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今回はスズカとシャム視点です。
沈黙は未だ静寂を守り、栄光への扉を閉ざしている。
何かがおかしいな、とスズカが気付いたのは向こう正面の直線に入ってからだった。
全力で走っているはずなのに、妙に脚が残っているのだ。
これでは逆に余力を残し過ぎて最後まで使い切れない。
後ろのエアグルーヴもぴったり好位置に付けている。
このままでは、最終直線で抜かれてしまうだろう。
ペースが上がっていない理由は分からないけれど、早めに加速しなければ。
理由も分からないまま、スズカは加速するために一瞬息を入れて、それから強く左脚を踏み込もうとして──。
──左脚に感じないはずの痛みを感じた。
「──ぁ」
どうして、と思う間も無く入れた息が漏れる。助けを求めるように手が前へ伸びる。
エアグルーヴが横を走り抜けながら驚愕の表情を向けてくる。
その光景を見て、あの時が、秋の天皇賞の悪夢が脳裏に浮かぶ。
『サ、サイレンススズカに故障発生! 第3コーナーを越えて第4コーナーに向かう途中、大ケヤキの向こう側で一体何が起こったのか! サイレンススズカ、故障につき競走中止……!』
あの時、スズカは痛みに脚を踏ん張ることも出来ずに緩やかに失速しながら走り続け、そして大外に出たところで転倒した。
痛みで朦朧としていた意識では受け身など取りようもなく、失速していたとはいえ、故障を悪化させるには十分なスピードでの転倒は、スズカの未来を閉ざす結果となってしまった。
しかし、それはスズカにとっては過去の話で、ここでは未来の話のはずだ。
今のスズカの身体が万全であったことは目が覚めた時に確認している。
絶好調のさらにその上だった天皇賞の時ほどのスピードが出ていないのは、走っていて分かる。
だからこそ、今強く踏み込んだところであの怪我が再現されるはずもない。
理由が全く思いつかない身体の不調に呼吸が乱れる。
ばたん、ばたんと本能的に左脚を庇うように走る。左脚が地面に着く度に痛みが走る。その痛みがさらに意識を朦朧にする。
このままでは、また走れなくなるのではないか、いや、もう走れなくなったのではないかという恐怖が全身を支配し始める。
震えが痙攣に変わり、呼吸も浅くなって力が入らなくなった身体がいよいよ倒れそうになったその時。
「スズカァ──ッ!」
──一陣の風が吹いた。
倒れるはずだった身体は、温かくて柔らかい物に包まれて少し滑った後に止まっていた。
朦朧とする意識の中、ゆっくり目線を上げればぼんやりと明るい栗毛が視界に入った。
「スズカ、大丈夫デスカ!? 痛い所ありまスカ!?」
「……かひゅ……かひっ…… 」
「過呼吸……こ、これかなりピンチなのデハ!? 急いで保健室へ……いえ、それよりも救急車デス!?」
上手く呼吸ができない。タイキが来てくれたのは声と抱き上げられた感覚から分かるが、それ以上のことが出来ない。
それでもスズカは本能的にタイキにしがみつき、耐え切れなくなった苦しさに意識を闇に落とした。
⏱ ⏱ ⏱ ⏱ ⏱
──目の前で起きたことが、信じられなかった。
「う、そ……」
──あれだけ走りたいと言っていた彼女が。
「どうして……だって、貴方は……」
──さっきまで軽やかに走っていた彼女が。
「身体におかしな所なんてどこにもなかったはず……!」
──どうして、故障したかのような歪な走りをしている?
「嘘、嘘よ……! だって、貴方はこんなところで終わるような……ッ!」
──どうして、顔面蒼白になってタイキシャトルに抱き抱えられている?
シャムは走っていたダートコースの上で完全に固まり、スズカが運ばれていくのを呆然と見送っていた。
それを咎める者は居ない。周りのウマ娘達も目の前で起こった出来事に意識を持っていかれていたのだ。
「ね、ねぇ。あれって【リギル】のサイレンススズカさんだよね……?」
「走ってる途中から急に様子がおかしくなって……もしかして、怪我……?」
ざわざわと騒めく周囲の声はシャムには聞こえていない。
まるで世界が止まったかのように、シャムはその場で立ち尽くしていた。
彼女の時間が動き出したのは、コースの外に救急車がやってくるサイレンが聞こえてからだった。
「すっ、スズカ!」
ダンッ、とダートを蹴上げて走り出す。
レースという物を経験したことが無いシャムの走りはフォームがぐちゃぐちゃで、傍から見ると頼りないものに見えた。
それでも足掻くように走って、走って、そして。
「スズカ……!」
結局、シャムは目の前で遠ざかっていく救急車を見届けることしかできなかった。
自分は、ただひたすらに無力だった。
シャムは普通のウマ娘として生まれ変わっていることを後悔した。
女神の力があれば、干渉できたかもしれないのに──。
出来はしないことを思い浮かべて、シャムは首を振った。
「……は、過去をやり直させてあげるって言っておいて、この体たらくか……全く、笑えるわね」
自嘲気味に呟くと、シャムの心を占めていた後悔がすっと落ちて消えていくのを感じた。
代わりに満たされるのは、怒り。自分たちでは出来ないことを平然とやってのけてくれた存在に対する、怒りだ。
「──いいわ。運命の意地悪なんか、蹴っ飛ばしてやるわよ。覚悟しなさい……!」
瞳に宿るのは強固な意志。繰り返そうとしている、あるいはもっと悪くなろうとしている運命を跳ね返さんという、不退転の意志だ。
──運命だか何だか知らないが、私の邪魔をするな──!
──私はッ! スズカがッ! あの秋の天皇賞を勝つのがッ! 見たいんだッ!
その心は声には出さずに、うおおお、と天に向かって咆えるシャム。
覚悟は決まった。決意も固まった。後は為すのみである。
スズカをたくさんお世話し、あの沈黙を塗り替えてやるのだ。
この身でやれることなら何でもやろう。
「それはそれとして、お見舞いに行かなきゃ。スズカの様子、気になるし」
決意も新たにしたところで漲らせていた怒気をスン、と抑えて真顔になったシャムは、いそいそと自分の分の片付けをして、病院へ見舞いに向かうべく着替えに行くのだった。
幻肢痛、という心の病がある。
一度失い、無いはずの四肢に走る失われた時の痛み。
後遺症にも近いその痛みは、果たして神経の損傷だけが原因だろうか?
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