『サイレンススズカ、復帰レースの特別オープン戦で15着惨敗!』
──昨年の秋の天皇賞、沈黙の日曜日から1年の時を経て、再びターフに姿を見せたサイレンススズカは1番人気に推されるものの、出遅れから持ち直すことが出来ないまま、前方に立ち塞がるウマ娘たちを交わせずブービー15着に沈んだ。
──復帰そのものが困難と診断された重度の骨折からターフを走れるようになるだけでも奇跡であり、1着入着による完全復活は高望みと言う言葉では言い表せない程の儚い希望であった。
──このレースの結果を受け、彼女が所属しているチーム【リギル】のトレーナー、東条ハナは多くを語らなかったものの、サイレンススズカの引退を検討しているらしいということが関係者への取材で分かった。
──異次元の逃亡者、サイレンススズカはやはりあの沈黙の日曜日を越えることはできなかったのだ──。
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「……」
苦しそうに走る己の姿が写された競馬新聞から目を離し、耳を前に倒したサイレンススズカは新聞を棒状に丸めてゴミ箱に突っ込んだ。
後半に書かれていたことは憶測であり、確定している話ではないのだが、トレーナーである東条ハナからは何か言いたげな、しかし言い辛そうな目線を最近よく向けられるようになった。
彼女とて嫌なのだ。スズカがこのレースまでにどれほどのリハビリを積んできたのか、彼女は一番傍で見ていて、一番よく知っていた。
それでもあのレースの結果は受け止めなければならない。チーム【リギル】に求められるのはただ一つ、勝利のみなのだから。
そのトップチームのトレーナーであると同時にスズカの理解者の一人という板挟みに苦しんだ彼女はあの日深酒をしてしまい、翌日は出勤できない程に潰れてしまっていた。
そこまで追い込んでしまった原因は自分にあると、スズカは考えていた。
怪我を完璧とは言えないまでも歩けるようになる程度には治し、さらに過酷なリハビリを重ねてある程度走れるようになっても、また怪我をするかもしれないという恐怖に打ち勝てず、練習でもレースでも全力で走り切れなかった。
ここまで育てて見守ってくれたハナに報いることが出来なかった。
メディアの勝手な憶測には少し思うところがあったが、そうすることがお互いに最適解なのだとスズカは理解していた。
スズカは机の上に置いてあった茶封筒を手に取ると鞄に仕舞い込む。
それから松葉杖を手に取ってから部屋の扉に手を掛け、少しの間振り返った後に扉を開けて出て行った。
──スズカのベッドの反対側には誰もいない、マットだけが敷かれたベッドがあった。
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寮から出て向かいにあるトレセン学園へ歩みを進めると、ちらほらと移動中の生徒たちが見受けられた。
その誰もが、スズカに気が付くと周りのウマ娘と何事か交わしながら目線を向けてくる。
その理由は良く知っている。何せ絶望的な怪我からの復帰と大々的にぶったのはいいものの、結果がご覧の有様では憐憫の目を向けられるのは至極当然の流れであった。
どうにも居心地の悪い視線から逃げるように足を速める。
復帰レースの時に無理をして走ったせいか、半ば引きずる形でしか前に進まない左足にスズカは顔をしかめた。
足との折り合いをやや欠きつつ、やっとの思いでスズカがトレーナー室に入るとすっかりやつれてしまったハナがパソコンと睨めっこをしていた。
入ってきたスズカには気付いていない様子だったので、何を見ているのかと左回りで後ろに回り込んでみる。
モニターにはあの日のスズカのレースの動画と体の状態、そして今後のリハビリプラン候補がずらりと並んだテキストエディタが映し出されていた。
机の上にはいくつもの魔剤の空き缶が並び、彼女がどれ程の時間ここに齧り付いていたか容易に想像させてくれる。
ここまで来ても諦めきれずに模索し続ける彼女に、スズカはどう声をかけるべきか悩んでいたが。
「……スズカ」
「おハナさん……」
気配に気付いたのか、ハナが顔を上げてスズカの方を向く。スズカは気まずそうに目線を泳がせていた。その手には茶色い封筒。
それだけでスズカが何を言いに来たのか理解したハナは目の横を強く揉むようにして深い溜息を吐く。
「スズカ」
「……ごめんなさい、おハナさん。私が、私が不甲斐無いばかりに」
「皆まで言わなくていいわ。この時が来るのは、覚悟していたから」
食い気味にかけられる少し強めの言葉。それが彼女なりの虚勢であることはスズカにも伝わっていた。
やはり、ハナは板挟みになっている。トップチームのトレーナーとスズカに魅せられた一人の人間の間に。
それならば、少しでも楽にさせてあげるのが自分の役割だと、そうスズカは信じた。それがお互いに納得のいかない終わり方だったとしても。
「おハナさん……今までありがとうございました」
「……っ」
スズカからハナに手渡される脱退届と書かれた茶封筒。渡す手も受け取る手も震えて覚束ない。
いっそのこと、このにっくき封筒がお互いの震えに耐え切れずに破れてしまえばいいとさえハナは思った。
しかし、結局封筒は破れることなくハナの手の中に収まった。
つまり、そういうことだった。
「……ぅ……っ」
受け取っても泣くまいと決めていたハナだったが、目の前の現実に耐え切れず嗚咽を漏らす。
封筒を胸に抱え、いやいやと首を振る。トップチームのトレーナーとは思えない程の幼い行動だった。
