すごく可愛い。
「脚は折れていませんね」
「折れて、いない……?」
カルテとレントゲンを見ながらそう宣告した医師の言葉に、話を聞いていたスズカとハナは目を丸くした。
スズカは倒れたあの日から丸一日寝込み、一夜明けて昼前にようやく目覚めたところで一通りの身体検査を行った。
その後、連絡を受けてやってきたハナとこうして診断結果を聞きに来ていたのだが、そこで聞いた結果が冒頭のこれである。
「ええ、発見し辛い細かな骨折であることも考え、念入りに検査しましたが、どこから見ても一切の不調はありません。至って健康そのものです」
現に、今は歩く時に違和感がないでしょう? と言われ、確かに目が覚めた時に脚にはめられていたのは、ギプスではなくサポーターだったことをスズカは思い出した。
歩いた時も無意識に左脚を庇いかけていたものの、別段痛みがある訳でもなかった。
二人には一体どういうことなのかさっぱり分からない。
困惑している二人に、医師はカルテを見たまま話を続ける。
「これは専門に診てもらった方がよろしいかと思いますが、私見で申しますと、サイレンススズカさんが左脚に感じた痛みは恐らく肉体的なものではなく、精神的なものが原因だと考えられます」
「精神的なもの、ですか?」
ハナの問いかけに医師は小さく頷いた。
「はい。例えばですが、何かしらの原因で心に傷を負った場合、きっかけになった部分に不調を感じることは有り得るかもしれません」
「ですが、スズカはデビュー以来、そこまでに至るような怪我をしていません」
「その通りです。ですから、本当の原因が何なのかは一度しっかりと診てもらう必要があるでしょう」
紹介状を書いておきます、と一言付けて、医師は手早く紹介状を書き上げる。
封筒に入れたソレをハナが受け取ったところで、今日の診察は終わりとなった。
身体検査も終わっているのでこのまま退院して良いとのことだった。
寝ている間にシャムが届けてくれていたらしいスズカの荷物を纏め、ハナと揃って病院を出たところでスズカは見知った顔が二人ほどやってくるのを見つけた。
シャムと同期のマチカネフクキタルだ。二人はスズカを見つけるとパッと顔を明るくして走り寄ってきた。
両手には袋を持っていたので、恐らくはお見舞いに来てくれたのだろう。
「あ! スズカ!」
「スズカさん、怪我は大丈夫でしたか?」
「シャムちゃんにフクキタル。ええ、怪我はしてなかったみたい。心配してくれてありがとう」
にこ、と微笑みながらぴょんぴょん跳ねて見せる何ともないアピールに、二人は安堵の表情で息を吐いた。
「良かったぁ……。ほんとにどうなるかと思ったんだから……」
「本当に良かったです……。でも、怪我じゃなかったのなら何だったんでしょう?」
ほっと胸を撫で下ろしたフクキタルは、それからふと湧いた疑問を口に出した。
怪我をしていなかったのなら、昨日のアレは一体何だったのか?
他に原因があるはずと思いスズカに聞くと、彼女はうーん、と首を捻る。
「そ、そうね。一応、精神的なものなんじゃないかとは言われたけれど……」
「精神的なもの……何か嫌なことでもありました? 今度占ってみましょうか? 次のレースも遠くないですし……」
「っ。……え、ええ。その時はぜひお願いするわ……」
レース。
その言葉を聞いてスズカの肩が少し揺れ、返事も歯切れが悪いものになる。
今の自分は、レースに出てもちゃんと走れるのだろうか?
不調の原因は精神的なものかもしれない、という先程の医師の言葉が頭に思い浮かぶ。
あの時は言い出せなかったが、スズカにはそれに心当たりがあった。
──秋の天皇賞。あの悪夢が起こった日。
あの時から芽生えた、また怪我をするかもしれないという恐怖。
過去へ戻って身体が元通りになったことでその恐怖も薄れたように思えたが、なるほど、現実は甘くなかったということだろうか。
そして、これは誰にも相談できないことでもある。
女神様が言っていた『未来の話をすることはできない』という言葉がスズカに重くのしかかる。
話そうとしたときに実際どうなるのかはまだ確認していないが、しようとしたところで伝わらないのであれば無意味だろう。
どちらにしても未来のことを話せないのであれば、頭のおかしくなったウマ娘と思われてしまいそうだ。
医師は兎も角、エアグルーヴやタイキ、フクキタルにまでそう思われてしまったら、立ち直れる自信は……ない。
「……」
「え、えっと。どうかしましたか? もしかしてやっぱり脚が痛いとか!?」
「……いえ、何でもないわ。それより、二人の組み合わせは珍しいわね。どこで仲良くなったの?」
一方でフクキタルは、歯切れ悪く呟いたスズカと無言で少し険しい表情を浮かべるシャムを交互に見てから困惑気味に尋ねてきた。
それに対してスズカは無理やり笑顔を見せて首を振り、逆に珍しいと思える二人の組み合わせについて聞くことにした。
二人の接点と言えば同じクラスだが、それだけで連れ立って来るものだろうか、と思ったのだ。
その問いにシャムは何でもない様にフクキタルと自分を指さして答える。
「それはね、寮での私の荷物の整理手伝ってもらったからよ」
「その通りなのです!」
「あら、そうだったの? それなら納得ね」
なるほど、とスズカは納得したように頷いた。
シャムの部屋割は昨日の時点では帰宅するまで分からない状態だったが、無事決まっていたようだ。
しかしここで安心すると同時にちょっとしたモヤモヤがスズカの胸に渦巻いてきた。
(私の事が放っておけないと言ってたけど、それならどうして私の部屋に来てくれなかったのかしら……?)
私の事が大事なら一緒にいるぐらいしてくれてもいいのに。
実際の所、シャムがどの部屋に入ったのかはまだ聞いていないのだが、スズカの頭の中では勝手にフクキタルと相部屋になったものと思い込んでいた。
スズカには、それぐらいしかシャムがフクキタルに手伝ってもらうというビジョンが見えなかったのだ。
盛大な思い違いによって、世間一般で言う嫉妬の気持ちがスズカの表情にはっきりと表れてくる。
それを見たシャムはギクッと肩を震わせた。
「あ、えっと、ぉ……そのぉ……」
明らかに不機嫌ですと言わんばかりのオーラを放つスズカに、シャムが目線を泳がせながら言い訳しようとしたところで、パン、と手を叩く音が聞こえた。
そちらを見ればハナが両手を打ち合わせており、気まずい空気を変えるべく溜息交じりに口を開く。
「さ、二人もスズカの無事な姿を見て安心したでしょう。積もる話があるなら続きは寮でも出来るわ。ここでのお話は一旦お開きにして各自帰りなさい。良いわね?」
「……はい」
「ふむふむ、何だか良く分かりませんが、シャムさんは後でちゃんとお話ししてあげてくださいね?」
「…………はい」
ハナとフクキタルの言葉にシャムはがっくりと項垂れた。
その間もスズカの表情は固いまま、じとっ、とシャムを見つめ続けたのだった。
病は気から、という。
気が弱ければ病に呑まれ、立ち上がることはできないだろう。
しかし、その気は如何様に強くすればいいのだろうか。
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