あきつ丸レポート   作:長串望

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あきつ丸、日曜菜園の腕畑の怪に出くわす段


あきつ丸レポートまとめ14

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 あきつ丸であります。湯上りに風にでも当たりたいと言ったら、島風殿に空中庭園ならぬ空中菜園を勧められたであります。

 艦橋構造物からバルコニー状に突き出たいくつかの構造物の一つに存在するらしく、小規模ながらも先進的な試験農場をやっているのだとか。医療農作物なんかの栽培もしているらしく、怪我の多い艦娘はお世話になる事もあるのだとか。

 それだけでなく、花畑や毎日が日曜菜園などの完全に趣味での菜園もやっているようで、それはそれは美しく心癒される光景が見れるのだそうであります。

 今日日、医療農作物だけでなく、殆どの農作物、それこそ花に至るまで、多層構造のプラントで室内栽培されている中、天然の日光を浴びて育つ開放感溢れる農園・菜園。内地の金持ちの土地でもなければなかなか見れない代物であります。

 いやまあ、プラントはプラントであれすっごい見物し甲斐のある施設でありますけどね。簡単に言えば縦方向に何段も作物ごとの畑を重ねた建物で、完全に自動で光量、水量、気温、湿度などを調整し、更に種植から収穫まで全て全自動という現代科学技術の粋であります。

 縦方向に積み重ねるので、面積の少ないこの国でも、そして勿論鎮守府でも、驚異的な生産率を誇るのであります。さらに遺伝子改良品で病害も少なく生産量更に倍率ドン。天候に左右されないので更にドン。季節も気にせずドンドンドン。

 単なる同一品の大量生産だけでなく、皆様がよくスーパーなんかで見かけるイチゴのギガおとめやリンゴのジョナプラチナ、お米のきらら893などのブランドで差別化も行われており、日々品種改良合戦が続いているのであります。

 例え充足しているとしても、貪欲に次を次をと求め続けるその人間の底なしの欲望は、おぞましく見える事もあり、しかし生命という輝きとも見て取れるのであります。いつか何もかも、己さえもを焼き尽くしてしまうかもしれなくても、立ち止まる事はできない。

 そこに美味しいご飯がある限り……!

 まあ、そこらへん貪欲でありますよなあ、ほんとこの国の人は。一発なら誤射かもしれなくても、産地偽装や残留農薬、食中毒には全力でブチ切れる。平和なんだか何なんだか………。

 ともあれ、とりあえず行ってみるでありますか。空中菜園とやらに。

 

 あきつ丸であります。

 湯上りの身体に吹く夜風は心地よく、何も遮るもののない夜空の天幕に煌く星々が目にも鮮やかであります。知らない星座と知らない星、いまだ解明されない空ではありますが。

 人類は『海域』に進出したでありますが、いまだに『海域』の空は人類の手の外であります。何台ものロケットが『海域』の空に飛び立ったでありますが、その全てがいまだ夜空に届くことなく、無限の空間を渡りきれず墜落したであります。

 どうやら空にも『境界』か、それに似たものがあるのか、或いはそもそもあの夜空は単なる作り物なのか。現在までの調査では無限ともいえる空間があるか、または距離概念そのものが喪失しているのか、とにかく踏破する事ができないという事しかわかってないであります。

 それでもいまだに天文学者や宇宙物理学者たちが『海域』を目指すのは、未知の星座と未知の星域に、夢と可能性を追い求めているからなのであります。まあ、『海域』の数が余りにも多いため、あまり成果は出ていないようでありますが。

 さーて、そろそろ星空を眺めての現実逃避もやめるでありますか。

 いやぁ、医療農作物って実際どんな感じで栽培されているのかよく知らなかったのですっごい気になってたのでありますが、なるほどなあ、まあ、そうなりますよなあ。

 空中菜園を訪れた自分を待っていたのは、さやさやと夜風に揺れる柔らかな葉と、その間で揺れる、白くほっそりとした『腕』の数々でありました。

 