何も言わずにスズカが椅子に座ったままのハナをそっと抱き締める。彼女の胸で顔を隠すようにして、ハナは声を押し殺すようにして泣いた。
ここにはスズカとハナしかいない。いつもなら【スピカ】のトレーナーが居たりするのだが、今日は居なかった。
二人だけの空間で、ようやくハナはトレーナーとしてではなく、彼女の一人のファンとして泣くことが許されたのだった。
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すっかり泣き疲れてそのまま腕の中で眠ってしまったハナにブランケットを掛け、スズカはトレーナー室を後にしていた。
夕日が沈みつつある黄昏時、スズカは学園の景色を目に焼き付けておこうと散歩していた。
ただ【リギル】を脱退するだけではない。走れなくなったウマ娘はトレセン学園には居られない。それはつまり、スズカは学園から卒業しなければならないという事だった。
「あそこは食堂。オグリキャップさんがいつもすごい量を食べててびっくりしたわ……。あっちに見えるのは……」
ゆっくりと懐かしむように思い出のある場所を巡る。もうすぐ見ることの出来なくなる光景を忘れまいと。
食堂、図書室、生徒会室、理事長室、自分のクラス、ダンススタジオ、穴の開いた切り株、練習コース。どれもスズカにとって思い入れがある場所だ。
──食堂は、オグリキャップやスペシャルウィークがご飯をモリモリ食べている光景をよく目にした。あんなに食べて太らないのかと心配になった。実際、二人とも食べた直後はお腹がでっぷりとしていた。走ればすぐに引っ込んだが。
──図書室は、メジロマックイーンが競バのデータを熱心に調べていることが多かった。名門メジロ家として恥じない活躍ができるように努めていたことを知っている。来年の春の天皇賞にはメジロ家三代に渡る制覇の偉業を成し遂げに行くと聞いた。
──生徒会室は、伝説のウマ娘であり生徒会長のシンボリルドルフが窓から優しい目で皆を見下ろしていた。そういえば会長は今おいくつなのかしら……。思えば自分がここに来た時から居たような……。いや、深く考えるのは止めよう。
──理事長室は、若くして中央トレセン学園の理事長に就任した秋川やよいが独特なセンスの扇子を開いては高らかに笑っていた。トレセン学園七不思議に理事長はウマ娘だという話があったが、流石に尻尾も耳も確認できなかった。
──自分のクラスは、同期が騒がしく授業を受けていた。あまり騒がしいのは得意ではないが、嫌いではなかった。
──ダンススタジオは、トウカイテイオーが自慢のステップを良く磨いている姿があった。彼女のウイニングライブは活発でとにかく動きがあって楽しげだった。確か来年からクラシック路線に出るとか。三冠ウマ娘を目指して頑張ってほしいと願う。
──穴の開いた切り株は、ヒシアマゾンがナリタブライアンに負けては良く利用していた。恥ずかしながら、自分も少し使ったことがある。弥生賞の時とか、マイルCSの時とか。
「そして、練習コース……。私が一番先を駆け抜けるために走った場所……」
門限が近づき、誰もいなくなった芝とダート複合の練習コース。
目を閉じれば在りし日の自分がコースを走っている姿が目に浮かぶ。
速く疾く、誰よりも先頭で、その先で見える景色を独り占めにして。
──先頭の景色は誰にも譲らない。
そう意気込んで、練習に打ち込んで、その成果を宝塚記念で感じて。
そして、毎日王冠でさらに伸びた。もう誰も自分には追い付けない。
「……その、はずだったのに」
視界がぼやける。頬に何かが伝う感触があって、一拍おいてからそれが自分の涙だと気が付いた。
もう、ここで走ることは叶わない。あの景色の先を見ることも。
「う、うぅぅ……っ」
スズカはぺたん、と芝の上に座り込むと蹲るようにして嗚咽を漏らした。
二度と走れなくなるということはこんなにも辛いのだとスズカは知らなかった。
走れなくなって、チームから脱退して、自分のいないターフを見て、そうしてようやくその実感が湧いてきたのだ。
スズカは一人、コースの隅で小さく泣き続けた。
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陽が落ちてすっかり暗くなった頃、ようやくスズカは泣き腫らした目を擦りながら立ち上がった。
門限はとっくに過ぎている。早く帰らないと寮長のフジキセキに「夜遊びだなんてイケナイ子だね、ポニーちゃん」などとからかわれてしまうだろう。
ゆっくり立ち上がるとパッパッと土埃を払い、鞄を肩にかけて、一度だけ練習コースを見てから背中を向けて歩き出そうとした。
「……?」
その時、どこからかスズカを呼ぶ声が聞こえた気がした。辺りを見回してみるが、それらしい人影は見当たらない。
気のせいかしら、と頭を振ったところでもう一度呼ぶ声が確かに聞こえた。
「私を呼ぶのは、誰……?」
小さく耳を澄まさなければ聞こえないような声は一定の方向から聞こえてくる気がした。
スズカはその声に誘われるようにゆっくり歩き始める。
練習コースを出て学園の方へ。学園の渡り廊下を潜り抜けて反対側へ。正門の方へ行けば、途中には三女神の像と泉がある。その前まで来たところで、呼ぶ声は一定の方向からではなく、頭の中全体に響く様に聞こえるようになった。
『サイレンススズカ。貴方はもう一度、あのターフを走りたいですか?』
先程よりはっきり聞こえてきたその声にスズカは辺りを見回す。下校時刻どころか門限も過ぎた時間帯では人影の一つも見当たらない。
誰かの悪戯ではないのか、と疑問を抱くより先に、先程の声が言った内容に思考が持っていかれた。
もう一度走りたいか?
