊さんの事を、誰にも取られたくない。」
私を抱きしめるその腕には強い意志を感じた。
具体的に距離が詰まった気がした。
今までは、カズラが泣いていたりとか不安な時に子供が縫いぐるみを抱きしめるような感じで私との抱擁を繰り返していたのに、例えば夕食の準備をしている時に意味なく後ろから抱きしめてきたりとかそんな風に。
嫌だとは思わなかった。同性に恋愛感情を抱いた事は今まで一度もなかったけど、カズラの精一杯の愛情は心地良かった。
カズラが変わった事は、他の姉妹達にも直ぐにバレた。緑に足の経過を診てもらった時には、
「ヤった?」
『何をですか?』
「とぼけないでくれよ。果寿蘭と性交したのかい?と聞いているんだ。」
本当に倫理観の無い人だなあと思う。飲み会の下衆トークならまだしも、どう考えたって心に傷を負っている子の話なのにどうしてこうも人の心を土足で荒そうとするのか。
『してないですよ。辞めて下さいよ、そういうの。』
「そう言うなって。あんな調教を受けてきた果寿蘭が荊ちゃんをどう抱くのか凄く興味深いんだよ。」
これ多分会社で言われたら普通に訴えられる案件だ。
廊下ですれ違うオギには一言だけすれ違い様に言われた。
「カズラは良く笑うようになった。ようやく自分の道を見つけたみたいだな。」
カズラの変化はオギにとっても良い事らしい。
なんとなく。もうオギには殺されないような気がしてきた。今までは一ヶ月で元カレの死体を食べ終わるから次は私が食料になるって約束だったけど、食料として見られてないというか……まあオギの価値観だから分からないけど。
どちらにせよ命蠟に皮膚を狙われている以上、この家からの脱走はマストだ。多分その辺はカズラも考えているんだろう。
そうこの家で一番の癌は
他の三人は人に生まれて鬼に育った生き物なのに、アイツだけは鬼に生まれて鬼に育ったような生き物なのだ。
勿論カズラの前向きな変化を面白くないと捉えているのも命蠟だけだ。
その証拠に私とカズラは命蠟の部屋に呼び出された。
「荊の刺青を見ていて思いついたんだ。刺青のように皮膚に傷を入れて絵描いたらどんなに美しいだろうかって。」
命蠟は手の中には何かを転がしていた。彫刻刀のようなものだ。
「だから荊の綺麗な背中に彫りたくてね。服を脱いでそこの台に寝な。」
節穴の眼で私を見つめながら言った。これはお願いじゃなくて命令なのだ。
「兄様。私の事は何故呼んだんですか?」
「どうせ荊は一人で歩いて部屋まで戻れないだろ。終わった後にお前に運ばせる為と……」
ニタリとあの眼で笑う。
「荊の泣き叫ぶ声でお前がどんな顔をするのか気になってね。」
これは緑にもオギにも絶対言わない言葉であろう。命蠟は私とカズラが慕い合っているからこそそんな事を言うのだ。
カズラは黙っていた。返す言葉を考えている。この場でなんて答える事が最善か。何故なら命蠟は絶対なのだ。カズラにとって絶対的な存在の兄。
絶対。服従。実姉だから。いや、もっと理由が……
私は命蠟を見た。
相変わらず黄鬼は節穴の眼で笑っていた。この姿を狂気というかなんというか。
私が感じるのは恐怖だ。怖い。この鬼は頭のネジが何本飛んでるとかそういう次元じゃない。倫理観が真逆なのだ。人を殺すのは異常ではなくて、普通で日常であり、悪意すら無い。興味。興味で実の妹が友人の苦しむ様を見た時にどんな顔をするのか。それを今やろうとしているのだ。
カズラが服従するのは恐怖からなのか?
下を向いて歯を食い縛ってカズラは震えていた。しかしその震えは恐怖ではなく、握り込んだ拳から震えるような怒りであった。
怒りがなるべく伝わらないように、カズラは喋り出す。
「兄様。提案があります。荊さんの皮膚は確かに綺麗です。なので折角皮膚に絵を彫るのなら、いきなり荊さんに彫るのではなく、私で練習してからにしませんか?」
「ほう……賢い妹よ。震えているが大丈夫か?」
「ええ。少し怖いですが、兄様の為だと思えば大丈夫です。」
カズラは私の方を一瞬見て、目で大丈夫と伝えてきた。
多分。カズラの中で私を傷付けるという事が赦せなかったんだと思う。だから怒っている。震えている。しかしその震えを恐怖であると命蠟は疑ってなかった。
そして私は大丈夫でなかった。だってそれはまたカズラの犠牲の上に成り立つ私の身の安全だからだ。