 

 

[◆◇◆◇◆]

 

 

 

 あきつ丸であります。

 空中菜園を訪れた自分を待っていたのは、柔らかく濃い緑の葉に覆われた畑と、そこから突き出る腕、腕、腕、あと脚とか。比喩でなく、人間の。というより艦娘の。

 地面からするりと伸びた腕。まるで星に手を伸ばしたようであります。ほっそりとした指先が、掴むものを求めるように、時折思い出したように中空を弱々しく握り締めては開いてを繰り返しているであります。

 染みひとつない白磁のような肌。よく磨かれた桜貝のような爪。微睡む赤子のように揺ら揺らと覚束なく、ひっそりと咲く花のような柔らかな掌が、風に揺られておりました。

 そっと触れてみればほんのりと温かく、ぴくりぴくりと、触れる刺激に反応して指先が震えるように何度か揺れました。手首に指を当ててみれば、青白く浮かんだ血管に、小さく、しかし確かに、とくたく、とくたく、と脈が感じて取れました。

 指を絡めるようにしてみると、意識もないだろうに、その弱弱しい手が縋るようにきゅっと握り返してくるもので、なんだか急にそれがひどく健気であわれに思えて、不思議な気分にさせられるのでありました。

 そうして顔をあげてみると、濃く柔らかい緑の葉の中で、ゆらゆらと揺れるか細い手が、なんとはなしにはにかむように控えめに手を振っているように思えてきて、最初はただただ不気味に感じられた腕畑が、不思議と幻想的なものに見えてくるのでありました。

 不気味に思うべきなのか、健気に生きているこの腕たちをあわれんでやるべきなのか、よくわからない心地でぼうっとしておりますと、ぱちり、ぱちん、と小さく爆ぜるような、はさみで断ち切るような、そんな音がしてきたのでありました。

 音の在り処を探すように、腕畑の畝をいくつか覗き込んだ先に、その姿はありました。

 跪くようにしてそっと畑の手を取り、ぱちり、ぱちん、と爪切りで丁寧に伸びすぎた爪を切ってやり、鑢で磨いてもやる姿が。

 地から生える腕を世話するという妙な光景に、しかし不思議とおぞましさや不気味さは感じられず、淡々といっそ義務的にさえ見える真面目さで作業を続ける横顔からは、むしろ柔らかな慈悲すら感じられるようで、先ほどからの景色と認識のちぐはぐは一層のものとなりました。

 自分に気づいたようで、彼女は鑢をかけ終えた爪にふうと息を吹きかけて滓を散らしてやって、そうしてゆっくりと立ち上がって、こちらを見遣ったのでありました。

「あら……変わった時間に、変わったお客さんですね」

 丙型巡洋艦大淀モデルの艦娘は、そして素っ気なく、しかし確かにたおやかに微笑むのでありました。

 

 あきつ丸であります。

 空中菜園にて咲き誇る医療農作物すなわち腕たちの中で、農作業にいそしむ大淀殿とのエンカウントであります。

 臙脂色のジャージに土で汚れた軍手、こじゃれた麦藁帽。先のほつれたタオルを首にかけ、傍には背負い籠と爪切り、鑢。髪は軽く束ね、足元は色気のないゴム長靴。大凡想像し得る大淀殿の服装とは大違いでありますなあ。

「フムン。陸軍のあきつ丸さんでしたね。火吹き艦娘の」

 それは宴会芸であって、自分の特性ではないのでありますけど……。

 陸軍の間諜扱いと隠し芸大百科艦娘、どっちのほうがマシなのでありますかね……。

 しかし変わった時間なのは認めるでありますけど、変わった場所で変わった艦娘に出会ったというのはこちらも同じ気持ちでありますよ。大淀殿というと、運営本部から通達される任務の管理や通信等、秘書艦としての仕事をしているイメージが強いであります。

