欠けた植木鉢、足の足りない椅子、半分に割れたベッド。
街の片隅には粗大なゴミが小山のようになっている場所がある。
それは大きな通りから外れた小路の行き止まりだったり、川を跨ぐ橋の下だったり。
意外なことに、そういったのは人目を忍んだ場所というほど隠れてはいない。
それでも積み上げられた残骸を、人は見て見ぬふりをする。もしかしたら大多数の人間は、それを背景の一部と認めて気づいていないのかもしれない。
何故か。
ゴミが遺棄されている場所というのは、すなわち誰にも愛着を持たれていない場所だからだ。
学園の講堂裏。森に面したそこは朝は講堂が、日中過ぎれば森の木々が陽の光を遮り、今は木漏れ日が多少の差し込む程度の日陰場所だ。
人目にも付きづらく、過去には落ちこぼれ捻くれた生徒の溜まり場にもなっていたという。
今では誰かがマメに手入れをしているのだろう。ゴミらしいゴミも見当たらず、落ち葉も掃き清められている。
不思議なもので、人は清潔に保たれている場所では悪事をしづらいらしい。厳密にいえば、不浄な環境では悪事を行うことに対するハードルが下がるのだそうだ。
はじめは小さなゴミから、大きなごみが捨てられ、その陰で違法な物品の売買行われはじめ、果ては姥捨てや“処理された”死体の遺棄。
もちろん後半は大げさな話で学園という場には当てはまらない。
けれど薄暗いこの場所も今では放課後のおあつらえ向きな時間帯でさえ、不良生徒がたむろしていないのはそういうことなのだろう。
決して今年に入って頻繁にここを清掃している人間が、半端な奴が裸足で逃げ出す眼力鋭い凶悪面だからではないはずだ。
「結構いい話したあとだったんだけどなぁ」
そんなある意味馴染み深い場所。誰にも聞こえない声で、咲太はひとりごちる。
講堂の壁面に背を預けて、ことの推移を見守っていた。
少し先には友人の北野誠一郎。そして彼と相対しているひとりの生徒。
その生徒の敵意半分、闘志半分、やる気十分な瞳は、離れた位置にいる咲太からも見て取れる。
間違っても友好的な空気ではない。風船が割れる直前のような張り詰めた空間。
正直帰りたいとさえ思ったが、そういうわけにもいかない。
なにせ咲太の今のポジションは“立会人”なのだから。
* * * * *
「そういや、相談って何なんだ」
暮れなずんでいく廊下。少し前を行く誠一郎に並ぶ。
雑談が一段落して、話は本題。誠一郎の当初の目的について。
「あぁ、そうだ。梓川くんにちょっと見て欲しくて」
いうやいなや、誠一郎はガサゴソと鞄を漁りだした。
折り目正しい持ち主の性格のせいで、置き勉などない革の鞄は今日も咲太のそれの2倍の重量を支えている。
まもなく取り出されたのは一通の封書だった。
「これ……」
「ラブなレター?」
冗談のつもりで投げた問いを、誠一郎は色白な顔に朱を差すことで答えた。
「……マジか」
「……うん」
「読んでいいのか?」
渡されたということはそういうことなのだろうが、一応許可を取る。
小さくうなずく誠一郎から手渡された封書は、一枚の蓬莱紙を丁寧に織り込んで作ったものだった。
手紙の便箋によくあるファンシーさはかけらもない。
この段階で、すでになんだか嫌な予感がする。
開封すると予想に違わず、つづら折りになった蓬莱紙が一枚。
毛筆に墨で書いた丁寧な文字が躍っていた。
「『北野誠一郎どの。貴殿に物申すべきことあり。
本日4時30分に、講堂裏に来られたし。
ゆめゆめ恐れ逃げることなきよう。
なお、立会人は各々1名まで認めることとする』……」
一文字ひともじ、丁寧に読み上げた。
音読した後もう一度目で追って、顔を上げる。
手紙を受け取り手である誠一郎は世にも珍しい浮足立った様子で、咲太が告げる次の句を縋るような眼で待っていた。
「……“ゆめゆめ”ってどういう意味だっけな?」
「どどど、どうしよう梓川くん!
