まあ言うてもまだ三話目ですから、多少はね?
ダービーウマ娘が菊花賞を回避して天皇賞へ出ると言うのは前代未聞であるから、いろいろとあらぬ事を疑われた。
仲間内にはエルコンドルパサーとサイレンススズカを指して、いっぺんも戦っていなかったからここらで一度手合わせしたくなったのだと言い訳をして、マスコミには干物と口裏を合わせて距離適性の問題であると発表してお茶を濁した。
どちらの言い分も本当ではないが嘘でもない。こいつらとは公式戦で一度戦ってみたいと思っていたし、菊花賞の三〇〇〇と言う距離は私にとって未知の距離である。
それを思えば、エルコンドルパサーとサイレンススズカが出て、なおかつ走った事がある距離の秋天は、私の望みと合致するレースだ。
それにエルコンドルパサーは来年から一、二年ほどの海外留学を予定している。ここで勝負しておかねば次がいつになるのかわからんとなれば、無理にでも予定を変更して戦いたくもなるのが本音だ。
転入初日の借りを返してやるぞと不敵に笑えば、エルコンドルパサーから、その挑戦受けて立ちマース! と良い笑顔をもらった。
毎日王冠ではサイレンススズカに一歩及ばず負けていたが、こいつの地力は恐ろしい物がある。前に世界最強を目指していると飯の席で言ってたが、実力を伸ばした今ではその座にも手が届くやもしれぬ。
サイレンススズカばかりに気を取られていては、こいつに足を掬われかねんだろうから要注意だ。
出走レースの変更で予想外の問題があったとすれば、スペに物凄く面白くなさそうな顔をされた事だろう。
間近に控えていた決戦を土壇場で逃げ出されたようなものだから、あいつが不機嫌にむくれてしまうのも致し方ない。同じ立場だったら私でも拗ねていただろうから、こいつの心中は察する所である。
なので私も悪い事をしたと誠心誠意に謝ったのだが、口も利いてもらえずそっぽを向かれてしまった。どうにも酷くへそを曲げられてしまったようである。
しばらく平謝りしてみたが全然許してもらえず、しようがないので伝家の宝刀たる私が手料理を作ってやると約束して、これで何とか手打ちにしてくれと頼んだらやっと許してもらえた。しばらくは腕と湿布が仲良しになりそうだ。
しかしいくら急な変更とは言え、こちらを無視するまで怒るとはこの私の目をもってしても見抜けなかった。ライバルだ何だと言っておきながら、この我儘妹め。まだまだ可愛らしいではないか。
謝罪と言えば、キングヘイローとセイウンスカイも同様の手段を使って機嫌を取ったのだが、それぞれ買い物に付き合えだとか釣りに付き合えだとかと、追加の注文をしてきたので現金な奴らだと思った。
しかもこれに乗っかって、グラスワンダーも、エルコンドルパサーも、テイエムオペラオーも、果てにはハルウララまでが自分の予定に付き合えと言うから、気が付けばもう私の予定が年明けまで埋まってしまった。
人の弱みにつけ込んで、無慈悲な奴らである。何も言わんメイショウドトウを見習わんかと憤ったら、あのあの私も遊びたいです。と控えめな口調で返されたからメイショウドトウお前もかと天を仰いだ。
肝心の天皇賞へ向けた調整は順調である。
芝二〇〇〇など走り慣れたもので、今更何か大きな事をする必要もない。やる事と言えば、サイレンススズカの対策を詰めていくだけだ。
本来ならそもそもサイレンススズカを走らせなければ良いだけなのだが、この策はすでに沖野から失敗したと報告を受けている。
精密検査では異常は見つからず、本人もすこぶる調子が良いので出走を止める理由が見当たらないそうだ。向こうでも脚の状態に気を付けて見ているらしいものの、兆候らしい何かは今に至るまでひとつも見つかっていない。
しかしエアシャカールの見立ててでは、あと一回か二回も走ればサイレンススズカの脚は負荷に耐えきれずおかしくなるそうだから、秋天ではどうなるかわからない事になった。
鑑みるに今回のレースで全力を出させたら、確実に故障すると見るのが良さそうである。
そうなると全力で走らせないようにすれば良いのかという話になるが、その為には誰よりも早く前に行かねばならないと言う。
サイレンススズカと言うウマ娘は、誰かに前を走られると露骨に調子が落ちる傾向にあると言われている。
証拠としてリギル時代のレース映像を見せてもらったが、確かに走りに覇気と言うのがない。十八番である逃げではなく先行である事を差し引いても、これはあまりにも弱っているように見える。顔もずいぶん面白くなさそうだ。
