「せっま」
思わず呟いた言葉はけれど、通りすがりの車のエンジン音に掻き消された。
開いた扉の先にあったのは極普通の二階建てのワンルームのアパート。
正直、一日の大半を『ひこう』ジムで詰め込み育成しているせいで、こうして借りた部屋も帰って寝る程度にしか使わないだろうことは今から分かりきってはいる。
故にワンルームあれば十分と考えて小さな部屋を借りたのだが……。
「本当に最低限ね、これ」
入口から真っすぐ通路が数メートル延び、その脇にキッチンがあり、一つ隣にトイレや風呂場、正面を進めばそのままワンルーム。
人一人通るのがやっとの廊下は荷物を置くと塞がってしまうくらいには狭くて、肝心のワンルームも5か6メートル四方と言ったところ。
私はまだ体躯が小さいのでこれでもまだそこまで不便を感じはしないが、大柄な男性などが借りたら相当に不便だろうことは簡単に予想できた。
「これで毎月六万はやばいわね」
トイレの個室も非常に狭いし、風呂場などその辺のホテルの浴室より狭い。
にも関わらず賃貸料金はそれなりの値段がする。
「本当に場所代ね、これ」
入口の扉を出てすぐ、遠くに見えるシュートシティスタジアムを見やりながら呟く。
徒歩15分と言ったところだろうか、これからのことを考えるとシュートシティスタジアム近くに拠点が欲しかったので借りたが、それはそれとしていくら何でも狭すぎるだろうと思わなくも無い。
「それともこれでも普通なのかしら」
あまり意識したことは無いが、実家は結構な富裕層だ。
祖父母の家はミシロタウンの普通の(やや改装部分が多いことを除けば)一般的な家屋だが、シダケタウンに建てられた私の実家はほとんど屋敷である。
敷地自体もかなり広く、庭に池があったり、家の中に屋内プールがあったりと非常に広い。
とは言え住人の数が数なので、人数割りすると妥当と言った感じではあるのだが。
とにかく、だ。
そういう広い家に住んでいたが故に、感覚がおかしくなっているだけで案外一般的な人間にはこれくらいの家でも普通、なのだろうか?
実際のところ、無制限に使える資金ではないとは言え、余剰が全くないと言うわけでもないので、多少贅沢に使って広いところを借りても良いのだが、ほとんど寝るだけの場所と割り切ってしまっているので多分これでも苦にはならないだろう。
「ていうかこの狭さだとベッド買っても入らないわね」
明らかに寝台を運搬できるような広さが廊下に無い。
となると寝泊りするならば床で寝るしかないわけだが。
「寒そうね」
三月のガラルは寒い。
元より気温の低い地方であり、ホウエンならそろそろ春の訪れを感じさせるような季節なのだが、ガラルではまだ冬だ。というかユウリに聞いた話、五月の始めくらいまでは肌寒い季節が続くらしい。
元より寒がりの私がこんな地方でこんな季節に床に布団敷いて寝るとなるとかなり寒いだろうことは目に見えている。
「カーペットに、暖房器具に……買い足しておかないと」
エアコンすら備え付けられていないぼったくりアパートである。
とは言え文句を言ったところで、またユウリの家に戻るわけにはいかない以上、今日からここが私の拠点なことには変わりないのだ。
「荷物の受け取り……はまだ時間あるわね。少し散歩でもしてこようかしら」
スマホ片手に時間を見ればまだ運送業者から言われた到着予定時刻には一時間半くらいはある。
時刻は午後二時前。引っ越しに伴う諸々の手続きも終わらせたし、少し周辺を歩いてみようかと出かける。
アパートを出てすぐに大きな道路を挟んで向かいに公園があり、北へ向かえばシュートシティスタジアム、南へ向かうとシュートシティの中央広場のほうへと出る。
「お昼まだだったし、近くの店でも行こうかしら」
南へと進路を取り、中央へと向かう。
さすがガラル最大の街というべきか、道行く人の数は多く、街全体が活気づいている。
最寄りのポケモンセンターの場所、シュートシティ駅、生活雑貨の店に、大型マーケット、飲食店など居並ぶ店をチェックしながら、一月くらいはこの街で生活する予定であるが故に必要な店の目星をつけていると。
「あれ……何?」
中央広場の中心、噴水のある広場にはアーマーガアの石像とその周囲に配置されたアオガラスの石像。
その広場の真ん中、アーマーガアの石像に下で座り込んで何かやっている一人の……女性?