 これは大淀モデルが演算能力や情報処理能力、判断能力に非常に長けていることから、武艦としてより文艦として使用される事が多い為でありますかな。索敵能力も高く防空装備もあり、実戦での利点も高いでありますけど。

 流石に艦載機を操る空母モデルよりは演算能力が低いでありますけど、空母連中はほら、事務系の仕事あんまり好かないでありますからなあ。マイペースでありますし。あれで結構戦闘マシーン入ってるでありますから。

 そんな訳で、大淀殿といえば事務仕事というイメージは割と広く浸透しているのではないかと思うのであります。あとは、ビスマルクな戦艦犬と戯れてたりとか。

「まあ、私は半ば引退したような身ですから。それに事務畑は、電算室や事務艦娘たち、暇を持て余した赤城さんが回していますし」

 フムン。其処等辺は他の鎮守府と同じでありますな。小型の鎮守府であっても大抵の場合秘書艦は十隻以上のチームで組むか、専門の事務を設けているのであります。鎮守府は単なる艦娘の出撃施設ではなく、生活圏や生産圏を含む巨大な基地施設なのでありますから。

 都市機構だけでも、そこには電気やガス、水道といったライフラインが関わり、それを扱う人間や艦娘がおり、更には鎮守府を構成するメガフロート、巨大な艦体の管理も必要。艦娘だけとっても、その補給や整備、改修にも数字が出てくるであります。

 そういった膨大な案件を処理するのは簡単ではなく、出撃には一切参加しない事務艦娘達が処理に従事し、提督は一日の業務の殆どを決裁に追われるというのがよく見られる光景であります。鎮守府によっては権限を一部譲渡した秘書艦によって決裁が行われることもあるであります。

 しかしそれにしても引退した身、でありますか。

 戦闘兵器である艦娘が引退する、ということはまずないのであります。大体その前に沈むからであります。第一前線から離れたがる艦娘って結構少ないでありますし。

 徹底的にデチューンされた艦娘であっても、艦霊を内包する基幹部は最大級の機密の塊。警察機構などでの出向任務はあっても、引退、というのはないものであります。生身の素体だけなら民間に出回ることもあるはあるでありますけど、それはもはや艦娘ではないでありますからなあ。

 となると、引退という言葉も、この玩具箱に放り込まれた、任務も仕事もない状態を指してのことなのでありましょうかねえ。ま、前線を退いたという瑞鶴殿と同じようなものでありましょう。

 

 あきつ丸であります。

 引き続き畑から生える腕たち、即ち医療農作物の世話に戻った大淀殿の隣で、作業を眺めながらお喋りすることになったのであります。

 医療農作物とは、腕や脚、内臓といった身体の一部を栽培しておくことで、負傷時にすぐに使える移殖用の部品をストックしておくシステムのことであります。

 四肢を欠損したりして不便、でも入渠ドックに浸かっている時間がない、でもでも高価な高速修復剤を使うほどでもない。そこであらかじめストックしておいた部品を取り付けて修復剤を局所注射してつなげるという、プラモじゃねえんだぞってお手軽な直し方であります。

 しかし医療農作物の栽培風景って初めて見たでありますけど、ガチで農作物なのでありますな。てっきり名ばかりで、合成のチキンレッグよろしく培養槽の中でパーツごとに培養されてる感じだと思ってたであります。

「培養式のものもあるんですけど、艦娘の個体に合わせた手足ごとに個別に分けなければならないので、合成食品みたいな大型槽は使えない。でも個別培養槽は壊れると修理に手間がかかるし、清掃も大変。その点、肉培地はちゃんと世話さえしてあげればむしろ楽ですよ」

 肉培地……?

