なおレース回ではありません。
ついにシャムがデビューする日がやってきた。
デビューする場所は、スズカとフクキタルが先週走った阪神レース場だった。
距離は1600mのマイル戦。天候は秋晴れで、バ場状態は良と発表されていた。
クラシックの花道とも言えるレースがほぼ終わった中で、遅咲きも遅咲きのウマ娘がデビューすると聞いて、興味本位で見に来る人がちらほらと見受けられた。
勿論、【ポラリス】のチームメンバーは全員で応援に駆け付けてくれていた。
皆が見守る中、まずはパドックでのアピールからである。
「ええっと、まずは真ん中より少し前辺りまで進んで、そこでこの上着を脱ぎ捨てる……」
口内でもごもご呟きながらゆっくりとパドックを進み、ある程度前に出た所で立ち止まった。
ここで羽織っただけのジャージを掴み、脱ぎ捨てる。
その下から現れた肢体に観客席からはどよめきが上がった。
1週間の付け焼刃とは言え、十分に鍛えられてきたと分かるトモが目を引く。
「おいおい、何だあの脚……!」
「編入してきてまだ1か月も経ってないって聞いたんだが、それがあそこまで仕上がるのか!」
「あのシャムってウマ娘、どうやらチーム【ポラリス】所属らしいぞ」
「チーム【ポラリス】!? あの坂路の権化みたいな黒沼トレーナーと脚フェチで有名な【スピカ】のトレーナーを足して2で割ったような桐生院トレーナーが見ているチームか! 道理で間に合う訳だな」
「何やと!」
「ゲェッ!? 桐生院トレーナー!?」
「ウチが黒沼やったらあの子に坂路ダッシュ毎日10本は叩き込んどるわ! それに比べたらクロール500m5本で済ませてんのやから十分優しいやろ! あとあいつと一緒にされるんは心外や! ウチはウマ娘のトモを触るのが好きなだけやぁぁぁ!」
(それってやっぱり二人を足して2で割った感じなんじゃ……)
「何やってんのよ……」
ぎゃいぎゃいと騒がしい観客席を見て、シャムは半目になって呆れた。
応援に来てくれたのは嬉しいが、見ているこっちが恥ずかしいので暴れるのは止めて欲しい。
取っ組み合っている茜の横にいる葵に目線を向けると、目が合い、そして首を横に振られた。
何と言う事だ。神は居ないのか。あ、私が女神様だった。
シャムはとりあえず、脱ぎ捨てたジャージをさっさと拾ってパドック裏へ引っ込む事にした。
⏱ ⏱ ⏱ ⏱ ⏱
パドックでのアピールを終えて地下道を歩いていると、スズカが心配そうな表情で佇んでいた。
シャムを見つけると、たたた、と駆け寄ってくる。
「シャムちゃん」
「スズカ。どうしたの?」
「あの……」
首を傾げてスズカを見ると、スズカは目線を揺らして口籠った。
そのまま暫く待っていると、意を決したのか真っ直ぐこちらを見て口を開く。
「あの、シャムちゃん……大丈夫?」
「へ?」
「えっと、緊張とかはしてなさそうだったけど、ほら、いきなりのデビュー戦だから……」
耳と尻尾をしゅんと垂れ下げて見つめてくるスズカからは、如何にも心配してますと言うオーラが出っ放しである。
余りにも見ていられなかったので、よしよしと頭を撫でてあげたら、きょとんとされた。
「えっと、シャムちゃん?」
「心配し過ぎよ、スズカ。大丈夫、私は勝つわよ」
「うん……」
「もー、そんな顔しないの」
「ふにぃっ!?」
それでもまだ不安そうなスズカの頬をもちもちしてやった。
スズカの驚いた顔を見ながら、もう少しだけ揉み込んでみる。とても触り心地が良かった。
十分に堪能した後、ゆっくり手を離す。スズカは頬を擦りながら困ったような笑みを浮かべていた。
「……もう、シャムちゃんったら」
「ふふん。スズカがもちもちして欲しそうな顔するからよ。……ありがと」
シャムもしてやったり、と笑って見せた後、視線をずらしながら頬を染めて小さく呟く。
二人してもじもじしている光景に胸焼けを起こして口を押えながらウマ娘たちが通り過ぎているが、二人の目には映っていない。
