夏目漱石「吾輩はウマである」   作:四十九院暁美

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顔の良い女を好きなはずだったのに、気付いたらメジロブライトに人生を狂わされそうになってる。

助けてタコピー。


弐壱

 金鯱賞である。

 大阪杯の前哨戦として認知されているこのレースは、世間で言えばそこそこの認知度がある。今日の私はこのレースに出るんだ。無論これには勝つ気でいる。走る前に負けることなんて考えてる奴は、そもそもレースじゃ勝てないってのはトレセン学園では常識だ。

 

 レース前には、控室でチームのみんなから激励された。みんなして頑張れだとか今の調子なら勝てるとか言うんで当たり前だ、私を誰だと思ってるんだと返してやった。フクキタルだけは前と変わらず怪我だけしないでくださいねと心配して私を抱きしめたりしたが、私だって前回は懲りたんだ。ちゃんと危なげない走りをするつもりだ。

 

 地下バ道からターフに出ると、緑に輝く芝と青空が私を出迎えた。歓声が驟雨の如くに降り注いで全身を震わせた。重賞に出るのは一年振りである。さすがに神経が高ぶって、武者震いまでしてくる。

 ゲートの前で軽い準備運動をしていると、前の特別OPで一緒だった奴がいた。京言葉の奴だ。声をかけたら「わぁ憶えててくれはったんです? こら嬉しいわあ」と言うが、そりゃあこんな奴がいたら忘れたくっても忘れられないだろう。

 お互い頑張ろうぜと言ったら、京言葉の奴は「今回も胸借りるつもりで、走らせてもらいます」と満面の笑みで言うんで、存分に借りると良い。何せ立派なものがついてるからなと私は胸を持ち上げて返してやった。京言葉の奴はちょっと目を皿みたいにして、「確かに立派どすなあ」と自分の胸をペタペタ触っていた。

 

 そうこうしてるうちに、ゲート入りのアナウンスがされたんでゲートに入る。今回は十四番と外のほうなんで、初動は外回りで走るのが良さそうだ。

 中腰に構えて始まるのを待っていると、パンとゲートが開く。いつも通り私は周りから半歩遅れ飛び出して、バ群の最後方に陣取った。

 

 金鯱賞は中京レース場で行われる芝2000mのレースである。中京レース場ってのは平坦で、小回りで、左回りで独特だ。その上にカーブは入口が大きいのに出口は小さい作りだから、こういうところばかりは得意って奴が出てくる。だから逆に苦手な奴ってのもいるんだ。何人かは最初のコーナーでちょっと走りにくそうにしていたのが見えた。

 私は結局後ろだから、最後だけ気を付けておけば良い。ただちょっと早めに仕掛けないと前が壁になりそうなのが、いささか面倒なだけである。

 

 初動は何てこともない。第一コーナーまでには全員が自分の位置に収まってスタコラ走っていた。調子は普通か、少し早いくらいである。京言葉の奴は前めにいて、前回とは違う様子だ。あいつってのは差しも先行もできるらしい。

 向正面に入ると、私はちょっとずつ速度を上げて、そのまま外から中団くらいまで行った。きつい坂があるなら早仕掛けは躊躇うが、ここにはそんなものがないから躊躇わないで行くんだ。

 第三コーナーに入ると、もう先行集団のところに来た。横に京言葉の奴がいる。こいつは笑って私を見ていたから、どうもここから私に勝つつもりでいるようだ。だが私だって腐ってもダービーウマ娘だ。そう易々と負けちゃあ情けがないんで、負けないつもりで笑い返してやった。

 

 第四コーナーは狭い。内にいると他の奴らが壁になって前に行きにくい。しかし京言葉の奴はするりとバ群を抜け出してもう先頭にいる。よくよく目が良いんだろう、走るべきところをよく見てるんだ。

 私はちょっと前の奴が邪魔だった。こっちをマークしてるんだか知らないが、行き先を塞いできて面倒臭い。しかしコーナーでこれ以上は前に出る気もないので、大人しく風避けにさせてもらった。

 最終直線に来ると、いよいよ勝負に出る。中京の直線は短い。中山よりは長いらしいが、やっぱり短いことには変わりない。私にはちょっと不利だ。

 前の奴をひょいと抜かして、京言葉の奴を追いかける。ゴールまでもう100mというところで真後ろに来た。このままでいけば抜かせるだろう。

 50mで並んだ。抜かせると思った。しかし束の間、京言葉の奴が異様な重圧を放って、不自然に加速したから魂消てしまった。

 

 何が何だかわからないまま二着になった。これじゃあ私は勝ち負けを気にするどころじゃない。息も絶え絶えになっている京言葉の奴に慌てて駆け寄って、私はさっきのありゃなんだ。何をしたんだと詰問した。そしたら京言葉の奴は呆然として「ウチもようわかりまへん。なんや、気付いたらゴールしてもうて……」とのたまうのだから、私はそんなわけがあるもんかと地団駄踏みたくなった。

 

 控室に戻ってすぐ、神妙にしているシリウスの奴らと一緒に、ありゃなんだと干物に問いただした。そしたら干物はちょっと考えたあとに「領域、じゃないかな」と心当たりがあるような顔をした。

 

「領域たあなんだ。聞いたこともないぞ」

 

「何て言えばいいかな……超集中、つまりものすごく集中した状態になって、スペック以上の力が出せるようになる……一種の覚醒状態って感じ。時代を創るウマ娘は、誰しもがこの能力に目覚めてたらしい。オグリもそうだったんだ」

 

「え! じゃあ、一着のあの子も!?」

 

