るつぼかずら(旧題:四色の愛情ブリミア)   作:駿河鵬命

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 緑からのアドバイスは、カズラに殺されたくなかったら、ちゃんと血を飲ませるように促せって。

 

 

 理論上。催吐性を確認出来ない以上、消化器官が血液の経口摂取にも対応した成長を遂げているのは確かだが、根本は幼少期からの教育の洗脳によるもの。

 血を飲まなくても生きていけると脳が認識すればカズラの行動も改善されるだろう。ただし、いきなりは無理。禁煙と同じで少しずつ減らすように促すようにと。

 部屋に戻ると、カズラは寝ていたので、私もカズラの隣に身を滑らした。

 

 

 

 隣に寝ている。青鬼。吸血鬼。人殺し。

 

 

 どうみても普通の少女の姿なのに、血に飢えて暴走する。そしてそれを悩んでいる。

 

 隣に寝るのは危険な気もしたが、緑曰く、今日明日ぐらいは絶対に大丈夫との事。あれだけの血液パックを飲ませた後は数日落ち着くらしい。

 まだカズラの事は全部は分からないけど、嘘を吐いている様子は一切なかった。そりゃ都合の悪い事を隠すといった事はあるけど、決して嘘じゃない。彼女の中で本心で私に接している。カズラは私と仲良くしたくて、そしてさっき衝動が抑えられない瞬間が苦しくて泣いていたんだ。

 

 

 

 

 ギシィギシィと床が軋む足音が聞こえてきたのは私も丁度眠くなってきた頃だった。

 

 この屋敷は全体的に古い所為で、耳を澄ませば誰が歩いても足音が響いてしまうのだ。特に音がしない夜なら尚更。

 

 小さな足音なのに、カズラは起きたらしい。スースーと安らかな寝息が急に止まり、緊張を抑えるような呼気に変わったので直ぐに分かった。

 

 やがて、足音は部屋の前で止まる。

 

 

「カズラ起きろ。おれの部屋に来い。」

 

 

 ガサツな物言い。しかし、声はどう考えても女性のもので高めの声帯のこの声の主は直ぐに分かった。

 

 兄様こと長女の朔蛾(さくが)命蠟(めいろう)である。

 

 来いと言われた事への反発のようにカズラは私の身体を抱きしめた。まるで縫いぐるみを抱きしめる少女のように、全身を使って絡み付くように。縋るような動作だと私は思った。

 

 

「起きろ。殺すぞ。」

 

 

 殺したら一生起きないじゃないか。そんな事は傍若無人の黄鬼にしてみれば関係ない物言いらしい。

 

 カズラは仕方なくベッドから降りて、ドアを開けた。

 

 ドアの向こうに松明を持った命蠟のシェルエットが浮かぶ。カズラよりだいぶ小柄なのに、アイツの細い腕はペットでも愛でるかのようにカズラの首筋を撫でるのが見えた。

 

 カズラの方がかなり背は高い筈なのに、ここ去る二人の背中でカズラの方がやけに小さく見えた。

 嫌な服従関係。見ていてそう思う。これだけの嫌悪感があるのに、私がどうすべきなのか全く見えてこなくてまた更に私自身に嫌悪感が湧いて、気持ち悪くなった。

 

 

 

 

 起きた時には昨日同様に、カズラは本を読んでいた。

 この部屋は朝日が丁度差し込む立地らしく鳥のさえずりも聞こえて本当にさわやかな朝なのだ。

 

 こんなにも素敵な空間で、誰が一昨日と昨日の嫌な事が想像付くだろう。

 

 

「昨日はごめん。」

 

 

 私が起きた事に気付くと、カズラは本を閉じて話しかけきた。

 

 

『ごめんって言われても、どう返したら良いか分からないよ。カズラだって必死なのが分かるし。』

「そうかもね。でも私は君を危険に晒した。それは私の所為。だからごめんね。」

 

 

 私にそう告げてからカズラはテーブルの上のカップの中身を飲んだ。一瞬、中身は血液だろうかと想像したが、隣にティーポットがあるので多分紅茶だと思う。

 カップは二つ置いてあって、一つは私の分と示すように、二つ分紅茶を注ぐと、ベッドから出るように促された。

 

 ベッドからテーブルまでは直ぐだったので、片足で跳んで椅子に座った。近くで見るカズラの顔は、昨日の事を物語るように目が腫れている。

 

 

「もう隠せないから言うけど、私は君の前に二人殺してる。二人の死因は失血死。言ってる意味分かるよね?」

 

 

 私は頷いた。

 

 