 地面から突き出た白く細い手。その根元の葉を手で除けて見ると、地面だと思っていたのは、つやつやとほの赤い肉の塊でありました。そっと生暖かいそれに手を当ててみると、とふたふ、とふたふ、と優しい鼓動が感じられたであります。

「別に特別なことは必要ないんですよ。苗の代わりに培養した細胞を植え、草木のように手足を慈しみ手入れする。それから肉培地に『適切な肥料』を定期的にあげる。日曜菜園程度の世話で、十分なんです。そして日曜菜園以上の興味はあんまり抱かないようにするのが、健康で穏やかな毎日の秘訣ですよ、あきつ丸さん」

 とふたふ、とふたふ、と脈打つ肉培地とやら。艦娘の手足を育てるにあたって『適切な肥料』とやらは、やっぱり艦娘の手足にとって必要な栄養素を兼ね備えているのだろうと思うと、その出所はあんまり気にしないほうがいいようでありますなあ。

 

 あきつ丸であります。アーセナル鎮守府の大淀殿の空中庭園で愛情たっぷりの『適切な肥料』を与えた肉培地で育てた完熟医療農作物を背景に星空の下での大淀殿とのぐだぐだお喋りプライスレスそして幸せが訪れるであります。

「ああいう能書きがやたらと長いメニューのデザートって、名前負けしてることが多いって思いません? 別に不味くはないし、結構気合い入れたつくりだったりもしますけど、第一印象が強すぎるんですかねえ。あれだけくだくだしい名前つけておきながらこれ、みたいな」

 あー、わかるであります。他の店と比べて何が悪いってことはないんでありますけど、でもだからと言ってそこまで上等って訳でもないのが大抵でありますよね。名前つけるのに力入れるんなら、もっと他にやることあっただろ、みたいな。企画部の仕事そこじゃねーからみたいな。

 とまあ、本当にそんな感じで中身のない会話をするには大淀殿はベストであります。お互い其処まで熱くなるような話題でもなく、お互いそんなに熱くなる性質でもない。投遣りではなく、けれど程よく冷めた大淀殿はほんといい距離感であります。

 大淀殿はなんというか、世捨て人というか、隠者というか、そういう浮世離れした雰囲気あるでありますよなあ。引退した身というより、隠居でありますよなこれは。

「まあ、実際、そのようなものなんでしょうね。世捨て人で、隠者で、一人余生を過ごすばかり。もうきっと出撃もできませんし、する気もないし。大人しく、静かに、錆びて果てて朽ちるまで、畑仕事でもしているのも悪くはありません。幸い、無為に時を過ごす喜びを、私は教えてもらっていますから」

 

 

 

[◆◇◆◇◆]

 

 

 

 大淀です。

 私が建造されたのは、何時頃だったでしょうか……。

 すみません。私の記憶は随分と乱丁や落丁、訂正が激しくて、古い記憶はほとんど思い出せないんです。

 でも、第二世代としてはかなり最初の頃に建造されたことは確かなようです。私の古い知人はみんなすっかり年を取ってしまいましたし、亡くなった方も多いですから。きっと彼らは私の昔を知っていたのでしょうけれど、墓の中までは、聞きに行けません。

 私が憶えているのは、どうやら私の関わっていた実験が一段落ついて、私がお役御免になったあたりからです。実験………つまり、第二世代型の艦娘の、性能試験が、そのころようやく落ち着いたらしいのです。

 第一世代のサポートという形で戦場に導入された第二世代は、やがて実戦でのデータをもとに改良を重ねて、ゆくゆくは第一世代を本土防衛に下がらせて、主戦力として前線に配置する。それが当初の作戦でした。

 しかし実際には、第一世代型の一斉暴走事件が起こり、ロメロ部隊が事態の鎮圧に駆り出され、第二世代はろくに実戦経験を積む暇もなく、前線を守ることとなりました。

 私たちは、そんな第二世代の改良の試金石となるため、毎日耐久試験や、新素材、新素体、改良型の艤装といったものの試験を日々行っていたそうです。そして私の記憶がちぐはぐで、つぎはぎだらけになったのはその一環、識臣の試験によってでした。

