ルシナ・ロンツァ大陸ビフレスト法王庁。その首都アオーグ。
流星信仰の発祥であるその地にて、賢者パチュリーの手により設立されたノーレッジ魔法学園。
信仰の担い手たる司教、いずれ来たる魔の軍勢のための魔法兵を育てる大陸屈指の教育機関。
さてこの学園で一番背丈の高いモノといえば何か。
園庭にそびえる国母の銅像。不正解。
兵科生が実技で使う大型獣を模した木馬。不正解。
それは今、梓川咲太の視界の端に悠然とたたずんでいる。
動かない大図書館。
ビフレストの国母たる賢者パチェリーがかつて冠した大げさな二つ名を継承し、恥じぬ蔵書を持つノーレッジ学園の図書室。
その最奥には2フロアぶち抜いて天井を支えばかりにそびえる本棚がある。
学園で一番背丈の高い代物が“本棚”というのは、司教の養成所であり魔法学園であるここらしいといえばらしい話だった。
司教科2年。高等部からの混院入学。学生身分を示すカードを司書に提示する。
辿った学歴だけを並べると、この学園の頂点に君臨する白銀御行と同じらしい、その内容は月と亀。おとぎ話の月の貴公子と平民。
咲太の成績は司教科の中では下の中といった場所になんとかぶら下がっている状態だったが、そのことに特に気に病むべきことではない。
幼少から英才教育を叩き込まれたやんごとない子息令嬢がひしめくこの学園で、高等部からたたき上げがトップに上り詰める方が正気の沙汰ではないのだ。
読書用の大机と自習机が並ぶ空間を抜けると、娯楽小説コーナーに立ち寄る。
目当ての本はすぐに見つかった。
妹に頼まれた娯楽小説の続巻。こういうときに魔法学園の生徒という身分は便利だとしみじみと思う。
『狭間ノ家』とだけ題名がシンプルに飾られた本をパラパラと流し見て確認する。
蓬莱の小島を舞台にした恐怖小説を気に入った妹は、継続して読むことを決めたらしい。
発刊年数に反して真新しさを感じる装丁が、こういった小説を目的に利用する者の少ないことを表していた。
見知った顔を見かけたのは、他にいくつか参考書を見繕って貸出カウンターへと向かう途中のことだ。
混院入学である咲太の、数少ない1年の頃からの友人。
頭蓋をなでつけるように整髪料で固めた短髪に、剃り込みの入った頭。極端に小さな光彩のせいで、位置によっては容易に三白眼となる目。眉の毛は産毛ほどの濃さしかなく、病的に白い肌が目元の隈をより引き立てている。
そんな凶貌が、図書館の入り口から頭だけ出してキョロキョロとしていた。
控えめに言って威圧の塊だ。録画機材でも回していたら、確実に心霊扱いされる。
「……なにしてんだ北野?」
はじかれたように北野のぎょろりとした瞳が、咲太をとらえる。
咲太にとっては慣れた眼光だが、彼の脇を抜けて入室する学生は振り返っては足早に離れていく。
図書館において静謐はマナーだが、一部の利用者に至っては何かから身を守るように文字通り息を殺してしまっていた。
遠巻きに畏怖の視線が集めていることに、彼は気づいているのか。
おそらく気づいていないだろう。
「梓川くん。探したよ」
表情に動きはないが、声のトーンが少し上がっている。
非常にわかりにくい、安堵や喜びのサインだ。
品行方正、文武両道、顔面凶悪。そして平素においてはどうにも小心翼翼。
生まれ持ったモノと気質がどうにもアンバランスだが、付き合う分には気の良い奴だった。
「ちょっと……相談したいことがあって」
「相談? 北野が僕に?」
眉を顰め、首をかしげる。
誠一郎はいつもの威圧じみた強張った笑みを作って固まっている。本人は精いっぱい困った顔をしているのだろうが、素の身体能力の高さ反した表情筋が働いていないのだろう。
とりあえず本の貸し出しを済ませると言って、北野を図書室の外に待たせることにした。
このままでは図書室内で窒息者が出かねない。
動かない大図書館で倒れて動かなくなる学生が出るなんて、七不思議がもう一つ増える事態になるのは話はごめんだった。
* * *
北野誠一郎とつるむようになったきっかけはなんだっただろうか。入学早々の身体測定の柔軟のときだったか、そのあとのフィールドワークのときだったか。
野郎同士の“なれそめ”なんてものは、紋章学の授業の内容同様記憶に残す価値もない。