何故疑問形なのかと言われれば、その全身が覆われているから。
全体的に丸みを帯びたフォルム、黒と白のツートンカラー。下向きに垂れたような角。
確か……。
「イエッサン……だったわよね?」
確かガラル地方のポケモンでそんな名前だったはず。
問題はそれがポケモンそのものじゃなくて、イエッサンのぬいぐるみ……着ぐるみ? を来た誰がしかだということ。
確かイエッサンは雌雄で外見に差があるポケモンで、あれは雌のほうの姿だったはず。
故に多分中身は女性……なのかもしれない? という程度の判断ではあるが。
どう見ても不審者だ。どこからどう見ても100パーセント不審者だ。
で、その不審者が何やっているかと言われれば石像の下で座り込んで……スマホを弄っていた。
怪しい、どう考えても怪しい。
とは言え、街でどんな服着て歩いていようと余程公序良俗に反していないならば他人がどうこういう権利も無いし、怪しいだけで相手を咎めることができるのはジュンサーさんだけだ。
一般通過トレーナーが何か言うことでも無いか、と嘆息を吐きながら視線を逸らそうとして。
「……えっ」
見られていた。
いや、本当に見られているのだろうか?
着ぐるみのせいで視線がいまいちわかりづらいが、とにかく不審者の顔がこちらを向いていて。
すくり、と不審者が立ち上がった。
気のせいかな? なんて考えているうちにどんどんとこちらへと近づいて来る不審者に思わず身構えて。
「アナタ……もしかしてソラ?」
聞こえてきた言葉に、目を丸くした。
* * *
連れていかれたのは来た道を少し戻った先の公園の隅。並木道の木陰にぽつんと置かれたベンチに不審者と二人並んで座ると、隣で不審者がごそごそと身じろぎしていた。
何をしているのかと見ていれば、きゅぽ、という音が擬音語が聞こえてきそうな動きで着ぐるみの頭部を外して……露わになったその顔はとんでもない美女だった。
木陰にあって尚光を反射する白い髪は色が抜けているというよりは『雪色』とでも言うべき濃い白さで、その白さと対比して違和感が無いくらいに日焼け一つ無い肌色。
何より白一色の中で燦然と輝く紫色の瞳が酷く綺麗で、妖艶だった。
私自身、母さんに良く似た顔立ちであり、それなりに容姿が整っている自信もあったが、目の前の女性はちょっと格が違うと言っても良い。
未だに首から下はイエッサンの着ぐるみで隠れているのに、顔だけでそう思わせられるほどの整った容姿の女性。
というか何となく見覚えがあるような気がした。
「こんなところまで来させて悪かったわね、人の居るところで迂闊に素顔出すと少し面倒になるのよ」
そう言いながら着ぐるみを脱いでいく度に既視感が増していき。
着ぐるみを完全に脱ぎ去った時点で思い出す。
「アイドルの、リリィ……?」
「あら、私のこと知ってるのね」
それはどうも、と微笑むその姿を見て、ふと思い出す。
「そう言えば、ユウリの従姉だって」
「あの子から聞いてるのね。そうね、私だってあの子からアナタのこと散々聞かされてるものね」
何で初対面でいきなり私のことを知っていたのか、その謎が今分かった気がする。
「あのお喋り……」
「ふふ、大の親友だって良く聞かされてたわよ。アナタが
心無し表情がげんなりしている気がする。
「最近ユウリと合うとだいたい一時間くらいはアナタの惚気聞かされてる気がするわ」
「何を言ってるのよ、ユウリ……」
先ほどまでの綺麗な瞳が濁って見えるくらいに死んだ目で呟かれた一言に、こちらまでげんなりしてきてしまった。
「まあ私だって恋しく愛しく愛らしく可愛らしい大切な家族のことを毎回一時間くらいは聞かせてるから御相子なんだけど」
どっちもどっちだった。というか本当に血縁なんだな、と期せずして感じてしまった。
「ところで、何で私に何か用……ですか?」
どんな態度を取れば良いのか少し悩んでしまう。
こういう時、ユウリなら臆せず友好的な会話に繋げられるのだろうが、私はあの親友のようなコミュニケーション能力は無いので、どうしても言葉に詰まってしまっていた。
「あ、ごめんなさい。もしかして急ぎの用事だったかしら?」
幸いにして、リリィはこちらのそんな部分に頓着する様子も無く、問うてくる。
「あ、いえ……ちょっと散歩しながらお昼でも、と思っただけ……です」
「あー。それならこれでも食べる? あと普通に喋ってくれて良いわよ」
告げながらリリィが手元のバッグから出してきたのは小さな黒い包みにくるまれたお弁当箱。
蓋を開いてみれば、中身の半分を色とりどりのサンドイッチが並べられており、残りにフライドポテトに何かのフライ……フィッシュアンドチップスというのだろうか、それが敷かれた紙の上に敷き詰められている。