「いや。多分あれは領域じゃなくて、擬き、かな。単にものすごく集中した状態だったんだと思う。オグリが領域にはいった時は、もっとこう、グォーって言うか……ズドンって感じで、迫力があったから」

 

「急に説明下手かよ。まあ言いてェことはわかるが……」

 

 干物の説明にウイニングチケットが大袈裟に驚いて、エアシャカールが指先でこめかみを叩いた。

 ところで、フクキタルが大声を上げたから全員がそっちを向いた。

 

「……あーっ!? 私、それなったことありましたよ!」

 

「えぇ!? ふ、フクキタルさんがですかぁ!?」

 

「忘れもしません、あれは私がクラシックを走っていた頃……」

 

 こいつが言うには、なんでも最終直線にはいったら周りが暗くなって、目の前に光り輝く道が見えたんだそうだ。当時はシラオキ様の導きだと思っていたが、今にして思えばあれは領域だったんだろうと、フクキタルは回顧して言った。

 それが本当だとして、しかしこいつが時代を創るような奴には見えぬ。もっとも、こいつが時代を創るウマ娘ってなら、今頃は国教がシラオキ教になってるに相違ないから、それはそれはありがたいことである。

 

「きっとこれは、努力だとか、そういう話じゃないんでしょう。ただ負けたくない、勝ちたいと願った時。ただゴールに向かって全身全霊で走っているその瞬間、自分の中で目醒めるものなんだと思います」

 

「勝ちたいと、願った時……フクキタルさんも、思ったの?」

 

「ええ、まあ……友人と言いますか、ライバルと言いますか。とにかくその子がケガをしてしまって、クラシックの半ばで引退してしまって……だから、菊花賞だけは勝ちたいと思ったんです。あの子のために」

 

 ライスシャワーの質問に、懐かしむような口調でフクキタルは答えた。干物もしたり顔で頷いているから、この話ってのはどうも本当らしい。

 この話を信じるってなら、京言葉の奴はとにかく私に勝ちたくって、それで領域とやらに指先をかけたんだろう。私なんぞによくやるものだ。

 私は納得したようなしてないような、とにかく曖昧な溜め息を吐いて、わたしにも領域とやらができるのかちょっと思案した。

 領域ってのができれば、私はもっと走れるかもしれない。スペや、テイエムオペラオーにだって負けない、強いウマ娘になれるかもしれないんだ。当面は領域の習得を目標にしてみるのも、道順としちゃあいいかもしれない。

 

「しかし……領域、か。それがありゃァ、7cmも……」

 

 エアシャカールも考え込んで、ブツブツと言っていた。いつもはロジカルだなんだと言っているこいつもこいつで、今後のために領域を習得したいようだ。

 

 領域の話もほどほどにしてライブのために舞台袖に行くと、京言葉の奴がいたんで声をかけたが、なんだかバツが悪そうにしている。浮かない顔をしてどうしたんだと聞いたら、なんだかズルしたみたいで云々とそのようなことを言うから、そっちの方がよっぽどズルだぜと言ってやった。

 

「勝者ってなら堂々としたらよろしい。なんだって勝った奴が浮かない顔してたんじゃ、負けたほうは悔しくってたまらない。むかっ腹が立つもんだ」

 

「せやろか……」

 

「せやせや」

 

「んふふっ。もう、茶化さんといてくださいよ」

 

「それに、ダービーウマ娘に勝った奴がそんな顔してちゃ、私の格が落ちるんだ。笑ってくれなきゃこっちが困るってもんだ」

 

「……お人が悪いわぁ。でも、ありがとうございます。なんか吹っ切れましたし、今回は盛大に笑わせてもらいます」

 

「うん、それがいい。笑ってたほうがよっぽど可愛いぜ」

 

「……ほんま、いけずな人やわぁ」

 

 そうこう話してるうちに時間になったんで、ステージの上に行った。二着ってのが悔しいもんだが、負けは負けで認めなきゃあ惨めだ。それに負けたって大阪杯には出られるんだから、ここでくよくよするのはナンセンスだ。

 大阪杯は負けない。きっと領域ってやつに足を踏み入れて、セイウンスカイにも、こいつにも勝ってやるんだ。

 サイリウムの海を見ながら、私はそう決意した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 けれど現実ってのは、思ってたより残酷らしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『──は着外、まさかの着外! どうしたダービーウマ娘、GⅠ復活にはまだ早かったか!?』

 

 来る大阪杯、私は10着に沈んだ。

 負けた原因は、なんてことはない。

 ちょっときつめのマークをされて、前に出られないまま沈んだ。シニア級のGⅠで行われる駆け引きに付いていけなくって、自分の走りってのがちっともできなかったのだ。

 前を走るセイウンスカイの背中も、京言葉の奴の背中も、見えなかった。

 

 怪我でシニアの初年を棒に振ってるんだぜ。同じ力が出せるとは思えないね。

 

 自分の荒く苦しげな呼吸の音と、歓声がぐるぐると逆巻いているターフの中にあって、いつかに言われたシリウスシンボリの言葉が、サイレンのように頭の中で鳴り響いていた。




吾輩はウマであるは電子書籍化しました。
 本編に大幅な加筆修正に加え、新規エピソードが追加されていたり、各主要キャラの設定を見直したりと、いろいろな部分に手を加えています。
 以下のサイトにてDL可能ですので、まずは体験版からどうぞ。

【DLsite】
 https://www.dlsite.com/home/work/=/product_id/RJ369814.html

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GLタグいる?

  • いる(鋼の意思)
  • いらない(どこ吹く風)
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