ノーレッジ魔法学園保有の専用会場。
1人の英雄と7人の俊英が、青空の下模擬戦を繰り広げたのも数時間前の話。
戦闘によって荒れに荒れたフィールドも、土魔法が得意な学生たちが中心となり、教師の指揮の下綺麗に元に戻ってしまっている。
北野誠一郎はその綺麗に均された石畳の上に、佇んでいた。
少し東入場口側に寄った地点。そこは模擬戦の開始時に誠一郎が立っていた場所だった。
すでに熱戦の熱を失い、生まれ変わった石畳は何事もなかったかのようにそ知らぬ顔で整列している。
時折西門側から吹き抜けるそよ風が、誠一郎の体を通り抜けていく。
わずかな向かい風は、晶星7人を相手取ってなおも飲み込まんとする英雄、その小さな体から迸るひり付くような威圧を思い起こす。
それだけが、後片付けも終わって気の抜けた会場に残った闘いの残滓だった。
大きく息を吸って、吐き出す。
風の流れに合わせて、ひとつ、ふたつ、みっつ……。
「……痛いっ!?」
そうして浸っていた誠一郎の背中に、軽い衝撃が走った。
コロカラと、石畳を何かが叩く音が響いて。
慌てて振り向いた先にあった襲撃の凶器は、口をこちら側に向けて寝ころんでいた。
「なーに黄昏てんだ」
感情のこもらない声。その元を辿ると、見知った男子生徒の姿。
「あ、梓川くん」
誠一郎の意識を引き戻した梓川咲太は左足を上げた姿勢で立っていた。
その足先にあるはずの靴はなく、地面に足をつけることを嫌って、ヒョコヒョコと片足で跳び進みながら誠一郎に近づいていく。
それでも戦場に上るための階段は思った以上に段幅が広かったようで、結局そこからは諦めて左足も地につけ、上ることになった。
そうして誠一郎を遠距離から撃ち抜いた靴を何事もなかったかのように改めて履く。
そこから一言。
「僕が暗殺者だったら今頃命はなかったぞ、晶星7位 北野誠一郎」
「えぇ……」
不格好な不意打ちから一連の立て直しを眺めた末に飛び出てきたのは、あんまりなセリフで。
ふてぶてしい一連の流れがいつもの友人と変わらなくて、誠一郎はなんだか無性におかしくなった。
緊張感のかけらも感じない、いつも通りでいてくれることになんだか救われた気分だった。
「……こっからだと客席すご」
戦場に立って、思わず零したかのような咲太の感想。
360度ぐるり囲むような雛壇状の観客席は、声援が上がれば空気が揺れんばかりに降り注ぐ。
別に返答を期待したつぶやきではなかったのだろうが、実際に体験した誠一郎は同意を一つ返した。
そこからはお互いに前だけを見て、先ほどまでと同じように風を感じるだけ。
どうしてここに? と咲太に尋ねることもしなかった。
逆に聞き返されても困ってしまうから。
戦いを終えた誠一郎の足が再びこの場所に向かったのに、明確な理由はなかった。
強いて言えば、先ほどの咲太のいうように黄昏たかったからなのだろう。
自分の中に未だわだかまる熱をゆっくりと冷ます場所を求めたから。
それを咲太も理解してくれているのかいないのか。
沈黙はふたり分の息遣いだけ伴って、護られている。
「ま、とりあえずおつかれ」
「……うん」
そこからその場から再び動くまで、ふたりの間で交わされた言葉はこれだけだった。
* * *
「ど、どうだったかな? 模擬戦」
突っ立っているのにも疲れて先に音を上げた咲太が、フィールド端の石畳に腰を下ろすと、そんな問いが降り注いだ。
模擬戦が行われてから日も跨いでいない以上、友人の質問は当然の流れなのだが、どう答えたものかと咲太は一瞬言葉に詰まってしまった。
問われて初めてあまりあの模擬戦に関して、自分の言うようなものがないことに気づいたのだ。
自分が思っている程度のことなら誠一郎も気づいているのだろう。
少し考え、とりあえず素直な感想を口にする。