「吸血鬼って人の血液に依存して生きる魔性の生き物。そういう伝説だとか創作とか色々あるけど、私は自分の事を吸血鬼だと思っていないんだ。太陽の光も十字架も平気だしニンニクも食べれる。蝙蝠に変身は出来ないし、木の杭で心臓刺したら死ぬのは別に木の杭じゃなくても銃弾でも死ぬもんは死ぬと思う。私は血液の経口摂取に依存したただの人間。」

 

 

 でもその唯一の逸脱した依存症が人間離れした機能なのだ。人は血を飲まない。飲むどころか飲んだら吐く。

 

 

『どうしてあんなにも衝動的に血が欲しくなるの?』

 

 

「昨日のあれは確かに衝動的に見えたかもしれないけど、本当は慢性的にずっと飢えていたよ。キミの前だから見栄を張って我慢していただけなんだ。どうにもならない喉の枯渇感。水を飲んでも全然飲んだ気にならないのと胃の底から響く空腹感で。だから君の血を見た時。砂漠の中でやっと水を見つけた気分って表現すれば伝わるかな。キミの血以外何も見えなかった。」

 

 

 砂漠の中でやっと見つけた水。酷い表現だ。そんな過酷な飢えと彼女は戦っているのか。

 

 人は血を飲まなくても生きていける。当たり前の事が彼女にとって当たり前の事ではない。根本的に認識が違うのだ。

 昨日オギは私に「お前は人間の糞が美味そうに見えるか?」と聞いてきた。見えない。ほぼ全ての人間がそう回答する。食べ物ではない。そう認識しているからだ。つまりはそれと同じ。

 

 

 カズラにとって血は私達で言う水と同じ認識なのだ。

 

 緑の言う通り少しずつやるしかないのだ。

 

 

「私は普通に生きたい。」

 

 

 カズラが私に見えるように、口を開けた。見てという意志が分かったので口の中を覗くと上の二本の犬歯は動物のように大きくはないが、鋭いのだ。この子が吸血鬼である事を証明するかのように。

 

 

「上の二本。尖ってるでしょ。元々はみんなと同じ普通の犬歯だったんだよ。でも父さんが毎日研いでこの形にしたの。永久歯に生え変わってから毎日少しずつ研いで。私生活でこの牙で怪我しない訓練もさせられた。」

 

 

 言ってる意味が分からなかった。牙で怪我しない訓練がいまいちイメージが湧かない。咀嚼時に舌を巻き込まないようって意味か?それって意味あるのだろうか。私だって私生活で舌噛みそうになったり、口内を無意識で噛んで腫れる時だってある。それって訓練の意味はあるのか?というか訓練って何をするのか?

 

 

『その怪我しない訓練って何をしてたの?』

 

 

 多分、人生後にも先にも今の言葉が私が最も人を傷付けた言葉なんだろう。

 無知とは恐ろしい。無知で土足で人の心に入り込むのは、どんな身体的な虐待よりも人の精神を不安定にさせて依存や執着を促す。無意識な言葉による虐待。

 カズラの目の色が変わった。

 テーブルがガタガタ音を立てるので地震かと思いきや、カズラが震えているだけなのだ。痙攣は流石に言いすぎだと思うけど、歯がガチガチと音を鳴らす程度には震えているのだ。

 

 

『カズラ大丈夫?』

 

 

 大丈夫?なんて随分無神経な事を言ったもんだ。今でもこの時の出来事だけは後悔してもしきれない。

 

 

「だい、じょ、大丈夫だって。」

 

 

 瞬きもしないで、腫れた目からボロボロと涙が落ちる。

 パニック障害の一種とか不安衝動の病気かのように。

 兎に角安心感を与えようと、私はカズラを抱きしめた。片足がまだ上手く動かないので凄く変な体勢だけど、私に応えるようにカズラの方から強く抱きしめてくる。

 

 私の胸に顔を埋めて、泣き始めた。

 

 胸元が濡れる。怖いモノを見た子供の様に鼻水をすする音まで響かせながら泣くのだ。

 

 

 

 そのまま五分、十分と。

 

 少し泣き止み始めてたカズラは私の身体を抱いたまま擦るように触り始める。服の上から身体のラインというか骨格と肉付きを確認するかのように。

 既視感を感じた。そうだと思い出せば初めてこの家に来た時の長女の触診だ。あの時は裸で皮膚の一つ一つを確認するような触り方だったけど、今のカズラの行動が愛情か興味か分からない。ただ、何かを確認するかの様に縋るように優しく私を触ってくる。

 

 その手は明らかに故意に私の股間の上も通過した。

 

 

「キミが女の子で良かったよ。男はやっぱり嫌いだよ。」

 

 

 どうして今そんな話を思ったが、一連のカズラの行動から私は下手に言葉を返せなかった。

 


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