方や高等部からの完全混院入学の平民。方や威圧が可視化されて鬼の形にでも立ち上りそうな強面。
すでに中等で完成された人間関係の中で明らかに浮き駒な存在同士が、一絡げにまとめられるまでにそう時間もかからなかった。
学院は性質上集団行動を是としていて、あぶれ者同士は早かれ遅かれどこかで付き合いを持つ形にはなる。
「はい、適当に2人組を作ってください」という呪文によって。
不健康そうな肌と犬歯を剥きだした引きつった笑みは1年経った今でも相変わらず。
けれど誠一郎は2年へと進級の折に風の晶星へと抜擢され、そこから彼の周囲の目も環境も変わった。
もともと運動神経は高く、成績優秀。大いに、盛大に、途方もなく勘違いされがちな要素はあれど内面は善良な人柄もあって、周囲の先入観さえなくせば受け入れられることは難しくない。(それだけが最大の壁であり、今でも高くそびえているわけだが)
同じく高い実力を有する生徒会のメンバーとは殊の外すぐに馴染んだらしい。
役職を与えられ、ますます恐怖の対象とする者もいるが、頼まれれば引き受け、完遂する人柄は着実に周囲の信頼を徐々に集めている。立場が人を育てるとはよくいったもの。
まぁそれでも、友人と呼べる者はまだ数少ない。というのは本人の弁。
「そういや、この間の論文。随分評価されたらしいな」
「うん。所詮学生の論文だけど、僕の研究が今後の世の役に立ってくれればいいな」
放課後の学園の廊下は、兵科の連中の威勢のいい声が窓の向こうから遠く聞こえる。
いっそ嫌味に聞こえるほど謙虚な発言だが、これを本気で言っているのが北野誠一郎という少年だ。
いつもと変わらない善良さに、思わずため息が出る。
「どうしたの? 具合悪い?」
「北野のさわやかさに悪酔いした」
「さっ、さわやか!? そんなこと初めて言われた」
「冗談だよ。あぁ、“悪酔い”な。何か褒賞でもでたか?」
「褒賞はー。うん、出たよ。出たけど……」
「けど?」
誠一郎は言葉を濁す。
宙を泳ぐ小さな黒目が三白眼を作って、闇雲な威圧感をまき散らしているが、幸いにして廊下には咲太以外いない。
「けど?」
「ちょっと僕には合わないものだったから、受け取り辞退しちゃったんだ」
「取扱いに困る魔道具とかか?」
「そんな大層なものじゃないよ。舞台演目チケットだったんだ」
舞台のチケットねぇ。と気のない声を咲太は返す。
それなりの付き合いを持っていると、こういうときの誠一郎の考えは透けて見えてくる。
辞退した理由についても。
「……興味なかったのか?」
それをそ知らぬふりして、聞いてみた。
相槌か、純粋な聞き逃しか。のんびりと歩いていた誠一郎は「ん?」と返す。
「劇の内容だよ。どんなのかは知らないが、論文の褒賞ならそこらの天幕張ってやる大道芸とかじゃなかったんだろ?」
「えーと、“月の貴公子”にまつわる演劇だったかな。ここ(アオーグ)の指定上映館でやるらしいよ」
「論文の褒賞って割には意外と大衆的な題材だな」
「演劇についてはわからないけど、この地の流星信仰の歴史に触れる内容だし。うん、興味はあったかな」
「だったら行けばよかったじゃないか」
興味があるならいけばいい。
学食のメニューに迷ってる相手を軽く後押しするような、ごく軽い口調で咲太はそう言い切った。
もったいない、と庶民臭さ満点の一言を付け加える咲太に、誠一郎は固まる。文字通りに。足も止まってしまっていた。今度こそ言葉の意味を取りこぼした様子だった。
「い、いや。外部の人は学園の序列とか知らない人ばっかだし」
「いつも通りの服と顔していけばいいだろ。
北野、どんな顔していればいいかわからないような場所で、とりあえずなんでもない顔ようなをしておくの得意じゃん」
「その顔がこれだよ? この顔がVIPに居たら他の来賓の護衛さんとか、下手に刺激しちゃいそうだし」
「給料分ぐらい働かせてやれって」
「ほら。役者さんの眼に留まったら、演技止まっちゃわない?」
「お前、上映館で舞台踏むような役者相手にそれは逆に失礼だろ」
慌てて咲太を追うように歩きながら、誠一郎が挙げていく“ダメ”な理由をひとつひとつ潰していった。