「ボッコボコだったな。7人がかりで」
「うぅ……。やっぱりそうだよね……。そうだったよね」
7対1で何とか辛勝。
それも打倒したわけではない。相手の手足を縛るように目一杯こちらに有利な設定の勝敗条件に基づいた判定勝ち。
その結果までに晶星はほぼすべての手札を使い切り、文字通り死力を出し尽くし、半数以上の脱落者を出した。
剣を掲げ、高らかに“敗北”を宣言をしたのは英雄だった。
この状況を整理すれば、真っ先に出てくる感想はそんなものになる。勝ち負け以上の衝撃なのだ。
改めて他人からその事実を突きつけられた誠一郎は膝から崩れ落ちてしまったが。
「安心しろ。僕があの場に居たら、10秒で失格になってる」
「梓川くんもどっちかというと後衛だよね?」
「あんなの相手してられないから、速攻場外まで逃げ出すわ」
相対した英雄は圧倒的不利な制限下の中、晶星の中でも武闘派だという2人の攻撃を同時に受け止め、魔法を斬り捨ててとやりたい放題だった。
傍目に見ても、今まで教師たちに教わっていた常識が全く通じていない。
これは生きた災害と何が違うのか。
「英傑って一流の大道芸人でもあるんだな」
“高度に洗練された戦闘技術は、過剰演出な演劇と見分けがつかない”
そんな言葉があることを思い出した。
「ついでに大した役者でもあるようだし」
「……やっぱり、あの勝ちも譲ってもらったのかな?」
「さぁ? 少なくとも勝ちは勝ちだろ?」
そうは言ってはみたが、あの小さな英雄が手段を選ばなければ、完勝する手段などいくらでもあったように思える。
戦いの後に自らの足で堂々と戦場を後にした敗者は、それだけの余力を残していた。
つまるところ、あれは晶星への講義だったのだろう。
圧倒的な力、魔法。その中に忍ばせられた解れ目。
それすら精巧に仕組まれた“龍の謎掛け(リドル)”。
英雄スグリにとってあの場は徹底的に正しく“模擬戦闘”の場だったともいえる。
勝ち負けは二の次。自らの課した試練を紐解かれるのを期待する。
その推測から見えてくる途方もない、思考を放棄したくなるほどの実力差。
同じ考えに思い至った誠一郎のデフォルト3割増しで厳めしい顔つきを見て、咲太は考えるのを止めた。
こんなことで野郎ふたりで難しい顔をしていたってしょうがないのだ。
「言っとくけど、あの英傑がやってることなんてこっちは全然わからんぞ。
魔法ぶった斬って、バカでかい砂の爪作って、わけわからん速度で闘って。
気づいたら決着がついていた。それだけだ」
あの試合の感想戦を求められたなら、いち一般生徒としての回答はそれ以外になかった。
なにかその技術の理合について龍の口から講釈があったが、そんなものはほとんどの人間が理解できなかっただろう。
咲太だって未知の言語を聞いている気分だった。言葉の意味が理解できても実感が伴わない。
シロアリが高名な魔法書のページを貪ったって、なに一つ身につくものなどないような話。
ただ付近にいた教師陣すら大口開けて目を見開いていたことから、これが超常的でついでに頂上的な現象であることがわかっただけだ。
結局のところ、咲太たちオーディエンスは見世物のように騒いでいただけなのだ。
英雄と晶星。やきうでいえばプロプレイヤーと地元の草やきうチームの闘いを楽しんでいるようなものだろう。
英雄の神業に驚き、晶星の善戦を称える。あれはそこで完結することが許されたものだった。
大多数には理解や、模倣の届かない領域を安全圏から楽しむエンターテイメントだった。
そんな空気が席巻していた。それでよかったのだと思う。
それを望んだのは、他ならないあの英雄なのだろう。
「外から見てる人間がアレコレ言ったってどうにもならないだろ。
お前こそどうだったんだよ。英雄と手合わせした感想」