僕、ここここ恋文とか貰ったことないから。
えーと、えーと。何か手土産とか――」
「たぶんいらないな。僕だってラブレターなんて貰ったことはないけど」
菓子折り片手に告白を受ける、というのは寡聞にして聞いたことはない。
オーケーなら、その場で一緒に食べるのだろうか。ごめんなさいの場合は、受け入れられない代わりに持って帰ってもらうとか。
絵面は間抜けだが、それはそれで案外悪くはないやり方に思えた。
もしかしたら上流階級ではそのような作法が存在するのかもしれない。
伝承学を学んでいたら、こういう場合迷いなく答えられるのだろう
奇妙な場所で、あのカビ臭い学問の重要さを感じられる一幕だ。
「4時30分って……。あと15分か」
書状を丁寧に元に戻し、持ち主へと返す。
講堂まではまっすぐ行けば5分程度だ。
人気のない廊下を迷いなく歩いていく。
「え? 梓川くん!?」
「呼ばれてるんだろ? 遅刻したら印象悪いんじゃないか?」
「……ついてきてくれるの?」
「立会人はひとりまで、なんだろ」
他に相談する相手いなかったのかとか言いたくなるが。
白羽の矢は咲太に立った。現状真っ先に頼ったということはそういうことなのだろう。
それを無下にするほど浅い付き合いじゃない。
相変わらずの凶悪さのまま、誠一郎の顔の周りに花が咲いた。
弾むように後をついてくる足音。
だが気がかりがひとつ。靴の音に紛れるよう、聞こえない声で咲太は呟いた。
「うーん……。そういや、このパターンは初めてだったか」
おそらくだが。
あれは恋文ではない。
果たし状だ。
* * * *
咲太の予想は半分当たって、半分外れた。
当たったのはやはりあの文が“果たし状”であったこと。
外れたのは。
「ほんとに女の子だったとは」
手紙に性別はない。
達筆に書かれた文字は硬質で丸みがなかったから、てっきり男だとばかり思っていたが。
待っていたのはブレザータイプの学生服を身に纏う女子生徒。
黒髪を緑地に黒のラインの入ったスカーフで馬のしっぽのように一くくりに垂らし、目は絢爛とした熱を持っている。
きつく睨む先には、先ほどからふわふわと地に足が付いていない様子の誠一郎。
アレは未だにこの状況を、告白か何かだと思っている。
どうにも友人には一度そうだと考えると、冷静に顧みられない悪癖がある。
善意と無垢な思い込みで他者とすれ違いを起こす、というトラブルは一度や二度の話ではなかった。
結局何を言ったってここに足を運んではいただろうし、だったらわずかな可能性にと淡い期待をしてみたが。
今となっては手紙を読んだ段階で一言、こちらの所感を言っておいた方が良かったかもしれない。
一言二言。何か言葉を交わし合っているが、内容までは聞き取れない。
立会人とはいったって、こうなると咲太は完全に蚊帳の外だった。
かといってわざわざあの空気に耳も口も挟むほど蛮勇ではなかった。
結果成り行きに任せて背景に徹するしかない。
決まりの悪い間延びした声が、乾いた笑いとともに咲太の隣にやってきたのはそのときだ。
「あ、はははぁ。なんかごめんねぇ」
一房左の側頭で結わえて後は流した金糸の髪が、咲太の肩口で白い外套とともに翻る。
赤銅の瞳は少々目じりが吊り上がってるが不思議とキツさはなく、ハキハキとハリのある声と合わせて人懐っこい印象を与えた。
「……向こうの“立会人”の人、でいいかな?」
この状況でこの場にいるということは、女子生徒の方で咲太と同じ立ち位置の人だろう。
確かめるように確認すると、少女は驚いたように少し目を見開く。
なぜだろう、珍しい珍獣を見たような目だ。
「あ~、そうだ。私はクリーブランド。
クリーブランド・アーマットサング。司教科3年だ」
「じゃあ先輩ですね。司教科2年、梓川咲太。
梓の木の“梓”に河川の“川”。花咲く太郎で“咲太”です」
「梓の木か~。木は好きだぞ。趣味は盆栽なんだ」
「渋い趣味してますね」
「へへへ、よく言われるけどな。
まぁ埃かぶった壺買い集めて並べるだけよりかは健全だろ」
初対面にしては距離が近いが、それを不快と感じない気さくな少女だった。