そんなの、決まっている。だけど、それは叶わない話だ。
「それはもちろん走りたいです……。でも、もう私は……」
『もう一度聞きます。貴方はもう一度ターフを走りたいですか?』
ビリ、とした威圧感を体に感じる。あ、これ私知ってる。はいかいいえで答えないとだめな質問よね。
どう答えるべきか。スズカは深呼吸を一つして覚悟を決めた。
「走り、たいです。もう一度、あのターフの上で……誰よりも先頭で……! 教えてください。どうすれば、もう一度走れるようになりますか……!」
それは心の奥底にずっと押し留めていた願い。もう走れないと分かってからも燻り続けていたウマ娘の本能たるそれをスズカはお腹の底から吐き出す。
この声の主が誰かなんてこの際どうでも良かった。もし、もしもう一度走れるようになるなら、私は何だって──
『サイレンススズカ。貴方の願いは確かに聞き届けました。それを叶える方法がたった1つだけあります』
想いを吐き切った後に掛けられた言葉に目を見開く。
「そ、それは一体……?」
『貴方の精神を過去の貴方へ飛ばします』
「過去の私に……?」
『そうです。過去に戻り、もう一度走りなさい。悲劇を超えるのです、サイレンススズカ』
自分が考えていたものとは全く違う荒唐無稽にも聞こえるその方法に、スズカは首を傾げる。
過去を変えるためにタイムスリップするなんてことはファンタジー小説などでもよくある話だが、まさか現実でそんなことが出来るはずがない。
若干胡散臭げな表情を浮かべるスズカに天の声(仮称)は少し不機嫌そうに鼻を鳴らしたように感じた。
『ふん、信じてないのね? 私は出来る女神様よ?』
「急に口調が俗っぽくなったわね……」
『あーあ、そんなこと言っちゃっていいのかしら。女神様のご機嫌損ねたら知らないわよ』
ごめんなさい、スズカは即座にその場に土下座した。触らぬ神に何とやら、である。
『はぁ……まあいいでしょう。私は女神様だから、懐は深いのよ』
一先ず謝罪の姿勢は通じたのか、自称女神は機嫌を直したようで、口調が若干柔らかいものへ変わった。
ほっ、と安堵の息を吐いて顔を上げる。
『それで、出来るかどうかだけど、私は女神様なので出来ます。だから深くは疑わない様に」
「全く疑うな、とは言わないんですね」
『いくら私が女神様でも、他人にいきなりこんな話をするなんて怪しまれて当然だし、それについての理解はするわよ。納得はしないけど』
ぷりぷりしているのが目に浮かぶようだ。スズカは想像して可愛いな、と思った。
思った瞬間、また機嫌が悪くなりそうな雰囲気を感じたので、咳払いをして誤魔化した。
女神側も同じだったようで取り繕うように咳払いしてから話を続ける。
『ンッ、こほん。それで? 貴方の答えを聞かせて頂戴。サイレンススズカ』
「答えは……既に決まっています。私は──」
女神の問いに、覚悟を決めたスズカは自分の答えを告げた。
聞き届けた女神はいくつかの助言をスズカに与え、それから『行きなさい』と告げた。
そして、スズカは眩い光に包まれた。
自分の書いたものを人前に出すのは初めてなので、上手く書けているかどうか…。
書き溜めていないので不定期更新です。出来るだけ頑張ります…。
感想や誤字脱字等ありましたら伝えてもらえると幸いです。