なるほど、つまりあいつの前にさえ出てしまえばそれで良いのか。そう言うとエアシャカールは不機嫌に脚を組み直し、干物も難しい顔で、言うは易しだけどね。と右の指を三つ立ててこの作戦の問題点を指摘した。
まずひとつめに、私の脚質の問題がある。
サイレンススズカより前に出るには必然的に逃げを行う事になる。だが私の脚質は追い込みであり、まったく正反対の作戦である逃げが根本的に向いていない。
後ろからじっくりと戦局を見極めてレースの流れを読むのが私の手法なのだが、逃げるとなればそれが使えんのでさて展開をどうするかと言う訳だ。
しかしこれに関しては、今度の休日にセイウンスカイから教えてもらう事で目処がついているから、そこまでの問題にはならない。
まったく持つべきものは強敵である。
ふたつめにあるのは、スタートの問題だ。
先に話したように私の脚質は追い込みなので、下手に好スタートを切ってバ群に囲まれないようスタートを遅らせる癖がある。
これ自体は別に矯正してしまえば良い事なのだが、問題となるのは、矯正した上で尚且つサイレンススズカよりも好スタートを切らねばならんと言う点だ。
これに関してはもうその時になってみなければわからん。
付け焼き刃であれに勝てるならば苦労はせんだろうが、しかし土壇場でサイレンススズカが出遅れる可能性もある。こればっかりは人事を尽くして天命を待つ他にない。
そして最後に、努力だけで解決できぬのが枠の問題である。
ただ逃げるだけならば外枠は不利なだけで終わるのだが、サイレンススズカを相手に内を取れないのはあまりにも致命的にすぎる。
どれだけ上記二つの問題を解決しても、サイレンススズカが内枠で私が最外になってしまっては、それだけで勝負が決したと言っても過言ではないだろう。
これの解決策は、ない。強いて言うなら、フクキタルに内枠になるよう祈祷させておくくらいか。
結論として、この作戦は運要素があまりにも強く、とてもではないが勝てるとは言い難い。ギリギリ中策か、普通に下策と言った所か。
ならば他の案はどうかと言う話になるが、これ以外だとサイレンススズカの後ろにピッタリと張り付くしかないのだからどうしようもない。
あのカブラヤオーでもあるまいし、あいつに併せためちゃくちゃな調子で走れるもんか。
困った、このままでは勝てる道理がない。さてどうしたもんかと唸っていたら、干物が心底己を嫌悪したような顔で、ここまで来ると秋天前に練習中にでも故障してくれとさえ思うよ。とぼやいた。
練習中の故障ならば周りに誰かいるのでそれ以上の怪我には繋がり難いが、レース中の故障は何が起こるかもわからん。特にサイレンススズカは桁違いの速度を出すから、脚を悪くした拍子にすっ転んでしまえば、たとえ運が良くても一生モノの大怪我か、最悪は惨い死に方をするに違いない。
干物はそうなるかもしれないのが嫌で嫌でしかたなくて、練習中に故障してほしいなどと心にも無い事を言ったのだろう。
私とてそんな事になってほしくはない。もしレース中にその場面を目撃して、しかも何もできないままでいたら、私はそれをいつまでも後悔する。墓の下ですら悔いて、きっと死ぬに死にきれん。
だからこそ、助けに行くのだ。
あれに勝つのはまだ難しいかもしれないが、まったく勝機がない訳でもない。最悪の事態になって、みんなが悲しむような結末になんかしてやるものか。
こいつは根性の見せ所だなと意気込んだら、根性なんざロジカルじゃねェ。とエアシャカールが胡乱に言うので、ロジカルだかローカルだか知らんがそんな道理は私の無理でこじ開ける。と返してやった。
するとエアシャカールは一瞬だけ驚いた顔をしたあとには、呆れたような喜んでいるような口調で、阿呆がよ。と言って笑った。
それからしばらく開いて、天皇賞の前に行われた菊花賞では、セイウンスカイが脅威的な逃げを行なったから思わず声が出た。
試合前に、世間をアッと言わせてみせるよ。なんて得意げに大口を叩いていたが、まさか菊花賞を逃げ切った上にレコードタイムまで叩き出すとはまったく魂消た。
スペもキングヘイローも終盤にはずいぶん粘っていたが、今回はこいつの方が一枚上手だったと言わざるを得ないだろう。まったく身震いする程に恐ろしい奴だ。
ウイニングライブにはいつものように鉢巻と扇子を携えて前列に構えた。グラスワンダーが、そろそろこれにも見慣れてきましたね。と微笑ましい表情を浮かべたので、だが今日からは一味違うぞと言ってバッグから夜なべしてちくちく作った「スペシャルウィーク激推し♡」の刺繍がされた白と紫の法被を取り出して見せた。そうしたらまた全員に真顔で閉口されたから、やはり解せぬ。