剣呑な空気を醸している本日の主役たち一方で、壁の花と額になることに決め込んだ見届け人たちの空気は和やかだ。
ポニーテールの少女は何か詰問をしている様子だったが、誠一郎に動きは見られない。
たぶん、この期に及んで未だ正確に把握していない。
「そんな奴じゃないって説明したんだけどねぇ」
「……ん?」
「北野のこと。けどあの娘ちょっと頑固でね
『私は自分の目で見たもの以外信じない』って。悪い子じゃないんだけど」
精いっぱい目を鋭くし声を作って演じるクリーブランドは、悔しそうに眼前の状況を見守っている。
彼女なりに今回のこの状況に至るまでに、女子生徒に説得を試みたらしい。
ということは、この状況は誠一郎にとって割と“いつもの”状況で間違いないようだ。
病的な色白肌、撫でつけたオールバックの頭髪、薄い眉と獰猛な犬歯。そしてなにより常に威圧を孕んだ鋭い眼光。
誠一郎の外見的特徴はそのひとつひとつが、相手に生理的な恐怖感を植え付ける。
どれもこれも北野が選んでそうなったわけじゃない、生まれ持っての先天的なもの(髪は撫でつけておかないと立ち上がってしまう剛毛らしい)だが、そんなことはお構いなし。
一般生徒の大半は勝手に恐慌し、一方で秩序に従うことに反抗したがる一部の捻くれた奴らは自己満足な意地を張って突っかかってくる。
今回の場合は、それとは逆で秩序を守ろうとする正義感が暴走しているパターンだろう。これも珍しいことではない。
「目に見えるものだって、そんな信用できるものじゃないですよ」
厳然たる事実として目の前で起こったことでも、人は簡単に見なかったことにすることがある。
思い込みが目を曇らせることもある。思い込みという言葉は、偏見や差別意識という言葉と入れ替えても通じる。
それどころか健全でまっとうな常識だって、ときには同じように牙を剥く。
認識は、事実を簡単に拒絶する。
誠一郎が受けている誤解だって、大元はそういうものだ。
見た目が与えている印象が、彼の言動から見える人間像を容易く否定する。
実は誠一郎は一部の教育熱心で思い込み激しい教員からすらウケがよろしくないのだ。
人は思ったほど、“ありのまま”を受け入れるようにできていない。
それは人の一種の防衛機構なのだろう。はじめに抱いた印象を翻すのは難しい。
誰だって自分の考えに一貫性を保ちたくなるものだ。
そして何より、大多数が同じ認識な中で、それに抗うのは勇気も体力もいる。
誰もが避けていれば、自分も避ける。そうして皆“誰も”の仲間入りになる。
多数派にいる方が楽で安心だから。数はおおよその場において正当で正義だから。
その程度に世の中は薄情だ。別にそれは異常でもなんでもない。
咲太はそれを痛いほど知っていった。
――文字通り、痛いほど。
「……ん? というかクリープランド先輩、北野とも知り合い?」
彼女は向こうの立会人のはずだが、クリープランドの物言いは完全に北野側に立っている。
北野の本質を知っているような口ぶりだった。
「やぁ~っぱり気づいてなかったか」
呆れたジト目が、赤銅の眼を半分隠す。
腰に手を当て、いかにも“怒ってます”という風にクリープランドは咲太を眇め見た。
「改めて。どーも、梓川咲太くん。
私は晶星四位、クリーブランド・アーマットサング。
火の晶星だ。以後よろしくっ、な!」
晶星。各属性ごとに対応した七人によって構成される生徒代表。
誠一郎も風の属性として組み込まれ、学園の箔となっている。
つまり目の前にいる彼女も、卓越した頭脳とたぐいまれなる戦闘力を有する成績優秀者。
「山のてっぺんにいるような人がこんなところに出向ているとは思わなくて」
「そう言いながらキミ、山とか見向きもしないタイプだろ?」
「山がそこにあることぐらいは知ってるタイプです」
「名前と形ぐらいは覚えておいて損はないと思うけどなぁ」
晶星という存在は知っているが、誰がそうであるかなんて把握してはいなかった。
知らなくても咲太自身も学園も、何も問題なく円滑に日々を回しているのだから。
なにせ7人もいるのだ。自分と同じ属性の晶星1人覚えておけば十分だと思うのだが。
火の晶星はプリプリと頬を膨らませ、腕組をして壁にもたれた。