「意外とジャンクなお弁当ね」
「それはそうよ。色々気を使ってはいるけど、元はスパイクタウン育ちだもの。こういう味にも慣れるわ」
思わず突いて出た言葉にリリィが苦笑する。
スパイクタウン。確かガラルでも珍しい『ダイマックスできないジム』のある街だったはずだ。
まだ行ったことは無いのだが、全体的にひなびてしまった街であり、今はガラの悪い人間が多いらしい。
まあガラが悪いだけであって、性質が悪いわけではないのがややこしいところなのだが。
弁当箱の中からサンドイッチを一つもらい、一口。
「あ、美味しい」
からしの入ったぴりっとしたマヨネーズの塗られたシンプルな野菜サンドだが、細かいところがきちんとされているらしい、パンがベタついている様子も無く、シャキシャキ野菜と相まって美味しい。
「でしょ? うちの子が作ってくれた料理は最高なんだから」
こっちもどうぞ、とおかずの方も差し出されたので取り合えず魚のフライを一口。
お弁当に入っていたのでさすがに水気を吸って衣がふやけてしまっているが、これは敢えてそれを前提にしていたのだろう、表面にソースが塗ってあって衣にソースが染みていた。
これ単体だと少し味付けが濃いような気がするが、先ほどの野菜サンドと併せて食べるならばちょうど良い塩梅だろう。
「お茶もあるわよ」
告げながらバッグから水筒が出てくる。
注いでもらったカップには良い香りのする紅茶が入っていた。
口に含めばすっと香りが鼻に抜けていくような爽やかさがあって、口の中がすっきりとする。
「美味しいけど、これ高いんじゃないの?」
「普通にその辺で売ってるやつよ。淹れる子の腕が良いのよ」
やっぱうちの子は最高だわ、と告げながら同じカップで自分も紅茶を飲んでいるリリィに何だかイメージが違うな、と首を傾げた。
「飲みまわしなんてアイドルがやるのは行儀が悪くないかしら」
「まあそうね……だから内緒ね?」
ね? と唇に指を当てるその仕草が随分とさまになっていて、改めて顔が良すぎると実感する。
「美人は得ね」
「アナタだって十分だと思うけど?」
心の内から突いて出た一言に、リリィが首を傾げた。
* * *
「ごちそうさま、とても美味しかったわ」
「ふふ、それはそう。うちの子たちが一生懸命作ってくれたんだもの」
昼食を終えて満足感に心地よさを覚える。
いつのまにか木々の隙間から差し込む日差しに、ぽかぽかと温かさを覚え、このままここで昼寝でもできれば気持ちいいだろうな、なんてことを考えながら。
「それで、結局私に何の用?」
本題を切り出す。
当然ながら私に自分の弁当を食わせるために連れてきたわけでは無いだろう。
「まあそうね、その通りではあるわ」
佇まいを正してリリィがこちらを向き直る。
「実はね、今月の半ばに私が主催する大会があるのよ」
リリィ曰く。
このガラルではジムチャレンジ期間を除くとだいたい毎月2~3回くらいは大会が開かれており、中でもメジャーリーグのジムリーダーは最低でも年に2度は大会を主催することがリーグ委員会から義務づけられているらしい。
「で、そこそこ数は集まったんだけど、いまいち話題性が無くて困ってたのよね」
ジムリーダー主催の大会というのは、要するにリーグ委員会が大本となる公式大会の類となる。
つまり『興行』の一つなわけで、当然ながら収益というものが見られるわけだ。
リリィはこのガラルでもトップクラスの人気を誇るトレーナーだが、同時に地方を股にかけるワールドワイドなアイドルでもある。要するにエンターテイメントを演出する側の人間なのだ。
当然ながらリリィに期待される『収益』というものは他のジムリーダーより高くなるわけで、とは言えジムリーダーとして最低ラインを割ることが無ければ何か言われるわけでも無いのだが。
「それはそれで私が……というか私の可愛い子たちが舐められているみたいで嫌じゃない?」
何がじゃない? なのかは良く分からないが、とにかくリリィとしては期待されればその上を行きたいと思っているらしい。
「でもガラル地方の中だともうだいたいやり尽くした感はあるのよね」
一度はチャンピオンを招いて観客を大いに沸かせたにこともあるらしいのだがそれとて二度目以降はインパクトに欠ける。
「そこでアナタ」
そこで私の出番、というわけらしい。
「他地方から来た、今年ジムチャレンジ参加の、チャンピオン直々の推薦枠トレーナー。これは良い話題になるわ」
と、言うわけで。
「出場してくれないかしら?」
「メリットが無いから嫌よ」
即断した。
原神始めたらもう面白くて時間が消し飛んでた(
あとクコちゃんのデータ作るの手間取ってたらいつの間にか一月以上……嘘やん(