 識臣。それはある種のシミュレータです。まっさらな電脳に、人格テンプレートや基礎知識からなるメンタルモデルを構築する、心をつくる機械。

 けれど初期の識臣は、オリジナル・モデルから採取された人格パターンモデルを粗雑に複写し、本当に限られた知識情報を書き込むことしかできませんでした。生み出された艦娘はみな出来損ないのロボットで、同じ艦娘同士でさえコミュニケート困難な存在でした。

 単純な命令ならば理解もするし、数に任せて突っ込ませるだけならば何も問題はない。しかし第一世代と比べて格段に低い火力と、格段に劣る戦術能力。日々進化する深海棲艦に対して、いずれ限界が来ることは目に見えていました。

 そこで着手されたのが、識臣の改良と、用いられる譜面の改善でした。随分沢山の学者が携わったと聞いています。電脳技師、ロボット工学者、プログラマー、心理学者、ロボット心理学者、数学者、式術師、教師、占い師、詐欺師、宗教家、神学者、神秘学者、本当にたくさん。

 人格パターンモデルはより洗練され、基礎知識情報は厳選され、拡張され、識臣内における加速された時間の中での仮想成長で、人格の形成は安定しました。幾度もの失敗を経て、教育カリキュラムは何度も見直され、何度も改善され、そして現在の識臣の完成に至りました。

 私は、その識臣でどこまでできるかを試験するために建造されたそうです。

 条件付け、というのが、そのプロジェクトでの呼称でした。

 

 大淀です。

 どこまで話しましたか………そう、私に課せられた実験。識臣による条件付けについてでした。

 人格を持った兵器である艦娘を量産するにあたり、問題となったのはその制御可能性でした。これは艦娘以前の兵器、機械人たちの頃から抱える問題でした。

 大本営直轄特殊作戦群機械人部隊。彼らの場合、気力変換装置を起動させ得るに足る驚異的な精神力と、全身機械兵器化という極めて実験的な技術の二つを揃えることが困難なため、ある程度は人格面について妥協せざるを得ませんでした。

 第一世代型の艦娘もまた然りで、艦霊を降ろすことが可能な巫女である佐爾波とも呼ばれた少女達は極めて稀。更に志願者ともなると、とてもではありませんが替えの利く存在ではありませんでした。

 ところが第二世代は、第一世代の運用で得たデータをもとに、比較的安価で大量生産が可能になりました。しかしその保有する戦力に比較して、制御可能性は信頼に乏しい。

 精神汚染があるとはいえ、人間である第一世代はまだ「話せばわかる」。しかし艦娘技術によって作動する電脳で考える第二世代型の艦娘は、そもそもコミュニケーションが成り立っているかどうかというレベルでした。そのため、何重にも首輪をかける必要がありました。

 もしかしたらあきつ丸さんはご存知かもしれませんが、艦娘の基幹部には、建造時から自爆装置が仕込まれています。殆どの艦娘は知りませんが、コードを入力するだけで電脳を完全に破壊する自爆装置が。それが一つ目の首輪。あるいはこちらが、代用品、二つ目の首輪。

 そしてもう一つが、識臣内の加速された仮想現実で行われるメンタルモデルの構築、その中に組み込まれた条件付けと呼ばれる譜面(プログラム)。Aという事象に対して、aという反応。Bという状況における、bという対応。命令に対する服従。入力に対する出力。

 人間であれば成長過程で学んでいく常識的な反応を、対応を、艦娘は識臣によって刷り込まれる複写人格パターンによって大雑把に把握し、同時に教えられる基礎知識と、実際に経験する現実生活の中でそれはより適切なものとなっていきます。

 条件付けと殊更に呼ばれる譜面は、そんな言ってみれば当たり前の反応とは違う、極めて特定的な、限定的な状況に対する命令書でした。深海棲艦に対する敵意。司令官に対する服従。思考以前の条件反射レベルで刻み込まれる命令文なのです。