露骨なほど大げさにポーズをとっているが、それが逆に本気で怒っているわけではないというアピールになっていた。
なるほど。実力がありながら、こういう気さくで面倒見の良さそうなところが、今日“立会人”としてここで立っている遠因なのだろう。
「まったく、自己紹介なんて久しぶりにしたぞ」
「晶星である先輩の貴重な体験になれて嬉しい限りですよ」
学園を歩けば自分を知らない者がいない、学園の首席集団というのはそういうものだ。
逆に咲太からすれば知らない相手が自分を知っているなんて、少し想像しがたい環境だと思うのだが。
いや、少し前に自分もそういう状況に置かれていたことがあったな。
もっともそれは、とてもではないが前向きな状況とは言い難かったが。
「う~。梓川、聞いてた話と印象がだいぶ違うぞ」
「……それ誰から聞いた印象ですか」
「そりゃあ、北野以外いるか?」
「まぁ、ですよね」
「どんな風に言われてたか、聞きたいか?」
「すげー聞きたくないです」
「悪くは言われてないぞ。むしろその逆だ」
「なおさら聞きたくなくなりました」
自分の知らない場所で自分についてアレコレ話されているなんて話自体、聞かなかったことにしておきたいものだ。
それが印象と離れた美化がされているならなおのこと。
背中が痒くなってしょうがない。
「そうかそうか、梓川はこーいうのに照れるタイプか」
「その上シャイで繊細なんで、あまりいじめないでください」
「その上照れると口数が多くなって、おまけにちょっと自己評価が低いと」
名前を覚えていなかった仕返しだろうか。
クリーブランドの追及は手厳しい。
これ以上何か言うと墓穴を掘りかねないので、黙っておくことにする。
「ごめんごめん。晶星って結構癖が強い奴が多くてな。
肩の力抜いてお喋りできるのって割と貴重だから口が滑った」
「北野は晶星の人たちは皆いい人だって言ってましたよ」
「……北野の口から“悪い人”が登場したこと、ある?」
「あいつは人の良かったところを見つける達人ですから」
きっと誠一郎なら覆面被ったイカニモな悪のマッドサイエンティストとかでもいい人になるんだろう。
将来詐欺師にコロっと騙されなければいいが、あの顔では詐欺師だって寄ってこない。
だからこそ、そういう痛い経験ができずに育ってしまったところもあるのだ。
当の本人は今も目の前で女子生徒からの敵意を敵意とも感じず――。
「「あっ……」」
話し合いが決裂したのか女子生徒の助走をつけた蹴りが、誠一郎の腹に吸い込まれる。
蹴りで人体はくの字に曲がる、という現象が起こりえることを初めて目撃した。
できればそんなもの知りたくはなかったことだが。
隣でクリーブランドが目頭を手で覆う。
「あちゃー。やっぱ手が出ちゃったかぁ」
「手というか足ですね。まぁ、いつもの流れといえばそうなんですけど」
本当に、誠一郎の眼には一部の人種を興奮させる魔力でも宿っているのか。
これが常人相手に行われた蛮行なら、血相変えて飛び出したろうが。
目の前の酷い光景に反して、立会人ふたり揃って緊張感に欠けるやり取り。
いま女子生徒の目の前にいるのはこの学園のトップ集団。晶星がひとり、北野誠一郎。
天使のような心と悪魔じみた凶貌。そして何より、頑強なる鋼の肉体を持った青年なのだ。
「とりあえず、北野があの猿みたいな叫び声上げないことだけ祈っとくか」
「……たぶん、大丈夫でしょ。女の子相手にそういうはないと思う」
「その代わり泣くんだよなぁ、アイツ」
そこから結局、彼女の攻撃を誠一郎はすべて受けなお立ち上がり。
事態が収束するまでには5分とかからなかった。
誤解が解けたか解けてないのか、そもそも誰が何を誤解してこんなことになったのか。
そんなことは拳を交えた(というにはやや一方的だが)本人たちにしかわからず、本人たちもきちんと通じ合えているのかもわからず。
これも1年の付き合いでよく見るパターン。
立会人として遠巻きに眺めていただけの咲太には、なおさら知りえることはなかった。
北野君がどうやってポニテ少女と和解(?)したは原作「エンジェル伝説」を読もう!