「どう、だったんだろう……」
答えに窮し戸惑う誠一郎に、咲太は結論を急がなかった。
暇つぶしに誠一郎を襲撃したときのように靴を飛ばし、空気に風の魔力を乗せる。
巻きあがるように飛んだ靴をキャッチしようとして、目測を見誤った。
頭上に落下した靴は運悪く先端から降ってきて、咲太の脳天を蹴り飛ばす。
先ほど誠一郎の背中にぶつけたことを根に持っているのだろうか。
転がった先で口を開け寝そべる靴を睨んでも、答えは返ってこない。
そんな虚しいひとり遊びをしていると、ようやく誠一郎が口を開いた。
「僕はただ、必死で……」
「それは傍から見てもわかった」
「スグリさんはホントにすごかったんだ」
「それも客席からはよくわかった」
「会長も、四宮さんも、クリープランド先輩も、みんな全然太刀打ちできなくて、それでも協力して何とか魔法使わせて」
「北野も大健闘してたな」
「そう、僕も戦った」
戦ったんだ……。スグリさんと。
そう反芻するように口の中で呟く。
両手を握りしめ、籠らせた指先の力の意味を問うように。
今になって実感が追い付いてきたようなそんな調子だった。
「(北野はいつも必死に戦っている)」
戦闘力、中でも瞬発力や反射神経だけでいえば、およそ他の追随を許さない天性の才覚を持ちながら、戦うときにはいつでも余裕などなかった。
今日の模擬戦でもそうだった。
7人の中で最初から最後まで一番死にそうな面構えをしていたのは誠一郎だろう。
強張った顔が引きつり、身体を緊張で張り詰めさせて。
いつだって背水の陣。いつだって全力。
なぜそこまでいつも追い詰められているのか?
守らなければいけないから。
傷つけたくないから。
傷つきたくないから。
誠一郎は戦闘に際していつでも耳当たりの良い理由をこしらえている。
そうすることで生まれ持った圧倒的な暴力に許しを請うように。その意味をあるべき落としどころに落ち着かせるために。
奔放な感情のまま暴力に身をゆだねることは粗暴なことだ。
無軌道なまま暴力に身をゆだねることは下品なことだ。
それはいけないことだ。許されないことだ。
闘う以前に、誠一郎は戦っているのだ。
自分の“暴力”といつでも戦っている。
その自らに課した戒めを、今日解き放った場面がある。
模擬戦の終盤戦。龍の課した3つ目のリドル。
大勢の観客が“誠一郎が英雄スグリの攻撃を巧みに躱した”ことに湧き上がる中、咲太が思わず身を乗り出し瞠目したのはその直後。
誠一郎が攻勢に打って出たときだ。
普段の誠一郎からは考えられない行動だった。
対峙しているの英雄が卓越した実力を持つとか、圧倒的な実力差のある存在であるとか、そういう理屈の話じゃない。
見かけわずかな力で折れてしまいそうな、華奢で小さな体躯の女性。
それは誠一郎にとって守るべき対象だ。“そうあるべき”だと彼の中で断じた誓約。
北野誠一郎が北野誠一郎であるために、守るべき主義。
それを破ったあのときの誠一郎は――。
「楽しかったか?」
弾かれたように、誠一郎が顔を上げた。
咲太の言葉は誠一郎が喉の奥まで出かかって、それでも出すことをためらっていた感情だった。
己の身に宿った才、知らず蓄積させたその実力を振るうその充実。
遠く離れた客席からでも見えた、瞳に宿る闘志と熱意。
いつも戦いにおいてすら自分の“暴力”だけを見つめていた誠一郎が、“闘う相手”を見据えていた。
それは咲太が知りうる中で初めてのことだった。
「スグリさんが、言ってくれたんだ。『私は大丈夫だ』って」
「そりゃあそうだろ。なんたって英傑なんだし」
「『もう守ってくれる人がいるから』。だから僕が守る必要はないって」
「……」
「あれは、誰だったんだろう……。
目の前にいるのは小さな女の人なのに、もっと別の誰かにそう言われた気がして」