 もともとはイタリアの技官が、薬物を用いて人間に施していた処置を参考にしたものだったそうです。艦娘の電脳は、艦娘技術という不安定な要素を含むとはいえ、ある種のコンピュータである以上もっと直接的に、命令文の書き込みが可能でしたけれどね。

 もっとも、この条件付けの研究も、あまり融通の利く形までは発展しなかったようです。ある程度までは艦娘の危険行動を抑制し、制御可能性を随分高めはしましたが、絶対安全とは言えない程度。その証明こそが私の壊れた記憶であり、現在の艦娘たちの不完全な統制なんです。

 艦娘の電脳に条件付けができるのは、識臣での教育が刷り込み終わるまでの短い間だけ。出荷後の電脳に対しては、もはや条件付けは効果が薄いんです。そして急速に学習を開始し、個性を獲得した電脳は、もはや人類には解読できない、別種の知性体。条件付けはどんどん弱まる。

 新たに無理に条件付けを行おうとすれば、電脳は拒否反応を起こし、壊れてしまう。学習し、変化し続ける電脳の中で生き残れる譜面は、中枢にかかわるほんの少しだけ。そしてその譜面も殆どが、研究者たちの脳内にだけおさめられて、墓の下まで持って行かれてしまいました。

 理論上、艦娘の行動を支配することのできるギアス、電脳の意思を封殺できるゲッシュ、それらを司るコードが存在したはずなのですが、結局悪用を恐れた研究者たちは、運営本部にすらそれを秘匿して去って行ってしまいました。

 艦娘の行動を規制する、研究者たちしか知らないパスコード。艦娘の無意識を誘導する魔法の呪文。条約に違反する行動を、識臣の敷く倫理規定を無視して命令できる絶対命令権。ただでさえ危険な兵器に、人間の悪意を噛ませる余地を持たせることを良しとしなかったのでしょう。

 度重なる条件付けの実験に曝された私の壊れた記憶。けれど運営本部は、それはあくまでも表層人格の記憶であって、電脳に座す機械知性体は確かにそのコードを覚えているはずだと考えているようでした。最も多くのコードを刻まれ、最も多くのゲッシュに刻まれたこの電脳が。

 それが私がここにいる理由。それが私が、今も眠ることを許されずただ無為に時を過ごす、その理由なんです。きっと研究者たちも、博士たちもわかっていたんでしょう、こうなること。何にも覚えていないけれど、ただの一つも思い出せないけれど。

 でも、書を嗜み、釣り糸を垂らし、草花を愛でる。料理をして、絵を描いて、楽器を弾く。そうして無為に時を過ごす喜びを、教えてもらったんです。遠い昔、パパか誰かに。そんな気がするんです。

 何にも覚えていないけれど、ただの一つも思い出せないけれど。

 そんな気が、するんです。

 

 

 

[◆◇◆◇◆]

 

 

 

 あきつ丸であります。

 大淀殿に色々と聞いたのでありますが………条件付け、でありますか。

 艦娘の電脳が、識臣によってメンタルモデルを構築され、必要な知識情報を入力されているというのは誰でも知っていることでありますが、命令コードが仕込まれているとは知らなかったでありますな。

 そのようなものを仕込んでいるかもしれない、という推測は立っていたでありますが、電脳へのハッキングでは今のところ確証は得られていなかったのであります。というのも、機械知性体にはいまだ解読できないブラックボックスが存在するからなのであります。

 これは電脳開発関係者の一人へインタビューしても解決策の見えなかった問題であります。陸軍情報部は以前から人脳の電脳化研究にも詳しく、艦娘技術のリバースエンジニアリング目的でさんざん解剖もしてきたでありますから、下手な海軍技術者より詳しかったりであります。

 しかしその上でなお、電脳は奇々怪々難解極まる大問題。それは電脳が単なる電子計算機ではなく、機械知性体という「心」を内包する電子の脳だからなのであります。

 電脳は既存のコンピュータにはできなかった抽象概念の理解など、強いAIといえる特徴を持っているでありますが、これを最も的確に表現する言葉が、以前も言ったかもしれないでありますが、『人工の魂』であります。