こうやって狼狽しているときは、傍目から考えがわかりにくくて怖いといわれている一本調子の声も、人並みに感情を滲ませる。
誠一郎は「そうかもしれないけど」となおも何か言葉を口の中で濁らせていた。
「別に、北野が我慢することじゃなかっただろ」
咲太は一度足を止めて振り返り、ただその結論を放り投げた。
皮肉や非難を含む色は一切ない。
つられるように足を止めた誠一郎の、小さな瞳に正対する。
その細く鋭い眼の奥にある、見境ない博愛を知る人間は多くない。
誰かを否定することをしない、知らない友人を否定する気なんて毛頭なかった。
傍目からみても普通なら捻くれてもいい、多くの誤解に囲まれた誠一郎の精神はそれでも腐ったところは見られない。
遠巻きに敬遠はされど、物理的に傷つかない。というか傷つけようにしても意に介さない頑強な体がその遠因か。
北野誠一郎は虫を踏まない獣のように生きている。
人の性善説を信じている彼は他人を否定しない。けれど一周回って自分に物事の不具合の原因を求めたがるところがある。
その窮屈な生き方は望んでそうなったのか、周りに合わせようとしてそうならざるをえなかったのかはわからなくて。
周りの目なんか気にするな、なんて口で言うほど容易くはないことは咲太わかっている。
結局、野暮ったいなと思いながら吐いて出た言葉は、咲太があまり自分を否定するようなことを誠一郎の口から聞きたくないからだ。
友人として。
「……我慢、したつもりはないけど」
誠一郎は困ったように視線を泳がせる。
咲太の言葉に困っているというよりかは、その言葉を受けて適切な言葉を探している様子だった。
ふたりとも足を止めてしまっている。そのせいか誠一郎は投げられた言葉の返答を求められる形になってしまっていた。
特に焦ることはない。誠一郎との会話でこういうことはままあることだ。
日の傾いた廊下は長い2つの影を壁に縛り付けてまどろんでいた。
ややあって、誠一郎の口が開く。
「確かに少し、惜しいことをしたかもしれない」
はっきりとした声が、放課後の廊下に澄んで響いた。
誠一郎の相変わらず変わらない表情の、口角だけが少し持ち上がる。
ギラリと人間にしては鋭利な犬歯が剥きだしになって、人によっては卒倒しそうな貌がそこにあった。
それに応じて、咲太もわずかに笑む。
――少し、惜しいと思った。
惜しかった。けれどそれでいい。
それはいかにも誠一郎らしい答えだ。
そう思ったのは咲太だけではなかったようで、出した答えに満足した誠一郎は歩き出す。
少し胸を張って、いつものように迷いなく前を向いて姿勢の良く歩く姿は、なるほど全校生徒の憧れを集める晶星だ。
今度は咲太が遅れないよう、胸を張る友人の後を追って歩き出した。
一般生徒Aによる、晶星“北野誠一郎”について
「というか北野、そんなこと気にすんなら図書館であの不審者行動は止めろ。
入ってくる奴みんなビビってたぞ」
「えぇっ! 本当!?」
「ほんとう」
挿話 出会いの頃
「こんなこと聞くのも失礼かもしれない、けど」
「……うん?」
「僕のこと怖かったり、しない……かな?」
「怖い?」
「うん。僕、どうしてか人によく怖がられちゃって」
「……う~ん」
「僕って口下手で、どうも顔も怖いらしいくて。
こんな風に消去法でペアになったら、梓川くんも無理して、いつも通りの実力を発揮できないのは――」
「目は2つ。で、口は1つ」
「……へ?」
「鼻も顔の真ん中にちゃんとついてる。そこまで面白い顔はしてないな」
「えーと……」
「それともデコからもうひとつ目が開いて光線出したり、
背中から筋肉隆々な腕が生えたりするのか?」
「さっ、さすがにそこまでは人間やめてないよ」
「それは残念。もしそうだったら」
「もしそうなら?」
「北野の後ろに隠れてさっさとこの実習を終わらせられた」
「……」
「ついでに妹への土産話にもなる」
「ははは……梓川くんって面白いね」
「今の反応で僕はちょっと自信なくしてる。さっさと課題終わらせよう。
即席だし、とりあえず2人で警戒しながら進む感じでいいか?」
「うん、よろしくね。梓川くん」
* * *
「光線も出さないし、腕も生えやしないが……。
後ろにいるだけで実習終わちゃうなこりゃ」