完全に二人の世界の中であった。
「じゃ、じゃあ、行って来るわね!」
「え、ええ……。頑張ってきてね」
しかし、時間は有限である。我に返ったシャムは照れ隠しの様に手を振ってそそくさとコースへ向かい、スズカは手を振って見送るのだった。
⏱ ⏱ ⏱ ⏱ ⏱
『さあ、阪神第2レースの本バ場入場です!』
「いよいよやな……」
本バ場入場を告げる実況を聞きながら、茜は固い表情でバ場を見ていた。
何せ、1週間しか練習してないのである。直前に至ってはライブの練習もさせたから、余計走る為の練習量は少なくなってしまっていた。
研ぎ切れていない刃でどこまで届くか。このひりつくような感覚は茜にとって、何度感じても慣れないものであった。
そんな茜にチームメンバーから励ましの言葉が掛けられる。
「大丈夫よ、トレーナー。あれだけ詰め込んだんだから後は祈るだけよ」
「その通りです! シラオキ様にお祈りしましょう!」
「救いはありますぅ……」
「腹括れよ、茜の姐さん」
「ええい! お祈りやなんて柄やあらへんのに!」
そう言いつつも結局、ビリ〇ン様お願いします……、と持ってきていたビ〇ケン人形の足裏を撫でながらお祈りする茜。
それを見て憤慨したのはフクキタルである。持ってきていた水晶玉をずい、と突き出して力説し始めた。
「あーっ! お祈りするならシラオキ様にですよぉ!」
「そっちはウチが祈るよりフクが祈った方が絶対ええやろ!」
「一人より二人! 二人より三人のスピリチュアルパワーですよ!」
「救いはぁ……」
「ああもう! 分かった! 分かったから! やりゃあええんやろ、やりゃあ!」
強い圧を掛けてくるフクキタルとドトウに折れた茜は、二人と一緒に水晶玉に念を送り始める。
三人が水晶玉1つを囲んで念を送るという異様な光景が今ここに出現した。
「貴方達、何やってるの……」
「ドーベルさんもやりましょう! リョテイさんと葵さんも!」
「えっ、ちょっ、まっ」
儀式をしている三人に呆れていると残りのメンバー達も次々と巻き込まれ、最終的には六人が水晶玉を囲んで念を送るという状況が生まれてしまった。
あっという間に周りに空白の空間が出来上がった。怪しい物には誰も近寄りたくないものなのだ。
『さあ、今日の注目株、本レースがデビュー戦となるシャムがターフに姿を現しました!』
『パドックでもそうでしたが、緊張で固くなり過ぎず、逆に緩み過ぎもしていない、良い塩梅の緊張感を持っていますね。遅咲きのデビューではありますが、好走が期待できそうです』
「何してんの……」
そんな異様な集団になりつつある【ポラリス】メンバーに外ラチまで近づいてきたシャムが胡乱な目付きを送ると、ぐるり、と一斉にシャムの方を見た。それを見て、ひぃ、と耳と尻尾が逆立つシャム。
怯えているシャムを無視して、メンバー達は焦点が合わない瞳でシャムを見つめたまま、ぼそぼそと呟く。
集団の真ん中にある水晶玉もぼんやりと白く光り始めていた。
「「大吉……大吉……大大吉……」」
「な、何よぉこれぇ!」
余りの恐ろしさに堪らず、ぴゅーっ、とコースへ戻っていくシャムにメンバー達は念を送り続けていた。
「何してるんですか……」
阪神レース場の一角に漂う異様な熱気によってますます周りから人が居なくなり、遠巻きに怯えながら眺めるようになるまでそう時間は掛からなかった。
その念送りの儀式はスズカが地下道から戻ってくるまで続き、何ならスズカも巻き込んで儀式の規模が七人に増えてしまうのだった。
ついに舞台の幕が上がり、傍観者は舞台へ立つ。
上がったら最後、全てが終わるまで降りる事は許されない。
それでも彼女は踊り続ける。大切な娘が走り抜けていくその先を見るために。
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