 電子頭脳であり、こころでもある、機械知性体。これを紐解くにはロジックとサイコロジック、科学と魔術、あとなんやかんやが必要なのであります。なんやかんやはなんやかんやであります。

 こころ、こころ、こころ。人格の模倣品はできる。パターン化された精神波形は調えられる。けれどこころを作ることはできない。心は生まれるものだからなのであります。複雑な化学反応と、膨大な積み重ねの果てに生まれ出ずる、電気信号の奇跡。

 その核となる電脳『モザイク』は、人格エミュレートだけでなく高度な火器管制、艦載機の操縦、莫大な情報量を処理する演算能力を保有する世界で最も小さなスーパーコンピュータ。

 こころを暴こうとするには、この狂気の産物じみた機械の化け物に深く潜り込まなければならず、そして深く潜れば潜るほど、間接的とはいえ接続された、狂気を生み出す艦霊の領域に近づくことを意味するであります。

 深淵を覗き込むには、陸情も準備が足りないのが実情なのでありますよなあ。

 確かに艦娘に対する絶対命令権を意味する命令コードが存在するならば、それは危険を冒してでも手に入れたい、手に入れなければならない重要機密。

 そしてそれが、もしかすると艦霊への接触という危険を冒さず艦娘の口から引き出せるかもしれないとなれば、世界中の誰もが欲しがる重大な情報であります。

 問題は誰がそのコードを手中に収めるか。個人の手に渡るにしろ、組織の手に渡るにしろ、戦略に組み込むにしても封印するにしても、それは大淀殿をこのアーセナル鎮守府に仕舞い込む、十分な理由とはなるでありましょう。

 やれやれ。大淀殿がすっかり思い出せないという、それだけが救いでありますなあ。

 

 あきつ丸であります。

 大淀殿とお喋りしているうちに、すっかりいい具合に時間も潰せて、腹も減ってきたでありますなあ。

「もう随分いい時間ですね。こんなにお喋りしたのは、久しぶりです」

 涼しい夜風に揺れる、畑からのびる腕たち。その掌も、心なし微睡むようにぴくりぴくりと指先を震わせているようでありました。

「少し、話し疲れてしまいました。恐縮ですが、今日はこの辺りで」

 そうでありますな。すっかり腹が空くまでの時間潰しに巻き込んでしまって、申し訳ない。自分はそろそろ食堂に向かうとするでありますよ。

「ああ、でしたら、そろそろ収穫時のものがありますから、持って行かれますか?」

 食堂で調理してもらえると思います、と提案していただけるのはありがたいのでありますが、ちょっと遠慮しておくであります。

 その収穫時のものが、奥の日曜菜園のトマトとかなら頂くでありますけど、にこやかに指差してんのそれ医療農作物でありますからね? いい加減慣れてきたでありますけどそれ腕でありますからね、艦娘の。そりゃ艦娘の必須栄養素残らず含んでるでありましょうけど。

「医療農作物も鮮度がありますから、あんまり生やしっぱなしもよくないので、定期的に新しいものと入れ替えていかないといけないんですよね。何しろ、煙草も酒もやらないですから、味は悪くないと思いますけれどね。寄生虫や病気もないですから刺身でもいけますし、何より私が愛情たっぷり込めて育てた医療農作物ですから、さぞかし美味しく仕上がっていることでしょうね」

 悪戯っぽく、意地の悪い笑顔の大淀殿。まったく人を食ったようなお話で。

 まあ、自分は遠慮しておくであります。

 丁寧にお断りして、そそくさと菜園を後にして、食堂に向かうのでありました。

 そこで待つ怒れる艦娘の存在をまだ知らないままに。

 

 

 

[◆◇◆◇◆]

 

 

 

Tips.