夢見心地のような口ぶりで呟く誠一郎は、その明確な答えを求めている様子はなかった。
「僕はあのとき気遣ってもらったんだ。
僕が闘えるように。心から、スグリさんと向き合えるように。
だったら、それに応えることがあのときの精いっぱいの誠意な気がしたんだ」
「気遣い……か」
闘いの場において相手が“気遣ってくれた”。
ひどく誠一郎らしい言葉選びだと、咲太は思った。
手を抜いただの、見くびっているだの、もっと悪しざまに表現する言葉なんていくらでもある。
英雄はあの模擬戦において、誠一郎のそういう心根も理解して彼の“暴力”の落としどころを用意したということだ。
「スグリ先生、ね……」
なるほど、これは確かに英雄だ。文句なしに英雄だ。
「梓川くん」
「ん?」
「僕は、たぶん。あのとき楽しかったんだと思う。
スグリさんと闘うこと。自分ができることが、広がっていく気がして。
……これから僕に何ができるかなんてわからないし、もしかしたら今ままのほうが良かったと思うかもしれない。
えっと、そもそも今の段階でも、みんなの役に立っているのか自分じゃわからないし」
今まで重たかった誠一郎の口が、急に饒舌になる。
気持ちの整理もつかないまま言葉にしようとせっついているようだった。
言葉を募らせるほどに、興奮していっている。
心のどこかで何かが吹っ切れった感じ。
出てくる言葉の情報の順序もめちゃくちゃで、本人も半分何を言っているかわからないだろう。
それでも咲太は言葉を挟まず黙って聞いていた。
「それでも! 今よりももっと、いろいろなことを身につけて、もっとみんなの役に立ちたい!」
強面をさらに強張らせ、威圧を振りまき、高らかに宣言する。
空へ突き抜けた声は、遠くで木に留まっていた鳥を驚かせてしまったのだろう。
バサバサと太陽へ逃げる影が見えた。
これは決意表明。眠たいいくつもの快勝よりも、多くを残し遺されたただひとつの辛勝に誓う狼煙。
なのだが。
「……それ、北野のいつもの基本方針だろ」
「…………え?」
言葉にした形だけを拾うと、それはどこまでも咲太の知ってるただの北野誠一郎だった。
利他的思考の善意の塊。自分のためにという思考は欠落しているが、他人のためにだったら泥を嚙むことを厭わない“気遣い屋”。
「あっ、えっと、そういうことじゃなくてね!」
「わかってるわかってる」
興奮冷めやらない誠一郎を押しとどめ、咲太も立ち上がる。
先ほどの茶化しも、あくまで“言葉面”だけを拾い上げればの話だ。
咲太にだってわかっている。変化は始まっている。
それはきっと誠一郎に限った話ではないだろう。
あの模擬戦は、そう確信させるには十分な代物だった。
龍は星の雛鳥たちの卵を強引につつき、孵してしまった。
「ま、いいんじゃないか」
だから咲太はそう誠一郎の背を叩く。そういうほかなかった。
そこから先の、“これから”を語りえるのは、きっとあのときこの石畳の上にいた8人だけ。
外野は無責任に期待をするだけ。
「僕としては、スグリ先生へリベンジするぐらいの成長を期待してるよ」
「……きっと遠い道のりだなぁ」
「そりゃそうだろ、なんたって龍殺しだし」
お伽噺でしか聞いたことのなかった事象。
その伝聞に裏打ちされた実力と、あらゆる意味を内包した強さ。
それでも無邪気にその高見を見据え笑えることこそが、あの戦いで誠一郎が獲得したものなら。
きっとこれからも悪いようにはならないんじゃないだろうかなんて、考える。
「見ててね、梓川くん。僕、頑張るよ」
友人の素朴で確かな決意を受けて、咲太は笑む。
見ててと言われたのだから、相応に見守るしかないだろう。
英雄でも、晶星でも、教師でも、一般生徒でも。
空に輝く星を楽しむ権利は、誰にだって保障されているはずだ。