菊花賞が終わればすぐに天皇賞である。
レースの前日になると、そろそろ記者会見に出ろと上から言われたので、府中の会見場で記者どもの質問に答えている。
多いのはやはり菊花賞回避の是非に関する事で、世間では私は同期から逃げたと思われているらしい。
ダービーでの同着は劇的だったが、裏を返せばスペを相手に勝ち切れなかったと言う事でもある。世間様はそこに注目して、くだらん事をとやかく言っているのだ。
それについてどう思うかと何人にも聞かれたので、わざわざサイレンススズカのいる方に逃げるばかがあるかと肩を竦めた。
するとこれに反応して乙名史とか言う女の記者が、つまりこれはシニア級を見据えての挑戦と言う事ですね。と言うから、うむと考え無しに頷いておいた。
そしたらこの女は何を勘違いしたのか、素晴らしい! と恍惚した様子で叫び出して早口でいろいろ捲し立ててきたから、こいつはアグネスデジタルと同類だなと直感した。
まさかこの世にあいつみたいな変態がふたりもいるとは、世の中わからないものである。
記者会見を終えて寮に戻ると、フクキタルがとにかく苦しそうな顔で布団に包まって寝転がっているから思わず呼吸が止まった。
慌てて駆け寄りどうしたどこが悪いのだと聞けば、ちょっと気分が悪いだけですよ。と弱り切った笑顔で返してきた。だが真っ青な顔で言われても説得力はない。
そんな訳があるかと叱り飛ばして再三どこを悪くしたのかを問うと、フクキタルは迷った様子で視線を彷徨わせて、それからゆっくりと私の頬に手を置き、天皇賞に出ないでください。と喉奥から絞り出したような声で囁いた。
そいつはいったいどう言う理屈だと聞くと、脚の痛みが酷い時は、必ず不吉な事が起こるんです。とそのような事を言う。察するに、この痛みは天皇賞に関する凶事を示しているだろうから出るのを止めてほしいと、そう言いたいのだろう。
まったく胡乱な話で聞いていられない。しかし不吉云々の真偽はともかくウマ娘にとっては命の次に大事な脚が、蒼白になるまで痛むのは一大事である。
保健室に行くぞと声を掛けて、大丈夫だの何だのと嫌がるフクキタルを無理やり横に抱え上げると、一目散に寮を出た。
道を急いでいる最中にもフクキタルは、走ったらだめだとか、私のようになってしまうだとか、うわ言のようにいろいろと言っていたが、保健室で痛み止めを飲ませたらぐったりと寝入ってしまった。
私はフクキタルの右手を握りながら、いったいこいつに何があったのだと学校医に聞いた。すると学校医は、そっと声をひそめて詳細を話し始めた。
フクキタルは二年前の宝塚記念が終わってから少し経った頃に、自主練習の最中に右前十字靱帯と外側半月板を断裂して、これらの再建手術を受けた事があるのだと言う。
無論これはもう完治していて、レースにも復帰できるくらいには機能も回復している。私に末脚の手本なんかを見せてくれた事からもそれは明らかだ。
だが、相当な痛みを伴った怪我への恐怖や精神的不安が尾を引いているのか、時折創痕が痛むのだと保健室にやってくるらしい。もっとも、今回のように歩けない程の激痛は滅多にないそうだから、特別珍しい状況に当たっただけのようである。
しかしまさか、フクキタルにそんな過去があったと知らなかった。これを聞いた私は、ますますサイレンススズカを助けなければと思った。
寮で聞いたこいつの言葉は、きっと痛み以上の苦渋の中で生まれたのだろう。そうでなければ、優しいこいつがサイレンススズカを見捨てるような言い方はしないはずだ。まったく不器用な奴である。
今に見ていろ、フクキタル。お前を煩わせる不幸や不吉なんて物は、気合と根性で吹き飛ばせるのだと証明してやる。
私は決意を伝えるように、フクキタルの髪を一度だけ撫で梳かしてやった。
苦しげだった顔が、少しだけ安心したように歪んだ気がした。
吾輩はウマであるは電子書籍化しました。
本編に大幅な加筆修正に加え、新規エピソードが追加されていたり、各主要キャラの設定を見直したりと、いろいろな部分に手を加えています。
以下のサイトにてDL可能ですので、まずは体験版からどうぞ。
【DLsite】
https://www.dlsite.com/home/work/=/product_id/RJ369814.html
【メロンブックス】
https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=1199029