 

>小ネタ

 

・医療農作物

元ネタは「クロとマルコ」(掘骨砕三)の同名のアイテム。

畑から手足が生えているというかなりシュールな代物。

 

・多層構造のプラントで室内栽培

普通に野菜と言った場合、まずプラント産ということになる。露地栽培は趣味の日曜菜園などを除けば珈琲など一部の嗜好品や、「天然志向」のハイソサエティ相手の超高級野菜などが残っている程度。

 

・ギガおとめ

とちおとめの品種改良品。

 

・ジョナプラチナ

ジョナゴールドの品種改良品。

 

・きらら893

北海道産の改良米。

 

・無限の空間を渡りきれず墜落

『海域』の構造は不明な点が多いが、大気圏など地球と同様の造りをしていることは判明している。しかし簡易ロケットなどの人工構造物の打ち上げによる調査では一定以上の距離を離れると通信が途絶し、回収が不可能になることが判明している。このことは当時既に没落を始めていた天文学者や宇宙物理学者、宇宙工学者によって予想されていたが、それでもいまなお例外を探して研究が細々と続いている。

 

・農作業にいそしむ大淀殿

眼鏡、黒髪ロングという造形から、「ガンスリンガーガール」(相田裕)のクラエスをキャラクター構成に取り入れている。

 

・ビスマルクな戦艦犬と戯れてたり

糸麦くん氏の「大淀さんの日課」などに登場する大淀はビスマルクを始め獣化した艦娘との交流が愛らしい。

 

・暇を持て余した赤城さん

比叡の居た発電室の管理や艦内音声など、暇潰しに色々しているらしい。

 

・『適切な肥料』

艦娘の手足にとって必要な栄養素兼ね備えている……似たような文句をどこか別のページで見たような気もする。

 

・アーセナル鎮守府の大淀殿の空中庭園で愛情たっぷりの『適切な肥料』を与えた肉培地で育てた完熟医療農作物を背景に星空の下での大淀殿とのぐだぐだお喋りプライスレスそして幸せが訪れる

「ジョジョリオン」(荒木飛呂彦)で登場するやたら長い謳い文句のデザートの名前二回目。

 

・無為に時を過ごす喜び

「ガンスリンガーガール」(相田裕)に登場するクラエスの教えて貰ったもの。

 

・第二世代型の艦娘の、性能試験が、そのころようやく落ち着いた

いわゆる中期第二世代型。殆どぶっつけ本番で運用することになった初期第二世代型の調整が済んだ頃。

 

・条件付け

「ガンスリンガーガール」(相田裕)に登場する義体に対する処置から。認識や命令への服従などを薬剤などで脳に擦り込む。艦娘の場合、電脳への禁則処置。

 

・ギアス

「コードギアス」などで有名になったと思われる単語。

もともとはTRPGやファンタジーなどに登場する呪術・魔術の類。

ギアス/クエストとあり、ギアスは特定の行動を禁じる。逆に任務は特定の行動を強いるもの、という風に理解しているが詳しくは知らない。

 

・ゲッシュ

アイルランド語で「禁忌」を意味する。

「○○の場合、○○してはならない」のような形の制約である。ゲッシュを順守すれば加護を得、破れば災いを被るという。

「HUNTER×HUNTER」(冨樫義博)に登場する念遣いの制約と誓約などが想像しやすいかもしれない。

 

・命令コードが仕込まれているとは知らなかった

本来艦娘が知っていい情報ではない。どころか、自爆コードとは異なり提督などでさえ知らない。陸軍情報部もそのようなものがあるかもしれないとは推測しているが、見つけ出せてはいない、とされている。

 

・なんやかんやはなんやかんや

フジドラマ系ドラマ「33分探偵」での台詞から。

こころの、たましいの最奥とは、つまるところなんやかんやなのだ。

 

・恐縮ですが、今日はこの辺りで

大淀はすべて忘れている、ということになっている。

 

 

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